アフィリエイト広告を利用しています

2014年12月30日

ネパールの旅8

292105_111128185443_std.jpg
カトマンズに戻ってきた。今回は、バスターミナルの客引きと値段交渉して「student guest house」に泊まる事にした。自分は学生ではないが、面白いネーミングだったので泊まる事にした。タメルのど真中にあり、ゲストハウスとは思えないほど綺麗で部屋の中もシングルベッドに机とトイレ・シャワー付で新しいゲストハウスに見える。隣の建物には日本の本や雑誌をレンタル出来る所があり、ラインナップも凄い数で、早速借りて見る事にした。宿に戻る際に、上海で一緒だった日本人に会いポカラの話をしたりして、トレッキングの話にもなった。エベレストを見るにはナガルコットに行って見るのがいいらしく誘われたので、近いうちに行こうと決めた。久しぶりの日本語の会話が楽しく夜がふけるまで話してしまった。適当に夜ご飯を食べて宿に帰る途中に、いつでもそうなのだがドラッグの売人が話掛けてきた。なんと小さな子供が売っていて、話を聞いていると外人相手に薬物を売って家族の生計を立てているそうだ。今日は何にも売れていないみたいで少しでも売れるまでは帰らないみたいなので、可哀想なので10ルピーをあげた。子供は非常に喜んで、何か包みを渡して帰って行った。しかし、夜のカトマンズは冷える。宿に帰ってホットシャワーを浴びて、帰りに買ってきたミネラルウォーターを飲み、子供からもらった小さい包みを見てみた。なんと、マリファナっぽい物が入っていたのにビックリしたが、上海で出会った彼が一日中マリファナを吸っている話を聞いたので、次回に会ったときに渡そうと机の上におき、借りてきた本を読む事にした。本の内容がアメリカとの戦争で日本がカリフォルニアまで支配して行くストーリーで中々面白く、活字を読むのも久しぶりだったので、疲れて寝るどころか本に集中してしまい寝たのは朝方5時になってしまった。


2014年12月26日

ネパールの旅7

img_8459.jpg
ポカラ2日目の朝、外に出て見るとエベレストの山々が綺麗に見えていた。圧巻の景色に満足。しばらくエベレストを見ていた。朝食はホテル側が出してくれて寒いながらもベランダでエベレストを見ながら食べる事にした。しかし、1人と言うのは、寂しくて、話相手がいないと退屈になるものだ。朝食を食べ終えて湖を散歩する事にして出掛けた。天気が良い以外は何も変わらない景色であり、自分にとってはポカラは、たった2日で飽きてしまった。先を急ぐ旅でもないが、あと1日居て、カトマンズに戻ろうと決心した。いたずらに時間だけが過ぎて行くのも嫌だったし、何より寂しかった。きっと、ダムサイドに移れば日本人バックパッカーに会えるだろうが、ダムサイドに移るのも面倒だったのでレイクサイドで残りの日を過ごす事にした。ホテルに戻ればオーナーが話相手になってくれるが、あまりにもゆっくりした時間を過ごすのは自分に合っていなかったので、明日を最終日にしてチェックアウトする事をオーナーにも話して、カトマンズ行のバスのチケットを購入した。湖を見て、カフェで昼食・夕食を取るのが日課となり、2日目・3日目も同じく過ごした。ポカラでは、あんまり良い思い出を作れなかった事に少々残念だったが、4日目の朝にチェックアウトをしてカトマンズ行のバスに乗込み、ポカラをあとにした。


2014年12月25日

ネパールの旅6

SnapCrab_No-0000.jpg
カフェでサンドイッチを食べた後に湖畔を散歩する事にした。あいにく天気は曇りでエベレストは見えないが空気が澄んでいて気持ちが良く湖も綺麗だ。湖畔に人だかりが出来ているので何があったのか見に行ってみたら、何やら深刻な雰囲気が漂っていた。1人倒れていて、その付近にいたネパール人が何があったのか教えてくれた。湖の中に電線に感電したみたいで即死したとの事。外人は見ない方がいいと言われ、その場をあとにしてメインストリートへ戻り、土産屋を見てホテルへと戻った。なんとも、ポカラ初日で死人が出るとは考えもつかなかった出来事だった。ホテルでは、宿泊客が少ないみたいでオーナーとベランダで話して過ごした。ポカラの食事が美味しい所を聞いたが、オーナーは外食はしないので良く分からないみたいなので、夜ご飯も同じレストランで1人寂しく食べる事になってしまった。レストランではアメリカ映画を上映してしていたが面白くないので食後はホテルに戻り寝る事にした。


