転職について考えてみた

今自分が向き合っている壁、すなわち今後の身の振り方について。
仕事帰りの車の中で、ふと思いついたこと。

今の自分の会社は、業界内ではトップ、需要的にも安定してる。
そう、あくまで安定。
しかし、この会社がやってること(簡易に言うと、土木関係のメーカー事業)は、俺を「幸せ」にはしてくれない。

幸せって、自分がこれをやってて心から満たされる!透き通るような充足感!

そう言うものじゃなかろうか?


会社の仕事はおもしろいところはもちろんあるが、それは一時「自分が必要とされたことへの悦び」を感じるに過ぎない。

いい会議資料を作って上司に褒められる、仕事をテキパキこなしてお客さんに感謝される、社内の人との円滑なコミュニケーションを育んで職場を良くする。

自分なりにやれることを常にやっているけど、どれも「幸せ」にたるものじゃない。


なぜかって、多分俺が就活した時、社会人になることが怖くてたまらなかったから。

「先行き不透明、人口減少、若者と高齢者の溝、もらえない年金、上がらない給料」……

まだ社会というものについて良く知らないのに、不安要素ばかり先行する。
怖くてたまらなかった。


それでもなんの特徴もないサラリーマンになった。
安定した会社、十分な教育、ボーナスとか、目先の欲を優先したから。
それがないと怖くて働けなかったから。

結論、それらは全て叶った。
優しく仕事を指導してくれる良い上司というおまけもついて。

それでも、満たされなかった。

当然だね。


自分が「これさえ叶えば明日死んでも後悔しない!」て言えるくらいの目標、人生の目的を(仮でも)設定しなかったから。


今ならわかる。
目標設定がどれだけ大事か。

俺は今まさに、それを決めようと勉強に励み、いろんなものを見ている。


これ以上「幸せでも不幸でもないグレーゾーン」に、貴重な人生の時間を費やすわけにはいかない。

人によっては「そんなの贅沢だ!」という人もいるかもだけど、ぶっちゃけ自分の「幸せ」のために生きられないなら、それはもはや生き地獄。

その渦中にある人が、他人の足を引っ張る最悪の構図になりかねない。


「自分の人生の傍観者」になってはいけない。
そのために、幸せへのストイックさは必要かもね。
posted by ひーた at 14:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え事
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プロフィールをご覧いただきありがとうございます! ●今の働き方を変えたい人、行動のための読書がしたい人、中長期のキャリア形成をしたい人、中島かずきさん作品好きな人(これはただの趣味です笑)・・・こんな人に向けて、日々情報発信をしていきたいと思っています!! ●埼玉県出身の社会人4年目。大手土木商材メーカーで岡山県にて3年、現在は建設コンサルタント会社で埼玉にて勤務。 ワークライフバランスへのこだわりとギャップ、副業や投資に挑戦するも挫折した経験から、現在は中長期的なキャリア形成に向け、個人としての力を高める行動をしております。 ●ストレングスファインダーは「原点思考/収集心/共感性/未来志向/学習欲」。 ●会社員としてだけでなく、個人として生きていく力が必要になると感じています。気になる方はぜひ、コメントもよろしくお願いいたします!
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2021年06月04日

転職の意義

こんばんは!
ひーたです(^^)

早速ですが、やっとタイトルを変えました。
その名も…『ひーたの頭ん中』!!!

…うん、まあ、派手派手でも目立つようなタイトルでもないかな(・_・;
とはいえ、過去の投稿から見ると、これが一番しっくりくる。
ということで、今後はこれで活動していけたらと思います!


さてさて、そんな私めから、本日も例に漏れず考え事を一つ。
題して「転職の意義」です!
それでは始まり始まり〜


転職という言葉を聞いて、皆さんはどんなものを思い浮かべるだろう?
前職が面白くなかった?上司や部下との関係が嫌だった?お客がキツかった?

色々あるだろうけど、概してマイナスイメージになることが多い。
無理もない。
フラットでシェアに積極的な、海外の働き方が日本に流れ込んでくる昨今、縦割りで内部に抱えがちな文化が未だに残っている日本企業は少なくないはず。
かくいう自分の会社も然り。

そんなギャップに耐えかねて、もしくはそこまで考えずとも逃げ出したくて、職を離れ場所を移る人は多いはず。


しかしそんな時だからこそ、あえて前向きに打って出るべきと感じる。
なぜなら、時間が有限だから。

自分は転職を「山登り」に例える。

昔はインターネットなんてなかった。学生のころ遊び呆けていたないし勉強に打ち込んでいた当時の殆どの人は、「社会についての情報」を知る術もなく、社会人になる時を迎えてしまった。
だから彼らは、自分が登る山を探さねばならなかった。てっぺんへ行けば見渡せる景色がずっと広くなる。
そうでなくとも、今の自分の目線を高めるために、山登りは必須だった。

