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このところ、誕生日を期に昔を振り返って見た。思えば遠くへ来たものだ。どんなに悲しい事も、辛い事も、過ぎてしまえば、泡沫の夢。そして、同じ悲しみは二度と訪れる事は無い。通り過ぎた日々。楽しい事は沢山有った。敢えて、辛かった日々を思い起こした。それを出来る今は、苦しみにいない。ひとそれぞれ、大変な事は有ると思う。余りにも個人的な出来事で、誰に語るわけでも無く、自分自身を振り返ってみたら。どんな人にも、哀しみの思い出があることに気がつく。出来事は違っていても、受けた悲しみ、苦しみを乗り越える時。誰もが、同じ道を通って、平安に導かれている事に気がつく。わが思いは我のみぞ知る。そんな言葉を誰かのHPで読んだ。しかし、人間、悲しみ、苦しみに出会ったときの解決方法は、そう違ってはいない事に、面白さを感じる。私の日記を訪れてくれた人。それぞれの、思いに‘わたしと同じ結論に至っている。‘という言葉に勇気付けられる。来月からは、助けてくれた人々の思い出を話そうと思う。こんな個人の、回顧録にお付き合いくださる皆さんに、感謝、感謝でございます。
2004年03月30日
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一昨日から、面白さに嵌って、眠っていない。宮崎哲弥の情報を集めた。自分の幼少期と実に似ていると思った。想像力の無さ。実存主義的?経験からしか、受け入れない性質が非常に似ている。彼の宗教観がパッチワ~ク的だと評価されて居る事を知る。その理由が私には判る。都合の良い宗教の寄せ集めがカルトだとすると、教祖自体が神を知らずに、作り上げている。自身の中で神を知る人は、その説明に苦労する。宮崎さんの実家も泌尿器科の医者の家。昔の医者、今のお金で、技術や知識を買えない時代。伝統的な医者に成る者の資質として、創造力がある。それは、神を知っているもの。それが何かを体験する旅を遺伝子的に宿命ずけられている。それは、人の目に正しいとかの理由で動けない、本能的に独自の求道者になってしまう。知識より、人の言う事を信じる神より、智に至るのは遅かったりする。まず、セックスに神聖をそれほど、最初から持っていないこと。実に私と似ている。そして、セックスの極みの感覚を体験している事。そして、その欲を振り切った者の哀しみを乗り切っている事を知った。その後その女性と別れて別の女性と結婚したらしい。初体験が小五というのは、男の子なら昔の殿様並だ。彼曰く、女性に想像力を働かせる前に、体験をしてしまったらしい。それ故、オナニ~出来るように成ったのが、30過ぎと言うのもふふふ。解ります。後で、その記事にアドレスを載せる。http://www.france.co.jp/bunko/hougen/0210_miyazaki/hougen1.htmlこの時期の宮崎は未だ美しくない。写真を見てビックリだ。ダイエット成功して美しくなった。それらの記事に行き着くところは、「てっちゃんねる~宮崎哲弥~」の非公式掲示板。http://jbbs.shitaraba.com/study/2577/tetsuya.html本人の開いたものではない。これも後にアップする。や~!初めて2ちゃんねる体験です。こわいところと思って行った事が無かった。その掲示板が2ちゃんねるに有った。その後、疲れきったところに、現象学の定義が気になった。概念は、不思議現象に悩んでいた時に40代のチャットで現象学を紹介された。HNはのはさんと言う人が私を救ってくれた。紐理論と簡単に要点教えてくれた。論理的にはワ~プは可能なのだ。体験した人が少ない。カッパ~フィ~ルドは本物か自分で検証した事は無い。マジックかどうか?これが、わたしが、空間をワ~プした、心のストレスを解消してくれた。アインシュタインの相対性理論は、、何故か子供の頃から、小学生の頃親に与えられた本で「人間の尊さを守ろう」という本からアインシュタインが印象つられていて、原文の翻訳本が出た時に買い求める程好き。物理も高校時代100点を取っていたものなので、理解はした物の、記号を忘れているので、最後まで読破していない。導入部分を簡単に言うと、置かれている立場で、同じ事象が違って見える。これは、わたしが、小学校の頃から、神の概念に人々が語る事の争点だと思っていた。子供の頃から、神の総体の感覚を知っていたからだ。信仰の人は見える部分で語るので、違う側面で同じ事を言っても気が付かない。現象学を読んで、私は、宗教的にエポケ~をしたことを知る。19歳の時に、ショックに会い、自己否定から、子供の頃の記憶がひらかなくなっていた。25歳から、一時完全に過去を8年間失っている。19歳からの25歳の記憶も失っている。23歳の時魂が戻った時、一気に感覚が戻ってきた時、周りに神を語る危険を子供の頃は知っていたのだが、その部分を忘れて、離れ離れに暮らしていた、兄弟を驚かせ、精神病院に鑑定に入れられた事トラウマに成り、再び記憶が失せた。25歳で男女の性愛に限界を感じ。活きる為に、残っていた全ての記憶を一端封じ込めた事で、エポケ~(宗教観・価値観から来る判断をいったん中止する。)普通の人が体験しにくい経験をした。過ぎて見ると、全てに意味が有って出会った気がする。自分の都合で人の心を平気操る酷い女だった。事件に会わなければ、私は確実に鼻持ちなら無い女だった。19歳の時。私の愛を得たくて、セックスすれば、自分の物に成ると間違った考えを持った男友達にその人の家で具合悪くなった時に、「そんな時に何もしないから、安心してと言われ。」気を赦して、熟睡した時に身を奪われた。仲は良かったけれど、男性として魅力を感じて居なかった。気がついた時、第一声に「どうして?(私が)愛していないのに?」と聞くと、『愛はここから始まる。』とその人は言った。その頃、男性誌を結構読んでいた、私は、当時の漫画は「女は体さえ奪えば自由に成る。」と言った、もてない男の妄想の漫画が主流だった。処女ではなかったが、無意識に恨みを知った。これは、理屈ではなく生理的な構造なのだと思う。憎しみを乗り越える為に、その人を理解した。そうしないと、その人が心に四六時中居る。愛と憎しみの大きな違いは、愛は安心感の内に自分を失わない。離れている時は自分に没頭出来る。 憎しみはこころが占領されて、頭から離れない。麹町一番地のその家から、私はタクシ~で家に帰る途中、具合悪くて、交番に寄った。外人登録証を持つ習慣の無い私は、正直に本名を言うと本部に連行された。パトカ~初体験。その日時は、書類送検されなかったから、残っていない。家に帰って、夜を迎え、思わず吼えたら、魂が口から逃げた。その、その瞬間を忘れない。子供の頃から、地位・名誉・財産と言う、価値観で進路をかんがえて居た自分が、女にとってそんなものは何も価値を持たない事を知る。男の暴力で簡単に心が壊されたしまう。恐らく、暴漢からなら、身をまもらたと思う。一瞬でも気を許した相手に襲われた、心の傷は深い。事件の前事情が有って、3ヶ月ほどその人とよく遊んでいた。ゲ~ムをしたり、話をしたりして過ごしていた。彼は、私のボ~イフレンドの中学の先輩だった。そのボ~イフレンドは歯科大受験の時後ろの席の子で私は落ちたのだけれど、付属に身を置いたので、同じキャンバスの子、一緒にプラトンを饗宴を読んで、語り合っていたら、少し恋心が芽生えていた。問題はその子が別の誰かと巧く行っていない状況。私は、精神的に潔癖な方で、別れていないそのボ~イフレンドと付き合うとお互い同じ事を繰り返すので、交際を絶つ事にした。寂しさを埋めるために。以前先輩の家で紹介されてから、物に動じない様に育った私を見て、先輩は『君なら僕を理解してくれるかも知れない。』とラブコ~ルを受けていた。その先輩も又、25歳で父親を失い、当時にしては莫大な資産を受け継ぎ孤独だった。彼は切羽詰っていた。その人の本のコレクションの背表紙を見て、大体価値観が解っていて、その人の弱さは初めけら解っていた。それなのに、気を許した自分が赦せなかった。自分を守りきれなかった事から自己否定が始まった。その事が有ってから、その人を理解する為に更に3ヶ月程付き合った。そして、許す気になった時、喧嘩が起きた。別れを言うつもりだったので、愛想が尽きたのだ。家を出て、お前はいつかそう言うと思って居た。彼も安心感を失った私を恐れていた。別れ際、私は、ツカツカと歩み寄り、相手は一瞬身構えたが、私が両手に学校の本を抱えていたので、緩んだ隙に回し蹴りを入れた。彼は、『よくも足蹴にしたな。覚えてろ!後悔されてやる。』『俺の資産は3億だ。悔しかったら、俺を超えてみろ。』当時我が家の年収は公表で一千万。横須賀のマンションで2LDKの広さが、650万の時代。今と貨幣価値が違う。家に帰って、3億の可能性をその当時の換算で、試算した。実業家としての才能は無い。専門職で、不動産がせいぜいだ。不可能だった。わたしは、歯医者、医者以外考えていなかった。それから、勉強に打ち込んだのだが、自分の進路に関した物が一枚に要点を纏めても覚えられなくなった。20歳過ぎて、急に馬鹿になったのかと思った。医療系が向かない事も気が付き始めていて、進路に詰まった。以前は一度目を通したら理解したものは記憶できたものが、頭に入らなくなった。麹町の先輩の復讐はこんなものだった。歯科大の私の友達のグル~プとマ~ジャンしていた時に、『彼女セックスする時に、腰フルよな。』と言う事だった。急に性格の変わった私に対して、友達の一人が何が有ったのか聞いて聞いてくれた人が居たが、私は何も答えられなかった。イキナリ、劣等性の仲間入りになった。その後、人の事は大丈夫なので、浪人中の男の友達に頼まれて、2年3年に上がる進級の為の家庭教師をした。彼には全ての教科の要点と勉強の要領を教えた。勉強できない子は、決まった答えが予め決められていて自分には理解出来ないを思っている。私の書いた、文を全部暗記しようとする。その記憶力の驚いた。私より年上でも、未だ暗記力がある事に。要点から、文章を作成する方法を教える。その後、自力で6年卒業した。3年からは当時は専門。今は、2年から専門が入るらしいが・・・。それで、大学の一般教養は結構強くなった。一応通い続け短大は教育実習まで、終わらせている。卒業に戸惑った。卒業すると、望まない資格が残る。養護教諭と歯科衛生士、と医療機関で注射までは、出来る資格。その資格で活きてしまうと望んだ道に行けなくなる。それで、中退を決意した。「ウエトレスでも何でもして、絵描きになる。」と親には言った。でも、ウエトレスで挫折した。足の裏が痛くて、続けられなかった。誰にでも出来ると思って居た仕事が結構難しい。生き方に迷った。今日、テレビ朝日の紹介した、牧師の歌手の歌うイタリア語で歌っていた賛美の歌の中で、『どうぞマリア様慈悲の力で私を守ってください。悲しみに身を奪われて、身を滅ぼされないように。』悲しみは、その時は辛いかもしれない。その時にはその理不尽が理解できないかもしれない。でも、その季節が過ぎた時に、超えなければ気が付かなかった事を知る。20歳の時、自殺しようとした瞬間を、姉が気が付いた。偶々、友人の弁護士の家に二人で泊まった日に、夏の暑い日、姉と話している時、姉が、何かの話をしていたら、『だったら死ねばいいじゃん。』と言った。次の瞬間わたしは、「だったら死ぬよ。」と瞬間マンションから飛び降りようとした。その瞬間を姉が抑え、大騒ぎした。『この子本気だ。』家の人が起きだした。弁護士の義理の兄の友達も夏なのでパンツ一枚で寝ていたのが飛び出してきた。私の手を取って、説得に当った。わたしは、誰にも理由は語っていない。自殺する人間は普段、匂わせない。切っ掛けを待っている。後の事なんてもうどうでも良くなるほど、疲れきっている。身辺整理なんかしない。ただ死ぬ切っ掛けを待つ。姉が父親に電話した。父は医者だ。色盲で歯医者になった。そして、未熟児の長女を2歳半まで育て、風邪で死なせた。その時、寿命を知ったという。それで、姉に『今止めても、死ぬ子は死ぬ。放って起きなさい。本人の生命力だ。』と姉に伝えた。この言葉が私を救った。親より先に死ぬなと言う中学の教師の言葉で生き延びてきたのだが、生きなくても良い。親からも赦しを得た。「いつでも死ねる。」なら、死ぬまでもう一度生きて見ようと思った。47歳の今、今が一番幸せ。だから、今哀しみに身を囚われている人。死ぬまで活きて見て。沢山の活きたマリアに出会い。いつの間にか幸せは来る。人は悲しみだけでは活きていけない。
2004年03月28日