2014年12月24日

ネパールの旅5

SnapCrab_No-0000.jpg
カトマンズからポカラに向かうバスは古くて、中国で使われたお払い箱のバスのようにも見えた。ネパールは山岳地帯が多いので運転手の技量に任せるしかないが、峠を走行している時は身体に寒気が走る。その反面、景色は最高に良い。天気が良いとヒマラヤ山脈が見えるのが圧巻だ。一体、どのくらい掛かるのか不安でもあったが、比較的治安の良いネパールだったので、くつろぎながらバスの旅を楽しんだ。朝一に出発して、夕方前にポカラに到着したが、ここでも安宿の客引きがバスターミナルに押し寄せていた。バスから降り、ダムサイドとレイクサイドのどちらかに分かれるのだが、事前の情報だと日本人沈没者がダムサイドに多いとの事だったので、沈没しないようにレイクサイドをチョイスした。レイクサイドの客引きが15人ほどいたが、とりあえず適当な客引きについて行く事にした。ここは、あくまでも第六感(適当)で決めたようなもんだった。汚くて高ければ、また客引きに捕まればいい。と言う考えだった。歩く事、10分で宿に着いた。なんか、お城みたいな造りで新築と言う感じだった。オーナーが出てきて値段交渉と思いきや、1泊2ドルでどうか?と聞いてきた。とりあえず部屋を見せてもらったら、ツインベッドで広くて綺麗なホテルであった。ホットシャワーも出て、この値段なら文句なし。二言返事でチェックインを済ませて、大通りに出て昼食を取る事にした。レイクサイドと言う事だけあって、湖が目の前にあった。大通りは、ほとんどが欧米人向けのカフェばかりで適当に入って、サンドイッチを注文。カフェの中にいる旅行者は自分以外、欧米人だった。サンドイッチも中々美味しかったが、これだけ日本人がいない所を見るとダムサイドへ行けば良かったかなと後悔もした。
アジアオプショナルツアー最低価格で検索


2014年12月22日

ネパールの旅4

500_28582229.jpg
カトマンズではタメルを中心に歩いていたが、ちょっと歩くとダルバール広場へと着く。道は狭くて、レンガで簡素に造られた建物が連なっている。情緒はあるのだが、車が通る際には脇を歩かないといけないほど道幅が狭い。更に歩いて行くとモンキーテンプルと言うカトマンズを一望出来る丘へと登る事が出来る。最初、カトマンズに着いた時には快晴だったが、日が経つ事に雲に覆われてヒマラヤが見えなくなっていった。ネパールのカレーにも飽きた所で昼間は日本食屋に行くようになり、味も中々旨くて、長い間に日本を離れているので日本食がやたら恋しくなる時でもあったので、カトマンズの日本食は何軒かあったが、どれも自分には合った味であった。カトマンズで、ゆっくり過ごしていても仲の良い友達がいる訳でもないので、ネパールの避暑地のポカラを目指す事にした。バスのチケットを買って、ポカラで3泊過ごす事にした。バスターミナルは、ちょっとタメルから歩く事になったが、嫌な遠さではなかったので街の喧騒の中、歩いてバスターミナルに到着。避暑地に行って違う街を見る好奇心もあったので心は浮かれていた。一人になってから寂しくなり、一つの街に滞在する時間が少なくなっている事に気づいていたが、妙に日本に帰って就職しないといけないな。と言う罪悪感も考え始めていた。


