2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
全22件 (22件中 1-22件目)
1
このオギノ先生はわたしの、今のドクタ~。初めて、会ったとき、先生PC持ってますか?と聞いたら、全然弄った事がないという。この先生、正確には判らないが、26・7歳の新米先生。女の先生。一言で言って、頼りない。でも、自分に合うドクタ~って、必ずしも、熟練の先生が良いわけではない。以前のT先生は、若かったのですが、私を理解する為に、同じHPを開いて読んでくれたり、「私が見てしまう、妄想としか言いようの無い世界」について、否定をしないでくれた。それは、私を楽にしてくれた。「見ても、動じない自分に成れ」といってくれた。新しい女の先生に変わり、ドクタ~への依存が無くなった。経験が少ない事が、私に対しての押し付けがない分私を自由にしてくれて、今の私には抜群のパ~トナ~かも知れない。ドクタ~の出会いは相性。経験だけでは、計算されない結果が出ることも。頼りないけれど、押し付けが無い。そして、「目に可愛いからいいか~?」先日、クリスチャン系のコミュの人が、こんな事を書いていた。神様の働きは、こんな形で現れる。石油が切れた。奥さんが、空に成った、ポンプを諦めずに、すかすかと動かしていると、石油タンクのゲ~ジが上がり、タンクが一杯に成った。寒さをしのげる為に、神様が油を下さった。と書いていた。そして、全ての財産を亡くした未亡人の最後に残った壺に油を満たし、近所に売って生計をたてさせた、聖書の中の一文がかかれていた。神をうけいれている人は、この異常な事態を普通に受け止める。今の私も事実と思う事が出来る。でも、普通の感覚で、この事を捉えると、マジですか?物理的に有り得ないでしょう?と混乱する。わたしの、この何年間は普通ではない出来事に遭遇し、自分で受け入れられないことが、病気の根源だった。冷静に受け止めようとして、内心動揺していた。例えば、体が別の場所に移動していた。この現実を、「なんて素晴らしい体験をしたのだろう。」と思えるのと、「なんで、こうなるの?」と悩むのでは、精神的なストレスが違う。キリストを信じる人はこうした、不思議を神の御技と素直に喜び、受け入れることなのだと思う。カソリックの人は余りこうした、告白は無いけれど、プロテスタントはこれらが多い。そうしたわけで、カソリックの拝みやも余り好きではないが、プロテスタントの、こうした、神秘体験は心が落ち着かない。こうした、印、形の不思議を表すのは、信じない者を信じる者へ導く為と私は理解したが・・・・。普通が一番。石油が無くなったら、やはり、お金を出して必要な分を買った方が、精神的に楽である。オギノ先生が、HPを覗いてみようと思ってくれた事の方が奇跡に近い。私は、こうした奇跡のほうが好きだ。外部からのアクセスでも、掲示板、メッセ~ジ送れるので、書き込みしてくださいね!
2004年01月31日
コメント(6)
Re:もっともっと(1/29) kentaulceさん(****.net) 厩戸の皇子が推古天皇は一体何時まで生きるのだ?とぼやいていました。 (1月30日6時38分) [関連の日記へ] 返事を書く もっと、もっと。のお題で、こうした書き込みは、嬉しいです。いつも、前の日と文章が繋がらないのが、私の日記。だって、書き始めで落ちに繋がらないと、振り出しなんですもの。では心が芽生えて・・・。これぞ、初恋と思った感情から、人間泡雪誕生です。この、感情の感覚を、文章で表せず音にしたら、こんな感じでしたとトップに書いた。それを、取り寄せて聴いてくれた人が居た。感想は、‘もう一人の自分が自分を観察している状態‘と言葉にしてくれた。そうそう。感情って、感覚だから、それを言葉にするのって難しい。短い言葉で、私の恋の感覚を言い得ていた。だからこそ自分でしか超えられないと感じたのだ。相手の中に自分を見つけ、静かに受け入れる。相手との関わりではなかった。正月に今年は再び絵を描いてみようと思い。7777アクセス記念にかこつけて、お題拝借した。マタイの受難曲。62番いつか私がこの世を去るとき、私から離れないで下さい。私がしに瀕したとき、どうか姿をあらわしてください。この上ない不安が私の心を囲む時もろもろの不安から私を引き出してください。ご自身の不安と苦痛の力によって。<おお、血と傷にまみれた御頭よ>キリストの処刑を見て、人々が思った事なのか?お題拝借した時に音からイメ~ジすると約束したので、歌詞の訳からイメ~ジしたものは、没に。