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今、朝まで討論会を見ている。麻原・オ~ム。テロを考える事で、オ~ムを取り上げている。覚えているだろうか?いつか、銭湯に行く前に、気になる人に会った、と言う話。どうして、気になったのは何故か?夢に出てきた人か?と考えた結果。テレビに出ている、作家・評論家に似ていた。と言う話。後日、テレビを見ていて、似ていたのは、宮崎哲弥だと知る。早速、検索すると、2001年のコメントしかない。断っておくが、私が見たのは、似た人だ。都心から、近いとは言え、神奈川の田舎。本人が居るわけが無い。それから、宮崎哲弥を今日はじめて見た。残念な事に、1962年生まれ。五つ年下。まあ。恋人も居るだろうし、奥さんが居るかもしれない。私の定義で不倫、は結婚に限らない。恋人と進行形の人もNGと、自分を退ける理由を述べた上で・・・・。宮崎さんのものの見方。他の人が、宗教について、色々な、イデオロギ~を語る中で、宮崎さんは、自身が「現世を生きる」という宗教家のようだ。宗教について、と言う「物」にマヤカシに引っかからずに、思想を持って語っている。「宮崎哲弥」教一人の教祖、一人の信者。宮崎哲弥さんの場合は、信者は多いかもしれない。評論家とは、そうした職業だから。胸がときめいてしまう。惚れたぜ!どうか、お幸せに。これから応援します。フアン心理ってこんなものなのかしら?*****番組が終わって、眠ってから私なりのオ~ム論を書きます。明日の夜に又会いましょう。*****うひゃ~!もうメロメロ。キキキリンが、『ジュリ~!』とドラマで、身もだえ、する気持ちが解った。宮崎哲弥はこれから、売り出すタレント宜しく、発言していない時も、綺麗に写るショットを流される。番組の終わる頃には、心が震えっぱなし。言葉フェチの私は、思想に弱い。精神性の表れた、その顔が、魅力的に映る。綺麗に、両端が上がった唇。考え深げナ、下がった目じり。笑顔下がりではなくて、考え深げに、瞳が、奥に入った目。笑う時に、目の形が変わるのではなく、瞳で笑う。今まで、タレント、役者、歌手にこれ程、震えた事が無い。きっと、音楽ファンはこんな、心持でタレントを見ているのだろうと、ファンは楽しいなと思う。テレビに出演するのを、芸能人と一口で纏めると、生まれて初めて、壷に嵌った人物。最後には、本人のコメントより、テレビに映ると、「キャ~素敵!」「格好良過ぎる~!」と絶叫!人によって、ハンサムの基準が違うと思う。恩の価値観で、「美」は変わるからだ。ハンサムという言い方も古いかも・・・。ビジュアル系?私のビジュアルに嵌った。服装も、昨日は背広ではなくて、ジ~ンズシャツで若々しい。自由人って感じ。愛のウエ~ブ炸裂!私の心が震える、伝播が少しこの「世の空気」を軽く出来たら、幸せ!宮崎哲弥を見るたびに、心を震わせそうだ!一人一人の気分が、この世を変える気がする。私は、幽霊とかは、残存エネルギ~と思っている。人が、食事をして、エネルギ~を発散しながら、活きている。死んだ人の幽霊は、その場に、苦しみや悲しみ、恨み、等等の、エネルギ~を地上に残す。エネルギ~保存の法則だ。物質が変換する時に、エネルギ~を残す。失われるのは、時。その磁場の体積したエネルギ~を呼び起こすのは、活きた人の思念。喜びの感覚は知恵が生み出すものと思っている。歓喜は人間が人間である根源だともう。苦しみや、悲しみは、出来事を処理できないままの感情。哀しみを越えたところに喜びがあると最近感じている。悲しみ・苦しみを超える時、哀しみのトンネルを、エナルギ~変換して、初めて、「悦び」にエナルギ~が変換される。自分で、受け止める技術の知恵。これは、30代ではまだ、未熟、始めたばかり。宮崎哲弥は42歳。3年前のコメントを見ると、未だ、未熟で、言葉に威力が無かった。「何かトンネルを越えた人」った感じがする。惚れこみ過ぎかな?盲状態?発言の中心に人間愛がある。物事の感じ方に共鳴する。すると、心が震えてしまう。「泡雪教」と共通の思考回路。一人の体に1つの頭。そうして人物は意外と少ない。誰かの考えに自分の合うものを張り合わせる考えの人が多い。麻原の宗教は、自分の「コンプレックスを満たす為に都合の良い部分を、色んな宗教を独自の解釈により、寄せ集めた化け物。」という感じがする。パクリ捲くった、中心に人間愛を置かない、コンプレックス人間の化け物。の観がぬぐえない。騒ぎになる前、世にでた来た頃から、この人は、精神病だと感じていた。人格異常を伴った、タイプ。こうした人を野放しにしたのは、1つに家庭環境が整っていなかった事。実は、家庭が、精神病、人格異常の最初の保護者なのだ。家族が治療に当らないと、野放しになる。コンプレックスを中心に置いた、複合性の独自の宗教は「悪魔崇拝」の部類になるが・・・。特に珍しい事ではない。それには、元々そうした要素を持った人間が集められる。宗教=神ではない。悪魔崇拝がある。ハルマゲドンを起こす、悪魔の役を麻原は演じたのだと思う。精神病かそうでないかは経済力を持っていること。そうした、同類が経済を支えた事で、麻原は狂人では無くなった。麻原を持ち上げた集団には、共通のコンプレックスがある。それは、「世に認められにくい人間。」才能が有っても、チャンスに恵まれない人間。そうした人を満足させる「麻原流、他宗教寄せ集め思想」が反映された。共感する部分が無ければ、共振しない。麻原は一人ではないのだ。この国では、死刑の前の刑罰の段階が少ない。懲役1000年位が妥当だろう。死刑は、ポアの思想と変わらない。幽閉一番必要な処置だと思う。麻原は、今の状態も、精神病の状態だと思う。彼に関してだけは、精神病的な鑑定が行われないのが不思議。精神病は、法的な処罰が軽減されるのも、余りいい制度ではないと思う。心神喪失状態において、その人の人間性が現れる。元々心にも無い事はどんな状態でも、殺人はしない。精神病の鑑定と、殺人は人格障害と言う別の側面が有ると思う。その罰は、「永久隔離。」死刑実行時期は慎重に決定して欲しい。死ねば、人の残った人の心で、本当に神格化してしまう。「みやざきてつや」漢字間違えました。実は人名覚えられない。暗記は苦手、人名は特に弱い。好きな相手の名前間違えるのは極みですね。ファン心理についての発見。恋人や愛人と違って、見てない時には特に影響されない。追っかけになるのは、反応するには情報でしか触れられないカリスマの為なのかな?
2004年03月27日
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ううううう~。最近独自路線、行き過ぎて、公開日記の限界に来ていたところ。もう、行くところまで行った。最近、自分の生活が、少し前が見えてきた。部屋の模様替え。要らない物の整理をしていた。春だから?もう2年、実家に帰ってきてから、自分の生活を作ってこなかった。自分がどう行きたいか、解らないと、部屋の構築も出来ないまま。2年が過ぎた。私が居ない間、甥っ子が住んで、姪っ子が住んで、壁のブル~スリ~が外せない。身動きできないまま、2年が過ぎた。3年目。少し、私色が見えてきた。整理をしていたら、中国で勉強した、メモ。う~ん。絵の勉強に中国に行くのって、変わった方向に行ったけれど、キチンと、解剖学的な書き方、教わってる。こんな、ラインで描いていたんだ、と懐かしくなる。十年ぶりに、又勉強したくなった。絵の勉強って、最終的には描くしかないのよね。今年はお題頂いて、死の次に、今宇宙を考えている。部屋を片付けて、思考が纏まって来たら。アトリエに行こうと思っている。色んな宇宙観が、どんな表現で?ビッグ・バ~ンから、宇宙が始まったという考えと、ビッグ・バ~ン自体を信じない派。ビッグ・バ~ンを考えると、ナノの時間がある。7つの宇宙の考え。そして、私の考え。宇宙に穴が開いていて、神に国の入り口が有る。その入り口を塞いでいるのが、nの時間。だとしたら、ビッグ・バ~ン派だな。宇宙の外側に神の国が有るとしたら、その境目は?陰陽に別れているとしたら、宇宙はやはり、闇の世界。星の光、太陽の光。太陽の光が、星に反射して、星が光って見えるの?人が輝いて、星になるの?神の国に帰るには、過去と未来が同時に有る世界を超えないと神の国に帰れない魂。やはり、人は神の国から、零れ落ちた、天使?人は皆、堕天使なのかもしれない。だから、神の国に帰りたいと思う人と、この世の宇宙を転生する事を好む人に別れるのだと思う。神の国に帰れたら、生まれ変わる事は無くなるのかな?思い残すが無いように、悔いの無い時間を過ごそう。今は未だ、この世に未練がある。活きるほどに自分が可愛くなる。未だ活きていたいと思う。枯れるほどに、満足して神の国に帰りたい。この世に生まれ変わりたくないほどに、この世を満喫して、満足して死んで行きたい。哀しみの時代が過ぎて、今は楽しかった日々に包まれている。最近、右胸が痛くて、目が醒める日がある。「神様もう少し時間を下さい。」とその度に、祈る。神に祈る事の無かった日々。今、神に祈る。「もう少し時間を下さい。」ぱきゅんちゃん。お帰り。一人で、書いているの辛かったよ。更新少なくなると思うけれど。これからも宜しく!
2004年03月26日
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一般教養で、法律を習ったものなら、誰もが知っている、法の精神の1つ。法律とは、正義では無く、問題が起きた時に、双方が対等に持つ武器である。継母が言っていた言葉で、『法律が出て来たら、人間お終いよ。』人間と人間の信頼関係に於いて、本来法律は必要の無いものなのだ。継母と父が入籍をしていなかったのは、国際結婚で、その上に、中国と、台湾の統一か、独立かの問題が絡んでいる。継母と父が、結婚をした時に、台湾出身の父は、戦後1つの中国と言う立場を取って、中華人民共和国。大陸の国籍を主張していた。戦後、中国と日本は国交が無く、台湾を中国としていた。それ故、国籍が無い者であった父は、婚姻を法的に結べなかった。法的に保障されない結婚を、受け入れた経緯から、田中角栄さんが国交を中国と結んだ時に、日本で、中国国籍が認知されたのだが、結婚してからの年月を考えると、その時から結婚を結ぶ事に躊躇いが有った。その時点から、私の中では、両親の死後起きるだろう問題は覚悟をしていた。法律を無視した、いき方。物事を、人間としての過ち以外は、法を法と思わない継母の生き方はある意味、傲慢な生き方だとは思う。そして、法律は、時代によって、刻々と変わる。父の職業は、歯医者の時期は短い。若い頃の職業は、『華僑の銀行』の創立者である。そして、組織が大きくなった時に、社長となる人物を引き抜いて来て、現場から引退。常任理事に退いた。個人の考えで扱うには組織が大きく成りすぎた。外国人が日本の銀行で借金を出来ない時代の事。その組織は今でも、現存している。その後、50歳過ぎた頃、学生時代取得した歯医者の資格で生計を立てるようになった。そうした経歴から、人間の浮き沈みを見てきたので、『家は雨風しのげれば良い。目に映るものを信じるな。手を取り合って、そこに天国があれば、それが幸せ。』と言う、哲学を持つようになる。傍から見ると、実に不思議な生き方に見える。普通の人たちは、少しでも豊かな生活を求める為に、仕事に励み、家を整える。我が家は、目に見える形は出来てもしない。下水道が引かれるまでは、トイレは汲み取り。浄化槽を使うことは出来てもしない。その事で、親とはよく喧嘩をした。トイレが恥ずかしいと思う人は家に入れるな。と一点張り。親子別の家に住んでいたが、親の住む家も子供の家より、ボロかった。良い時も、悪い時も、一定の生活を保つ。お蔭様で、生まれた47年前と生活は変わらないで、テレビ、電話、冷蔵庫、風呂。最低限の生活は、何も変化していない。生まれた時から、豊かで、慎ましかった。親の死後。一時は住む家を失い。義理の兄の別荘に身を置かせてもらったものの。別ける財産を失ったがために、兄弟が、私達と結婚していない、二人のために、会社組織を作り借金で賃貸ビルを建て、無いところに有る物を作った。兄弟の絆を強くする事になった。私は、誰から見ても、不合理な結婚をしたので、その時会社から、外され清算して個人の財産は何も残っていない。その後の病気で食い尽くした。叔父さんに伝えたのは、継母の死後、葬式の最中に、争いを恐れた、私達兄弟の一人に詐欺行為で財産を動かしたものが居た事。その恐れ、犯罪行為を犯した兄弟の恐れは、理解できる事で、身内を責める事は出来なかった事。継母の意志ではなくて、兄弟の内に初動で問題が有って、継母の死後に対しても意志を告げる機会を失ってしまった事。最後に叔父に、継母の夢を話した。『もし生まれ変わる事が有ったら、結婚をしていない、父と出会って結婚したい。』『子供は苦労だった。』*****もし、お金と言う財産を、継母が自分の兄弟に父の財産を流すなどの愚考を持っていたら、父の元に恥ずかしくて行ける筈が無い。生前、継母の兄弟が財産で争って事に対して、継母と話した事があり、親の事では争っても、『まさか兄弟には手は出さない。』と叔母を信頼していた事。信じる行為は防ぐ手段を捨てる事だ。母親の純粋な気持ちの責任は自分達が責任を負うことになる。そして、心配なら、叔母には一切見せるなと言われていた事。そして、叔母に譲って欲しい部分の財産を言い残していた事。それらの事から、父の財産を全て継母の兄弟に渡すなどと言う意志は継母自身には微塵も無かった事。全ては残された人の、中で起きてしまった、不手際だという事を叔父に話した。******叔父はこんな事を言った。『兄さんはこの世で死んでしまったとされているが、自分は別の世界で兄さんが今も生きていると信じている。』叔父もまた、死後の世界を信じる人だった。死後の世界を信じる事無い人には、死人に口無し。もう居ない人に立てる義理も無くなる。故人の顔に泥を塗る事を平気でしても、熱心にどうして墓参りするのかな?****私は、夢で大切な事は、継母にその後を聞かれたり、父と住むもう1つ世界を時々見ている。亡くなった継母からの質問は。「どうして私に聞くの?」と思うような質問も有った。恐らく、生前心の繋がりを持たなかった者とは死後、交信が出来ないらしい。例え、残された人が、後に死んでも、繋がる事は無いのだと思う。継母はどうして繋がらなくなったのか、疑問が有って私に聞いてきたのだと思う。いくら墓を立て、掃除をして、手を合わせていても、割ってしまった絆は結ばれる事は無い。*****我が家の家系は、民に時代に大陸から、台湾に侵略した民の御殿医。漢方医の家系。現代のように、お金で知識の買える時代ではない。封建社会での伝統的な家の家業だ。その後、清朝に滅ぼされ、ひいお爺さんは8歳で孤児になり、親の所有する土地は(侵略の分配)は失ったが、一代で再び地主になる。第2次世界大戦の前に日本に留学して、歯医者の学位を取っていた父は兵卒として、取られる事は無かったが、叔父は日本の兵器の企業に就職をして、兵役を免れたという。台湾は日本の統治にあった。叔父が言いたかった事は、私達の遺伝子の中に、医者の意志が流れていて、その力は、「創造力」だと言う。その力を父は人を見抜く力で、組合銀行と言う組織を作った。弱点は、お金の事で争えず、途中で放り投げるところだと言う。****私にも少しだけ、運命が見える力が有る。見えるものとして言える事は、死期が見えても、それを動かせない事。それと、起こるべき問題は避けられ無い事。運命は、流動的で、個人のタイミングが熟していないと、成るべき事が成されない。運命は宿命的に変えられないものと、それ以外の、自己実現には個人の心の有り方で、変わると言う事実。*******同じ遺伝子を運ぶものとして、個人の現れ方は違うけれど、有る意味、運命の意図が見えてしまうのは家系が成す事だということで、少し孤独が癒えた。先に起こる不幸が見えても、それが起きるまで運命を操っては、更なる不幸を呼ぶ。一見悪く見える事。そこをどう乗り越えるかで、人間の価値が決まる。生きることは、幸せばかりではない。問題は、その事をどう乗り越えるか。人は、最後に何もこの世から持ち去る事は出来ない。残るのは、その時心に何を思い何をしたか。時代の功労は人が立ち去れば、風化する。最後は裸。わたしは、残りの人生を、死後誰の世界を共にするのか、これからの行き方で、死後に会える人が変わる。叔母は、いくら墓を磨いても、継母に会うことは今後無いと私は確信している。欲で故人の意志を曲げてしまったからだ。最後は裸で死んでいく人間。法律的に正しくても、人の道に外れる事は多い。法の裁きより、失うものは大きい。17回忌には家族の関係者を呼んだ。叔母以外の継母の兄弟は付き合いが無い。長兄が、『血の繋がりの無い子供を、30年も見てくれた。その妹が持って行ったならよいではないか。』と飲み込みにくいものを飲み込んだ。その影には叔父の諭しが有ったようだ。叔父を車で自宅まで送った後、叔父の家で、昔を語るまで忘れていたが・・・。血の繋がりの無い叔母と従兄弟。そして、その後流転した私達姉妹を見てきた、義理の兄が始終、顔相を崩す事は無かった。当事者は忘れても、そうして者が同じ席で、食事を楽しく過ごすことは、傍からは妙な気持ちがしたのだろう。次は、33回忌。その頃、ご先祖の仲間いりするそうだ。後、16年後、この内の誰かは欠けていることは決まりきっている。関係者が集う、最後の法要。隠れた心の重荷が見つかって良かったと思う。この件に関して、継母は無罪。結果に対して作為が無かった事を明らかにした。叔父さんと同じ世界に行くのか解らないけれど。ひとまず良かった。
