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2019年01月04日

トルコ一有名な男

どうもメルハバ!


皆さんはトルコで一番有名なのは誰か知っていますか?
僕の中での有名の定義は、今ならやはりSNS のフォロワー数の多さでしょう。
それで考えると、もう一人しかいません。

それは。。。。。。。













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「Nusret(ヌスレット)」です。フルネームは「Nusret Gökçe(ヌスレット・ギョクチェ)」通称トルコ肉屋界のゴッドファーザー。


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2019年1月現在のインスタグラムフォロワー数は、約18.5M (1850万人)で、日本で一番フォロワー数が多いであろう渡辺直美さんの約2倍です!
そしてツイッターのフォロワー数は35.8K(358万人)です。
特にインスタグラムのフォロワー数は、有名なスポーツ選手でだいたい1M〜5M(100万~500万)なので、それを考えると物凄い数です。
その雪を降らせるような華麗な塩振りポーズから、「塩兄貴」とか「塩の恋人」なんて呼ばれてる超有名人で、ここ数年で一躍時の人となりました。

彼のステーキハウスはトルコ国内だけでなく、今ではドバイやアメリカに数店舗、国外にも多数の店舗を構えており、連日彼に会うためお客さんが押し寄せお店は満員。彼も世界中を飛び回っているセレブです。しかし、若いころは貧乏な家庭に育ち苦労したようで、彼自身は小学校までしか出ていません。その後13歳で家計を助けるため、イスタンブールにある肉屋で働き始めます。そして16歳まで働きながら修行し、その後2009年に渡米。さらにそこで修業し、トルコに戻り最初の自分の店を持ったときは店の前に出て、男泣きしたんだそう。
ちなみに名前のNusretの最後がEtで、これはトルコ語で肉という意味なので、産まれた時から肉屋になることは運命だったのかもしれません(笑)

彼は塩振りポーズも有名ですが、彼自身がインスタグラムに投稿している調理動画ももうエンターテイメント性抜群です。
実際に「nusr_et」で検索して見ていただけると分かりますが、その鍛え上げられた肉体と長年培った包丁スキルを駆使しての肉さばきは圧巻の一言。そして肉を叩きつけ、飛ばし、豪快にオーブンに放り投げ、出来上がった肉にお決まりのポーズで塩を振るまでが彼のシグネイチャームーブ、一連の動作として有名です。マフィアな雰囲気と豪快な調理、そしてファンサービスも人気で、最後は目の前に運んできた肉をノールックで切り、有名人に塩を振らせるのがウケているよう。

でも何でこんなに有名になったのかは、僕が知っている限り有名なバスケットボール選手が、あの塩振りポーズを真似したからだと思います。
僕はアメリカのプロバスケットボールNBAをよく見ます。
で、ゴールデンステートウォリアーズと言うチームに、ステフィン・カリーというスーパースターがいます。
その彼が、2年ほど前に敵チームを軽く蹴散らした表現として、ツイッターでこの塩降りポーズの写真を使ったところ一気に爆発したんです。
以後このポーズを見に(やりに)彼のお店には有名人が後を絶ちません。その来店した面々を一部紹介します。

リオネル・メッシ
ディエゴ・マラドーナ
ポール・ポグバ
デビッド・ベッカム
レオナルド・ディカプリオ
DJキャレード

等々スポーツ選手だけでなく、著名な俳優やエンターテイナーも数多く来店してます。
過去にレアルマドリードの優勝式?にも参加して、ロナウドやウィリアン、モドリッチとのツーショットもあります。

まあ僕も最初は「なにやってんだこの人」と思いましたが、今では調理動画のファンです。
こんな有名な人が日本で無名だなんて、僕は信じられません。ネットでは一部で人気のようですが、まだまだ有名とは言い難いと思います。でも近い内に、日本にも進出して一躍有名になるんじゃないかと思います。。。

皆さんも是非フォローして、この肉屋が織り成すエンターテイメントを堪能してください。一度ハマったら最後、中毒性抜群です(笑)

それではホシュチャカルン!




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posted by エミル at 03:39| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

2019年01月02日

トルコ語についてちょっと解説

どうもメルハバ!
12.jpg

突然ですがみなさん、トルコ語ってご存知ですか?
普通に日本で生活していたら、まず耳にすることはほぼないですよね。
僕が思うに、日本人にとっての外国語の使用頻度はこうです。

?@英語
?A中国語、韓国語
?Bドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語
?Cその他の言語

なんじゃないかと思います。

トルコ語はこの?Cに当てはまる言語じゃないでしょうか?日本人にとってはマイナーな言語でしょう。

だがしかし!ちょっと待って下さい。
実はトルコ語は日本人にとって 簡単な言語なんです。

僕はトルコ語が喋れます。自分で言うのもなんですが、ペラペラです。
その要因にはもちろん、実際に現地に住んでいたからというのはあります。でも、それだけではないんです。
僕はトルコ語の教授でも何でもないですが、ちょっと専門的なこと言うと、トルコ語は「ウラルアルタイ語族」に属します。そしてなんとこのウラルアルタイ語族の中には、 日本語も含まれています!

