今日は、私が看護師を目指した一つの理由、弟の闘病生活についてお話したいと思います。
弟は私より6歳年下です。真ん中が妹で、父が男の子が欲しくって2番目が妹だったので、弟のおむつ交換をのぞいておちんちんを見るまで信用しなかったとかw
母は、妹の前に2回流産したらしいんですよね。妹とは3つ離れています。
私、妹は健康体とは言わないまでも、五体満足だったんですが・・・。
弟は、生後6か月で 腹腔に腫瘤 があることが判明しました。悪いものではなく、胞状奇胎みたいなもので、未分化の臓器が入っていたそうです。それで、大学病院で摘出手術を受けました。横に大きな傷、まだ残っています。
そして、5歳の時、 ペルテス病 になりました。かわいい盛りでした。私は11歳だったので、面倒をよく見ていました。私に付いてきて、側溝にはまって頭をナートしたこともあります。
ペルテス病はご存知でしょうか?若年期変形性骨軟骨炎。大腿骨骨頭の血行障害によってほっておくと壊死を起す病気です。壊死は自然治癒しますが,経過中に骨頭が外側に偏位する結果,放置しておくと内反股を生じ,将来的に変形性股関節症を起すこともあるとされています。男児に多く,5〜10歳ぐらいまでに発症し、跛行しはじめることで発見されることが多いそうですが、弟もそうでした。
しばらくは、近くの市民病院で入院し、牽引を受けていました。結局、2年近くでしょうか、子供病院に単身で入院生活を送っていました。足をつくことができないので、足を?の字に固定する装具を付けて、床をいざって動く生活。外では、扇型の小さい車輪がついた板のようなものに乗り、オールのような2本の棒で漕いで移動をしていました。外泊して帰った時は、私がおんぶをして蝉取りに行ったり、移動の時は私を指名してくるのがかわいかった
自分や妹の代わりに厄を持って行ってくれているんじゃないかって、大事にしなきゃなって思いました。毎週末は家族でお見舞いにいっていました。そこで、たくさんの障害児、病児を見て、医療関係に進みたいなと思ったことを憶えています。看護師は多いですよね。自分や家族が大病したり、ケガして病院で世話になったことがある人。私もその一人です。
ペルテス病は、6歳の時に完治しました。でも、痩ぎみでひょろっとしていて、子供の私から見ても唇が紫色。少し気になっていました。嫌な予感は当たってしまい、今度は8歳の時に 心室中隔欠損症 が発見されました。穴が小さく、昔はエコーとかも古かったので、成長するまで症状が出なかったのかもしれません。
また、入院です。そのころには入院慣れして、心臓カテーテルをしている時、子供だから難しいんでしょうね、なかなかカテーテルが通らなかったらしくて、痛い思いをしたらしく、ドクターに向かって、
「僕はおもちゃじゃない!!」
なんて偉そうなことを言ったらしいです。
OPをした時は私が高校生の時。元気な時は、一緒に遊んだり、勉強している私にジュースをくんでくれたりかわいい弟だったので心配で仕方なかった。でも、無事成功し、今は元気に太ってDMになっていますw
弟の胸には鎖骨の下から縦に大きな傷が今でも残っています。赤ちゃんの時のと2つ大きな傷があります。
私の代わりに辛い思いを背負ってくれたんじゃないかって、よくがんばったなって思います。
心臓のOP時は30年前。弟の血液型はAB型。たまたま親戚にAB型が多かったので、みんなで献血してくれていました。入院生活で精神が鍛えられたのか、元気になった後は、少し大人びた感じでした。
今でも仲良くしています。昔は彼女連れでうちに泊まりにきたり、実家に帰ると飲みにいったりします。だいぶ年下のくせして最近は偉そうに物言いしますw
弟は中学の時に母が逃げましたから、本当にかわいそうでした。だからもあって、おかんが憎い。
一旦は高校を中退して職を転々としていましたが、今は念願の焼き鳥屋を始めて、2店舗目も構えています。
8歳年下の奥さんももらいました。最初は公務員でしたが、念願のCAの採用試験に合格し、格安航空機のほうですが、空を飛び回っています。顔は・・・なんですけど、身長は170cあって、デニムは切らなくていいぐらい足が長いんです。モデル体型です。
もしかしたら、皆さんの中で誰かあったことがあるかもしれませんね。
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