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2017年11月13日
(遺稿)『猟奇殺人の真相をプロデュース!〜短編小説「恋愛事件」あとがき〜』
【注】
(株)ルラックの「インディーズ文庫」担当の宮根進と申します。
以下の記事は、故人・ともなりたかひろの『遺稿』の中の一つ、「猟奇殺人の真相をプロデュース!〜短編小説『恋愛事件』あとがき〜」(2016年11月19日)を、原文ママのまま、抜粋したものです。発表日も彼の『遺稿』の指示通りであります。
ゆえに、この記事が現在の状況とは食い違う面もあるかもしれません。その点をどうか、ご容赦頂きたく思います。
(株)ルラックの「インディーズ文庫」担当の宮根進と申します。
以下の記事は、故人・ともなりたかひろの『遺稿』の中の一つ、「猟奇殺人の真相をプロデュース!〜短編小説『恋愛事件』あとがき〜」(2016年11月19日)を、原文ママのまま、抜粋したものです。発表日も彼の『遺稿』の指示通りであります。
ゆえに、この記事が現在の状況とは食い違う面もあるかもしれません。その点をどうか、ご容赦頂きたく思います。
<我々は、例えば、宮崎勤などの事件に接するたび、
と、「異常者」のレッテルを貼って、自分を「普通の人」と規定し、他人事ぶる。
が、しかし、ならば、その事件を、テレビという「虚構」で知り、テレビが作り上げた「犯人像」(虚構)をイメージしている僕たちと、どこが違うのだろうか。
レベルは違えど、同じく「虚構」の中で、生きていることに変わりない。
(中略)
エロ・グロのDVDを禁止にするなら、
テレビも壊そう、
新聞も燃やそう、
ネットも禁止にしよう、
うん、そうしよう。
その後で、はじめて、貴方は「普通の人」を名乗りたまえ。
(中略)
AVのジャンルには、首を絞めたり、人形愛(死姦)がある。
ということは、 この状況は、まるで、
「女子高生モノ」を観ている人々が、
「死体をレイプするAVを観る奴らなんて、絶対『異常者』だ!」
と指弾しているようなものだ。
いやいや、あんたも、違う性癖のAV(虚構)を観てシコっとるやんけ、っていうツッコミは当然なのではないか。
どこなのだろう、 「普通」か・「異常」かの、「線引き」は。
(中略)
ちなみに、 人形愛や死姦的な性癖の根本は、あえて言い切るが、 自身の容貌の醜さを「見られたくない」コンプレックスの「ねじれ」の一形態だろう。
彼らは、「 自身は見られなくて済む」ような状況において、「 一方的に性的対象を見たい」のである。
(中略)
疑う者は、食人鬼の佐川くんを見よ、である。
彼は著書『蜃気楼』の中で、「自身の容貌(ブサイク・低身長)」のコンプレックスから、「異性」との「対等な人間関係」を築けなかったことを告白している。
(中略)
逆に言えば、 人形愛や死姦趣味の男は、
『 「異性」(他者)から自分自身を見られる』ことに、 超ビビっているのだ。
人形や死体相手ならば、「自分を見られず」に、完全に「性的対象」を「支配」することが出来る 。
このへんの心理は、安倍公房氏の『箱男』の「Dの場合」の章を参照のこと、と言っておけば十分だろう。
(中略)
勿論、「思う」(殺したいと思う)と「行為」(殺してしまう)の間には「飛躍」があることは大前提としても、
例えば、 一般的な「夫婦間のセックス」(性癖の一つ)が、
なぜ「正常」と見做され、「異常で猟奇的」とは見做されないのか、
という「当たり前さ」への「疑い」から始めなくてはならないことも当然である。
(中略)
その事件の関係者、被害者ですら、どの人間も、「自分が『異常者』ではない」ということは証明できない。
むしろ、犯人を「異常者だ」と必死で否定したがっていること自体が、
自分自身に潜む「異常性」を必死に否定したがっていることの「裏返し」なのだ。
(中略)
人間は、生きている限りは、「病み続け」である。
(中略)
例えば、イスラム国の捕虜になった二人の日本人が処刑される動画があったであろう。
僕はあの動画こそが、「異常者」か/「普通の人」か、の「踏み絵」になっている、と考えている。
(中略)
僕自身、あの動画を、「怖いもの見たさ」で、どうしても観たくなり、観た。
そして、一人目の男の首が、電動ノコギリで切られていくさまを、目の前で食い入るように観ながら、
「可哀想だ、観てられない!」
とは思わなかった。
それよりも、何か、名状しがたい、
おしっこを我慢しているような、恐怖と興奮が入り混じった「好奇心の目」で観ていたのだ。
もし、この一人の人間が首を切られていくさまを、
恐怖と興奮が入り混じった「好奇心の目」で観る態度が、
「性的衝動」
からきているとしたら、僕も「異常者」の一人であろう。
——貴方は、どうだっただろうか?
(中略)
かつまた、未だに、加藤智弘くん(彼とは同学年だが)みたいな「異常な犯罪者」が出てくると、決まって、
「 心の闇が」
というフレーズが乱用されるが、この表現は適切ではない。
本当は、「 心の空洞が」なのである。
「 人生なんて、無意味だ」
と思い、それを「当然のこと」と思いがちな、僕らの世代に、
そんな 根深い「心の闇」があるはずがない。
むしろ、 「心が空洞」、「心が空っぽ」、「語るべき闇(過去)すらロクにない空っぽな人生」だからこそ、平然と異常な事件を起こせるのだ 。
(中略)
僕が『恋愛事件』において、もっとも悔やんでいるのは「表紙絵」で、
(中略)
「表紙絵」を、例の、アメブロにログインするときに出てくる、「画像認証」システムをパロディーとして使い、
「画像認証」として、様々な「若い男」の絵を整列させて、以下のようなフレーズを付加する。
「 以下の画像から、『普通の人』全てに、チェックを入れて下さい」>
『恋愛事件』(パブー/無料)→ http://p.booklog.jp/book/88340
2016年12月01日
愛子さまの誕生日をプロデュース!
皇室もさ、——いや、皇室というかさ、雅子さまも、愛子さまもよ、さっさと「生活」を「衣替え」しろよ!
もう、要らねぇから、「雅子さまスマイル」とかよぉっ!
・・・はい、もうこれで、ブログテーマ全部「回収」しました。
というわけで、本日は、
「 愛子さまの誕生日をプロデュース!」
ていうかさ、 雅子さまと愛子さまの距離って、
親子なのに、いや、 親子ゆえに、
朴大統領とキム・ヨナくらいの「 心の距離」が出来ちゃいましたよネ。
——僕思うんですけどね、なぜ、愛子様が以前「笑わなかった」のか、
の「理由」は、母親である雅子さまとの「対比」で見るのが正しい、と思うんですよね。
つまり、愛子さまが「笑わなかった」のは、こういうことですよ。
愛子さま「 ……ちっ。家では、あんなに気分を抑制できない、ダメな母親の癖に、こういう、公の場では、にやにや、作り笑いしやがって、この世間体やろーがっ!
——私は、こんな人間にはなりたくない!」
っていう、彼女なりに出来る、「 最大限の反抗」だったんじゃないですかね。
そういう母親である雅子さまとの「葛藤」。
加えて、——やっぱ、「 思春期の悩み」ですよね。「公務」なんてどうでもいいじゃないですか、今の愛子さまにとっては。
中三の時期なんて、自分に翻って考えてみてもそうですけど、
自分の容姿一つに、——ほら、顔ににきび一つ出来ただけでも学校行きたくなかったりさ、——、
あるいは、「〇〇ちゃん、隣のクラスの〇〇と付き合ってるらしいよ」的な噂話一つに、精神的な「致命傷」を負うんですよね。
ていうか、そういう 「異性間」との「人間関係」が上手くいっているか・否かが、「 15歳のカルテ」の「 全て」ですよね。
そういう「思春期の悩み」を無理に「抑圧」しているから、あんなに痩せて、文字通り、「抑うつ状態」になってしまっているんじゃないですかね。
だから、 以下の小説の「第一章」の「お姫様」の身の上のように、誰か、白馬の王子様的な人が、
「 ——さぁ、いこう」
と笑顔で手を引いて、あの狭苦しい世界から、連れ立ってあげればいいのにね、
とは思いますけどね。
(結局、宣伝。でも、そのお姫様の「モデル」が「愛子さま」なのは事実)。
小説『自我.com』→ http://p.booklog.jp/book/110466
もう、要らねぇから、「雅子さまスマイル」とかよぉっ!
・・・はい、もうこれで、ブログテーマ全部「回収」しました。
というわけで、本日は、
「 愛子さまの誕生日をプロデュース!」
ていうかさ、 雅子さまと愛子さまの距離って、
親子なのに、いや、 親子ゆえに、
朴大統領とキム・ヨナくらいの「 心の距離」が出来ちゃいましたよネ。
——僕思うんですけどね、なぜ、愛子様が以前「笑わなかった」のか、
の「理由」は、母親である雅子さまとの「対比」で見るのが正しい、と思うんですよね。
つまり、愛子さまが「笑わなかった」のは、こういうことですよ。
愛子さま「 ……ちっ。家では、あんなに気分を抑制できない、ダメな母親の癖に、こういう、公の場では、にやにや、作り笑いしやがって、この世間体やろーがっ!
——私は、こんな人間にはなりたくない!」
っていう、彼女なりに出来る、「 最大限の反抗」だったんじゃないですかね。
そういう母親である雅子さまとの「葛藤」。
加えて、——やっぱ、「 思春期の悩み」ですよね。「公務」なんてどうでもいいじゃないですか、今の愛子さまにとっては。
中三の時期なんて、自分に翻って考えてみてもそうですけど、
自分の容姿一つに、——ほら、顔ににきび一つ出来ただけでも学校行きたくなかったりさ、——、
あるいは、「〇〇ちゃん、隣のクラスの〇〇と付き合ってるらしいよ」的な噂話一つに、精神的な「致命傷」を負うんですよね。
ていうか、そういう 「異性間」との「人間関係」が上手くいっているか・否かが、「 15歳のカルテ」の「 全て」ですよね。
そういう「思春期の悩み」を無理に「抑圧」しているから、あんなに痩せて、文字通り、「抑うつ状態」になってしまっているんじゃないですかね。
だから、 以下の小説の「第一章」の「お姫様」の身の上のように、誰か、白馬の王子様的な人が、
「 ——さぁ、いこう」
と笑顔で手を引いて、あの狭苦しい世界から、連れ立ってあげればいいのにね、
とは思いますけどね。
(結局、宣伝。でも、そのお姫様の「モデル」が「愛子さま」なのは事実)。
小説『自我.com』→ http://p.booklog.jp/book/110466
2016年11月13日
『「ピコ太郎」ブームに安易に乗っかっている昨今の日本人の頭って絶対おかしいよね』をプロデュース!