このウラルアルタイ語族は他に、韓国語とモンゴル語なんかも含まれます。韓国語を勉強された方はお分かりだと思いますが、語順とか似てますよね?

つまり何が言いたいかと言うと、 トルコ語も日本語と文法が似てるんです!
英語のように逆ではなく、 日本語と語順が同じです。

しかも文字は基本のアルファベットに6つのトルコ語特有の文字があるだけ。しかも読み方はほぼローマ字読みです。

発音はちょっとクセがありますが、超カタカナ発音でも問題なく通じます。
こだわる人は、以下のポイントを気を付ければ更にトルコ人っぽくなります。

?@子音のみの発音に気を付ける
?Aトルコ語特有の母音「Ö、Ü、I」をきちんと発音する。
?Bもちろんカタカナ発音をしない

僕的には、トルコ語は日本人がいちばん取っ付きやすい言語だと思っています。
だからぶっちゃけ、単語+簡単な動詞の変化さえ覚えてしまえばある程度通じます。
これについては、別な機会にトルコ語講座的なブログを用意します。

この語順が同じということは、僕がトルコに興味を持ったキッカケの一つです。
あんなに遠く離れた国の言語が、自分の母語と同じグループだなんて、なんだか魅力を感じませんか?
トルコ人の祖先はモンゴル辺りからシルクロードを通って西洋に入りました。だから昔の名残か、ジェンギズハンやティムールなんてモンゴル人っぽい名前もあります。
トルコ在住中、こんなニュースを見ました。それはトルコ人の祖先と言われる「Göktürk(ギョクテュルク)」と呼ばれる人達が、モンゴルの奥地で見つかったというニュースです。
見た目は遊牧生活をしているモンゴル人そのもので、目も細く、まんまアジア人ですが、話している言語は訛りはあるものの僕でも分かるトルコ語を話してました。
実際トルコ国内には、国籍はバリバリトルコですが、目が若干細い人とかもたまにいます。
それがきっとルーツだから、僕らと同じ言語に属してるんでしょうね

ちなみに実は、僕らは既に一つトルコ語を普段から使っています。
トルコ語で「いい(良い)」は「?yi(いい)」と言います。
意味も発音も全く同じです。

ですので皆さんも、「何か外国語を勉強したい」と思ったら、トルコ語を選んでみてはいかがですか?そしてもし、トルコに興味があり、トルコの文化を知りたいと思ったらトルコ語はマストです。どの言語を覚えるときもそうですが、言語は「好きな国の文化に参加するためのチケット」だと思っています。

このブログがトルコ語に興味を持つキッカケになったら嬉しいです

それではホシュチャカルン!さようなら

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2019年01月01日

第二章:僕がトルコに残った訳

どうもメルハバ!
Yunak-Evleri-Cave-Hotel.jpg
今回は僕がトルコに渡った後、何でトルコに残ろうと思ったかを書きます。
ただ、第一章を読んでいない方は、先にそちらを見てから読むことをお勧めします。
↓↓
https://fanblogs.jp/emirturkiye/archive/3/0

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


アイハン先生に誘われ、日本語クラスに顔を出すことになった僕は、先生が迎えに来てくれたので早速クラスがある場所に向かいました。
クラスはアヴァノス地区にあるヒルトンダブルツリーホテルの一室を使っているようで、なんと僕が滞在しているホテルから徒歩でも10分くらいの場所でした。偶然過ぎる(笑)
で、クラスに到着すると。。。

おおー!!!!!

と大歓声?

そのクラスの人たちはなんと全員プロのガイドで、これから増える見込みの日本人旅行者に向けて日本語を勉強しているとのことでした。来たからには役に立とうと、慣れないながらも精いっぱい頑張った結果皆に気に入られ、それから僕の滞在プログラムは面白いものになっていきました。
全員ガイドなので、授業がない日は僕をカッパドキアの穴場観光名所や、ローカルレストランに連れてってもらうなど、ノープランが一転毎日アクティビティーづくしになりました!

そんな中、後に僕のトルコ滞在を決定付ける人物と出会います。

授業がない日、買い物をしているとき突然

「日本人ですか?」

と一人の青年が日本語で話しかけてきました。
彼の名はブルハン、後に僕の親友になる人物です。

「私は日本が好きで日本語を勉強しています。もしよかったら、今ホテルで働いているので是非来てください。何かご馳走します」

そう言って勤務先のホテルの住所を教え、その日は去っていった。後日ホテルに行くと本当にホテルのレストランに招待してくれて、料理をご馳走してくれた。その後僕らは意気投合し、今度は自分の家に招待したいと言うので、これも承諾。彼の実家は、カッパドキアから30分ほど離れたカイセリという町のようで、また授業がない日に行くことになりました。

さて、いつものようにガイドの人たちと授業を進めていくにつれ、彼らの滞在しているパンションに入り浸るようになりました。そこはアヴァノス地区にあるパンションで、名前は「Tokmak konuk evi(トクマクコヌックエヴィ)」。アヴァノス中心を流れる川のほとりにあるモスクから、町の中心の噴水を越えてまっすぐ坂を上るとすぐ左側に位置しており、ホテルの横にすぐまた別なモスクがあるので分かりやすい。朝はとなりのモスクから、大音量のエザンが聞こえます(笑)
パンションのサイトは下記です。ああ懐かしい^^
http://www.tokmakkonukevi.com/

