2024年11月02日

「イスラエルとパレスチナ 訳:鵜飼 哲」という書籍を読んだ

「イスラエルとパレスチナ 訳:鵜飼 哲」という書籍を読んだ。
URN: https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-08-EK-1910481
現在行われているイスラエルとパレスチナの問題についてのテキストだ。
イスラエルという国家の成り立ちと、その建国の理念の異常さがよく分かる。
是非、読んで貰いたい一冊だ。
この注釈だけでも読むと、イスラエルという国家を名乗っているテロ組織の異常さが伝わると思う。

「イスラエルとパレスチナ 訳:鵜飼 哲」注釈
アシュケジェナジ:ヘブライ語で「ドイツ」の意から派生。中欧・東欧在住の離散ユダヤ人
セファルディ:ヘブライ語で「イベリア(半島)」の意から派生。アシュケナジ以外の離散ユダヤ人の総称。
アラブ=イスラーム圏在住ないし出身のユダヤ人を「ミズヒラム」としてセファルディと区別する場合もある。
イディシュ語:ドイツ語にヘブライ語、スラヴ諸語が混成した中世以降の中欧・東欧ユダヤ人の共通語。
ラディーノ語:スペイン・ユダヤ語とも言われる。1492年以降イベリア半島から追放されたユダヤ人ガオスマン・トルコ領の各地に移住して使用し続けるなかで形成した混成語。
ダヴィドベン=グリオン:ロシア帝国領プロンクス(現ポーランド)に産まれる。
1906年、パレスチナ移住。ヒスタドルト(ユダヤ労働総同盟)を創設、マパイ(イスラエル労働党)を領導し、ユダヤ人武装組織ハガナの形成に尽力。
1948年イスラエル建国宣言を行う。
イスラエル初代首相。
ラビ・ユダヤ教:「ラビ」の語源は「我が師」を意味するアラム語に遡る。
ユダヤ教の共同体で律法解釈を司る学者、精神的導師。
シュロモ・アヴェネリ:ヘーゲル、マルクスの政治哲学、19世紀ドイツ語圏初期シオニズム研究で知られる。
主要著書に「ヘーゲルの近代国家論」「終末論と弁証法 マルクスの社会・政治思想」「シオニズム思想史」等。
1970年代からパレスチナ解放機構(PLO)との交渉に関与。
トーラー:狭義にはヘブライ語聖書の最初の5巻(モーセ5書)を、広義には伝統的ユダヤ教の教説全体を指す。
ここではモーセがシナイ山で神から授かった律法の石版を意味する。
メナヘム・メイリ:当時カタールニャ公国領だった南仏ペルピニャンに生まれる。
律法学者として活躍、タルムード集成とその注釈で知られる。
タルムード:タルムードのヘブライ語の原意は「学び」。
神の意志を探求するトーラー解釈学として発展・伝承される。
西暦500年頃に成立したバビロニア・タルムードがもっとも重視される。
エマニュエル・レヴィナス:ロシア帝国領カナウス(現リトアニア)に生まれる。
哲学上の主著は「全体性と無限」「存在するとは別の仕方で」等。
フランス、ドイツに」留学した後1930年代にパリに居を定める。
出身地の親族の殆どはナチスドイツの絶滅政策の犠牲に。
参照されている著作は「約束の土地か許された土地か」(「タルムード四講話」、内田樹訳、人文書院、2015年)。
ヨーゼフ・ハイム・ゾネンフェルト:スロヴァキアに生まれ、1873年におあれ須知名移住。
1910年にエルサレムの大ラビに就任、世俗の政治権力からのユダヤ教の完全な独立を主張してシオニズムと対立、アラブ人との共存を求めて活動した。
イスラエルの地:ヨシュアはモーセの後継者でカナンを武力で征服して古代イスラエル国家の基礎を築く(紀元前1400年頃)。
ユダ王国はバビロニア王ネブカドネツァルにより滅亡、残存住民の大半は移住を強いられる(バビロン捕囚。紀元前597-578年)。
その後はバビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシャのキュロス王の勅命(紀元前538年)でヘブライ人は帰還を許され、エルサレム第二神殿を建設。
