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2018年01月28日

小室さん不倫疑惑報道で「文春砲」炎上

毎日新聞 より 

小室さん不倫疑惑報道で「文春砲」炎上

音楽プロデューサーの小室哲哉さん(59)が週刊文春の不倫疑惑報道をきっかけに引退を電撃表明したあと、<文春こそゲスの極み>や<小室さんを返して>など、同誌に多数の批判が寄せられている。数々の「不倫疑惑」をすっぱ抜き、話題を集めてきた“文春砲”が、今回はなぜ炎上したのか。【福永方人、小国綾子、岸達也、和田浩幸/統合デジタル取材センター】

ネット上で文春批判渦巻く

  <文春いいかげんにしろ!  人間生きてたら色んな苦しいことがあって 辛いことがあるねん>   <文春さん、不倫ネタはもうやめましょう。 もっと国民のために権力のある方の追及をしましょうよ!>   <不倫は嫌い。 でも終わりない介護には計り知れない辛さがある>。  小室さんの引退記者会見後、 ツイッター上で文春批判が渦巻いている。  週刊文春の公式アカウント「文春砲」が17日、 <カリスマ音楽プロデューサー・小室哲哉による裏切りの密会劇> などとツイートすると、 24日までにコメントは4300件を超えた。 <ほんとに不愉快> <買わないこと。見ないこと> <調子に乗りすぎ> <あなたたちの哲学は何ですか> など、ほとんどが批判だ。   ツイッター上では 「#文春不買運動」「#文春を許さない」 などのハッシュタグ(検索の目印)まで登場。 廃刊を求める投稿もある。 これまで文春による“不倫ネタ”のファンだった、 と名乗る人までが <今回の小室さんの事で、初めて悟った。 週刊文春は間違いだと。 介護はあまいもんじゃない。 人間はそんなに綺麗じゃない> とツイートした。

報じられた当事者たちは

  過去に週刊文春で不倫疑惑を報じられた人々も 反応している。   衆院議員を辞職した宮崎謙介さんは20日、 自身のブログでこうつづった。   <週刊誌で疑惑が報じられているだけだと疑惑止まりだが、 テレビで朝から晩まで報道され続けると 疑惑が事実になるような感覚に陥る。 これまでも多くのえげつない週刊誌記事があったが テレビに流されなければ鎮火も早い>   2016年にタレントのベッキーさんとの不倫を報じられた ロックバンド「ゲスの極み乙女。」 の川谷絵音(えのん)さんは19日、 ツイッターにこう投稿した。   <病的なのは週刊誌でもメディアでもない。紛れも無い世間>

小室さんへの批判は少数

  ツイッター上では小室さんを疑問視し、 週刊文春を擁護する声もある。   <公人は弱音を吐く場所を間違えちゃいけない。 社会的立場をわきまえなきゃいけない。 そういう意味で文春はこの世に必要だと思う>   <小室さんの引退は残念だし、 有名人の不倫報道ばかり 盛り上がる風潮はいかがかと思いますが、 文春を責めるのは違う気がします。 引退は小室さん自身がした選択ですし 「文春砲」をもてはやしてきたのは社会の方です>   記者会見で涙を見せた小室さんだが 「計算があった」との見方も。 <文春砲から日を開けて会見したのは 周到に作戦を立てていたからだろうし、 自身の不倫疑惑をあそこまで見事に 引退と介護問題にすり替えたのもお見事としか言いようがない>。 この投稿は続けて <だけどそれ以上に驚いたのは、 それにコロッと騙されて手のひらを返したかのように 猛烈に文春をたたき始めたネット界隈(かいわい)の声> としている。   とはいえ、全体としてこうした内容の投稿はきわめて少数だ。

世は男性の不倫に寛容?

  ベッキーさんや山尾志桜里衆院議員の時と違って、なぜ今回の報道に批判が相次いでいるのか。   コラムニストの小田嶋隆さんは 「彼女たちにはすでに“敵”がいた。 山尾さんならばネトウヨ。 ベッキーさんであれば 『よい子』のイメージを快く思わない人。 不倫疑惑報道は彼女らを攻撃したい人々にとって 格好の口実になった」 と見る。   さらに、 小室さんへの同情論が強いことについて 三つの理由を挙げる。   「女性ではなく、男性だったこと。 世間は男性の不倫に対しての方が寛容です。 また、小室さんが『男性機能はない……』と 記者会見で明かさざるをえないところまで 追い詰められた姿が同情を呼び、 報道批判に転じた。 さらに『介護疲れ』が 今の社会では特に身近な問題であること。 ここまで疲れ果てた人を指弾してよいのか、 と人々の心に訴えるものがあったのでしょう」

介護疲れへの共感

  くも膜下出血に倒れ、 記憶力や注意力などが低下する 高次脳機能障害の後遺症に苦しんでいる 妻KEIKOさんを介護していたことが、 同情や共感を集めた最大の理由−−と見るのは、 動物行動学者でエッセイストの竹内久美子さんだ。   竹内さんは 「メスがパートナーより 良いオスの遺伝子を取り入れようとする行動は、 動物の当然の行動。 それを倫理に反すると言うのは人間だけ。 私は不倫を擁護も否定もしません」 というのが一貫したスタンスだが、 今回の報道に対して人々が抱いた関心の本質は 「不倫の有無」ではなかった、と見る。   「むしろ 『創作に夢中で一時代を築いた音楽家が、 孤独な介護で疲れた日々に心のよりどころを求めた』 という物語の方が読者の心を動かし、 共感を集めたのではないか。 もしも文春の記事が、 介護する側のつらさに寄り添う内容であれば、 記事はこれほど炎上しなかったはず。 文春は読者の反応を読み違えたのでしょう」   NPO法人「東京高次脳機能障害協議会」の細見みゑ理事長は 「症状の程度や介護の仕方が百人百様で、 家族や親しい人だけで抱えるのは難しい。 専門家と相談しながら社会の中で リハビリさせるのが一般的だが、 有名人で難しかったのかもしれない」 と推測。 「時間をかければ症状は良くなり、 就労できるまで回復する人もいる。 小室さんは希望を持ってKEIKOさんに寄り添ってほしい」 と語る。

正義感を振り回さないで

  婚外恋愛をテーマにした 「恋する母たち」を連載中の漫画家、 柴門ふみさんは 「恋愛に対して多くの人はダブルスタンダード、 トリプルスタンダードなんです。 普段は『婚外恋愛や不倫なんて許せない』と言っている人も、 すてきな異性に言い寄られた途端に ときめいてしまう。 人間はそういうものだし、 そんな恋愛経験のある人も少なくない。 だから同じ不倫疑惑報道でも、 ちょっとした要素によって許せなかったり、同情したりする」 と説明する。   「ベッキーさんや山尾さんのように、 順風満帆の人生を送っているように見える人が ターゲットになった時には報道を楽しめた人でも、 小室さんのように、 配偶者の介護という 目に見えて大変な状況に置かれている人が ターゲットになれば、 反応が異なるのも当たり前。 それが人間ではないでしょうか」   その上で 「世の中に有名人の不倫話へのやじ馬根性があるのは仕方ない。 しかし本来、男女のことは当事者にしか分からない。 当事者ではない他人が、 善悪論や正義感を振り回してたたくべきではないし、 ましてネット上で批判されているのを見て 『こいつはたたいていいんだ!』 と集団でバッシングするのは間違いです」 といさめる。

社会の底流に嫌悪感も

  今回の炎上の背景に、 実は不倫疑惑報道への批判や嫌悪感が すでに社会の底流にあったのではないか、 と見るむきもある。   <私は、不倫をしている人間より、 他人の不倫を暴き立てて商売にしている人間の方が ずっと卑しいと思っています。>   小田嶋さんが19日、 ツイッターにそう投稿すると、 リツイート(引用)は1万を超え、 「いいね」は2万を超えた。 「驚きました。ツイッターを始めて以来、最高記録ではないか。 小室さんの報道の前からすでに、 不倫ネタを追う“文春砲”に うんざりしていた人は多かったのでしょう」   小田嶋さんは、 週刊文春の報道姿勢も炎上の一因だと指摘する。 「周囲が文春の特ダネを“文春砲”とほめたたえているうちはいい。 しかし自ら“文春砲”を名乗り、 『おまえのネタを握ってやったぜ!』 という表情で舌を出して笑う 『ふみはるくん』 なるキャラクターまで作ってネット上で拡散する。 さすがにやり過ぎだ、 と多くの人が感じ始めていたのではないでしょうか」

不倫報道の潮目変わるか

  過熱する一方だった不倫スキャンダル報道の流れは、 これを機に変わるのか。   竹内さんは 「今回の一件で人々は不倫疑惑報道の残酷さに気付いたと思う」 と話し、流れが変わる可能性を示唆する。   ライバル誌の週刊新潮の記者は 「うちの編集部内で 『フライデー襲撃事件みたいなことにならなければいいが』 と話題になってます」 と打ち明ける。 事件は1986年に起き、 過激な報道姿勢で人気を集めていた写真週刊誌が 凋落(ちょうらく)するきっかけになったとされる。 「ただ、著名人の不倫疑惑は読者の関心が高く、 週刊誌記者にとっては不動の取材テーマ。 そう簡単に変わらないとは思いますけど……」   週刊誌がすっぱ抜き、 テレビのワイドショーが追いかけ、 視聴者が ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS) で拡散する……。 しかし、そもそも 「不倫疑惑を報道する意味はあるのか、公共性があるのか」 と小田嶋さんは問題提起する。 「報道すべてを否定はしませんが、配慮は必要です」   毎日新聞は、 これまでに寄せられた批判の内容や件数、 批判に対する見解について週刊文春編集部に取材を申し込んだが、 編集部の回答は「お答えしていません」だった。
「むかしむかしあるところに」 で始まる昔話か イソップの寓話に出てきそうな話だ。 最初の一つ二つがうまくいくと 調子に乗って道義も顧みずにやり続け 結局失敗してしっぺ返しを食らう。 今回の話は 文春、アウトだ。 だいぶ業態は変わったとは言え 菊池寛のDNAが流れているはずの文春が こんなプリミティブなレベルの失敗は ファンとして気持ちの良いものではない。 不倫報道が正義か悪かはおいておくが 何も考えずに 有名人の不倫ならなんでも受けるだろうと 思っている節があるので そこが大いに残念。 確かに 小室をカリスマと呼べなくはないが 少し人を見る目があれば 繊細でコンプレックスの強そうな 悩むタイプの典型的なアーティストであることは すぐにわかる。 最盛期であっても 周囲の顔色を伺ってお金の使ってしまう人物で そういう人物のプライベートを暴いたところで 何が出てくるかわからないのは 当たり前の話だ。 そういう読みができないのなら 不倫報道は報道する側に 大きなリスクが発生する。 事実はどうあれ 「カリスマアーティストの不祥事を糾弾する正義」 のはずが 「妻の介護に疲れ切った病人を自分の利益のためにいじめる社会悪」 になってしまった。 不倫報道の是非は 改めて語るつもりはない。 他の多くの事柄と同じように 必要な時は必要だし 必要のないときは必要ないのだ。 多くのほんのちょっと難しい事柄と同じように 多くの日本人が苦手な 状況の判断が必要な事柄で 多くの日本人の得意な マニュアルを見ればわかるような 単純な善悪 で片付けられることではない。 それを 文春が単純な善悪で片付けていた節があることが 大いに問題なのだ。 我々は 運転技術のない運転手が 運転する車に乗って アホみたいに物見遊山していたことになる。 毒を操りたいなら 相応の 「毒の知」 が必要だということだ。 下は文春編集長の弁を紹介した朝日新聞の記事