授業の後はいつもこのパンションの庭やテラスでみんなと喋ったり、ビールとナッツ片手に数時間だべって過ごしていたのは、今ではいい思い出です。ぶっちゃけこのブログ書いてる今、さっき載せたパンションのサイトを見たら、あの日の思い出が蘇ってノスタルジーに浸っています(笑)
彼らのおかげでベリーダンス、セマー、ギョレメ野外博物館、ウルギュップのハマム、絶品カッパドキア料理レストランなど、全てタダで入れて料理も奢ってもらうなど、至れり尽くせりの毎日でした。


そんな楽しい時間を過ごしていましたが、次第に帰国の日が迫ってきてます。


ある日、この間自宅に招待してくれたブルハンの所に行きました。彼は早速家族に僕を紹介すると、家族も美味しい家庭料理を作って待っててくれたようで、直ぐにおもてなししてくれました。その当時僕はトルコ語が分かりませんでしたが、雰囲気から彼がいかに日本人を招待できたことが嬉しいかが分かりました。
美味しい料理をご馳走になった後、彼はカイセリ市内を少し案内してくれました。
カイセリはとても商売上手な人を輩出する街で、名産物はトルコ風サラミソーセージの「スジュック」と、「パストゥルマ」というスパイスで味付けした干し肉が有名です。そんな街を案内してくれた彼は最後に街で一番大きいモスクに連れて行ってくれました。

そこで彼はなんと僕と僕の家族のためにイスラム式に祈りを捧げてくれました。

先日起こった東日本大震災のことを知っていた彼は、僕が来た理由も知っていたので家族が幸せになるようアッラーに祈ってくれたのです。
僕はそれを見て感動し、涙がでました。

彼に感謝すると同時に、こんないい人がいる国で何かしたいという気持ちが芽生えました。その日から、日本に帰ったらトルコ語を勉強してトルコに戻ってこようという決意を固め、滞在先のホテルに戻りました。

そして帰国まで残すところ5日となったところで、クラスの全員でバーベキューをして盛り上がっていたところ先生とガイドの人達からある提案を受けます。

「あと一か月ほど滞在して、私たちの授業を手伝ってほしい」

なんでも帰りのチケットは自分たちが旅行会社に言って何とかするからと言い、僕もブルハンの件でもっとトルコにいたいと思っていたから、それならばと思いもう一か月残ると約束をしました。
そして旅行プログラム終了残り3日、日本から来た僕らの団体は帰国の準備に向けてイスタンブールへ移動します。この時、クラスのガイド友達も二人ほど同伴して旅行会社に交渉に来てくれましたが、、、結果はなんと チケットの変更はできないということが分かり一同愕然。。。なんでも今回僕らが来るのに手配したチケットは、特別なチケットだそうで一切変更できないということでした。これを聞いて友人はショックを受けてましたが、一番ショックを受けたのは僕でした。仕方がないのでお互い意気消沈しながら別れを告げ、明日の帰国のため僕はイスタンブールのホテルに向かわざるを得なくなりました。



ホテル到着後、しばらく考え事をしていました。本当にこれでいいんだろうか。。。と。
残るって約束をしたのに、このまま帰ったらカッコ悪いんじゃないか。。。
こんなモヤモヤした気持ちで帰る訳にはいかないよな。

と、そう思った僕は、旅行会社に意を決意してこう言いました。


「帰りのチケットを破棄して新しいチケットを購入するんで、明日帰国しません」


これには旅行会社も驚きを隠せない様子でした。そりゃそうだわな^^;
代わりにすぐ自腹で新しいチケットを買いなおし、アイハン先生に伝えたところ

「すぐにカッパドキア行きのチケットを手配します。それくらいはこちらで何とかします」

そう言ってすぐチケットを手配してくれて、僕は本来なら日本に帰国する日、カッパドキアに戻っていました。そこには事前に連絡を受けていたクラスの友人が迎えに来てくれていて、再会のハグを交わし、直ぐにアヴァノスのホテルに直行。本日も授業があるとのことでクラスに戻った時、クラスの一同からは拍手と歓声が沸き起こります。全員と再会のハグを交わし、かくして僕はもう一か月トルコはカッパドキアに残ることになりました。

追加の一か月滞在中、プログラム中に滞在していたホテルにはもう居れないので、みんなの好意でみんなが宿泊しているトクマクパンションに移ることになりました。これで四六時中みんなと一緒に生活することになったので、更に打ち解けることができ、彼らはカッパドキアの名所を余すことなく案内してくれました。
カイマクル地下都市、ローズバレー、パシャバー、ウチヒサールカヤホテルでのディナーへの招待や、なんと気球にまで乗せてくれました!

