仕事帰りの車の中で、ふと思いついたこと。
今の自分の会社は、業界内ではトップ、需要的にも安定してる。
そう、あくまで安定。
しかし、この会社がやってること(簡易に言うと、土木関係のメーカー事業)は、俺を「幸せ」にはしてくれない。
幸せって、自分がこれをやってて心から満たされる!透き通るような充足感!
そう言うものじゃなかろうか?
会社の仕事はおもしろいところはもちろんあるが、それは一時「自分が必要とされたことへの悦び」を感じるに過ぎない。
いい会議資料を作って上司に褒められる、仕事をテキパキこなしてお客さんに感謝される、社内の人との円滑なコミュニケーションを育んで職場を良くする。
自分なりにやれることを常にやっているけど、どれも「幸せ」にたるものじゃない。
なぜかって、多分俺が就活した時、社会人になることが怖くてたまらなかったから。
「先行き不透明、人口減少、若者と高齢者の溝、もらえない年金、上がらない給料」……
まだ社会というものについて良く知らないのに、不安要素ばかり先行する。
怖くてたまらなかった。
それでもなんの特徴もないサラリーマンになった。
安定した会社、十分な教育、ボーナスとか、目先の欲を優先したから。
それがないと怖くて働けなかったから。
結論、それらは全て叶った。
優しく仕事を指導してくれる良い上司というおまけもついて。
それでも、満たされなかった。
当然だね。
自分が「これさえ叶えば明日死んでも後悔しない!」て言えるくらいの目標、人生の目的を(仮でも)設定しなかったから。
今ならわかる。
目標設定がどれだけ大事か。
俺は今まさに、それを決めようと勉強に励み、いろんなものを見ている。
とりあえずでも「自分で決めた目標」に向かって歩けば、恐怖とか、周りの圧力とか、外的要因に縛られずに生きられる。転職はきっと、そのための一つの有効手段。
これ以上「幸せでも不幸でもないグレーゾーン」に、貴重な人生の時間を費やすわけにはいかない。
人によっては「そんなの贅沢だ!」という人もいるかもだけど、ぶっちゃけ自分の「幸せ」のために生きられないなら、それはもはや生き地獄。
その渦中にある人が、他人の足を引っ張る最悪の構図になりかねない。
「自分の人生の傍観者」になってはいけない。
そのために、幸せへのストイックさは必要かもね。
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