文春編集長、小室さん引退騒動「予想できず」不倫報道で

音楽プロデューサーの小室哲哉さん(59)の不倫疑惑を報じた「週刊文春」に批判が殺到している。小室さんの引退表明につながったこともあり、近年盛り上がる不倫報道への疑問も表面化した。同誌の新谷学編集長(53)が27日夜のトークイベントで、苦しい胸中を明らかにした。

  ツイッターの公式アカウント 「文春砲」へのコメントは 27日午後9時半現在、4300件を超す。 「廃刊しろ」「もっと他に暴くことあるだろ」 「小室さんを追い詰めた」 など厳しい声が並ぶ。   発行元の文芸春秋社(東京都千代田区)で 開いた同誌のデジタル会員向けイベントで、 新谷編集長は 「厳しい意見もいただき、 胸に手を当てて考えていきたいが、 不倫摘発雑誌のようにとらえられるのは切ない」 と述べた。   報じた理由については、 「人間のいろんな面を伝えていきたい。 KEIKOさんの介護をしているという 『表の顔』の裏で、女性との息抜きを求めていた。 大変な介護の中で息抜きもしたくなるよなという、 介護の理想と現実というものを伝えたかった」 などと述べた。   対談相手は、 バンド「ゲスの極み乙女。」 の川谷絵音さんとの関係が報じられたベッキーさんと 同じ事務所に所属するお笑い芸人・カンニング竹山さん。 「一連の不倫報道の流れで世の中が騒ぐだろうと分からなかったのか」 との質問に対し、 新谷編集長は 「週刊文春は忖度(そんたく)しないメディア」 としながらも 「こちら側の意図するものと、 伝わり方に大きなギャップが出てきている。 予想できなかった」 と述べた。   今回の週刊文春の報道には、 多くの著名人もSNSで見解を表明している。   堀江貴文さんはツイッターに 「文春クソ」。 政治資金の使い道などについて報道され、 東京都知事を辞任した舛添要一氏は 「優れた才能がまた一つ消えていく。 週刊誌による興味本位の有名人不倫報道、 いつまでこんな非生産的なことを続けるのか」 と非難する。  川谷さんは 「病的なのは週刊誌でもメディアでもない。紛れも無い世間」。 不倫を巡る「世間」での盛り上がりの異常さを指摘した。
そもそも新谷さんは嫌いな人物ではない。 しかし 忖度ありきは報道機関として問題だが 忖度しなければ 「結果として」悪いことは起こる。 それはそれで当然な話だ。 今回の話は当然として 「不倫摘発雑誌のようにとらえられる」のも 当然起こる悪い結果だ。 単純な市場原理で 世の中がつつがなく回るほど 今の世の中は単純ではないことぐらい 文春の編集長だからこそわかりそうなものだ。 つまり面倒臭いことを逃げたのだ。 忖度という言葉には ずいぶんいろいろな広い意味を持たせている昨今だが 「忖度」と「不正な意図」を結びつけるあまり 「忖度」と「必要な判断」の区別ができなくなれば 原理主義的な市場経済で 世の中は荒れるに任せるしかない。 日本人の変な真面目さは そこへの流れを作ってしまいやすい危うさを 常に持っているが 原理主義的な市場経済で 世の中は荒れるに任せることを嫌うのも 日本人のかなり一般的なあり方だ。 つまり 要所要所で頭をしっかり使うことを 怠けてはいけないのだ。

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2018年01月11日

女優ドヌーブ氏など仏女性100人、男性が女性を誘うのは「犯罪ではない」

BBC NEWS JAPAN より 

女優ドヌーブ氏など仏女性100人、男性が女性を誘うのは「犯罪ではない」

米映画界の関係者がハリウッドで長年黙認されてきた性的加害行動を強く糾弾するなか、フランスでは女優カトリーヌ・ドヌーブ氏ら100人の著名女性が9日、男性が女性を誘うのは犯罪ではないと公開書簡で主張した。

9日付の仏紙ル・モンドに掲載された公開書簡で ドヌーブ氏たちは、 昨年から次々と表面化する性的スキャンダルによって、 新たな 「ピューリタニズム(清教徒的な過剰な潔癖主義)」 の波が起きていると警告した。 作家や学識者、表現芸術の関係者など 著名なフランス人女性100人は、 「ただ誰かの膝を触っただけ、 あるいは誰かをキスしようとしただけで、 多くの男性が問答無用に罰せられ、 職を追われてきた」 と批判している。 「強姦は犯罪だが、 誰かを口説こうとするのは (たとえそれがしつこくても、あるいは不器用でも) 犯罪ではない。 そして、男性が紳士的にふるまうのは、 決して男尊女卑な攻撃ではない」と、 女性たちは書簡で主張している。 書簡に署名した女性たちは、 昨年秋に米映画界の大物プロデューサー、 ハービー・ワインスティーン氏が 何十人もの女性を強姦、 あるいは性的に暴行したと糾弾されたことを機に、 「非難」の波が次々と押し寄せていると指摘。 今や世界で新たな 「ピューリタニズム」が 進行していると主張している。 ワインスティーン氏は、 合意のない性交渉については一切の疑惑を否定している。 しかし、 自分の振る舞いが 「多くの痛みをもたらした」 ことは認めている。 書簡の女性たちは、 一部の男性による 権力の乱用を指摘するのは 正当で必要なことだが、 ひっきりなしに続く糾弾の波は、 収拾がつかなくなっていると指摘。 このせいで、まるで女性が無力で、 慢性的な被害者であるかのような雰囲気、 女性をそのように見る 風潮が生まれていると書いている。 「私たちは、今のこのフェミニズムの動きに、 女性としての自分を見いだせない。 権力乱用を非難する以上に、 男性や性的なものを憎悪する動きになってしまっているので」 と、書簡の女性たちは、 ハリウッドを中心とした動きに距離を置いた。 ドヌーブ氏はこの書簡以前にも、 誰それが性的な加害行動を女性にとったと 男性を糾弾するソーシャルメディアでの運動について、 当事者の男性を辱めるのが 目的になっていると 否定的な発言をしていた。 性的な加害行動を経験した世界中の女性と男性が、 ソーシャルメディアで 自分たちの経験をハッシュタグ「#Me too(私も)」 を使って共有している。 フランスでは、 ハッシュタグ「#Balancetonporc(いやらしい男を言いつけよう)」を使い、 加害者の実名を挙げて恥をかかせようという動きが起きている。 女優のドヌーブ氏は 1957年にデビューした後、 100作品以上の映画に出演。 アカデミー賞主演女優賞候補にもなっている。
ここ最近 なんか過剰になり過ぎて これは異常なことだと思いつつ あまりに極端なので これはハイテクセックスロボット発売前の メーカーの陰謀ではないかと思うほどだった。 もちろん権力や暴力を使って 女性を従わせるのは どう考えても悪い。 しかし男女のやり取りは そんな単純ではないから 問題が起こらないということも ほぼありえない。 だから 何が悪くて 何がよいということよりも 女性も男性も 偏らないものの見方をして 感情に変に流されない自分のあり方を とることが大切なのだが そういうことよりも 一番大切なことなはずだが 案外語られていないと感じるのは 性欲だけのセックス 愛情のない体だけが目的のセックスで 女性は傷つくということ。 これはどんな関係でも言えることで 夫婦の間でも かつては真剣に愛し合っていた仲でも 素敵な出会いで その時は100パーセント合意の上でも あとで身体だけが目的だったことに気づけば 傷つくことが多い。 もちろん女性の方が積極的に 身体だけの関係を求めて 十分に楽しむ場合もあって それはそれでおめでたいことだ。 しかしそれでも 女性がそういう考えに至る上で 傷ついた経験が元になっていることも ないとは言えない。 この傷つき方は かなり本能的な部分に近いもので 搾取されたような 隷属されたような 自尊心を強く傷つけられてような 種類のもので 怒りに直結するようなものというよりは 無気力や自己嫌悪に繋がるような 自己評価を下げるような傷だ。 それを女性も男性は理解する必要がある。 それがなければ この手の話は 二つの両極端を いつまでも行ったり来たりするだけだ。 しかし それを理解して 女性に十分愛情なり承認なりを感じてもらった上で セックスをするのは 男性にとってそんなに簡単なことではない。 愛する相手であっても必ずしも 簡単ではない。 また男性には体だけを求める 本能のようなものがあるから そこに男性の永遠の苦しみもあり 女性の苦悩もある。