2014年12月19日

ネパールの旅3

images.jpg
宿に戻るとオーナーが夜ご飯を作って待っていてくれた。どうやら宿泊客が少ないので、ご飯を出してくれるみたいだが、昼食に食べた、カレーとモモ(餃子)が出てきた。ネパールの人は毎日同じ食事が日課のようで出してくれるのは嬉しいが1回で飽きがくる。カレーの味も薄くて水っぽいし、餃子も水餃子なのだが皮が厚い。嬉しい事にビールや酒を出してくれて、自分のネパール旅行の初日を歓迎してくれた。ミャンマーでは頻繁に停電があったのだが、今日一日を過ごしてみた感じでは停電はなさそうだ。いい気分で酔っ払ってきて食事も食べ終わったら、オーナーが見せたい物があると街に出る事になった。歩いて3分程の近さだったが、着いた先は酒場であり、檀上では女性の踊り子が踊っていて店はネオンで薄暗くなっていた。音楽のボリュームも大きく話をする事は困難だったが、まるでゲームの「ドラゴンクエスト」の酒場に見えた。席に着いてオーナーが酒を注文して飲みながら踊り子のダンスを見ていた。民族衣装に包まれて踊っている光景は、どこか懐かしい感じにもとらえられた。酒の瓶を見るとエベレストの絵が描いてあるのだが、ストレートで飲むので、やたら濃くて喉から火を噴きそうだ。瓶の裏を見るとアルコールの度数が50%と書いてあった。かなり酔っ払ってきて何時間、この場所にいるか思い出せないほどフラフラになってきて気が付いたら自分のベッドで寝ていた。朝になり、かなり二日酔いであったが、やたらと冷え込んでいた。カトマンズは高地にあるせいか寒い。これからの2週間、冬着で過ごす事になった。


2014年12月17日

ネパールの旅2

a10f20.jpg
安宿の屋上からのチャイは格別に美味しかった。宿の若いオーナーと話した後に街に出てみる事にした。灼熱のミャンマーから一転、寒いネパールの気温差に体がついてこなかったが、このタメル地区はかなりゴミゴミしており英語表記の看板が沢山見受けられる。10m歩くごとにネパール人から話掛けられるが無視して街の散策を楽しんだ。まだ昼間なので裏路地も怖くなく歩ける。あまり遠くに行くと迷子になりそうだったので、迷子にならない程度に歩いてみた。この土地柄、エベレストのトレッキングが外国人に受けているのか防寒着やシュラフを売っている店を多く見かける。日本食も所々にあり看板が出ている。ふと裏路地に入ってみたら、日本人らしき男性が座っていてネパール人と話していた。どこかで見た顔だなと思って、その場を通り過ぎようとした時に、「あれ?カズ?」と話し掛けられた。自分も振り返って見ると、なんと大阪港から出航して上海で共に過ごした仲間だった。上海ではクラブに行って、女の子にボッタくられた彼であった。懐かしい話をしていると、彼は結局、中国のチベットに入り、そこから陸路でカトマンズに来たのだが、この土地が住みやすくて沈没しているとの事。カトマンズは沈没者が多いので、その一人となっている訳だが、1泊80円で宿の従業員と同じ部屋で過ごしているらしく、毎日路地に座ってはネパール人と話してるだけみたいだった。自分は、中国からミャンマーまでの道のりを話したが、彼が言うには凄い行動力だね!と言っていた。色んな国が見たいので自然の流れなのだが、彼にとっては、まだ2ヶ国目なのである。これだけ長いしているとネパール語も日常程度覚えたらしく、彼がたくましくも見えた。泊まっている宿を教えて自分は散歩を続けたが、彼と話している時間が長かったのか、すでに夕方になって来たので、自分の宿へ戻る事にした。


