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寛延四(1751)年の島原藩豊州御領における一向宗法談

寛延四(1751)年の島原藩豊州御領における一向宗法談

(「戸田能登守様御初入日記」寛延四辛未条)

一、高田役所ニ足軽弥大夫と申もの参居、町方ニ毎夜出、法談致候由、当春?五六月迄相詰居候、村方へ勤方ニて出候得ハ、其泊り村ニて法談致候、元来、一向宗坊主之還俗致候て、奉公人ニ出候ものとさた有之候、高田大庄屋源助夫婦・庄屋市右衛門・芝崎庄屋庄左衛門を初、町人毎夜、小寄りと申を致、弥大夫相招法談、大庄屋・小庄屋も折々法談致候由、妙寿寺・光西寺?取揃、坊主相談可申候由、第一ノ相楽なりし事と申候、六月比、嶋原へ交替ニて弥大夫戻り、其已後ハ、町人男女をわけ、小寄りを致候儀斗之由、

一、田福村庄屋九郎右衛門・蜷木村庄屋三右衛門・右弥大夫ニすゝめられ、帰依いたし、内々ニて改宗いたし、一向宗法儀相用候由、

(製作中)
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