自我を持ち、気がついたらこの世にいた。
それが真実だ。
そして生きているのが当たり前で、死んではいけないと刷り込まれている。
釈尊は気付いたのだ。
生きることは苦しみだけだと。
四宝印というモノがある、
諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦。
普通は諸行無常、諸法無我、涅槃寂静のみを三宝印として伝えている。
しかし、釈尊の伝記で有名な東西南北の門から見下ろした人々の苦しみを観る釈尊の話しを思い出すべきだ。
先ずは一切皆苦が仏法の理の礎なのだ。
釈尊は多くの人にその理を伝える気は無かった。
しかし、あらゆる現世の悪魔共が初転法輪を行わせた。
結果、釈尊の理は宗教として残された。
世の為政者は生きることは苦しみだけだと言うことを隠して、宗教を統治の道具に使ったのだ。
世の宗教に理など無い。
宗教は為政者達の統治の道具だ。
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