2014年12月16日

ネパールの旅1

thamel.jpg
ネパールの空港が近づいてきた。眼下にはカトマンズの街が見えて、横にはエベレストが曇っているけど見える。世界最高峰のエベレストは富士山の形状とは違って横に延々と伸びていて壁のようだ。エベレストを見ていると、着陸して飛行機はエアポートに着いた。見渡す限り飛行機の数は少なくて、ここも国際空港なのか。と疑問に思うほどであった。飛行機が停止して入国審査まで来た。入国審査を受ける前に15日か30日の観光ビザの取得が決められるので、とりあえず15日のビザを申請して15ドル支払った。1日1ドルの勘定になる。この入国審査で一番最後になったせいか、飛行機に乗っていた人達がいなくなっていて、空港を1人で出た。外は寒くて半袖1枚だと風邪を引いてしまいそうなので上着を取り出して着た。空港の出口を曲がって外のゲートに差し掛かると地元のネパール人がプラカードを持って騒いでいるが人数が50人ほどいてビックリ。警官が、敷いてある線から空港に入らないように、しりきに怒鳴っている。この人達は宿のキャッチで、自分1人しかいないのに、どの宿を選んでいいか分からず、この線を越えたら身ぐるみ剥がされそうなほど怖かった。1番端の兄ちゃんが「危ないから、こちらへどうぞ!」と声を掛けてきた。その兄ちゃんもキャッチなのだが面倒なので兄ちゃんに付いていくと周りの50人は最後の自分を捕まえられなかったので、バラバラに散り始めた。車に乗り込むと「ネパールへようこそ!私はアンナプルナ・ゲストハウスのオーナーです。」と日本語で話しかけてきた。日本語・英語が堪能で外人相手の商売なので自然に覚えたらしい。空港から街までは近くてタメル地区に着いた。古い町並みで、やたらとゲストハウスの文字が見かけられる。タメル地区は、かなり道が細くてレンガ造りの建物が多く見受けられる。火災や地震など起きたら危なそうな感じに受止められる。兄ちゃんに1泊の値段を聞いてなかったので聞いてみたが、部屋を見て決めて欲しいとの事だった。なんとも、自分で値段を決めていいなんて面白い発想だなと思い、宿に到着した。部屋を見せてもらったが、至って普通で良くもなく悪くもない。ネパールは物価が安そうなので、2ドルでどうだ?と話してみたら、それでOKだと言った。あまり客がいないのか閑散としていたが、食事を出してくれるので食堂に来てくれと言われ、カレーと餃子を出してくれた。さすが、中国とインドの間にある国だけあった2つの国の文化が混ざりあっているなと感じた。味は、あまり美味しいとは言えないが無料で出してくれているので、一応美味しいと言って食べた。食べ終わると日本語をもっと教えて欲しいから屋上で、チャイを飲みながら話をしようとなり、屋上に上がった。屋上からの眺めは最高でカトマンズが見渡せてエベレストも見る事が出来る。宿のオーナーとネパールの事を日本語で話をしたりしてコーヒータイムを過ごした。


2014年12月15日

バングラデシュでの1泊トランジット!

SnapCrab_No-0000.jpg
ヤンゴンから飛行機でバングラデシュの空港に着いた。ダッカで1泊して、明日カトマンズへと再度飛び立つ。とりあえず、荷物が出てくるレーンで待っていると、バックパックが引裂かれてレーンの上を回っているのが何個かあった。衣類などが散乱していて初めて見る光景だったが、自分のがきちんと出てくるのか心配で仕方なかった。被害を受けた欧米人の女性が泣きながらバックパックを取り、散乱した衣類を集めていた。飛行機から荷物を出してレーンに乗せる際に現地のバングラデシュ人が物取りをして切り裂いたのだろうがダッカに着いて、いきなりのショックだった。結局、4人のバックパッカーが犠牲になり、3人の女性・1人の男性のバックパックがレーンを酷い姿で流れていた。もう使い物にならなくなっているので、どうやって、この場を凌ぐのか不思議だったが自分のバックパックは何にもされずに出てきたのでバックパックを取り出口へと向かった。空港を出る時に、鉄の柵で空港に一般人を入れないようにされていて、鉄の柵の外には凄い人達が空港の出入り口を見ていた。まるで暴動が起きているかのようだったが、案内されたバスに乗込み出発を待っていると、バックパックを引裂かれた4人も同じバスに乗ってきた。1人の女性は泣き崩れてしまいバスの中で顔を上げる事はなかった。確かにバングラデシュの最初が、こんな事件で始まるとは誰も予想してなかったのでショックを受けるのは当たり前だが、そんな重い空気の中、バスは出発した。エアコンの付いてないバスで、熱風が中に入ってきて汗だくになる。バス内ではダッカでの行動について話が現地担当者が話し出した。あくまでもトランジットなので、ダッカ市内に行ってもいいのだが、外泊は出来ない事。明日の早朝に出発するので、その時に居なかったら待たずにバスは空港へ行ってしまうと2点説明があった。夜飯はホテルで出るので、特にダッカへ行こうとは思わないが、どんな町か見てみたかったので、ちょっと出掛けてみようと思っていた。ホテルの到着すると、すぐに部屋を割当られた。自分の部屋は3人部屋で日本人2人と欧米人1人になった。バックパックを置いて、外でタクシーを拾いダッカ市内へと入って行った。町中は人・人・人でリキシャーと歩行者と車両で大渋滞。とりあえず適当な所で降りて、現地通貨を持っていなかったのでアメリカドルで前もって話していたので支払った。2時間ほど適当に歩いてみたが面白くもないので帰る事にして、ホテルの住所をタクシーに伝えて帰った。ダッカのインフラの悪さにビックリしたが、アジアの中でも最低ランクの貧困国であるので仕方ないのかな?と感じながらホテルに着いた。ホテルの中はエアコンが効いていて飲み物はフリー。ホテルのランクは中級くらいだが、ホットシャワーが出るので自分にしてみれば一流ホテルだった。夜飯もビュッフェスタイルで好きなだけ食べれたし、味も悪くなかった。部屋のエアコンは調子が悪いのか効いたり効かなかったりして温度調整が手動になってしまっていて、面倒なので一番冷える温度にしておいた。部屋の日本人と話をしたりして夜は過ごしていたが白人が先に寝てしまい、迷惑も掛けれないので寝る事にした。夜中にエアコンの効きが良くなり、部屋の中は冷凍庫状態に感じて布団に包まって寝た。リモコンは白人の所にあるのだが、全く動じずに寝ていたので寒くないのかな?と思ったが、そのまま寝てしまった。朝になると一番早く起きたのが、友達になった日本人だった。昨夜、寒すぎて寝れなくなり、朝まで起きていたそうだ。白人も起きてきて寒くなかったか聞いたら、分からなかった。と言っていた。結局、日本人の彼は朝食を食べた後にバスの中で寝てしまった。ホテルをチェックアウトする前に全員揃っているか確認されたのだが、バックパックを引裂かれた人達は、どこで買ったのか分からないが糸でバックを繋いで直していた。全員、盗まれた物はなかったと聞いて安心した。泣いていた女性も何事もなかったかのようにバスに乗っていた。たった1泊のダッカの旅であったが中々濃い1日を過ごした感じがした。飛行機はネパールのカトマンズへと向かった。