どうも。
お久しぶりです。
長年、完成させることが出来なかった 『自我.com』という長編小説を10月に書き上げ、 長年の便秘が治ったかのようにすっきりしたゆえ、以下の画像のように、さっそく髪を切りに行った、ともなりたかひろです。
——ああ、さっぱり。
最近、まったくブログを書いていなかった理由は、過去の記事の通り、 手にかけていた「小説」の完成に夢中になっていたからであり、かつまた、書き終えて公表し、すっきりした後も、 最近の「時事ネタ」は「政治ネタ」が多く、「言うのも野暮」といったものばかりだったからでもある。
「トランプ政権」に関しては、専門家のブログを読むのがよかろう。そして、僕がいちいち上澄みだけすくった浅い知識を披露する必要もないであろう。
かつまた、今回のブログ・テーマである「ハロウィン」についても、僕が創った次の韻文に尽きるのである。
『美意識と自慰意識を履き違える重症
安いフード 被って 着飾る コスプレが急増
一肌脱いで、メイクすれば 延々(円、円)と 経済とお肌が潤う
このファーストフード(風土)的「安くて早い色気」の先は、
結局、ゴミ箱の残飯(要らない服)になる残念なフルコース
担当者各位二単刀直入二申シ上ゲマス・・・
見ざる 言わざる 着飾る(猿)
元・ホモサピエンスの狂ったファッションセンス
をメディアが「流行」という扇子(センス)で煽る
その風(風邪)にあてられ、感染したゾンビが街中で大量発生
する異常事態も実はハロウィンウィン(win win)な蜜月関係
担当者各位二単刀直入二申シ上ゲマス
「私ってアイドル?」的な安い女の自慰意識を買い取る
流行という名の宗教
は蔓延し(万円し)一億総 頭ん中 カラフル
な脳みそ オーディション ラリッた笑顔で駅前に集合
だが、中身を開けば、からっぽ、かぼちゃだらけのお花畑が拡がる
このハロウィンウィン(win win)な関係生んだ 感染源の正体 は
元・SEKAIのお姫様 パ行ばっか使う言語障害の妖怪』
ここに、「三拍子」(お笑いコンビ)の「時事ネタ漫才9月」の「再生数」が低かった理由の一端がある。(←いや、関係ない)
いやいや、間違えた、この 「ハロウィン」の風潮は、このブログの記事のメイン・テーマに通底していることは確かである。
それにしても、昨今の 「ピコ太郎」ブームである。
ことさらに、今更、「ピコ太郎」のことをイジリ、扱い、しかも、このブログの「タイトル」に挙げてみたのは、意図的である。
別段、彼に対して「嫌悪感」があるわけではない。
それに、彼を批判するタイミングを逸していることも、重々承知である。
ということは、「復帰第一作」として、「ピコ太郎」を引き合いに出した理由は、ただ、「引き」がある、と思ったから、というだけの理由でしかない。
というわけで、今回は、
『「ピコ太郎」ブームに安易に乗っかっている昨今の日本人の頭って絶対おかしいよね』
をプロデュース。
——『ピコ太郎』を演じているのは、元・「底抜けair line」の古坂大魔王さんであるが、
僕は、「ボキャブラ世代」であり、かつ、「爆笑オンエアバトル世代」ゆえに、彼のこと、というよりも、彼の芸人としての「出自」を、よく知っているのである。
そういう側面では、
「芸人を辞めずに、ここまで続けてこれてよかったネ」
という思いもあるのである。
現『ピコ太郎』氏が所属していた「底抜けair line」が「オンバト」に出演していた頃の同期の芸人さん——スマイリー菊地さん、号泣、ルート33、田上よしえetc——は、結局、その後、多くは「解散」したり、あるいは、現在も芸人を続けているのかもしれないが、未だにくすぶり続けているのだから。
しかし、 今回の『ピコ太郎』名義の『PPAP』による「成功」は「許すこと」は出来ない。
なぜなら、「 邪道」だからである。
「 剣道」で言えば、 打つ場所は、小手、面、胴、突き、と撃つ箇所は決まっているのに、すねを思いっきり叩いて、
『試合に勝った!』
と思っているようなものだからである。
そして、そういう 「一時的なブーム」に乗っかっている「日本人」に対しても、 「さすがに頭がおかしくないか」と思っている。
今日はくどくど書きたくない気分なので、はっきりと言ってしまうが、古坂大魔王氏は、昨今の「リズムネタ」の時流に乗っかって、『ピコ太郎』名義で、
「有名になりたい!」
という卑しい野心一心で、軽はずみなことをしでかしただけの話なのである。
そういった、
「有名になりたい!」
というような、 「時代の病理」にかかった人々を、僕は、
「有名病」
と、僕は呼び、以下の 『自我.com』という 「風刺長編小説」にて、皮肉っている。
それこそ、今年の、 『君の名は。』ブームに始まり、 「36歳の自称アイドルの異臭事件」〜 「ピコ太郎ブーム」〜それこそ 「ハロウィン」文化に至るまで、である。
いずれも、その 「志レベル」が「低い」にも関わらず、 「影響力レベル」(成功度合)が、異常なほど高い、という点で一致する。
そして、それはやはり 「有名病」という、一種の 「時代の病理」なのである。
このブログは「時事ネタ」ブログ、と謳っているが、それこそ、この 長編小説『自我.com』は、 2016年の、あるいは、昨今の、「有名になりたい!」という承認欲求不足、その反動からの諸事件、つまり、「時事ネタ」を総ざらいした観がある。
結局、今回の記事は、僕の書いた「ライト・ノベル」についての「ライト・ノベル」こと、
『自我.com』
の手前味噌な宣伝になることは分かり切っていたことである。
むしろ、今、「宣伝」せずにどうする、といったところだ。
以下に、そのURLを載せる。
「 えー、本当に、この2016年を総ざらいしているのー!?」
と思っている貴婦人の方々よ、それが、ウソかどうか、読んでみるとよい。どうせ、無料なのだから。
http://p.booklog.jp/book/110466
お久しぶりです。
長年、完成させることが出来なかった 『自我.com』という長編小説を10月に書き上げ、 長年の便秘が治ったかのようにすっきりしたゆえ、以下の画像のように、さっそく髪を切りに行った、ともなりたかひろです。
——ああ、さっぱり。
最近、まったくブログを書いていなかった理由は、過去の記事の通り、 手にかけていた「小説」の完成に夢中になっていたからであり、かつまた、書き終えて公表し、すっきりした後も、 最近の「時事ネタ」は「政治ネタ」が多く、「言うのも野暮」といったものばかりだったからでもある。
「トランプ政権」に関しては、専門家のブログを読むのがよかろう。そして、僕がいちいち上澄みだけすくった浅い知識を披露する必要もないであろう。
かつまた、今回のブログ・テーマである「ハロウィン」についても、僕が創った次の韻文に尽きるのである。
『美意識と自慰意識を履き違える重症
安いフード 被って 着飾る コスプレが急増
一肌脱いで、メイクすれば 延々(円、円)と 経済とお肌が潤う
このファーストフード(風土)的「安くて早い色気」の先は、
結局、ゴミ箱の残飯(要らない服)になる残念なフルコース
担当者各位二単刀直入二申シ上ゲマス・・・
見ざる 言わざる 着飾る(猿)
元・ホモサピエンスの狂ったファッションセンス
をメディアが「流行」という扇子(センス)で煽る
その風(風邪)にあてられ、感染したゾンビが街中で大量発生
する異常事態も実はハロウィンウィン(win win)な蜜月関係
担当者各位二単刀直入二申シ上ゲマス
「私ってアイドル?」的な安い女の自慰意識を買い取る
流行という名の宗教
は蔓延し(万円し)一億総 頭ん中 カラフル
な脳みそ オーディション ラリッた笑顔で駅前に集合
だが、中身を開けば、からっぽ、かぼちゃだらけのお花畑が拡がる
このハロウィンウィン(win win)な関係生んだ 感染源の正体 は
元・SEKAIのお姫様 パ行ばっか使う言語障害の妖怪』
ここに、「三拍子」(お笑いコンビ)の「時事ネタ漫才9月」の「再生数」が低かった理由の一端がある。(←いや、関係ない)
いやいや、間違えた、この 「ハロウィン」の風潮は、このブログの記事のメイン・テーマに通底していることは確かである。
それにしても、昨今の 「ピコ太郎」ブームである。
ことさらに、今更、「ピコ太郎」のことをイジリ、扱い、しかも、このブログの「タイトル」に挙げてみたのは、意図的である。
別段、彼に対して「嫌悪感」があるわけではない。
それに、彼を批判するタイミングを逸していることも、重々承知である。
ということは、「復帰第一作」として、「ピコ太郎」を引き合いに出した理由は、ただ、「引き」がある、と思ったから、というだけの理由でしかない。
というわけで、今回は、
『「ピコ太郎」ブームに安易に乗っかっている昨今の日本人の頭って絶対おかしいよね』
をプロデュース。
——『ピコ太郎』を演じているのは、元・「底抜けair line」の古坂大魔王さんであるが、
僕は、「ボキャブラ世代」であり、かつ、「爆笑オンエアバトル世代」ゆえに、彼のこと、というよりも、彼の芸人としての「出自」を、よく知っているのである。
そういう側面では、
「芸人を辞めずに、ここまで続けてこれてよかったネ」
という思いもあるのである。
現『ピコ太郎』氏が所属していた「底抜けair line」が「オンバト」に出演していた頃の同期の芸人さん——スマイリー菊地さん、号泣、ルート33、田上よしえetc——は、結局、その後、多くは「解散」したり、あるいは、現在も芸人を続けているのかもしれないが、未だにくすぶり続けているのだから。
しかし、 今回の『ピコ太郎』名義の『PPAP』による「成功」は「許すこと」は出来ない。
なぜなら、「 邪道」だからである。
「 剣道」で言えば、 打つ場所は、小手、面、胴、突き、と撃つ箇所は決まっているのに、すねを思いっきり叩いて、
『試合に勝った!』
と思っているようなものだからである。
そして、そういう 「一時的なブーム」に乗っかっている「日本人」に対しても、 「さすがに頭がおかしくないか」と思っている。
今日はくどくど書きたくない気分なので、はっきりと言ってしまうが、古坂大魔王氏は、昨今の「リズムネタ」の時流に乗っかって、『ピコ太郎』名義で、
「有名になりたい!」
という卑しい野心一心で、軽はずみなことをしでかしただけの話なのである。
そういった、
「有名になりたい!」
というような、 「時代の病理」にかかった人々を、僕は、
「有名病」
と、僕は呼び、以下の 『自我.com』という 「風刺長編小説」にて、皮肉っている。
それこそ、今年の、 『君の名は。』ブームに始まり、 「36歳の自称アイドルの異臭事件」〜 「ピコ太郎ブーム」〜それこそ 「ハロウィン」文化に至るまで、である。
いずれも、その 「志レベル」が「低い」にも関わらず、 「影響力レベル」(成功度合)が、異常なほど高い、という点で一致する。
そして、それはやはり 「有名病」という、一種の 「時代の病理」なのである。
このブログは「時事ネタ」ブログ、と謳っているが、それこそ、この 長編小説『自我.com』は、 2016年の、あるいは、昨今の、「有名になりたい!」という承認欲求不足、その反動からの諸事件、つまり、「時事ネタ」を総ざらいした観がある。
結局、今回の記事は、僕の書いた「ライト・ノベル」についての「ライト・ノベル」こと、
『自我.com』
の手前味噌な宣伝になることは分かり切っていたことである。
むしろ、今、「宣伝」せずにどうする、といったところだ。
以下に、そのURLを載せる。
「 えー、本当に、この2016年を総ざらいしているのー!?」
と思っている貴婦人の方々よ、それが、ウソかどうか、読んでみるとよい。どうせ、無料なのだから。
http://p.booklog.jp/book/110466
2016年09月26日
小林麻央さんのブログに対する批判が増えた「本質」・・・小林麻央さんと海老蔵さん夫婦は「金持ちのボンボンの世間知らず」ゆえに批判されるのさ・・・をプロデュース。
まず最初に、3つ、お詫び申し上げます。
まず、「読者欲しさ」という、「不適切な理由」により、
「今週のブログ・テーマ」の「お歳暮特集」という「テーマ」について一切書かず、
そんな「不適切な記事」を「不適切な顔」して、「不適切なまま掲載してしまったこと」(=トラックバックを送信してしまったこと)を、お詫びして、訂正致します。←『いや、全然、反省してねーじゃん! 投稿してんじゃん! とうとう、記事内に「ブログ・テーマ」を織り込むことすらしなくなったよっ!』
それとですね、——私、小説家のともなりたかひろの読者の皆さん、なかなか 例の「ライトノベルによるライトノベルを解体するライトノベル」である長編小説が「発表」に至らず、申し訳ございません。9月には、どこかのサイトに掲載できそうなので、お許し下さい。
最後に、——生まれて、すみません。『←いや、急に重いよ! 太宰治かよ!』
では、時間がないので、さっそく本題に入ります。
僕は今日、「ただ一つのこと」をどうしても言いたくて、ブログを更新することもしました。
体の具合も悪く、かつまた、本当は前述の小説の執筆に時間を割くべきなのに、です。
もう、言葉を無駄にしている暇もないので、 「結論」をはっきり言うと、
最近の小林麻央さん、あるいは、最近の小林麻央さんと海老蔵さんのネット上でのやりとりを見て、皆さん方は、
「 こいつらってさ、——結局、自分たちがどれだけ『金持ちのボンボンの世間知らず』なのか、っていう大前提に、疎いよね。……だから、軽薄に見えるし、今はもう、あまり麻央さんに同情できないんだよねぇ」
と、お思いではないですか?
——ということです。
ほとんどの、「金持ち」でない、「一般人」の方々/「一般人のがん患者」の方々は、「海老蔵夫妻」について、こう、お思いつつあるのではないでしょうか。
「 所詮は、世間知らずのボンボン二人じゃん! 自分たちが、がん患者として、『一般人のがん患者さんたち』と比べて、どれだけ高額の、好待遇な治療環境を得られているのか、まったくわかっていないバカップルだよ、ただの。あんたたちだけが、『不幸』ではないんだ。そんなやりとり、世間に公表せず、ラインで済ませろよ!」
——と。
僕個人に立ち返って考えてみれば、
僕は先のブログの記事 https://fanblogs.jp/muryokukoushi/archive/42/0 で、小林麻央さんのことを書き、その時点においては、僕もこの二人を「日本のウィリアム王子とキャサリン妃」だと単純に思っていたので、「 麻央さん、可哀そうだな」、と純粋に思っていました。
その証拠が、先のブログの記事、ということになるでしょう。
しかし僕は、麻央さんがブログを始めてからというもの、色々な要素から——それは麻央さんのブログの構成の下手さ、あるいは、そのブログ自体が時系列がめちゃくちゃで、いわゆる 「癌の陰に隠れていたこれまでのこと」を全て連載小説的に振り返って書き綴ってゆき、「——そうして現在、私はこんな状態です」、というような、そういう時系列的に闘病生活を具体的な内容と共に振り返ってゆくタイプの「コンセプトありきのブログ」であるべきなのに、その 「コンセプチュアルな態度」に麻央さんが徹し切れていない、もどかしさ/曖昧さ、もあれば、……以下に記すことになりますが、麻央さんのせいだけではなく、 海老蔵さんが「ウィッグを被ってみた」みたいな、「がん治療」を「遊び」として使用している「軽薄さ」にまでつながるのですが——、本当に、最近になればなるほど、小林麻央さん、あるいは、海老蔵さん、あるいは、この海老蔵夫妻二人に、 「同情できないもの」を感じるようになりました。
さて、今更だ、とは思いますが、「おさらい」をしておきましょう。
「なぜ小林麻央さんがブログを始めたのか?」という事態の 「裏」には、 2つ、 読み取れる「背景」がある、と思われます。
1つは、 逆に言えば、「快方には向かっていない」、ということです。
なぜなら 、「病状が良くなっている」のならば、 海老蔵さんが自身のブログで「まおは、快方に向かっています」と報告すればいいだけの話ですから。
2つは、皆さん、ネットの情報などで御承知の通り、
「 そもそも19億もの負債をも抱えている海老蔵がブログの収入によって莫大な医療費を稼ぎたいから」、ということです。
でなければ、1日に彼が20~30もブログを更新する「謎」は解けませんからね。
悲しい話ですね。
ブログ開設した9月1日頃は、麻央さんの「決断」(これも今思えば大げさな表現ですね)に、多くの人が「賞賛」「共感」を送っていました。
しかし、それが今では、どうでしょう、
海老蔵夫妻のネット上の言動に関して、
「感動ポルノだ」、あるいは、 「感動の押し売りだ」、あるいは、 「飽きた。その程度のことなんて、家族内のラインでやれよ」という「言葉」さえ散見されるほどにまでに、多くの人から鼻白まれております。
が、しかし、それも
「致し方ありますまい」
と、僕は思うのであります。
それは、なぜか?
