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私が勝手に師匠と仰いでいる人が何人かいますが、今日はそのうちの1人である成瀬さんに久しぶりにお会いしました。ある調査で多摩市を訪問後、多摩ニュータウンのことだったら成瀬さんの話を聞くのが手っ取り早いということに気付き、電話で「これからお邪魔してもいいですか?」とお伺いすると、「いいよ。おいで」という返事。ノーアポにもかかわらず図々しくお邪魔することにした次第です。成瀬さんは元々は公団にお勤めで、昔からコンサルタントの人間より街づくりのことを良くご存知。それだけならまだいいんですが、コンサルタントの人間より絵がうまくてしかも手が早い、さらに人一倍人間的で感性が豊かという、三拍子も四拍子も併せ持った恐るべき人で、したがって、発注業務の要求も目茶目茶厳しいことで知られていました。私も街づくりの右も左も分からないまだ若かりし頃、散々しごかれた、もとい教育的指導を受けたことがある1人ですが、同じような目にあった幸運な人は私の周りに何人もいます。普通、発注者側は自分ではできないことをコンサルタントに発注するのが一般的ですが、コンサルタント以上に“できる”人が発注者というわけですから、これはもーコンサルタントにとっては修羅場です。いい街をつくろうとする野心が自らを研鑽し、関係者への厳しい要求となって表れる、彼にとっては極めて自然な振る舞いなわけですが、そんな人ですから、時間の問題と思っていたら案の定、今から10数年前に公団を退職、自ら都市計画事務所を永山に開業してしまいました。成瀬さんのことは改めてゆっくりご紹介させていただくとして、今日成瀬さんからお聞きした話の中に興味深い一説がありました。曰く「永六輔氏が言ってた話しだけど“ニュー”と付くものは大体まがいものが多い」「街っていうのは普通何十年何百年もかけてつくり上げていくものを、高々30年ちょっとでつくったのが多摩ニュータウン。ニュータウン=100点満点の理想郷と考えることがそもそも大きな勘違い。」「もちろん当事者の1人として、いい加減な仕事をしてきたわけではないが、限られた時間の中で限られた人材と知識を糾合してできたのが多摩ニュータウン。都市をつくるというこれまで誰も経験をしたことのない分からないことだらけの中で最適解を見出そうとしたのが多摩ニュータウンなのであって、それを批判しても始まらない。重要なことはそこに暮らすことを決心した私たち住民がどう住みこなしていくかということ。それは普通の街も同じこと。」多少僕のアレンジも混じっていますが、およそこのようなお話だったのではないかと思います。多摩ニュータウン開発の草創期から、公団職員兼住民として、日夜悩み、現場でものづくりに汗を流してきた人だけに、その一言一言が、多摩ニュータウンを表面的にあるいは統計的に捉えてあーでもない、こーでもないと批判し、かくあるべしとのたまう方々の一見もっともらしい言葉以上に説得力を持って僕の胸に染み入るのでした。
2005/09/28
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最近、寝床で「都市の記憶」と言う本を読んでいます。すぐ眠くなっちゃって、なかなか前に進まないのが玉に傷ですが…。著者は、ワシントン生まれでニューヨーク育ちの新聞記者「トニー・ヒス」という人です。場所が人間に如何に大きな影響を与えているか、大切な存在であるかということに関して、自らの場所体験や新聞記者として足で稼いだ情報を基に精緻に書き記されています。この本で彼が一貫して主張している「豊かな場所」「共有できる空間価値の創造」は、これまで都市計画や建築、あるいはランドスケープと呼ばれるジャンルの専門家が、いかに「豊かな場所づくり」や「共有できる価値の創造」にたいして無頓着であり、彼らのにわか仕立ての理論を頼りにしでかした数々の行為がいかに独善的であったかということへのテーゼでもあるわけですが、彼が指摘するまでもなく、都市は都市計画家や建築家、はたまた都市計画コンサルタントやゼネコンのものではなく、僕たち人間のためのもの。