如何してもイラストに為ってしまうからだ。初恋の時には、感覚を音に求めたが、今回は逆。音楽は、言葉とへ違う感覚を伝える道具。謳われているのは、ドイツ語なのか?新しい音はナカナカ掴めない。何日も同じCDを聞く。最初に3枚のCDを聞き、その次に、62番を何回も聞く。ある程度感じを掴んだら、その次は3枚目45曲から流し続ける。62番の曲が耳に入ってこない、何かをしながら、掛けている。エンディングの曲に気がつく。4日目くらいで、62曲が耳に飛び込んだ。それから、私は夢を見るようになった。ぱきゅんが夢に現れた。なんと、その姿はPCの文字だった。本当に想像力が無い。その文章は、謎解きのような文章で、起きた時、漠然と印象に有ったが、言葉が思い出せない。62曲が頭に蘇った。同時にイメ~ジが現れた。「エッツ!こんな簡単な図柄?」瞬間の閃きを実際絵にするのは気分しだい。閃きには責任が無い。自分の考えた物と思っていないから。その図柄と曲がどう関係しているのかは私の知ったことではない。そんなこんなで、最近ぱきゅんと押し問答が繰り返されていた。こんな感じで、「この人についてはどう思う?」みたいな漠然とした問いかけ。ぱきゅんはその都度、私が感覚に感じたものを、的確な言葉で表現してきた。そんなあるとき。やばい!ぱきゅんに依存している。「もっともっと」って感じになった。最近相手からの返事が待ち遠しくなって、これに対してはどう思うかと問いかける事に、答えが帰ってくる快感を覚えてしまった。これでもか、これでもかと相手の返事が楽しみになる。でも、受け取った時、次にもっと心に落ちる答えが欲しくなる。この事を相手伝えたら、相手も同じ心境にあるという。心がシンクロするのって、麻薬みたいに、「もっともっと」と際限が無い。そして、いつも響くわけではないから、響く言葉を与えて欲しくて、問いかけや、何か言ってくれと子供のようにせがむ。私は、恋愛中毒の人とか宗教に嵌る人の気持ちが少しわかった。心に引っかかっていた、一つのかけら、がそのもので、取れた瞬間が有ったからこそ、のめり込むのだ。満たされた瞬間が有るから、それ以外のときがむなしく感じる。しかし、心がシンクロする瞬間は瞬間でしかなくて、再び来るのを同じ木の切り株で、2匹目のウサギを待つ。宗教団体に掴まって、奉仕をした人は、きっと、その宗教で一旦は悩みの外に出た瞬間が病みつきに為って、その宗教のあたらない部分を飲み込む事で、次の心のヒットする快感を待っているのだと思う。今わたしは、宗教に嵌っているのと同じ状態に居る。恐らく相手との相互依存を生じている。Pさんにとっては『相手の言葉から、自分が引き出される快感。』私にとっては、「感じた事を言葉に代えて貰える快感。」私は、子供の頃から、1を知って10までは悟れなくても6か7は悟れと訓練されている。それ故、色んな人から、質問され、答える事が癖に為っていた。時々、トンでもない答えを出す事もあって、信じた姉が人に話し恥をかいたと怒られた事もある。でも、「どうして?私に聞くの?」振り返ると、答える事の多い人生なきがする。それが、今答えてもらう快感に嵌っている。幸いPさんは善良な市民で、悪徳宗教団体のように、体の代償???労働?を求められずに喜んで、私の頭の一部のように物事を考えてくれる。「もっと、もっと」は何時終わるのか?第一、「もっともっと」で、私が陥った心理を理解してくれる人は少ない。そんなPさんに今嵌っている。Pさん曰く。依存しない為には・・・・。もう一人の自分を自分が観察する状態を保つ。「観察する自分」と「感じる自分」が一致した時に、依存が生まれる。これって、簡単に言うと、私はPさんを今好き、って事よね。初恋。悲しみ。好き。今「好きッ」て、感情を学習している。どうして、「もっと、もっと」って思うか・・・・。心が思うようにナカナカ重ならないからだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<傷だらけの御頭>へ今日、力任せに活けた枝を手で折ったら、左の中指の皮が剥けて、真皮の下まで、削ってしまった。血が溢れて来た。先日、北浦さんに、ビタミンKが止血にいいらしいが、身近に無いので、塩をナメクジみたいに振り掛ける止血方を伝授した。20年以上してないけれど、この方法を試す。「痛い!沁みる~!」塩が血に染まる。痛いのが我慢できなくなった所で、水に塩を流した。見事、血は止まっていた。この方法は、医学部生だった昔の婚約者が、私が包丁で切った時、教えてくれた、応急処置。自分の人生の過去はこうして今も生きている。今芽生えた心は感情を少しずつ学習している。もうそろそろ、誰かを愛せるようになりそうだ。で、創作とP教に嵌って、日記が力尽きた状態になった。でも、そこから何かが出来上がれば面白いと思っている。