理由は簡単、Twitterでも呟いた通り、 「一般人」の「がん治療」にかかる「医療費・待遇」と、海老蔵夫妻の「がん治療」にかかる「医療費・待遇」が、天と地ほど「違う」からです。
皆さん。
一部のネット記事では、
「同じく、若くして、乳がんになった私には、麻央さんの言葉に勇気をもらっています」
的なコメントが大量に書き込まれている、という「美談」を、もう飽きるほど見聞きしたことでしょう。
しかし、
「同じく、若くして、乳がんになった私には、麻央さんの言葉に勇気をもらっています」
という 「美談」的なコメントは、 見当はずれなのであります。
なぜなら、くどいようですが、
「一般人」の「がん治療」にかかる「医療費・待遇」と、海老蔵夫妻の「がん治療」にかかる「医療費・待遇」が、天と地ほど「違う」からです。
「共通前提」(スタート地点)が、そもそも「違う」のです。
この、「共通前提の違い」、言い換えると、「 実は同じがん患者でもスタート地点がまったく違う」、という点を見失った上で、小林麻央さんや海老蔵さんは 「ポジティブ」に「情報」を「発信」しているので、両者の間に違和感・齟齬が生じることは必至、よって、
例えば、麻央さんの、
「 同じ乳がん患者さんと繋がることが出来てうれしい」
という一見 「ポジティブ」な、 なんの裏もない「素朴な発言」も、
お金持ちでない「一般人」/「一般人のがん患者」から見れば、
「いい気なもんだな感」、あるいは、 「闘病生活を『遊び』にしているこの夫婦の軽薄さ」、そして、最終的には、「 ——結局は、金持ちの世間知らずのボンボンじゃねぇか!この二人は!」、という 「違和感」あるいは「嫌悪感」に変わる、ということは避けられないこと、となるわけです。
僕個人としては、 海老蔵さんが「ウィッグをかぶった写真」をupしたあと、麻央さんも夫の記事に乗っかって、自身のブログでも「ウィッグをかぶった写真」をupしてましたよね?
あの辺りから、僕は、 海老蔵夫婦の中にある、「がんの闘病生活」を「遊び」みたいに「扱いだした感」が感じられ始め、彼らに 「不快感」を感じるようになりました。
海老蔵夫妻は、
「 僕たち家族は、ポジティブに生活しているんですよ」
と 世間にアピールしたい、かつまた、 夫である海老蔵としては、あわよくば、もう二度と「プライベート」を「盗撮」されないように陽動したい、という「真意」でやっている、という内情は重々分かりますが、それが今や「ポジティブ感」を通り越して「遊び感」を帯びてきて、終いには「軽薄」に伝わり出してきたんですよね、最近になれば、なるほど。
それもこれも、 彼らが「世間知らず」だから、です。
……本当に、ただ、それだけの話、だと思います。
つまり、 「華やかな世界」しか知らない海老蔵夫妻にとって、
「最先端の高額医療を受けていること」を「普通のこと」と思っていますが、
「一般人」/「一般人のがん患者さん」からすれば、 「ものすごく恵まれている環境」なわけですから。
そこを「対比」して再考してみると、・・・夫婦で「ウィッグ」で「遊んで」いたりしていれば、
「 こんな、私たちみたいな『一般人』ではあり得ない最先端の高額医療を受けているのに、軽薄じゃない? この夫妻って」
という「怒り」にまで変わってくる、という「流れ」は致し方ないことなのです。
以上です。
最後に。
僕は、「 細長いろうそくに灯がついている」という「 絵」に、 「夫婦二人」あるいは 「夫婦の二人の会話」そのものだなぁ、というアナロジーを見出している者です。
もし、——この僕の記事に対して、これを読んだ貴方の胸の内に、なにか思うところがあったのならば、以下の、 『ブック・ショート』というサイトに掲載されている、アットホームアワード6月期優秀賞に選出された、僕、ともなりたかひろの短編小説『いまはまだねむるこどもに』を読むといい、と思います。
http://www.athome.co.jp/vox/award/6/?utm_source=bookSH&utm_medium=Link&utm_content=bkshLink01&utm_campaign=bookSH01
——僕は冷たいだけの人間ではありません。その、 「たった7ページの小説内」に 、麻央さんの「第3子出産断念への悲しさ」も、実は、 無言のうちに、織り込んでおります。
それでは、執筆に戻ります。それでは。
まず、「読者欲しさ」という、「不適切な理由」により、
「今週のブログ・テーマ」の「お歳暮特集」という「テーマ」について一切書かず、
そんな「不適切な記事」を「不適切な顔」して、「不適切なまま掲載してしまったこと」(=トラックバックを送信してしまったこと)を、お詫びして、訂正致します。←『いや、全然、反省してねーじゃん! 投稿してんじゃん! とうとう、記事内に「ブログ・テーマ」を織り込むことすらしなくなったよっ!』
それとですね、——私、小説家のともなりたかひろの読者の皆さん、なかなか 例の「ライトノベルによるライトノベルを解体するライトノベル」である長編小説が「発表」に至らず、申し訳ございません。9月には、どこかのサイトに掲載できそうなので、お許し下さい。
最後に、——生まれて、すみません。『←いや、急に重いよ! 太宰治かよ!』
では、時間がないので、さっそく本題に入ります。
僕は今日、「ただ一つのこと」をどうしても言いたくて、ブログを更新することもしました。
体の具合も悪く、かつまた、本当は前述の小説の執筆に時間を割くべきなのに、です。
もう、言葉を無駄にしている暇もないので、 「結論」をはっきり言うと、
最近の小林麻央さん、あるいは、最近の小林麻央さんと海老蔵さんのネット上でのやりとりを見て、皆さん方は、
「 こいつらってさ、——結局、自分たちがどれだけ『金持ちのボンボンの世間知らず』なのか、っていう大前提に、疎いよね。……だから、軽薄に見えるし、今はもう、あまり麻央さんに同情できないんだよねぇ」
と、お思いではないですか?
——ということです。
ほとんどの、「金持ち」でない、「一般人」の方々/「一般人のがん患者」の方々は、「海老蔵夫妻」について、こう、お思いつつあるのではないでしょうか。
「 所詮は、世間知らずのボンボン二人じゃん! 自分たちが、がん患者として、『一般人のがん患者さんたち』と比べて、どれだけ高額の、好待遇な治療環境を得られているのか、まったくわかっていないバカップルだよ、ただの。あんたたちだけが、『不幸』ではないんだ。そんなやりとり、世間に公表せず、ラインで済ませろよ!」
——と。
僕個人に立ち返って考えてみれば、
僕は先のブログの記事 https://fanblogs.jp/muryokukoushi/archive/42/0 で、小林麻央さんのことを書き、その時点においては、僕もこの二人を「日本のウィリアム王子とキャサリン妃」だと単純に思っていたので、「 麻央さん、可哀そうだな」、と純粋に思っていました。
その証拠が、先のブログの記事、ということになるでしょう。
しかし僕は、麻央さんがブログを始めてからというもの、色々な要素から——それは麻央さんのブログの構成の下手さ、あるいは、そのブログ自体が時系列がめちゃくちゃで、いわゆる 「癌の陰に隠れていたこれまでのこと」を全て連載小説的に振り返って書き綴ってゆき、「——そうして現在、私はこんな状態です」、というような、そういう時系列的に闘病生活を具体的な内容と共に振り返ってゆくタイプの「コンセプトありきのブログ」であるべきなのに、その 「コンセプチュアルな態度」に麻央さんが徹し切れていない、もどかしさ/曖昧さ、もあれば、……以下に記すことになりますが、麻央さんのせいだけではなく、 海老蔵さんが「ウィッグを被ってみた」みたいな、「がん治療」を「遊び」として使用している「軽薄さ」にまでつながるのですが——、本当に、最近になればなるほど、小林麻央さん、あるいは、海老蔵さん、あるいは、この海老蔵夫妻二人に、 「同情できないもの」を感じるようになりました。
さて、今更だ、とは思いますが、「おさらい」をしておきましょう。
「なぜ小林麻央さんがブログを始めたのか?」という事態の 「裏」には、 2つ、 読み取れる「背景」がある、と思われます。
1つは、 逆に言えば、「快方には向かっていない」、ということです。
なぜなら 、「病状が良くなっている」のならば、 海老蔵さんが自身のブログで「まおは、快方に向かっています」と報告すればいいだけの話ですから。
2つは、皆さん、ネットの情報などで御承知の通り、
「 そもそも19億もの負債をも抱えている海老蔵がブログの収入によって莫大な医療費を稼ぎたいから」、ということです。
でなければ、1日に彼が20~30もブログを更新する「謎」は解けませんからね。
悲しい話ですね。
ブログ開設した9月1日頃は、麻央さんの「決断」(これも今思えば大げさな表現ですね)に、多くの人が「賞賛」「共感」を送っていました。
しかし、それが今では、どうでしょう、
海老蔵夫妻のネット上の言動に関して、
「感動ポルノだ」、あるいは、 「感動の押し売りだ」、あるいは、 「飽きた。その程度のことなんて、家族内のラインでやれよ」という「言葉」さえ散見されるほどにまでに、多くの人から鼻白まれております。
が、しかし、それも
「致し方ありますまい」
と、僕は思うのであります。
それは、なぜか?
理由は簡単、Twitterでも呟いた通り、 「一般人」の「がん治療」にかかる「医療費・待遇」と、海老蔵夫妻の「がん治療」にかかる「医療費・待遇」が、天と地ほど「違う」からです。
皆さん。
一部のネット記事では、
「同じく、若くして、乳がんになった私には、麻央さんの言葉に勇気をもらっています」
的なコメントが大量に書き込まれている、という「美談」を、もう飽きるほど見聞きしたことでしょう。
しかし、
「同じく、若くして、乳がんになった私には、麻央さんの言葉に勇気をもらっています」
という 「美談」的なコメントは、 見当はずれなのであります。
なぜなら、くどいようですが、
「一般人」の「がん治療」にかかる「医療費・待遇」と、海老蔵夫妻の「がん治療」にかかる「医療費・待遇」が、天と地ほど「違う」からです。
「共通前提」(スタート地点)が、そもそも「違う」のです。
この、「共通前提の違い」、言い換えると、「 実は同じがん患者でもスタート地点がまったく違う」、という点を見失った上で、小林麻央さんや海老蔵さんは 「ポジティブ」に「情報」を「発信」しているので、両者の間に違和感・齟齬が生じることは必至、よって、
例えば、麻央さんの、
「 同じ乳がん患者さんと繋がることが出来てうれしい」
という一見 「ポジティブ」な、 なんの裏もない「素朴な発言」も、
お金持ちでない「一般人」/「一般人のがん患者」から見れば、
「いい気なもんだな感」、あるいは、 「闘病生活を『遊び』にしているこの夫婦の軽薄さ」、そして、最終的には、「 ——結局は、金持ちの世間知らずのボンボンじゃねぇか!この二人は!」、という 「違和感」あるいは「嫌悪感」に変わる、ということは避けられないこと、となるわけです。
僕個人としては、 海老蔵さんが「ウィッグをかぶった写真」をupしたあと、麻央さんも夫の記事に乗っかって、自身のブログでも「ウィッグをかぶった写真」をupしてましたよね?
あの辺りから、僕は、 海老蔵夫婦の中にある、「がんの闘病生活」を「遊び」みたいに「扱いだした感」が感じられ始め、彼らに 「不快感」を感じるようになりました。
海老蔵夫妻は、
「 僕たち家族は、ポジティブに生活しているんですよ」
と 世間にアピールしたい、かつまた、 夫である海老蔵としては、あわよくば、もう二度と「プライベート」を「盗撮」されないように陽動したい、という「真意」でやっている、という内情は重々分かりますが、それが今や「ポジティブ感」を通り越して「遊び感」を帯びてきて、終いには「軽薄」に伝わり出してきたんですよね、最近になれば、なるほど。
それもこれも、 彼らが「世間知らず」だから、です。
……本当に、ただ、それだけの話、だと思います。
つまり、 「華やかな世界」しか知らない海老蔵夫妻にとって、
「最先端の高額医療を受けていること」を「普通のこと」と思っていますが、
「一般人」/「一般人のがん患者さん」からすれば、 「ものすごく恵まれている環境」なわけですから。
そこを「対比」して再考してみると、・・・夫婦で「ウィッグ」で「遊んで」いたりしていれば、
「 こんな、私たちみたいな『一般人』ではあり得ない最先端の高額医療を受けているのに、軽薄じゃない? この夫妻って」
という「怒り」にまで変わってくる、という「流れ」は致し方ないことなのです。
以上です。
最後に。
僕は、「 細長いろうそくに灯がついている」という「 絵」に、 「夫婦二人」あるいは 「夫婦の二人の会話」そのものだなぁ、というアナロジーを見出している者です。
もし、——この僕の記事に対して、これを読んだ貴方の胸の内に、なにか思うところがあったのならば、以下の、 『ブック・ショート』というサイトに掲載されている、アットホームアワード6月期優秀賞に選出された、僕、ともなりたかひろの短編小説『いまはまだねむるこどもに』を読むといい、と思います。
http://www.athome.co.jp/vox/award/6/?utm_source=bookSH&utm_medium=Link&utm_content=bkshLink01&utm_campaign=bookSH01
——僕は冷たいだけの人間ではありません。その、 「たった7ページの小説内」に 、麻央さんの「第3子出産断念への悲しさ」も、実は、 無言のうちに、織り込んでおります。
それでは、執筆に戻ります。それでは。
2016年09月16日
2020年の東京不倫ピックをプロデュース!