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2017年12月18日

「スプツニ子!」を准教授に迎えた東大の狙い

産経ニュース より 

「スプツニ子!」を准教授に迎えた東大の狙い

「スプツニ子!」と言えば、 性や生命倫理などをテーマとした “きわどい”音楽・映像作品 で知られるアーティストだ。 このほど東京大学生産技術研究所(生研)が、 同氏を特任准教授として迎えた。 東大の狙いはどこにあるのか-。   まず、スプツニ子!さんについて簡単に紹介したい。 本名は尾崎マリサ優美。 1985年に東京で生まれた日英のハーフだ。 英ロンドン大学インペリアル・カレッジ数学部を卒業後、 美術系大学院大学の ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)で 修士課程を修了。 男子が女装だけでは飽きたらず、 女性が毎月体験するあの痛みを再現する器具を 装着するストーリーを描く 「生理マシーン、タカシの場合。」 など数々の過激な映像作品を生み出し、 世界各国で受賞に輝いている。 2013年には 米マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボに 助教として採用され、 アートと科学の境界で活躍してきた。   そんな彼女が特任准教授として就任したのは、 RCAと共同で昨年12月に生研内に設立された 「デザインラボ」。 今月には、生研の付属研究施設として 「価値創造デザイン推進基盤」が発足し、 加飾にとどまらない デザイン(設計)の観点から 教育、研究、開発に変革を促す取り組みが本格化した。   そもそも、 生産技術研究所は、 戦時中に軍需産業の技術者養成を目的に設立された 「第二工学部」を前身とし、 日本で最初にロケットの発射実験を 行ったことでも知られる。 工学のほぼ全領域の技術をカバーする スペシャリスト集団だ。

技術力だけでは勝てない

  ところが、 自ら一翼を担ってきた 日本のものづくりの低迷が叫ばれて久しい。 ソニーの携帯カセットプレーヤー「ウォークマン」 こそ日本発だが、 米アップルのスマートフォン「アイフォーン」、 米アイロボットの掃除ロボット「ルンバ」など、 最近では海外企業の企画・構想力に、 技術で勝ると自負するわが国の企業が席巻されている。 この事態を重くみて、 「プロダクトマネジメント」 ができる人材の育成に 向かって立ち上がったというわけだ。   生研では、 昨年12月からデザインラボで、 大学院の学生らによる プロジェクト型の開発研究が始まった。 また、今年7月には企業4社と 産学連携フォーラムも作り、 構想を実現へと移す手法の在り方も探っている。   基盤の発足は、 こうした取り組みを いよいよ生研全体で体現しようというもので、 (1)1人の天才の発想力に頼るのではなく「価値創造プロセス」というべき方法論を開発すること (2)産学官民の共創の場の創出 (3)領域を超える人材の育成 (4)ものづくり基盤技術の深化-に取り組んでいく。

未来の議論を促す

  スプツニ子!さんの起用について、 生研の藤井輝夫所長は、 「あるテクノロジーが出てきたとき、 社会に対してどのような意味を持ちうるのかは 常に意識すべきであり、 形にすることでディスカッションが巻き起こる。 そういうことを通して、 私どもも方向性を見いだすこともできる。 テクノロジーも 社会への波及効果を積極的に考える必要があり、 刺激的にその部分を意識された作品をやっておられる 尾崎さんと、ぜひ一緒に活動しようとなった」 と趣旨を語る。   スプツニ子!こと尾崎特任准教授は 「私はデザインが主導する社会というものに興味がある。 デザインを通してこんな未来があるけれども、 あなたはどう考えますかと 議論を促していくが、 そういうものは賛否両論になることが多い」 と話す。 MITでは、 人工多能性幹細胞(iPS細胞)の技術を使えば 女性から精子が作れ、 同性同士で子供が作れるかもしれないことや、 実験動物が問題になっているが、 痛みや苦しみを感じないマウスを 遺伝子組み換えで作れば 倫理的なのかというような問題を投げかけてきた。   今後の意気込みについて 「バイオテクノロジーだったり、 人工知能(AI)だったり、 技術が進むなかで、 価値観がどんどん変わっていく可能性がある。 ビジネスだからとどんどん出していくのではなくて、 もう少し先を見据えて議論することが 研究にとってもビジネスにとっても非常に大事だ。 とくにイノベーションと一心同体の 法律や規制に関心があり、 法学の学生と、 法律とテクノロジー、 デザイン の3視点で 新しい世界を提案して 先導していきたい」 と述べた。   単なる“美人タレント”の起用による 大学の話題づくりではないことが、 語り口から伝わってくる。 ちなみに尾崎さんが卒業した インペリアル・カレッジは 英国の権威ある世界大学ランキングの 2018年版では8位、 前職のMITは5位で、 東大(46位)、京都大(74位)などは 大きく水をあけられている。   来年度からは、 東大の1、2年生が選択できる実習講座も 開催される予定。 ぜひとも、スマホのように 「なかった頃には戻れない」 高い価値のある製品・サービスを生み出せるよう、 日本の若者の先導をお願いしたい。 (科学部 原田成樹)
目の前のことだけ きちんとやっていれば良い という屈折した社会性から 抜け出している人もいるし そういう人々が作る組織もあるということだ。 世の中は 何もしなくて 良い方向に向かうわけではない。 それ以前に 何に向かうのが良いのかさえ それなりの労力やコストを負担して 社会として 探求して 模索しなくてはならない面もある。 だから教育が必要だし 先端的なアートの考え方と技術が 必要だ。 スプツニ子さんのアートに触れたのは 数年前の 都立現代美術館の 長谷川祐子さんのキュレーションによる催しだった。 スプツニ子さんにしても 長谷川祐子さんにしても このレベルのアートは 人間の脳の可能性を試しているような 感覚に浸れるし つまるところ 人間が感じるとは どういうことなのかということを 突きつけられるような感覚を覚える。 そういうことを通して 人間の性質の実感の断片を 感じることができる。 そこまで根源的な流れは 社会や経済や人の幸福や不幸と 無縁ではない。 そこには 面白い以上の価値や 便利以上の機能性や 今の満足以上の 生活の価値の原石があることは あまり知られていない。
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2017年12月12日

精神科医「貴乃花の正義は不純物を含む」

PRESIDENT Online より 

精神科医「貴乃花の正義は不純物を含む」

強すぎる処罰欲求のウラにあるもの

元横綱・日馬富士が暴行問題の責任を取って引退した。 だが騒動は一向に収まる気配がない。 モンゴル人力士や相撲協会に対する貴乃花親方の怒りは むしろ強くなっているようにも見える。 精神科医の片田珠美氏は、 貴乃花親方の処罰欲求には 「怒りや復讐願望などの“不純物”も入り交じっている」 と語る。その成分とはどんなものなのか——。

貴乃花親方の「正義は我にあり」のウラに透けて見えるもの

元横綱・日馬富士(33)の暴行問題は、 「引退」発表後も収束していないどころか、 むしろヒートアップしている感さえある。 その一因に、 殴られてけがをした貴ノ岩(27)の師匠である 貴乃花親方(45)と、 日本相撲協会の八角信芳理事長(54)をはじめとする 執行部との鋭い対立があるのは、 ご存じの通りだ。 協会執行部からすれば、 相互不信のきっかけを作ったのは 貴乃花親方のほうだと感じているかもしれない。 貴乃花親方は、 10月下旬の秋の巡業中、 巡業部長でありながらモンゴル人力士による暴行の件で 協会に相談する前に 鳥取県警へ被害届を出したし、 相撲協会役員室に呼び出されて 貴ノ岩への聴取協力を要請された際も 「お断りします」ときっぱりと拒否したからだ。 さらに、 11月30日に開かれた定例理事会でも、 貴乃花親方が協会による調査への協力を改めて拒否したため、 その場で鳥取県警に直接電話する事態になった。 県警の回答は 「協会の聴取に(貴乃花親方が)協力するのかどうかはお任せします」 というものだった。 これに対して貴乃花親方は 「任せると言っていたんですから、協力できない」 と態度を変えなかった。 そのため、 何人かの親方が 「なんでなんだ」と声をあげ、 一触即発の空気が漂ったという。 結局は、貴乃花親方も 「警察の捜査が終われば協力します」 と譲歩したようだが、 両者の相互不信が相当深刻であることは一目瞭然だろう。

▼貴乃花親方の怒りの矛先は「三者」に向けられている

ここまで深刻になったのはいったいなぜなのか。 精神科医である私の目には、 その一因に 貴乃花親方のかたくなな姿勢があるように映る。 親方の胸中には、 激しい怒りと強い正義感が潜んでいる。 その深層を解き明かしたい。 貴乃花親方が激しい怒りを覚えているのは明らかだ。 この怒りは、三者に向けられているように見える。 1)貴ノ岩を殴った日馬富士 2)日馬富士を制止しなかったモンゴル人力士 3)暴行問題に真摯に対応してくれない(と貴乃花親方が感じた)相撲協会

驚くべき「強い処罰欲求」貴乃花親方を精神分析する

まず、 愛弟子の貴ノ岩を殴った日馬富士への怒り。 古代ローマの哲学者セネカは、 怒りとは 「自分が不正に害されたとみなす相手を罰することへの欲望である」 (「怒りについて」) と述べている。 貴乃花親方は愛弟子が殴られたことによって 「自分が不正に害された」 と感じた可能性が高い。 それだけ、貴ノ岩との一体感が強いわけだが、 これは貴ノ岩が貴乃花親方にとって 特別な存在だからだろう。 部屋を作ったときに 「外国人力士は入れない」 方針だった貴乃花親方が、 その才能にほれ込んで 弟子にしたのが貴ノ岩なのだから、 思い入れは相当強いはずだ。 その大切な愛弟子を殴った日馬富士に 罰を与えたかったからこそ、 貴乃花親方は鳥取県警に被害届を出したと考えられる。 これは九州場所の部屋の千秋楽パーティーで 「正当に裁きをしていただかなきゃいけない」 と語ったことにも表れている。 処罰欲求の強さは、 この事件を捜査した鳥取県警も感じたようだ。 12月4日、鳥取県警は、 日馬富士を傷害容疑で書類送検すると同時に 検察に起訴を求める 「厳重処分」 の意見を付ける方針を固めたと報じられた。 こうした判断を下した背景には、 貴ノ岩の処罰感情が強いことがあるという。