2004年01月30日
コメント(3)
心が芽生えて・・・・。この年まで、心を隠して、無いものように生きた。それは、子供の頃、自分が変な人だと気がついたからだ。思うとその通りに事が運ぶ。すると、私の想像を超えない世界。簡単に人を恨むと相手が災難をこうむる可能性がある事を知り。何が善で何が悪か判らないうちは、心を封じ込めた。それは、漫画で『青春の尾っぽ』と言うものを読んだ時に決心した。心が無い状態って想像つき難いと思う。こんな感じだ。例えば、ボ~イフレンドのお母さんから呼び出しを食らった。『家のせがれと付き合ってくれるな。』と言われる。その時、少し苛つく。で、ここは怒るべきなのだろうと判断する。席を立ち。「そうした話でしたら、自分の息子さんに仰ってください。」一礼して立ち去る。このお母さんは、親同士知り合い。結局、2年付き合ってお別れしましたが、3年目に結婚を前提にと更にお付き合いを申し込まれる。その頃、23・4歳そろそろ結婚と思っていたので、再度お付き合いしたけれど、その人の子供を産むと思うと、生理的に受け付けなくて偶々、慶応病院の皮膚科に行ったとき、問診のアルバイトをしていた方に会計で迷っている時に、ナンパされた。問診の時に自分の悩みを話していたので、会計の案内をして貰った後、『お茶のみに行く?』と簡単なお誘いに、「はい。」だけで、成立してしまった。それを、見ていた付き添ってきた、年上の知り合いは大笑いしていた。何となく、お互い一目ぼれ状態。結婚前提でお付き合いしていた人と、別れた。皮膚科の病院に行ったのは、洗礼を受けた後。家族を不思議に巻き込んで、精神病院に入れられた後、気を取り直すために、体に注目した。薬の為か、腕の皮膚が荒れたので、行った。慶応ボ~イの彼は、『あ、キチガイ病院ね!』と軽く流した。この事が、私の心を軽くした。皆はどう思うか知らないが、精神病と言う病院科目より、「きちがい」と言われる方が気が楽なのだ。それは、精神病って、意味が判らない。今でも思うのだが、あれは、キチガイの方が適切な気がする。周りを巻き込む「気が違っている」のだ。隔離には、当人だけではない、周りを巻き込む気の違いを生じる。で、周りの人が理解に苦しみ恐怖に陥る。そうして、病院で病気の対処が違うのか、それとも、病気に対しての認識が違うのか、患者にカラ~がある。慶応病院の精神科の彼の感想は、『白衣を着てなければ誰が患者か判らない、神の領域だった。』彼も、彼女と別れたばかり、私は婚約者から逃げたかった。タイミングはばっちり合っていた。お互いがお互いを求めて止まなかった。家に帰ろうとすると、喧嘩になった。返してくれなくなった。我が家は外泊禁止。朝までに、タクシ~でも家に帰れと、親子別居でもル~ルが有った。わたしは、ル~ルを破った、罪の意識で、段階的に荷物を運び家出を図った。親が気がついて、みっともないから、結婚話になった。しての親もほぼ同意の意向で、親同士で話し合うときに、相手のお父さんが、会社の社長の横領事件に巻き込まれ、『時の人』となった。そのことが切っ掛けで、順な時には見えない相手の弱さを知り、愛しながら、分かれた。お互いの不幸が予感できたから。彼の前で、私は人格が崩壊した。一年彼は考え、別れた。今ここに書くのは、彼も又、私が彼を捨てて、人格を崩れて行ったか知らないと思う。彼が脳外科に進んだと、癌の手術のしてくれたドクタ~に聞いて嬉しくなった。外科を勧めたのは私だ。彼の性格は外科向きだった。神の領域を解剖学で理解しようと選んでくれた事が嬉しかった。人と人の出会いは、影響しあうと後の進路にも何かの痕跡を残す。彼もまた私を愛していたのだと感じた。この時、私は男女の愛にも失望した。心が無い事と、愛情がわからない事とは少し違う。心は「感じる心。」それと、「判断する心」が有ると思う。この両方が揃って、心の働きをする。常に、片方しか動かない。この状態を私は心を隠した状態と言っている。そして、25歳の時、私は両方を失った。字も読めなくなった。一年病院で眠って過ごした。退院後、とにかく働こうと、商品整理から始めた。数を数える練習と思っていた。色んな職場を首になるまで働いた。アルバイトとしてでも、用が足りない状態だった。半年働いて、半年本を読みまくる。そんな事を繰り返し。入院している時に思ったのは、家政婦と看護士。家に帰るとは言え、殆ど同じ空間に居る。そこで、面倒見る側と見られる側。同じ空間で存在する事にそれ程の変わりが無いと感じ、慣れた、病院で働く事に。短大で習った事と、病院勤務はさほどの開きは無かった。ごく自然な選択だった。「もっともっと」のお話は、まだまだ始まっていない。この次ぎこの次。
