入院当初は ナースステーション脇の部屋にいた
点滴処置室を少し広くしたような感じで
細長い部屋の中が カーテンで区切られていた
ナースステーション脇なので もちろん窓もない
その場所にいた頃から すでに認知症は進んできていた
とにかく窓がない閉鎖的な薄暗い空間なので
面会に行っても気が滅入るほど
本人にしてみれば " 閉じ込められてる " 感覚だったのかもしれない
「俺は どうしてここにいる?」
「誰に強制的に拉致されてきたんだ?」
「ここにくる前に 誰かを殺めたか盗みをしたのか?」
「知らない奴らがウヨウヨと顔を見に来る」
このような言葉は この部屋にいる時から呟いていたようだ
看護師さんが 少々せん妄らしきものがある、と言っていたので
けれど 家族が来れば にこやかに笑うようにもなっていたし
早く退院したいと そればかり言っていた
脳の状態が落ち着いて 相部屋に移った当初は
夜になると 大声で
「帰るからタクシーを呼んでくれ!」
「こんな怪しいやつらと一緒の部屋は御免被る!
部屋を変えるか 帰宅させろ!」等々
前回書いた様子に加え こんな風なのだから 夜中に弟が呼ばれる訳だ
ある仕事帰りの日 いつものように夕食の介助をしようと立ち寄ると
私の顔を見るなり
「シッ! シッ!」と口にチャックのポーズをする
「何?どうしたの?」と不思議に思ってたずねると
「前のベッドのやつがスパイで ずっと俺を見張っている
何にも言うな!! そして今日は帰れ!
俺と知り合いなのが知れるとマズイ」と本気で言う
やれやれ 火曜サスペンスどころか まるで007の世界だ
どうにか宥めながらも 夕食をゆっくり摂らせた
こんな様子が 1ヶ月ほど続いた後
ある日 母と一緒に面会に行くと
何やらバツの悪そうな顔をしながらも ニコニコ笑っている
「おじいちゃん どうしたの?」と母が聞くと
「いやぁ なんだか悪くってな
俺ばっかり こんないいホテルに泊まって毎日上げ膳据え膳で」
は? 思わず母と大笑い そして更には・・・
「お金は大丈夫なのか? 心配になってきた
〇〇(母の名)も 一緒の部屋に泊まれればいいのになぁ」と
前日までの父とは正反対の いつもの穏やかな父に戻っていた
あまりにも急に変わって驚いたが
この日から退院までは 本当ににこやかに穏やかに過ごす事ができ
退院時には看護師さん達からの盛大なお見送りをしていただいた
そしてこれが 父の最後の入院生活となった
にほんブログ村
にほんブログ村
肺がんランキング
【このカテゴリーの最新記事】
- no image
- no image
- no image
- no image
- no image