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生徒に理解度を聴くと、だいたいわかる という言葉が時々返ってくる。これ、かなりの確率で、良くて平均点レベルに終わることが多い。ちょっと問題が多かったり、出題の傾向が変わると、たぶんあっという間に沈む。予想以上にとれない人間は往々にして自分に甘いので、だいたいわかるの、だいたいが、結構自分に都合良く解釈するものだ。明らかに出来ていない範囲があったり、わかっているものでも、練習不足でキチンと理解していなかったりする。客観的に見れば、隙だらけでテストに臨むのだから、結果も知れたものである。完璧!(本人談)レベルで、やっと80点越えが可能になってくる。定期テストというのは、そういうものである。完璧!(本人談)レベルでも、まだまだ不安になって学校の問題集や教科書の問題などを、隅から隅までつぶす作業が、初めて満点近い好成績につながってくると思う。まあ目指すレベルは人それぞれなので、決してすべての子に満点を取れとは言ってない。しかし、自己評価でも良いから、完璧!位に勉強はさせないといけないと思っている。口で言うのはたやすいが、案外難しい。来月は、中学生の定期テストが控えている。彼らの本能との戦いでもある。
2013.05.31
部活というのは、私の立場として、なかなか難しいものがある。部活を楽しむのは良いと思うのだが、テスト直前まで練習だ、試合だと入れられてしまうと、こちらとしてははなはだ困ってしまう。生徒が一生懸命やっているだけに、無下に否定できないが、なにもテスト前に入れなくても・・・と、不平の一つも言いたくなる。生徒の様子を見ていると、練習のために練習しているのではないか?と言いたくなることもある。部活も大事だが、やはり子供たちの本分は勉強だと思う。勝利を目指すことも大事だが、あくまでも学校の一環としてやる以上、主役は生徒だと思う。ちなみに私は、運動部に所属したことがない。運動が苦手だったと言うこともあるが、なにかというと罵声が飛び交う、当時のあの雰囲気がイヤだったと言うことが大きい。体育すらイヤなのに、放課後わざわざ部活に入ってまで、確実に怒鳴られたくないと思っていた。今から思えば、生意気なガキとしか言いようがないが(笑)
2013.05.28
この商売をしていて、一番気にしていることは、成績の善し悪しで優劣をつけないこと。良い成績に越したことはないが、悪い成績であっても、まずはあるがままをとらえるようにしている。当然、他人と比較する必要などもっとない。分からなくて当たり前、それをできるようにするために塾に来ているんだから。あとはその子がどうやって、乗り越えていくか?その過程を一緒に過ごす、そういう場だと思っている。長い間やっていると、兄弟の優劣とかあるのかもしれないが、それはあくまでもその年齢での一時的な現象であり、すべてではない。当然比較などしない。生まれ持った条件は、異なるのだ。自分の都合による比較は一切してはいけないと、自分で戒めているつもりだ。
2013.05.27
私立中高生 公立高校生は、先週が一学期の中間テストだった。では公立中学生は?というと、これまた、ほとんどの学校で中間がない。最近は、年間四回で、一学期中間テストとかいう名称ではなく、第一回 第二回定期テストと称する。第一回は六月末、第二回は九月末、第三回は十一月末、第四回は二月末というパターンが多い。だから、うちの近所の大半の公立中学生は、年度をまたいで、もう四ヶ月もテストがないことになる。その開いた分、五月に修学旅行や運動会など大きな行事をやるところが多い。しかしやはり、この時期の中間は必要だと思う。特に中三は、内申が決まるまでの定期テストが実質三回しかない。やはり範囲が広くなりすぎないためにも、少しでも回数が多い方が良いと思う。はっきり言って、テストがあるから真剣に勉強する、という側面は否定できないし、定期的にテストをすることで、モチベーションを維持できることは確かだ。
2013.05.26