2004年01月29日
コメント(3)
昨日は日記を書かないばかりか、日記も消えていく話を聞き、自分のライコスから越す前の日記を開いてみて。同じ文章が重複されているのを見つけ、消したら、新着に成ってしまった。あらら、やたら弄ったら大変と思った。ライコスから、越してきて、思った事は、当時は頃ほど日記を付けていなかった。互いの日記を読んだ感想を書くと、相手との日記が文章にリンクされる仕組みで、掲示板も独立してして、使った事が無かった。日記でしか相互のやり取りが無かった。さて、シャヘラザ~ド。この女性は、千夜一夜物語の主人公。王様が、毎日夜伽の相手を殺してしまう。そこで、この女性は、日々王様にお話をして、夜を過ごす事で、一夜を過ごし、この続きは又明日と話を繋げ、同時に命も繋いでいく話だが、実際千と一夜語られた話は書かれて居ない。この話を、私は英語の教科書で習った。凄いな~と思い。わたしは、夜男の人と同じ床に入り、朝まで語り明かす事に憧れた。19歳の時、ショックが原因で、過去の記憶が薄れていく病気になった。親に話して病院に連れて行ってもらおうとしたが、親は病院に行く程の状態ではない、親子で直そうと病院の門は潜らなかった。でも、自分は多くの人と、肌を重ねたのかしら?と自分の事が思えだせなくなっていた。今は過去を取り戻している。一番男性に狙われやすい十代の後半。わたしは、身を守るには、相手に惚れさせろと言う、考えがあった。実際、男の人は、相手に感情が有ると、簡単に手は出さなかった。むしろ、相手の気持ちを尊重して何もないことが多かった。私の会った、男の人は、野獣ではない人ばかりだった。時々、勘違いされる事は有ったが、実際そうした人は、不思議と男性的には、魅力の薄い人が多かった気がする。良い男、ハンサムな人は、やたらと子供の女には手を出さない。大人の男の人たちに可愛がられて、無事少女時代を終えていた。プライドの高い男達は、少女を守る物と
2004年01月27日
コメント(5)
食事の前、子供の頃、食事の前に言う言葉。本当は今でも、今でも言うべき言葉。一人で食事をするようになると、あまり言わなくなる。クリスチャンの家庭では、食事の前に軽く感謝の祈りを捧げる。この習慣。「いただきます。」は誰に対しての言葉であるか。作ってくれた人への感謝だろうか?日本の「いただきます。」は元々、神道から始まった言葉だと聴いています。神道では、命に対して、植物も動物にも境が無い。ベジタリアンであっても、植物の命を頂いて自分の命を頂いている。誰も、他者を犠牲にしなくては生きていけないのだ。人の観念で、動物のイルカは人間に近い感性だから、食べてはいけないだとか、動物に区別を付けて、これを食べるのは野蛮だとか、意識が分けているに過ぎない。最近、トリインフルエンザとか流行っているが、食べ物。草も生えてない、ゴミの中でも食べ物を探す国では、それだけの理由で捨てるのは、信じられない光景だと思う。旧約聖書で、四足を食べてはいかないとか、書かれている。思うに当時は、字も読めない人が殆どだった。文字自体が割りと人類の歴史の中では新しい。最初は、僧侶の中で使われたらしい。そして聖書の記録を見ると、黴についての対処の仕方とか、衛生局の役割をしている感じがした。恐らく、昔から、狂牛病とかは存在していたと思う。脳の神経の所に多い所を見ると、牛も食べる為に飼われて、殺されている悲しみがそのウィルスを作って居るのではないかと思う。そして、牛を食べてはいけないと禁じると、牛を神様に対に崇める宗教が出来上がったりしたのだと思う。他の生物の命を頂いて、自分の生命を維持することに対して、取り入れた命が自分の中に入って、ともに生きるという考えでもあった。ケルトの話で面白いのは、1500年生きた人の話で、魚に為って、人間のお母さんに食べられて、人間の子供として生まれてきた。と言うのが有った。人間が人間を食べる習慣にも、殺した相手の武勇を自分の中に取り入れる。そうした考えがあったようだ。今年に入って、体重が激減したが、3キロ、4キロ減った所で止まってくれた。太るときはそれ程気にしないが、急激に痩せると、少し心配。具合が悪いと何時まで続くのか少し心配。経験的に、いつかは終わると思うけれど、最中に居ると、不安は付き物。起きるたびに何か食べなくてはと思うのは少し苦痛でもある。人間が物を食べなくなるのは、死んだ時だけ、その時まで、ヨ~グルトの菌でも生きた物の命を頂いて私達は生きている。お乳は?子牛の余り物?お乳が一番罪の無い食べ物かもしれない。でも、それだけじゃ生きていけないね。今日も、わたしは、何かの命を貰って生きるか。