▼次の標的は日馬富士以外の「モンゴル人力士」

貴ノ岩と貴乃花親方の処罰欲求が 日馬富士の引退によって満たされたのなら、 親方はその後、 協会からの調査への協力要請を すんなり受け入れたのではないか。 しかし、そうはしなかった。 処罰欲求が じゅうぶんに満たされたわけではないからだと推測される。 裏返せば、 それだけ処罰欲求が強いともいえる。 これは、 貴乃花親方の怒りの矛先が 日馬富士だけに向けられているわけではないためだろう。 暴行現場には 横綱の白鵬や鶴竜などの モンゴル人力士が同席していたにもかかわらず、 貴ノ岩が頭から出血するまで、 日馬富士を制止しなかったと報じられている。 だから、 その場に居合わせたモンゴル人力士に対しても、 貴乃花親方は怒っているはずだ。 もっとも、 貴乃花親方は この事件の前から モンゴル人力士に批判的だったようだ。 優勝40回という前人未到の偉業を達成した白鵬さえ 認めていないふしがあり、 「勝負後のダメ押し」「立ち合いの張り手」 「エルボーばりのかち上げ」などに対して 以前から厳しいまなざしを向けていたらしい。 もしかしたら、 “神事”としての相撲を 汚されたように感じているのかもしれない。

相撲原理主義者 vs. ハングリーな“出稼ぎ”外国人

そもそも、 貴乃花親方が“相撲道”を究めようとする 相撲原理主義者なのに対して、 モンゴル人力士の多くは出稼ぎに来た日本で 勝つためなら何でもするハングリー精神の持ち主のような 印象を私は受ける。 当然、両者は水と油だろう。 かつて巡業先で、 出発時間に遅れた白鵬を残したまま、 巡業部長の貴乃花親方がバスを発車させた 「白鵬置き去り事件」が発生したと報じられたが、 その一因に、こうした相撲観の違いがあるのではないか。

▼正義という名の復讐心は相撲協会にも向いている

さらに、 相撲協会の執行部に対する貴乃花親方の怒りも相当強そうだ。 執行部と貴乃花親方の間の確執は 昨日今日始まったことではなさそうだ。 前回の理事長選で貴乃花親方が 八角理事長に完敗したことや、 その後協会の花形である審判部長から 巡業部長に降格させられたことなどが、 今回の騒動の背景にあるとも聞く。 となれば、 貴乃花親方が協会への不信感だけでなく、 騒動を大きくして 協会に罰を与えたいという処罰欲求を抱いても 不思議ではない。 この処罰欲求が、 貴乃花親方の一連の言動の根底に潜んでいて、 事態を一層不可解なものにしているように見える。 もちろん、 貴乃花親方自身が口を閉ざしているので、 いずれも臆測の域を出ない。 ただ、1つだけたしかなのは、 正義はあくまでも自分の側にあると 貴乃花親方が確信していることだ。 「正義の心情には、2つの本質的な要素がある」 と、 イギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミルは 述べている(「功利主義論」)。 1つは 「はっきりした被害者がいる」 という確信、 そしてもう1つは 「加害者を罰したい」 という欲求である。 両方とも、貴乃花親方にはある。 貴ノ岩こそ被害者であるという確信、 そして加害者である日馬富士、 さらにはモンゴル人力士と 相撲協会にも罰を与えたいという欲求が かなり強そうだ。 さらに、ミルは 「正義の心情は、 その一要素である処罰の欲求からみると、 以上のように、 人間に本来そなわる仕返しまたは復讐の感情だと私は思う」 とも述べている。

貴乃花親方の正義は「復讐願望などの不純物も含まれる」

これは誰にでも思い当たるふしがあるのではないか。 こちらに正義があると確信しているときほど、 「加害者を罰したい」 という欲求も、復讐願望も強くなる。 もちろん、 そういうときは胸中に強い怒りも煮えたぎっているはずだ。 前出のセネカは 「怒りとは、不正に対して復讐することへの欲望である」 と述べているが、 たしかに、 怒りと正義感はしばしば密接に結びついている。 表裏一体と言っても過言ではない。 今回の事件の被害者は貴ノ岩である。 だから、貴乃花親方が怒るのも、 正義はこちらにあると思うのも当然だ。 ただ、ミルが指摘した正義の心情の要素の1つである 「加害者を罰したい」 という欲求、 さらには復讐願望が強くなりすぎると、 少々困ったことになる。

▼正義に酔いしれて合理的な判断ができなくなる

現に、貴乃花親方も、 被害届の提出を協会に報告しなかったことや、 協会から貴ノ岩への聴取協力を要請されても 拒否したことについて批判を浴びている。 来年2月の理事改選で 貴乃花親方を落とす算段をしている親方衆がいる とも報じられている。 そうなれば、 貴乃花親方が目指す相撲協会の改革どころではないだろう。 自分自身、 あるいは愛する者が理不尽な目に遭ったとき、 相手の「不正」に対して怒り、 何らかの形で復讐したくなることは誰にでもある。 ただ、怒りも復讐願望も、 自分自身の心の中にあることを認めたくない 恥ずべき感情なので、 しばしば正義というベールで覆ってしまう。 そうなると、 正義に酔いしれて 合理的な判断ができなくなるかもしれない。 だから、正義は処罰欲求の仮面であり、 怒りや復讐願望などの不純物も含まれていることを忘れてはならない。
人間 普通の時は なんだかんだ言っても そんなに悪いことはしない。 自制心というものがある。 ない人も当然いるが それは社会を生きていく中で 面倒くさいことがおこるから 少しづつではあっても淘汰されていく。 しかし 大義名分があるときは違う。 よく考えれば悪いことであっても 気づかないか 気づかないふりをするのか わからないが ブレーキが効かない というか ブレーキをかける気がない。 だからそういう時にこそ 本当に悪いことが行われる。 大きな声で 「正義」 を語る人ほど その正義の中には 不純物がいっぱい混ざっていることは 全く珍しいことではない。 それどころか 不純物の処理に困って 「正義」を持ってきたりもする。 ゴミ袋みたいに 「正義」の袋に入れて 捨てる。 貴乃花親方だけを責めることも ちょっと本筋からそれてしまう危険があるが 少し立ち止まってほしい思いがある。 モンゴル力士が 脅威と感じる日本人がいるのは 当然だが、 モンゴル力士が文化の違う土地に来て 異国の伝統文化を盛り上げ 優れた実績を上げていくことは 並大抵の苦労ではないと単純に思う。 モンゴル力士同士の 繋がりが強いのは当然として その強さも かなり特異な強さになるだろう。 そして そのモンゴル力士社会の成員であることが 彼らにとっては 非常に大切な日本での活動を支える 精神的な基礎条件になっていることは 容易に想像できる。 そこでのトラブルは モンゴル力士の誰にとっても 計り知れない精神的なダメージだろう。 それは 日本の伝統的な相撲文化とまた別の パラレルなもので それがあってこその モンゴル力士の活躍と いう類のものだ。 日本の伝統的な大切な文化だから 日本人の理屈で考え それに合わせてほしいのは 山々であるが それだけでは 日本人にとっても モンゴル力士にとっても 良い姿に繋がらないように思える。 相撲の理屈とは別の 彼らに寄り添う姿勢があってこそ 彼らも 異文化に適応しようという意欲が 現れるものだ。
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2017年11月16日

小林よしのり 恐怖で怯える週刊文春(その1)

BLOGOS より 

小林よしのり 恐怖で怯える週刊文春(その1)

なんということか、 週刊文春!ここまで腰抜けだったか! 山尾事務所に対して、 文芸春秋の顧問弁護士から、 抗議文書が届いたのである。 わしのブログ 「狂気に走る週刊文春(その1)」で、 山尾氏を尾行していた 神田知子とニット帽の男の写真を載せたこと、 そして追加文書を載せたことが、 「肖像権」や「著作権」を 「侵害する可能性があります」 などとのたまっているのだ。 「いや、いや——!」 「尾行してた男女の写真を逆に撮られちゃいや——!」 「はんずかし——!」 「プロとしてみっともな——い!」 「大恥なの——!」 「だから弁護士に頼んで脅してもらっちゃう!」 「ストーカーの肖像権の侵害よ——!」 「私たちは山尾さんの写真をいくらでも盗撮していいの——!」 「人前でデマを言いふらして、山尾さんを追いかけ回し、写真をバシャバシャ撮ってもOKなのよ——!」 「それは私たち週刊文春は正義だからなの——!」 「山尾さんは悪なのよ——!魔女なのよ——!」 「魔女狩りしたいの私たちは——!」 「けれど盗撮してる私たちの姿は盗撮しちゃいや——!」 「すっごく盗撮に弱いの私たち!」 「今回の小林よしのりのブログは恐怖で泣いちゃったの——!」 「盗撮ストーカーには肖像権があるのよ——!」 「弁護士さん、脅して——!」 「私たちは完全になめられているから、法律で守られた——い!」 カスである! とことんカスである! ゴロツキ並みの手法を使って、 山尾・倉持の人権をとことん踏みにじったくせに、 大恥かいたら法で守られたい というクソ野郎どもが、 地獄を見せてやる!!
これどう考えたって まずいでしょ 文春。 思わず笑ってしまった。 読者は離れる。 仮に裁判になって 文春が勝ったとしても 文春は失うものが大きすぎる。 これは一般の政治報道ではなく 見る側はエンターティメントとして 見てるわけだから 取材する方も 自分たちも見られる側に立つ覚悟で やってもらわねくてはいけない。 いつ自分たちの写真を取られても おかしくはないことぐらい 子供でもわかることなわけだから 派手に変装するとか 着ぐるみの中から取材するとか 天井からぶら下がって写真を撮るとか 007ばりのエンターティメントを 見せてくれてこその 文春砲ではないか。 今まで 山尾さんの味方になろうと思ったことはないし これからもないと思うが(多分) これは文春が完全にアウト。 読者は法律ではなく 古い言い方をすれば 粋か野暮かで 着いたり離れたりする。 文春にも 奢りと官僚的なマインドが 目覚めてきたのか 高いギャラを意識しすぎた 取材する人間の勇み足とか劣化なのか。 文春を愛する人間としては ぜひ軌道修正を望む。 「親しき仲にもスキャンダル」 に象徴される ラディカル、アウトロー精神 あっての文春でいてほしい。
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2017年11月05日