独立して約10年。この仕事をしていて一番変わったことは、人付き合い基本的に月から土まで、勤め人で言えば、夜に一杯やる時間に働いている。だから、この時間に人と会うのは難しいせいぜい、日曜日か祝日くらい。だから、酒を飲むことがほとんどなくなった。元々酒には強くなく、ほぼ下戸。飲まなくなると、それに拍車がかかる。家での晩酌習慣はない。人付き合いが少なくて寂しいかというと、そうでもない。人付き合いは、そんなに得意ではないし。元々一人でいることが苦にならないタイプなので、自分のペースでできるのは気が楽で良い。また、自宅からは歩いて行けるので、定期券を持たない生活も10年以上。今生徒が持っているような、PASMO定期やSuica定期は使ったことがない。磁気式までである(笑)毎朝ラッシュでご苦労されている方には申し訳ないが、混雑した電車に乗らないですむのは本当にありがたい。今は生活の大半が塾。しかしそれは自営の宿命でもある。与えられた環境で、自分なりに全力を尽くす。ただそれだけ。
2013.05.25
今月いっぱいで、高校生(3年が)一人やめる。彼女は、進路をいろいろ考えていたが、専門学校に通うことを希望することによる措置。高校に入ったときから成績で苦労して、なんとか塾でもがんばっていた子。無事に3年に上がり、卒業先が見えてきたことで、私のお役目は終わったと言うことだろう。私もそれで良いと思う。彼女らしい、良い進路を決めたと思う。もし専門学校に入る際に、また高校の勉強で必要になったらうちに来ると言ってくれた。彼女は中2の時からうちに来ていた。まあ、多感なお年頃、いろいろなことがあったが^^;、基本的にはまじめで良い子だった。まずはしっかり進路を考えて選択したことは良かったと思う。私にとっては、いつまでもうちにいた生徒である新しい進路でもがんばって欲しい。
2013.05.24
わかると、デキルには大きな溝がある。現在高校生は中間テスト。テスト前には、問題集やプリントから宿題が出る。これを人に聴いたり、調べながらして解くだけの状態では、残念ながら肝心なテストの時にあまり役には立たない。テスト中はあまり時間がない。特に数学などは、問題を見た瞬間に、解き方の方針が立たない限り、点数には結びつきにくい。結構な量の宿題がテスト前に出て、それを黙々とこなすだけで点が取れるかというと、それはまた別の話なのだ。この宿題には、時に難しい問題も入っている。応用的な勉強をさせたいという先生の狙いもあると思う。チャレンジして解くのは良いのだが、たぶんテスト問題としてはあまり出ない。出ても1~2問。理解があまり良くないなと言う単元に関しては、こういう応用問題は一端保留しておくのも手。出るかも?と思って手を広げても、本番のテストでできる可能性は低い。ならば、取りこぼしを防ぐ意味で、基本レベルを確実にしておいた方が良い。どんなものが出るかをキチンと予想することは難しいが、出題側の立場に立つと、よほど奇をてらわない限り、どんなものを出したいかは見えてくる。そこにあわせて対策をするというのも大事かなと。高校生くらいになると、たぶんそういうこともわかってくるのではないかと思う。
2013.05.23
昨日の続き。高校の授業が雑じゃないか?と思うことを書いた。少子化の中で特進を設けて、進学実績を競う学校生き残り策。その陰で、肝心な授業が本質的に変わってしまった気がする。とくにそれは理系科目に。大学入試に照準を合わせた、効率の良い、受かる授業を考えると、今のように、演習中心の方が良いのかもしれない。しかし、授業を進ませることを主眼にするあまり、雑な説明で、あとは丸投げでは、生徒たちはこなすことが精一杯で、その科目に興味を持つことは難しい。高校生あたりは、精神的にもグンと成長してくる時期だ。この時期に受けた授業で、その科目のおもしろさを知り、知的好奇心を大いに満たせるときでもある。特に理系科目は、実験や観察などを多くすることで、よりその傾向を増せると思う。私自身の経験でも、高校の先生には、おもしろい人が多かった。本当にその科目が好きなんだなと思える人の授業は、たとえ自分が得意科目でなくても、それなりに興味を持って受けたものである。そしてそれが、数十年経っても印象に残っているのである。今の演習授業ばかりを受けている彼らに、将来印象に残る授業は出てくるのだろうか?