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2016年02月07日
『健康オタクの独り言!!』 第3編(10)
入院している間、週に一度は院内の薬局で薬をもらうのですが、
これが受け取りまでに長い時間かかる。
処方された薬を受け取るのに結構な時間がかかるのは、
私が入院していた所でも大差有りませんでした。
そのとき驚いたのは、高齢者が「レジ袋いっぱい」の薬をもらっているのです。
本当に全部飲むのだろうか?と薬局に行く度に疑問に思っていました。
(そういう方々が果たして全部服用したかどうかは分かりません)
術後、家族は当然として、部下や取引先からもちょくちょく見舞い客として訪問頂いてました。
私は元々笑いの沸点が低い方だと思うのですが、
術後はさすがに笑うと術後の痕が痛いので、
笑い話をされた時にはこらえようと必死でした。
(続きは次回)
これが受け取りまでに長い時間かかる。
処方された薬を受け取るのに結構な時間がかかるのは、
私が入院していた所でも大差有りませんでした。
そのとき驚いたのは、高齢者が「レジ袋いっぱい」の薬をもらっているのです。
本当に全部飲むのだろうか?と薬局に行く度に疑問に思っていました。
(そういう方々が果たして全部服用したかどうかは分かりません)
術後、家族は当然として、部下や取引先からもちょくちょく見舞い客として訪問頂いてました。
私は元々笑いの沸点が低い方だと思うのですが、
術後はさすがに笑うと術後の痕が痛いので、
笑い話をされた時にはこらえようと必死でした。
(続きは次回)
2016年02月05日
『健康オタクの独り言!!』 第3編(9)
術後1ケ月を過ぎた頃から、点滴の他に、重湯が出るようになりました。
重湯とは言っても、最初は中に米粒が数個しか入っていない状態でしたが。
しかし、病後の不安から、数粒でも良〜く噛むんですね。
元気なときは飲む込む位の僅かな量でも一所懸命噛んで消化を助けていました。
日が経つにつれ米粒の量は増えていき、
ようやく「お粥」と呼べる状態になってきました。
食事が重湯からお粥になってきた頃、入浴が許され、久しぶりに入浴するのですが、
傷口から湯が入ってくるのでは? と本当に心配しました。
しかし、湯船に浸かっても大丈夫だったので、ホッとした記憶があります。
その頃から、体力を取り戻す意図もあって、散歩をするようになりました。
最初は、同一フロアでの散歩から、非常階段を使っての
散歩?というより、歩行訓練と言った方が良い位の歩行を始めました。
半月ほどすると1階から11階まで非常階段を歩くまでになりました。
(約半月はやっていたと思います)
この時期は、担当ドクターのところへ行って受診後に階段歩行をしていました。
(続きは次回)
重湯とは言っても、最初は中に米粒が数個しか入っていない状態でしたが。
しかし、病後の不安から、数粒でも良〜く噛むんですね。
元気なときは飲む込む位の僅かな量でも一所懸命噛んで消化を助けていました。
日が経つにつれ米粒の量は増えていき、
ようやく「お粥」と呼べる状態になってきました。
食事が重湯からお粥になってきた頃、入浴が許され、久しぶりに入浴するのですが、
傷口から湯が入ってくるのでは? と本当に心配しました。
しかし、湯船に浸かっても大丈夫だったので、ホッとした記憶があります。
その頃から、体力を取り戻す意図もあって、散歩をするようになりました。
最初は、同一フロアでの散歩から、非常階段を使っての
散歩?というより、歩行訓練と言った方が良い位の歩行を始めました。
半月ほどすると1階から11階まで非常階段を歩くまでになりました。
(約半月はやっていたと思います)
この時期は、担当ドクターのところへ行って受診後に階段歩行をしていました。
(続きは次回)
2016年02月03日
『健康オタクの独り言!!』 第3編(8)
朝になると看護助手の女性が来て、体を万遍無く拭いてくれます。
そのときは、チョット恥ずかしかったですね……
そして、手術の数日後から、教授による回診が始まりました。
回診の前には、看護助手が来て手術部位が見える状態にして待つのです。
数分から30分位して教授以下、10数人がベッドの傍に来て、問診が行われます。
たまに教授から「術後の痛みとか、他に痛いところはありませんか?」等々と聞かれ、
「特にありません」と応えると、全員を引き連れて、次に行かれました。
約1ケ月くらいは、このくりかえしでしたね……
(続きは次回)
そのときは、チョット恥ずかしかったですね……
そして、手術の数日後から、教授による回診が始まりました。
回診の前には、看護助手が来て手術部位が見える状態にして待つのです。
数分から30分位して教授以下、10数人がベッドの傍に来て、問診が行われます。
たまに教授から「術後の痛みとか、他に痛いところはありませんか?」等々と聞かれ、
「特にありません」と応えると、全員を引き連れて、次に行かれました。