欽ちゃんと呼ぶべきか、萩本さんと呼ぶべきか、それが問題だ

文春オンライン  より 

欽ちゃんと呼ぶべきか、萩本さんと呼ぶべきか、それが問題だ

萩本欽一のドキュメンタリー映画 「We Love Television?」 が11月3日より公開された。 これは「電波少年」のTプロデューサーで 知られる土屋敏男が監督したもの。 今週の文春には、 その土屋敏男が 「この人のスケジュール表」欄に 登場し、裏話を語っている。

捨てることで新しい表現が生まれた「電波少年」

ドキュメンタリーといえば カメラが人物を追うものだが、 本作は違うようだ。 萩本欽一に自撮り用のカメラを渡し、 自分で自分を撮らせた と記事にはある。 「今まで映画は 監督やカメラマンが駆けつけないと 始まらなかったけど、 この手法なら 本人さえいれば撮れるんです」 さすが土屋敏男。 「電波少年」放送開始当時、 肩に担ぐような大型のカメラで 撮るのが当たり前の時代に、 土屋はハンディカムでの撮影を決める。 「当時は技術の人に 『こんなの放送できるか!』 ってすごい怒られたよ。 画面は暗いしザラザラだしね」 (TVBros.・2012年1/21-2/3号掲載の藤村忠寿・土屋敏男・西田二郎の鼎談より)    放送用機材で撮ることは オンエア・クオリティを守ることだが、 それを捨てることで 新しい表現が生まれもする。 上記の鼎談によると、 「水曜どうでしょう」 も企画時に、 局側から同じことを言われるが、 「あの『電波少年』 も手持ちのデジカメでやってますよ」 と説得して、誕生したのだという。

萩本欽一とは何者か

今週の水道橋博士の連載コラム 「週刊藝人春秋Diary」 も萩本欽一である。 題して「欽ちゃんはどこまでやるの!」。 ここで水道橋博士は、 萩本欽一の栄枯盛衰を整理しつつ、 くだんのドキュメンタリーを引き合いに、 萩本欽一とは何者かを問い直す。 萩本欽一は 1週間の視聴率の合計が100%を超えることから、 「視聴率100%男」 の異名を得るほどであったが、 いっぽうで 「『萩本欽一=いい人』 の世評は広がり、 本人はやがて、 そこに搦め取られていった」。 ここで“搦め取られていった”とするのは、 コント55号時代はハチャメチャな 芸風だったからだ。 それがいつしか「いい人」となり、 「微温湯のバラエティ」 をお茶の間に届けるようになる。 それを潰しにかかったのが、 たけしである。 水道橋博士は言う。 「我が師・ビートたけしは、 日本バラエティ史において 萩本欽一的な笑いに 引導を渡した張本人である」 たけし自身、 「いい人」になった萩本欽一は 「俺の性に合わないということがあって。 もし萩本さんの番組が ずっと続くようだったら、 これお笑いの危機だと思ったわけ」 とテレビ番組で述べている。(注)

たけしが「欽ちゃん」のことを「萩本さん」と語ったとき

80年代半ばのことだが、 たけしが「欽ちゃん」のことを 「萩本さん」と言っているのを聞いたとき、 筆者はこころが冷える思いをした。 あえて「さん」付けにすることで、 現役の土俵にいない、 過去のひとにしてしまったように 感じ取れたからだ。 「さん」付けでいえば、 「ジャイアント馬場から 『馬場さん』に」という見出しが、 柳澤健『1964年のジャイアント馬場』(双葉社) にある。 ジャイアント馬場は、 現役プロレスラーにして、 動けずとも敬われる対象になっていく。 柳澤健はそんな馬場を「隠居老人」と称し、 こう続ける。 「老人に強さを求めるのはおかしい。 馬場さんは馬場さんでいてくれればそれでいい。 観客はそう考えるようになった」。 もっとも、 たけしはオールナイトニッポンに 「動け馬場」 なるコーナーを設けるのであったが。 「馬場さん」と違って 「萩本さん」は居場所を失う。 これがテレビの世界の厳しさか。 とはいえ、 それほどの世界で頂点を極めた欽ちゃんである。 コラムから一端を記せば 「リハーサルは面白くないまま進める」、 こうした視聴率「30%を取る奥義」を 土屋敏男は映画の中で解き明かすのだという。

萩本欽一について、立川談志の場合

なお、コント55号時代は認めるたけしと異なり、立川談志はそれも認めない。水道橋博士はコラムでそんな談志の評、「逆にいやあ、談志なんぞに誉められなかったから萩本欽一の全盛があった」(立川談志『談志百選』講談社)を引く。一級の芸談である。 そういえば先週の文春で、 弟子の立川談春が、 石原慎太郎と親しくしながらも田中角栄には 近づくことのなかった談志の言葉を紹介している。「本当の権力をおちょくるピエロは殺されるぞ」。 これもまた一級の芸談である。 籠池さん逮捕を 目の当たりにした 今ならなおさらのこと……。 (注)戸部田誠『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった』(文春文庫)より
基本的に文春は好きだ。 ラディカルな芸風が良い。 (編集方針ではなくてあえて芸風と言おう) 「親しき仲にもスキャンダル」とか。 しかしスキャンダルのその後に こだわり過ぎる時は 思考停止の状態だろうと思っている。 売る柱をスキャンダルに求め過ぎると 多分窒息するから こういう記事は良い。 めちゃイケが終わると聞いても あまりショックはなかった。 驚くほど 普通に聞こえた。 潮時とか フジの劣化とか そういう問題じゃなくて 何か時代が変わったような 種類の環境の変化なのだろう。 かと言って 岡村や矢部が落ち目になるとか そういうこともなく めちゃイケの進化は限界でも 二人の進化はまだ余地がある。 あらかじめ 約束された 暗黙の前提のある笑いは 本物の笑いではない とまで 極端なことを 言わなくとも お茶の間の笑いは ある意味 特殊な笑いだ。 不和の絶えない家庭を別とすれば ほとんどの家庭は 安らぎの場だったり 喜びの場だったり 安心の場だったりするから (そこまで肯定的に見られない方も多いだろうがそれはさておき) お茶の間の笑いが 特殊な笑いであることには 案外気づかないものだ。 密室的な空間の笑いが 一番本音の笑いに近いと言う意味で 本来の王道の笑いかもしれない。 そう考えると タモリもたけしも お茶の間向きの番組でも 密室的な笑いの要素を ちらっと見せることを 忘れていないことに感心する。 だから 水道橋博士の指摘は 確かにそうなのだ。 欽ちゃんの笑いに 引導を渡したのだろう。 タモリはしないが たけしはやる。 しかし この映画の面白さは 欽ちゃんの芸の面白さが 焦点ではなく 欽ちゃんの 生活のひだのような感性に スポット当てること、 それを人間の面白さを キュレーションする 土屋敏男の目線で見ることが 面白いのだろう。 それは確かに期待する。

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2017年10月26日

坂本龍一のキュレーションで聴いて、見て、感じるグレン・グールド

T JAPAN The New York Times Style Magazine    より 

坂本龍一のキュレーションで 聴いて、見て、感じる グレン・グールド

20世紀、最も個性的なピアニストと称されたグレン・グールド。その生誕85周年を記念したライブやエキジビションなどの特別企画が、坂本龍一氏のキュレーションで開催。T JAPAN webのチケット先行発売も!

1932年にカナダに生まれ、 1982年、50歳の誕生日の9日後に 脳卒中のため急逝したピアニスト、 グレン・グールド。 「20世紀でもっとも個性的なピアニスト」 「孤高のピアニスト」 「斬新な解釈でバッハ演奏を一新した」 など、彼を称賛する言葉は数多い。 14歳でピアニストとして国内デビュー、 17歳で米国デビューし、 同年録音した バッハの『ゴールドベルク変奏曲』 によって一躍、その名声を高めた。  2017年、カナダのグレン・グールド財団は、世界各地でグレン・グールド生誕85周年を記念した企画展やコンサートを開催してきた。その掉尾を飾るのが、12月に東京・草月ホールとカナダ大使館で開催される『Glenn Gould Gathering』だ。 キュレーターを務めるのは、 グールドの コンピレーションアルバムの選曲を 務めたこともある坂本龍一。 幼少期からグールドの音楽性と 個性的な演奏スタイルに憧れ、 つねにグールドを敬愛してきたという。 『Glenn Gould Gathering』は、 そんな坂本のキュレーションらしく、 多彩な表現レイヤーによって グレン・グールドの 音楽世界を体感するしかけとなった。 坂本自身も出演するライブには、 長年親交のある ドイツのサウンド・アーティスト、 アルヴァ・ノト、 オーストラリアのエレクロト・アーティスト、 クリスチャン・フェネスなど、 注目のアーティストが 海外から集結。 さらには グールド研究の第一人者である宮澤淳一、 批評家の浅田彰 ほかが出演するークセッションや、 サウンド・インスタレーションを 含むエキジビション、 関連作品の上映と、 アニバーサリー・イヤーの 締めくくりにふさわしい豪華な コンテンツが用意されている。 映像・会場構成を手がけるのは、 坂本との共同制作もある高谷史郎。 最新テクノロジーによる 映像インスタレーションや パフォーマンスなど、 多面的な活動を続けるアーティストだ。 国内外の最新・最高のクリエイターたちが 敬愛の念をこめて腕をふるう特別企画は、 グレン・グールドのファンならずとも 心躍らずにはいられない。 12月、目も耳も、 心までも刺激する “グレン・グールドの世界”に触れてみては。 Glenn Gould Gathering <ライブ> 期日:12月15日(金)・16日(土)・17日(日) 会場:草月ホール <トークセッション> 期日:12月15日(金)・16日(土)・17日(日) 会場:草月会館2階談話室 ゲスト: 12月15日(金)宮澤淳一 12月16日(土)國崎晋、坂本龍一 12月17日(日)浅田彰、宮澤淳一 料金: ライブ<指定席>&トークセッション <自由席> \10,000(税込) ライブ<指定席> \8,500(税込) トークセッション<自由席>¥1,500(税込) チケット販売: T JAPAN web先行発売 10月20日(金)12:00〜 専用URL: https://l-tike.com/st1/tjapn-ggg  ※受付期間:11月9日(木)23:59まで。  ※先着20枚のみ(上記各チケット枚数限定あり)。  売り切れ次第終了となります。 ほか、各種プレイガイド先行発売 10月20日 (金)12:00〜 一般発売 11月11日(土)〜 ※年齢制限は設けていませんが、3歳以上の方はチケットが必要です。 ※お一人さま4枚まで。 ※セットチケットのトークセッションは、ライブ公演日のご入場に限ります。 ※トークセッションは先着順の自由席となります。 問い合わせ: DISK GARAGE TEL. 050-5533-0888(平日12:00〜19:00) ——————————————————————————— エキジビション (無料) 期日:12月13日(水)〜12月17日(日) 会場:草月プラザ 関連作品上映 (無料) 期日:12月13日(水)〜12月17日(日) 会場:草月会館/カナダ大使館 オスカー・ピーターソン シアター
ピアニストも 作曲家と同じように 時代のスタイルがあって その時代にはもてはやされるが 時代をすぎると あまり取り上げられなくなる人もいる。 しかし 時代を超えて 愛されるピアニストは 少数だが確実に存在する。 現代の、特に若いピアニストは 非常に内容も安定していて 技術的にも申し分ない人が多い。 「大人」な弾き方をする。 決して悪いことではない。 しかし 流石に グレングールドのような 一つの何かに 極端なこだわり見せ そこに 全く独自の 美意識を展開するスタイルの ピアニストはいない。 もっとも 現代のピアニストにいないだけではなく この先も出ないのかもしれない。 そういうものに 坂本龍一が反応するのは 全く驚くことではない。 坂本龍一が どうグレングールドを楽しむのか そこに何を見ているかの それは知りたい。
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2017年10月16日

