重湯とは言っても、最初は中に米粒が数個しか入っていない状態でしたが。
しかし、病後の不安から、数粒でも良〜く噛むんですね。
元気なときは飲む込む位の僅かな量でも一所懸命噛んで消化を助けていました。
日が経つにつれ米粒の量は増えていき、
ようやく「お粥」と呼べる状態になってきました。
食事が重湯からお粥になってきた頃、入浴が許され、久しぶりに入浴するのですが、
傷口から湯が入ってくるのでは? と本当に心配しました。
しかし、湯船に浸かっても大丈夫だったので、ホッとした記憶があります。
その頃から、体力を取り戻す意図もあって、散歩をするようになりました。
最初は、同一フロアでの散歩から、非常階段を使っての
散歩?というより、歩行訓練と言った方が良い位の歩行を始めました。
半月ほどすると1階から11階まで非常階段を歩くまでになりました。
(約半月はやっていたと思います)
この時期は、担当ドクターのところへ行って受診後に階段歩行をしていました。
(続きは次回)
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