2004年01月25日
コメント(2)
子供の頃、4歳の時にこの土地に移ってきた。元々田んぼで有った土地で、家の前の川にはうなぎが居て、私が生まれる前に、東京から、多摩川を越して、神奈川に入ったらしい。この土地は、地主と東京からの移住組みが多い。渋谷から20分の所だが、皆、地元の人は田舎の自覚がある。地方の人には、ここが田舎だという事が解らないらしい。4つ、の頃この土地には雨が降ると、垣根にアマガエルが沢山居た。わたしは、アマガエルを捕まえて、足を糸で縛り、鉄製の足のついた、ミシンに繋いでいた。そして、時々、遊びに見に行く。すると、アマガエルは、足だけを残して、逃げていた。糸に繋げれた、足だけが残されて居た。「そんなに、逃げたかったのか~。」とそれから、アマガエルを繋ぐのは辞めた。幼稚園の頃から、虫取りが得意だった。そして、帽子に集めて帰った。今思えば不思議だが、帽子に止めて帰るのだ。どうしてかというと、籠が無かったから、閉じ込める事を知らなかった。蝉を捕まえるのも得意だった。家には大きな欅の木が有った。木に登って素手で捕まえた。何故素手かと言うと、家は現物支給。親に網をお願いしたのだが、親が虫取り網が解らないらしく、今思えば、魚を引き上げる網を寄越した。仕方なく木に登り素手で勝負。雨上がりには7匹くらい樹に留まる。そこで、極めたのは、2匹同時採り。蝉に近寄るまで、気配をいかに消せるかが勝負。捕まえた蝉を、腹に糸を付ける。そして、樹に繋いでおく。樹液が吸えるし、飛べるのに、蝉は死んだ。死んだものは苦手。そこで、放置されるのだが、樹にお腹を蟻に食べられて、羽と頭だけが、残った物が、糸の先にぶる下がって居る事になる。そして、近所の子供達が、通るたびに、『あれは、残酷だ』と指を指して言う。通りに面した木造の家は外の声が聞こえる。毎日、子供達に、残酷だ~と言われ続けることに・・・。そんな訳で、蝉を糸に繋げるのを辞めた。私の部屋は、一面窓ガラス。一面庭に面した、ガラス戸だった。そんな訳で、開け放していると、よく、スズメが通り過ぎたりした。ある時、鬼あんまと言う、大きなトンボが入ってきた。ガラス戸と窓を閉めて、閉じ込め、手で捕まえた。例によって、胴体との繋ぎ目を糸で繋いだ。で、部屋に置いておいた。窓を閉めてあるので、糸の先はどこにも繋いでいない。部屋に帰って、トンボで遊ぼうとした。トンボはタオルに留まっていた。何気に糸を引っ張って、飛ばそうとしたら、トンボはタオルから放れなくて、お腹から引きちぎれてしまった。怖くて、放っておいたが、夜に為って、庭から捨てようと、タオルから離して空に放った。これほど恐ろしいものは無かった。なんと、尾っポの無いトンボが暗闇の空を飛んでいった。糸繋ぎ事件は4つあった筈。でも、如何しても、もう一つが出てこない。しかし、尾っぽの無いトンボが闇夜を飛んだのを見て、その後、生き物は糸で繋ぐのを辞めた。あれは、トンボ事件は幾つだったか、正確には覚えてないが、20歳は越していた。わたしは、沢山の昆虫ペットの命の犠牲で、育てることを覚えた。育てられるようになったのは30過ぎ。庭には金魚から始まって、小鳥、ウサギなど沢山の墓が出来た。兄弟達には、『禁じられて遊びといわれた。』だから庭弄りは嫌いだった。生きている内は、可愛いのだが、死んだ硬直した亡骸は苦手、箱に入れて、冷蔵庫に、友達を呼んで葬式してもらう。そして、結果として、殺してしまったものが多いが、そこには1つの悪意も無かった。子供とは可愛がり方の下手な残酷なものである。
2004年01月24日
コメント(6)