そんな充実した時間を過ごしていましたが、今度は授業プログラムの終了が近づいてきました。
楽しい時間はあっという間に過ぎていきますが、さすがに今回は僕も帰国するつもりだったのでそういう気持ちに切り替えていたところ、、、また面白いことが起きます。

ある日、いつも通り授業を行っていた時、彼らが所属している会社の社長が、イスタンブールから労いのあいさつの為に来たのです。社長は日本語が話せたので僕もあいさつし、ここに来たいきさつを話した後、アイハン先生と社長が何やら話し込み始めました。
で、二人が話し終わった後、社長から思わぬ一言が出ます。

「近い内に会社の日本人スタッフが一人辞めるので、貴方さえよければウチで働きませんか?」

一瞬頭が真っ白になりました。なんとなんと仕事のオファーをもらったのです!

「少し考えてみてください。返事はアイハン先生に言ってもらえれば大丈夫です。良い返事を期待してますよ」

これにはちょっと鳥肌が立ちました。トルコに住みたいと思っていた矢先に突然のオファーをもらい、驚きましたが嬉しいと同時に不安になりました。

なんせ仕事先は現地の旅行会社で、僕は旅行会社での仕事経験はないし、当時はトルコ語はもちろん英語も話せない状態でした。加えて日本にいた時も、大都市に住んだことない、福島の田舎でしか生活したことない僕が、いきなり1500万人規模の大都市イスタンブールで果たしてやっていけるのだろうかと、考えれば考えるほど不安が募ります。

なのでいてもたってもいられず、僕はブルハンに相談することにしました。
彼はまず、僕がトルコに残るチャンスを手に入れたことに喜ぶと、続けざまにこう言いました。

「絶対に残るべきです。貴方はトルコが好きだし、きっとそれ見たアッラーが貴方にチャンスをくれたんだと思います」
そして彼は、トルコ語で一つ諺を教えてくれました。

「Allah bir kap?y? kaparsa bir kap?y? açar」
「アッラーは一つの扉が閉まった時、別な扉を開けてくれる」

ブルハン曰く、震災で日本側の扉が閉まってしまったから、別な扉として今、トルコの扉をアッラーが開けてくれているんだそう。

「あとは貴方が決めることです。アッラーの加護がありますように」

その夜、僕はまた考えていました。
日本に戻った場合と、トルコに残った場合の未来を想像してみたところ、日本に戻った場合はいつも通りの日常に戻る姿が容易に想像できました。でも、トルコに残った場合の未来は全く想像できませんが、難しい道になることだけは感じていました。が、ここで僕が身上としている言葉を思い出します。それは

「最も困難な道こそ進むべき道」

これは「孤高の人」というある登山漫画に出てくるセリフで、主人公が人生と山登りの難しい局面に直面した時に発した言葉です。

この言葉のおかげで最後の踏ん切りがつき、次の日僕は、アイハン先生にイスタンブールで働きたい旨を伝えました。先生はニコリと笑い、

「あなたならそう決断すると思いましたよ。なんせ私達との約束を守ってクラスに戻ってきてくれましたからね。イスタンブールでの生活は大変かもしれませんが、きっといい経験になります。貴方にアッラーの加護がありますように」

先生は僕の返事を社長に伝え、かくして僕は正式にイスタンブールの会社で働くことになりました。
一度身の回りの整理をするため日本に一時帰国し、親にもこのことを告げたところ初めは驚いていましたが、「こんなチャンスは滅多にないから、頑張ってこい」と最後は納得してくれました。そして身の回りを整理した後、こうして2011年7月14日、僕は再びイスタンブールに戻ってきたのでした。


今回はここまでです。今思うと相当無茶したな〜と思いますが、今ではすべていい思い出です。
第三章に続きます。こうご期待ッ!それではホシュチャカルン!




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2018年12月30日

ボヘミアンラプソディのビスミッラー

どうもメルハバ!

ついこないだ、話題のボヘミアンラプソディーを妻と一緒に見てきました。

元々クイーンは好きだし、これなら言葉分からなくても、音楽で妻も楽しめると思って見てきました。
最後のライブエイドの完全再現は、迫力があって身震いしたし、これは映画館で見るべきだなと思います。
妻もリズムとって一人館内でノリノリでした(笑)

このボヘミアンラプソディーの曲自体は、僕は2年くらい前にたまたまクイーン好きなトルコの友人に勧められて聞いたのがキッカケですが、初めて聞いたときは衝撃でした。

なんせいきなり「男を殺した」で始まるんですから(笑)
僕的にこの歌は、自分がゲイかもしれないと悩んでいたフレディが、今までの自分を殺してしまった。だから冒頭で「男(自分)を殺した」って言ってるんだと思います。そして母に対して申し訳ないという気持ちと、もう戻れないという思いが混ざっているんだと思います。実際映画を見て、この曲を作曲しているシーンで起きたことを見るとそう思わざるを得ません。

でも、僕が衝撃を受けたのは他のところです。

それは曲の中で 「Bismillah(ビスミッラー)!」

と言ってることです。

最初信じられなくて、二度見ならず二度聞きしました。
depositphotos_96759302-stock-illustration-vector-bismillah-islamic-or-arabic.jpg

