今、正直落ち込んでいるというか、切なくなっています。
今日は、家庭教師のお兄さんが来る日でした。いつも通り明るく勉強していました。
その後、お風呂にはいりなさいとせかしてお風呂をいれました。
上がってきて、いの一番、身体も拭かず、涙目で私に
「なあ、ママ、なんで〇っちゃんにはパパがおらへんの・・・ 」
とボロボロと泣きだしました。こんな事初めてです。
正直戸惑いました。今までは、パパなんていらん!ママさえおればいい!って明るく、あっけらかんと言っていましたから。 これが本性なんだと、情けないことに今日気が付きました 。
私「ごめんな。ママが悪いねん。パパと喧嘩して別れてしまったから・・・」
娘「ママは悪くない!」
辛いだろうに、まだフォローしてくれます。
身体を拭いてあげながら、
私「どうしてそんなに悲しくなったの?」
って聞きました。
娘「みんなにはお父さんがいて、兄弟もいて・・・でも〇っちゃんにはおらへんもん。最近ママ、スマホばっかり見てるし、話を聞いてくれへんもん!」
私「ごめんな。ママが悪かったな・・・。ママが悪いし〇ちゃんに悲しい思いをさせてごめんな。ママは〇っちゃんから絶対離れへんし、絶対守ってあげるから・・・」
そして、思いっきり抱きしめました。娘も思いっきり抱きしめてきました。
最近、疲れているのと、自分の楽しみがほしいと甘えてしまい、子供の話したいことを満足に聞いてやれなかったのだなと、非常に反省しました。
これから、大きくなるにつれ、実の父親のことをどう話そうか迷っています。私にしてみれば史上最悪の男です。でも、娘にとっては実の父親。3歳の時に会ってから音信不通で、顔も覚えていません。
実は、再婚の時、パパが一応いるので血はつながってなくても今よりは寂しくなかったそうです。
娘の父親とは本当に愛し合って結婚したわけではありません 。私の弱さゆえに人のぬくもりを求めてしまった。実は、詐欺師で、わざと妊娠させた確信犯です。もちろん、私も甘かったと思います。伯父と会社を経営していて、実家は200坪ある敷地に100坪の家、プジョーに乗っていました。それだけで好きになったわけではありませんが、プジョーのナンバーが何故か長崎ナンバーだったり、あれ?とおもうことがたくさんありました。結婚前にお金を貸してくれと言われたこともあります。結婚も出産も最初は拒否していました。子供が生まれる前に真剣に考えているのか確かめるため100万用意することを約束に泣く泣く籍を入れ、結婚しました。100万なんてまだしも、会社の経営者だったはずが、給料を全然持って帰ってこない。なのに、シンガポールや中国に出張にいったりして何かわからないけど、クリーンエネルギーに関する会社をしていたようです。といっても、何をしてるか怪しいもの。後で調べると、家の土地や建物も借金の抵当に入っていました。
なんと、昔、巨額の脱税で逮捕された事実も後で知りました。実家の義父母とも折り合いが悪く、非常に不潔な家だったので、本当にまともに私たちを養ってくれるか試して、ダメなら離婚しますといって、一旦近くのマンションに引っ越ししました、それでも一向に変わらず、あろうことか、私が唯一子供が出来たときに渡してあげたいと購入したのも含め、 300万円相当の宝石類も勝手に質屋に出し、知らぬ存ぜぬ。またまたあろうことか、400万近く私の名義で借金を作っていた のです。
離婚を決意しました。新しい職場も住むところも決め、あと2週間、というときに、 夜勤明け、私が帰ると荷物がなくなり、子供が連れ去られていました 。
あれほど辛かったことはありません。すぐに法律事務所に相談に行き、お金もなかったので、弁護士さんと裁判所のアドバイスもと、専門書を読み漁り3日徹夜で子供の引き渡しに対する審判を裁判所に起こしました。現在の法律では連れ去ったもん勝ちなんですよね。私が再度連れ去ると法に触れる。そこで、1週間に1度だけ1泊娘と過ごすことを約束させました。父親の元を離れるときは嫌だと泣き叫び、私が連れて帰ると私と離れるのは嫌だと泣き叫び、当時2歳の娘にとっては大変なストレスを与えていました。
毎日のように裁判所に申請書を送り、家は汚く、喘息の気があるので、子供の健康にさわるとか、結局、義父母がいながら日中未認可保育園に預けられていることを知り、それも裁判所に訴えました。
3か月後、無事私に親権が認められ、引き渡されることになりましたが、借金問題が残っています。それらをすべて終わらせないと審判離婚は成立せず、子供も早く帰ってこられません。だから、しかたなく腹をくくって借金は私がかぶりました。
引き渡しの日、前日から娘はインフルエンザに罹って水分も受け付けず、おしっこも出ず、高熱が続いていました。保険証は私が持っていたので、自腹で診察にいったそうですが、せこいことに、その金も請求するんです。しかたなく、一緒に行ってくれていた弟が支払ってくれました。
別れ際は祖父母は愛想よく、たぶん多趣味な人なので子供の面倒はみれなかったのでしょう。ほっとした様子でした。
それから、インフルエンザのこともあり、環境の変化、離れ離れになった3か月のストレスのためか、私と一緒に寝ようとせず、近づくと拒絶するのです。本当に辛かった。根気強く子供と接し、心身共に元気になてくれ、今に至ります。
本当の父親がどういう人だったかは、本当は墓場まで持っていきたい。でも、大きくなるにつれ疑問や興味も膨らみ真髄に迫ってくるかもしれません。しかし、審判の結審日、元夫は隣で涙を流して泣いていました。父親という愛情は少なからずもあったかもしれません。
だから 、〇つちゃんのことは本当に好きだったんだよと、実父の愚痴などは言わないようにしています。
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タグ: 子の連れ去り
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