半暗転中に流れる数々のクラシック、俳優の位置、向き、それぞれの影、照明の色、端々に美しさが追及されている。
汚い言葉が飛んでくるにもかかわらず品位が保たれる不思議さを感じる。
長い長い時の中で確立されていった家。それぞれの家には他言無用のタブーのようなものが存在し、代々引き継がれていく。たとえば男系継承もその一つと考えられる。
しかしながら、今や各地、土俗的な文化を含め崩壊の時期を迎えているような気がするのである。家々の墓を守ることさえ難しい時代なのだ。
この崩壊は国家にはどう影響してくるのだろうか。考えが及ばない。
役者陣も印象に残る。
コケシ婆あを演じた松岡規子。強烈な狂人性を見せつけ、憑りつかれたような恐ろしさをぶちまける。彼女が語る桃太郎はホラーだった。
ブラジル人警察を演じた金堂修一。徹底的に人を追い詰めていく緊張感が見事だった。「ブラジルで獲れた物食って、ブラジルにクソすりゃ、そいつはもう、立派なブラジル人だ。」彼が言うこの言葉は重いし、乱暴でもあるし、考えさせられるのであった。
そして、園部貴一。ここにいるのか、どの世界にいるのか、自在に空間を歩く。それは誰かが思い浮かべる像でもあるし、人間の形をした魂なのかもしれない、と想像を掻き立てるのであった。
童謡「故郷」が唄われる。
子供の頃に見た風景は崩壊していかないか。帰りたい故郷はどこか。それを思うとセンチメンタルな気分になるのである。
夕景に未来は映るのであろうか。
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