↑これ、アラビア語でビスミッラーと書いてあります。
正確には
「ビスミッラーヒラフマーニラーヒム」
となります。これはイスラム教のお祈りの時に最初に言う言葉で、意味は
「アッラーの名の元に始める」
という意味です。

で、それが何でイギリスのバンドグループの曲にあるのか?最初は不思議でした。だってイスラム教徒が大半のトルコでも、ポップミュージックで聞いたことがありません。インシャッラーとかマーシャッラーは良く聞きますけどね。
この言葉は歌に使うとしたら、讃美歌でしか使わないです。

日常会話の中だったら良く使う言葉で、例えば食事の前の"いただきます"のところにビスミッラーという人はいます。あるいは何かを始めるとき、"さてやるか"という意味で言う場合もあります。

そんな言葉が超有名バンドの曲に現れたもんだから、そりゃあビックリしますよね。でもフレディの生い立ちを調べたら、それも納得できます。妻にとっても印象に残る曲で初めて聞いて以来妻と一緒にヘビロテしてます。何度聞いても、「ママ〜ウ〜ウウウ〜」のところで感情揺さぶられるし、6分以上の曲なのに全く長く感じないのが、名曲たるゆえんですかね。

なのでまだ見てない方は、映画館で見ることをお勧めします。あの音響環境でライブエイドを見るべきだと思いますよ〜。




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2018年12月29日

女性は花、男は虫

どうもメルハバ!
tenntou.jpg


まず、このタイトル何だと思いますか?

これは僕の女性に対する尊敬心を表す比喩です。まあオリジナルは別な人が言ったんですが(笑)
僕はぶっちゃけ、女性が幸せなら世界が幸せになると本気で思ってます。
そういう思考に至るまでには、幾つかのプロセスがあるんですが、この言葉が一番根っ子に存在してます。
で、この言葉は誰が言ったのか?それは僕の知り合いの アービィ(兄貴)です。

ある日、僕はアービィとバーで飲んでました。トルコ人の妻と喧嘩が絶えず、イライラしていたので経験豊富なアービィに助言を求めたのです。
「俺の何が悪いのか分からん」と僕が言った後、突然こう切り出してきました。

「お前は女性を何だと思ってる?」

何ってそりゃあ。。。。。。。。。。。。。考えても考えても、答えることができませんでした。
するとアービィは一言



は?と思いました。そして続け様に

「ちなみに男はなんだと思う?」

。。。「牛?」←今思うと凄くアホな回答。

「虫だ」

もうここまで来ると、何を言うのか気になったので黙って聞くことにしました。

「男はな、 女性という美しい花に群がる虫なんだ。だいたいの男は綺麗な花に群がって甘い蜜を吸って飛んでいくだろ?男の性って言ったらそれまでだが、吸うだけってのはカッコ悪いと思わないか?」

「でな、花は水をあげなきゃ枯れるだろ?俺たち男は、本当は女性に水をかけてあげる、要は 元気をあげる存在じゃないとダメなんだ。でなきゃ本当に虫のまんまだ。お前は虫のままでいたいか?」

「まずは奥さんが求めてることを、つべこべ言わずにやってみろ。その後は花をプレゼントするんだ。 「目には目を、花には花を」だ。花をもらって嬉しくない女性はいないから、効果は抜群だぞ」


。。。アービィ、あんたカッコいいこと言うな
最後はよく分からなかったけど、こんなドラマに出てくるような事をサラッと言うので逆に清々しささえ感じました。

長くなりましたが、つまりアービィは僕に「レディファースト」精神を教えたかったんじゃないかと思います。

ただ、最初はこれを実行するのは簡単じゃありませんでした。正直言うと、

「仕事で疲れてきてるんだからご飯くらい準備しててよ」

今思うと凄く自己中な、いや、傍若無人なことを考えていた僕だったので、直ぐに切り替えるのは難しかったです。それでも意を決して少しずつやっていったら、ある日不思議なことに、妻を助けるのが快感になっていました(笑)妻も嬉しくなってなんだか活き活きしてるし、輝いてる感じです。
以来、この精神のおかげで、僕は結婚した妻とは円満な夫婦関係が続いています。


もし、奥さんや彼女とうまく行ってない方は、ちょっとこの考えの下に行動してみてはいかがですか?
そしてできれば花をプレゼントして下さい。

「いやいや、日本人だしそんなのはちょっと。。。」

なんて思ってる方、国籍は関係ありません。

「変に勘繰られても嫌だし。。。」

もしそう思われたとすれば、それは今までの行いが悪かった証拠です。一回で終わらせずに何回かチャレンジしましょう。

それでは幸運を祈ります。ホシュチャカルン!



2018年12月28日

ドネルケバブはケバブじゃない

どうもメルハバ!