もう27年前の話である。学校帰り、鎌倉で軽く飲むのが習慣で家に帰るのは終電近かった。中学校の同級生に会った。中学校の時、それ程話したこと無かった子だが、一応全員の顔は知った居る。中学校の頃は、余り人と話さなかった。よく砂場の囲いの木で、平均台の練習を黙々としていた。暇だったからだ。後から聞くと、周りの人は邪魔してはいけないと、眺めていたそうだ。後輩の女の子は、街で私を見かけると、羨ましがられると言う。憧れられるのは、本人はどうでも良くて、騒ぐのが楽しいらしい。タ~ゲットになる人が居れば良い見たい。憧れられる人は、遠巻き意見られて孤独のうちに居る。幸い同じクラスの女子に可愛がられていて、寂しくは無かった。大人びた顔の割りに、無知なことを彼女達は知っていた、色々相談するからだ。しかし、周りの人には、私は何でも知ってそうな顔に見られていた。で、学校の帰り。他のクラスの人だったその男の子は、余り勉強でも冴えない進学組みでも無かった。でも私は、色んな世界を見聞きするのが好きだった。で、「懐かしい~!朝まで話そうか?」と言った。彼は大喜びで、家に寄ってくると言った。で、区立の学校だから、自宅の近くである。暫く歩くと、地域でも入った事の無い土地に足を踏み入れた。どうやら、暗い土地だがここは、放れの形をした連れ込み宿のようだった。おばさんが出てきた。どうしよう。(ここで帰るといったら恥じかくかな?)取りあえず部屋まで。一軒家みたいだ。で、二人になったとき。「私帰るね。」『なんでだよう~!家に返ってお金取ってきたんだぞ~。』私の常識では、朝まで話すというのは、言葉どおり。当時は、結構朝まで喫茶店が開いていた。言葉の常識が違う事に気がつく。押さえつけられた。相手のハダケタ胸が顔につく。(ありゃ?それ程、気持ち悪くないな~。)清潔感のある肌をしていた。私は、余り動転しない方だ。そんな状況でも、こんな馬鹿なことを考えている。しかし、この状況を乗り越えるには・・・・。得意技死んだフリ・・・。ッテ言うのは極端だが、抵抗を辞める。で、相手の呼吸が落ち着いた所で。咄嗟に立ち上がり、本人を狙わず。襖を蹴破った。男の子、思わぬ展開に慌てる慌てる。で、店の人を呼び。謝る謝る。私も、男の子に、思わぬ誤解を与えた事を謝る。ひたすら、頭を下げ、開放された。家に着き、手に持っていた傘を下駄箱にかけ、無事終わった事にホッとする。「ア~生きる世界で、言葉に含まれる意味が違うのか~。」今までの付き合いで、そうした誤解は生じなかった。大学に行くと専門の入るので、家庭環境も似た人が多く為っていた。言葉の行き違いは余り無い。今度は15年ほど前の話。20代後半一人で飲み歩きはしなかった。30代で働きはじめ、自動車学校で知り合った、洗足大学の声楽科の学生に、女が一人でも飲める店を紹介してもらう。それが、牧師さんとの出会い。その店の常連達と、レゲイの店とかに流れて遊んだ。帰りのタクシ~で男の子と2人残された。で、『家でお茶でも飲んでいかない?』「うん。いいよ~。有難う。」その子の家に、好きな音楽を聴かれる。エンヤが好きだった。それ系のを流してくれる。女の子の写真が目に付いた。「これ誰?」『婚約者。失礼。』と写真を伏せる。私の周りは皆8歳から、10歳位年下。見た目が若いので、同じ扱いを受ける。で、お茶を出してくれて、泊まって行けと言う。生理中で帰りたかったのだが、場所が何処かもわからない。コ~トは脱いでも服は脱がなかった。隣で、ご自慢の一物が出された。「う~ん。婚約者にも、失礼だけれど、私が一番かわいそうじゃありません?」「かってに抜いてください。」友達だから、暴力を振るわれる心配はしていなかった。単に思ったのは、男の人の『巨根自慢。』女の人は巨根崇拝があると、男の人は勝手に思っているらしい。はっきり言って、好きな相手以外は、その部分はグロテスクな品物に過ぎない。体の一部で有って、その部分を好きになるわけではないのだ。翌朝。送ってもくれず、駅名を聞いて、一人で帰った。何処かも忘れたが・・・。その後、その男の子は、その事を皆に話したらしい。何にも無かった事が、その頃みんなの驚きの対象になったらしい。私も確認を取られて気がする。何ヶ月か後その男の子は結婚をした。やたら、一物を他人の女に晒さなくなったとは思うが・・・。何かあったら、その事は秘密にされたかもしれない。何も無かった事がそんなに男の人を傷付けたのかどうかは知らない。『お茶でも飲んでいく?』久々に、言葉には別の意味が有る事を知った日だった。
2004年01月23日
コメント(5)