でも今は?
実際に登った人が、SNSで情報を発信してくれる。登らずとも、その景色を疑似体験出来る。1人のためだけの頂上の景色が、誰しもの手が届く範囲に降りてきた。
こうして情報を得たことで、「ここに自分も行きたい!」と思えばすぐに歩み出せるような時代が到来している。

バーチャルとリアルでは達成感が違うから、バーチャルだけをいくら知っても「幸せに満ち溢れる!」となる人はなかなかいないはず。
だから、昨今の転職サイトや起業家支援の情報なんかの充実が、こうした山を移りたいひとへの「吊り橋をかける」役目を担っているのだろう。


少なくとも、登りたい山を「何回でも、いつでも選べる」ことは、大きな変化に違いない。

そこでふと気づく。
自分は、そんな気持ちで就活してただろうか?と。

もちろん、答えはNO。

親や周りが口ずさむ言葉を呪文のように繰り返していたから。
「いい大学を出て、いい会社に入って、豊かな人生を……」「お金なんてなくても幸せ」「苦労しないのが一番賢い生き方」。


毎日のように本を読み、勉強に打ち込んでいた自分にとって、もはや上の言葉はなんの拘束力も持たない。

しかしそれでも、やっぱり山を移ろうと考えれば足がすくむ。

自分なりに理由を考えてみたが、
これは他でもない「周りの環境」に答えが集約される。

今の会社は、良くも悪くも堅実さと微弱な成長が売り。
「安定したいい会社に入った!」という声と「仕事が面倒だ、給料も上がらない」という声が同時に聞こえる。
大概、おんなじ人がこの二つを別々のタイミングで言っている。

こんな環境で育ち、学んでいたら、『安定』に縛られるのは必至。
かつ周りから入る外の山に行ったやつのネガティブなニュースを聞けば、余計に気が滅入る。
「あの山に向かった奴が橋から転落した!」「あの山は猛獣がいるらしいぞ」
と言った具合。

不動こそ正義、となってしまう。


しかし本当にそうだろうか?
自分はそうは思わない。

彼らが気にしているのは、地位や対偶、金に人脈、家族の是非と言った、周りからの評価や圧力だ。
「不動」に美を感じているのではなく、動けなくなっていることがほとんど。


自分はそんな人になりたくない。
だから、前向きに動ける術を色々考えている。

その中で、ものの考え方としては、次のような形が一番しっくりくるな、と感じた。

「たしかにリスクはあるし、覚悟も苦労もいる。何が起こるか分からない。しかし、絶対的に当たる前向きな予言もある。?@次の山での知識・経験 ?A今の山との比較 ?B今の山とのコンバージェンスのヒント。この三つは、例外なく手に入る」

?@は新しい仕事での知識と経験
?Aはその仕事と過去の仕事を比べ、業界や会社の在り方について考えられる情報
?B前職や前の会社と、今の会社職種を、ドッキングさせて新しいものを生める可能性

これはどう転んでも手に入る(それを活かせるかは個々人次第だろうが)。
これが、自分にはとても魅力に思えた。


いつだったか、YouTubeでコーラにメントスを入れた動画がかなりの再生回数を稼いだのをみたことがあった。
「そんなこと自分もやったわww」

なんて思ってたけれど、

YouTube×コーラメントス×再生回数
=収益!

という結論に達してる彼らと比べれば、何一つ同じことはできていない。
価値観や考え方の土俵さえ、合っていないのだから。


これがいい教訓になった。
つまりコンバージェンス(掛け合わせ)に、未来のヒントがあると気づけたのだ。

その可能性の大きさたるや、今の会社に安住するよりもはるかに大きなリターンとなり得る。

だから自分は、転職に挑戦したい。
あくまでもそれは、『手段』だけれど。



はい、ということで、本日は以上になります!

僕としては今が一番頑張り時と感じているところ。なんとか次につながるステップになったら……そう考えるばかりです。

最後に、前回きれーいにすっぽかした、締めの挨拶いきましょう!笑


それでは皆さん、良き旅を!(^^)/~~~
posted by ひーた at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え事

2021年06月02日

営業とは??

こんばんは。
ひーたです。

5日ぶりの更新になっちゃいました(;^_^A
継続は力なり…とはよく言ったもので、1日でも書かないとすぐに感覚を忘れ、怠ける自分がいる。
考え物だなあと。

それはさておき、今夜は自分が担当する職種「営業」について思ったことを書きます。



一つ気づいたこと。

俺は「営業マン」だ。
では「営業とは何か」??
その答えを、俺は知らなかった。
多分周りの上司や先輩もそれははっきりとは定義しきれていないだろう。

『人生は攻略できる』(橘玲、2019)を読んで、考えさせられた。

クリエイティブクラスとマックジョブ、サラリーマンはスペシャルなものを何も手に入れず歳を重ねること、バザールと伽藍……

俺はどう考えても
マックジョブでスペシャルなものを何も持たない、伽藍に閉じこもった1人のしがない男だ。
※本を読んでもらえるとわかりますが、これは、替えの利く仕事ばかりで専門性がなく、角の立たないように静かにこぢんまりしながら会社の中で長く過ごす、という感じです。


悔しい。
なんか知んないけど、悔しい。

もっと自由に生きたい。
本気で人生を楽しみたい……!


