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にほんブログ村←(-^〇^-)またしても大幅変更。透明水彩でここまで絵を途中変更するのは暴挙とも言える。僕はよく居酒屋で飲んでいるからこれこそ「暴挙酒場」=望郷酒場って、古くて知らない人ばかりだな、この演歌は。最初の暴挙はせっかく描いた人物を塗り潰した。二番目は、真っ黒に塗ったところに人物を描き込んでしまった。三番目は、椅子の手すりを消して白いテーブルに変えてしまった。もうここまで来ると、ルール無用の怖いもの知らず。どこからでもかかってきなさい。で、とにかくここでこの作品は終了したということだけれど。
2011/01/30
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にほんブログ村←(~_~;)水彩はなんとか一枚目の目鼻が付きそうだけれど、ここに来て油彩も何とかしなくてはいけないと。焦り始めた昨日見た夢。その夢の冒頭シーンにヒントがあったかも。「夢の中で僕は目を覚ました。寝返りを打つと、妙にでこぼこした枕に違和感を感じた。白いシーツを巻きつけた枕は、1メートル以上ある。手で触ると弾力のある冷たい感触だ。端の布をそっと捲り上げてみた。透き通るように白い肌の女がうずくまるように眠っていた。 唇だけが冷たい熱を帯びたように赤い。僕は刹那の時間その死んだようにうずくまるを見つめていた。 深い眠りの中に居るのだろうか、呼吸すら忘れているではないか。そっと、息を殺して僕は部屋を出た」普段ならすぐに忘れてしまう夢の映像が今も脳裏に残っている。残像ではなく、懐かしいリアルさを伴って。それをPCでエスキースしてみた。次回の油彩画の作品になり得るかどうか。包まる女の位置はこのまま画面の上になるのか、下の方に行くのかは決まっていない。僕の絵はいつもこんな風にして生まれてくるようだ。
2011/01/28
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にほんブログ村←(^Д^)夢があって、それへの思いがある。日々の忙しさに紛れて、その思いが「想い」に変わっていく。手をのばせばそこにあるはずの夢は、いつの間にか手の届かない想いという遥か彼方へ遠ざかってしまう。「そっつ!!そんなはずでは!!」驚愕するある時を迎える。今夜、その想いをまたいつか抱いていた思いにたち帰らせてくれる言葉と心に出会った。そう、僕が生きている意味はそこへ行き着くことだったはず。今年遅いステップを僕は踏む。
2011/01/27
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にほんブログ村←(^。^)暫時筆を休めてあれこれ考えていて、思い切ってやってしまった。少年の顔の部分書き込みと、バックの大幅変更!描いてみて、絵は締まったが逆に硬くなってしまった。大丈夫!?そう、ここからの追い込みが勝負になるんだね。このバックをこれから空間の処理、色を汚して行き、シンメトリーでもある程度の柔らかな空間を作って。後4-5時間ぐらいは欲しいね。まず額(画中に描き込んだもの)を外しばっくにとけこませることに、、、、。
2011/01/23
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にほんブログ村←(-^〇^-)嵐山に向かう電車。細雪の薄紫の雲間から、移り気な風に揺られてふり落ちる様を、人いきれでくゆもる窓を拭きつつ眺めていると、玩具のような小さな駅に停る。竜安寺前。細々目の雪は幾分か雪雲の隙間から覗く日差しに勢いをそがれつ、心もと無げに石畳を佩いて行く。竜安寺の庭は白い薄衣をまとい佇み、ひとしきり風が屋根に積もった雪を庭に撒く。煌めいて白い粒子の幕がひかれて行く。白化粧の庭の表を雪の影が走る。その瞬間(とき)小さな雪の結晶に導かれるように、薄青の宙に僕の心は吸い込まれていく。雪の影に刹那の吐息をもらしながら。
2011/01/20
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にほんブログ村←(^Д^)海外へ旅するときも、国内を回游(魚か!)するときも、現地で必ずその地に行ったという痕跡を残したい気持ちになるのは誰でも一緒ではないだろうか。僕はその意識が異常に強く、さりとて現地の建造物や自然造形物に落書きや傷をつけたりとかは日本人の名誉のため断固としてしたくないでしょ。 だから。僕は写真に旅の痕跡を残すんですよ。この行為はもう10年以上も前から延々続いているわけで、どういう写真かと言うと、物を撮るフレームの中に自分の足を入れるんですよ。例えばピラミッドを撮せば手前に僕の足がチョコンと小首をかしげているとかね。以前ソウルに行って教会の絵を描いたときもその写真を撮ったんだけれど、よく見てみるとまるで教会を足蹴にしているみたいで、さすがに申し訳ない写真だな、と思ったこともあったっけね。まあ、そんな性癖というか趣味というか、結構くだらないような行為なんだろうけれど、僕は10年以上続けているわけで、ライフワーク的軽薄記念激写とういところですかね。下の写真もそのうちのもので、トルコに行ったとき世界遺産のパムッカレとかなんとか言う所で激写した「僕の足と一緒に世界の観光地」シリーズです。親犬と仔犬=トルコの犬ですからこれはもう凄い記念ですね。↓生きてます。寝ているだけですから念のため。仔犬は足を出すと前足で僕の足を押さえてしまいました。 しばらくこのまま仔犬が前足を退けるまで動けませんでしたっけ。」