2004年03月22日
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度々、なさぬ仲の継母との繋がりについて、書いてきた。なさぬ仲。それはちの繋がりの無い、親子について、言う言葉である。本人同士の中では、それ程問題のあることではないのだが、その事実について、何かと、本当の親子で無いからと結論つけられる。その最たる問題は、経済の問題だろう。継母が私達に教えてくれた、色んな事柄。世間の目。外人に対する日本人から見た偏見。職業に対する世間の目。それと、職業に貴賎が無い事。そうした事と、父は別の事を教えてくれた。********『人間、起きて半畳、寝て一畳。目に見えるものを信じるな。暗闇の中で、手を取り合って、そこに天国が見えたら、それを信じろ。』********継母は、現実的な物の見方を教えてくれて、父は、大切なのは心の天国を教えてくれた。さて、何が言いたいか。17回忌に当って、継母の死後、付き合いを絶っていた、叔父に連絡を取った事で、継母の死後、叔父が心に重荷を背負っていた事が解った。父の死後3年で、継母が死に、父の全ての財産が、継母の兄弟が持っていった事で、残された私達を不憫に思っていた。どうして、そんな理不尽が起きたのか?法的な不備は最初から解っていて、それに対して、備えなかったのは、やはり「なさぬ仲」で、継母が生前に兄弟に手引きをしていたのかと言う疑念を持っていた。父の財産の一部が叔父の物で有った為、継母の兄弟に渡る不当性の証拠を叔父は持っているのだが、それを子供達に話してよいものだかどうか、悩んできた。と言うものだった。父と継母の結婚には法的な不備が有った。それ故、当然養子縁組もしていない。その事で、嫁がないで居た、私と姉に対して、先に亡くなった、父親が、大変気にかけていた事。を教えてくれた。ここは公開の日記と言う事で、我が家の恥を晒すつもりが無いが・・・・。出来るだけ、感情に流されずにポイントだけ挙げていく様に勤める。17回忌。親の生きた居る時は、時間がゆっくりだった。それは、自分で判断する事が少なく、親の庇護の元。色んな甘えで、物を決断していた。わたしが、記憶を無くしても生きてこれたのは、両親に対して甘えがあったから。自分の生きる気力だけが問題で、生きる手段は親に任せている甘さが有った。私が結婚を諦めて、自分の世界に入ってしまった時も、思った事は有る。もし、私が親に頼らずに生きる術を身につけていたなら、愛を捨てる事は無かったろうと。それ程、私にとって親の存在が大きくて、その親の経済の基盤を他人が持っていった後、流転の人生が待ち受けていた事は必然。全てが過去のものとなった時、この叔父の心に重荷を抱えた状態を知った。人はいずれ死ぬ。継母に対する不信は、父の名誉を汚すものでもある。叔父が天に召される時に、心の重荷を抱えていたら、行くべきところに行けなくなる。これは、その時どんな経緯でそんな事態になったか、話しておかねばと思った。一端切ります。←たんの字変えました。夜に更新します。
2004年03月21日
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公開日記を使って、私信を書き続ける事。君に、私信を封書で送らない事。それは、余りにも遠い日の出来事。今思い出す事でも、胸が詰まる思いです。封書で送りつける事は、「君」の心に土足で入るようなもの。公開日記で、遊びの場。この事が、感情の暴走を抑えてくれている。今の君を支えてきた、家族。君のことだから、きっと良い伴侶を得て、可愛い子供に囲まれていると思う。一旦、切ります。後で続きを書きます。胸が詰まる。今でも結構苦しい。あの時代に受け止めた君はもっと辛かったろうね。******書きかけの文章で、二人にしかわからない、尤も、君が覚えているかどうかも判らない出来事。わたしが、思い出す事で、哀しみも伴う事だけれど、封印した記憶は、楽しかった日々です。もし、あの日々を記憶して、思い出に浸ったら、後の日々が生きること、生きる目的を失って、死ぬしかなくなってしまう。君を忘れる事。その事で、後の日々を行き続けた。そして、現実に生き延びた自分を今知っている。貴方とであった事実は思い出していたけれど、あなたが、どんな人であったか。その部分を思い出した事は、あの日を境に無かった。みごと、忘れていた。人は、悲しみだけでは、生きていけないし、記憶を失ったがために、いろんな人の優しさにも触れてきた。今私が受け入れているのは、楽しかった過ぎた日の思い出です。あなたが、どんな人だったか、思い出しています。*******あの日。私は、二つの魂が1つになることは有り得ない現実。と・・・・。愛し合う行為自体を、否定した。今、君の映っている去年作成された、HPの写真を見て。最初、気持ちの悪さを感じた。顔立ちの問題ではない。その、表情に後ろに隠れた「笑えない貴方」下がった目じり、は作られた笑顔の年月。瞳が笑わない。そして、アルカイックスマイルの唇は、右半分が上がらない。ひとつの顔の中に二つの顔を感じる不気味さ。 **この不気味さを感じるのは、その時代を通り過ぎた人間にしかわからないかも知れない。もしかして、本当にあの瞬間魂は一度は1つになったのか?そんな、不思議を感じた。君の顔の中に、この長い年月の自分を見つけた。君が、笑えなくなった原因は私だなんて思うのは、私の驕りだと思う。そうでなくて、貴方は何か、私の知らない現実の苦しみがそうさせたと思いたい。私もまた、そうした笑えない日々を暮らした。私の原因は何で有ったのか?貴方を失った事か?それは、ひとつの原因にしか過ぎない。君の瞳を曇らせた理由は何でも良い。一日も早く、心の明るさを取り戻して欲しい。そして、私の記憶の中には、希望に満ちた日の君の瞳の記憶がある。貴方にまた、あの日の瞳を取り戻して欲しい。そんな願いが、この日記を書かせている。
2004年03月20日
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魂。これは、解っているようで解って居ないもの。精神。スピリッツ。と魂ソウル。この違いを明確に言える人は少ない。私が今日わかった範囲で、物を申せば。魂は一人一人に備わった、神格のようなもの。魂が抜けても人は生きる。脳の機能とは別の存在。魂消た(たまげた)。本当に消えた人は少ないが。肝を冷やす。この感覚は明らかに違う。わたしは、自分に乗ったこの何かの存在を高校生の時退学を逃れる為にリストカットを教室でした時に感じた。19歳の時一度私から、離れた経験もしている。23歳初めて行った教会で戻ってきてくれてから魂に見捨てられていない。取り上げられた理由は知っている。人の心を弄んだ結果の一時おとりあげ。この4年が一番苦しかった。その後自分なりの誠実を通している。死ぬまで生きる約束をしている。精神は、人々に伝播する、魂を繋ぐもの。これは、一人の人間で言えば、魂が司令塔で、精神はそれを全身に伝えるエナルギ~の一種。神経細胞はその、配線版みたいなものだと思う。そして、精神は、言葉。いわゆる芸術に込められ、意図を綴る。言葉には、絵の形を取ったり、舞踊で有ったり。口から発するものに限らない。作品に限らない。そして、日々の何気ない仕事の場。それすらも、精神を体現する、芸術の場なのだ。精神の持ち方で、魂はいかようにも体現できる。精神の「魂の意志」は波動として大気に伝播する。それは、お互いの魂の共鳴を呼ぶ。波長が合わなければ届かない。電気信号のようなものだ。わたしは、嘗て愛した君を自分の中に受け入れる事で、自分自身を面白いように取り戻している。これまでの、丁度、人生の半ばの出来事が、完全に自分の中で封印していた為に、子供の頃からの自分が分断されていた。「君の存在」は、私自身が受け取った、私自身の「思いと記憶に君の魂の伝播が残っている。」記憶の封印を解いたら、神経ブロックが取れた感じだ。その部分が欠落していた為に、上肢と下肢が分断されたように動いていた。人生が下半身麻痺で動いていたようなものだ。その後の人生が、自分から逃げようと思っても、下半身は離れず。結局は自分に帰る。この23年間、まるで無軌道に動いていたようだが、イザ自分自身を取り戻してみると、子供の頃からの性格。お調子者。これが、全体を通して見える。それと、向こう見ず。***単なる馬鹿じゃん!私って。そう思うと笑えて来た。特別頭が良いわけではない。集中力が非常に強い。脱力感も人一倍。人の喜ぶ顔を見るのが好き。小学校の時、母が100点コレクションを始めた。お調子者の私は、それに応えただけ。苦手の物は最初から駄目。そろばん、計算。数に弱い。応用問題は、読解力で強かった。歴史、覚えるものは駄目。暗記弱い。思考力は結構強い。成績は気にならない。100点以外は、意味が無かったからだ。ゲ~ム感覚で、するのが好き。ケアレスミスを非常に怒られた。****挫折に弱い。中学の受験期に、腹膜炎で入院。それを、機に区立に入って、暇になってしまう。授業が単調で学校が退屈だった。諸行無常の言葉の意味を考えたり、いつも、別の事を考えていた。人の言う事は耳を傾ける習慣で、授業は聞く。中国語で小学校授業受けていたのと、家で日本語の算数、国語のドリルと読書を毎日こなしいた。家では日本語の言葉遣いに厳しかったので、さ~。ジャン。言葉は口を抓られる。鏡に向かって、『タメ言葉』を練習する。英語の授業で、中学2年の時「とおしばんごう」と言う日本語に詰まる。文法に番号をその先生はつけていた様だ。その先の言葉が聞き取れなくなる。「通し番号」の意味だと日本語が判るまで、英語の授業はちんぷんかんぷんだった。心の引っかかりに弱い。****処女喪失感。腹膜炎の管を1週、2週に分けて抜いた後日に、イキナリ断りも無く5・6人の男子学生に囲まれて、直腸診をドクタ~が行った時。わたしってゲイ?視姦された思いを同時に味わう。小学校6年。生理もあったし、身長152センチバスト既に82センチ有った。その時悲鳴を上げて、泣き続けたのを覚えている。虫垂炎を食べすぎと誤診するわ、腹膜炎も死ぬ寸前まで、気が付かないとか。痛みも殆ど感じなくなってから、白血球を調べて、『腹膜炎の可能性が有ります。お母さん開腹しますか?』と医師が母に処置するかしないかを聞いた時代だ。『可能性が有るなら開いてください。』と母。この決断が無ければ、私はもうこの世に居なかった。『いや~おかあさん。後十分遅かったら死んでましたよ。』と医師も隠さずに話した。死ぬ思いをした後で、処女喪失感と視姦をされる。とんでもない体験をした。ある意味で、精神力は強い。強くて、体の限界を超すのかもしれない。自宅で、二日、この初期症状を外したのが、誤診の元。腹筋が硬直して四角くなっていた。暴れる余裕も無い。動けなった。その上、低学年の頃、ロ~スハムを半本勝手に食べて、病院に運ばれた前歴が2回ある。食べすぎと誤診される、布石はあった。入院から手術までい1週間。術後2週間。三週間以上の断食。成長期にはかなりきつい。***こうした、死にそうな体験から、私は他者に自分を伝える能力がかなり欠けて居ると感じた。友達の子供も、未熟児の酸素不足の結果脳障害を抱えた。訴える事はしなかった。医者も自分から、何が有ったか話していた。損害の訴訟で、心を荒らすより、障害を抱えた子供を慈しむ道を選んだ。医療はそうして、進歩する。しかし、そこの大学の医者で精神科医はある意味優れていると思う。大学病院で一人。この先生は年配で大学病院の実情を知っていて、私の特殊なケ~スを実験的な私立病院を紹介してくれた。ここで、ワ~カ~ホリックの投薬で無しの治療を経験した。色んな患者をココで見て、「精神科が神の領域」と言った君の意味がわかった。患者と思えない普通の人々に出会った。保険外の自費が大きく、この医療は、親が死んだらかかれないと思った。私だけ、分析も投薬も無く。皆に(本ま者)と呼ばれていた。本当のキチガイという意味。そういうジョウクを患者同士でいえる環境だった。それから、限界を超えない働き方に気をつけた。今の病院の派遣された。今は大学に戻っている。短い期間私が迷いに居た時だけ赴任していて。今は担当ではない。こうした偶然に私は神の存在を感じずには居られない。若い先生だが、私が唯一適切なカウンセリングをうけた。超常現象で悩む私に唯一的確なアドバイスをくれた。『どんなに異常な事でも、本人の脳にはそのような情報が流れていて、間違いとは言い切れない。どんな不思議に出会っても動じない自分になれ。』霊とか人に見えないものが見えるわけではない。物理的に有り得ない体験の怖さは。受け止められるようになった。自分を疑う弱さから、開放された。病名なんてなんだっていい。問題は個人が抱えている問題の対処法。二人優れた医者に出会っている。この二人に人生救われたようなものだ。得意の分野が大学によって違うようだ。