2024年06月18日
高砂神社 たかさごじんじゃ 牛頭天王ともいう 兵庫県高砂市高砂町東宮町
高砂神社たかさごじんじゃ。牛頭天王ともいう。兵庫県高砂市高砂町東宮町。
高砂城跡にある高砂神社が牛頭天王社である。
社伝によれば、神功皇后の西征は、大己貴命の加護によって果たされ、その凱旋の際に、大己貴命の「鹿子の水門(かこのみなと)に留まる」との神託を受け、神功皇后の命により大己貴命が当地に祀られたことにより創建されたという。
天禄年間(970〜973)、国内に疫病が流行し庶民が苦しんでいた時、神託によって素戔嗚命、奇稲田姫命を併せ祭ったところ、疫病が忽ち収まったので、庶民は喜んでお礼参りをしたという。
この神社は、世阿弥作の謡曲「高砂」で有名。
慶長十(1605)年に高砂城が高砂神社付近に築かれ、そのため高砂神社は、北西方500mの地に移されたが、その後、元和(1615)の一国一城令により、高砂城は廃され、寛永二(1625)年に、もとの位置に再移転された。これが現在の高砂神社である。
(製作中)
高砂城跡にある高砂神社が牛頭天王社である。
社伝によれば、神功皇后の西征は、大己貴命の加護によって果たされ、その凱旋の際に、大己貴命の「鹿子の水門(かこのみなと)に留まる」との神託を受け、神功皇后の命により大己貴命が当地に祀られたことにより創建されたという。
天禄年間(970〜973)、国内に疫病が流行し庶民が苦しんでいた時、神託によって素戔嗚命、奇稲田姫命を併せ祭ったところ、疫病が忽ち収まったので、庶民は喜んでお礼参りをしたという。
この神社は、世阿弥作の謡曲「高砂」で有名。
慶長十(1605)年に高砂城が高砂神社付近に築かれ、そのため高砂神社は、北西方500mの地に移されたが、その後、元和(1615)の一国一城令により、高砂城は廃され、寛永二(1625)年に、もとの位置に再移転された。これが現在の高砂神社である。
(製作中)
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