モシェ・ナハマニッド:中世ユダヤ教を代表するラビ。
アラゴン王の要請で行ったドミニコ派の学僧との神学論争に勝利するもキリスト教徒の迫害を受けて亡命、十字軍支配下のエルサレムに移住する。
ジェイコブ・ニューズナー:1932年、米国コネチカットに生まれる。生涯に900点余の著書・編著を刊行。
ユダヤ教の古典文献を成立時の時代的、地理的コンテクストを重視して再解釈した業績で知られる。
主要著作に「イスラエル時代のユダヤ教」「パリサイ派とは何か」等。
ラビ文献の英訳やキリスト教との対話にも貢献。2016年没。
マイモニデス:イベリア半島コルドバに生まれる。アラビア語名イブン・マイムーン。
中世ユダヤ教最大の哲学者。
ユダヤ法資料を体系化した「ミシュネー・トーラー」聖句解釈にアリストテレス哲学を援用した「迷える者の導き」が主著。
ムワッヒド朝の迫害から逃れ、カイロでアイユーブ朝の宮廷医師となる。
アハド・ハアム(本名アシェル・ヒルシュ・ギンツブルク):ヘブライ語の著名は「民衆の一人」の意。
政治的シオニズムに反対し、パレスチナ入植の目的をユダヤ人国家の建設では無く、世界のユダヤ人が同化に抗するための文化的中心の創造に置く精神的シオニズムを提唱。
アラブ人の反乱:「嘆きの壁事件」として知られるユダヤ人とアラブ人の激しい暴力的衝突。
東エルサレムの神殿の丘の西側外壁はユダヤ教の第二神殿唯一の遺構であり、岡ノ上にはイスラームのもっとも神聖な二つのモスク、岩のドームとアル=アクサーモスがある。
ユダヤ人側は英国委任統治当局に対しオスマン・トルコ時代に制限されたこの壁への巡礼と祈りの権利の回復を要求。
アラブ人側はユダヤ人がモスクを破壊してソロモン神殿を再建する意図があるのではないかという危惧を強めた。
1929年8月16日にユダヤ人青年組織が行ったデモ以降衝突が続き、双方に100人を越える死者が出た。
現在イスラエルによる東エルサレムのパレスチナ人住民の排除が進行中で、2023年10月7日のガザ武装集団による越境攻撃はこの事態に対する反撃を名目に掲げて行われた。
土着のアラブ人の住民を一方的に非難する公式声明に署名する事を拒む:フロイトのシオニズムに対する態度についてはジャッキー・シェムーニ「フロイトとシオニズム」に詳しい。
リクード:イスラエルの政党名。右派修正主義シオニストのメナヘム・ベギン(1913-1992)の指揮下1973年創設。
1977年に政権を獲得し、建国以来の労働党政権に終止符を打つ。
以降短期間を除きイスラエル政治の主流派を形成する。2022年に極右宗教シオニズム諸派と連立を組んで政権復帰。
オスロ合意の否定、パレスチナ国家の拒否を主要政策に掲げ、市民的自由を制限する一方、経済的には極端なネオリベラリズム的改革を推進してきた。
力ある勇士とは誰か?敵を友人にしてしまう人である:「タルムード アヴォート篇:アヴォート・デ・ラビ・ナタン」長窪専三翻訳慣習、三貴社、1994年88頁。
アヴォート・デ・ラビ・ナタンはタルムード外典中最大の篇。
諺や聖書章句の敷衍(ふえん)的注釈に加え、初期ユダヤ教のラビの列伝という性格も在り、ヘレニズム期の賢者物語の影響が指摘される。
ユダ・マグネス:米国サンフランシスコに生まれる。
ニューヨークのユダヤ人モキュニティの組織化に尽力したのちパレスチナに移住。
ヘブライ大学初代学長。1942年、アラブ・ユダヤ二民族国家を目指す団体イフードの創設を呼びかける。
パレスチナの「ユダヤ人の良心」(アーレント)と呼ばれた。
パレスチナ分割勧告:1936年に始まったパレスチナ・アラブ人も大ストライキのさなか、英国のピール委員会は1937年7月に白書を公表、アラブ、ユダヤ間の対立を非和解的と判断して、パレスチナをユダヤ人国家、アラブ人国家、永久委任統治地区の三つに分割する案を示した。