今回ちょっとドネルケバブについて書きたいと思います。


皆さんドネルケバブって知ってますよね?
トルコって言ったらドネルケバブ、ピタパンに挟んだあの回転してる肉の塊を焼いて削ぎ落とすファーストフードです。
26379049.jpg

↑こんな感じのやつ

まず最初に言いたいのは、本番トルコでは こんな風に出てきません。
sldier_2_doner.png
本場はこんな感じです。もしくはこれの丸い形のTonbikとして出てきます。
そして彼等は、ケバブと言いません。 「ドネル(Döner)」と言います。いいですか? ドネルです。大事なことなので2回言わせてもらいます。ここトルコ人が凄くこだわるところで、大分前にSNS に「日本でケバブ食べてるぜ!」って感じで日本のドネル載せたら、

「なんだこりゃ?」
「それアラビアのパンじゃん」
「俺たちそんな風に食べないの知ってるだろ?」
「そもそもケバブじゃなくてドネルな。OK ?」

と、かなり手厳しいコメントが見られたので、以来僕もこれはドネルと呼んでいる。
まあ確かに、トルコでこれ買うときは
「エクメキドネル」バゲットパンに挟んだドネルとか、
「ドネルデュルム」ケン◯ッキーのツ◯スターみたいなのラップに巻いたドネルが主流
です。
誰も「ケバブくれ」なんて言ってる人は確かに聞いたことないです。

てはケバブとは何か?
基本的に肉料理全般のことを指すんですが、大体の場合

アダナケバブ
ウルファケバブ
シシケバブ
ドマテスケバブ
パトゥルジャンケバブ
タスケバブ

挙げたらキリがないですが、メインディッシュレベルの料理は必ずケバブと呼びます。
でも面白いのは、焼き栗も「ケスターネケバブ」と言います。これは何でか謎です。

次に、何でピタパンを使ってるのか?気になってこないだ、たまたま近くに来てたドネル販売車のトルコ人に聞いてみたら、「他の皆もそうしてるから」だそう。実につまらない回答だったので更に調べたら、
「日本人は硬い物を食べる習慣が減ってきた影響で、硬いバゲットパンは合わない、だから柔らかいピタパンを使い始めた」

えぇ〜。。。である。あの歯ごたえのあるバゲットパンを引きちぎって食べるのがウマいのに。。。

僕は本当にガッカリしている。だから日本に来て、ドネルは一度も買ったことはありません。
でも大体ドネル屋の前通ってちょっと話すと、すぐに奢ってくれるので食べたことは何回もありますが(笑)

もう一つ、日本のドネルの特徴は、あの変なソース(オーロラソース?)をかけることです。トルコではせいぜいケチャップとマヨネーズをかけますが、言わないと基本かけないところが大多数です。
でも日本では問答無用でソースをかけますが、僕は かけさせません。
何故なら本当に下ごしらえしたドネルなら、肉そのものに味付けされてるから十分ウマいんです。
それでもかけようとしたり、最低でも塩をかけようとするなら、味付けをちゃんとしてないってことです。

ただ、一度トルコ人が日本のドネルについて盛り上がった時があります。
話は少し反れますが、「食戟のソーマ」というアニメでドネルが題材にされたことがありました。

https://youtu.be/XR8FAmhLYAM

↑これです。

これも日本で売られているドネルの影響をモロに受けてますが、これを見たトルコ人達が

「日本人がまたやってくれたぞ」
「俺たちこんなに詳しく説明できねぇw」
「ドネル万歳!」

みたいなノリでネット上で騒ぎになってました。トルコの新聞にも載ったくらいです(笑)

ああ、誰か本場と変わらないドネル提供してくれるとこ現れないかな、、、そしたら週一で食べに行くのに。と、思う今日この頃でした。

僕のトルコファーストフード愛はこんなもんじゃないので、また書きます。

では今回はこの辺で、ホシュチャカルン!

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2018年12月27日

第一章:僕がトルコに行った訳

メルハバ!

今回はそもそも僕が何でトルコに行ったかについてです。


一言で言うと・・・ 運命なんです。


冗談ではなく、時々本当にそう思う時があります。なぜならトルコ行きを決めた直接の原因が、 2011年に起きた東日本大震災だからです。
あの当時、僕は福島にいるどこにでもいる青年でした。それが被災し、避難所や親せきの家を転々とし、人生がめちゃくちゃになったあの事件のあと、ひょんなことからトルコに行くことにしたのです。キッカケは震災のすぐ後、HISが出した「被災者支援プラン」という被災者限定の旅行パッケージを目にしたことから始まります。
内容は被災した人が、少しでも心と体を休める目的で外国に一か月、格安で滞在できるというものでした。
韓国や台湾など、ほとんどのプランが近場の国でしたが、その中になぜかトルコがあり、目にした瞬間とても興味が沸いたんです。
ちょうど震災が起きる前、たまたまトルコに関する記事を見て、親日の国だとか(この思いは後にぶち壊されるんですが)、串本町のエルトゥールル号事件のことなどを耳にし、いつか行ってみたいなと思った矢先に被災、そしてこのプランを見つける・・・なんて偶然だと思いませんか。

それからすぐ行動を開始しました。なんせ参加締め切りが残り二日とあって、すぐに最寄りのHISに行って申し込みをし、パスポートもすぐに更新するため50km離れた福島市に行ったりと、超ギリギリで参加に間に合いました。
二日でよく間に合ったなと、今でも時々思い返します。これがだめだったら、今の僕はいない訳ですからね。
申し込みを済ませた後は、両親を説得しなきゃなりません。急だったから何も相談しなかったので、何を言われるか覚悟してましたが、いざ打ち明けると「行きたいなら行ってこい」と一言。
震災でめちゃくちゃな状況の中、なに考えてるんだと言われるとばかり思っていたので、正直面食らいました。多分この両親の応援がなかったら、諦めてたかもしれないと思うと感謝せずにはいられません。