大学入試に照準を合わせすぎることによって、学問の本来のおもしろさが置き去りになっている。高校の先生は、その科目のプロだ。授業の質を上げることに力を入れたいだろうが、現実には難しい。忸怩たる思いをしている人も多いのではなかろうか?そもそも高校って、大学に入るために行くものなのだろうか?大学へスムーズに通すためのパイプなんだろうか?人生で最も多感な時代。いろいろなことを吸収できる時代。勉強は最も大事だが、部活や学校行事を通じての友人関係を築いたり、本を読んだり映画を見たり、旅行をしたり、時には恋愛をしたり・・・いろいろな経験を通して成長する、大事な3年間な気がする。大学進学だけで染め上げてしまうことは、言い方悪いかもしれないが、高校教育の緩慢な自殺行為とすら思える。予備校の劣化版 という言葉が頭をよぎってしまう。確かにこれで進学実績も良くなり、有名大学に多数進学しましたという結果が出たとする。しかしこれにより、彼らの知的好奇心が上がり、大学で勉強するようになりました、となるんだろうか?現実は違う気がする。
2013.05.20
今週は、高校生の中間テスト。今日も、お昼から夜まで対策授業。しかし、最近の高校は進度が速い。早く消化して受験勉強に力を入れたいのだろうが、消化不良になりつつある気がする。そもそも授業が雑な感じだ。数学などは、教科書に書いてあることをざっと説明して、あとは問題集から宿題。宿題に出すと言うことは、テスト範囲でもある。その問題集も、とうてい教科書レベルではない。自力で解くのは難しい結局、塾を頼ってくるので、こちらで全部説明することになる。とても復習レベルではなく、新規に教えている気分。問題集の答え合わせだけで、終わっている授業もあるとも言う。問題やらせて答え合わせ、もしくは小テストばかりだと、学校の授業って何?と言いたくなる。それならば、もう少し問題の出し方に工夫して! といいたいが、工夫を感じない。まあ、高校の授業に懇切丁寧さを求めないが、せめて、その科目をおもしろいと思うような授業をして欲しいと、切に思う。
2013.05.19
勉強をしていて、時々、姿勢の悪い子がいる。半分寝そべりながらやっている子がいる。当然、注意の対象。こういう子は、概して、当該教科の成績は良くない。姿勢が悪いのは、疲れているとか言う問題ではなく、勉強に対する取り組み方を端的に表している。姿勢が悪くてはかどるはずもない。気持ちがどうしても乗らないのなら、まずは姿勢だけでも直す。体がキチンとすれば、それなりに気持ちも変わってくる。
2013.05.17
今月は、運動会をやる学校が多いというか、大半の学校では、運動会は春の行事になっているようだ。このところ、運動会の予行演習とやらで、授業があまり進んでいない。さらには、中3は修学旅行もある。一応本格的な新学年がスタートしているが、まだまだ落ち着いて勉強している様子ではない。こういうときは、前の学年の復習に力を入れた方が良さそうだ。しかし、個人的には、運動会は秋の行事だよなと。秋晴れの空の下でやるイメージがおじさんにはある。第一、一年生は学校に慣れたばかりなので余計に大変なような・・・
2013.05.16
連休が終わると、当該学年の勉強が本格化今月下旬から来月には、中間テストですさて、昨年から変わった中学生の教科書一年間それを使って教えていて、改めて、内容と量の充実に驚きます。理社に関しては特に、塾用のテキストが物足りなくなるほどです授業時間数はそれほど増えていないので、学校では授業の進め方に試行錯誤しているのが見えてきます。私はここで、内容が増えたので塾でしっかりやろう、とあおるつもりはありません。ただ、勉強に対する姿勢はしっかり身につけておかないと、たちまち大変になるだろうなという感じはしてます。付け焼き刃でどうにかなるレベルではなくなりました。一日の時間はそれほど長くなくても良いが、その分集中してやること。そして、毎日コツコツ続けられる習慣が必要であること。まあ、当たり前のことではあるが、原点に戻った感じです。集中力と持続する習慣。自分で身につけられれば問題ないですが、ある程度見守る大人がいるでしょうし、強制力も必要かもしれません。今以上に、しっかりと一人一人と向き合っていく必要があるなと、あらためて思いますね。