ハンナ・アーレント:政治学上の主著は「人間の条件」「革命について」「全体主義の起源」等。
ヨーロッパのユダヤ人問題とイスラエル建国に向かう時代の評論は、「エルサレムのアイヒマン」のほか、「ユダヤ論集」(全二巻)にまとめられている。
マルティン・ブーバー:オーストリアのウィーンに生まれる。哲学上の主著は「我と汝」。
18世紀のユダヤ教改革運動ハシディズムの研究に貢献。
ドイツ語圏におけるユダヤ文化復興運動、精神的シオニズムの主唱者として声望を集める。
1938年、ナチスドイツによるオーストリア併合を機にパレスチナに移住、ヘブライ大学で教鞭を執る。
シオニズムとパレスチナをめぐる40年以上にわたる発現は「一つの土地にふたつの民 ユダヤ・アラブ問題によせて」にまとめられている。
エルンストン・ジーモン:ドイツのベルリンに生まれる。
1920年代からユダヤ人とアラブ人の共生を目指す団体ブリト・シャローム(平和同盟)にブーバー等と共に参加。
エル・バルナヴィ:1946年、ルーマニアのブカレストに生まれる。
1961年、一家でイスラエルに移住。
テルアビブ大学教授。平和運動「今こそ平和を」のメンバー。
駐仏大使は2000年から2002年まで。
ヘルツ:テオドール・ヘルツは1860年、ハンガリーのブタペストに生まれる。
弁護士としての仕事のかたわら文学的野心を抱き、ウィーンに移住してジャーナリストとして活躍する。
1891年にパリの通信員となりドレフェス事件(1894-1906年)に遭遇したことが、同化主義からシオニズムへのかれの思想転換に決定的な影響を及ぼしたとされる。
1896年に「ユダヤ人国家」を上梓、政治的シオニズム運動の創設者となり、翌年スイスのパーゼルで第一回シオニズム会議を組織する。
近年ヘルツルの思想転換のきっかけとしてキリスト教福音派の影響を重視する見方もある。
1904年、エドラッハ(オーストリア=ハンガリー)で没。
イエキエル・ヴァインベルク:ポーランドに生まれる。
戦時中はワルシャワ・ゲットーのラビだったがロシア国籍だったためソ連軍兵士と共に捕虜の扱いを受けて生き延びる。
戦後はスイスのモントリオールで研究に従事。
イツハク・ラビン首相暗殺犯:イガール・アミル(1970年ー)はイエメン系のイスラエル人。
パレスチナ人との和平を拒絶する極右宗教シオニズムの主張に共鳴し、1995年11月4日、テルアビブで開かれた中東和平促進集会の最中にイツハク・ラビン(1922-1995)首相を暗殺。無期刑を受けて服役中。
国民ユダヤ教:ヘブライ語でダティ・レウミ
ヤコブ・デ・ハーン:オランダのスミルデに生まれる。
作家としてオランダ語ゲイ文学の草分けとして著名。
1919年にパレスチナに移住。イスラエルの大ラビ、ヨーゼフ・ハイム・ゾネンフェルトと協力。
暗殺の動機や暗殺者の身元が明らかになったのはイスラエル建国以後。
ハマース:ムスリム同胞団のガザ支部を母体として1987年12月、第一次インティファーダのさなかに「イスラム抵抗運動」(ハマースはその略称)として結成された政治組織。
2006年のパレスチナ自治区選挙で勝利するがイスラエル及び欧米諸国はハマース中心の政府を認めず、PLO主流派のファタハとの抗争が激化する。
封鎖下のガザ地区を事実上統治。
オスロ合意を認めず、武装闘争を継続する。
キシナウの虐殺:キシナウはモルドヴァの首都で当時はロシア帝国領。
ボグロムは1903年と1905年に起きた。
最初のポグロムでは約50人のユダヤ人が殺害され700件の焦点が破壊され略奪を受けた。
警察と軍隊の介入は三日後で、切っ掛けはキリスト教徒の少年殺害事件だが計画的襲撃だった可能性が高い。
ヴラジミール・ジャポティンスキー:ロシア帝国領オデッサ(現ウクライナ領)に生まれる。
ロシア語作家として活動を開始。
キシナウのポグロムの後、シオニズムに接近。