2014年12月12日

ミャンマーの旅28〜SAYONARA〜

whitehouse-hotel-09.jpg
ミャンマーを出国する朝がきた。朝はホワイトハウスの宿が出してくれるので、ゆっくりと朝食を食べた。昼の便なので急がずゆっくりとチェックアウトする事が出来て、宿の前から空港行きのバスが出ているので大変便利だった。お世話になった人に挨拶をしたり、いつも清掃してくれるミャンマー人の人達にもを別れを告げたりしてバスの到着を待っていた。ホワイトハウスのロビーにはバックパックが数個並んでおり、「おや?」と思ったら、欧米人がチェックアウトして空港へ行く用意をしていた。ここの宿から空港へ行く人が多いから、宿の前から出発するバスがあるというのは、なるほどね。と思った。自分もチェックアウトを済ませて、自分のバックパックをロビーに並べバスを待つ事にした。バスは定刻通りに来て、一路空港を目指した。空港に向かう途中、昨日通った道を通ったのだが、やはり物々しい感じで軍人が所々にいる。やはり、アウンサンスーチーが自宅監禁されている所が近いんだなと感じてバスは空港に向かった。空港は国際空港言えども小さくて、日本の地方空港並みの大きさで、特に見る所もないので出国手続きをしてゲートへと向かった。乗るのはビーマンバングラデシュ航空。人生で今回くらいしか乗らないような航空会社だが、その機体に乗るのは、ほとんどが欧米人ばかりであり、あとは日本人バックパッカー数名とバングラデシュ人らしき人達。ぼーっと外を眺めながら時間は過ぎていったが、目の前にビーマンバングラデシュのマークが入った飛行機が見えてきた。最初は小さい飛行機かと思ったら、中型機で搭乗が始まった。飛行機の中へ入ると、先に客が乗っていた。恐らくバンコクあたりから飛んできて、ヤンゴンに途中降りて、ダッカに向かう飛行機だと感じ自分の席に着いた。30分もしないうちに飛行機は出発してダッカへと向かった。飛行機の中は比較的空いていて、隣に誰もいなかったので横に足を乗せて、しばし飛行機の旅を楽しむ事にした。短い距離の移動なのに機内食が出たのにはビックリした。結構まともなサービスを受けられるのかと感心。飛行機はアッと言う間に飛んでしまったが、ミャンマーよ!いつ来れるか分からないけど人の優しさに感動した国だった。ありがとう!また来れる事を祈っている。いい思い出だった、この先のネパール・インドでも良い思い出を作りたい。SAYONARA!ミャンマー!


ファン
検索
<< 2014年12月 >>
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
最新記事
最新コメント
ミャンマーの旅6 by mari (11/22)
タグクラウド
カテゴリアーカイブ
旅行 (1)
プロフィール
メディアネットトラベルさんの画像
メディアネットトラベル
15年前のアジア放浪記をまとめております。 世界は広いです。一歩踏み出せば、そこは日本では通じない モラルが待っています。
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: