しかし、こ~ゆ~、爺さま言葉やばあさま言葉って、本当に爺さんや婆さんが使っていたんでしょうか?
本当は、おとぎ話の中だけじゃないの?
おとぎ話の中では、高齢者を視覚化できないから、話し言葉を高齢者化したのではないか?


(2009.06.10 23:01:10)

【不眠症カフェ】 Insomnia Cafe

【不眠症カフェ】 Insomnia Cafe

2009.06.09
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終戦時は2才の幼児で、防空壕にひそんでいただけだ
ただ生死の間際の記憶というのはそんな幼児でも、断片的ではあるが、鮮明に覚えているものなのである

私は大阪市内の生まれだが、戦争中に一家が郊外に移った
爆撃を避ける「疎開」の意味があったと思う
疎開と言う言葉さえ今の人々は知らないだろうと思う
戦火を避けて、安全だと思われる場所(だいたいは田舎)に避難または移住することだ
学童疎開というものもあった
都会の学校が、学校ごと疎開するのである
私はまだ、幼児だったから学童疎開にはひっかからなかった

       ―――― ◇ ――――

定期的に行われる防空演習というものもあった
隣組とか国防婦人会とかの地域組織があって、日本の大都市を次から次へと焼き尽くして行く米国の爆撃に対処しようというものだった
女性は、防空頭巾と呼ばれる綿入れの頭巾をかぶっていた
下はもんぺである
飛び口という、長い棒の先に鳥のくちばしのように曲がった鉄の鍬のような道具があり、空襲で火事が発生したら、これで付近の家などを壊して延焼を防ぐというものである
戦前と敗戦直後ぐらいの女性と言えば、必ず白い割烹着と竹製の買い物カゴを持っていた
制服のようなものである
たしか初期のサザエさんも、あんな格好をしていたと思うのだが

       ―――― ◇ ――――

私の自宅の横には、父が掘ったものと思われる防空壕が出来ていた
英語で言うとシェルターという
防空壕にもいろんな形状のものがあると思うが、私の家の防空壕は大きな穴を掘って、材木やトタン屋根をかぶせ、その上に土を盛った、至極粗末なものだったと思う
爆弾が直撃したらひととまりもないが、爆撃機の目から逃れる迷彩機能は多少あったかも知れない

米軍機が近づくと空襲警報が発令になる
具体的には「ウ~~ゥ~~」という不気味なサイレンが鳴る
そうすると一家全員防空壕に飛び込む
空襲警報が解除されるまで、その湿った防空壕で過ごすことになる

今も覚えているのはある空襲警報で防空壕に飛び込んだ時の光景だ
暗い中で母が赤ん坊の妹を毛布で蓑虫のように巻いてかかえていた
片隅には貴重な食料のサツマイモの煮た、荷崩れしたものが鍋に入っていた
これが当時の我が家の食事なのだが、煮たサツマイモだけなのだ
他に何もない

時々、配給として、食糧が配られた
近所のあるポイントに、配給の食品が持ち込まれる
しかし、それだけではとうてい十分ではない
そこで、各家庭の主に男性が、食糧のある地方の農家に混めや野菜を売ってもらうために、満員の汽車に乗って「買い出し」ということをする
農家では、現金か、ほとんどそうだったらしいが物々巷間だったらしい
よく持ち込まれたのっが、奥さん達の着物である
それで手に入れた食糧をリュックサックに詰め込んで、また満員の列車に乗って、家族のなっている家に帰ってくるのである
私も、祖父がリュックをかついで、帰ってきた光景を覚えている

       ―――― ◇ ――――

ある時、何と思ったか、祖父と父が防空壕の外に出た
二人して双眼鏡でちょうど飛来した米軍の爆撃機をながめた
それは B-29 という、当時としては巨大な「空の要塞」と呼ばれた世界最大の戦略爆撃機で、もうその当時は日本の対空戦力は壊滅していたから高射砲も撃たないし、迎撃戦闘機も飛び立たない
まったく無敵状態で、その銀色の巨大な機体は悠々と飛行していた
そのうちに B-29 が祖父と父を見つけて機関砲を発射してきた
肉眼で人間を見つけることが出来るほど低空で飛行していたのだ
日本の防空体制をなめきって

祖父と父はそれこそ命からがら防空壕に飛び込んで来た
しかし母の話ではその後、戦闘機が低空で飛来して、射的気分なのか?畑のニワトリを撃って行ったという
(先日の記事では、戦闘機が機銃掃射したと書いたが、どちらが正しいのか?私にはよくわからないままである)
母の話では、操縦席の防風の窓越しに操縦士の笑った顔が見えるほどだったという
あるHPによると操縦士の顔がみえるほどの操縦席の風防持つ戦闘機はロッキード・ムスタングだという
プロペラ機最後の、完成された究極のプロペラ機だ

       ―――― ◇ ――――

他のHPを読んでいたら目撃談があって、赤ん坊を背負っていた若い母親を撃った戦闘機もあって、赤ん坊の頭が吹っ飛んだそうだ・・・ ・・・
徳島の親戚に聞いた話では、徳島市も大空襲に会い、街中火の海で人々は灼熱の炎に追い立てられ、火傷が熱くて吉野川に次々飛び込んだという
その人々まで米軍の戦闘機が低空に降りてきて機銃掃射していったという
殺戮を楽しんでいるのである
日本の軍人が残虐だったという話ばかりを信じ込んでいる日本人が多いが、戦争中の兵士なんて、どこの国のものでも、そんなものである
まして、原爆という、恐ろしい核兵器を生の人間に対して使用した、米国人の神経というものなど、いまだに信じられない思いである

       ―――― ◇ ――――

パール・ハーバーという日本軍の真珠湾攻撃を題材にした映画が二・三年前に日本で大ヒットした
この映画では真珠湾を攻撃した日本の戦闘機が、軍施設ばかりか小学校や病院まで銃撃することになっているそうだ
こんなのは全く事実無根で、英米側の人種差別的なねつ造なのだが
私はこんな映画なんか見たくもないので見なかったのだが、日本の若者は「カッコいい!」と詰めかけて大ヒットになったそうだ
日本の試写会に先立った、この映画の監督はじめスタッフの日本での記者会見では、監督は、なぜかビクビクしている様子だったという
こういう大嘘に関して質問があるかと、おびえていたのだと思う
しかし、紳士的で臆病な日本の記者は (笑) 、何も質問をしなかった
日本の記者は、外国人に辛辣な質問はしない、いや、出来ない
いや、バカだから、そんなことも調べていないのだ

       ―――― ◇ ――――

防空壕の中ではそれほど恐ろしいとも思わなかった
しかし、今でも悪夢にみるものがある
防空壕にいるのに、何か大切なものを家の中に忘れたのだ
両親が止めるのも聞かず防空壕をとびだして、家の縁側に飛び乗って茶の間のガラス戸を開ける
見上げると、そこに見えるのは柱時計である
それだけの夢なのだが、なぜか、繰り返し見る
既視感溢れる夢なのである

       ―――― ◇ ――――

時々、私の家の庭に銀紙が降り下りた
正確に言えば銀色のアルミテープが、どさっと落ちてきていた
それはB-29から透過されたもので、B-29 は戦争末期には日本上空では無敵とはいうものの、それでも時々は迎撃戦闘機に打ち落とされることもあり、日本のレーダー設備に対する警戒も少しはあって、レーダー波を乱反射させて攪乱するためにこのアルミテープを大量に撒いたのだ

       ―――― ◇ ――――

夜など空襲警報のない時でも燈火管制というものが敷かれていた
夜、電灯をつけると爆撃機の目標になるからと言うことで、電灯の笠を風呂敷で包む
これで電灯の光が細く真下だけを照らすことになる

昔は一部屋に電灯は天井に一個あるだけだった
それも60ワットかそこいらの侘びしい光だった
蛍光灯などはまだ発明されていなかった
潜水艦なんかには使用されていたような記事を読んだことがあるが一般家庭では、丸い笠に40ワットか60ワットの電球
それだけだった
その真下にちゃぶ台という丸いテーブルがあって、高さが30センチほど、脚は折りたたみ式だった
中央にコンロなどのための切り込みがある
ちゃぶ台、それは食事時のテーブルであり、一家団欒の場そのものでもあった
風呂敷に遮光された電球の光の下で一家三代合計六人が息をひそめていた

便所の電灯は、なぜか? 20ワットと決まっていた
一番暗い電球である
(リンクのひよこさんが、ご主人に「お前は、ムダに明るい まるで便所の100ワット電球だ」という名文句をはかれたという) (笑)
「明るいということは、いい事哉」と武者小路実篤先生もおっしゃっている
(ウソ)

       ―――― ◇ ――――

ある夜、二階からながめると、西の方角の遠い街が(kelly さんの指摘では、西宮市だったらしいが)米軍の空襲で真っ赤に燃え上がって空まで赤かった
実は終戦(敗戦と正確に言おう)の次の日には、私達の町が空襲の対象になっていて、その予告ビラが米軍機からまかれたという
その日、父は母に「俺だけは竹槍を持って残るから、お前はこども達を連れて山に逃げろ」と言ったという
そういう意味では、私も戦争の生き残りの端くれである






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最終更新日  2016.09.02 09:53:42
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Re:私の戦争体験 防空壕での日々 【復刻日記】(06/09)  
ばあチャル  さん
たしかに2歳でも記憶が残ります。それが恐怖と重なっていれば強烈です。

わたしは2歳の時仙台からもっと田舎に引っ越した騒ぎを覚えています。

両親の話ですと仙台街中の借家を家主の知り合いが疎開してくるので、開けろといわれ急に追い出されたらしいのです。それで亘理(わたり)の「こうや」というものすごい田舎(今は違うでしょうが)の農家の蚕室に引っ越したのです。台所もトイレもついていないひと部屋に生まれたばかりの妹と一緒に4人で。

両親のあわてて困った様子が子供心に興奮を伝えたと思います。新たに疎開してくる人のために移動しなければならない。これも戦争だからです。その後仙台が空襲を受け、その赤い火を遠くに見た両親の気持ちはどうだったか。わたしはおかげで戦闘機らしい飛行機の音も牧歌的なのでした。
(2009.06.10 08:01:27)

Re:私の戦争体験 防空壕での日々 【復刻日記】(06/09)  
ひよこ7444  さん
子供の頃にはあちこちに防空壕のあと、まだ残っていました。
家の前にもあって、近所の悪ガキたちと中に入って遊んでいたら学校に通報されて、翌日埋められていました。

この間、近所の山が宅地造成されたら大きな穴倉が見つかりました。
戦時中の、食料保存の穴だと、近所のおばあちゃんに教えてもらいました。

霊感の強い人が広島に行くと、見えるそうです。
霊感のない私でも、広島行ったときは,原爆ドームの写真、撮れませんでしたもの。。

母の実家は田舎の大百姓だったので、都会の人がたくさん着物を持ってきて、食料と交換し、それが12歳上の姉の嫁入り道具になったと聞いたことがあります。 (2009.06.10 08:41:58)

Re:私の戦争体験 防空壕での日々 【復刻日記】(06/09)  
Rinn さん
私が知っているのは、母や祖母から聞いた戦時中の様子くらいです。
母は終戦時小学校高学年。田舎だから直接空襲は受けてないけど、戦闘機が飛んでるのは見たそうです。祖父は当時もう召集される年ではなかったですが、佐世保に軍属として行っていたそうです。
そんなだから食糧難と言っても甘いものと白米が貴重だったことを除けば、それほどでもない。そんな中で母が繰り返し語るのは、長崎原爆の雲が見えたことと列車の沿線では被爆して逃げてきた人たちのすさまじい様子です。
そして敗戦の放送があった日。大人たちが泣き、米軍が攻めてくるという噂で、女子供は山に隠れろといわれたこと。その日の夕食に祖母が食べたいだけ銀シャリを炊いてくれたけど、胸がいっぱいで食べられなかったこと。
その当時の子供ながら不安だったことは忘れられないそうです。今でも母はさつま芋が嫌いで、砂糖の特売があると買わずにいられない。これってトラウマなんですね。。。
(2009.06.10 09:38:54)

Re[1]:私の戦争体験 防空壕での日々 【復刻日記】(06/09)  
alex99  さん
ばあチャルさん
>たしかに2歳でも記憶が残ります。それが恐怖と重なっていれば強烈です。

>わたしは2歳の時仙台からもっと田舎に引っ越した騒ぎを覚えています。

>両親の話ですと仙台街中の借家を家主の知り合いが疎開してくるので、開けろといわれ急に追い出されたらしいのです。それで亘理(わたり)の「こうや」というものすごい田舎(今は違うでしょうが)の農家の蚕室に引っ越したのです。台所もトイレもついていないひと部屋に生まれたばかりの妹と一緒に4人で。