1923年出版の「鉄の壁」でアラブ人に対する軍事強硬路線を主張、同年ユダヤ人青年の武装組織ベイタールを創設し、イスラエル右派の源流「修正主義シオニズム」の旗手になる。
ベヤミン・ネタニヤフ:1949年、テルアビブに生まれる。
父はワルシャワ生まれの右派歴史家。
軍役後リクード所属の政治家となり、1996年から1999年、2009年から2021年、2022年から現在まで、三回にわたって内閣を組織、この間にイスラエルは急速に右傾化した。
一方、何件もの汚職事件で刑事責任が問われる身で在りながら最高裁の顕現を縮小する司法改革に着手。
大規模な反対運動が2023年10月まで9ヶ月間続いた。
国際刑事裁判所に戦争犯罪で逮捕状が請求されている。
ヨセフ・ブレンナー:ロシア帝国領ノヴィ・ミリニ(現ウクライナ領)に生まれる。
近代ヘブライ語文学初期の重要作家としても知られる。
ベニー・モリス:1948年、ハイファ南郊のキブツで生まれる。
「アラブ人難民問題の誕生」(1989年)でイスラエル建国時の史実を見直しイスラエルの歴史的責任を指摘した。
イラン・パペ(1954-)等と共に「新しい歴史家」のグループを形成し、兵役を拒否して投獄された時期を経て、2000年の第二次インティファーダ前後から政治的、学問的立場は右傾化した。
ゼエヴ・ステルネウ:歩ランドに生まれる。母と姉はベウジェツ収容所で殺害される。
終戦までレンベルク(リヴィウ)で隠れ暮らし、1946年にフランスに、1951年にイスラエルに移住。
ヘブライ大学教授。平和運動「今こそ平和を」の創設メンバー。
主著に「イスラエルの起源 民族主義と社会主義の間で」「右でも左でも無く フランスのファシズム・イデオロギー」等。
ヨーロッパ・ファシズムの思想起源を19世紀末のフランスに求めた後者の著書の主張をめぐって現在も論争が続いている。
極右の提言:イスラエル現政権の財務相兼国防省付き大臣ベザレス・スモトリッチが率いる国民宗教党は、全パレスチナを併合しイスラエル国家を全面的に宗教法に服する神政国家に転換することを党是とする。
また国防治安相のイタマル・ベン=グヴィルが党首を務める政党「ユダヤの力」はアラブ系イスラエル人の国外追放を提唱。
イツハク・ヘルツォーク:1960年、テルアビブに生まれる。
父はイスラエル第6代大統領ハイム・ヘツツォーク(1916-1997)。
労働党党首を務め複数の大臣職を歴任した後、2021年に第11代大統領に選出。
ベザレル・スモトリッチ:1980年にイスラエル占領下のシリア領ゴラン高原のハブシン入植地で生まれ、ヨルダン川西岸の超正純派の入植地エル・ベイトで育つ。2015年にクネセト(イスラエル議会)初当選。
アアロン・バラク:1936年、リトアニアのカウナスに生まれる。
ドイツ占領期、収容されたゲットー空の脱出に成功し農民に匿(かくまわ)われる。
1947年にパレスチナに移住、後にヘブライ大学で方角を修める。
1978年に最高裁判事に就任、1995年に長官に任命される。
治安機関による拷問や土地所有に関する差別の禁止に尽力、アラブ系イスラエル人の人絹改善に一定の役割を果たしたとされる。
ナクバ:アラビア語で「災厄」の意。
イスラエル建国によるパレスチナ人の故郷喪失、難民化の悲劇を指す。
ボアズ・エヴロン:エルサレムに生まれる。青年期にユダヤ、アラブ以前の古代文明圏への復帰を唱えるカナン主義運動に参加。
1956年にシオニズムの超克とアラブ人との連携を目指す政治団体セミティック・アクションの創設にかかわる。
ジャーナリスト、批評家としてシオニズム批判を継続し「パレスチナ・イスタエル」誌の編集に携わる。
マーク・エリス:1952年に米国のマイアミに生まれる。反シオニズム派のシカゴのツェデク・シナゴーグに属す。
ユダヤ教の神学を追求、パレスチナ人の解放をユダヤ人の解放の条件とする。