「450年先」を見据える英国ロイヤル・オペラの長期戦略

Forbes より 

「450年先」を見据える英国ロイヤル・オペラの長期戦略

「オペラは金持ちの道楽」 と敬遠する人が多いのは、 日本だけでなく欧州も同じ。 では、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスの客席が、 毎晩賑わうのはなぜか。 その背景には、世界を見据えた長期目線の戦略があった。午前10時半。 ロイヤル・オペラ・ハウス(ROH)の舞台上では、 黒ずくめのスタッフがせわしなく行き交い、 着々と作業を進めている。 舞台に組まれているのは、 円形劇場を思わせる3階建てのセットだ。 客席では、 あちこちに据えられた8台のテレビカメラが 出番を待っている。 人気絶頂のテノール歌手、 ヨナス・カウフマンがここで ヴェルディ作曲『オテロ』のタイトルロールに 初めて挑戦する。 本人が「エベレストを登るよう」 と表現する究極の難役だ。 今夜、 その瞬間を 世界がリアルタイムで見届けることになる。 ただ、 舞台上に組まれたセットは、 初日を1週間後に控えた 『トゥーランドット』のもの。 皇帝を乗せる宙吊りの玉座が、 頭上からゆっくり降りてくる。 リハーサルを終えたらすべて解体し、 『オテロ』のセットを組み、 夜7時半の公演を迎えるという。 これに加え、 ヴェルディの 『椿姫』と モーツァルトの 『ポントの王ミトリダーテ』も公演中だ。 ROHのアレックス・ビアードCEO(54)に言わせれば、 「まるでエクストリームスポーツ」 のように劇場内はめまぐるしい。

変化を象徴する存在

ROHが拠点を構える 英国ロンドンのコベント・ガーデンで、 初めてオペラが上演されたのは1732年のこと。 1892年に 「ロイヤル・オペラ・ハウス」と名づけられ、 いまや世界有数の歌劇場として知られるようになった。 オペラとバレエの公演数は 年間約320回にのぼり、 入場者数は70万人を超える。 ロンドンのコンサートホールでは、 空席が目立つクラシック音楽の演奏会も少なくないが、 ROHは96%という入場率を誇る。 ちなみに、テムズ川の反対側にある演劇の殿堂、 ナショナル・シアターの入場率は88%だ。 非営利法人によって運営されているROHの収入は、 年間1億3110万ポンド(約192億円)。 米メトロポリタン・オペラの 3億1075万ドル(約344億円)にはかなわないが、 ウィーン国立歌劇場の 1億1771万ユーロ(約154億円)を上回る。 収入は右肩上がりで、17年連続で黒字を達成している。 ROHの収入の約2割は、 アーツ・カウンシル・イングランド(ACE) からの助成が占める。 ACEは文化・メディア・スポーツ省所管の外郭団体で、 芸術文化の振興を目的とする。 ROHはどの組織よりも多くの資金を ACEから受け取っている。 その理由は、 オペラやバレエが 群を抜いてコストのかかる芸術だからでもあるが、 ROHがロンドンだけでなく全国で、 ひいては全世界で文化的に重要な役割を果たし、 次世代の育成にも熱心に取り組んでいるからだという。 「ROHは、 常に時代の先を見据えていて、 変化を象徴する存在です」 とACEの広報担当者は話す。

450年の歴史、450年の未来

ROHは、 年間12作品を 40カ国以上の 約1500カ所におよぶ映画館へ ライブ中継している。 国内だけで430カ所を超え、 英国のどこにいても50km圏内に ROHの舞台をリアルタイムで観られる場所があるという。 カウフマン主演の 『オテロ』は、 今年の目玉だ (日本では生中継ではなく、 9月8日より全国で順次公開予定)。 メトロポリタン・オペラをはじめとした 一部の歌劇場のほか、 演劇のナショナル・シアターなども ライブ中継を行っており、 映画館で舞台を楽しむという行為は ますます定着しつつある。 それは、 テレビ放映やDVDで鑑賞するのと 同じ体験ではない。 BBCでプロデューサーとして長年活躍し、 現在ROHで映像関連の責任者を務める ピーター・ジョーンズはこう話す。 「舞台鑑賞は、 本質的には共同体活動。 世界中で同じ瞬間を共有しているという感覚は格別です」 さらに、 年に3回は国内15カ所で 無料の野外パブリックビューイングを行う。 同時に、YouTubeでライブ配信する場合もある。 となると、まさに世界の津々浦々で、 当代きっての歌手やダンサーが 大舞台に臨むその瞬間を目撃できるというわけだ。 最も大規模な パブリックビューイングの会場が、 ロンドンの観光名所トラファルガー広場だ。 巨大なスクリーンを前に、 開演の数時間前から上映を心待ちにする人々の ピクニックが始まる。 オペラハウスの客席は 白人が大半を占めるが、 広場に集まった観客は、 人種の多様なロンドンそのもの。 劇場では見かけることのない ベビーカーの子供もいる。 初めてオペラの野外上映に来た マーリーン・サントゥス(28)は、 「たまたまネットでオペラの動画を見たら、 歌がキャッチーで 衣裳がきれいだったから来てみようかと思って」 と話す。 「オペラは金持ちが観るもの」 と思っていたが、 印象が変わったという。 友人を誘って来たエライザ・プリティマン(24)は、 「急な残業もあるし、 前もって高いチケットを買わなくても、 ふらっと来られるのがいい」と語る。 観る方にとっては気軽かもしれないが、 桁違いの数の観客を前にする 歌手やダンサーにのしかかるプレッシャーは 尋常ではない。 「彼らは失敗を恐れて 安全運転するかと思いきや、 意外とそうでもない」 とジョーンズは話す。 「なぜかダンサーはいつもより 高くジャンプするし、 歌手は普段以上に歌にエネルギーをこめるんです」 プレッシャーがかかるのは、 ジョーンズをはじめとする 裏方スタッフも同じだ。 何しろ生中継なので、 失敗は許されない。 バレエなら、 リフトされたダンサーのつま先が 画面から切れないように、 身長や脚の長さから見当をつけておく。 モーツァルトの喜劇オペラなら、 笑いを誘う歌手とリアクションをする 歌手の両方の表情をとらえて 初めて笑いが成立するので、 カメラの切り替えを綿密に計算する。 これだけ大がかりで 莫大な費用のかかるものを 野外上映やYouTubeで 惜しげもなく無料公開するのはなぜか。 ビアードCEOはこう話す。 「劇場の座席数は限られています。 オペラには450年の歴史があり、 この先450年も続くはず。 だとすれば、 新たな観客を惹きつけて オペラハウスとの長期的な関係を持ってもらうことは 非常に重要です」 ROHは特に、 映画市場が急成長中の中国に注目している。 昨年、中国での映画館上映は 3作品にとどまったが、 今年は6作品に拡大する。 直接劇場に来る人を増やすことだけが 観客を増やす手段ではない。 劇場外でそれに近い体験ができるとなれば、 地球全体が客席になるわけだ。