やるなら、今からスペシャルを掴むしかない。


そこで考えてみた。
『営業』を俺の看板の一つにするならどうだ??と。

「今の会社があるから俺は営業マン」ではない。
もっと広義で、それでいて独立した『営業』。

ここにこれからの人生で
あらゆる点を掛け合わせればいい。そう思った。


そこでだ。

例えば、
昔からじっくりと暖めてきた独創的な想像力。
ガキのように遊び心溢れる妄想。
映画や漫画、アニメにゲームに小説など、作品が好きで情緒と共感性に溢れる心。

これらは営業と関係ないけど、俺の20年近くの人生でほぼ毎日考えたり、触れたりして培ってきた『スペシャル』だろう。

ここにちゃんと職種を超えた「人としての在り方」としての『営業』が入れば、それはちょっとばかし面白いものに変わりそうだ。

ちなみにこの言葉は、最近話題らしい?音声配信アプリ「Voicy」にて、キングコングの西野さんが言われていた話を応用。彼は「職業としての芸人ではなく、そういう生き方、人としてのあり方として芸人でいたい」とのこと。
だから面白いことを求めるのに加え、絵本を書いたり、広くエンタメについて学んだりしているらしい。


だから、俺も勉強したい。
読書会の世の中を知る学びはもちろん、
俺なりに今の俺、『営業』の価値を見つけたい。


「人としての在り方」
これ、大事な気がする。
posted by ひーた at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え事

2021年05月24日

勉強の意義

会社の上司からは、仕事のアドバイスをもらえる。
その時は本当に「的確だなぁ〜」「さすが!」と思ってしまう。事実、マジですごい。

しかしながら。
人生のことや自分のこととなると、まるでど素人な人が多い。
「60で定年を迎えたら何をするだろうなぁ〜」「仕事がなくなるのは大変だ、だからキツくても耐えるんだ」「安定した仕事で、堅実に働くのが一番」「お金が欲しいから、俺は所長を目指し、そして達成した」。

この時代においてもなお、さも全人類における最適解を見出しているかのような顔で語る彼ら。

しかしよく考えると、当然と言える。

彼らはその育ちや立場上、そもそも時代的な背景もあって、今の世の中のように独立や積極的な挑戦をしようという考えにはなりにくかった。
働けば働くほど上手く行ったし、将来も明るかった。

だから、疑うことをしなかったのだろう。

優秀なサラリーマンとして誠心誠意会社に尽くす、
即ち「人生を会社とその仕事や関係者に投資した」わけだ。それもかなり莫大な投資。


俺からすると、そう思えば彼らの考えも分からなくもない。

そりゃ、例えば金融商品なんかでお金を思いっきり投じたら無論リターンがくることを期待するし、そうでなければ虚しいばかり。
彼らにとってそれは「時間」。
もう二度ともどらない、人生を投資したリターンが欲しいのだろう。


けど多分、彼らの思うリターンは訪れることはないだろう。
彼らがモデルとした、当時の引退者や豊かな大人たちの生き方は、この時代には実現できない。

疑わずに信じ続けた、ある意味子供のように純粋な心は、時代という波に飲まれて荒んでいくだけだ。


俺は何ができるか?


今の仕事において、彼らのアドバイスは俺にはかなり大きな力を持つ。

でもそれは「彼らが投資した結果得たリターンを借りている」ようなもの。
彼らが人生を投じた今の仕事、今の会社の情報を、ただ少し分けてもらっているだけ。

ならば俺は、逆に積極的に会社の外の情報を手に入れ、彼らにちぎって渡すことはできそうだ。


朝のスピーチの番に、読んでる本を紹介するとか?