そして2011年4月15日、震災から約1か月後、僕は 初めてトルコの大地に立ちました。


到着は夜だったんでよく分かりませんでしたが、すぐに乗り継ぎの飛行機に乗り、滞在先のカッパドキアに向かいます。こうして僕の1ヶ月のトルコ滞在が始まりました。

しかし次の日、早速この旅行プランの盲点が浮かび上がりました。このプランは超格安で一か月間滞在できるというものでしたが、 それ以外何もないのです。
滞在中一日だけ、カッパドキアツアーがありましたが、それ以外何もなく、ノープランで来た僕は最初の一週間は何もせず、ただホテルに引きこもっているしかありませんでした。
他の参加者の人たちは、旅慣れていたり友人と来ていたりとで、楽しんでいるようでしたが、僕は一人参加でしかも当時 トルコ語はもちろん英語も全く話せないので、何をするにも気が乗らない感じでした。


そんなんで最初の一週間が過ぎたころ、当時やってたミクシィで一人のトルコ人とメッセージのやり取りを開始しました。
アイハンという人で、ここカッパドキアでトルコ人に日本語を教えているとのことで、よければ是非クラスに来て欲しいとのこと。何もやることがない僕にとっては、正に渡りに船とあって、二つ返事で承諾。場所も滞在先のホテルから徒歩範囲なので、早速その日の授業に顔を出すことになります。

この出会いが、僕のトルコ滞在への第一歩になるとは、この時はまだ僕自身も想像していませんでした。。。

続きはまた別の回で。

皆さんホシュチャカルン!



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posted by エミル at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

僕が見たトルコ人

メルハバ!

今回はちょっと僕が住んでいたトルコについてです。

まず、皆さんトルコと聞くと何を連想しますか?

ドネルケバブ?
イスタンブール?
カッパドキア?

こんなところでしょうか?

こないだ久しぶりに、日本のトルコを紹介する番組を見て感じた感想を率直に言うと「なんて冒険心のない番組だろう」と思いました。要は紹介内容がいつもと同じで、新鮮味がなかったってことです。
日本に住んでいて手に入る情報は片寄っていて、こんなんでトルコの本当の魅力が伝わってるのか疑問に思いました。もっと紹介することいっぱいあるのに。。。

そういうことで、ちょっともう在り来たりのことは書きたくないので、僕が肌で感じ、経験したことを書きます。

トルコのイメージが変わるかもしれませんよ?

まず、ご存知だと思いますが、国民の9割がイスラム教徒です。ただ、イランとかと違うのは、敬虔な人もいればそうじゃない人もいるということです。毎日欠かさずお祈りや金曜日の礼拝も欠かさない人、普段はお祈りしないけど、断食月はきちんと断食する人、酒も豚肉も飲み食いする人、ホント様々です。これについては長くなるので、また別な機会に書こうと思います。

僕的に接してて思ったのは、トルコ人は仲間意識が強いということです。
トルコ語で喋ると良く分かるんですが、僕は初めて会ったトルコ人と5分もあれば友達になれます。彼等は「自分達の言語を喋る外国人」がかなり好きで、自分達のように喋る人には格別心を開きます。

喋れないと、いつまで経っても仲間だと認識されず、良いことはありません。むしろこれでもかと吹っ掛けてきます(笑)
日本にいるトルコ人は、日本語で喋る時とトルコ語で喋る時とで、全く違うキャラになるのもいたりで面白いです。

当たり前かも知れませんが、彼等の言語を知り、彼等の様に振る舞った結果、僕は普通の在住者が経験しないようなことを沢山味わいました。

その甲斐があって、現在日本人に見られないという後遺症に悩まされてますが(笑)

例えばイスタンブールの観光地であるガラタ塔に行った時のことです。あそこは入場料が「旅行者」と「現地人」とで値段が違います。そして僕はというと、現地人の値段で入れてもらってました(笑)
その他食べ物奢ってもらったり、一度ですがタクシーの運ちゃんと話が弾んで料金タダにしてもらったこともあります。あれには驚いた。

しかし残念なことに、それでも現地ではカモにされる場合があります。彼等の中には、ハイエナのようにチャンスを逃さない人達もいて、こないだ僕の友人のイスタンブール在住韓国人が面白いこと言ってました。その彼は、幼少の頃からトルコにいるのでトルコ語はネイティブ並みにも関わらず、見た目アジア人なのでこないだ35リラ(2018年12月現在で約730円)のメニューを食べて精算するとき、90ユーロ請求されたそうです。怖え。。。
タクシーなんかは言うまでもなく凶悪で、トルコ人でも地方出身者はカモにされることもあるんだとか。一回汚いなと思ったのは、空港で爆弾事件があったときです。突然の出来事でみんな逃げたい人で溢れていた状況を利用して、「一回200リラで送迎」なんてやってました。実に正規の値段の4~5倍の値段です。これを見てトルコ人じゃない僕ですら「Allah beran?z vermesin(アッラーが罰を与えないように祈っとけ)」って口走るほど怒りを覚えたもんです。なので先ほど書いた料金タダなんてのは、奇跡中の奇跡です。まあ文句言えばすぐ手のひら返すんですが。

ただ、これはほんの一部です。
在住中、酸いも甘いも経験したので、言い合う力は付きます。とりあえず何か納得いかないことがあったら言うべきです。それはここ日本でも同じですよね?