当たり前の話なんですが、いつの頃からでしょうか?都市計画、都市デザインあるいは建築が、人間の感性から遊離し独り歩きを始めてしまったのは。改めて振り返ってみると、僕も若い頃は、都市計画こそこの国を救う唯一無二の職業であると信じて疑ったことがなかったような気がします。時代が急激に変化していて、今より時間の流れが速かったせいかもしれませんし、都市計画が歴史の浅い新たな職業領域であるということも一因かもしれませんが、当時の都市計画、都市デザイン、建築は、実は当事者の一人一人の貧困な空間体験が決して省みられることなく、都市計画学あるいは建築学というきわめて統計学的、あるいは誰かによってつくられた“常識”を踏襲していたに過ぎないことに気付かされます。批判や誤解を恐れずに続けると、“いい加減”で“無責任”だったということになります。逆に言えば、自らの空間体験に基づく感性が、都市計画や都市デザインの世界に生かされなかったということでもあるわけですが、僕たち都市計画や都市デザイン、建築を専門とする人間は、今こそ、というかそろそろ、戦後一貫して続いた高度経済成長への追従あるいは呪縛から決別し、専門家である前に、まず“一人前の住民”足りうるかというところを、自らに厳しく問い直すことから始めた方がいいんじゃないかな。少なくとも僕はそう感じています。*写真は連光寺3丁目付近。春日神社から林業試験場を結んでいる道です。地形に沿ってくねくねと蛇行していて、歩くのが気持ちのよい道です。視線の先に関東平野がちらちら見え隠れしています。恐らく古くから多摩と川崎方面を結ぶ道として活躍していたのではないかと思われます。
2005/09/21
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昨日、夢見隊2号プロジェクトの参加者募集を呼びかけるチラシを配りました。来週の9月20日~22日にかけて「もしもし新聞」を介して、約3万部が多摩ニュータウンの八王子・町田市域に配られることになっているんですが、今回はこれまで一切チラシを配ったことがない多摩市域にもチャレンジしようということになり、部数をチェックしたらそれが約7500部。もしもし新聞にお願いする手もあったんですが、しかし、僕たちにはお金がない。それじゃ、自分たちで配っちゃおうということに相成った次第です。理由はお金がないことのほかにもう一つありました。それは、これまで6~8月にかけて、毎月約5000部を手配りしてきた効果が少しづつ出てきて気を良くしているスタッフの気持ちの問題でした。この3ヶ月、建設組合準備会代表の渡邉さんを中心に、僕たちスタッフが協力する形でチラシを印刷(永山の多摩NPOセンターの印刷機が大活躍しました)、主に長池・南大沢界隈にしつこく手配りしてきたんですが、これが意外や意外、毎月3組前後の方々が説明会に参加してくれたのでした。たかが3/5000。そんなに驚くような話ではないんじゃない?と言う人がいるかも知れませんが、これまで広報やもしもし新聞に広告を打ったりしたにも拘らず、これほどの反響があったことはめったにありませんでしたから、これは僕たちにとっては驚くべき数字でした。結局、これまでのチラシ配りを通じて僕たちは2つのことを学んだような気がしています。一つは「継続は力なり」ということ。チラシ配りも1回ポッきりでは効果がなかったかもしれませんが、2回3回と続けているうちに、徐々に認知度が高まり「ちょっと行って話だけでも聞いてみるか」という人が確実に増えているような気がします。よく言えば、僕たちの活動が少しづつ信頼を獲得し始めているということなのかも知れません(慢心は禁物ですが)。もう一つは、僕たちスタッフの気持ちの問題。少々反省モードが入りますが、これまでは、結局、僕たちスタッフの頭の中の参加者募集に対する意識が、多分に他人任せだったのではないか。それが、自分たちでチラシを配り始めてから、僕たちの気持ちの中の何かが少しづつ変わっていったような気がしています。