2013.05.14
いつも思うことだが、問題の解き方など、教えるのはそんなに難しいことではない。教え方の技術とか、教材などの工夫は、こちらができることだから。それよりも大変なのは、それをどう本人に定着させるか?である。本人の性格、能力、その日の体調気分によって、定着度合いは全く異なる。言っていることとやっていることが違うのは珍しくもない。大人と違って割り切りが簡単でないだけに余計だ。受験生とはいえ、中学生だとまだまだ他人事。この時期だと、切迫感もないので余計。だからこそ、常に向き合って、押したり引いたりすることの方が大事になってくる。今週くらいから来月にかけて、中学生は修学旅行。塾を休む子も多くなる向こうに行ったらあの子に告るぞ!(笑) とか言う話題が学校の一部では席巻しているようなので、まだまだ受験体制にはほど遠い(苦笑)でもまあ、それも良い思い出になるだろうしね(^O^)
2013.05.13
まもなく中間テスト高校になると、同じ定期テストでも雰囲気が違ってくるだいたい、同じような成績の子が集まってくる高校では、シビアさが違ってくる。成績の幅があまりなく、順位だけで見ると、努力の割には良くないと言うことも起こる。中学校とは違う。同じレベルを維持するにしても、努力の度合いは中学校の比ではない。おまけに、授業も早々懇切丁寧ではないので、自分でやらなければならない部分も多くなる。丁寧に教えてくれなくて普通と思っていて良い。甘えもなくさないと。まあそれだけ、本人の裁量に任される部分も多くなり、私はそれが逆にやりやすかった記憶がある。順位も大事だが、何点とれたか、どのくらい理解できたか?このあたりに注意してがんばってほしい
2013.05.10
素直に勉強するようなら、こんな簡単なことはない。反抗心からやらないこともあるが、どちらかというと、何をやって良いかわからないとか、面倒だからやりたくないという、精神的な幼さから来ていることも多いし、たぶんそちらがほぼ正解。いっそのこと、勉強なんかしなくて良い! と言った方が効果あるような気もするが、まあ難しいでしょうね(笑)親としては、「勉強しろ」としか言いようないと思うし。やる気スイッチなんて、見えやすいところにある子もいれば、そうでない子もいる。時と場合によっても変わるし。これ!という正解はない。でも、当の本人たちも、勉強しなくて良いとは思っていない。わかっちゃいるけど、できない・・・人間の業を感じながら、向き合っていくしかない。醍醐味でもあり、苦労する面でもある成果は数字で求められがちだが、数字だけでははかれないのも教育。
2013.05.09
小学校高学年くらいから、高校生くらいまでのいわゆる思春期。この時期は、個人差が大きくなる。特に男の子。高学年くらいから、グンと大きくなり、中学生くらいですでに、おじさんの風格を漂わせる子(笑)もいれば、まだまだ体もさほど大きくなく、子供っぽさが残る子もいる。とにかく差が激しくなる精神的にも同様で、発達の早い遅いがどうしても出てくる。この差が、いろいろなところで影響を及ぼしてくるどうしても皆同じではなくなり、なんで自分は・・・ なんて思うことも出てくる。時には劣等感にさいなまれる子も。高校2年生くらいで、ほぼ差はなくなってくるのだが、その数年間は、いろいろなギャップに悩まされてくる。時には、大人が理解できないこともやらかすことがある。でもそのときに周りは焦ってはいけない。何でそんなことをしたの? とか聴いてもいけない。たぶん本人もよくわかっていないから(笑)精神的にも肉体的にアンバランスなとき。よほど危ないことをしない限り、まあ、そんなこともあるさ♪と鷹揚に見守るのが吉だと思う。いずれかならず収まることなのだから。とにかく基本は、適度な距離で見守るそこにつきる。
2013.05.08