一つ衝撃の事実として、ぶっちゃけて言うと一般の人はそんなに日本のこと良く知りません。寿司、侍、芸者と、他の国の人達と何ら変わりませんし、挙げ句の果てに中国と日本の違いが分かっておらず、混同してます。

よくあるネタとして、
「小さい時日本の映画を見て育った」
とか言って詳しく聞くとジャッキーチェンの映画だったと言うのはお約束。
僕なんか結婚式で盛り上げ隊のDJが「親愛なる日本の花婿に俺達からのプレゼントだ!」って言ってガンナムスタイル流されたときは一人顔引きつってました。でも周りのみんなは、あのお決まりの両手をクロスさせてのステップをしてて、僕は更にドン引きしてました。

よく「トルコ人は日本のことが大好き」とかいう日本のテレビの情報が頭にあったので、こんなものかとちょっと幻滅してた時期もありました。
ただ、確かに日本に対して悪いイメージを持っている人は、今のところ聞いたことがありません。高度なテクノロジー、敬いの心を持つ礼儀正しい国民といったイメージがあるようで、一応尊敬の念は持ってくれているようです。
こないだのオリンピック誘致の時も、負けたとき、ほとんどの人が「日本ならしょうがない」と思ったそうです。

中国人は問答無用で嫌いだというトルコ人はいたるところにいます(これは歴史的背景があるようで、あの万里の長城はトルコ人の侵略を防ぐために作られたなんて言う人もいます)
でもインターネットの普及で、間違った情報からか、噂で知りもせずに聞いてくるのが以下の質問。

・日本人は虫を食べる
・日本人は犬を食べる
・ジャッキーチェンは日本人
・麺類を食べるとき、ズーズー音を立てれば立てるほど美味しいという意味になる。
・日本ではいたるところでドリフトをしている。
・テコンドーの動画を見て「これ空手だろ?」と言う

なんか書いてて悲しくなるんで、これでやめときます。これらの質問から分かる通り、中国や韓国と混同してます。ていうか過度に期待した僕がバカだったと、今では悟りを開きました。そのそのくらいの気持ちでいてください。


あと、トルコ人は皆が皆歌える歌があるのが面白いです。居酒屋的なところ行くと、必ず何処からともなく楽隊が現れ、トルコの古い曲を弾くと皆歌い始めます。あの一体感は素晴らしく、僕も仲間に入りたくていくつか覚えました。

歌もそうですが、ダンスも欠かせません。結婚式では躍りに始まり、躍りに終わります。かく言う僕も、自分の結婚式で勿論踊り倒しました。以後友人の結婚式に行ったら必ず踊ってたし、今も曲が流れれば妻と一緒に踊りだします。楽しいんですよこれが。

そして何より、喜怒哀楽が激しいのが特徴。それが彼等の良いところでもあり悪いところでもあるんです。僕はそんな彼等が好きなんで、たったの6年半で同じようになりました。後悔は全くないです(キリッ!)

と、まあ書いたらキリがないんですが、今回はこの辺にしておきます。これはまだまだ触り程度なので、このお題ほまだまだ続きます。時に憎たらしく、時に尊敬心すら抱く摩訶不思議なトルコ人についての解説は、まだまだ始まったばかりです。皆さんこうご期待!

それでは皆さん、ホシュチャカルン


posted by エミル at 20:59| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

メルハバ!初めまして!

メルハバ!僕のブログにようこそ、ホシュゲルディニズ!

このブログは、2011年の東日本大震災に被災し、その後運命のトルコに渡った一人の福島県民の物語です。
2011年〜2017年の間トルコのイスタンブールに在住し、そこで経験した様々な出来事と、そこから学んだ人生観を主に発信していくつもりです。

具体的に次のような事について書いてきます。

・トルコとトルコ人について
・トルコでのタレント生活
・トルコ人達との付き合い
・トルコ生活中のハプニング
・諸外国の友人達とのエピソード
・トルコ語について
・女性への尊敬心
・居合道について

等々

全体的にトルコ関連が多いですが、趣味や関心事なども垂れ流します(笑)

トルコとトルコ人に興味がある方、日常に退屈している方、時間をつぶしたい方・・・どうぞご覧になって下さい!

それでは別なまた別なブログで・・・ホシュチャカルン、さようなら。




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posted by エミル at 16:47| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ
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福島県生まれ。2011年の東日本大震災後、運命のトルコに移住。そこでタレント生活を送り、トルコ人女性と結婚。2017年に家族を連れて日本に本帰国。現在日本に本当のトルコの魅力を伝えるため奮闘中。
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