価値観もバックグラウンドも、信じるものも違う相手に理解を求めることはできない。

でも「彼らのリターンを借りた」ならば、俺なりのやり方で「俺のリターンから返す」ことはできそうだ。


自己投資が、あくまでも今の自分が全うすべき一番の目的。
ただ、その間どんなに仕事が嫌だとしても、そこで働く同僚や上司、それを支えてくれる人もいるわけで。

これがあからさまなパワハラセクハラ横行やブラック企業なら「辞めてやる!」で片付くけど、その真逆と言わんばかりに人がいいのが今の会社。

せめて、なんらかの恩返しはしておかなきゃ、向こうも向こうで割に合わないだろうな。
posted by ひーた at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え事

2021年05月19日

認知・判断・操作

ついに在宅勤務の波が弊社にも来たよ、弊社にも。
家で仕事しつつ、息抜きに書くブログ。きょうはこんなこと思いついた。


「人生は、認知、判断、操作」

車の運転に、認知・判断・操作というものがある。
周りの状況を認知し、どうすべきか判断して、車を操作する、というプロセスだ。
ふと免許合宿での勉強会で聞いたのを思い出した。

しかしこれは、人生の大部分に当てはまると思う。

外が寒いという状況を認知、コートを着るか否か判断、着るor着ないの操作。
友達が公園で遊んでいるという状況を認知、輪に入るか否かの判断、入るor入らないの操作。
スーパーで買い物中に安売りの品を見つけるという認知、買うか否かの判断、買うor買わないの操作。
この場合操作は、自分の体を操作する、いわば行動。車を運転しようがしまいが、我々は日々これを繰り返して生きている。
「認知」による現実の確認、これに対して働きかけ方を決定する「判断」、実際に行動を起こす「操作」。
この三ステップを総称して、人は「選択」という呼び方をする。

では、人は皆、意識的ないし無意識的にでも、どんなことにおいても必ずこの三ステップを踏んでいるのだろうか。実を言うと、そうではないと思う。

例えばこんな時はどうか。
本屋で立ち読みした際に、宗教勧誘の人に声をかけられたり。
ちょっとした昔馴染みの知り合いから、マルチ商法の誘いを受けたり。
おそらくこうした時、人は件の三ステップをきちんと踏まない。と言うのも、「宗教勧誘はヤバいからやめろ」「マルチ商法は犯罪だ」などと日常から周りに言われていたら、即座に「判断」のステップに飛んでしまうのだ。
人から言われたことだけ鵜呑みにして、自分で現実を「認知」していないにもかかわらず、である。

これこそが、最大の問題点と考えられる。

もちろんそう言う勧誘には悪い奴らも大勢いる。これは事実。
しかし同時に、本心から人の助けになりたいと考えて行動している人もたまーにいる。これもまた事実。

大事なのは、自分でその善悪を見極められる目を持つことに他ならない。正しく「認知」すれば、もしかしたらそれが自分の幸福の一助になるかもしれない。

いざこう言う場面に出くわすと、大抵の人はオロオロするか、頑として断るかだろう。
なぜか?
それは「認知の欠如から来る、恐怖心」に心が支配されているからだ。
人は認知していないものに当然恐怖を抱く。だから実はチャンスであるはずのイベントも「未知の恐怖の対象」で片付けて終わり。
何も変化のない日々を継続する。
そしてそう言う人に限って、今の日々に不満や愚痴ばかり溢している。

どうすればその善悪を見極められるか。
100%正確な方法は、分からない。
ただその確率を上げる行動があるとすれば、「なぜ人は〜と言うのか?」常日頃から積極的に調べ聞いて探究することだろう。

日頃から「認知」を繰り返し、いざと言うときの「判断・操作」を適切に行う。このための準備に可能な限り時間を割くことだ。

「そんなに毎日調べたり興味持ったりできない」と嘆く人もいるだろう。老若男女問わず、そう言う人はいる。
しかし考えて見てほしい。
例えばベテランの会社員。なぜ仕事において突発的な事象に素早く対応できるのか。
例えばゲーム好きな人。なぜ突如現れた敵を迎え撃てるのか。
例えば優秀な成績の生徒。なぜ抜き打ちテストでもいい点が取れるのか。

それは、仕事・ゲーム・勉強などにおいて、「突発的な事象に対処する」という目的を持って日頃から認知のフェーズを繰り返しているからだ。
意識的にでも、無意識にでも、その積み重ねが突発的な事象でも「判断・操作」ができるようになる土台を作っている。
人は皆、知らず知らずのうちに認知をしているのだ。

ならばこそ、先程の例にもこれは当てはまる。
「なぜ宗教勧誘が悪なのか?」「なぜマルチ商法が違法なのか?」
「なぜ」を追求し続けることで、自然と認知は大きく広がり、何か起きてもすぐさま判断・操作ができる。
言い換えると、突発的な事象に対処するという「目的意識」を持って、日頃から当たり前のように「認知」を繰り返さなければ、適切な判断・操作ができないのだ。

これに気づかない限り、人は日々小さな幸福(積み重ねれば大きくなる)を逃し続ける。
日々、選択を迫られているという認識こそが、我々が持つべき最も重要な要素だ。

私はこの点において、認知を日々繰り返した。結論、宗教団体も悪い人ばかりではないし、マルチ商法にも厳密には違法でないものが存在する。
これは、事実だ。

さあ、これであなたも現実の一部を「認知」した。
何も、宗教団体に入れとか、マルチ商法に関われとか、そう言うことが言いたいのではない。
毎日が「新たな認知との出会い」、目的は「人生のいくつものイベントに正しく判断・操作」を行うこと。