2011/01/18
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にほんブログ村←(´▽`)スペインでの個展は二通り。これは日本も同じで画商が企画するものと作家本人がギャラリーを借りて行うもの。海外から入ってきたギャラリーの制度だから共通しているのは当たり前かもしれないね。でも日本のそれと海外のそれでは微妙に差異があるんですね。僕もスペインのマドリード・グランヴィアで個展をやったときに感じたこと。まず初日がすべて、ということなんですね。初日には必ずといっていいほど盛大なオープニングパーティ。知人友人その知り合いの友達の親戚のと、人が多く集まるほどまず、その個展は成功と言えるんです。じゃあ二日目からは、そうなんです、殆ど来ません。パラ、パラ程度。初日に如何に作品を買ってもらうかが勝負なんですね。幸僕のときはマドリード地元の新聞にも紹介してもらったので結構きてもらったけれど、それでもパラパラパラぐらいだったかな。前にも書いたけれど版画家のフェルナンドが僕がパーティなんかしないというので、半ば強引に彼とその友人がワインやジュースやと用意してくれましたが、さすが郷に入っては郷に、、、。かなりの作品が売れましたっけ。最近のオープニングパーティは豪華になってきて、寿司、ハモンセラーノ、チョリソ、パスタ、ワイン、ビール、日本酒。まるで飲み食べ放題の居酒屋のようです。一昨年もアトリエの知人の個展のオープニングにお邪魔。飲んで食べて笑ってぐっちゃぐちゃでしたっけ。それでも、作品は少しづつ売れるのです。安いものから順番ではありますが。左様さほどに大切な行事なのです。
2011/01/17
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にほんブログ村←ランキングへ~(゜д゜)リベラの手へのこだわりを昨日書いたが、今日は顔。数年前、プラド美術館での模写はリベラのサンバルトロメを描いたが、もう一枚気になる作品があった。老婆の横顔の絵。作品のタイトルは失念したが、その表情の迫力はいまだに僕の脳裏を離れない。 それには理由があった。マドリードからコルドバへ行った時のことだ、駅から市内へ向かうバス停。ぢっと夏の強烈なカステージャの日差しの中に視線を向ける老女がいた。思わずシャッターを押す。哀しみを内包する眼、あまりに深く刻まれた皺。それがリベラの老女の絵と重なり合った。りべらはその視線を深い闇に沈め、顔を覆う皺にその老女の人生を、心の内奥までもを塗り込めているではないか。画家のリアリズムの追求とは形態や質感の再現ではない。表層の奥から滲み出る心を、思想を、人の持つあらゆる感情を画家自身のそれと練り合わせ抽出されるべきもの、それを描くことにほかならない。そのリベラの絵とコルドバの老女を見比べてみよう。表面の現象ではなくそこに在る共通点に気付くはずだ。
2011/01/13
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にほんブログ村押すと嬉しいか(´▽`)スペインマドリードのプラド美術館で以前撮影した写真を見ていると、殆どが部分を撮したものものだった。その当時(6-7年前)模写の合間に好きな作品の写真を撮っていたが、これほどデテールに、しかも手や足にこだわっていたとは。その中でもバロック前期のリベラの描いた聖人たちの手足に注目していた。描かれた聖人たちの手は決して神聖な汚れのないそれではなく、まるで旋盤工か、農民の手のようだ。 指は重労働で節くれてやせ細り、爪は太く曲がり爪垢が溜まっている。それこそがバロック期のリアリズムなのだろう。聖人たちは、そもそも漁師であったり農民であったり、石工であったのだから。ふと見過ごしてしまうような細部にも現実の人間を描こうとするリベラの強烈な想いが感じられるではないか。
2011/01/12