時代によって変わる。私ほど、色んな病気体験者は少ないかもしれない。昔から、医療のミスは存在していた。でも、私達は、それを事故と捉えて時代だ。人間はミスをする。その大前提で、患者も命を委ねる覚悟が出来ていて、医療万能とは、捕らえてなかった。いま、再生医療という分野が有るらしい。ニュ~ズで、聞いていた人間誕生をどこから人間として捕らえるか、クロ~ンとは別の分野での倫理観の検討。その問題が、現場でどのような場面での必要で、論議をを抱えているか知ると。医療は目覚しい確実な進歩をしている。手術の縫合の時間とか、個人の技術では量れない領域に来ている。縫合が上手だと、傷は確かに直りが綺麗だが・・・・。その影には多くの医学者の貢献がある。責任が大きい割りに、サラリ~マンより、薄給で貢献している人達に支えられている。確かに、「不徳な医者」も存在する。それは、ほんの一部。ドクハラ。そんな事も一部なのだ。見えない人々の努力の数を思うと、ニュ~ズを聞く度心が痛む。「白い虚塔。」最終回。田宮二郎の時代に見ているので、今回は1つも見ていない。その時代、迫真過ぎて、役者が自殺した。教授になりたい願望の人の見方によっては、今でもそう見えるのかもしれない。あのテ~マは少し時代遅れなきがする。部長の経験からする誤診を、その場で正さず、正しい診断で医療を進める若手の先生に、2度救われた経験をしている。多発性胃潰瘍で胃に穴が9つあいた。 名誉挽回で、子供の頃大変な目に会った、同じ病院。内視鏡担当の先生が補佐して二人の医師で、初見した若竹(藪のもじり)と呼ばれる若い医師が正しい診断。それと、癌センタ~で。部長の指示とは明らかに違う。最小限の部分切除とレ~ザ~で除かれた癌細胞。老練の医師なら違う結果に成っていた。人の命は、個人の立場のプライドよりも、人の命を守るプライドが重いと医療従事者の殆どの自覚信じている。国から研究の予算をとったりするのは、企画力、政治力の有る人が上のポジションに居るかもしれない。あくまでも役割だ。今の時代。医療は、総合力で動いている。名が無くとも、科学者として、責任を果たしている人の数に頭が下がる。個人の名誉欲だけで、成れる様なあのドラマの時代はもう終わっているのではないかと今の医療の進歩を見て思う。その名誉でさえ、嬉しいのは与えられた時だけ、時間が経てば責任者の重荷だけ。立派な機械だけが動いて、心を失っているとかドラマでは、自傷的な言葉を聴くけれど・・・・。町医者と大病院の役割が違う。使い分けるのは、患者の役目なのだ。看護婦さんも含めて。医療に立ち会う人たち。生命の「死と生」を最終的には運命と見つめ続ける、ストレスの強い職場で耐えられる人間は、私にとって、やはり神と働く存在だ。老人病院に看護助手として働いた経験から。短い間に食事介護の呼吸のタイミングを計るミスで誤飲2人。ベッドからの転倒1人。防げるはずが3人ほどあたしは、死の切っ掛けを作った気がする。重症病棟に移ったが、即死は居ない。この3人の死を見届けた。私は、若い頃医療向けで無い自分を発見したのは正しかったと納得した。動物実験は大丈夫なのだが。人骨の頭蓋骨に対面した時涙があふれて、触れなかった。自分は逃げたのでは?と心にどこか自責が有ったが確信した。やはり私の感覚は正しかった。勉学の成績では測れない適正がある。人からは偶々としかみえないが、確かに自分のミスを感じた瞬間が3回ある。命には関わらない部位でも、***人間の人生に関わる大きさを受け止めるには人間の器が居る。少しずれるが、それは、子供に関わる教育と言う現場にも同じ事を感じた。気を抜いた一瞬にミスが起きる。ミスをする人間が、ミスを出来ない現場。何人もの死に立ち会うこと自体が、並の神経では持たない。才能は、誰にも与えられるものではない。知識の引き出し。天からの啓示を受け取る道具に過ぎない。その意味で個人の物でもない。魂のチャンネルを神に合わせるかサタンにあわせるか。与えられた本人の選択だが、この二つの見分け方が難しい。善と思う事が罪だったり。悪と思う事が善だったり。感情の好みで判断出来ない、倫理の世界。その意味で医学会などの集団は神の道からそれない為の人間の知恵だ。才能は個人のもので無い。与えられた人間が。それを働かせ生かすが神の望むところなのだと、心から思う。
2004年03月18日
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貴方も私の顔を忘れていると思うので、今年の元旦の顔アップしておきます。 唇の色が悪いのが、恥ずかしいです。年取った自分を見せるのは少し嫌ですが、私だけ貴方を見たのは不公平だと思いました。今日、起き際面白い夢をみた。半年前の心の世界。エスコ~ト役は、元の旦那。私は、8年ほど前一度結婚している。今の状況を迎える、最後の社会生活の相手だ。現在、仕事もせずに、療養生活を送っている。自宅療養です。今回は、思うところが有った。何度、自分を色んな環境で、新しい顔を作っても、行き詰って、自分を壊す事になる。本来の自分を取り戻す作業を始めたのは、5年前。特に、去年の正月を期に一切の人間関係を絶っている。混じりけ無しで、自分を取り戻す事にした。そうして、貴方の事にたどり着いた。半年前の世界には、暗い顔をした自分と、別れた旦那11歳年下。彼がエスコ~トをしてれた。情景は、貴方の知る古い木造の一軒家。今は、もう5階建てのアパ~トメントで、その家の姿は今は無い。この世界の時は、いつも、あの古い私の子供時代の記憶の染み付いたあの家が登場する。亡くなった母と会う時はいつもこの場所なので、もう慣れた。何か、白いペットを飼い始めていて、過去の私は、その白い子犬のようなペットをあやす心の余裕も無い。「それで、私を呼んだの?」と元旦那に聞いた。結婚時代、子猫を200グラムから育てた実績がある。過去の私とは、口を聞けないような状況なのに、今の私と話すのは嫌ではないようだ。『今は幸せそうだね』と言う。広告代理店のイベントの仕事をしていたので、イベント会場に場所は移る。だれか、デザイナ~のパ~ティ会場から、人々が出てくる。特殊なパ~ティだったらしくて、全員が体にフィットした、白い服を着ている。体の形そのままの服。人によっては紙を切り抜いたお面を付けている。出てきた人の中で、絶賛されたのは、小太りで小柄な女の人が西部劇のような、帽子を被り、手の中に何か器を持った人だった。顔にはやはり紙を切ったお面を付けている。誰かが私に話しかけた。私はそれに答えて。「アリストタラス?」と言った。『タラスと訛らす所が面白いね。君のタレント性面白いね、家の社と契約しない?』「いいすよ。もう親も居ないし・・・。」『会社にバレルとまずいな。』「問題ないですよ。今日辞めましたから。」「そうそう、結構この場所には貢献しましたよ。あの人に聞いてください。」と、元旦那の上司を指した。元旦那の上司は『そうそう、こいつは、自分で設計図無くして置いて、俺が踏んだと言いやがる。』私は不思議そうに男の顔を見た。すると・・・。*******この世界ではね、どんな貢献をしたかとか、全て残らないのです。その時、心で、何を思ったかだけが残ります。 ************と言った。 再び、古い家の前。私は、誰と無く、半年後から来たと言いたくて、通りすがりの女の4人組を捕まえた。「私が何を言っているか解らないかもしれないけれど、聞いて、わたしは、半年後から来ているの。12月8日から来たの。」その人達は怪訝な顔を向けたが、その時暗い顔をした、一団が家の中に入っていった。その中に暗い顔をした私を見つけ、納得したようだ。わたしは、右の上唇を軽く、舌でナゾッタ。話を聞いた人たちも同じ仕草をしてうなずいた。暗黙に秘密と言う意味だった。庭先で、白いペットが自分で口で布団を広げて、暖を取った。 「この子自分で布団を広げたわ、もう大丈夫ね。」++++++腕に嵌めていた、3連のブレスレッドが3角形に形を変えて、やがて、一本の筋になり、1つずつ、腕から、落ちた。元旦那が「時間が来た。階段が消えてしまう。急いで。」と言う。わたしは、お気に入りの、下着と靴下を箪笥の上に用意したのに、いつの間にか消えている。庭先に続く部屋に、置いてあった、クリ~ムのタップリ入ったお菓子を手にした。元旦那が、『新聞や本等、の文字のあるものは、持って出れないよ。』と言った。庭の横に階段が有った。実際にはそんな場所は無い。細い石段を降りると、半年前の心の世界の出口が有った。『難なく来れたね!』と元旦那。空に赤い花びらの四角いフレ~ムが浮かんでいた。私が、そこを通ると花びらは風に舞って形を崩した。「石の扉」の隙間から、明るい光が漏れている。門番が私の持ち物を開いた。二つの箱を持っていた。1つの箱を開いたら・・・・・。バナナが一本入っていた。お菓子が姿を変えていた。もう1つの箱からは、鳥のもも肉のようなものが出てきた。そんなものを持ち出したつもりは無い。門番は、『もしや、これは獣肉。』『食べてみよう』『まさしく、肉だ、おぞましい。』と言い。私ではなく、送って来た、元旦那が控えている部屋に行って、ボコボコにしようとしている。獣肉を持って時空を越せない。「私が、何かを持ち出そうとしたのがいけないのです。赦してください。」と祈った。そこで目が覚めた。+++++++++半年前。時間的に私が心を取り戻した、時期だ。12月8日?これは、離婚の手続きを先にして、新しい生活が見えないまま、家を出るために神経が参っていて、自分で東京医科大に入院手続きを自分で予約していた日の気がする。入院して、3日間点滴で眠って、意識を取り戻した。3週間入院後退院した。25歳から学習で作り上げた人格が崩れこわれた。記憶は無くしてない、作り上げた価値観が崩れた。まるで、砂の城だ。まだ、病名は付いていなくて、「神経過敏症」とだけ、記されていた。浮気だの痴話喧嘩で別れて訳ではないので、現実に心の縁を切るのに更に一年時間が必要になった。最終的に、家を出た一年後家庭裁判所の決定で、お互い口を利くことも、交流する事も絶つ形を取った。入院先から、結婚生活をした家に戻る事は無く、友達の家を2箇所ほど、居候して、実家に引き取ってもらった。あれから4年。少しずつ自分を取り戻しつつある。自分を見失ったまま、形だけ生活の顔を作っても、自分から逃げている限り、何度も、自分を壊す事になる。今、やっと、自分を取り戻しつつある。貴方との別れを現実に受け止めないと何も始まらない。この、2日、何度も泣いた。自分の為にやっと泣けるようになった。いまやっと、悲しみを受け止められる状態になった。*********貴方の顔をみて、この私信を書く事を決めた。わたしの、独りよがりな悲しみの中だけの世界と思っていた。思い過ごしなら、良いのだけれど・・・・・。私は、記憶を消す事で、現実から逃げた。自分を捨てる事で、生き延びた。しかしながら、貴方は自分の悲しみを背負って現実を生きてきた。母は貴方の事を『縁りによって、どうして時の人と付き合ってしまったの?』と言って居ました。貴方の家が出会った災難。原因はあったにせよ、あの時期に、事が起きるのは、天の思し召しとしか言いようが無い。まさか、自分達に火の粉が及ぶとは、テレビのニュ~スを見たときには想像も付きませんでしたね。最初、貴方は、私を忘れたと思っていてけれど・・・・。あなた自身の波乱の幕開けとなった貴方の前途とは本来関係ない社会事件、忘れたくても忘れようが無い時期です。貴方もまた、私だけを切り離して、忘れる事は出来なかったでしょう。どちらが大変だったろう?きっと、貴方の方な気がする。貴方が、翳りの無い人生を新しい誰かと、現状に必要な人と力を合わせて生きている。そう信じて、来たのだけれど。貴方の両親が言うような、0からの出発ならどれほど楽でしょう。何かが有る所から、方向性を決断する方が、遥かに難しいです。価値観の衝突。本来関係の無いところに摩擦が生まれます。今の私には何もないです。長年の療養で、親の遺産もとうに食い潰しました。兄弟だけが、財産です。原点に帰る、絶好の状態。そして、貴方に何かを求めるのではなく、嘗て、人を愛した自分を求めています。今、思い出した事。人を愛する事は、相手に何かをするという行為の前に、相手を自分の魂の中に受け入れる作業だと言う事。私の中に、あの頃の貴方は生きています。写真を見た限り、偶々、そうした映りなら良いのだけれど、瞳の奥に光が見えない。思い返して、貴方はハンサムだった。医学を百年の展望で眺め、『外科の技術が百年後には必要無くなる。今自分は何をするべきか?』「百年後に必要無くなくかも知れないけれど、今の時代それが、足がかりに成るなら、貴方の性格は外科向きだから、外科をお勧め。」と私は言ったのを覚えている。あなたは、とても気性が激しくて、意志力が強く。攻撃的な性質。自分を信じて、素直でよく笑った。印刷物を鵜呑みにしない事を教わったのも貴方からです。利口そうな額が輝いていて、何よりも、瞳がまっすぐで好きでした。その貴方が、その影を内に秘め、どこか空ろな目に見えた。嘗ての、ハンサムさんはどこに行ったの?だから、貴方の今を不思議な気がした。何故、こんなに苦渋な顔をしているのだろうと。:研究者に必要な明るさが感じられない。それが、私が、あなたに連絡を取る気に成った切っ掛け。残念な事に、メッセが入らない。この日記は開かれていないようだ。
2004年03月17日