他業界の顧客戦略をウォッチ

一方で、 劇場に足を運ぶ人の多様化も目標の一つだ。 そのために重要なのが、 価格設定だという。 ROHのチケットは、 44%が50ポンド以下、 35%が40ポンド以下、 29%が30ポンド以下で販売されている。 これなら ロンドンのウェストエンドで ミュージカルを観るよりよっぽど安い。 たとえば、 カウフマン主演の『オテロ』は、 最も高いチケットが 270ポンドだったが、 一方で15ポンドの席も用意されていた。 また、普段ROHには来ない層を呼び込むため、 最高ランクの席を 50ポンドに設定したバレエ公演もある。 各公演のチケット価格をどう設定するかは、 顧客データによって決めているという。 アンケートも集めているが、 それよりも重要なのは購入履歴だ。 ROHは日本のコンサートホールのように チケット販売を部分的に 外部へ委託したりしないので、 すべてのチケットが ROHのボックスオフィスを通して購入される。 そのため、 観客一人ひとりについて、 来場の頻度や好みの演目など、 詳細まで把握できる。 どういった演目のどの席に需要があるかに注目すれば、 価格設定の精度が高められるわけだ。 また、 劇場に足を運びやすくする という意味で大きいのが eチケット制度である。 ROHでは、 もちろん紙での発券も可能だが、 携帯端末で eチケットを提示するだけで入場できる。 英国の文化施設で これに踏み切ったのは ROHが初めてだったという。 eチケット制度がなかったり、 あっても 印刷してくる必要があったりする施設も多いが、 これは必然的な施策だったと ビアードCEOは話す。 「たとえば、 航空会社はずいぶん前から eチケット制度を導入しています。 私たちはより 良い顧客体験を提供したいだけ。 ほかの業界がどうやって 顧客を取り込んでいるか、 常にウォッチしています」 700万回再生されたオペラ曲 いまや ROHの来場者は48%が ロンドン外の居住者であり、 マーケティングツールとして 有効なのはやはりソーシャルメディアだ。 担当者のメル・スペンサーによると、 ツイッターやフェイスブックなどを通じて、 週に100万人以上が ROHのオンラインコンテンツを目にしている。 コンテンツを作る際に注意するのは、 「オペラやバレエについて 相手に知識があることを前提にしないこと、 “上から目線”にならないこと」 だと同氏は言う。 また、 ツイッターでは、 公演ごとにハッシュタグを作って 投稿を呼びかけている。 たとえば、『オテロ』なら #ROHOtelloとつけて 感想を投稿してもらう。 もちろん、 好意的なコメントばかりではない。 「否定的な投稿を阻止することはできない。 思い入れがあるからこそ 意見をシェアしたいわけで、 それはすばらしいことです」 とビアードCEOは語る。 最も成功しているのが YouTubeチャンネルで、 登録者数は26万人を超え、 5万人弱にとどまる メトロポリタン・オペラを含め、 他の歌劇場に圧倒的な差をつけている。 たとえば、 『カルメン』の有名な曲「ハバネラ」の動画は、 700万回近く再生されている。 また、人気の歌手やダンサー、 指揮者などが登場する 「インサイト」と呼ばれるトークイベントや バレエの公開リハーサルは、 1時間半近くの内容が 丸ごとアップロードされていて、 見ごたえ十分だ。 また、 ロンドン外の潜在顧客と同様に重視しているのが、 若い世代である。 現在、 「ROHステューデント」 として1万9000人以上の学生が登録しており、 1〜25ポンドという安さで チケットが買える。 年に一度は 学生だけを対象にした公演も行っており、 昨シーズンは、 バレエ『フランケンシュタイン』を上演。 その際、 イマーシブ・シアター(体験型演劇)で 世界を席巻している劇団「パンチドランク」と手を組み、 フランケンシュタインの格好をした役者が 客席をさまようなど、 観客が舞台に“巻き込まれる”ような工夫を凝らした。 それだけでなく、 全国の子供向けに オペラやバレエに関連する各種コンテストを開催し、 優勝者を劇場に招待している。 ビアードCEOは次世代への投資についてこう説明する。 「若いうちに興味の種をまいておけば、 仕事や家庭で忙しい 20〜30代は劇場から足が遠のいても、 40〜50代になって種が育ち、 戻ってきてくれるかもしれません」 ROHが常に未来を見据えて 投資してきたのには訳がある。 「オペラの本場」 といえばやはり イタリアやドイツで、 ROHは“後発組”とも言える。 フランセス・ドナルドソン著 『20世紀のロイヤル・オペラ・ハウス』 (未邦訳) によると、 ようやく 一流の歌劇場として 認識されるようになったのは、 ゲオルグ・ショルティが 音楽監督を務めた1960年代で、 「この頃になって、 外国から超一流の歌手や指揮者が ロンドンに来たがるようになった」 という。 その後も 決して順風満帆だったわけではない。 特に1990年代半ばには チケットの売れ行きが伸び悩んだ。 ビアードCEOはこう話す。 「まず何より、 当時は劇場の老朽化が著しかった。 舞台裏の設備もひどいものでしたが、 劇場内にエアコンがなかったので 夏は不快で、 座席によって入り口が別々だったり、 バーが快適でなかったり。 ちゃんとお金をかけていないのが 見え見えでした。 それに、 演奏の水準にもムラがありました」 そんな状況から、 1億7800万ポンドをかけた 劇場の改装に踏み切った。 何よりも“顧客体験”に投資することで、 軌道に乗ることができた。 人材への投資も重要だ。 2002年には、 ベルギーの王立モネ劇場の音楽監督だった アントニオ・パッパーノを 音楽監督として招聘した。 年間73万ポンド超とも報じられる 彼の報酬が批判の的になることもある。 だが、 カウフマンがオテロ役に初挑戦する場として ROHを選んだ理由は パッパーノへの信頼にほかならない と公言しているように、 ROHにもたらす価値は計り知れない。 ROHは現在、 中劇場「リンベリー・スタジオ」の改装を含め、 大規模な工事を実施している。 完了は2018年9月の予定である。 絶えず観光客などで賑わう コベント・ガーデンと劇場を カフェやレストランでつなぎ、 チケットを買わずとも オペラハウスの“魔法”を ちょっぴり体験できるようにするという。 劇場からロンドンの街へ、 ロンドンから全国へ、 全国から世界へ─。 隔てる壁を打ち壊し、 限りなく外へと展開していくのが、 現代の劇場の姿だ。
オペラが好きという人や 見たことがあるという人の 数の割に 一度見れば好きになり また病みつきになるひとは 多いと思う。 伝統あるものとはそういうものだ。 チケットが高いとか そういう 恐ろしく現実的な 理由だけで 見たことがない。 見たいと思わない 状態ができている。 海辺に行けば より美味しい海産物が より安く手に入るように ヨーロッパに行けば より安く より内容の良いものを 経験することができる。 また ウイーンの国立歌劇場などのように 立ち席だったら200円くらいで 鑑賞できるところもある。 立ち席のチケットは 予約も何もなしに 窓口で 「シュティープラッツ ビッテ」 と言えばいいだけだ。 椅子はないが 音楽学生が 楽譜を見ながら鑑賞するための 譜面台はある。 ここでは オペラの魅力と鑑賞方法を ご案内するのが目的ではない。 この記事読んで 思ったのは RHOの運営の仕方に 日本人が 色々と参考にすべき点があるからだ。 もちろん日本でも ネットの使い方など 同じようなことは 始まってるし もっと先進的な方法を とっているところもある。 しかし 外見的な方法論は似ているが その意識はけっこう違っている。 何が違うかということを 一言で言えば PRの方法が 文字媒体や画像媒体に 頼るのではなく 体験そのものを PRの材料に使う考え方だ。 そういう意味での積極的な見方が これだけマルチメディアが 溢れた世の中では必要だと思うし それがまた 新たな文化を作り出して 世の中を活性化して行くものだと思う。 働き方改革と合わせて 必要になってくることは 生産性の向上だ。 それは 良い方向へ進めば 生活を活性化して 幸福度をあげることに繋がる。 楽しいものを 楽しめない 仕組みの世の中は 楽しくない。
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2017年10月13日

『スッキリ』水卜アナ加入初週で『とくダネ!』抜く- 9日も9.0%の高視聴率

マイナビニュース より 

『スッキリ』水卜アナ加入初週で『とくダネ!』抜く- 9日も9.0%の高視聴率

日本テレビの情報番組 『スッキリ』 (毎週月〜金曜8:00〜)は、 MCに水卜麻美アナウンサーが 加入した初週(2〜6日)の 週平均視聴率(1部/8:00〜9:30)が 6.6%を記録。 前週から0.9ポイント上昇し、 同時間帯のフジテレビ 『とくダネ!』 (8:00〜9:50、週平均6.4%) を上回った。 前週の週平均は、 『スッキリ!!』 1部が5.7%、 『とくダネ!』が 6.2%だったが、 『スッキリ』 が逆転。 2部(9:30〜10:25)も、 前週の4.4%から4.9%にアップした。 さらに、 祝日だった9日の 『スッキリ』は、 1部が9.0%、 2部が7.7%と高視聴率をマーク。 この日は、 『とくダネ!』の5.9%、 同時間帯トップを走るテレビ朝日 『羽鳥慎一モーニングショー』 (8:00〜9:55)の7.8%も上回った。 『スッキリ』1部が 9%台を記録するのは、 9.1%を記録した8月28日以来となる。 その他を含め、 新スタート・リニューアルした 主な帯番組の 初週平均視聴率は、 以下のとおり。 ▽NHK『わろてんか』 20.8%(前週『ひよっこ』23.0%) ▽日テレ『スッキリ』 <1部>6.6%(前週5.7%)、<2部>4.9%(前週4.4%) ▽フジ『とくダネ!』 6.4%(前週6.2%) ▽日テレ『ヒルナンデス!』 5.9%(前週5.8%) ▽テレ朝『トットちゃん!』 5.6%(前週『やすらぎの郷』5.9%) ▽フジ『FNNみんなのニュース』 4.8%(前週4.7%) ▽フジ『THE NEWS α』 3.3%(前週『ユアタイム』3.4%) 視聴率の数字は、ビデオリサーチ調べ・関東地区。
水卜アナ、大活躍だ。 水卜アナが人気なことは 良いことだ。 それぞれの人が それぞれ 好きなタレントなり 好きな女優さんなり 好きなアナウンサーが いて良いわけだが 水卜アナが人気なことは とても良いことだ。 かつて マツコが 「女子アナ」 について厳しくも鋭い 論評をして いわゆる 「ぶりっ子」タイプの女子アナを 手厳しくこき下ろしていたことがある。 確かに テレビ局も 「女子アナ」に 大衆迎合的な路線を 強く求めすぎていたように思う。 民間放送のテレビ局が 大衆迎合的な方向性を持つこと自体は 責められないし 悪いことではないが そういったものは そのこと自体は悪くなくても 不用意に度合いが過ぎれば 色々な誤解や 意味の取り違えなどが起きてくる という意味で 節度は必要だ。 マツコが あの頃怒っていたのは まさにその節度の問題だと思う。 一般受けする容姿が求められるのは 当然だが 報道に関わる以上は 正確な理解力とか 臨機応変な判断力とか 共に高い知的能力を 持っていることが必要だ。 水卜アナは 確かに可愛いから 可愛い親しみのあるキャラクターに 注意が行きがちだが もちろんそれはそれで正しいが 水卜アナを このところ見ていて思う 水卜アナの魅力は 知的能力に支えられた安心感だ。 そしてその安心感は 可愛い容姿とは 少し不釣り合いなくらいの 冷静さからきていると思っている。 一所懸命周りに合わせようと しながらも 物事の本筋からブレない 冷静さがあって それが何か確かな安心感を与える。 どんな時でも 状況を客観的にみる 眼差しを持ってる。 そしてそれがまた 冷たさを全く感じさせないからすごい。 日テレは 水卜アナのような人材の 使い方によっては 少し難しい話を わかりやすく表現したり 人ごとだと思っていたことに 親近感を持たせるような 表現ができるはずだ。 可愛いだけじゃない クリエイティブな 使い方をしてほしい。
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2017年10月08日