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にほんブログ村←(゜д゜)ここに来て一息ついた感じ。さて、ここからが本当の意味でこの作品が物になるかどうかの瀬戸際だろう。問題は色々あるのだが、一番重要なのはバックに立つ人物の表情の描き込みと明るさの調整。つまりこの人物の描き込みがメインの少年を引き立たせるか埋没するかの鍵となる。第二にバックの処理。暗さと明るさ。均一空間なのか、そこに何がしかのものが存在するのか。おおよその検討はつけているものの、もう少し時間をかけてこの絵と対話を重ねてみたい。りんごの横にいつも愛用している水彩筆を描いた。予定ではナイフとフォークを入れるつもりだったが、ストレートに食事を連想させるよりこのほうがこの絵を見てもらう時の小さな迷路になるような気がした。今日は宝塚に所用で出かけた。阪急駅近くのビルに行ったのだが、用事を終えて階段を降りるとき二階にギャラリーがあった。現代美術作品の個展。足立某女史。作品の色やにじみ出てくるものに何か懐かしさを感じてドアを開いた。ギャラリーの責任者にお伺いすると、僕の郷里の出身の画家だった。今は香港だったか台湾だったか、そこに15年ほど暮らしながら制作しているとのこと。アクリル作品で、円の集積がモティフ少し硬さは在るもののなかなか面白い作品たちだった。珈琲を出していただき(とつぜんのお邪魔の馬の骨に申し訳なく)しばらく絵の話やスペインの話を。ゆったりとした午後を過ごさせていただいた。
2011/01/11
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にほんブログ村←ポチっとな。一昨年版画家のフェルナンドとの約束は、今年のマドリード訪問だ。出来れば6月ごろの予定で行きたいのだけれど、なにしろ先立つモノの都合もある。それでも実現したい。今年行くならば、デッサン・クロッキーは300枚、水彩画20枚、油彩画10枚が目標。なおかつ作品として勉強として、今後の制作ののための結果を出したいと考えている。下の写真は遥か7年前プラド美術館での模写の合間のワンショット。リヴェラのサン・バルトロメの前で。若いなー、細いなー戻らないなー、戻りたいなーあの頃に。ハッ!!(バイ和田アキ子)
2011/01/09
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にほんブログ村←クリックプリーズさてと、制作も4回目に入り、登場人物が出揃ったかに見えたが、バックの男女の内女性が姿を消しそうだ。ストーリー的には必要な女性だったが、構図的にメインの少年が座っている椅子と共にシンメトリーになっているため、全体の構成からすれば女性が入ると完全な左右対称の構図となる。これでは観る側が苦しくなりそうだ。そこでこの女性にはお引取り願い、空間の余韻を残すことにした。水彩での途中変更は難しいが、決めたんだからしょうがない。誰にも文句言わせませんから。一人で力んでいる。さて、今回女性の代わりに萎びた姫リンゴに登場願った。静物画は楽しいね。
2011/01/07
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にほんブログ村←クリックしていただいてもいいかと。水彩に移行して二回目。遅々として進まず。作品を見比べると、ウオーリーを探せ!状態。間違い探しでもいかがでしょうか。昨日の最終状態↓本日の最終状態↓
2011/01/06
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にほんブログ村僕の製作方法は二通りある。まずは最初にエスキースを何枚か試行し、構図を決定してから本画に入る。もうひとつは、絵の中心(主題)を決めておおよその見当で描き始める。今回は後者を取った。人物の大きさ表情がまず先にあった。それを描きつつ最終的な完成図が浮かんでくるのを待ち、決定していくやり方だ。油彩の場合はこの方法が向いている。やり直しが効くからだが、水彩の場合失敗すると全てが台無しになってしまう。しかしこの方法は思わぬ効果が出ることも事実。少しづつ丁寧に絵とじっくり相談しながらやっていかなければならない。
2011/01/04
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にほんブログ村新年も2つ目の日を迎え、皆様方のご健康と繁栄を祈念し、新春のご挨拶に致したく。さて、昨年のクリスマス。23日のこと周りからクリスマスの話題が出たとき、実を言うとまだまだ先のこと、4~5日後のことという意識だった。そのときは愕然とし「年のせいか、失念しておるわい」と、その程度の思いだったが、昨年年末から年が改まった今日にいたって、気持ちは平常の日々の連続の中の31日であり1月1日であることを自覚した。思うに、日々の雑事に埋没し、生きているという実感が薄れ、周りを見渡す心のゆとりが失われているのだろう。日々の生活が節目を失いつつある。危機感を持たねば成らない。流されるのではなく、流れていくためにはしっかりと周囲を見渡し流れてきた道程をまた流れていくべきその先を見つめなければならない。(余談)暮れから昨日まで丹波の奥地に行き大雪に見舞われた。
2011/01/03
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