どうも。
安倍さんが「マリオ」だったら、小池さんは「ルイージ」だろ、「緑が好きなんだから」と思っている、小説家のともなりたかひろ、です。
というわけでね、今週のテーマは、『お歳暮特集』ということなんですが、——そんなもん、送らなくていい! はい、これで今週のテーマ、全て、「回収」致しました。
というわけで今回は、
『2020年の東京不倫ピックをプロデュース!』
——というわけで、以下、全て「漫才」形式でお送り致します。
ボケ「はい、どうも〜。
えー、軽く自己紹介しますとね、横にいるこの男は、
『乱暴にツッコミを入れて、笑いを膨らませていく』のが仕事でして、
それに対して、
『乱暴にぶっといの挿れて、硬いのを膨らませてイッたのが、高畑裕太です』、よろしくお願いしま〜す」
ツッコミ『いや、お前自身を紹介しろよ! なんで高畑裕太を紹介したの!?』
ボケ「——まぁ、とにかく、今年はリオでオリンピックが行われましたけど」
ツッコミ「まぁ、盛り上がりましたよね、これを見なきゃ、って感じでね」
ボケ「だから、今から4年後に行われる『不倫ピック』が楽しみですよね」
ツッコミ「なんだよ、『不倫ピック』って。ねーよ、そんなもん。あるとしたら、誰が出場するんだよ!」
ボケ「日本はスター選手が多いですからね。ベッキー、ゲスの極み川谷、円楽、三枝、狩野英孝、ファンキー加藤、カールスモーキー石井、橋之助っていうね」
ツッコミ「金メダル取れそうなスターばかりだな、確かに! っていうか、争うものは、なんなんだよ?」
ボケ「ううん、なんでしょう、——『恋愛自由形』とかね」
ツッコミ「いや、あいつら、自由過ぎて問題になってんだよ!」
ボケ「あと、——『新居で、内緒で、ペッティング』」
ツッコミ「いや、『シンクロ・ナイズト・スイミング』!」
ボケ「——あと、『勘違い、性交渉』」
ツッコミ「『段違い平行棒』!」
ボケ「でもね、そんなダジャレだけじゃなくてね、真剣に考えている『競技』もあってね。例えば、『フル・マラソン』ってあるでしょ?」
ツッコミ「ああ、ありますね、42.195km」
ボケ「その『フル・マラソン』もね、この『不倫ピック』では、優勝の基準が違うわけ。ふつうは、最速で、42.195km走った選手が金メダルでしょ?」
ツッコミ「まぁ、そうですね、普通は」
ボケ「でも、『不倫ピック』での優勝基準は、不倫したい女性が、走っている選手をモニタリングしてて、『あ、この人と不倫したいわ!』と思って、ボタンを押された選手が優勝、っていうね」
ツッコミ「なんだ、そりゃ!」
ボケ「あとね、『不倫ピック』に、ぜひ、入れてもらいたい『競技』がね、——『会見』、っていうね」
ツッコミ「なんだよ、『会見』って。あの、不倫報道が起こったときに行う『謝罪会見』のことか?」
ボケ「そうですよ。だから、まぁ、『不倫』の『謝罪会見』も、色々あるじゃないですか。円楽みたいに、笑いに変える、みたいな『謝罪会見』もあれば、ファンキー加藤みたいに真剣な『謝罪会見』もある、っていうね」
ツッコミ「——ああ、確かにね。それも、よくよく考えたら、違う国にとっては、『不倫』なんてないかもしれませんもんね? ほら、一夫多妻制の国があったりしますからね」
ボケ「そうなんですよ。だから、一夫多妻制の国の選手は『会見』という『競技』には強い、ですよ。でも、そうなったら、一方的な『競技』になっちゃうんでね、なにか、特別な項目を設けなきゃいけないですよね」
ツッコミ「例えば、どんな特別点ですか?」
「——うーん、だから、耳をそばだてたら5点、朝鮮飲みしたら5点、そして、上手く号泣できたら10点入る、みたいなねぇ」
「それ野々村竜太郎さん!!不倫と関係ないっ!」
ボケ&ツッコミ「どうも、ありがとうございました〜」
PS.
くどいようですが、僕、ともなりたかひろは、『アットホーム・アワード6月期優秀賞』(400分の20)に選ばれました。
それに、『読者賞』というのもあるみたいなんで、以下のURLから、
『ともなりたかひろ』の『いまはまだねむるこどもに』に、一票、入れて下さい。
http://bit.ly/2aLOyXN
プロフィールと違う人間だ、とお思いでしょうが、僕、ともなりたかひろです。
長編小説を書き終えるまで、髪を切らない、とバイキングの小峠みたいな枷をつけてしまった結果、
こんなに髪が伸びてしまいました。
安倍さんが「マリオ」だったら、小池さんは「ルイージ」だろ、「緑が好きなんだから」と思っている、小説家のともなりたかひろ、です。
というわけでね、今週のテーマは、『お歳暮特集』ということなんですが、——そんなもん、送らなくていい! はい、これで今週のテーマ、全て、「回収」致しました。
というわけで今回は、
『2020年の東京不倫ピックをプロデュース!』
——というわけで、以下、全て「漫才」形式でお送り致します。
ボケ「はい、どうも〜。
えー、軽く自己紹介しますとね、横にいるこの男は、
『乱暴にツッコミを入れて、笑いを膨らませていく』のが仕事でして、
それに対して、
『乱暴にぶっといの挿れて、硬いのを膨らませてイッたのが、高畑裕太です』、よろしくお願いしま〜す」
ツッコミ『いや、お前自身を紹介しろよ! なんで高畑裕太を紹介したの!?』
ボケ「——まぁ、とにかく、今年はリオでオリンピックが行われましたけど」
ツッコミ「まぁ、盛り上がりましたよね、これを見なきゃ、って感じでね」
ボケ「だから、今から4年後に行われる『不倫ピック』が楽しみですよね」
ツッコミ「なんだよ、『不倫ピック』って。ねーよ、そんなもん。あるとしたら、誰が出場するんだよ!」
ボケ「日本はスター選手が多いですからね。ベッキー、ゲスの極み川谷、円楽、三枝、狩野英孝、ファンキー加藤、カールスモーキー石井、橋之助っていうね」
ツッコミ「金メダル取れそうなスターばかりだな、確かに! っていうか、争うものは、なんなんだよ?」
ボケ「ううん、なんでしょう、——『恋愛自由形』とかね」
ツッコミ「いや、あいつら、自由過ぎて問題になってんだよ!」
ボケ「あと、——『新居で、内緒で、ペッティング』」
ツッコミ「いや、『シンクロ・ナイズト・スイミング』!」
ボケ「——あと、『勘違い、性交渉』」
ツッコミ「『段違い平行棒』!」
ボケ「でもね、そんなダジャレだけじゃなくてね、真剣に考えている『競技』もあってね。例えば、『フル・マラソン』ってあるでしょ?」
ツッコミ「ああ、ありますね、42.195km」
ボケ「その『フル・マラソン』もね、この『不倫ピック』では、優勝の基準が違うわけ。ふつうは、最速で、42.195km走った選手が金メダルでしょ?」
ツッコミ「まぁ、そうですね、普通は」
ボケ「でも、『不倫ピック』での優勝基準は、不倫したい女性が、走っている選手をモニタリングしてて、『あ、この人と不倫したいわ!』と思って、ボタンを押された選手が優勝、っていうね」
ツッコミ「なんだ、そりゃ!」
ボケ「あとね、『不倫ピック』に、ぜひ、入れてもらいたい『競技』がね、——『会見』、っていうね」
ツッコミ「なんだよ、『会見』って。あの、不倫報道が起こったときに行う『謝罪会見』のことか?」
ボケ「そうですよ。だから、まぁ、『不倫』の『謝罪会見』も、色々あるじゃないですか。円楽みたいに、笑いに変える、みたいな『謝罪会見』もあれば、ファンキー加藤みたいに真剣な『謝罪会見』もある、っていうね」
ツッコミ「——ああ、確かにね。それも、よくよく考えたら、違う国にとっては、『不倫』なんてないかもしれませんもんね? ほら、一夫多妻制の国があったりしますからね」
ボケ「そうなんですよ。だから、一夫多妻制の国の選手は『会見』という『競技』には強い、ですよ。でも、そうなったら、一方的な『競技』になっちゃうんでね、なにか、特別な項目を設けなきゃいけないですよね」
ツッコミ「例えば、どんな特別点ですか?」
「——うーん、だから、耳をそばだてたら5点、朝鮮飲みしたら5点、そして、上手く号泣できたら10点入る、みたいなねぇ」
「それ野々村竜太郎さん!!不倫と関係ないっ!」
ボケ&ツッコミ「どうも、ありがとうございました〜」
PS.
くどいようですが、僕、ともなりたかひろは、『アットホーム・アワード6月期優秀賞』(400分の20)に選ばれました。
それに、『読者賞』というのもあるみたいなんで、以下のURLから、
『ともなりたかひろ』の『いまはまだねむるこどもに』に、一票、入れて下さい。
http://bit.ly/2aLOyXN
プロフィールと違う人間だ、とお思いでしょうが、僕、ともなりたかひろです。
長編小説を書き終えるまで、髪を切らない、とバイキングの小峠みたいな枷をつけてしまった結果、
こんなに髪が伸びてしまいました。
2016年08月15日
『終戦記念日』じゃなくて、『敗戦記念日』が正しいよね?をプロデュース。
もし、 ベッキー&矢口真里が「 漫才コンビ」を組んだら。
ベッキー&矢口真里「(手を叩きながら笑顔で舞台そでから出てきて)はい、どうも、どうも、どうも〜っ
————(低い声でセンターマイクを手で隠すように)『不倫』です」
「いや、 『麒麟です』みたいに言うなよ!」
・・・というわけで、改めまして。
コップを一杯ぎりぎりにためて、——あれ、なんていうんですか、表面張力っていうんですか、あの状態から、1円〜100円まで用い、こぼしたら負けで、その最終投的の硬貨の単位でトップを競い合う競技があったら面白いな、と思っている、ともなりたかひろです。
こんなネタから入ることからもお分かりの通り、かなりお久しぶりですね、このブログを更新するのは。
僕は早く「僕の話」をしたいのですが、一応、このファンブログの「今週のテーマ」である「買取特集」という宿題をまず、片づけなければならない。
あー、めんどくさ。
おそらく、他のブロガーは、連携しているプログラムの中から、「無料で買取してくれる店」の広告などを貼ったりして済ましているのだろうが、僕はもう、「アフィリエイトブロガー」ではないし、そんなことをするのは面倒くさいので、少し違う「視点」を提供することで、この「宿題」を済ませることにすることにします。・・・それで、OKですよね、ファンブログさん!?
——あのですね、 そもそもですね、 買い取ってもらう「物」=「商品」が、ある程度 貴重なものだったり、 高価な価値があるものでないと、全然話にならないんじゃね? という、そもそも論が、まずあるんですよね。
手っ取り早く言えば、 「高値のつく物」を手に入れる「手段」は、 2つある、と僕は経験上、思いますね。
まず、?@。
父方か、母方か、どちらでもいいので、 代々続いている「実家」で 、歴史的価値のある「お宝」(骨董品)を盗みに行く、ですね。
——これに関しては、僕の母方のおばあちゃんが、死ぬ前に、「1円硬貨」をなぜか僕の母にくれたんですよね。
それを鑑定してもらったら、確かに、たった「2000円」にしかならなかったのですが、鑑定士によれば、
「 惜しいですね。この『1円硬貨』がもし『はじめて製造されたもの』だったならば、100万円はいってましたよ」
と言っていましたので、 こういう、なんの価値もないような「1円硬貨」のような、意外なガラクタに「商品価値」がつくことが往々にしてあるので、歴史ある家系生まれの人はまず実家に行ってみることをお勧めします 。
その?A。
——これは、誰しも考えることでしょうが、 「有名人のサイン入りの物」をヤフオクで売る、ということです。
ちなみに、以前僕は、あるLIVEにて、単なる「紙コップ」に、今は大御所になった、あるお笑い芸人にじかに会って、サインしてもらったことがあるのですが、その 「サイン入りの紙コップ」をヤフオクで売りに出してみたら、万単位(さすがに10万以上はいかないですが)の金を得た経験があります。
・・・というね。
はい、これで今週のブログ・テーマ、全て「回収」しました、終りっ!!