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今日当り、はがきが手元にとどいたと思います。この日記が開かれる事を祈って、書き続けます。日記を開いたら、BBSではなく、私書箱の方に、メッセ~ジ残してくれると有り難いです。アドレスの個人情報は入れなくても送信できます。どうして今、再び古い出来事と向きなおす事にしたか。十年前消息を知ったとき、未だ、忘れる事で自分を支えていました。この日記を書き始めて、医学生の日記に出会った時、心と言うものを取り戻しました。長い間、人を愛する感情を追いかけて来ました。心を見失っていました。実際の付き合いは3・4ヶ月の事だったと記憶します。あの頃は、愛が全てと思っていました。でも、君と出会った後、「人は愛だけでは生きていけない」と思うようになりました。それと、あれ以上の感情を自分が他人に抱く事は二度とないと思っていました。只、生きる事を考えていました。最初に思ったのは、仕事しなくては、と思いました。記憶を失った頭は、単純な作業が精一杯でした。商品整理。棚卸など、数を数える事から、覚え始めました。いまこうして、字が読めて、かけるように戻っていますが、あの頃には考えられない事でした。あの日の私は、一度死んでいます。医学部の学生の日記に出会ってから、自分を振り返り始めました。その人に自分を知って欲しかったからです。20歳近く年下の人に貴方と同じ感情を持ったわけでは有りません。純粋な恋心です。私が体験した事の無い感情は「初恋」たった一つだけ、心のかけらが残っていて、心の輝きを取り戻しました。他人を受け入れ始めたと言う事です。他人に対しての自分を理解して欲しいと言う感情が芽生えました。貴方とは、一目惚れ、恋する時間も有りませんでした。あった日から、離れられなくなりましたね。現在の私に行き着くのは、貴方とであった自分。その時点を忘れる事だけではなくて、受け止めることでしか前に進めない。そんな気がしてきました。いつこの日記を開いてもいいように、昨日から書き始めています。今更、貴方に何を伝えるべきなのか私のも判りませんが、貴方と出会った現実を受け止めなくては、心の片隅に生き続けてしまう。忘れる事の無意味を感じました。出会った事を受け止めてさようならを言いたくなりました。思い出と言う、カテゴリ~に貴方のぺ~ジを作る事で、今の自分に合った人を見つけたいと思います。例え、そんな人が出現しなくても。人を愛する余裕を持ちたいと思い始めました。情熱は一時の感情。今なら、わかることですが、あの頃は、それがまるで永遠かの錯覚を持っていました。あんな形でぶった切らないで、実際に向き合って話し合えば、もっと違った未来が有ったと今は思うようになりました。幸せな事は貴方と、別れる切れるを体験しなかった事です。あのまま、結婚していたら・・・・。やはり、貴方は他の誰かを愛するようになったと今では冷静に考えられます。同じ別れを迎えるにしても、自分を壊す必要は無かったと思います。現実には有り得ない事で、話すのもオカシイのですが。23年経った今、冷静に話す事が出来るようになりました。お互いが、もうこの世で別人になった今、話せる事もあります。PCと言う、技術が過去との対話を可能にしたと思います。私が、貴方をどんなに愛したか、と言うことは、貴方にとっても私にとっても意味のない事だと思うのです。今の貴方の写真を見て、どうしてもっと早くこうしなかったのかと自分に思います。もっとも、十年前、未だ、PCが今ほど普及しておらず、PCを使うように成って、4年目で、貴方の写真に行き当たりました。偶々父の法事で、某大学の助教授をしている従兄弟を検索したので、貴方の事を検索する気になったのです。ハンサムだった従兄弟も、普通の叔父さんになっていました。若さって、思い出の中でしか残りませんね。十年前から助教授で今でも変わらず助教授でした。教授のコメントは自由な発想。助教授のコメントは、誠実、勤勉。立場の役割の違いを人事のように笑っています。学問は大変ですね。立場に関係なく、学術を求める。凡人には知りえない世界です。男尊女卑では有りませんが、そして、男の世界ですね。そうした人たちの影に女性が存在して。私は、その世界に立ち会う事を躊躇ってしまった。貴方が、市井に落ちなかった事。形はエキセントリックでしたが。私は貴方と別れて本当に最高な結論を出したと思います。美容整形外科のパンフを広げる貴方を見ているのは辛かったです。産婦人科の萩のギンの話を読んで、医者には二つの生き方が有る事を知っていました。我が家が貴方の生活を支えたら、貴方の自尊心を傷つけてしまう。どう考えても、先が見えなかったのです。貴方は気が済むまで、私の写真を引きちぎったと思いますが、私の手元には、貴方を偲ぶ物はひとつも無くて、「情熱の感情の記憶」だけが私をしばっていました。でも、こうして受け留められるまで、23年かかってしまいました。最近の写真から、貴方がどんな人だったのか思い浮かべて、自分自身を取り戻しつつあるのを感じます。あの時の自分を思い出す事で、今の自分が少し見えてくるのが不思議です。昨日と今日。この2日の作業がわたしに、どんな変化を起こしたか、自分を見守りたいと思います。
2004年03月16日
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あれから、23年の年が流れました。23歳だった貴方に会って、貴方のあの日までの、年月が流れました。今きっと、あの後、直ぐに誰かと出会ったとは考えにくいので、きっと、高校生の子供が居るくらいなのかな?あなたは、46歳を迎え、わたしは、47歳になりました。思い切って、HPで貴方の現在を探しました。どの道に進んだかは、十年前の手術の時に、貴方の同級生にオペしてもらったので、知っていました。私が、貴方の目の前で、人格が崩れた事。自分の中での出来事としか考えて居なかったけれど、貴方にとってもショックな出来事のようだったみたいですね。貴方は私の両親に会った、唯一の人でも有ります。その二人も13年前に母が、17年前に父。二人ともこの世に居ません。精神科は神の領域と言っていた貴方が、物理的に脳を解明する。外科に行く事は薦めましたが、寄りによって、脳外科に行ってしまうとは・・・・・。潰しが利かないでしょう。そして、初めての国家試験は、お友達と仲良く落ちた事も聞きました。どうして、再び連絡を取る気になったかというと。生存報告と共に、貴方の最近の写真を見て、他の医局員に見られる明るさが感じられなかったこと。もしかして、謎を引きずったまま、心の重石になっているのではないかな?と感じたからです。貴方の写真を見て。こんな顔した人だったんだ。と始めてみた人の気がしました。あの日、貴方の目の前で、私が人格を失ってしまったことは、脳を切り刻んでも、神経幹細胞を再生させても、答えは出ないと思います。最近少し、脳の機能障害を抱えるようになりましたが、あの頃は、脳自体は温存されていました。貴方の前で、崩れてしまった、私が、オレンジと黄色のゴルフボ~ルを手にしていたのを覚えてますか?あなたは、私の家に同居していた、友達に原因が解らなくて、何ヶ月も、理由を追って、電話で話したと言うのも聞きました。一言で、言うとお互いの育ちの違いに前途を危惧して、貴方を忘れる事でしか、命を繋げなかったということです。母の言葉を借りると、『信じ切れなかった。』人は時として、自らの命を守るために、人格を崩壊させてしまうと言う事です。写真を見ながら、特別ハンサムと言うわけではない、他人からみたら、普通の人を、どうしてあれほど情熱を傾けられたのか不思議な気がしました。自分を崩壊させたのは、切っ掛けは、あの時、台所で、包丁を握っていた私に向けられたあなたの不用意な言葉でしたが・・・。どうして、ゴルフボ~ルを手にして拘って居たかと言うと。自己暗示で、記憶を閉じ込めながら、出切る事なら現世に戻って来たいと、あの時傍に有った、ゴルフボ~ルに期待をかけました。ゴルフボ~ルを見ながら、何を思い出そうとしたのか、不思議な気がして、何の役にも立ちませんでした。暗示をかけるとき、戻り方が解らなかったからです。最近、知ったことですが、どんなに強い暗示も、13年位で解けるそうです。大まかの記憶を戻したのは、33歳。9年後の事です。父親を亡くして、母親が亡くなる前に何とか記憶を戻したいと願って、かろうじて間に合いました。その時、母親聞かれ、貴方との事は、親の目からみても、解らない事のようでした。『親の目に気に入らなくても一緒にさせてあげようとしたのに、どうして自分を捨ててしまったの?』と聞かれました。貴方も又、どうしてわたしが壊れてしまったのか謎のまま居るのではないかと、思いました。貴方の言葉で、別れる決心をしたのですが。貴方が口にしたのは別れの言葉では有りませんでしたが、私には、地獄の選択を迫られました。別れるのも地獄なら、共に生きるのも地獄。いつか、貴方に『お前の家が医者だったらな。』とその次には言われる日が来ることを感じました。貴方には「アホ子」とか呼ばれてましたね。出合った時にわたしは、自分の過去の記憶を一部失っていました。その為に、心理学の本を読む事が多かったので、逆に記憶の扉に鍵をかける事は簡単な事でした。貴方を忘れる為に、部分的とは出来ずに、全ての記憶に鍵をかけました。それでも、貴方に会いたくて、家から飛び出した私を、庭先の枯れ葉の中を、追い被さる母と転がった事が有りました。通りがかりに人に、『娘が出て行くって言うのです。』と訴える母の姿が私を留めました。母は変わり果てた、私を貴方の目に晒すのを気の毒に思い、必死で、守ってくれました。今年貴方の顔を見て、私が消したかった記憶が何だったのかはっきりと姿を見た気がします。始めてみるような顔から、嘗ての君の面影を探しました。目と鼻と唇。見つけ出す事が出来ました。しかし。あの頃の輝きを見る事が出来ません。今年、貴方の姿を見て。共に過ごした、マンションの情景。私が、動かして叱られた、資料。全てを鮮明に思い出す事が出来ました。あの頃、二人で過ごした体験。貴方にとってはなんだったのか、少し興味があります。貴方にとっては、一人の女性が目の前で崩壊した、不思議な出来事でしかなかったのか。それとも、貴方の中にも私は居たのかしら?お互い年を取りましたね。あの頃と違って、今は未来に居ます。今の貴方の学会での苦闘を見てもやはり、別れるしかなかったとは今でも思います。過ぎてしまったから、聞ける事もあります。貴方は、その後何を思いましたか?今これから先、残された時間はわずかです。心残りの無いように、貴方の気持ちに曇りが無く、今を生きられる事を祈ります。振り返っても、あの情熱を向けた一瞬が私の青春の全てだった気がします。そんな体験をくれた貴方に会えた事、今は後悔していません。今の貴方を知りませんが、貴方の過去のひと時を知るものとして、今を翳り無く生きて欲しい気がしています。
2004年03月15日
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昨日の夜から未明。久しぶりに、体を使った。テラスの、プランタ~の土の入れ替え。水遣りを、余りしなかった、植物が、根だけを張り。もう、何も植える事が出来なくなり、土を入れ替えた。180Lの土の入れ替え。昼のうちに、苗を買い。土を買い。今度は、きちんと水を上げようと、藤の苗を植える。5階のテラスは、日差しが強くて、藤棚を日よけにする計画。姉は、見事な藤棚を作った。わたしは、この十年、この部屋に居た事は少ない。再度、藤棚に挑戦。47年生きると、後は30年、40年を考えるだけになる。残された時間、何をするのか、暫く考えてみる。元気で居られるのはその内何年か?今30歳前後の人なら、想像つくだろう。貴方の生きた人生の長さ。その年月を私は生きるともうこの世にはほぼ居ない事に成る。誕生日を祝うメ~セ~ジをくれたあなた。嬉しかった。貴方は私の2倍はこの先、生きる事になる。何を、感じ生きるのか?ココから先は、老いる事を受け入れる。生きる事、楽しいよ。とは、言い切れない。でも、生きる事は、限られた時間の特別な体験。2度と、同じ人物は現れない。だから、死ぬまでとりあえず生きてみましょう。立派でなくても、人に知られなくても、自分の人生を味わい尽くすのは、私自身、あなた自身。限りの在る時間の中での出来事でしかない。いずれ別れるこの世に、もう暫く居る。残された時間。私は何をして時間をすごすのかな?今日は筋肉痛。これから、銀座に蟹を食べに行く。プランタ~の苗が育ったら、写真アップしますね。
2004年03月14日
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私が、人より、魂の存在を感じるのは、魂を失って生きていた時間が在るからだ。魂に見捨てられた?体。25歳の時、これ以上人を愛する事は無いと感じたことが有った。ロマンチストだった私は、セックスは、男女の魂が1つに成る行為と夢見ていた。現実、そう感じることがあったのは、25歳の時。その行き着くところで、見たものは、所詮は、一人一人が見る幻想に過ぎないこと。生きる希望を失って、自らの記憶を消した。魂に逃げられたのは、19歳の時。傷つけれれることがあり、悲しみの余りに、吼えたとき、口から魂が飛び出した。その後、引きずられるように、生きた。魂の無い状態で、体だけの存在で愛を探した結果。行き着いたのは、人間の男女の愛の限界。キリスト教で神の前で、結婚を誓うのは、元々、男女の間の愛に限界を見ているから、中間に神を置く。尤も、「天にも地にも誓うな」と言っている。結婚式をした事は無いが、結婚の儀式を受けるとしたら、神に誓う事はしないと思う。添い遂げる事に力添え下さいと祈るつもり。昨日、再び、小池真理子の本に耽った。美の探究者が死んでしまう話だ。心の空虚を見つめて、闇に捉えられると、「死」しか行き着くところは無くなってしまう。その誘惑は、人間の男女の愛はそれを食い止る力を持たない、男女の愛は所詮、その程度のものと私も思う。生きようとするときに、初めて、生きる仲間としての、パ~トナ~が必要となるので在って、愛故にパ~トナ~を見つけると、その人間の最上級の愛の感覚はもはや、行き場さえ失う。その後に見るのは生活と言う現実に過ぎない。自分の過去の記憶を失って、それでも生きた。学習のしなおし。数を数える。字を読む。初めての時と違って、覚えると言うより思い出す作業だった気がする。出来事の記憶を取り戻したのは33歳。「生きる事がこんなに大変なら、隣で誰かに見ていて欲しい。」「頑張ってるね、と褒めて欲しい。」と思ったのが切っ掛けな気がする。職場でボ~周りをと眺めていると空間に稲妻が落ちたかのように光った。継母の死期を感じていた。生きている間に話しておきたいことも在って、記憶を取り戻す事を急いでいた。幸い、亡くなる前に過去を振り返って、お互い赦しあう事が出来た事は幸いだったが、出来事の記憶を取り戻したものの、感情と言うのは中々取り戻せなかった。基本的な「好き」と言う、感情の0の原点を取り戻したのは最近の事。それまでは、肌に触れる感覚に頼るしかなかった。好感を持つと、必ず腕と腕を触れさせてもらって、自分の感情を推し量ってきた。想像上の感情を体感してきた。まず、普通の人には在り得ない事だ。前回書いた、ホステス見習いを辞める、前日。