友達とつながるために。施設で育った女子高校生が、どうしても欲しかったもの

BuzzFeed NEWS より 

友達とつながるために。施設で育った女子高校生が、どうしても欲しかったもの

初めて 自分のスマートフォンを 手にしたときに感じたのは、 嬉しさよりも心配だった。 「料金を払っていけるのだろうか」 エリさん (仮名、21歳)は、 児童養護施設で育った。 さまざまな事情で 保護者と暮らせない子どもたちが 生活する場所だ。 その施設のルールでは、 中学生まではスマホ禁止。 高校生は、 アルバイトをして 自分で利用料を払うことを条件に、 持つことが認められていた。 他の児童養護施設に比べると、 門限もルールもゆるいほうだったという。 パソコンは 共用のものが1日1時間、 共用リビングの片隅でのみ、 使うことが許されていた。 学校の宿題の調べものを急いで終えて、 YouTubeを観たり、 好きなアーティストの曲を聴いたり。 厳しめのフィルタがかけられていて、 ゲームをすることはできなかった。

「0円」のスマホ

中学で不登校だったエリさんは、 定時制の高校に通っていた。 友達とのやりとりは、 LINEやTwitterがほとんどだ。 「LINEでは 細かいグループができて 頻繁にやりとりしていたので、 電話をしてまで他の子を遊びに誘うことはありません。 友達の輪に入るためには、 どうしてもスマホが必要でした」 仮に友達が電話をくれるとしても、 ガラケーも持っていなかったエリさんは、 施設の共用電話を 職員につないでもらうしか、 受ける方法はなかったのだ。 アルバイトの めどが立った高校2年のとき、 施設長に相談し、 携帯電話ショップを訪れた。 「0円」と書かれた端末の中には かわいいピンクやゴールドはなかったけど、 カバーが無料でつくというものに決めた。 黒くて、ゴツめなAndroidだった。 ショップのカウンターで身分証明書を求められ、 医療機関の「受診券」を提示したら、 販売スタッフはけげんな表情をした。 児童養護施設や 里親のところにいる子どもたちの医療費の 自己負担が免除される 「受診券」は、通常の「保険証」とは違うため、 スタッフは見たことがなかったのだ。 同行していた施設長に説明してもらって契約できた。 ようやく手にしたスマホ。 エリさんは、 2人部屋の相方である小学生が消灯した後、 カーテンで仕切った隣のスペースで 机のスタンドだけをつけ、 手のひらの中の世界を楽しんだ。 施設にはWi-Fiがなく、 パケット代を気にしながらだったけれど。

常に「下」に合わせる

内閣府の青少年のインターネット利用環境実態調査によると、 高校生のスマホ利用率は94.8%(2016年度)。 このうち92.3%が、 LINEなどコミュニケションツール として利用していた。 もはや高校生の交友関係において、 スマホはなくてはならないツールだが、 児童養護施設では前述のように、 スマホを持つことは簡単ではない。 パソコンの利用や インターネットへのアクセスも 制限されている。 なぜなのか。 児童養護施設の子どもたちの自立を サポートする NPO法人 ライツオン・チルドレン理事長の 立神由美子さんによると、 2つの理由があるという。 1つ目は、 インターネット上の トラブルに巻き込まれることを防ぐため。 施設の職員は 子どもを守るだけでなく、 監督する責任もある。 子どもにリスクマネジメントを教えるのではなく、 リスクそのものに触れさせないようにしがちだ。 出会い系サイトや オンラインショッピングに アクセスできないようにするため、 共用パソコンにはフィルタをかけ、 職員の目の届く場所で 制限時間内に使うという ルールを設けている施設が少なくない。 2つ目は、 施設内格差を作らないため。 家庭の事情によって、 まったく親と会えない子もいれば、 週末に自宅に帰れる子、 親にほしいものを買ってもらえる子がいる。 こうした事情や 所持品の差は 子ども同士のトラブルにつながりかねないため、 施設では親からのプレゼントを 職員が預かることもあるという。 スマホや端末の場合も同様だ。 「多くの施設では、 平等にするために、 常に”下”の水準に合わせようとします。 それでは子どもたちの暮らしは向上しない。 体験格差を埋める努力をしてほしいです」(立神さん)

指1本でキーボードを打つ

児童養護施設で暮らす子どもにとって、 情報収集能力を身につけることは 死活問題でもある。 施設にいられるのは18歳になった3月までで、 その後は 自活していかなければならないからだ。 「施設を出るときは、 それまで使っていた 家具・布団などの施設の備品は、 持ち出すことはできません。 新しい生活、 新しい仕事、 新しい人間関係を始めるとき、 子どもたちは孤独で、 大きなストレスと戦っています」 エリさんの場合は、 18歳から20歳までは 自立援助ホームで暮らし、 アルバイトをしながら 専門学校に通って資格を取った。 「私は昔、 ワープロを触った経験があったので、 パソコンで文字を入力することはできました。 施設出身の友人には、 指1本でキーボードを打っている子もいて、 アルバイトを探すのにも苦労していました」 2017年2月、 NHKの特集「見えない貧困」は、 ファッションや所持品などの「物」だけでなく、 「人とのつながり」 「教育・経験」など 外から見えにくい”剥奪”が、 子どもの自己肯定感を失わせている、 と指摘した。 スマホを持っているから困っていない、 と一概に言えるものではない。 テレビや新聞を通じた情報は 施設にいても入ってくるが、 「インターネットができないことは ”経験値の差”につながります」 と立神さん。 情報を一方的に受け取ることはできても、 「情報を自分で取りにいく」 「情報を自分から発信する」 経験ができないからだ。 インターネットに対する”免疫”をつける機会もない。 「まったくITリテラシーがないまま社会に出て、 架空請求がきたのに誰にも 相談できずに払ってしまった、 といったケースもあります。 施設にいて大人に相談できるうちに 転んでおいたほうが、まだいいんです」

情報格差をなくしたい

ライツオン・チルドレンでは2014年から、 「e2プロジェクト」 として、 児童養護施設を退所する子どもたちの自立支援のため、 パソコン講習会を開いている。 企業や学校で使わなくなった パソコン、タブレット、携帯電話などの寄贈を受け、 売却する。 その代金で、 再資源化された 中古パソコン(リフレッシュPC)を購入し、 児童養護施設の子どもたちに贈る。 その際、テキストを渡し、 2日間の パソコン講習会を必ず実施する。 「施設に パソコンが寄付されることもありますが、 使い方や接続の仕方がわからず結局、 箱が開けられないままだという話も聞きました。 講習は、 パソコンを使えるようにする目的と同時に、 異なる施設で暮らす子と出会ったり、 講師から仕事の実体験を聞いたりする場でもあります」 講師は、 協力企業の社員がボランティアで務める。 1回につき4、5人の少人数で、 パソコンスキルをマンツーマンで教える。 性的虐待を受けた経験から 男性に近づくことに 抵抗がある子どものために、 講師も参加者も 女性のみという回もある。 講習の1日目は、 ITリテラシーと基本スキルを学ぶ。 FREE Wi-Fiや ネットショッピングを利用するときの注意、 メールの書き方、 ワードの使い方など。 2日目は、 エクセルとパワーポイントに挑戦し、 最後に自力で作った資料で 「私の夢」をプレゼンテーションする。 「早く結婚したい」 「動物を飼ってみたい」など、 将来の夢を語る子どもたち。

生きるモチベーションになる

エリさんもこの講習会を受講し、 エクセルとワードが使えるようになった。 いま働いているメーカーでは必須のスキルだ。 「ここで学べておいてよかった」と話す。 2017年3月、 講習会に参加した子どもは 累計200人を超えた。 児童養護施設からのニーズは高まっている。 そのため、 企業から寄贈してもらう 不要パソコンの数が 足りていない状況だ。 「親の事情によって 施設で暮らしているだけで、 子どもたちは何も悪くありません。 トラブルを避けようと 情報から遠ざけることは、 生活の格差を広げることになりかねません」 「ネットを通じて さまざまな世界に触れ、 視野を広げることは、 子どもたちの生きるモチベーションにつながり、 将来を自ら選び取る動機にもなります。 すべての子どもが、 正しい知識を持って、 情報にアクセスできるようになってほしいと思います」 立神さんはそう言い、 支援を呼びかけている。 「e2プロジェクト」への支援に関する情報は こちら。
もうテレビよりも新聞よりも インターネットに繋がる 情報端末が必要な時代だ。 生活して行くのに必要なものは なんとかしなくてはならない。 また こういう話は 感情論で語られるべきではない。 誤った出発点から 正しいゴールへ向かうことは あまりない。 じゃあ、実際に何を どうすればよいかという話は 様々な意見があるだろう。 しかし はじめに 設定しなければならないのは 結果として どういう状態を目指すのか ということだ。 何事においても ゴールの設定は最初に必要だ。 この場合 「自己肯定感」 がキーワードだ。 贅沢とか我慢とか また スキルとか リテラシーとか そういう言葉より先に 自己肯定感が 保たれるか、 失われることはないか ということから 何をどうすればよいかを 考えるべきだ。 社会に適応するためには 知識も道具も必要だ。 パソコンにせよ スマホにせよ 遊びの道具としても機能するが それを持って 生きて行くのに必要ではない 贅沢品であるかのように 考えられたら 彼らの損失は計り知れない。 もう生活に絶対必要なものだ。
posted by sachi at 20:12| Comment(0) | TrackBack(0) | エンタメ
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