約1ケ月くらいは、このくりかえしでしたね……
(続きは次回)
2016年02月01日
『健康オタクの独り言!!』 第3編(7)
術後初めての歩行訓練を終えた直後から術部の痛みが強くなってきたのですが、
夜中、それがピークになり、さらに 全身の痙攣が始まりました。
意志とは関係なく、ブルブルと震えるのです。
その時担当医師は不在で、インターンの先生達では原因もわからず、
先生達はどうしたものか? と相談していましたが、
とりあえず痛み止めの注射でも……ということで指とか肩に注射された記憶があります。
やっと落着いて、就寝…… 翌日も同様に歩行訓練があり、夜になると又痙攣が……
インターンの先生達が「ヤバイ!! 脳波検査をした方が……」
というような会話をされているのをそばで聞いてて
「冗談じゃない!!俺はモルモットじゃないぞ!!」と
(表情で)必死に訴えていた記憶があります。
同じような事が3日間続きましたが、4日目からは落着いてきました。
(続きは次回)
夜中、それがピークになり、さらに 全身の痙攣が始まりました。
意志とは関係なく、ブルブルと震えるのです。
その時担当医師は不在で、インターンの先生達では原因もわからず、
先生達はどうしたものか? と相談していましたが、
とりあえず痛み止めの注射でも……ということで指とか肩に注射された記憶があります。
やっと落着いて、就寝…… 翌日も同様に歩行訓練があり、夜になると又痙攣が……
インターンの先生達が「ヤバイ!! 脳波検査をした方が……」
というような会話をされているのをそばで聞いてて
「冗談じゃない!!俺はモルモットじゃないぞ!!」と
(表情で)必死に訴えていた記憶があります。
同じような事が3日間続きましたが、4日目からは落着いてきました。
(続きは次回)
2016年01月29日
『健康オタクの独り言!!』 第3編(6)
一晩寝て、翌日、担当のインターンの先生から、今日は歩行します……、と言われました。
エッ!!手術したばかりなのに? との疑問が湧いたので、詳しい理由を尋ねました。
すると術後は、寝てばかりだと手術して縫ったところと内臓の癒着が始まるので、
それを避けるために歩行訓練をする、と言うことでした。
体を動かすと、痛い、痛い!!
でも動かさないと癒着するということなので、
必死で耐えて歩行器に跨り歩きました。
延べで50mくらい歩いたと思います。
ベッドに戻り横たわるとホッとしました。
しかし、術後なので、手術したところが痛むのです。
そして夜を迎えると……
(続きは次回)
エッ!!手術したばかりなのに? との疑問が湧いたので、詳しい理由を尋ねました。
すると術後は、寝てばかりだと手術して縫ったところと内臓の癒着が始まるので、
それを避けるために歩行訓練をする、と言うことでした。
体を動かすと、痛い、痛い!!
でも動かさないと癒着するということなので、
必死で耐えて歩行器に跨り歩きました。
延べで50mくらい歩いたと思います。
ベッドに戻り横たわるとホッとしました。
しかし、術後なので、手術したところが痛むのです。
そして夜を迎えると……
(続きは次回)
2016年01月27日
『健康オタクの独り言!!』 第3編(5)
手術前に麻酔をかけるに当たって、麻酔医の先生から、色々と聞かれました。
麻酔薬に対する拒否反応の有無を把握するためでしょう。
何も異常がないとわかり、麻酔が打たれました。
段々と意識が朦朧となって、完全に意識が無い状態になりました。
手術が始まり、8時間をかけて終了(後日聞いた話)。
ベットに戻されて、数時間後に目が覚めてきました。
ぼんやりとして、なにがあったのかなぁ〜 とぼんやりとした頭で考えていたら、
耳元で「大丈夫ですか? 手術は無事終了しましたよ」との声が聞こえて、
あぁ 手術をしたんだ……。でも痛くないなぁ〜と思っていましたが、
麻酔が切れてくると、痛み出しました。
でもその時点ではまだ大した痛みではなかった。
(続きは次回)
麻酔薬に対する拒否反応の有無を把握するためでしょう。
何も異常がないとわかり、麻酔が打たれました。
段々と意識が朦朧となって、完全に意識が無い状態になりました。
手術が始まり、8時間をかけて終了(後日聞いた話)。
ベットに戻されて、数時間後に目が覚めてきました。
ぼんやりとして、なにがあったのかなぁ〜 とぼんやりとした頭で考えていたら、
耳元で「大丈夫ですか? 手術は無事終了しましたよ」との声が聞こえて、
あぁ 手術をしたんだ……。でも痛くないなぁ〜と思っていましたが、
麻酔が切れてくると、痛み出しました。
でもその時点ではまだ大した痛みではなかった。
(続きは次回)
2016年01月25日
『健康オタクの独り言!!』 第3編(4)
一週間以上にも及ぶ精密検査が完了した直後、ドクターに呼ばれ、
簡単な説明があり、“胃潰瘍”なので手術して胃をキレイにしましょう……
と言われましたが、なぜか、家族も呼んでください…とのこと。
