結論から申しますと、彼は「時代に残る偉人」ではなく、単なる「司会者という一サラリーマン」という評価で終った人生だったと思います。
理由は2つ考えられます。
一つは、彼の生涯には「時代の精神」を体現した「活動」がなかったから、あるいは、「時代」に関しての積極的な「発言」を残さなかったからです。
もう一つは、「裏の顔」(私生活)のエピソードがあまりに空疎だということです。
愛川欣也さんの死に際して、「あれ?」と思うことは、あれだけの大物芸能人なのに、プライベートにおいて、他の芸能人とのエピソードがほとんどなかった、ということです。
あれだけの大御所になれば、他の芸能人との親密な付き合いがあってもよかったのに、その実、ほとんどなかったようです。
この点においても、彼は「芸能史に残る偉人」になる資格がない、ということになります。
つまるところ、時代に名を刻む著名人になるには、どうしても、2つの条件が要るようであります。
一つは、生涯を通して「時代の精神」と対決した人生であったこと。
もう一つは、「裏の顔」(私生活)の挿話が豊富にあること。
疑う者は、美空ひばりさんの生涯を想起してみればよい、と思います。
あるいは、過去の文学者たちの多くもそうでした。
その点、ビート武さんや、松本人志さんなどは、時代に名を刻む著名人になるための巧みな「人生工作」をしている、と思います。
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