面倒くさがる人は、このイベントがいつ起こるか分からないと認知を怠ろうとする。
たしかにいつ起こるか分からないが、死ぬまでにいつか起こることは、全人類とも確定している。

変わりたいと思うなら、この何もない日々に終止符を打ちたいと思うなら、いますぐスマホ片手に「認知」を始めよう。
イベントの足音が、もうすぐそこまで迫っているから。



なんかどっかの自己啓発本みたいな中身になった…笑

まずは自分は読書やセミナー参加による自己投資。
これで自分を高めるしかない。

…とはいえ、早くも以前掲げた『5足の草鞋』が軋んできた気がするけど……!
posted by ひーた at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え事

2021年05月15日

転職について考えてみた

今自分が向き合っている壁、すなわち今後の身の振り方について。
仕事帰りの車の中で、ふと思いついたこと。

今の自分の会社は、業界内ではトップ、需要的にも安定してる。
そう、あくまで安定。
しかし、この会社がやってること(簡易に言うと、土木関係のメーカー事業)は、俺を「幸せ」にはしてくれない。

幸せって、自分がこれをやってて心から満たされる!透き通るような充足感!

そう言うものじゃなかろうか?


会社の仕事はおもしろいところはもちろんあるが、それは一時「自分が必要とされたことへの悦び」を感じるに過ぎない。

いい会議資料を作って上司に褒められる、仕事をテキパキこなしてお客さんに感謝される、社内の人との円滑なコミュニケーションを育んで職場を良くする。

自分なりにやれることを常にやっているけど、どれも「幸せ」にたるものじゃない。


なぜかって、多分俺が就活した時、社会人になることが怖くてたまらなかったから。

「先行き不透明、人口減少、若者と高齢者の溝、もらえない年金、上がらない給料」……

まだ社会というものについて良く知らないのに、不安要素ばかり先行する。
怖くてたまらなかった。


それでもなんの特徴もないサラリーマンになった。
安定した会社、十分な教育、ボーナスとか、目先の欲を優先したから。
それがないと怖くて働けなかったから。

結論、それらは全て叶った。
優しく仕事を指導してくれる良い上司というおまけもついて。

それでも、満たされなかった。

当然だね。


自分が「これさえ叶えば明日死んでも後悔しない!」て言えるくらいの目標、人生の目的を(仮でも)設定しなかったから。


今ならわかる。
目標設定がどれだけ大事か。

俺は今まさに、それを決めようと勉強に励み、いろんなものを見ている。
とりあえずでも「自分で決めた目標」に向かって歩けば、恐怖とか、周りの圧力とか、外的要因に縛られずに生きられる。転職はきっと、そのための一つの有効手段。


これ以上「幸せでも不幸でもないグレーゾーン」に、貴重な人生の時間を費やすわけにはいかない。

人によっては「そんなの贅沢だ!」という人もいるかもだけど、ぶっちゃけ自分の「幸せ」のために生きられないなら、それはもはや生き地獄。

その渦中にある人が、他人の足を引っ張る最悪の構図になりかねない。


「自分の人生の傍観者」になってはいけない。
そのために、幸せへのストイックさは必要かもね。
posted by ひーた at 14:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え事

2021年05月14日

資本家について一言

0→1と、1→10は、違う。

サラリーマン、雇われの身がどんどん危うくなる中で、自分で築く力が重要と言われている昨今。


思うに、サラリーマンである限り、0→1の活動はできない。
なぜなら、会社組織の事業、業界というのが既に出来上がっていて、その考え方の中に自分が入ると言う仕組みだから。
1がもう出来上がっている土壌で、ひたすら1を2に、2を3に……と言う活動をするだけとなってしまう。

研究開発職も、新規顧客を捕まえる営業マンも、会社や業界が用意した「土壌」がなければ同じ働きは、おそらくできない。
だからどんなに「新しい」ことをしたって、それは0→1に繋がることにはなり得ない。


一方、資本家や起業家マインドを持つ人は、まさに0→1を実行している。
これは1→10とは明らかな違いがある。
何もない場所に土壌から新たに作り上げる力。
これがあれば「1→10を求める人を受け入れることができる」。
会社というハコを作って、「0からは嫌だけど、作る事はしたい」人を呼び寄せて、自分のための城を築かせる。

それも「双方合意」で。

いや〜

頭いいなぁ。資本家。
posted by ひーた at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え事

