私はおばあちゃんにかわいがられていました。私だけおばあちゃんたちと一緒の部屋で寝ていました。生まれてすぐに母が結核になったのがきっかけですけども。
私がみてもわかるぐらい特に私をおばあちゃんはかわいがっていました。
そして、弟はというと、前にもお話しましたが、病気がちで母親がつきっきり。
子供なりに妹はかわいそうかもと思っていました。
だから、土曜日の部活でお弁当を作る時は妹の分を作ってあげたり、いろいろ面倒を見てあげたつもりです。
でも、 愛情が欠落 していたのかもしれません。私はおばあちゃんから愛情をもらった。妹は・・・。
大人になってからも後を引きずっていました。
「ねーちゃんはいいけどよ!」
喧嘩すると必ずこの言葉を発します。私はねーちゃんみたいに頭もよくないし、かわいがってもらえへんかったし・・・卑屈な性格になってしまいました。
やることも中途半端で、愛嬌だけはよかったので周りにかわいがられるのですが、高校は中退してしまいました。これは、私もひどいと思うんですが、妹は正直成績が悪くて、近くの高校に入れる学力がなかった。なので、他県の全寮制の看護科に入学させたのです。その時の父の言いぐさは、
「遠くやと、頭が悪いのがばれへんやろ?」でした。今でも思い出すと憤りを感じます。
父親は、中卒で学歴コンプレックスがあります。私を近場では有名な進学校に入れたので後はいいやと思ったのかもしれません。呆れます。
入学後、寮を抜け出し遊びだしたので、バレたらから一発退学になりました。
そのころ、私は看護学生で、奨学金をもらって住むところも確保されていましたから、妹から
「退学になった」
と連絡があった時、すぐに私のところに来なさいと言いました。
最初は神妙にしていましたが、コンビニに行くと行って夜中なかなか帰ってこなかったのです。
外に探しに行くと、心配をよそに、公衆電話で友達と楽しくお話していました。
プチっとキレた私は、電話ボックスを思いっきり蹴り、
「何しとるんじゃ!こらあ!!!」
と中から引きずり出しました。
反省の色がなかったので、今後どうしたいかなど、夜通し話をしました。そして私が寝ているうちに失踪。
残しておいたメモには「探さないでください」
もう、呆れたおしました。その後実家に帰っていたようなんですが。
その後19歳の若さで結婚しました。これで安心と思いきや、その後3回離婚したんですね。自己中で、自分は不幸だと聞く耳をもたず、いくら諭しても聞かない。母そっくりです。3回とも、男を作って子供を置いて家をでたことも。
私が6か月の娘を置いて夜勤をすることに猛反対していました。かわいそうだと。よく言えたなあと思います。
それでも、姪っ子が2人いたので、親交は続いていて仲良くしていたのですが、寄生してくるんです。子供のものはうまいこと言って私に買わす。生活費がたりなくって、子供にジュースもかってあげれない・・・。そうやって男にも寄生していました。今は3回目に離婚した相手とまだ関係は続いていて、子供を別のアパートに住まわして、ほとんど男に入り浸り。姪っ子は20歳になるのに、高校の定時制から働いてたまってあるであろうお金を渡さないんです。使い込んでるかもしれませんね。一応私の影響で看護師になりたかったのですが、30歳の時介護の仕事を始めてから介護福祉士をとりました。それだけはほめてやりたいと思います。
その3回目の離婚は相手の浮気が原因。それがきっかけで境界型j人格障害とわかって、かまうほど寄生していくるので、一歩ひいて見守っています。前にも書きましたが、一時は自殺未遂をして大変でした。
すっかり私への態度が変わって、私に甲状腺の腫瘍がみつかったんですけど、その報告をしても、
「だからなに?」
とヤクザみたいないいぐさでした。・・・。
今の状況を見放されたと思って私や弟を憎んでいるのかもしれません。
真ん中が一番手をかけないといけないかもしれませんね。まあ、私自身も手をかけてもらってませんが・・・。
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