さて、僕の話をしますが、結論から申しますと、まぁ、Twitterをフォローして下さっている方ならご存知でしょうけれども、ワタクシ、なんか、 「アットホームアワード」とかいう賞の【6月期優秀賞】に選出されましてね。
22作品/約230作品中、ということで、まぁ、大したことではありません。
宝くじで言うと、あれです、 ちびまる子ちゃんのスクラッチのくじを10枚(2000円)買ってたまたま10万円当たった、ぐらいの安い確率です。
で、その賞には、勿論、「最優秀賞」もあるんですが、 読者の得票で決まる「読者賞」もあるみたいなんで、まぁ、暇な人は 以下のURLから「ともなりたかひろ」の作品『いまはまだねむるこども』に1票入れといて下さい。
もし仮に、これを読んでいる貴方が1票を入れていただき、僕が「6月期最優秀賞」になると、貴方に、いいことがありますよ。
・・・僕が50万もらえるっていうね。「← いや、おまえの利益じゃねーか!」
http://www.athome.co.jp/vox/award/6/?utm_source=bookSH&utm_medium=Link&utm_content=bkshLink01&utm_campaign=bookSH01
あ。
それと、最近、 「寝言」(byラッパー般若さんから拝借)が ひどくて、今日もFacebook上で、酷い「寝言」を言っていたようなので、以下、それを掲載しておきます。
< ぐー、ぐー、(-_-)zzz
はっ、寝てた!? 今、なんか、「不謹慎な寝言」、言ってた?
許して つーか、俺、寝言の癖ある、昔から。だから、皆「本音」と、誤解すんな。
うつら、うつら、・・・(-_-)zzz〉
・・・みんな、気をつけて! フォロワーに告ぐ。
kazu lizukaっていう人、もとい、「顔面人造人間」か、彼、犯罪者予備軍。
なんなん、Facebook上で「電話」して、ワンワン吠えてくる、3回も
おー、こわ、おーこわ、「通報」していい? ストーカー被害として 即逮捕?
俺も頭、確かに、おかしい。
でも アンタは、首から上全部が、おかしい。
っていうことに客観的に気づいてない、ってんだから、「笑う方」の意味で、やっぱアンタがおかしいじゃん?
僕と人造人間ことkazu lizukaどっちが「裸の王様」?
まぁ、どっちもどっち、だけど、あげるよ、軍配。……それじゃ、グッバイ、さよなら。
え? なんだって? まだ、あんのか、別件?
俺のナイフのようにあんたの内部をえぐった言葉が「プライバシーの侵害」だってか?
いや、違うって、眠てーな。
そもそも、他人の写真を「自分」のプロフィールとして使用してる時点で「肖像権侵害」なんだよ、バカが!
< ぐー、ぐー、(-_-)zzz
はっ、寝てた!? 今、なんか、「不謹慎な寝言」、言ってた?
許して つーか、俺、寝言の癖ある、昔から。だから、皆「本音」と、誤解すんな。
うつら、うつら、・・・(-_-)zzz〉
「 連日、オリンピックで眠れない日が続きますねぇ」
「——そうですね、 松岡修造と松木安太郎の声援がうるさくてねぇ」
「 そこじゃねーよ!」
「あと、テニスでは、 ユニクロ代表の、錦織・・・」
「 日本代表です! 確かに、ユニクロの広告塔ではありますけど」
「それと、 今日8月15日は、『敗北記念日』、でしたよね?」
「いや 、『終戦記念日』だよ! 消されるぞ、誰かに!」
・・・消される、と言えば、「鈍器のようなもの」ってなんなんだろう、うーん、眠い。
ああ、それにしても、 オリンピック競技で、「ギロチン」って種目あったら、超おもろいのになぁ。
ギロチン台で首切って、脳死するまでのタイムを競うんだ。
でも、 金メダル取っても、それ、かける、首がない…つーね。
あははは、そんな競技あったら、超、ウケるのにーっ!
< ぐー、ぐー、(-_-)zzz
はっ、寝てた!? 今、なんか、「不謹慎な寝言」、言ってた?
許して つーか、俺、寝言の癖ある、昔から。だから、皆「本音」と、誤解すんな。
うつら、うつら、・・・(-_-)zzz〉
・・・うつら、うつら、鬱だ、鬱だ、Facebookなんかなんの「宣伝効果」もねーよ、マジ。
まー、僕、Facebook上じゃ、「ユダ」の役割、だから、嫌われて、も、しょうがなし。
おめーが「今日、何食ったか」なんて、興味ねぇよ、タコ! つったら、そう、出る杭。
でも、差し当たって「いいね!」つってお互い、認め、合わなきゃ、共食い。
あー、もう、納得いかねー、納得いかねー、どっかいかねー?
でも、出れねぇ、てな、ここの掟
そこ一生、楽しむっぽいぜ?
え? 結論? 早く? 言ってって?
ハナから言っててんだろ、このいなかっぺ!
だから、ガタガタ言ってねーで、アットホームアワードとかいう賞の【6月期優秀賞】に選出された「ともなりたかひろ」の『いまはまだねむるこども』に1票入れろ、つってんだ!
・・・あ、間違えた。
こういうときは、敬語で言わなきゃ、
「 すみませんが、どうか、清き1票を入れておいてくださいませ、・・・fuck you.」
だった。
< ぐー、ぐー、(-_-)zzz
はっ、寝てた!? 今、なんか、「不謹慎な寝言」、言ってた?
許して つーか、俺、寝言の癖ある、昔から。だから、皆「本音」と、誤解すんな。
うつら、うつら、・・・(-_-)zzz〉
● 「アットホームアワード」とかいう賞の【6月期優秀賞】作品一覧のページ●
この約20?ぐらいの「優秀賞」作品のどれかに、『いまはまだねむるこども』があるようです。よく知りませんけど。
http://www.athome.co.jp/vox/award/6/?utm_source=bookSH&utm_medium=Link&utm_content=bkshLink01&utm_campaign=bookSH01
ベッキー&矢口真里「(手を叩きながら笑顔で舞台そでから出てきて)はい、どうも、どうも、どうも〜っ
————(低い声でセンターマイクを手で隠すように)『不倫』です」
「いや、 『麒麟です』みたいに言うなよ!」
・・・というわけで、改めまして。
コップを一杯ぎりぎりにためて、——あれ、なんていうんですか、表面張力っていうんですか、あの状態から、1円〜100円まで用い、こぼしたら負けで、その最終投的の硬貨の単位でトップを競い合う競技があったら面白いな、と思っている、ともなりたかひろです。
こんなネタから入ることからもお分かりの通り、かなりお久しぶりですね、このブログを更新するのは。
僕は早く「僕の話」をしたいのですが、一応、このファンブログの「今週のテーマ」である「買取特集」という宿題をまず、片づけなければならない。
あー、めんどくさ。
おそらく、他のブロガーは、連携しているプログラムの中から、「無料で買取してくれる店」の広告などを貼ったりして済ましているのだろうが、僕はもう、「アフィリエイトブロガー」ではないし、そんなことをするのは面倒くさいので、少し違う「視点」を提供することで、この「宿題」を済ませることにすることにします。・・・それで、OKですよね、ファンブログさん!?
——あのですね、 そもそもですね、 買い取ってもらう「物」=「商品」が、ある程度 貴重なものだったり、 高価な価値があるものでないと、全然話にならないんじゃね? という、そもそも論が、まずあるんですよね。
手っ取り早く言えば、 「高値のつく物」を手に入れる「手段」は、 2つある、と僕は経験上、思いますね。
まず、?@。
父方か、母方か、どちらでもいいので、 代々続いている「実家」で 、歴史的価値のある「お宝」(骨董品)を盗みに行く、ですね。
——これに関しては、僕の母方のおばあちゃんが、死ぬ前に、「1円硬貨」をなぜか僕の母にくれたんですよね。
それを鑑定してもらったら、確かに、たった「2000円」にしかならなかったのですが、鑑定士によれば、
「 惜しいですね。この『1円硬貨』がもし『はじめて製造されたもの』だったならば、100万円はいってましたよ」
と言っていましたので、 こういう、なんの価値もないような「1円硬貨」のような、意外なガラクタに「商品価値」がつくことが往々にしてあるので、歴史ある家系生まれの人はまず実家に行ってみることをお勧めします 。
その?A。
——これは、誰しも考えることでしょうが、 「有名人のサイン入りの物」をヤフオクで売る、ということです。
ちなみに、以前僕は、あるLIVEにて、単なる「紙コップ」に、今は大御所になった、あるお笑い芸人にじかに会って、サインしてもらったことがあるのですが、その 「サイン入りの紙コップ」をヤフオクで売りに出してみたら、万単位(さすがに10万以上はいかないですが)の金を得た経験があります。
・・・というね。
はい、これで今週のブログ・テーマ、全て「回収」しました、終りっ!!
さて、僕の話をしますが、結論から申しますと、まぁ、Twitterをフォローして下さっている方ならご存知でしょうけれども、ワタクシ、なんか、 「アットホームアワード」とかいう賞の【6月期優秀賞】に選出されましてね。
22作品/約230作品中、ということで、まぁ、大したことではありません。
宝くじで言うと、あれです、 ちびまる子ちゃんのスクラッチのくじを10枚(2000円)買ってたまたま10万円当たった、ぐらいの安い確率です。
で、その賞には、勿論、「最優秀賞」もあるんですが、 読者の得票で決まる「読者賞」もあるみたいなんで、まぁ、暇な人は 以下のURLから「ともなりたかひろ」の作品『いまはまだねむるこども』に1票入れといて下さい。
もし仮に、これを読んでいる貴方が1票を入れていただき、僕が「6月期最優秀賞」になると、貴方に、いいことがありますよ。
・・・僕が50万もらえるっていうね。「← いや、おまえの利益じゃねーか!」
http://www.athome.co.jp/vox/award/6/?utm_source=bookSH&utm_medium=Link&utm_content=bkshLink01&utm_campaign=bookSH01
あ。
それと、最近、 「寝言」(byラッパー般若さんから拝借)が ひどくて、今日もFacebook上で、酷い「寝言」を言っていたようなので、以下、それを掲載しておきます。
< ぐー、ぐー、(-_-)zzz
はっ、寝てた!? 今、なんか、「不謹慎な寝言」、言ってた?
許して つーか、俺、寝言の癖ある、昔から。だから、皆「本音」と、誤解すんな。
うつら、うつら、・・・(-_-)zzz〉
・・・みんな、気をつけて! フォロワーに告ぐ。
kazu lizukaっていう人、もとい、「顔面人造人間」か、彼、犯罪者予備軍。
なんなん、Facebook上で「電話」して、ワンワン吠えてくる、3回も
おー、こわ、おーこわ、「通報」していい? ストーカー被害として 即逮捕?
俺も頭、確かに、おかしい。
でも アンタは、首から上全部が、おかしい。
っていうことに客観的に気づいてない、ってんだから、「笑う方」の意味で、やっぱアンタがおかしいじゃん?
僕と人造人間ことkazu lizukaどっちが「裸の王様」?
まぁ、どっちもどっち、だけど、あげるよ、軍配。……それじゃ、グッバイ、さよなら。
え? なんだって? まだ、あんのか、別件?
俺のナイフのようにあんたの内部をえぐった言葉が「プライバシーの侵害」だってか?
いや、違うって、眠てーな。
そもそも、他人の写真を「自分」のプロフィールとして使用してる時点で「肖像権侵害」なんだよ、バカが!
< ぐー、ぐー、(-_-)zzz
はっ、寝てた!? 今、なんか、「不謹慎な寝言」、言ってた?
許して つーか、俺、寝言の癖ある、昔から。だから、皆「本音」と、誤解すんな。
うつら、うつら、・・・(-_-)zzz〉
「 連日、オリンピックで眠れない日が続きますねぇ」
「——そうですね、 松岡修造と松木安太郎の声援がうるさくてねぇ」
「 そこじゃねーよ!」
「あと、テニスでは、 ユニクロ代表の、錦織・・・」
「 日本代表です! 確かに、ユニクロの広告塔ではありますけど」
「それと、 今日8月15日は、『敗北記念日』、でしたよね?」
「いや 、『終戦記念日』だよ! 消されるぞ、誰かに!」
・・・消される、と言えば、「鈍器のようなもの」ってなんなんだろう、うーん、眠い。
ああ、それにしても、 オリンピック競技で、「ギロチン」って種目あったら、超おもろいのになぁ。
ギロチン台で首切って、脳死するまでのタイムを競うんだ。
でも、 金メダル取っても、それ、かける、首がない…つーね。
あははは、そんな競技あったら、超、ウケるのにーっ!
< ぐー、ぐー、(-_-)zzz
はっ、寝てた!? 今、なんか、「不謹慎な寝言」、言ってた?
許して つーか、俺、寝言の癖ある、昔から。だから、皆「本音」と、誤解すんな。
うつら、うつら、・・・(-_-)zzz〉
・・・うつら、うつら、鬱だ、鬱だ、Facebookなんかなんの「宣伝効果」もねーよ、マジ。
まー、僕、Facebook上じゃ、「ユダ」の役割、だから、嫌われて、も、しょうがなし。
おめーが「今日、何食ったか」なんて、興味ねぇよ、タコ! つったら、そう、出る杭。
でも、差し当たって「いいね!」つってお互い、認め、合わなきゃ、共食い。
あー、もう、納得いかねー、納得いかねー、どっかいかねー?