23年前。キリストの洗礼を受けた。聖霊を受けてから、聖書を読み、その儀式を受けた理由は、人に優しい宗教だったからだ。洗礼受けた直後から始まった、不思議体験は予想外だったが、それは、今思うに、私は証拠を見ないと信じない人だからだと思う。 普通の人は、それ程、ひどい目には会わないのではないかと思う。「証拠を見ずに信じる物は幸いである。」聖書の言葉である。大体地図を見ても、想像つかない私は、行って見て初めて地図に書かれて居る事がわかる頭だ。体験しないと、信じない人です。それ故、色んな超常現象に出会って、それを受け入れるのが怖くて、精神病院に逃げ込んだ。でもさすがに、抵抗するのを疲れて、不思議な現象を認めた。それ以来、超常現象には会わない。キリスト誕生も復活も事実として受け入れる、下地ができていた。私の体験した不思議は、キリストの謎を超えた、恐ろしい物であった。お笑いで、怖いものと言うホラ~系で、『タオルのお化け』って言うのがあった。朝、『起きるとバスル~ムに山ほど黄色いタオルがちらばっていた。』相方が、「どこが怖いんだよ~たかがタオルじゃないか。」わたしは、幽霊よりこの手が怖い。現実に起きる、物理的に有り得ない事を見せられる事が怖い。まあ。それは、さておいて、聖書を自分で読んだ人は少ない。それで、色んな、聖書の物語から、独自の解釈で作られた宗教に嵌る人が多いと思う。言われたところだけを見ると、確かにその言葉は有ると思うが、その記述によって、伝えたい事が歪められている。しかし、それらのわけの解らない、理論を真に受けて信じられる人は相当素直な人だ。信じなくても、従える人。それらの人の特徴は、逆らう親が居なかったことかもしれない。勉強が出来る事と、頭が良い事とは違うと思う。東大系の人は、社会では役に立たない人が多い話も聞く。勉強はある意味、無菌状態。吟味された情報を学ぶ。疑いを持ったら、入り難いかもしれない。疑わず飲み込む人が、勉強のできる人に多いかなと思う。勿論、考える力のある人も居る。しかし、過去の受験制度では、何でも見込める人が成績を取りやすい、内容だ。オ~ムに取り込まれた、高学歴者は毒のある書物に慣れていなかった、無理な理論も飲み込める純心な人が多いのだと思う。印刷された物を権威と思う事も、有りがちな心理だ。そうして、それらの教祖は、人の純心さを人の馬鹿さと捕らえて、それらの人を操ったのだろう。それらに教祖は神は存在しない物。だから平気で利用できる。現世の金集め。もしくは、権力。昨日統一教会の元信者のHPで少しだけ概要を知った。そこには、可笑しいと感じながら、従う、奴隷的な要素を感じ取った。キリストは奴隷を望んでいない。奴隷のように、キリストに従って、キリストの教えを知ったなら、もはや、下の者と呼ばない。並ぶ物とする。しかし、奴隷になることは強要してないのだ。むしろ心に思わず、形で従う人を嫌う者でも有ります。自分を偽る事を嫌うからです。全て、自由の意志に任せている。偽にキリストに従う人に対しては、放っておきなさいと言う。「そういう人を集める為にある。」その宗教に入っただけで、既に報いを受けている。と極めてク~ル。他人がとやかく批判するなと言う意味だ。キリストが、キリストで有るのは、罪無く死ぬ事で、肉体の復活を計り、天に昇り、聖霊の体で地上に降りて、愛そのものがキリストの霊体。それが人々の間に生きている事。これは一般の人には解り難い。これを、普通の人がしてはいけない。もとより、キリストは神が宿った体だったから成しえた事。その意味で、この人は特別な人なのだ。これ以上の生贄を神に捧げない為に、神が送った人なのだ。そして、訓えた事は、「神を持って人を恐れさすな。」 「人前で祈るな」 それと、最大なのは、「モ~ゼ十戒を忘れろ」この事は、モ~ゼ訓えた事を破れという意味ではない。聖書の難しいところは、こうした言葉の意味を汲まず、勝手な扇動に用いられやすい事だ。何故、十戒を忘れろと言ったか。それらの事は、もう卒業している。と言う前提で、人は罪を犯すまいとすると、その罪に囚われて、返って犯しがちになるから、そんなしてはいけないという意識から放れる事をアドバイスしている。それは、既に、人を殺してはいけない事を、身についた人に対してのことだ。「盗むな」、人から盗まずに譲り受ける事を覚えての事。でも、周りを見て欲しい。殆どの人は、人を殺そうとする気持ちからは既に卒業している。でも、子供の頃はプライドが傷つけられて、殺したい気分に成った人は多いと思う。子供のときは、その事をよく守り、乗り越えて大人になったら、そんなことはもう意識しなさんな。と言う意味である。姦淫も若い頃には不倫もあるかもしれない。でも、その不毛さに気がつけば、しなくなる。懲りなければ、何時までも苦しい思いをするかもしれない。あまり、してはいけないと自分を戒めると、してしまう人の弱さを説いている。