著書に「良心のユダヤ人 挑戦と選択」「最初の光 エドワード・サイードとの出会いと新しいディアスボラにおけるユダヤ教予言の晩期スタイル」等。
2024年没。
ビルケ・アヴォート:「アヴォート ミシュナ?W別巻」、長窪専三訳、教文館、2010年、70頁。
「ビルケ・アヴォート」はユダヤ教の口伝律法(ミシュナ)中、律法解釈に直接かかわらない道徳的、教訓的な箴言(しんげん)集
フーシ派:シーア派ムスリムを主体とするイエメンの政治勢力。
現在イエメンの広域を支配し事実上行政を掌握。2014年から続く内戦でサウジアラビアの支援を受けた政権を追放しイランに接近。
ガザ事態の開始後、パレスチナ連帯を掲げてイスラエルにミサイル攻撃を行うと共に、紅海を通過するイスラエル行き船舶を攻撃の対象とする。
1%と残りの世界の間の断絶:2011年8月に米国で始まった経済格差拡大に対する大衆的な抗議運動、「オキュバイ・ウォールストリート」で登場したスローガン。
極少数の富裕層への富の偏在と圧倒的多数の民衆の急速な窮乏化が鮮明に可視化されたため、たちまち全世界に広まった。
パレスチナ人は解放されなければならない:米国連邦会議では2023年10月18日、ニューヨーク中央駅では同月27日に、自由の女神像では11月6日に、いずれも平和団体「平和を求めるユダヤ人の声」の呼びかけで非暴力の占拠発動が行われた。
元イスラエル人も含む多くのユダヤ人がいました:「私たちは逮捕されるだけだがパレスチナ人は殴打されている」、「アル・ジャジーラ」、2024年4月日。
戦闘の休憩中のイスラエル兵は、「アマレスク人を破壊する」「ガザに無実の者はいない」と熱狂的に歌っています:サムエル記上では、予言者サムエルがイスラエルの王サウルに、「行け、アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。
男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもロバも撃ち殺せ。
容赦してはならない」という神の言葉を告げる。
南アフリカ共和国が国際司法裁判所に提出した訴状では、イスラエル軍兵士がアマレク人をパレスチナ人に見立てた詩を合唱しているビデオ映像が、ガザにおける軍事作戦にジェノサイドの意図がある証拠の一つとされている。
「ガザに無実の者はいない」という言葉はヘルツォーク大統領の発言として拡散されたもの。
ダビデ:予言者サムエルの時代にイスラエルの民は王を求めサウルが王とされる。
サムエルによってサウルの後継者とされたダビデは、少年の身ながらベリシテ人の勇士である巨人ゴリテアと単身対決し、紐を用いた投石によって倒す(パレスチナ)の語源で、ペリシテ人はパレスチナ人の祖先とみなされることもある。
サムソン:士師記に登場する怪力無双のユダヤ人。ペリシテ人を多数殺害した後、20年間士師としてイスラエルで裁きを行う。
しかし、妻デリラが秘密を漏らしたため力の根源だった髪を切られてペリシテ人に捕らえられ、目を潰されて粉挽場で働かされる。
ペリシテ人群衆の見世物にされた彼は神に祈って力を回復し、二本の柱を倒して建物を崩壊させ、ペリシテ人群衆と共に死ぬ。
イスラエル軍が三人のイスラエル人の人質を、彼らが上半身裸で白旗を掲げて向かってきたとき、殺してしまったことも然程驚くには当たりません:2023年12月15日にガザ中東部で起きた事件、責任の所在をめぐりイスラエルで論争が続いている。
ウィリアム・ヘクラー:1854年、インドのベナレスに生まれる。
英国国教会牧師。
テオドール・ヘルツルの「ユダヤ人国家」の出版直後に著者と出会い、バルフォア卿に紹介するなど初期の政治的シオニズム運動を支援した。1931年没。
ダヴィド・グロスマン:1954年エルサレムに生まれる。
ラジオ作家としてデビューしたのち小説家に転じる。「黄色い風」(1987年)で占領下パレスチナ人の苦悩を描く。