でも、出れねぇ、てな、ここの掟
そこ一生、楽しむっぽいぜ?
え? 結論? 早く? 言ってって?
ハナから言っててんだろ、このいなかっぺ!
だから、ガタガタ言ってねーで、アットホームアワードとかいう賞の【6月期優秀賞】に選出された「ともなりたかひろ」の『いまはまだねむるこども』に1票入れろ、つってんだ!
・・・あ、間違えた。
こういうときは、敬語で言わなきゃ、
「 すみませんが、どうか、清き1票を入れておいてくださいませ、・・・fuck you.」
だった。
< ぐー、ぐー、(-_-)zzz
はっ、寝てた!? 今、なんか、「不謹慎な寝言」、言ってた?
許して つーか、俺、寝言の癖ある、昔から。だから、皆「本音」と、誤解すんな。
うつら、うつら、・・・(-_-)zzz〉
● 「アットホームアワード」とかいう賞の【6月期優秀賞】作品一覧のページ●
この約20?ぐらいの「優秀賞」作品のどれかに、『いまはまだねむるこども』があるようです。よく知りませんけど。
http://www.athome.co.jp/vox/award/6/?utm_source=bookSH&utm_medium=Link&utm_content=bkshLink01&utm_campaign=bookSH01
2016年06月06日
『北海道の小2置き去り事件は父親個人の「自己責任」であるべきであったよね、をプロデュース!』
——あるカップルが、終電間際の改札前で、いちゃいちゃしていたのを見た。
理由はおそらく、ホテルに行く金もなく、否、タクシーを拾う金もなく、否、一人暮らしをする金もないからである。
私はそっと素知らぬふりして、そのカップルの顔を見た。——どっちもブサイクであった。
やがて、ブサイクな男が、ブサイクの女の耳元で、囁いた。
「—— アモーレ。」
私はそれを見て、たまらず、 念能力『第三者の目(現実を見ない)』(by舛添都知事)を発動させた。
——というわけで、hunter×hunter33巻が発売されましたね!
内容、文句なく最高でした!
いやぁ、本当に面白い! もう、小説執筆なんかそっちのけで、貪り食うように熟読してしまいました。
たぶん、ここでヒソカvsクロロ戦を描いたのは、・・・いや、そんな話はどうでもいいんですよね。
今週のブログ・テーマは、「梅雨対策」ということらしいんですが、——うん、 北海道へ行く! これで決まりでしょう。
はい、これでブログ・テーマ、すべて、回収しました!(超強引)
——そして、北海道といえば、小2置き去り事件ですよね。
というわけで今回は、
『北海道の小2置き去り事件は父親個人の「自己責任」であるべきであったをプロデュース!』
僕は、この事件に対して、「しつけの定義」とか「奇跡的な生還の詳細」などの「論点」は、「枝葉」に過ぎないと思われる、そう、 山林だけに(いや、別にうまくない)。
「根っこ」にある「論点」は、 父親の公私混同、この一点だ。
「勝手に、子供を置き去りにして、いなくなった」という「私的」な「事件」を、これだけ「公的」な「事件」にまで「発展」させたことが、問題なのだ。
それは、なぜか。
答えは、明白。
この父親の「私的なわがまま」(捜索)のために、多額の公費が費やされており、しかも、その公費は、僕らの税金から捻出されているからである。
疑う者は、 2013年の、キャスターの辛坊治郎さんがヨットで遭難した事故のことを思い出して欲しい。
あのとき、最終的には海上保安庁からの要請で、海上自衛隊を出動させて、救難飛行艇US-2が四機も使われた。
そして、結局、 そのUS-2の燃料費が約数百万、加えて、人件費も加えれば、1000万円の公費が費やされたのだ。
そして、 その公費は、全て国民の税金から捻出されたものなのだ。
このことから、辛坊治郎さんは、今回の事件について、一言一句も口をさしはさむ権利がない、ということが分かる(いや、それはどうでもいい)。
とにかく、一事が万事、この通りであるから、今回の小2置き去り事件においても、多額の公費が使われていることは、明白であろう。それは、多くのヘリの使用を見てもお分かりだろう。
これが、父親になんの過失もなく、「第三者に、子供が、さらわれた」とかだったら、話は別だ。
が、今回は、完全に「行き過ぎた公私混同」だ。
だから、あくまで「自己責任」で、父親一人で捜索し、解決するべき事案であった、と思いますが、さすがに厳し過ぎますかね。
ともかく、あまり「美談」にするのはいかがかな、とは思いますけどね。
PS.
僕の誕生日は6月19日なのですが、この時期(双子座)に誕生日を迎える人が、絶対、一度は他人から言われる言葉を紹介します。
「Happy birthday 梅ー雨。」
あ、あと、プロフィール画像、変えました。
はい。完全に、クロロ・ルシルフルです。
短編小説『いまはまだねむるこどもに』(「縦書き文庫」/無料)→ http://tb.antiscroll.com/novels/jiga619/19054
理由はおそらく、ホテルに行く金もなく、否、タクシーを拾う金もなく、否、一人暮らしをする金もないからである。
私はそっと素知らぬふりして、そのカップルの顔を見た。——どっちもブサイクであった。
やがて、ブサイクな男が、ブサイクの女の耳元で、囁いた。
「—— アモーレ。」
私はそれを見て、たまらず、 念能力『第三者の目(現実を見ない)』(by舛添都知事)を発動させた。
——というわけで、hunter×hunter33巻が発売されましたね!
内容、文句なく最高でした!
いやぁ、本当に面白い! もう、小説執筆なんかそっちのけで、貪り食うように熟読してしまいました。
たぶん、ここでヒソカvsクロロ戦を描いたのは、・・・いや、そんな話はどうでもいいんですよね。
今週のブログ・テーマは、「梅雨対策」ということらしいんですが、——うん、 北海道へ行く! これで決まりでしょう。
はい、これでブログ・テーマ、すべて、回収しました!(超強引)
——そして、北海道といえば、小2置き去り事件ですよね。
というわけで今回は、
『北海道の小2置き去り事件は父親個人の「自己責任」であるべきであったをプロデュース!』
僕は、この事件に対して、「しつけの定義」とか「奇跡的な生還の詳細」などの「論点」は、「枝葉」に過ぎないと思われる、そう、 山林だけに(いや、別にうまくない)。
「根っこ」にある「論点」は、 父親の公私混同、この一点だ。
「勝手に、子供を置き去りにして、いなくなった」という「私的」な「事件」を、これだけ「公的」な「事件」にまで「発展」させたことが、問題なのだ。
それは、なぜか。
答えは、明白。
この父親の「私的なわがまま」(捜索)のために、多額の公費が費やされており、しかも、その公費は、僕らの税金から捻出されているからである。
疑う者は、 2013年の、キャスターの辛坊治郎さんがヨットで遭難した事故のことを思い出して欲しい。
あのとき、最終的には海上保安庁からの要請で、海上自衛隊を出動させて、救難飛行艇US-2が四機も使われた。
そして、結局、 そのUS-2の燃料費が約数百万、加えて、人件費も加えれば、1000万円の公費が費やされたのだ。
そして、 その公費は、全て国民の税金から捻出されたものなのだ。
このことから、辛坊治郎さんは、今回の事件について、一言一句も口をさしはさむ権利がない、ということが分かる(いや、それはどうでもいい)。
とにかく、一事が万事、この通りであるから、今回の小2置き去り事件においても、多額の公費が使われていることは、明白であろう。それは、多くのヘリの使用を見てもお分かりだろう。
これが、父親になんの過失もなく、「第三者に、子供が、さらわれた」とかだったら、話は別だ。
が、今回は、完全に「行き過ぎた公私混同」だ。
だから、あくまで「自己責任」で、父親一人で捜索し、解決するべき事案であった、と思いますが、さすがに厳し過ぎますかね。
ともかく、あまり「美談」にするのはいかがかな、とは思いますけどね。
PS.
僕の誕生日は6月19日なのですが、この時期(双子座)に誕生日を迎える人が、絶対、一度は他人から言われる言葉を紹介します。
「Happy birthday 梅ー雨。」
あ、あと、プロフィール画像、変えました。
はい。完全に、クロロ・ルシルフルです。
短編小説『いまはまだねむるこどもに』(「縦書き文庫」/無料)→ http://tb.antiscroll.com/novels/jiga619/19054
2016年04月20日
「『熊本地震』をめぐる状況」についての正しい分析
やめっ!
もうこれ以上の 「言葉」は「汚い」!
——そう思って、「 今月はもう何も書かない」ことを「宣言」したが、どうしても書いておきたいことが出てきたので、今日限りの二言、三言、許してくれ給え。
言うべきことを言ったら、さっと身を引くつもりである。
ブログテーマ、『 新生活に変化はありましたか?』であるが、れいの「熊本地震」で、ほとんどの人に「変化」があっただろう。
はい、これでブログテーマ全部回収。終り。
改めて、 「援助物資が行き届かない」理由を明確にしておこう。
まず、「公的な避難所」だけでなく、 「公的」に「避難場所」と「されていない場所」を「避難所」としている人々が多数いる。
理由は単純。
「物理的」な理由(距離的に遠い/道の陥没のせいで自動車が使えない等)から「公的な避難所」まで行けないからである。
まず、そうした 「非公的な避難場所」を含めた「すべての避難場所のマップ」を作らなければならない。
結局、 「熊本」といっても、都市中心を離れれば、 片田舎の「村」や「集落」が多い。
そこに住む人々にとって、「公的な避難所」など、「遠すぎて」いけるはずもないのだ。
また 、『「地震」によって亡くなれた人』の「定義」も、見直し、もっと 「拡大解釈」するべきである。
皆、 「地震」という「直接的被害」を受けた人を「被災者」と言いがちだが、「地震」によって、 ライフラインが途絶え、その「副次的被害」によって、死んでいった方々も「被災者」なのだ。
ある医者の友人が語っていたことだが、今回の「熊本地震」に遭っても、 「無傷だと思われている病院」内でも「死者」は出ている、と言っていた。
理由は勿論、病院内の「ライフライン」が復旧していないからである。
然るに、 病院内は高齢者が多い、 ことにも投石患者には大量の「水分補給」が必要である、が、「水」がライフラインの崩壊によって足りていないので、「死ぬ」のである。
こうした 「間接的な二次被害」によって「死亡」したケースは、 メディアによって「無視」されがちな「側面」である。
だが、そんなことよりも、である。
そんなことよりも「重要」な「問題」は、 「熊本地震」という「社会的事象」に対して、 僕たち「個人」が、 「どのような立場から語っているのか?」あるいは、 「どのような関わり方を持っているのか?」という 「そもそも論」である。
「つながろう!」「ひとつになろう!」という「風潮」がまた来た。
だが、 「3.11」にしても、「熊本地震」にしても、同じことである。
その 「社会的事象」に、 「どのような関わりを持つのか?」は、 「私」個人の「選択」の問題であり、 「私たち」全体の問題ではない。
『 「熊本地震」は「私たち」全体の「問題」だ!』
と口にするとき、すでに ありもしない「問題」が文中に「出現」している。
だが、 「熊本地震」という「社会的事象」が、その人 「個人」にとって「問題」になるか・ならないかは 、「人それぞれ」なのだから、 「『私たち全体』の問題」という構えは「誇張した問題意識」である。
本来は、 「積極的にボランティアをする人」も 「これを機に売名する芸能人」も 「熊本地震とはまったく無関係に日常を送る人々」も、それらすべて 「並列」に扱うべきである。
「自発的にボランティアをする偉い人」も「売名する恥知らずな人」も「無関心な心ない不謹慎な人」も、等しく「共存」しているのが、「この世界」の「本質」なのだから。
立場も事情も全く違う、てんでバラバラな「他者」同士が「共存」しているのが、「この世界」の「共通前提」である。
言うさえ野暮な、当たり前の「事実」だ。
しかし、彼らは「ひとつになろう!」という名の下、一つの「権力」を形成し、それに「同調」するよう「無言の圧力」をかけてくる。
御多分にもれず、僕も、昨今の「つながろう!」的な「同調圧力」を、勿論、3.11の時の状況の「再体験」として感じたが、その「権力性」を明らかにするには、むしろ昨年の『安保法案』の時の奥田愛基くんの「国会答弁」を例に出すのが有効的だと考える。
奥田愛基くんは国会答弁の際、 「『個』で動いている」と主張しつつも 、『私たち』という 「主語」を使用したのである。
あの状況で、 『私たち』と発言すれば、 『私たち』=『私のような若者一般は全て』と 「曲解」されてもおかしくない。
事実、メディアも 『私たち』=『私のような若者一般は全て』として彼の答弁を「理解」し、放送してしまった。
そのとき僕は、『 いや、勝手に僕を『私たち』というカギカッコの中に入れないで下さい』と思ったものだ。
つまり、政府という 「権力」に対する民衆のデモという 「反権力」も 「権力」には違いないのだ。
「賛成か/反対か」の 二項対立だけで考え、 「グレーゾーン」を全く「黙殺」している時点で。
それと同じ「権力性」を「つながろう!」という「同調圧力」にも感じるのだ。
「安保法案に対して賛成か/反対か」という言葉を、「震災に対して同情的か/非同情的か」という言葉に置き換えてみれば、昨今の「ひとつになろう!」という「同調圧力」の持つ「権力性」が明らかになるだろう。
考えてみたまえ。
別に、同情的でも、非同情的でもない、そんなに関係ないなぁ、と思っている「グレーな人々」が、一言でも意見を口にしようものなら「不謹慎だ!」と叩かれるであろう。
その時点で、 「つながろう!」という善意は、 完全に「権力」である。
そして、「つながろう!」と呼びかけ、それに同調しなかった人を「不謹慎だ!」と指弾する 不謹慎厨の「根本」にあるのは、実は、 ただ「大きな社会的事象」を「背景」に「みんなが一つになっている!」という「エクスタシー」を感じ、それに「酔っ払いたい」だけの「不謹慎」な「陶酔」でしかないのだ。
——こう考えてみると、 「他者」との関係を深く考えるがゆえに「何もしない」僕のような人間と、彼らのような人間、どちらが「不謹慎」か、分かったものではない。
そして、「ひとつになろう!」「つながろう!」という「大きなこと」を主張している人に限って、意外と、「小さなこと」——学校や職場などの身近な人たち=「他者」との関係が上手くいっていなかったりすること——を僕は知っている。
「小さなこと」——身近な「他者」との人間関係すら上手くいっていない人が、「ひとつになろう!」などという「大きなこと」を声高に主張しても何の説得力も感じないのである。
結論。
今回の「熊本地震」は、「人それぞれ」であって、「それ以上」でも「それ以下」でもない。
そして、 「それ以上」のこととして受け止め、はしゃいでいる人々は、それはご勝手にすればいいと思うが 、「それ以上でもそれ以下でもない」人たちに「同調」するよう「強要」しないこと。
以上だ!