>両親のあわてて困った様子が子供心に興奮を伝えたと思います。新たに疎開してくる人のために移動しなければならない。これも戦争だからです。その後仙台が空襲を受け、その赤い火を遠くに見た両親の気持ちはどうだったか。わたしはおかげで戦闘機らしい飛行機の音も牧歌的なのでした。
-----

やはり、いろいろあったのですね

(2009.06.10 14:44:37)

Re[1]:私の戦争体験 防空壕での日々 【復刻日記】(06/09)  
alex99  さん
ひよこ7444さん
>子供の頃にはあちこちに防空壕のあと、まだ残っていました。
>家の前にもあって、近所の悪ガキたちと中に入って遊んでいたら学校に通報されて、翌日埋められていました。

>この間、近所の山が宅地造成されたら大きな穴倉が見つかりました。
>戦時中の、食料保存の穴だと、近所のおばあちゃんに教えてもらいました。
ーーーー
私の通った、学校は低い山の中にあったのですが、その山の斜面が大きくえぐられていて、戦争中はそこに飛行機を隠したそうです


>霊感の強い人が広島に行くと、見えるそうです。
>霊感のない私でも、広島行ったときは,原爆ドームの写真、撮れませんでしたもの。。

>母の実家は田舎の大百姓だったので、都会の人がたくさん着物を持ってきて、食料と交換し、それが12歳上の姉の嫁入り道具になったと聞いたことがあります。
-----
ひよこさんも、今もそれを着ている
・・・ということは、ありませんよね (笑)

(2009.06.10 14:47:23)

Re[1]:私の戦争体験 防空壕での日々 【復刻日記】(06/09)  
alex99  さん
Rinnさん
>私が知っているのは、母や祖母から聞いた戦時中の様子くらいです。
>母は終戦時小学校高学年。田舎だから直接空襲は受けてないけど、戦闘機が飛んでるのは見たそうです。祖父は当時もう召集される年ではなかったですが、佐世保に軍属として行っていたそうです。
>そんなだから食糧難と言っても甘いものと白米が貴重だったことを除けば、それほどでもない。そんな中で母が繰り返し語るのは、長崎原爆の雲が見えたことと列車の沿線では被爆して逃げてきた人たちのすさまじい様子です。
>そして敗戦の放送があった日。大人たちが泣き、米軍が攻めてくるという噂で、女子供は山に隠れろといわれたこと。その日の夕食に祖母が食べたいだけ銀シャリを炊いてくれたけど、胸がいっぱいで食べられなかったこと。
>その当時の子供ながら不安だったことは忘れられないそうです。今でも母はさつま芋が嫌いで、砂糖の特売があると買わずにいられない。これってトラウマなんですね。。。
-----
そう言えば、私もサツマイモはそれほど好きでもない (笑)

当時は、白砂糖なんて、宝物のようなものでした
台所で、秘かになめていました

(2009.06.10 14:49:23)

Re:私の戦争体験 防空壕での日々 【復刻日記】(06/09)  
alex99  さん

フランスは、戦争でがんばらなかったから、こ~ゆ~苦労はしなかっただろうな~
(またいやみ) (笑)


ドイツ占領下のフランスで、ドイツ軍の将校親兵士と恋愛したり、結婚した女性が、戦後、迫害された
彼女たちは、今でもそう言う自分の過去を隠して生きている

そんな女性にインタヴィユーした場面で、彼女たちは「ドイツ軍の兵隊さんは、ハンサムで紳士的で魅力的だった」と言っていました
確かに、フランス人男性より男らしいのは、間違いない (笑)
それに、ドイツの男って、男前が多い

ポーランドの抵抗運動の映画などを観ると、ポーランド人の役者がナチスの将校を演じている
ポーランド人の女性が、「ナチスの将校を演じる役者は、エレガントなタイプでないといけない」と言っていた
ポーランド人も自覚しているんだ (笑)
見てて、この二つの民族の顔、全然ちがうものね



(2009.06.10 15:33:13)

Re:私の戦争体験 防空壕での日々 【復刻日記】(06/09)  
alex99  さん

bonbon さんがコメントできない状態で、フランスの悪口を言い放題なのも、悪いかな?友、思うが、まあいいだろう

「鉄は熱いうちに打て」というじゃない

あ 意味がちがったか?