2021年05月12日

肩書きといいね

思うに、日本て「肩書きを得たものがち」な考えが蔓延している。
「いい大学を出て、いい会社に入って、昇進する」て、まさに名前を取りに行く道じゃん。

けど、いまの世はもうそのやり方は通用しにくいはず。

例えば、YouTuber。

彼らは出身校や会社の役職など、肩書きを糧とはしていない。

純粋にコンテンツの面白さ、本人の意思が大きく反映されるからこそ、ファンが増えていくというもの。

肩書き < いいね

の世界な訳だ。

『未来の働き方を考えよう』(ちきりん著、2013)にも、〇〇社の部長という肩書きより、フォロワー5万人の方が大きな価値を持つ時代になる、的なことが書いてあった。
それは同感。

しかしこれを本当につきつめようと思ったら、日本はまず「ネームバリュー第一主義」を変えなきゃだろうな。

もっとも、ネームバリューは決して疎かにできるものでもないけど、ね。
posted by ひーた at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え事

2021年05月11日

「好きを仕事に」の考え方 その2

好きを仕事にする、ということについて追加で思ったこと。

世の大人たちが仕事をする時、その上に光る信号は三種あるんだと思う。
以下は持論です。


?@青信号……仕事に情熱を燃やして、その世界で戦うことに喜びを覚える人
例)
「仕事が好きだ!休みもいらない!」
「ご飯を食べるのも忘れていた」
「会議もミーティングも戦略を組み立てられるいい機会!面白い!」
「今日はお客さんに怒られた……でも、これを反省すれば、より充実した仕事ができる!」

びっくりすることに、こんな人に何人かは会ったことある。
実在するのは間違いない。


?A黄色信号……仕事に良い時も悪い時もある人。ちゃんとやってるけど、どっちつかず。
しかし、「青信号に向かう手前の、キツイ状態を乗り越えようとしてる黄色」なのか、「どう転んでも赤信号に向かってしまう残念な人」なのか、2パターンあると思う。
例)
「メールや電話対応が面倒だ」
「早く休み来ないかなぁ」
「まーた長い会議だ。退屈」
「今日の仕事はうまく行った!今晩は楽しく飲めるぞ〜」
「うまくいかなかったことをちゃんと反省して、真面目に取り組もう」

これは結構多い気がする。
俺の職場の上司はみんなこれ。
ぶっちゃけ、人柄が良い人ばかりなんだけれど、こういう発言のせいでプラマイゼロになってる感じ。


?B赤信号……明らかに仕事が自分の幸せに全くつながっていない人。下手をすると病気や鬱、さらにひどいことにさえ繋がる。
例)
「業界大手に入ったのに、仕事はキツイばかり」
「明日も会社に行くことを考えると吐きそう」
「上司の顔を見たくない」
「こんなことやって、自分は何のために生きてるんだろう」
「ひたすらにきつい」

これはかろうじて自分の会社ではらしい人を見ていないけれど……
世の中には多い気がする。
SNSには溢れかえるほど多くいる。

そしてこういう人は、すべからく自分で状況を変えようという活力すら失っている。
それが最悪の結果につながることも……


しかしながら、時代の流れを見る限り、多くの会社は「守り」に入る気がする。
あまりにも早すぎる流れに追いつけず、自分の実績を糧に、これからを生き抜こうとするのでは?
本来は、蛹が蝶になるほどの大変化をしない限り、新しい時代を生き抜くことはできないだろうに……


俺はというと、赤に近い黄色(笑)
でも会社は「守り」に向かってる。
変えるべきは会社じゃなく、自分と、自分が身を置くべき環境かな。
posted by ひーた at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え事

2021年05月08日

「好きを仕事に」の考え方

週末最初の夜にこんばんは。

めっちゃ眠いから、日中考えていたことでも一つ取り上げようかと……


「好きを仕事にするな」と周りの大人は言う。

「〇〇が好きだから会社を受けました」「じゃあいつまでもお客でいてね」となるのが当たり前だと、散々大学で先輩に言われた。

「好きなことだと思って仕事にしたら、思いがけず嫌な面を見てしまって後悔するぞ」と周りの大人たちは言った。

しかし、ビジネス書を読めば読むほど「好きなこと、情熱を持てることを仕事にすべし」と言う人は多い。そういう人は往々にして成功している。

この違い何??


