ふと、考えてみた。
どうして脱サラする人に「そんなことするなよ」「お前には無理だ」「今でも幸せじゃない?」とお節介を働く人がいるのか。
「人は自分がやってる事の正しさを証明したいから」
何年も、何十年も生きてきた、自分の人生。
それが間違いだと感じる瞬間があろうものなら、誰もが絶望して泣き崩れる。
しかし、そうならない方法がある。
それは、誰かと気持ちを分かち合う事。
自分と同じ立場に立って、自分も同じことをして、自分と同じ事で喜び、悲しみ、悩む人を、見つけること。
そんな人がいれば、それは「ああ、自分のやってたことは間違ってない、他にもこんな人はいるんだ」と思える。
自信を失わなくて済む。
しかしそれは、その人を失うことによって、自分の正しさを証明できないという危険も孕む。
だからもしその人が仕事を辞めようとすれば、即座に反応して止めにかかる。
「そんなことするなよ」「お前には無理だ」「今でも幸せじゃない?」
これって、日本のサラリーマンにありがちな依存体質の権化だと思う。
本当なら自分で「これは正しい!」て言える勇気があれば、誰に気兼ねすることなく道を進めるはずなのに。
極度に他人に依存することは、他人の人生を破綻させかねない。
それでも言われた側が「自立・自律」できれば、破綻しようがないけども。
問題なのは、こうしたことを美談にする連中。
「素晴らしい仲間意識だ!」
「弱音を吐いたやつを立ち直らせようとしている」
「危険から彼/彼女を救った!」
やばいよね。
どうして「一つの組織に奉仕することこそ最上」と思っているのか。
あなたにとって「最上の場所」が、他人にとって「ほんの選択肢の一つ」と見えていることに、どうして気が付けないのか。
ちなみに今読み進めてるのは
森岡毅さんの『苦しかったときの話をしようか』。
また感想は別で書くと思います。
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