人間相手のサービス業なので、時にワガママのように感じることを言われたり、こちらとしてはどうしようもないことを言われることもたまにある。でも当人としては、悪意は全くない。聴いているだけ。そう思う。困っているから聴いているのだ。ならばこちらの立場として、出来るだけ解決策を示してあげることが誠意だと思う。自分が解決できなくても良いのである。何らかの手立てを示してあげればそれで良いのだお客は困っているのだから。それを、単純にクレームだとか、自分の手に負えない(もしくはお金にならない?)とかいう理由で、無視を決めこまれると、もう次にこの人に聴こうとはならなくなる。その後の信頼にも関わってくる。最近こちらがあることで相談した事例で、なしのつぶての経験があったので、逆の立場で考えてみた次第。もったいないよね・・・
2013.05.07
今日で連休も終わりうちも、カレンダー通りの休みでした。以前は授業の関係上、連休中やっていたこともあったが、やはり生徒は休みたい。振り替えも多くなり、現行のようにしている。休みが明けると、運動会や修学旅行のシーズン。さらには、そろそろ中間テスト(公立中は来月)。いよいよ一学期も本格化していきます。
2013.05.06
今学校では、各教科ごとに、副教材としてワークを渡される定期テスト前には、これが宿題として課される。これがなかなかの分量。そもそも、このワークは標準レベル。場合によっては少し程度が高い。基礎学力がないと、すらすら解くのは難しいレベル。それを数十ページ課されるので、下手すると、試験前はそれをこなすだけで、試験勉強が終わってしまうことがある。それを防ぐためにも、今のうちから学校の進度に合わせてコツコツと進めておきたい。生徒にもそう指示しているし、塾にも持ってこさせている
2013.05.03
子供には、子供なりの世界や時間がある。大人から見ていて理解できないところもあるが、それが事実である。だから本来は、その世界を尊重するところから教育が始まるのだが、現実は逆である。大人の論理が入り込み過ぎていると感じることが多々ある。寛容さがないのだ、そこには。テレビや雑誌やネットなど、子育てに関する情報は、それこそイヤになるほどあふれている。情報洪水の時代には、端的にわかりやすく言い切る形が目立ちやすい。というか、そうしないとあっという間に埋没する。しかし実際には、グレーゾーンの中にこそ正解がある。子供たち一人一人の性格や置かれている状況は、個々に違うから当然だ。褒めて育てた方が良いとは言うが、子供の性格によっては、厳しく育てた方が良い場合だって当然ある。また、場面ごと、成長段階ごと、日ごとにだって異なる。成長の激しい子供だから当然だ。これ!という正解はないのだ。でも、曖昧さでは伝わらないので、勢いネットやマスコミなどでは、枝葉末節を切り捨て、端的に言い切る形が横行する。本当は、枝葉末節にこそ本質があったりするのだが。端的になればなるほど、効率や効果を求めるようになり、結果として子供の世界を否定する。寛容さがなくなる・・・一見正論(もどき)を振りかざし、さんざん扇動しておいて、うまくいかなければ自己責任で切って捨てる。そんな大人が増えてしまった気がする。子供たちに、自己責任を押しつけるのは、少なくとも教育者の言うことではない。未熟な存在ゆえ、守ってあげるのが大人の役目だ。若者が内向きになったとか、消費しなくなったとか言う。もちろん豊かな社会と言うこともあるが、こういう物言いに対する抵抗でもあるような気がしてならない。子供たち、若者も含めて、彼らには、適度な距離で見守ることと、寛容さが大事。もう少し大目に見てあげたいなと思う。
2013.05.02
業・・・理性ではどうすることも出来ない、人間の心の働き子どもは基本的に、自分に正直である。特にうちはざっくばらんな雰囲気なので、子どもの本音が出やすい。感情が素直に出る。ねむい、おなかすいた、疲れた~勉強するために来ているはずなのだが、こう言う本音もしっかり出てくる彼らを見ていると、人間の業というものを意識せざるを得なくなる。自分だって弱い人間である。自分の弱さ。日頃は大人という立場上、何となく隠していただけのを、彼らを通して知る。だから、正論で押し切ることなど、そうそう出来なくなる努力と根性でどうにかなるのなら、ものすごくこの商売は楽である。業を認めつつ、どうすべきかを彼らと模索するその延長に、教育はなり立つ。寛容という言葉がものすごく大事になってくる
2013.05.01
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