私は、自分が関心を持てる人を見つけた。その仕事を続けるつもりなら、付き合いは持たなかったと思う。自分と何か似通ったものを感じた人が居た。名刺を貰っていたので、連絡を取る。造園業の人で、私の住む町の隣の町人だった。結婚している人で、話して知ったことは、出来ちゃった結婚を求められて、その時自分の子ではないと感じながら相手を受け入れた結婚だったそうだ。自分の子供だと確信できる子供が出来れば、それはぬぐえると思い、2子3子を作ったけれど、相手の女性にも愛情が持てず、肌を触れる事も嫌だと感じるようになったという。性的にも不能に成っていた。造園業の人は、元々地主の人が多い。落人で300年の歴史を持つ人が多い。地主と言う性質上、家業は生活と言うものから、離れたライフワ~クとして、仕事を作っている感じがする。口をしのぐのは、土地の上がりだけでも生きて行ける前提があるからだ。こうした人が、狙われてしまった、結婚は意外と多い。自分の子供では無いと感じていたのは、奥さんに別にも付き合っていた男性が居た事と、性行為に至ったのが一度しかない事。感情的に未だ、出来上がっていないときに、妊娠を告げられている事。でも、「俺の子ではない」と女性に言うのは卑怯な気がして、親に相談して、結婚をした、と言ういきさつだ。20代では、愛も恋も良くわからないことが多い。孤独が極限に来ていて、誰かに抱きしめて欲しい願望の「愛されたい人だった。」離婚を話し合う事が最近多くなったそうだ。彼は私の美観には外れていなかった。ラブホは少し足を踏み入れたく無かったので、私の部屋に入れた。向かい合ってその人を抱きしめた時、私の胸の辺りで、「ギギギ~」と歯車が動き始めた音がした。私が体が、魂の乗り物と実感するのはこうした体の不思議。普通の人には聞こえない音。体が、バラバラに動き出す瞬間に出会っているからだ。自分の体が、脳を含めて精巧な人形の感じがする。神が土から作った。と言う人間。この土と言う表現は、「元素」地球を構成する全てをさすことで、地べたに限った事ではないと思う。(地べたには全ての元素があるのかもしれませんが・・・・。)魂はそれ(体)によって、私が体感する何かを受け取っている気がして成らない。魂の声に従うことも在る。余り、声を発しはしないのだが、対局の場面において、時々方向を指示される。未だに、不明な魂からの啓示「自ら求めるものは、自らのコリンテス。」これは、作品展前に私に下った魂からの啓示。神からと魂からと分けているのは、神からの時は、言葉に音が無い。(閃きに近い)魂からの時は女の声。心に響く。この十年間、この啓示を追っている。少しだけ、このことでは?と感じるようになってきた。この男性とであった事で、初めて「テレパシ~を自分が発信している事を知ることに成る。」又明日。
2004年03月12日
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最近、書くことで、自分がとても、一般的な考えから、かけ離れている事に、気が付き始めた。楽天で訪問してくれる人は少ない。ゲストの訪問だから、余り書き込みも少なく。何を書いても自由と言う思いと、ココまで変わっている自分。他者との共感の無いものを書くことに躊躇いを感じ始めている。そこで、他者との共感は捨てることに・・・・。自分自身が感じた、体の不思議を書こうと思う。十年ほど前の事である。新しい仕事を作ろうとした時に、企画の風俗営業に接客を習いにもぐりこんだ。源氏名と言うものがどうして必要かを知った。風俗と言うと、売春かと思われるが、客の隣に座って、接客をすれば、既に風俗なのだ。ホステスさんは私生活を見せない。もし、私生活を見せたら、既に店の商品価値は半分。名前と年齢が見た目に合わないと、見た目に合わせる。私の場合、日本生まれで、日本語に不自由が無い。そこで、外人名は邪魔になる。かと言って、まるっきり知らない名前は反応しにくいので、親戚の名前を拝借。苗字は要らない。呼び名。年齢は、38歳だったが、専務の目には30歳に見えるらしいので、30歳と言う事で決定。客との話題でいつも、8歳引いた時代考証で話を進める事になる。客に疑問を持たせないのが、大切な事。ホステスを個人に対しての興味で売ってしまったら、直ぐに、限界が来てしまう。そこで、名前も嘘なら、年も嘘。店では一人のタレントなのだ。私生活を見せずに、客の話を聞くのが仕事。その場を乗せるのが仕事。客は、自分の事を知ってくれることに安心をする。そうして、客の居場所を作る。自分の事は何でも知っていてくれる、と言う錯覚を起こさせる。ホステスの給料は、サラリ~マンより低い。時給1700円はサラリ~マンの生活では低い方だ。休日を計算し、ボ~ナスを計算すると、簡単にその数字を超える事が多い。客と話す程度なら、1700から2000円が相場。が、ホステスさんは時給2500円を超える場合、おさわりOKの世界になる事が多い。らしい。7時から、店に出る人は、下働きを要求され、さらに低い賃金の人が多い。1000円を切るようだ。明け方の閉店まで働く。大体、8時から9時の出勤。11時から12時であがる。3時間4時間だけの仕事が主。一日に8000円では、自分で生活する事は難しい。化粧代が馬鹿にならない。普段化粧しないわたしのファンデ~ションが見る見る減る。自前の衣装も、高級なものはそうした店では着られない。バイト代も低ければ、客層より、良い物は身に着けたらいけない。OLさんのアルバイトなら、お小遣い稼ぎには良いかも知れない。自分で飲み歩くより、余程店に守られていると言って良い。客単価は2時間でいくら、と注文の品のようだ。正業なら、必ず客との個人交渉で、生活が成り立って居ると考えた方が無難だ。それと、実家に子供を抱えている。子連れ。客はそこを楽しみに通っているのかもしれない。店側は、客の気に入った子を指名しても直ぐに他にまわす。そこで、時給の低い私などは、そうした相手の子守役。目当ての子と話すために通うわけだ。大体、3ヶ月で一般の客は目が覚める。そうした所に嵌る客は意外と表で女の人と話せない人が多い。お金を払っているから、安心して話せるようだ。売れっ子の女の子は、客の自宅の鍵を沢山持っている。「俺の部屋の鍵を持っているのはあいつだけだ。」と私に言われても・・・・。名刺には東京の立派な店の名前が在って、こんな所で、女の子捜さなくてもと気の毒になる。女側の自宅には入れないみたいだ。*********入店してから、まもなく、客のグル~プ同士の誤解から、店内で喧嘩が始まった。最初、アヤ付けられたほうが殴りかかろうとするのを抱きついて、「辞めて。」と停めた。大きな人で、自分の顔がお腹の位置に在った。一端収まったかと、店の端に退いた。すると、喧嘩を売った方の、気の弱そうな男が、ビ~ルビンを振り上げた。ここで、コップが1つでも割れたら、騒動が起きる。私は、近所に内緒で、働いているので、警察沙汰になりたくなくて、必死だった。振り上げた、拳は誰かが止めなくては、振り下ろすしかない。店の端から、ダッシュで駆け寄り、右手の2の腕で相手のビ~ルビンを振り上げた、腕を押さえた。それを見ていた、体の大きな相手の男も同時に飛び込んで来ていたのを、左の腕で絡め落としていた。左の足元に大きな男が横たわっていた。全員が我に帰った。喧嘩を売ったグル~プは、歌って居るときに、隣に座っている人が、乾いた唇の皮を唇で噛んで、吐き出した。喧嘩を売った側は唾を吐きかけられたと勘違いして怒り出しているのが、こちらからは見えていた。唇の皮を吐いた人は、イキナリ、キャップのツバを押さえ込まれて、何をするんだと怒り出す。喧嘩の始まりは、こうした誤解が切っ掛けだったりする。どちらの目にも正義はある。喧嘩を売られた側は、自分の無意識の行為が誤解された事を少しもわからないからだ。警察が来た時、全員でしらばっくれた。何事も無かったように、振舞った。さすがに、グル~プ同士で揉めたので、危険を感じて、店側が電話したらしい。客にしてみれば、冷静になれば、誰も警察の厄介に成りたくは無い。実際、体の小さな私が、大男の喧嘩を止めたことで、男どもは酔いが醒めてしまったらしい。警察が来た時、客は一端店から外に退避した。警察が、不思議な雰囲気の中、誰もが何もありません。と口にするので、首をひねりながら帰った。会計も済んでいなかったので、客が再び席に戻ってきた。「まあ飲みなさい。」と酒を渡し。見ていた、誤解のいきさつを話した。喧嘩を売られた方は、明るいところで、腹に部分に赤い色がこびりついた居るのに驚いた。それが、私のル~ジュだと気が付いて大笑いした。喧嘩を売った客は、私の不用意な言葉に凄んで、私を泣かした後だった。「お嬢みたいな人に泣かれると、弱い。」と謝った後の出来事。そんな気の弱そうな私が喧嘩を止めた事は、伝説になった。その日を境に、店の車で、チェ~ン店をヘルプで時間内回された。フィリピンパブも在り、労働力としてではなく、各店舗見学に回されているようだ。(フィリピンパブは時間中客に抱きついてじっとしているのが仕事。)ゲ~ムで遊び相手をするところもあった。そうした店でわたしは、時間中客に付かされなかった。店の客をバイト時間中他店に同伴で連れて行くと、その時間は自分も客として、扱われる事を知った。当然、客に私の代金も加算される。いろいろ見させてもらい。そうした特別扱いも何か店側に意図があると思い、申し訳無いので、早めに辞める意志を伝える事に。チェ~ン店、地獄巡り。どうやら、女の子は客に惚れると引退するらしい。が、殆どは、客が馬鹿らしくて諦める。そうして、興味本位のホステスも、アホラシクテ、辞めるのも3ヶ月。私も、予定していた、作品展が迫って居るので、最初からその位のつもりだった。遊びなれた客は、そこの所を良く知った居て。「又来てくださいね。」と言うと、『いい女の子は、皆直ぐやめるから。』とひと時を楽しむ事を知っている。そうした所で、割り切って働ける人は、子供が居る。事情を抱えた人。出稼ぎの外人。それと、人気商売が好きな人。どれだけ、客を引き寄せるかに興味のある人。寂しい女の人も居る。店に居れば、従業員で構われるが、個人では相手にされないおばさんも居る。どんな世界にも適正がある。最後の日、八百屋のお兄さんに付いた。専務に相手の職業を告げられていた。私は、年齢をカバ~するのに、敬語での接客を通していた。八百屋のお兄さんは、敬語で接待されてのは初めてだと最後泣き出した。いつも、八百屋のお兄さんと軽く見られていた人にとって敬語で相手をされることは、事の他感動したらしい。敬語で接せられて、気分悪い人は居ないようだ。*********本日のまとめ喧嘩を止めた時、相手を見切れていたのは、付き合いで習って居た、小林拳があったから。普段は何も覚えていないのだが、身に付いた物はとっさの時に出るようだ。左半身の反応は殆ど無意識に動いている。攻撃性のある拳法を習った人は、無意識の動きに気をつけるように。喧嘩の時に攻撃が無意識に出て、相手を傷つけないように。喧嘩自体を避けないと防ぎようが無い。
2004年03月11日
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楽天で書き始めてから、早、5ヶ月経つ。書くと言う作業が、こうも己を知ることになるとは思わなかった。以前の自分は、自分はどんな人を好きに成るのか?まったくもって、己を知らなかった。書くにつれて、自分の了見の狭さ。好みの激しさ、痛感する。まず、私が言葉フェチで有る事。文章を読む事で、人格さえ判断してしまう。好きなタイプがわかってきて、そうでなければ自分は受け入れないな。と言うのが酷く解ってきた。1・第一に、ライク・ア・バ~ジンで有る人。既婚暦があっても、無くても、現在一人身である事。(子供は居たとしても、その人の部分であって、心が独立してる人。)2・二つ年上である事。(今年49歳の人)実は過去にこの条件に合う人は少ない。何故か年下と縁が多かった。寄る年月で、老いを理解して来た。体力的に年下は無理が有る。3・聖霊を理解する人。 既成の教会に属していない方が理想。4・神社・仏閣に礼を尽くせる人。 他の人の大切に思うものを理解する人。5・扶養する生活力のある人。***********ここからが特に勝手な好み。*家政婦を雇える人。*お互い以外の人に色目を向けない人。*愛を注ぎたい人。 *身長が175以上である事。(これは、経験的に体の小さい人と自分は合わないと思う。)支障がなければ、問題ない。*喫煙を赦す人。*喫煙のテラスを持つ人。*東京近郊に住む人。***********ははは。これだけ自分勝手な理想が見えてきた。世界に一人居るか居ないか。そうした人が居なければ、泡雪は後の人生、キリストを夫として生きるようです。もっと、早く己を知っていれば、人生凸凹しなくて済んでいたような気がする。私に限らず、己を知ることは、回り道をして、悪戯に、自分を傷つける事が無いと思う。********中学の友人で、その頃から言っていた事がある。付き合う前に、その人の家を見に行く。何とも、極端と思って居たけれど、自分との釣り合いを見るには相手の環境は自分との釣り合い。見るにしても冷静に見る必要が有ると思う。私の年下との結婚は、自分が産みの母親の顔を知らないので、父親の顔を知らない人と結婚した。それなりに学ぶ事が有った。母と姉の情に包まれたその人から、情と言う物を教えられた気がする。(お互いが気で繋がれていた感覚が有った。)幸いお互いの不倫騒動は経験して居ないが、離婚後は情を切るのに苦労した。カソリックの幼児洗礼を受けている人でしたが、結婚後、告白されて反キリストで有る事を知る。サタンの霊を受け止めている、やはり、霊的には強い人だった。それで、式は挙げていない。キリスト教の儀式、水の洗礼を受けた人に、反キリストが多い。クリスチャンを名乗る人を警戒するのも、そうした経験からです。外国人でもそうした人に多く出会っている。聖霊に拘るには、過去の苦い経験からです。生きる上の知識は注ぐ事は出来ても、人格形成は変われない事も知った。ボロボロには成ったものの、10歳年下との結婚は自分を知る切っ掛けには成った。******世界に一人の人。と言うより、日本それも、東京近郊という限定?そんな人が居るとしたら、今年の暮れに会いましょう。離婚して5年目?泡雪は今未だ、リハビリ中。
2004年03月09日
