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2023年01月11日
現大鹿村・旧鹿塩村 入村
旧鹿塩村からの懇願により、入村します。
先に述べた通り「壬申戸籍」によって、空いていた「北澤」株を買っての入村になった。
妻は亡くなり、幼子を連れての入村である。
後妻の世話があり、居を構えた。
人口密集地の医者でなく、山間の医者である。
往診には馬が要る。すると冬場の餌も必要になる。
私の生まれた家には大きな門があった。その門が馬小屋を兼ねていたのであった。
二階は、馬が冬に食べる干し草が置けるようになっていたので、大きくなったと思う。
母屋より立派に見えた。
暮らし向きは、とても裕福などとは言えず、その子が(私の祖父)医者にはならなかった。
官職を選んだことで、山間の医者の経済的辛さが、私には推測できる。
明治の初期は、まだ日本狼が生息しており、狂犬病は恐ろしい病だった。
訳の分からん、風土病も各地にあった。
マムシが道端に居ると、馬は動かなくなる。馬を降りて、仕込み杖を抜き追い払う。
当時、護身用に仕込み杖を持っていたと聞いたことがある。
私は小学生になると、低学年のうちから長期の休みになると、生家に行っていた。
母屋で寝泊まりし、食生活を共にすれば、暮らし向きが分かる。
明治は終わり、大正昭和と経ても、昔の暮らしぶりは子供でも推測容易だ。
質素な造りの当時としては、極々普通の質素な貧乏家であった。
ただし、家族愛は光って見えた。
私は、どこかに置き忘れてしまったのか。
タグ: 入村