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2023年01月13日
北澤聡明氏
北澤聡明氏(平成4年70歳)
聡明氏の謹書は、江戸並河家から独立後の漢方医近藤家。
近藤家現大鹿村入村の経緯。
最も多く載せてあるのは、大鹿村での生活の様子。
その後、子供たちは独立して村を出てしまう。
主な内容は昭和4年で終わっている。
その後の系譜は載せてある。
我が家の生活の様子と共に、
村内の様子が分かる。
いろんな逸話が載っていた。
ここでは省く。
自慢話と・・・・・・解釈されては困る。
各自守護の神霊と共に歩んだ。
信仰の事は載せなかったが、皆、神道である。
江戸から飯田へは、愛宕神社を確かめてから来ている。
私の子供と孫は私が何も言わなくても、神道に焦点を合わせていた。
いずれは資格を得る。
人類の大峠と言われる今、迷うことはないだろう。
今日は1月13日(金)
外は、ドヨンとして、今にも雪が降りそうだ。
旧鹿塩村での医業は1代
写真を含む、ここに記す一切は北澤聡明氏の謹書の写しです。
生田で開業していた曽祖父は、無医村だった旧鹿塩村の村民に懇願されて、
入村して行く。
当時、山奥の無医村の悲哀の一つに、
死亡する前に村から医者のいる町まで運ばなければ、
死亡診断書を書いてもらえなかった。
10人掛かりで戸板に載せて運んだと記録にある。
曽祖父の入村で随分助かったと思われる。
ただ、人口密集地でない山間地の開業医であるから、
経済的に裕福とは言えない、そんな暮らしだった。
曽祖父の子らは、官職の一人が村に残っただけで、
他は村外で生計を立てている。
無理もないですよ。
私の父親も生まれるのだが、やはり出ている。
しばらくは、林業が盛んだったが、人口が増えるかと言うと、
期待できるほどではなかったと思われる。
坂ばかりの傾斜地に家が点在している。
平らな場所は河川の脇になる。
だが、災害の恐れを考慮しないと家は建てられない。
山奥過ぎるのだ。
今この村は、リニアのトンネルの掘削口がある。
この残土排出のための道の整備や置き場が必要になり、
大分整備された。
オマケの整備もされている。
国道152号線秋葉街道の整備だ。
分杭峠から大鹿村までの間は、今まで1車線だった。
それが、倍の道幅に拡幅している。