もう、ほんとうに、今月は何も書かん!
震災小説『ひとつになるとき』(縦書き文庫/無料)→ http://tb.antiscroll.com/novels/jiga619/18203
もうこれ以上の 「言葉」は「汚い」!
——そう思って、「 今月はもう何も書かない」ことを「宣言」したが、どうしても書いておきたいことが出てきたので、今日限りの二言、三言、許してくれ給え。
言うべきことを言ったら、さっと身を引くつもりである。
ブログテーマ、『 新生活に変化はありましたか?』であるが、れいの「熊本地震」で、ほとんどの人に「変化」があっただろう。
はい、これでブログテーマ全部回収。終り。
改めて、 「援助物資が行き届かない」理由を明確にしておこう。
まず、「公的な避難所」だけでなく、 「公的」に「避難場所」と「されていない場所」を「避難所」としている人々が多数いる。
理由は単純。
「物理的」な理由(距離的に遠い/道の陥没のせいで自動車が使えない等)から「公的な避難所」まで行けないからである。
まず、そうした 「非公的な避難場所」を含めた「すべての避難場所のマップ」を作らなければならない。
結局、 「熊本」といっても、都市中心を離れれば、 片田舎の「村」や「集落」が多い。
そこに住む人々にとって、「公的な避難所」など、「遠すぎて」いけるはずもないのだ。
また 、『「地震」によって亡くなれた人』の「定義」も、見直し、もっと 「拡大解釈」するべきである。
皆、 「地震」という「直接的被害」を受けた人を「被災者」と言いがちだが、「地震」によって、 ライフラインが途絶え、その「副次的被害」によって、死んでいった方々も「被災者」なのだ。
ある医者の友人が語っていたことだが、今回の「熊本地震」に遭っても、 「無傷だと思われている病院」内でも「死者」は出ている、と言っていた。
理由は勿論、病院内の「ライフライン」が復旧していないからである。
然るに、 病院内は高齢者が多い、 ことにも投石患者には大量の「水分補給」が必要である、が、「水」がライフラインの崩壊によって足りていないので、「死ぬ」のである。
こうした 「間接的な二次被害」によって「死亡」したケースは、 メディアによって「無視」されがちな「側面」である。
だが、そんなことよりも、である。
そんなことよりも「重要」な「問題」は、 「熊本地震」という「社会的事象」に対して、 僕たち「個人」が、 「どのような立場から語っているのか?」あるいは、 「どのような関わり方を持っているのか?」という 「そもそも論」である。
「つながろう!」「ひとつになろう!」という「風潮」がまた来た。
だが、 「3.11」にしても、「熊本地震」にしても、同じことである。
その 「社会的事象」に、 「どのような関わりを持つのか?」は、 「私」個人の「選択」の問題であり、 「私たち」全体の問題ではない。
『 「熊本地震」は「私たち」全体の「問題」だ!』
と口にするとき、すでに ありもしない「問題」が文中に「出現」している。
だが、 「熊本地震」という「社会的事象」が、その人 「個人」にとって「問題」になるか・ならないかは 、「人それぞれ」なのだから、 「『私たち全体』の問題」という構えは「誇張した問題意識」である。
本来は、 「積極的にボランティアをする人」も 「これを機に売名する芸能人」も 「熊本地震とはまったく無関係に日常を送る人々」も、それらすべて 「並列」に扱うべきである。
「自発的にボランティアをする偉い人」も「売名する恥知らずな人」も「無関心な心ない不謹慎な人」も、等しく「共存」しているのが、「この世界」の「本質」なのだから。
立場も事情も全く違う、てんでバラバラな「他者」同士が「共存」しているのが、「この世界」の「共通前提」である。
言うさえ野暮な、当たり前の「事実」だ。
しかし、彼らは「ひとつになろう!」という名の下、一つの「権力」を形成し、それに「同調」するよう「無言の圧力」をかけてくる。
御多分にもれず、僕も、昨今の「つながろう!」的な「同調圧力」を、勿論、3.11の時の状況の「再体験」として感じたが、その「権力性」を明らかにするには、むしろ昨年の『安保法案』の時の奥田愛基くんの「国会答弁」を例に出すのが有効的だと考える。
奥田愛基くんは国会答弁の際、 「『個』で動いている」と主張しつつも 、『私たち』という 「主語」を使用したのである。
あの状況で、 『私たち』と発言すれば、 『私たち』=『私のような若者一般は全て』と 「曲解」されてもおかしくない。
事実、メディアも 『私たち』=『私のような若者一般は全て』として彼の答弁を「理解」し、放送してしまった。
そのとき僕は、『 いや、勝手に僕を『私たち』というカギカッコの中に入れないで下さい』と思ったものだ。
つまり、政府という 「権力」に対する民衆のデモという 「反権力」も 「権力」には違いないのだ。
「賛成か/反対か」の 二項対立だけで考え、 「グレーゾーン」を全く「黙殺」している時点で。
それと同じ「権力性」を「つながろう!」という「同調圧力」にも感じるのだ。
「安保法案に対して賛成か/反対か」という言葉を、「震災に対して同情的か/非同情的か」という言葉に置き換えてみれば、昨今の「ひとつになろう!」という「同調圧力」の持つ「権力性」が明らかになるだろう。
考えてみたまえ。
別に、同情的でも、非同情的でもない、そんなに関係ないなぁ、と思っている「グレーな人々」が、一言でも意見を口にしようものなら「不謹慎だ!」と叩かれるであろう。
その時点で、 「つながろう!」という善意は、 完全に「権力」である。
そして、「つながろう!」と呼びかけ、それに同調しなかった人を「不謹慎だ!」と指弾する 不謹慎厨の「根本」にあるのは、実は、 ただ「大きな社会的事象」を「背景」に「みんなが一つになっている!」という「エクスタシー」を感じ、それに「酔っ払いたい」だけの「不謹慎」な「陶酔」でしかないのだ。
——こう考えてみると、 「他者」との関係を深く考えるがゆえに「何もしない」僕のような人間と、彼らのような人間、どちらが「不謹慎」か、分かったものではない。
そして、「ひとつになろう!」「つながろう!」という「大きなこと」を主張している人に限って、意外と、「小さなこと」——学校や職場などの身近な人たち=「他者」との関係が上手くいっていなかったりすること——を僕は知っている。
「小さなこと」——身近な「他者」との人間関係すら上手くいっていない人が、「ひとつになろう!」などという「大きなこと」を声高に主張しても何の説得力も感じないのである。
結論。
今回の「熊本地震」は、「人それぞれ」であって、「それ以上」でも「それ以下」でもない。
そして、 「それ以上」のこととして受け止め、はしゃいでいる人々は、それはご勝手にすればいいと思うが 、「それ以上でもそれ以下でもない」人たちに「同調」するよう「強要」しないこと。
以上だ!
もう、ほんとうに、今月は何も書かん!
震災小説『ひとつになるとき』(縦書き文庫/無料)→ http://tb.antiscroll.com/novels/jiga619/18203
2016年04月09日
4月の時事ネタ総まとめをプロデュース!
ブログテーマが『女磨き特集』ということなんですが、・・・・・・
興味ねぇっ!!
前回の記事でも言った通り、『 ブスがどんなに努力しても、生来の美人には勝てない』のだし、もっと言えば、『 本当に美しい人が似合うファッションは、実は「普段着」である』なのだ。
疑う者は、きゃりーぱみゅぱみゅちゃんの「普段着」画像を見るか、以下の、僕(ともなりたかひろ)の画像を見給え。
下手なそこらの女より、男の僕の方が「美しい」のだ。
はい、以上、『女磨き特集』、ぜんぶ「回収」致しました(敬礼)。終り。
さて、本題に入ろう。
今日、「宣言」したいことが、3つある。
まず、1つ。
僕は この『4月の時事ネタ総まとめをプロデュース!』の記事をもって、一旦ブログ更新はストップします。
2つ目は、 もうこの『ともなりたかひろ.com』は「アフィリエイトブログ」ではなく、ただの「時事ネタブログ」になることを宣言します。
俺はもう、嫌だ。
「お金」のために記事を書くのは、もう、嫌だ。
つかれた。
最後は、——僕が今、 「4月限定」でネット上で発表し、宣伝している、『電力自由化』をテーマにした、ある夫婦を描いた短編小説『いまはまだねむるこどもに』(「縦書き文庫」/無料)が、「時代の最先端を切り取った小説」として、巷で話題になっている、ということを、このブログでも大いに誇示したい、ということだ。
なぜ、「 巷で話題」になっているのか、といえば、 そのたった7ページの小説の「内容」が、れいの風見しんごさんの身の上と酷似してしまっているからである。
後でURLを貼って宣伝するが、—— 『いまはまだねむるこどもに』は「ある夫婦における長男の死産」をめぐる話なのだから。
さて、後はめんどくさい「時事ネタ」を片付ければよいわけだ。
今の僕は、本当に面倒くさい気分なので、「箇条書き」でもって以下に記す。
【カトパンの今後について】
きっと、彼女は何かの番組の「スポーツキャスター」になり、野球選手か、なにかのスポーツ選手に直撃取材することで、「結婚相手」を探そう、と考えているに違いない。
少なくとも、彼女は30歳、 「婚活」のためにフリーになったのは間違いない。
【乙武洋匡さんのゲス不倫について】
僕はTwitter上で、乙武さん本人に以下の2つのリプを送った。それでもって十分であろう。
「 『五体不倫満足』ではなく、 『股間不満足』ですね。」
「貴方の根本は 、『教育者』だ。そこでもし、 貴方のような人間を『国会議員にさせる』ような、『民度の低い都民』だったらならば、それは即ち、 貴方がしてきた『教育の失敗』なのではないでしょうか。」
【闇カジノについて】
そもそも「闇カジノ」という言葉がおかしい。
もともと日本ではカジノ自体が「非合法」だからだ。「表」も「裏」もない。
本当の「闇カジノ」とは、インターネットを通じて海外のカジノに参加する、「ネットカジノ」のことである。
「ネットカジノ」は、「海外」に拠点を置いているカジノゆえ、日本の法律の「範疇外」なので、日本の法律では取り締まれないのである。
【北島康介の引退に関して】
これは、一言で言える。そして、フィギュアスケートの浅田真央にも、同じことが言える。
説いて曰く、
「北島康介さんも、浅田真央さんも、 試合にのぞむその『姿勢』は、『挑戦者』ではなく、『エキシビション』に近い。少なくとも、最初から勝ち負けにかける「意気込み」が欠けている。」
それこそ花見ではないが、花は綺麗なうちに眺めるべきである。枯れてきたら、すぐに切るべきである。
ゆえに、彼はあくまでロンドンオリンピックで引退するべきであった。
「 本当にやりたいからまだ続ける」のと、「 他に出来ることがないのでまだ続ける」のとは、全然違う。後者は、しがみついているという意味で、みっともない。
北島康介さんも、浅田真央さんも、サッカーのキングカズも後者である。
はい、4月の「時事ネタ」終り。
そして、このブログ『ともなりたかひろ.com』の更新も、これにて一旦終り。
最後に、先述した、短編小説『いまはまだねむるこどもに』の宣伝をしておく。
それでは、さようなら。
【4月限定宣伝】
短編小説『いまはまだねむるこどもに』(「縦書き文庫」/無料)
http://bit.ly/21Uw2L3
「電力自由化」がテーマのともなりたかひろ「2016年初」の短編小説。
……ろうそく、火、照らす、光と影、対立、火葬。そして、——二度目。
コーディネートごと洋服が買える通販サイト『メンズファッションプラス』
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宝仙堂 伝説のすっぽん【パワーライフ】
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興味ねぇっ!!