自ら汗をかいて配ったチラシを見て足を運んでくれる方々のありがたさ。「チラシを見てきたんですが…」と言う一言が、僕たちの疲れを一挙に吹き飛ばしてくれるとともに、僕たちの説明にいつもにも増して力が入ります。そのようなことを繰り返しているうちに、知らず知らずのうちに僕たちの気持ちの中の何かが変わっていった。何が変わったのかと言うと、それは僕たちの気持ちの中の「責任感」と言ってもいいのかも知れません。本当に人間の気持ちって不思議だなーと思います。結局、今回のチラシ配りを通じて、僕たち夢見隊が学んだことは、大手の住宅メーカーやデベロッパーにある組織のネームバリューや商品としての住まいの形を持たない夢見隊の家づくりや街づくりって、やはり人と人との心の連鎖とでも言うのでしょうか。僕たちの心と参加者の心が触れ合わない限り成り立たないんだなーということなのかなーと、改めて感じています。
2005/09/17
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昨年の9月から今年の3月まで、国土交通省関東地方整備局と多摩市の後援を得て「郊外型住まいづくりワークショップ」と題する勉強会を月1回のペースで開催してきました。内容は、そのまんまですが、これからの住まいづくりの形として近年猛烈な勢いで普及しつつある「コーポラティブ住宅」について学ぶというものでした。今、何故コーポラティブ住宅なのか?実はコーポラティブ住宅の歴史は意外に古く、今からおよそ33年前に建設された下丸子の共同住宅が第一号と言われていますが、何はさておき、コーポラティブ住宅の普及に多大な貢献を果たした、知る人ぞ知る大阪の「都住創」を挙げないわけにはいきません。都住創とは読んで字のごとく、「都市住宅を自分たちの手で創る会」の略で、大阪は「旧東区に住む」ことへの強いこだわりが、彼らをコーポラティブ住宅の建設に走らせたのでした。住み続けるために家を買おうと思ってもデベロッパーの分譲住宅は、我が家にとって“帯に短したすきに長し”、それに高くてとても手が出ない。だったら、自分たちで土地を仕入れて自分のサイズに合った住宅をオーダーメードでつくっちゃおう。都住創はそんな思いを胸にプジェクト参加者募集を始めたわけです。夢見隊のコーポラティブ住宅と根は同じですが、バブル期の混乱で休眠するまでの間に、大阪市内に合計17本のコーポラティブハウスを、年に1本のペースで造り続けてきたと言いますから、そのエネルギーたるや想像を絶します。この都住創、地価が安定の気配を見せ始めた数年前から、再び活動を再開したそうですが、今や、コーポラティブ住宅は雨後の筍のごとき勢いで日本全国津々浦々にまで浸透、猫も杓子もコーポラティブ住宅の様相を呈しつつある感がありますが、東京で有名どころといえば、何てったって「都市デザインシステム」でしょう。あれはほとんど分譲マンションと同じで、本当のコーポラティブ住宅とは言わないという、その道の方々の厳しい意見を時たま聞いたりしますが、そう言う人に会ったらいつか聞いてみたいと思っています。「何が本当のコーポラティブ住宅なの?」と。僕はコーポラティブ住宅には様々なスタイルがあっていいと思っていますし、その評価は僕たちが下すのではなく、参加された居住者の方々が下すものだと思うんですね。だからああいうコーポラティブ住宅があってもいいと思いますし、むしろ、コーポラティブ住宅の普及に多大な貢献を果たしているという点で、大いに評価されるべきなのではないかという気さえします。さて夢見隊ですが、大阪の都住創が東区に住むことにこだわっているように、多摩ニュータウンに住み続けることにこだわっていきたい。そのためには、これまで、公的住宅や民間企業が一方的に供給する住宅をただ選ぶだけしかなかった選択肢を多様化する必要があり、夢見隊のコーポラティブ住宅は、量的には知れているかもしれませんが、その一つの選択肢になれるといいなーと考えています。
2005/09/15
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