11月12日「平和を語ろう 奏でよう」に出かけました。ちょうどその日はそれほど寒くもなく雨も降っていなかったので、これはチャンスとばかりに出かけました。
前にも書いたことがありますが、私の中の時計が時々狂うのです。最初は6時半からと思っていたのに、郵便局で手紙を出したり、西友で買い物をしたりしているうちに、5時半からと思い違いをしてしまいました。
ドンキホーテの横から4時55分発のバスに乗り5時ちょっと過ぎに付けば開場の5時半にちょうどいいと思ったのでした。
会場案内の掲示をしている人に声をかけると、「6時半からですよ」と言われ、「あら1時間以上も前に着いちゃったわ」というと、親切にも休憩室を教えてくださって、助かりました。飲み物と、スナック菓子の自動販売機がある休憩室でした。誰もいませんでしたが、ボトルの暖かい紅茶とミルフィーユバウを買い、4人がけのテーブルについて、ゆっくりと頂いたのでした。
市川文化会館にこんなところがあると初めて知りました。
5時ころ、地下ローズルーム付近に移動。もう2~30人も見えていました。
5時半少し過ぎ開場、いつもと違って左手にピアノが置かれ、取り囲むように椅子が扇状に並べられ、音楽会の雰囲気を醸し出していました。
市川新婦人コーラスの人にもその他知っている人何人かにも会いましたが、新婦人コーラスのYさんと一緒にピアニストの手が見える位置に座りました。
始まる頃にはほとんど満席になりました。講演者の小村公次氏が「こんな大勢の前で話すとは思わなかった」と感激していました。
スライドを使った小村先生のお話は大変興味深いものでした。音楽は平和の下で、花開くもの、と「むすんでひらいて」を例に、これは戦時中は「戦闘歌」として歌われていたと、録音を聞かせてくださいました。メロディーはなんとなくそう聞こえますが、力を入れた鼓舞するような歌い方は「むすんでひらいて」の影も形もありませんでした。
「ここに泉あり」の映画にも触れ、敗戦から立ち上がった市民オーケストラのメンバーが貧困の中から群馬交響楽団を作ったこと。これを機に地方の交響楽団がたくさん作られ、年々増えていったことをグラフで示してくれました。戦前はN饗しかなかったそうです。
最後に音楽は個人的な営みではなく、社会と深く結びついているもの。音楽文化は音楽家と聴衆が共同してつくるもの。コンサートに出かけてみようと訴えかけました。演奏家は聞く人がいるからこそ成長する、若い音楽家にエールを、と結びました。
「私の長い話を聞くよりまず若い音楽家の演奏を聴いてください」と10分の休憩の後コンサートが始まりました。
南佳那子さんのフルート、大坪夕海さんのピアノ、山村晴子さんのソプラノの生の演奏に触れ、心も生き生きと蘇る感じがしました。
「演奏会」には他にもお誘いを受けていましたが、体調不良でお断りをしていました。でもこれは近くでもあり、バスを使えばすぐ行けるとあって、恐る恐る出かけたのですが、来てよかったと思いました。
プログラムは先日紹介しましたので、今日は省略しますが、ポピュラーなものもあれば、日本人の作曲家の非常に意欲的な作品もあり、手応えのある演奏を聴くことができました。
いま若手の方の演奏する機会がとても少ないそうです。市川でもこれからもこういう演奏会を開いて若手の演奏家の成長の一助になれば、と思います。
プリマベラの練習その2 2019.07.20 コメント(21)
市川新婦人コーラスの練習 2019.07.05 コメント(12)
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