実はこの時点で女房には事実を話されていたようです。
私が患った病気の本当の病名は『胃がん』でした。
当時、胃がんは今よりも死亡率が高かったのです。
ステージが?Tか?Uかは聞いていませんが、
後日、退院時にドクターから本当の病名を告げられた時の話によると、
初期と言える段階ではなかったようです。
(続きは次回)
簡単な説明があり、“胃潰瘍”なので手術して胃をキレイにしましょう……
と言われましたが、なぜか、家族も呼んでください…とのこと。
実はこの時点で女房には事実を話されていたようです。
私が患った病気の本当の病名は『胃がん』でした。
当時、胃がんは今よりも死亡率が高かったのです。
ステージが?Tか?Uかは聞いていませんが、
後日、退院時にドクターから本当の病名を告げられた時の話によると、
初期と言える段階ではなかったようです。
(続きは次回)
2016年01月21日
『健康オタクの独り言!!』 第3編(3)
定期健康診断の受診結果を見たお医者さんから、即刻精密検査を受けるよう指示され、
大阪大学医学部を紹介されました。
しぶしぶ、重い足取りで大学病院へ。そこでいろんな検査を受けました。
結果、入院してさらに詳しく検査をしないと……と言われて、入院する事に。
仕事の事や家族の事もあるので、少し時間を空けての入院かと思いきや、
有無を言わさず“即”入院でした。
入院直後から更なる精密検査(血液・レントゲン・採尿・脚気の打診・等々)が有り、
判明まで1週間以上かかったと思います。
しかし、その間が一番“楽”でした。仕事からも解放され、ユックリと睡眠でき、
付き合いで過度の飲酒をしてしまう事も無く、
部下達やお取引先から連日お見舞いと見舞い品が届き、
(今から思うと不埒ですが)一番楽しい?時間だと感じていました。
(続きは次回)
大阪大学医学部を紹介されました。
しぶしぶ、重い足取りで大学病院へ。そこでいろんな検査を受けました。
結果、入院してさらに詳しく検査をしないと……と言われて、入院する事に。
仕事の事や家族の事もあるので、少し時間を空けての入院かと思いきや、
有無を言わさず“即”入院でした。
入院直後から更なる精密検査(血液・レントゲン・採尿・脚気の打診・等々)が有り、
判明まで1週間以上かかったと思います。
しかし、その間が一番“楽”でした。仕事からも解放され、ユックリと睡眠でき、
付き合いで過度の飲酒をしてしまう事も無く、
部下達やお取引先から連日お見舞いと見舞い品が届き、
(今から思うと不埒ですが)一番楽しい?時間だと感じていました。
(続きは次回)
2016年01月19日
『健康オタクの独り言!!』 第3編(2)
赴任してからはずっと総務部長として業務にまい進しておりました。
主な仕事は、対外的な仕事が多く、クレーム処理、地域の役職の方々との交流、官公庁及び大きな会社の
要職の方々とのお付き合い、等々……。
連日飲む機会も多く、深夜にいたることもしばしば。 おまけにお酒を飲むピッチが早く、かなりの量を
毎日飲んでいました。(多いときはウイスキーのボトル1本+α)
そして、年に一度の定期健康診断時に、部下に必ず受診するよう指導していたら、看護師さんから「部長も
受診しなければダメですよ!!」と指摘され、仕方なく受診……。
(続きは次回)
主な仕事は、対外的な仕事が多く、クレーム処理、地域の役職の方々との交流、官公庁及び大きな会社の
要職の方々とのお付き合い、等々……。
連日飲む機会も多く、深夜にいたることもしばしば。 おまけにお酒を飲むピッチが早く、かなりの量を
毎日飲んでいました。(多いときはウイスキーのボトル1本+α)
そして、年に一度の定期健康診断時に、部下に必ず受診するよう指導していたら、看護師さんから「部長も
受診しなければダメですよ!!」と指摘され、仕方なく受診……。
(続きは次回)
2016年01月13日
連載再開! 『健康オタクの独り言!!』 第3編(1)
さて、今回からは、原点に戻り、ブログ主が、大病(胃がん)に罹患した経緯と術後、
どのような生活を送ってきたか?
また、健康管理はどのようにしてきたか?について綴っていきます……。
(※位置付けとしては、 『健康オタクの独り言!!』 第1編 の補足あるいは追記です)
☆バブル終焉のころ、転勤で関西勤務になったブログ主。 仕事は総務関係…。
特に地域の方々や官公庁の役職の方々とのお付き合い(特に夜の飲み会)が多かったですね……。
それが、ある日突然……(続きは次回)
どのような生活を送ってきたか?
また、健康管理はどのようにしてきたか?について綴っていきます……。
(※位置付けとしては、 『健康オタクの独り言!!』 第1編 の補足あるいは追記です)
☆バブル終焉のころ、転勤で関西勤務になったブログ主。 仕事は総務関係…。
特に地域の方々や官公庁の役職の方々とのお付き合い(特に夜の飲み会)が多かったですね……。
それが、ある日突然……(続きは次回)