2024年11月13日

空手については、最も新しい武道・武術だ

空手については、最も新しい武道・武術だ。
沖縄に発祥するとある。
沖縄の空手は唐手という呼び名も有るらしい。
新しい武道・武術なので、書籍なども入手しやすいが、空手は戦後に雨後の竹の子のように流派を立ち上げ増殖した武道・武術でもある。
日本の本土に最初に入ってきた流派は松濤館流で、船越義珍という人が海軍などの体育教練で平安という型を考案して体力増強に貢献した。
先の大戦後に朝鮮人の大山倍達という人が顔面や休所以外には実際に当てる試合形式を考案し、オープントーナメントという興業を興して極真会という団体の普及に成功した。
大山倍達は自著の「空手を始める人のために」で”空手のプロフェッショナルがあってもよいし、”と空手をスポーツ化、の興業化を正当化している。
裏を返せば、大山倍達の空手に武道・武術の精神は無く、奥義も無い。
空手はお金を集める道具であると位置づけている様だ。
合気道の一部の団体を除き、武道・武術は興業化しており、武道・武術の本質である”生命のやり取りに備える事”とはかけ離れたスポーツに変貌している。
極真会などは、黎明期では漫画やアニメでの宣伝を行い、喧嘩空手などとまるで愚連隊のような事を言っていた。
空手の定義特にない。
素手で殴り合う格闘技で、空手だと言ってしまえば、空手になる。
そもそも、沖縄の空手の歴史は曖昧なのだ。
間違いなく大陸の武道・武術が起源であるのだが、沖縄人は手という武道・武術が沖縄には古よりあったと言い張る。
まるで韓国人がアニメのドラえもんを原作は韓国人が作ったと言う様なモノだ。
伝統空手というジャンルがある。
昭和の時代に普及された空手道だ。
伝統空手の特徴は寸止め組み手の試合を行うことにある。
また、型の試合も存在する。
正直、組テオ試合形式は審判の恣意的な感情と技量により勝敗が決まる。
型に於いては、正に恣意的な感情のみで勝敗が決まる。
そもそも、型は鍛錬法の一つで、型の演武で優劣が判る道理は無いのだ。
型は仮想した敵に対する鍛錬法だ。
仮想した敵に合わせて変化する。
一本調子の演武など、評価の価値も無い。
だが、興行的に型は舞踊として観られるのだから試合も成る立つのだろう。
何でもお金になれば良いのが現代の武道・武術の実体だ。


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