前回の記事でも言った通り、『 ブスがどんなに努力しても、生来の美人には勝てない』のだし、もっと言えば、『 本当に美しい人が似合うファッションは、実は「普段着」である』なのだ。
疑う者は、きゃりーぱみゅぱみゅちゃんの「普段着」画像を見るか、以下の、僕(ともなりたかひろ)の画像を見給え。
下手なそこらの女より、男の僕の方が「美しい」のだ。
はい、以上、『女磨き特集』、ぜんぶ「回収」致しました(敬礼)。終り。
さて、本題に入ろう。
今日、「宣言」したいことが、3つある。
まず、1つ。
僕は この『4月の時事ネタ総まとめをプロデュース!』の記事をもって、一旦ブログ更新はストップします。
2つ目は、 もうこの『ともなりたかひろ.com』は「アフィリエイトブログ」ではなく、ただの「時事ネタブログ」になることを宣言します。
俺はもう、嫌だ。
「お金」のために記事を書くのは、もう、嫌だ。
つかれた。
最後は、——僕が今、 「4月限定」でネット上で発表し、宣伝している、『電力自由化』をテーマにした、ある夫婦を描いた短編小説『いまはまだねむるこどもに』(「縦書き文庫」/無料)が、「時代の最先端を切り取った小説」として、巷で話題になっている、ということを、このブログでも大いに誇示したい、ということだ。
なぜ、「 巷で話題」になっているのか、といえば、 そのたった7ページの小説の「内容」が、れいの風見しんごさんの身の上と酷似してしまっているからである。
後でURLを貼って宣伝するが、—— 『いまはまだねむるこどもに』は「ある夫婦における長男の死産」をめぐる話なのだから。
さて、後はめんどくさい「時事ネタ」を片付ければよいわけだ。
今の僕は、本当に面倒くさい気分なので、「箇条書き」でもって以下に記す。
【カトパンの今後について】
きっと、彼女は何かの番組の「スポーツキャスター」になり、野球選手か、なにかのスポーツ選手に直撃取材することで、「結婚相手」を探そう、と考えているに違いない。
少なくとも、彼女は30歳、 「婚活」のためにフリーになったのは間違いない。
【乙武洋匡さんのゲス不倫について】
僕はTwitter上で、乙武さん本人に以下の2つのリプを送った。それでもって十分であろう。
「 『五体不倫満足』ではなく、 『股間不満足』ですね。」
「貴方の根本は 、『教育者』だ。そこでもし、 貴方のような人間を『国会議員にさせる』ような、『民度の低い都民』だったらならば、それは即ち、 貴方がしてきた『教育の失敗』なのではないでしょうか。」
【闇カジノについて】
そもそも「闇カジノ」という言葉がおかしい。
もともと日本ではカジノ自体が「非合法」だからだ。「表」も「裏」もない。
本当の「闇カジノ」とは、インターネットを通じて海外のカジノに参加する、「ネットカジノ」のことである。
「ネットカジノ」は、「海外」に拠点を置いているカジノゆえ、日本の法律の「範疇外」なので、日本の法律では取り締まれないのである。
【北島康介の引退に関して】
これは、一言で言える。そして、フィギュアスケートの浅田真央にも、同じことが言える。
説いて曰く、
「北島康介さんも、浅田真央さんも、 試合にのぞむその『姿勢』は、『挑戦者』ではなく、『エキシビション』に近い。少なくとも、最初から勝ち負けにかける「意気込み」が欠けている。」
それこそ花見ではないが、花は綺麗なうちに眺めるべきである。枯れてきたら、すぐに切るべきである。
ゆえに、彼はあくまでロンドンオリンピックで引退するべきであった。
「 本当にやりたいからまだ続ける」のと、「 他に出来ることがないのでまだ続ける」のとは、全然違う。後者は、しがみついているという意味で、みっともない。
北島康介さんも、浅田真央さんも、サッカーのキングカズも後者である。
はい、4月の「時事ネタ」終り。
そして、このブログ『ともなりたかひろ.com』の更新も、これにて一旦終り。
最後に、先述した、短編小説『いまはまだねむるこどもに』の宣伝をしておく。
それでは、さようなら。
【4月限定宣伝】
短編小説『いまはまだねむるこどもに』(「縦書き文庫」/無料)
http://bit.ly/21Uw2L3
「電力自由化」がテーマのともなりたかひろ「2016年初」の短編小説。
……ろうそく、火、照らす、光と影、対立、火葬。そして、——二度目。
コーディネートごと洋服が買える通販サイト『メンズファッションプラス』
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宝仙堂 伝説のすっぽん【パワーライフ】
アンケートに答えて
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2016年01月06日
「なぜ年明けした感じがないのか?」の理由
どうも。
あけましておめでとうございます。
最近は、真面目に新たな小説の執筆に励んでいる、ともなりたかひろです。
なので、今日の記事は、真面目で、つまらない記事になるでしょう、きっと。
ところで、さっきの「あけましておめでとうございます」ではないですけれど、多くの人がたぶん、
なんか、年が変わった感じがしないんだよなぁ。。
という感慨にふけっていることと思います。かくいう僕も、その一人です。
というわけで、今日は、「なぜ年明けした感」がないのか、を考えてみましょう。
思うに、その理由は2つある、と踏んでいます。
一つは、簡単です。
以前、 世紀末のころは、1997年、1998年、1999年、と新たな年を迎えることに「カウントダウン感」(ワクワク感)があったからです。
でも、2001年以降は、ただ、2002年、2003年、そして2016年と、ただ一年が増えていくだけで、なにか「区切り」となる「イベント感」がなくなってしまったからです。
もう2つ目は、ちょっと難しいです。
そして、僕の推論に過ぎません。
結論を先に言いますと、やはり最近の「気候変動」が大きく関係している、と思います。
・・・例えば、そうですね、これを書いている現在2016年の1月5日の時点で、気温が15℃もあるんですよね。
15℃、ということは、これは別の季節である「春」でも成立する気温ですし、はたまた、先ごろ去って行った「秋」でも成立する気温でしょう。
ゆえに、この「新年」という「季節」が、「冬」なのか、「春」なのか、「秋」なのか、僕たちは分からなくなり、「一年」という「時間」に対するバイオリズムも狂ってしまうわけです。
以前はそんなことなく、例年どおり「四季」が巡っていたので、「ああ、今年も一年が終わるのかぁ」という感慨を持つことが出来ていたんです。
でも、今は先述の通り、「四季」が崩壊し、「季節感覚」がはっきりと区別できない日本になってしまいました。
こうなると、どういうことが起こるのか。
・・・皆さん、ちょっと、去年(2015年)に起こった出来事を思い出してみてください。
安保デモが過激に行われたなぁ。
あとは、マイナンバー制度が導入されたなぁ。
あ、あとはあれだ、そうそう、日本ラグビーだよね、やっぱり。うん。五郎丸ポーズ。
つい最近のことだから、忘れていたけど、やっぱりフランス同時多発テロだよなぁ。
——などなど、人によって違うでしょうが、様々に去年(2015年)に起きた「社会的事象」が思い出されたことでしょう。
し・か・し、です。
皆さん。
それらの「社会的事象」が、「体感」として、どの「季節」に起きたものなのか、即答することが出来ますか?
難しいでしょう。
そここそが「2015年」という「一年間」を「一年間らしく感じられない」問題を解くキーなんです。
安保デモが国会前で起こったのは「梅雨」〜「初夏」の「季節」でした。
そして今年の「夏」は酷暑で、残暑も厳しかったので、五郎丸選手がクローズアップされた「季節」も、本来の「秋」の出来事ではなく、「夏」の出来事だと、僕たちの「季節」に対するバイオリズムでは判断してしまうわけなんです。
もちろん例外はありますし、暴論だとも思いますが、正直、僕個人としては、「2015年」に起こった「社会的事象」のほとんどが「夏」だった、ぐらいに思っているんです。
「2015年」という「一年間」には「夏」という「季節」しかなかった。
と、言い切ってしまっても、腑に落ちてしまうぐらいに。
通常、寒い「冬」からほの温かい「春」が来て、次第に「梅雨」(初夏)に入り、やがて突き抜けるように暑い「夏」が来て、その後の「残暑」に耐えていると、やがて徐々に気温が下がり「秋」が来て、年末にかけてその寒さは増してゆき「冬」が来ます。
以前は、そういう日本の「四季」というルーティーン(習慣)に、僕たちの「一年間」に対するバイオリズムがぴったり合致していたので、「一年間」を「一年間らしい」と感じることが出来た。
が、今では「春」でも「初夏」ぐらいの気温の高い日も珍しくないですし、「梅雨」の時期もほとんど「真夏日」と言えるほど気温が高かったり、「冬」になっても対して寒くならず、「冬」という「季節」が「秋」でも「春」でも構わないような、異常な気候変動の中に僕らは暮らしているわけです。
これからさき、こういった異常な気候変動により、「四季」は崩壊し、ますます僕たちの「四季」に関するバイオリズムは狂っていき、結局、「まったく一年が終わったと感じられない」年越しを過ごすことになるでしょう。
・・・以上(異常)です。
おまけ。
異常気象の一つである「水害」を「予見」した天災小説『ひとつになるとき』→ http://tb.antiscroll.com/novels/jiga619/18203
あけましておめでとうございます。
最近は、真面目に新たな小説の執筆に励んでいる、ともなりたかひろです。
なので、今日の記事は、真面目で、つまらない記事になるでしょう、きっと。
ところで、さっきの「あけましておめでとうございます」ではないですけれど、多くの人がたぶん、
なんか、年が変わった感じがしないんだよなぁ。。
という感慨にふけっていることと思います。かくいう僕も、その一人です。
というわけで、今日は、「なぜ年明けした感」がないのか、を考えてみましょう。
思うに、その理由は2つある、と踏んでいます。
一つは、簡単です。
以前、 世紀末のころは、1997年、1998年、1999年、と新たな年を迎えることに「カウントダウン感」(ワクワク感)があったからです。
でも、2001年以降は、ただ、2002年、2003年、そして2016年と、ただ一年が増えていくだけで、なにか「区切り」となる「イベント感」がなくなってしまったからです。
もう2つ目は、ちょっと難しいです。
そして、僕の推論に過ぎません。
結論を先に言いますと、やはり最近の「気候変動」が大きく関係している、と思います。
・・・例えば、そうですね、これを書いている現在2016年の1月5日の時点で、気温が15℃もあるんですよね。
15℃、ということは、これは別の季節である「春」でも成立する気温ですし、はたまた、先ごろ去って行った「秋」でも成立する気温でしょう。
ゆえに、この「新年」という「季節」が、「冬」なのか、「春」なのか、「秋」なのか、僕たちは分からなくなり、「一年」という「時間」に対するバイオリズムも狂ってしまうわけです。
以前はそんなことなく、例年どおり「四季」が巡っていたので、「ああ、今年も一年が終わるのかぁ」という感慨を持つことが出来ていたんです。
でも、今は先述の通り、「四季」が崩壊し、「季節感覚」がはっきりと区別できない日本になってしまいました。
こうなると、どういうことが起こるのか。
・・・皆さん、ちょっと、去年(2015年)に起こった出来事を思い出してみてください。
安保デモが過激に行われたなぁ。
あとは、マイナンバー制度が導入されたなぁ。
あ、あとはあれだ、そうそう、日本ラグビーだよね、やっぱり。うん。五郎丸ポーズ。
つい最近のことだから、忘れていたけど、やっぱりフランス同時多発テロだよなぁ。
——などなど、人によって違うでしょうが、様々に去年(2015年)に起きた「社会的事象」が思い出されたことでしょう。
し・か・し、です。
皆さん。
それらの「社会的事象」が、「体感」として、どの「季節」に起きたものなのか、即答することが出来ますか?
難しいでしょう。
そここそが「2015年」という「一年間」を「一年間らしく感じられない」問題を解くキーなんです。
安保デモが国会前で起こったのは「梅雨」〜「初夏」の「季節」でした。
そして今年の「夏」は酷暑で、残暑も厳しかったので、五郎丸選手がクローズアップされた「季節」も、本来の「秋」の出来事ではなく、「夏」の出来事だと、僕たちの「季節」に対するバイオリズムでは判断してしまうわけなんです。
もちろん例外はありますし、暴論だとも思いますが、正直、僕個人としては、「2015年」に起こった「社会的事象」のほとんどが「夏」だった、ぐらいに思っているんです。
「2015年」という「一年間」には「夏」という「季節」しかなかった。
と、言い切ってしまっても、腑に落ちてしまうぐらいに。
通常、寒い「冬」からほの温かい「春」が来て、次第に「梅雨」(初夏)に入り、やがて突き抜けるように暑い「夏」が来て、その後の「残暑」に耐えていると、やがて徐々に気温が下がり「秋」が来て、年末にかけてその寒さは増してゆき「冬」が来ます。
以前は、そういう日本の「四季」というルーティーン(習慣)に、僕たちの「一年間」に対するバイオリズムがぴったり合致していたので、「一年間」を「一年間らしい」と感じることが出来た。
が、今では「春」でも「初夏」ぐらいの気温の高い日も珍しくないですし、「梅雨」の時期もほとんど「真夏日」と言えるほど気温が高かったり、「冬」になっても対して寒くならず、「冬」という「季節」が「秋」でも「春」でも構わないような、異常な気候変動の中に僕らは暮らしているわけです。
これからさき、こういった異常な気候変動により、「四季」は崩壊し、ますます僕たちの「四季」に関するバイオリズムは狂っていき、結局、「まったく一年が終わったと感じられない」年越しを過ごすことになるでしょう。
・・・以上(異常)です。
おまけ。
異常気象の一つである「水害」を「予見」した天災小説『ひとつになるとき』→ http://tb.antiscroll.com/novels/jiga619/18203