自分なりの結論に至る補助として、森岡毅さんの著書『苦しかったときの話をしようか』が一役買ってくれた。

同書の第3章『自分の強みをどう知るか』にこうある。

「大抵の人が興味のある範囲ならばとことん考えられるし、考えることが好きだと思うかもしれない。(中略)それは、本当に"考えることが好き"なのか、単に"好きな情報に触れるのが好き"なのかの違いだ。」(p124)

なるほど。
言われてみれば、同じ好きでも生産的でない、消費的な好きは結構この、触れることが好きの部類に入りがちかも。

ここに、金持ち父さんシリーズにある『金持ち父さんのキャッシュフロークワドラント』(ロバート・キヨサキ著、2001)の概念を当てはめるとみえてくる。

多くの社会人、即ちサラリーマンのEクワドラントの人々(雇われの労働者)は、仕事以外の時間を、エネルギー充填のために娯楽に使う。
無論、それは自分の好きなことに他ならない。そしてまた、それは考えるという"面倒な作業"を伴わないもの、つまり"好きな情報に触れるのが好き"状態なのだと思う。


すると納得がいく。

知識も社会経験もない人や、好きの種類が"好きな情報に触れるのが好き"だけの人は、確かに「好きを仕事にする」と後悔しそうだ。

もっと仕事も楽しくやるならば、好きのレベルを一段上げて、
『自分でそれをよりよくするよう考える』
『誰かとシェアしてより広める』
『自分がそれに変革を起こしてもっと面白くする』
と、「考えることが好き」という視点から見ないとダメらしい。


かくいう自分は……
今の仕事は一部、そうできそうなところはあるけど、全体を見るとそこまでの気持ちになれない。

就活時期の自分が「真面目にやって、安定して稼げる」「好きを仕事にして後悔したくない」という考えで選んだ、ガチガチ堅実路線の結果だからだろう。

いい機会。
もう一度自分の価値観と、世の中の動きを見返せるチャンスだね。


今後転職なんかをする時でも「仕事だから真面目にできる何かを探さなきゃ」「好きなこととは切り離さなきゃ」とか、余計なこと考えず堂々と前進できそうである。




そういや……
いい加減『読書感想文』書いて、タイトル回収せねば(・_・;
posted by ひーた at 00:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え事

2021年05月01日

働き方とは?

本を読みながら考えたことを一つ。

ふと、考えてみた。
どうして脱サラする人に「そんなことするなよ」「お前には無理だ」「今でも幸せじゃない?」とお節介を働く人がいるのか。

個人的な結論は
「人は自分がやってる事の正しさを証明したいから」


何年も、何十年も生きてきた、自分の人生。
それが間違いだと感じる瞬間があろうものなら、誰もが絶望して泣き崩れる。

しかし、そうならない方法がある。

それは、誰かと気持ちを分かち合う事。
自分と同じ立場に立って、自分も同じことをして、自分と同じ事で喜び、悲しみ、悩む人を、見つけること。

そんな人がいれば、それは「ああ、自分のやってたことは間違ってない、他にもこんな人はいるんだ」と思える。
自信を失わなくて済む。

しかしそれは、その人を失うことによって、自分の正しさを証明できないという危険も孕む。

だからもしその人が仕事を辞めようとすれば、即座に反応して止めにかかる。

「そんなことするなよ」「お前には無理だ」「今でも幸せじゃない?」

これって、日本のサラリーマンにありがちな依存体質の権化だと思う。

本当なら自分で「これは正しい!」て言える勇気があれば、誰に気兼ねすることなく道を進めるはずなのに。


極度に他人に依存することは、他人の人生を破綻させかねない。
それでも言われた側が「自立・自律」できれば、破綻しようがないけども。

問題なのは、こうしたことを美談にする連中。
「素晴らしい仲間意識だ!」
「弱音を吐いたやつを立ち直らせようとしている」
「危険から彼/彼女を救った!」

やばいよね。
どうして「一つの組織に奉仕することこそ最上」と思っているのか。

あなたにとって「最上の場所」が、他人にとって「ほんの選択肢の一つ」と見えていることに、どうして気が付けないのか。


ちなみに今読み進めてるのは
森岡毅さんの『苦しかったときの話をしようか』。
また感想は別で書くと思います。

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posted by ひーた at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え事

2020年04月30日

再考してみた

ブログというのを、久々に開いた。
以前も実は使ってたんだけど、内容はほぼ日記。おまけに知識やスキルもないくせに「お金欲しい」感がムンムン出てるアフィリエイト専用のブログとして使ってた。

恥ず。めっちゃはっず!!!

思わず消してしまった笑
今思えば、残しときゃ良かったかな。
これからとの比較や、ダメな自分を奮い立たせる反面教師に使えたかも。

ここからのブログの使い方を、僕なりに考えてみた。

今まで使ってきたSNSは多数。

LINE?連絡用
Twitter?友達のツイートとくだらん話と、ちょっとの広告と、隠れて好みのセクシー女優のツイートを見るため
Facebook?登録して、なんかよくわからん海外の方にめっちゃフォローされてる。放置。
Instagram?料理が結構好きなので、自炊写真集を載せてきた。評判はまずまず。ただ、馬力が続かない。目的がなく、意欲が湧かない。