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私がここで書くのは、信仰するとこんなに沢山のご利益があると言う事ではない。逆に、どうしてそんなものを信じるのかと言う事だ。我が家は、私以外に、クリスチャンは居ない。家族に布教もしていない。両親は無宗教。では、神を恐れなかったかと言うとそうではない。私が、洗礼を受けに行くと言うと、神さまはここに居るのよ。と胸を叩いて、説得した。信仰とは、同じ神を求めながら、一人一人の道に過ぎない。親の反対を押し切って、洗礼を受け。そして、同時に、神と自分との契約。一人一人の道に神が道を示す事を教えられる。その、同じ神を求めながら、それぞれに不思議に感じる事を話すことが良くあった。その中で、最たるものは、クリスチャンの謎だ。ヨブ記にもあるように、クリスチャンで語られる人は、信じてこれだけ、幸せになりましたと言うのは実に少ない。よくマアこんなに、酷い目に会いながら、どうして神様を信じるの?て言うような人ばかりだ。キリストを初め、酷い死を迎える人も多い。ヨハネもサロメに首を刎ねられ。血に塗られた歴史としか言いようが無い。ヨブが、皆に不幸を、過去の過ちが不幸を招いているとか、誰の慰めにも会わず、最後神に出会った時。『やっぱり、居たんですね。』と言って、満足して死んでいった。この事が示すように、宗教を物色して、どの宗教に属すれば徳かと吟味する人は、悪い事は言わない、宗教から遠ざかれ。現世の幸せを考えるなら、無宗教の方が騙される事は無い。騙されたという人は、自分がその教えを受け取った時に、何かを夢見たと思う。この世の幸せ?戦争の無い世界?約束された幸せなど無い。戦争の無い世界も無い。むしろ、その中でどう平安を保つかの問題だ。酷い思いをしながら、それでも神様を思う人。その人の中に既に予感として存在している何かを求めているのであって。宗教カタログで幸せの神を探すものではないのだ。騙されたと思う人は、騙された宗教と同じ質のものを持っていたから入信したまでで、その宗教は教祖だけでは成り立たない。どれだけ酷い目に会ったと嘆く間は、形を変えて繋がれている。わたし、「どうして、そんなものに嵌ったのか自分でも判らない。」という状況が本当に抜け出した状態だとおもう。クリスチャンは霊的な物で繋がれている。目に見える物なら、断ち切ることは簡単。辞めれば済むことだから。神からご利益が欲しいわけではなく、超自然的な事物を体験した結果信じざる終えない状況にある。正直、儀式の洗礼を受ける直前から、超常現象に悩まされる事になる。キリスト教とサタンが付き物と言う事は余り、知られてない事実。良い事ばかりではない。サタンとの戦いが始まる。(サタンは無神論者や人間ではない。)聖霊を受けていると言う人に、「サタンに会った?」と聴くと、顔をしかめて、「会った。」と言う。やはり、霊体である。キリストから離れれば、サタンから逃れられると思った事も、結果として無理だった。サタンに勝てる神は、キリストしか知らないので、再びキリストを助けにした。思うに、そうした何か神を頼り見る必要の無い人は一人一人の胸に神を見出す方が無難だとおもう。現世の不幸はサタンの仕業では無い。そこを、混同してキリストや現世利益の神に(そうした神ほど人間に理解されやすい教義を持っている。)偽キリストに嵌る。言っておくが、キリストは現世では霊体で存在している。それを、聖霊と呼んでいる。死んだ霊ではなく、生きた霊。私の体験としては、感覚として、暖かいエネルギ~だ。細胞を震わせる感動を伴っていた。ゾッとさせる感覚は伴わない。その辺を見分ける境にしている。霊の世界に鈍感な人は、日々に喜びを見出す方が、神に近く生きられる。キリストの霊を求める人は、魂の苦しみの限界に来た人が初めて求める宗教な気がする。幸せを求めてキリスト教に触れると、偽キリストに会いやすいのも事実。キリスト教は罪人の最後の砦かもしれない。
2004年03月07日
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以前、小さな不思議が続く事を書いたとき、最近テレビでよく見かける霊能者のHPを紹介された。リンクされている小島養厳さんの連載で、ポルタ~ガイストについて書かれている、項目を見ると、私の出会っている事は、ポルタ~ガイストの一種だという事に気が付いた。そこで、江原さんの本を買って読むことにした。江原さんは霊能力をコンとロ~ルするのに、イギリスに学んでいる。その意味で、日本の多くの霊能者より論理的に纏められていて、霊を感じる人なら誰が読んでも判りやすく纏められている。その中で、守護霊に関する説明は良く出来ていて、初めて類魂と言う言葉に出会った。一人一人が神に繋がれていて、その神の世界に居る類魂の一滴が落ちて、一人の魂と成っているというところです。一人はその神の世界に居る類魂と繋がっていて、代表だから、その類魂の居る神の世界から、切り離されないと言う物だ。そして、その類魂が沢山集まって、神の世界の一部になってそれぞれの位置に存在していると言う考え方。全体としては1つの神の世界。そして、神の愛と、友情や恋愛や子供などの日常的な人間・間の愛を別なものと区別している。大我の愛・小我の愛江原さんの指導霊からの伝えられて事は、イエスも釈迦も一人の霊能者、と言うことに成っている。江原さんの指導霊は、日本に生まれた、昌清霊と言う。お坊さんだったらしい。わたしは、キリストの下された霊で在る聖霊に包まれたのは23年前。聖書を読んだ事も無い状態起こった。だから、教会で眠っていた私に起きた事が何であるかさえ気が付かなかった。それを知ることから始まった。見ていた人は全員私がクリスチャンに成ると言い切っていた。「どうしてそんな風に決めて言うの?」ハオ・キャン・ユ~・ビ~・ソ~・シュア。と拙い英語で聞いた。英語圏で起きた事でした。一緒にいた、日本からの女の子が、『私は?』と占いを聞くかのように、尋ねると、『アイ・ドンノウ・バット・メイビ~。』と英語で答えられた。日本から二人とも英語の研修で来て、最後の二日をホ~ムステイに振り分けられた時の事。土曜日に泊まって。日曜日に教会に付き合いで行っただけ。わたしは、興味が無いと、直ぐ眠ってしまう。最前列で、ミサの時眠って居た。それだけの事だった。なのに、癒しの時間に、全身が何かのエネルギ~で包まれた。涙があふれ出して、おなかの中から塊が口から出て、頭に閃きが与えられた。‘人の事はどうにも出来ない。‘これが、私が与えられた最初の啓示。耳に聞こえるように、言葉が聞こえるわけではなく。むしろ、頭の中に文字が書かれた感じ。字が頭に浮かんだわけでもなく。「その言葉が残った。」と言う感じだ。わたしは、聖霊なんて知る由も無い。聖書を手渡されて、「日本に帰ったら読んでみて。」と言われた。一通り、アメリカからの帰国子女から、ルカから読んで、と読みやすい順序を教えられた。目を通して、ヨハネは水の洗礼を与え、キリストは聖霊による洗礼を与える人。私に必要だったのは、自分に起きた事を理解する事だった。「どうやら、聖霊の洗礼を偶然受けてしまったらしい。」と言う事を理解した。その、聖霊がキリストが死から復活し天に昇って、神から下してもらったものと言うのは、最近理解した事。キリスト教は、キリストの死からの復活とそれによってもたらされた、聖霊を受け無かれば、理解出来ない世界です。「人の事はどうにも成らない」これを、最初に与えられた私が、人の首を掴んで、キリスト教を信じろと人に言う筈が有りません。「聖霊と人」との関係で、人間が信じろと言って信じられる世界では有りません。私の場合は自分が求めたのではなくて、聖霊の選びで下された、変わったケ~ス。聖霊は自然界にある精霊と違い人格がある事も最近知った。そして、クリスチャンは個別の聖霊ではなく。キリストの一人の体からモタラサレタ、1つの聖霊を皆で着ている訳だ。私は教師になるつもりも有りません。サタンと同じように裁かれるからです。ただ、知らないで、信じても居ない神に祟られないようにと案じました。江原さんの解釈を借りると、キリストイエスの類魂の集まり。それ以外の人には他人の類魂。他人の大切にしている魂の書を「嘘」と言う必要もないのです。わたしが、ある人に、聖霊を冒涜さえしなければ、神を罵っても、キリストを罵っても許されるらしい。と書き送りました。正確には、聖書にこう書いてある。聖霊に逆らう罪。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。また、人の子に逆らう言葉を口にするものでも赦されます。聖霊に逆らう事を言うものは、誰であっても、この世であろうと次に来る世であろうと赦されません。これは、聖書を細かく読んでないと結構見落とし勝ち。キリスト教徒でなければ、余り知らないことでもあります。聖霊を知っても聖書は実に難解。一生実生活での解き明かしです。「聖書は信じる人のための聖典だからです。」求めよさらば与えられん。これは、「探して、求めて、門を叩くもの」に対して、開かれるもの。神に「証拠で私を信じさせてよ。」と疑いを持つ者に聖霊は与えられる事は無いのです。キリストのイスラエルの滅びた民と「求める者」に開かれます。ですから、聖書にはなにか自分の信じさせてくれる何かを探しにくると、全てが、物理の常識では信じられない事が沢山書かれています。キリスト教以外の人は、それぞれ帰る類魂が有るって事を江原さんで知って安心しました。皆、神の一部だそうです。聖書は理解を超えている事は本当ですが、神の聖霊の導きで書かれたとされている内容を、「嘘」と言ってしまうと。「言った本人がまずいでしょ?」触らぬ神に祟りなし。「解りません。」と放り出したほうがよっぽどましです。聖霊によってしか、「キリストは救い主」と言う事は出来ません。ですから、聖霊を知らない人が、キリストなんて、只の人と言うのは当たり前のこと。「キリストを崇めるのはおかしい」と言う事も、もっともな事。神を罵っても、キリストを罵っても、赦される事。しかしながら、聖霊の働きに知らないで罵って、信じても居ない神に祟られては、余りにもかわいそうなことだと思います。「求める為に読む」物を、疑う為に読むのは危険です。聖書は2000年もの間愛された書物でも有ります。旧約もキリスト教には欠かせない、聖書の部分です。旧約はユダヤ人の間だけの経典と言うのも間違えた解釈。そして、ユダヤ教の方はキリストのとりなしが無いので赦すものも有りません。もっと厳しいです。尚の事、「嘘」呼ばわりすると大変な事だと思います。私の言いたい事は、信じないものは最初から触れないほうが身のため。「触らぬ神に祟りなし。」聖書は勝手に解釈すると呪われると言われる程、恐ろしい本でもあるのです。「自分の知らない神に祟られたら、迷惑な話ではありませんか?」元々、神も仏も居ないと思う人は、この祟りに触れる事は無いでしょう。触る事も無いからです。色んな宗教があります。人を貶めるものも有るでしょう。それと同じ秤で、聖書を計って祟られる事の無い事を祈ります。クリスチャンも大変です。どこに隠れても、聖霊は居るからです。もともと「聖霊に逆らう罪」はクリスチャンの為の戒め。***************************信じない神の祟りを、信じない者が被る必要も無いのです。***************************総体の神と、キリストの神は戦う事は有りません。仏教には「仏教聖典」イスラムには「コ~ラン」キリスト教に「聖書」お互いの聖典を嘘と言う必要はどこにも有りません。「それぞれの道。」ですから。
2004年03月06日
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私は23年前に聖霊に出会って居る。と同時にサタンの攻撃にも会った。それで、神から遠ざかる事になった。近年出会った不思議を、神が起こした事と思っていない。むしろ逆だ。この際言っておく。不思議は全て神だけが起こすものではない。だから、超常現象に神を求める事は辞めたほうがいい。神が起こした事なら、同時に私を恐れさす事は無かった筈だ。神の性質として、哀れみ深いからだ。キリストの神を受け入れた立場で、サタンを言っている。このわけ方は、キリスト教の世界だから。天から光が私の胸に降りた時。もし、それが神の業なら、同時に啓示を与えただろう。それが無かった。最近であった不思議は神から離れた私に対して、サタンからの何かの誘惑であったと思う。それ故、キリストの神に立ち戻ったのは、それらのものから守って欲しいからだ。先日、空虚に襲われた時、久々に祈った。内容は、自身の祈りなので、ここでは書かない。その祈りを適えるには、私自身が動かねばならない祈りだ。それに対して、力を下さいとお願いした。自分が適えなければ、神が力を下さらない事であり、私の不信神。それは、奇跡の類ではなく私の生活態度のことだ。今朝、テラスの上に、蜂の巣が落ちていた。ミツバチの古い巣だ。神様からのメッセ~ジはこうした優しい形。人を恐怖に落とすような、不思議なことは起こさない。鳥が運んできたのだろう。太陽を止めたり、なんの啓示もせずに人を瞬間移動させたり、不気味な形で現れたら、それは神ではなくサタンの仕業と考えたほうが良い。神は人を恐れさせる事を嫌う。先にキリストの聖霊に会っていなかったら、私には区別が付かなかったと思う。私が、それらの不思議を神の業と感じ間違えた方向に自分を進めなかったのは神の守りだ。サタンもまさか、私がキリストに擁護を求めるとは思って居なかったと思う。その間、いろんな人がコンタクトしてきた。知らない人から喫茶店で、不思議な銘柄のタバコと温シップを渡されたり。(外科に行っていたのが情報漏れてる。)土産を持たせて返した。キリスト教の隠れた働きの団体に取り組まれた人(断酒会)から私に救いを求められたり。丁重に相手をして全て、無視した。神さまと聖霊の付き合いでは、私自身に力が付くわけでない事は、知っていたので全て自分がした事では無い事を元より知っている。そこを、サタンは見抜けなかったと思う。聖霊に出会う事は、キリストの証人では有り得たけれど、神と生きるまでには至っていなかった。今少しずつ、神の事を考えるようになった。サタンと神なら私は神を選ぶ。神は自分の思い道理には成らない。そこが守られている所以だ。勝手な欲で、不思議を行ったら本当に責任は取れない。勝手な思いで、黄色い虹を出現させた事は神様宜しくフォロ~してくださいと祈るばかりだ。まあ、それすらも神が見守って許してなければ起きなかった事だとは思う。