アリエル・シャロン:1928年、委任統治記パレスチナのクファル・マラルに生まれる。
父はロシア、母はベラルーシの出身。
1920年にパレスチナ移住。
1948年から総ての戦争に参加、軍人として名を上げる。
1982年、国防大臣としてイスラエルのレバノン侵攻を指揮。
サブラ・シャティーラのパレスチナ人民間人虐殺の責任を問われる。
2000年9月、当時野党のリクード党党首だったシャロンは東エルサレムの神殿の丘を電撃訪問、第二次インティファーダのきっかけを作る。
2002年から2006年まで首相。
ヨルダン川西岸地区で分離壁の建設を進めると共に2005年にはガザの入植地を撤去。
パレスチナ自治区のきっかけを作る。
2014年没。
ジェノサイド:ドイツ領南西アフリカ(1994-1915年。現ナミビア共和国)で1904年から1908年にかけて、ヘレロ人、ナマ人の蜂起に対し、ドイツは本国から軍隊を派遣して鎮圧した。
この過程でドイツ軍はヘレロ人を名指しで「絶滅」を図り、ナマ人のゲリラを強制収容所に閉じ込めて植民地政府やドイツ企業のために強制的に働かせ、ヘレロの女性達を性奴隷にした。
ヘレロ人の80%、ナマ人の50%から60%に相当する、7万人以上が生命を落とした。ドイツ政府は2021年、この虐殺を正式にジェンオサイドと認め、被害者の子孫、ナミビア政府、ドイツ政府の間で謝罪と補償をめぐる交渉が継続している。
「ソビエト・ロシアの敗北後、この巨大な都心部が存続することはにはどんな意味もありえない」:「1941年9月22日レニングラード市破壊に関するドイツ海軍参謀課長の指令」ロシア連邦国立公文書(GARF)、ドイツ語から翻訳。
暗黙のレイシズム:1957年9月25日にアーカンソー州で起きた「リトルロック学校事件」。
リトルロック・セントラル高校は1954年5月17日のブラウン判決を受けて欲念分離撤廃を決定。
80人の転入希望者が9人に絞られた上、1957年度から融合教育の開始が予定されていた。
しかし、アーカンソー州のフォーバス知事は同校生徒の保護者の反対を受け、暴動防止を名目にアフロ・アメリカン生徒の登校を阻止するために州兵を派遣。
これに対しリトルロック市の市長が大統領に要請して連邦陸軍が派遣された。
リトルロック市の全高校で人種融合が実現したのは1972年。
ヨアフ・ガラント:1958年、ジャッファに生まれる。
両親はポーランド系の移民。母はホロコースト生存者。イスラエル海軍でキャリアを積み、2015年に政界入り。リクード所属。2022年から現職。
引用された発言のビデオ映像はジェノサイド野井とを示す証拠として国際司法裁判所に提出された。
国際司法裁判所に戦争犯罪で逮捕状が請求されている。
タリ・ゴットリーブ:1975年、テルアビブ東近郊のブネイ・ブラクに生まれる。
アミハイ・エリヤフ:1979年、エルサレムで代々のラビの家系に生まれる。「ユダヤの力」所属。
エルサレム問題・文化遺産相。核兵器に関する発言は2023年11月5日。現在職務停止処分中。ヨルダン川西岸のリモニム入植在住。
イスラエルがガザのパレスチナ人に対しジェノサイドを犯しつつ在ることは蓋然性(がいぜんせい)が高いと判断しました:南アフリカの国際司法裁判所への提訴文書の日本語訳(非公式)は下記のサイトで入手可能。
エメ・セゼール:1913年、マルチニックのバス=ポワンドに生まれる。
1930年代からフランス植民地主義の同化政策を批判して「ネグリチュード(黒人性)」の尊厳回復を追求。誌「祖国復帰ノート」、戯曲「コンゴの一季節」他の文学作品は反植民地文学の古典。政治家としてもマルチニック選出国会議員、フォール・ド・フランス市長として長年活躍した。
2008年没。
フォルク:民族



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