A8ネット?ブログ。前使ってたのは完全アフィリエイト目的の金集め専用。結果、0円。

まーじでやばし。

こうしてみると、ほんと自分何のために生きてるの?て思ってしまう。

そんな自分を変えようと、ここ一年くらいで割りかしめっちゃ色々挑戦してきた。


2020年3月、彼女と疎遠になったために始めたマッチングアプリで、ある女性と出会う。
そして紹介された「お金についてのセミナー」に参加。そこまで親しくない人からの誘い、変に金を払わされるんじゃないか?騙されるんじゃないか?恐怖が募る。
しかし何故だか、その人達が悪者に思えなかった。怪しいけど、悪そうじゃない。
結果、会員になる。

2020年4月、務めている会社に新人が後輩で入ってきた。僕は二年目。これまでの「新人気分」を正さなければと覚悟する。というか、ちょっと焦る。

2020年8月、大学時代のゼミの同期とたまたま連絡取る機会ができる。すると何とそいつは、あるセミナーに参加していた。働き方とか、人生観とか、そういうのを題材とする本を読み、オンラインで紹介し合う会。それに誘われた。
そいつとはめっちゃ仲良し、てわけではなかった。昔父から「そこそこの仲のやつから久しく連絡があって何かに誘われたら、怪しい勧誘だから受けるな」と指導をされたことがある。にも関わらず、俺の『直観』はゴーサインを出した。
こうして参加。

2021年4月、ネットであるビジネスセミナーの広告を見つける。
この頃俺は、前述のセミナーたちのおかげで、かつての自分とは比べものにならないほど『お金』『働き方』『人生観』の見方が強く、自信を持てるものになってきてはいた。
しかし肝心の、挑戦心は磨けていない。
ここでまた直観。「戦え!」と言ってる。
じゃ、てことで参加。


一応、会の方々の迷惑にならないよう、詳細は書きません。ご了承ください。

それに重要なのは、会に参加するかどうかじゃなく、そこでの学びを人生に反映させられることと思っているから。


こうして、一見すると、めっちゃ意識高い系に見えるかもだけど、そんな他人の目を気にしてる余裕はない。

当然、どれも金がかかる。

うん十万のものもあるし、参加ごとに数百円のものもある。
金借りて払ってるやつもある。

ここまでの知識と経験を生かし、社会人始まって依頼続けてきた家計簿に、貸借対照表の考えを入れて、資産と負債を計算してみた。
結果。

現在の純資産、5,980円



草。

Switchのソフト一本くらい買っただけで破産するじゃん。
まあ、クレカの支払いも含みだから、来月の給料日まで生活費切り詰めれば、厳密にはプラスを維持できるけどさ。

と、まあそんな状況になった。
でも絶望はしていない。
なんかわかんないけど、今やってる学びが後で人生に、何百倍もの恩恵を背負ってカムバックしてくれる気がするから。

こんなバカやってるのに信じ続けるとか、俺もアホだね。
でもそれでも、もうやるしかない状況なので…笑


ところで、このブログ久々に始めたのは、最近読んだ『LIFE SHIFT』という本の影響を受けて。

なんでも、SNSとか使って、無形資産とやらを増やすことが、もうすぐ25歳の俺くらいの世代の重要課題らしい。


どうやるか?

ここで俺は、学んだことを元に日記的なブログを発信します。
セミナーの話とか、読んだ本とか、日常のこととか、まあ色々。

もちろん、セミナーで聞いた話の丸パクリとかはしません。その話を自分なりに噛み砕いたり、紹介された本を読んだ自分なりの解釈で書きます。
つまり、俺というフィルターを通ってるので、あくまで述者の主観です。

あと、ちょくちょく学びに関係ないことも投稿します笑



俺には、「会社とか組織に縛られず、金銭的にも時間的にも自由に生きたいというか生きる」という目標がある。

今までやった事のない、人生全振りの挑戦になることは必至。
だから、思い切って「気持ちの共有」に打って出てみることにした。



実はこの社会人3年目を迎えたばかりの俺、会社入ってからほぼ毎日、日記アプリだけは欠かさず綴ってきた。
2年分見返してみたら、しょーもない内容も多いけど、割とちゃんとしたこと書く時もあった。そして一定周期で、似たことを書いていた。
多分同じようなこと書くんだろーな。
そう見越して、このブログで少しでも多くの人と、学びをシェアできたらと思って始めた。


「へんな意識高い系バカが出てきたんだがwww」

て、思う人もいるかもだけど、まあそれはそれで大丈夫です。
俺は純粋に、自分の思いを気ままに綴るだけ。
受け取り方の良し悪しは人それぞれとして、俺個人の学びをネットに投げる、ただのしがない日記です。

今日から、やれるだけ毎日続ける。
学びって、尽きないから。
文は長くも、短くもなり得るけど。

どうぞ、暇な時見てください。


2021年4/30、岡山市のとある公園にて。
posted by ひーた at 20:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え事
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