2004年03月05日
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時に人は、思わぬ助けに合います。最近、振り返って、心に残る人も居ますが、状況を忘れている事も有ります。私の両親は、子供に期待するのを諦めてから、神とは何か?と言う、継母の、子供の時から疑問を訪ねる旅をしました。父と継母は18歳離れていて、若い時には遊ぶ暇は無く、いざ暇が出来たら、父が年老いていて、一緒に遊ぶのが難しいと言っていました。両親の旅の話は、最初の頃は、聞いたいましたが、一度旅立つと3週間は帰ってこない、旅で、父が亡くなるまでの10年間に66回国境を越えていました。シリア・ヨルダンにも行っていたようです。中近東はかなりお気に入りでした。余り話は聞いていませんでしたが、ツンドラ地帯で、気球が落ちて、遭難したそうです。その時、若い男の人が足の弱い父を担いで、森を抜け出したそうです。父は、背負われて方なのに、それを、背負った人よりも自慢して話していました。背負った方は大変な苦労だったと思います。「有難うデス。」この、究極な場面での助け合い。これは、結構日常でもあることではないかと思うのです。私は、若い頃、結構夫婦者に助けられました。私にとって、夫婦は安心な友達が多かったです。何をして貰ったのかも忘れました。が。精神的な支えと暖かい食事をふるまわれて気がします。未亡人も居ました。子供と同じように可愛がってくれました。そして、感謝した時に、言われて事が一様に・・・・。もし、本当に有りがたいと思う事が有るなら。『そうした人に出会ったら、同じ事をしてください。』若い時に孤独でいたら、そうした人と出合った人は多く居ると思います。その人達もまた、若い時に助けられて人達だそうです。父もまた、若い時に多くの人を助けたようです。助けられた時。父が助けられた事を殊更喜んでいたのは、その若者に感謝と共に若い時代が蘇っていたのだと思います。そして、行き摺りに助けられて人に、お返しをする機会は恵まれない物です。自分が立派な生き方をしているわけでは無いので、なかなか人の助けに成る事は有りませんが、自分の出来る事が有るなら、身近な人を助けたいと思います。皆過去に有り難い助けを受けて今有る人です。***********気をつけて欲しいのは、優しさの影に、貴方に代償を求める人です。その場合にも、「素直に有難う」と言って立ち去りましょう。例え恩知らずと罵られても、その先の不幸は得たものの代償より大きいからです。自分でもトンでもない事書いているとは思いますが、簡単に他人の家に入り込まないように。本当に自分が助けが必要な時、餌食になる出会いは余り有りません。それは、本人が自分の足で歩いている場合が多いから見分けがつくからです。余裕で興味本位で知らない人について行くと、大変なめに会いますよ。世の中、「目明き千人、盲千人。」左近の無防備な女の子の事件を見て、思う事は自分の身は自分で守る決意で街を歩け。と言うことです。子供を餌食にする大人も居る事。簡単に、援助交際なんて大人を見くびった事すると、安く自分を痛めることになります。一見高く見えるお金より、あなたの体は貴重なものと知ってください。*********時に寂しくて一人で居られない人が居ます。一人しか見た事有りませんが・・・・。家出して、半年間に120人と寝てしまったそうです。私も女でありながら、引きずられそうになりました。我に返ったのは、その子の耳に前の日の寝た人の毛がこびりついて居たからです。切っ掛けは、パチンコ屋さんで玉を貰って、悪いと思ったから・・・。とか食事一回を体で払っていました。その子には、私は、「そこまでするなら、お金を取りなさい。」と言って別れた事が有ります。いつの時でも、行き方の代償は自分で払う事になります。その子の人生がどんなものになったのか知る由も有りません。もう、15以上年前の事です。無事だといいのですが・・・。であった場所では、その後その子を見かける事は有りませんでした。
2004年03月04日
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以前は、虚無感を単に、疲れたとき落ち込む状態と捕らえていた。去年「聖霊について教えてください。」という本を手にした時に、人は生きて神を求めるために、虚無と言うものを、持って生まれてくる。と言う一文に出会った。小学校の高学年に「人は何のために生きるのか?」と言う疑問を持った時。直ぐに、母に聞いた。「今、生きていて、楽しみといえば明日プリン食べられるかもしれない、と言う事しかない。これから、生きているともっと、迷惑掛けるかもしれない。今なら、未だ死ねるよ。」と母に投げかけた。母は涙を流し。『生きていく事だけを考えなさい。』と言った。私は、再び木に登り。泣かした母に少し罪悪感を感じつつ。「この答えが見つかるまで、子供は産まない。」と決心した。母親が亡くなる前に、この事を謝る機会が有った。母もその事はかなり傷ついたらしく、覚えていた。あの時、欲しかった答えは、「居たほうが良い。」という単純な答えだった気がする事を話した。それと、親が頑張れば、頑張る程、生まれたことを申し訳なく感じたと話した。その件に関して、『有難う。と素直に感謝する事を覚えなさい。』と言われた。母は急死したけれど、亡くなる2週間前に、電話でお礼を言った。「ママが亡くなっても、してくれた事は忘れない。自分を決して粗末にしない。」と約束をした。『貴方は色々あるわね。』ママは『自分に素直に成りなさい。そうすれば、人生凸凹しなくなる。』これが、ママとの最後の会話に成った。私の中で、命題となったのは、「自分の心に素直に成る事。」「好意に対して悪いと思わず、有難うと思う事。」結構この2つの事は、誰にも共通する事だとおもう。「こうであるべき。」とか「して貰って悪いから。」この二つで、他人に体を開いてしまう。若い性も多いのではないか?子供が寂しさを抱えるのは仕方の無い事。その代償に、体を開いてしまう、若い性に哀れを感じる。そんな事しなくて良いのだ。大人の優しさには甘えてしまえ。「有難う。」で十分。体で払う必要は無いのだ。と「十代の女性には言いたい。」25歳位まで、自分の成長を安売りしないように。と忠告する。恐らく、悩みの多い女性の原因は、十代から、引きずった性の問題が有ると思う。25歳位から、自然とバランスが取れる。性産業で25歳から商品価値が低くなるのは、バランスの取れた状態。の為かも知れない。人生には性以外の楽しみも沢山ある。と私は思うが・・・・。「惚れた腫れた」は我を忘れる、一番簡単な方法でも有ります。それを無くして、通り過ぎるのは、かなり難しい事も事実。25歳過ぎても悩みの内に言う人は若い時の恋愛の傷を引きずっている状態が多く見られます。親が生きているなら一時子供に帰って、傷を癒す事お勧め。「心の傷も、体同様、癒されます。」意外にも、親を早く亡くした人は、この問題に嵌っていない人が多い。生きる事に甘えがないと、最初から、醒めた視点で見ている。寂しさを最初から自分で受け入れているから、寂しい大人に期待が無くて、巻き込まれずに居る。体験からでしか言えませんが、「虚無感を他人で埋めようとしても、埋められる事は有りません。」一時寂しさを紛らわす、手段でしか有りません。自分が寂しいと、寂しい人にしか、出会いません。自分の愛で埋めれば、「その人が立ち直る等と奢った考え」は身を滅ぼします。そして自分も満たされる計画は成されません。一人一人が精神的自立の上に愛が有ります。これは、おめでたい人が嵌る論理です。しかしながら、他人に求めず一人で、必死に生きる人に関して、無償の愛を注ぐなら、それは癒されます。無償の愛。これは、自分が他者で寂しさを生めることでは有りません。マザ~テレサを、自分のしたい事をした人と言った人が居ます。「それは、違うと思う」のは、したいことではなくて、「相手に必要な事をする。」これは、至難の業です。そして、手を貸す必要のある人は往々にして、返す能力が有りません。自己満足で相手を見ると、自分のして欲しい事相手にする場合があるけれど、同時に自分も満たされます。マリアテレサは、相手に必要な自分の出来る事を考えた人で、して欲しい事をした人ではないからです。自分を満たす事は考えの外に有った人です。そこが、凡人と違うところです。振り返って、自分の幸せの原点はどこにあるのか。「明日プリンを食べられる楽しみしかない。」これは、「他に悩む事の無い幸せな状態」に居たという事に他成りません。空想の世界から、プリンを食べたくて、帰ってきた。と言う書き込みを見た時。「あ~!この人も、プリンの幸せを知っている。」大人になって、何でも好きなものが食べられる自分に成っても、このプリンを食べる幸せ。(今、特にプリンが好きなわけではないが・・・象徴として。)幸せって、些細な事を喜べる、心の状態に有ると思います。虚無に襲われる事。それは、病気では有りません。それが有るから、人は何かを考え何かを求めます。一年中ハッピ~で居る事の方が可笑しな状態。「虚無」は自分で受け止める時、何か見える前段階に過ぎません。通り過ぎます。虚無を恐れる事無いように。人はそのように創られた者だからです。
2004年03月03日
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子供の頃から、読書は習慣付けられていました。『人の一生の経験は限りがある。読書で、沢山の人生を味わいなさい。』と言うのが親の持論。小学校の頃、学校では中国語教育。家では、受験勉強。それと、一週間一冊の本を3年から、与えられていました。小学校高学年の頃、受験勉強は朝までしていて、夜明けを迎える事が多くあって、ある時、夜明けの空を見て、「夜空が黒ではなく、深い群青。」だと気がつきました。「子供だと許される間に、読書は辞めて自分で何でも体験してみよう。」と決心をしてから、「何か悩みを作ろう」と木に登って考えました。そこで、最初に行き着いたのは、「人は何で生きるのか」と言う人類の悩みでした。小学校の高学年では、未だ死に実感は無く退屈な生が広がっていました。こんな悩みを抱え込んだら、はっきり言って、明るい人生は待っていませんでした。恐らく人が普通体験する、苦しみは殆ど体験したのではないかと思います。芥川賞受賞作家の「顔自体に抵抗を覚えました。」どこか、後ろ暗い影を帯びていたからです。でも、とりあえず抑えておく私としては、読まずに居れません。読後感想文。「ここまでは、荒めなかった。」歯を磨く事も、お風呂に入るのも苦痛な状態に身を置いた時でも、苦しみを好んだわけでは有りません。だから、そうして時に気がついたことが有りました。苦しみは自分で選んで苦しんでいる。「本当に嫌だったら、いつか自分で抜け出す。」そう思って、苦しむ自分を達観していました。実際に、月日と当時患っていた、内科的な病気は治り。その時の地獄に比べたら、その後の地獄は大したことは有りませんでした。そうして学んだことは、「事は通り過ぎていく。」今の苦しみは、明日も続くとは限らない。必ず、浮上する。明日を信じる事が出来るようになりました。蛇にピアスを読んで、マゾヒステックな性を受け入れるところや、体を自分の玩具としてしか、感じない受け止め方には、廃頽や荒廃しか見られません。それを読みながら、自分の舌に、金属が有るかのような疑似体験。マゾヒステックな性をイメ~ジで疑似体験して。私は、好まないと実感しました。しかし、首を絞められても、苦しい顔をしなくなったら、サドの相手が、興奮を示さなくなったあたりは、やけにリアリティが有りました。私は虐めの話を聞くと、「一言」言います。「笑え!」「微笑返しをしなさい。」と言います。相手の気を殺ぐにはそれしか有りません。虐めたく心理を判りたくは有りませんが、小さな虐めをした自分も知っています。相手が、「惨めな顔」をすると、もっと虐めたくなります。そんな自分を見逃す事は有りませんでした。だから、虐めはしません。これは、本能的に人が持つ1つの生理反応ではないかと思うのです。だからこそ、そういう性質を責めるのではなくて、自分の中にも見逃すことなく、コンとロ~ルするのが理性だと思うのです。気の向くままが本当に善であるなら、人は苦労はしないでしょう。愛と思う事が、悪で有ったり、罪である事が人生の難しいところです。子供のままの、無知で自分の律する事が出来ないのは、自分が生に対して、無責任で居ることだと思います。逆に、罪を犯す心理を理解出来ないのも、心の貧しさだと思います。(自分から目を逸らしている。)「自分の中の野生を自分が飼いならす時、人は人と為って行く」気がします。私も途上です。いつでも、冷静なわけではないし、必要以上に人に考えを押し付ける事も有ると思います。これが、正しいなんて生き方は無いのかも知れません。しかし、苦しみの中に居る時、どこかに一筋の光明が見出せればと失敗から知った経験を書いているに過ぎません。幸せにも、不幸にも、どちらの人生も本人にとっては意味の有る事。しかし、幸せにも、不幸にも、方向性が有って、無軌道では有りません。不幸だと思い、道を探しているなら、そこには別の方角に道も有りますと示したいだけです。しかし、幸せには幸せに苦労が有り、不幸には不幸な甘味が有るのも事実。不幸に浸るほうが容易いと思います。幸せは、結構孤独に耐え抜く自信が無いと手に入りづらい物です。不幸のほうが、仲間意識や肌の触れ合いは多く有ると思います。気持ちが楽な事と、体が楽な事はイコ~ルでは有りません。独立した精神の上の愛は、孤高な精神はつき物。孤高な精神は誰を頼るか・・・・。そこには、見えない神への信頼しかないでしょう。それは、決して、万人向けと言えません。かく言う私も、凡人。友人、知人、兄弟の情の愛に支えられている、普通の人間にしか過ぎません。何が正しいなんて、自分を振り返らば、言い切れません。「自分を棚に上げて」、体験から知りえた事の一部を伝えているに過ぎないのです。
2004年03月01日
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