(2009.06.10 15:46:24)

Re:私の戦争体験 防空壕での日々 【復刻日記】(06/09)  
alex99  さん

れにしても、あの苦難の歴史的な時代にいながら、当時の日本人は、実に明るく生き生きしていた
今の人間よりはるかに、生き生きしていた事は間違いない
特に敗戦直後の日本映画などを観ると、登場する人間がみんな、黒白の画面の中で、光り輝いている
時々、どうしてなんだろうと考えてみる

多分、人間はみなに平等に与えられる苦難は、それほど、つらくは感じ無いのだと思う
客観的に言えば、みな、貧しく、飢えていたが、それは国民みんながそうなのである
それに今がどん底だと思うから、近い将来には、世の中が上向きになるような、なんとはない予感を、みんなが共有していたと思う
それに、国民の平均年令が今よりずっと若かったような感じがある
(2009.06.10 16:26:01)

Re:私の戦争体験 防空壕での日々 【復刻日記】(06/09)  
ばあチャル  さん
清潔で治安もよく物があふれているのに、この貧困感!ないし貧困層が増えて閉塞感がつのるばかりの現代。

>あの苦難の歴史的な時代にいながら、当時の日本人は、実に明るく生き生きしていた

>それに、国民の平均年令が今よりずっと若かったような感じがある

やはり高齢社会が悪の根源か(笑)皮肉なものよのう。
(2009.06.10 19:12:57)

Re:私の戦争体験 防空壕での日々 【復刻日記】(06/09)  
Bon妻 さん
マスター昨夜はスクリュードライバーでのお招きありがとうございました。
今日はこれからbonbonのヘルプに行きますので軽く1杯お願いします。
息子のお友達のご祖母様(76歳)の戦争体験談では、やはり小麦粉が手に入らなかった為主食であるパンをとうもろこしの粉で代用して作ったそうです。それはそれは食べられた物ではなかったそうです。
彼女は生粋のフランス人ですが、やはり物を大切にしながらも心豊かなマダム。年代こそ違いますが、ばあチャルさん、朱鷺子さんに通じる粋を感じる女性です。
やはり戦争を体験された方の厚みでしょうかね。
(2009.06.10 21:30:07)

Re[1]:私の戦争体験 防空壕での日々 【復刻日記】(06/09)  
alex99  さん
ばあチャルさん
>清潔で治安もよく物があふれているのに、この貧困感!ないし貧困層が増えて閉塞感がつのるばかりの現代。

>>あの苦難の歴史的な時代にいながら、当時の日本人は、実に明るく生き生きしていた

>>それに、国民の平均年令が今よりずっと若かったような感じがある

>やはり高齢社会が悪の根源か(笑)皮肉なものよのう。
-----

そうです
あなたのような高齢者がいるからいけないのです

・・・と言ってしまうと、天にツバキするようなもの

しかし、それにしても、近頃の若いモンは、まるで年寄りじゃのう
高齢者なみの元気の無さじゃ
嘆かわしや


急に爺さま言葉になってしまった




(2009.06.10 22:58:59)

Re:私の戦争体験 防空壕での日々 【復刻日記】(06/09)  
alex99  さん

Re[1]:私の戦争体験 防空壕での日々 【復刻日記】(06/09)  
alex99  さん
Bon妻さん
>マスター昨夜はスクリュードライバーでのお招きありがとうございました。
>今日はこれからbonbonのヘルプに行きますので軽く1杯お願いします。
ーーーー
それはご苦労様です
今晩はスクリュードライバーに目薬を入れて差し上げようと思っていたのですが、残念です(なにが?)


>息子のお友達のご祖母様(76歳)の戦争体験談では、やはり小麦粉が手に入らなかった為主食であるパンをとうもろこしの粉で代用して作ったそうです。それはそれは食べられた物ではなかったそうです。
ーーーー
パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない?

あ これは私では無くて、かのマリー・アントワネットの言葉ですのでお怒りにならぬよう


?彼女は生粋のフランス人ですが、やはり物を大切にしながらも心豊かなマダム。年代こそ違いますが、ばあチャルさん、朱鷺子さんに通じる粋を感じる女性です。
>やはり戦争を体験された方の厚みでしょうかね。
-----
う~~ん
ばあチャルさんも朱鷺子さんも、空襲の激しい頃には、田舎へトンズラ・・・ いえ、疎開されたという卑怯な (笑) 方々です

(2009.06.10 23:07:01)

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