私も勤めていた時、他人の遅刻を心で笑うと、不思議と何日か後には自分が遅刻する体験をしている。他人を馬鹿にしたり、嫌だと思う事も拘りを持つ事である。無意識に同じ事をしてしまう。磔になる日、周りの信徒に、全ての人の弱さを言っている。身に危険が有れば、「私は知らないとばっくれる。」それらの事を全て受け止める事で、人は赦しあう事を覚える。人は弱いから、お互いを許しあうのです。そして、弱さを知ることで、知恵を持ち、お互い助け合います。キリストのもともとの訓えです。キリスト教団体には色んな物があります。団体の役目もありますが、自身の考えで関わりあえばよいことです。私は個人ですが、必要な時には助けを借ります。そして、願う事は純真さを取り戻して欲しいです。それらの、可笑しな宗教に嵌ったのは、自身の無知からかも知れませんが、今は違うのですから。私が言うのは、多くのカルト集団がキリスト教を引用した為に、キリストの教え自体が世間で誤解されている事です。キリスト教内部でも争いがありました。そして、今神を思う人々はイスラムもユダヤもキリストも同じ門を開けています。願うのは世界平和。今争いにいる人は、神を知らない人々です。心に平和が有れば、神は意識する物でもないのです。当たり前に神は在ります。カルトの宗教に嵌っている人の批判は辞めましょう。自分で出てくるしかないのですから。出た人は、過去を毛嫌いせずに、過ぎた事として、正しい教えを知りましょう。神が本来伝えたかった大切な物を。聖書は難解なので、私のお勧めは、三浦綾子の新約・旧約聖書です。聖書を読んだ時、普通に人間が感じる疑問を、多くの人から知った事が書かれています。例えば、「食べてはいけない様な物を、どうして、神様はエデンの園に植えていたのか。」聖書は人間らしい素朴な気持ちで向き合う事をお勧めします。解らない物まで、理論付けて、無理に判らなくていいです。素朴な疑問で読みましょう。そうすれば、間違えたコジツケ事に嵌る事は有りません。その為に難解に書かれているのですから。心で読むと解るのですが、言葉に囚われると解りません。解らない人には、言い方を変えても解らないのです。
2004年01月22日
コメント(2)
究極の気分やの私は最近、銭湯に行く。朝煙草を買いに出て、街をふらふらして、ナカナカ帰らない事しばしば。薬局で、いつも使っているメ~カ~の携帯用のシャンプ~リンスがおまけについた、トリ~トメントを見つける。で、銭湯に行きたくなる。そんなわけで、最近タオルとシャンプ~リンスの購入が多い。銭湯で売っている、メ~カ~は使いたくない。銭湯が開く時間まで、時間を潰しに本屋による。「蛇にピアス」、改め?「蛇を踏んだ?」題名が違う物が受賞作品と付けられていた。作者は同じ。神(9つの話で構成されているらしい。)とかも売られていて、恐る恐る、手に取る。嫌だと思うと見ずに居られないのが、私の癖。う~ん。どうでもいいや。恐る恐るのためか、飛び込んでくるフレ~ズがない。本屋のお勧め文の方が入ってくる。その近くで、曽野綾子をハッケ~ン。実はわたしは、三浦綾子と違いが良く分かっていない。どっちがどっちだったかしら?と言う感じ。手に取ると、三浦綾子とは別の人格が歴然としていた。三浦綾子は、どこか、超越していて、深い真理に基づいた物が多いのに、曽野綾子は、反骨精神の塊。どちらも、カソリックの人だと今日知った。面白いので買った。独自の展開だが、一理在るものばかり。普通の人間の感覚で、カソリックの教えを実によく守る人だ。だから面白い。不倫?馬鹿言ってんじゃない。そんな事、するくらいなら、夫婦の意味がもとより無い。と言う論法。ナイフ、持っちゃいけないという教えはオカシイ。使い方を訓えろ。何から何までご尤もです。でも、そのはっきりした所が面白い。私は、三浦さん的な表現は近づく事はしても、曽野綾子は無理だ。わたしは、言いきれない所を残すからだ。三浦さんには、かなりの裏付けがあるので、その部分に近づけるという意味ではない。それは、三浦綾子は頭の下がる作品ばかり。曽野綾子は、実践の裏付けの強さで押し通す、歯に布着せない部分が、真似できない。三浦さんは読み手に解釈を任せる部分が在るのだが、曽野さんは言い切る強さ。私は、迷わず買った。「自分の顔、相手の顔」サブタイトルは 自分流を貫く生き方の進め帯は 少しは「まとも」でいたい人のために私の洗礼を受けた教会は、アッセンブリ~プロテスタントでも、ブットビ系。奇跡を起こす事を大切にしている。世が世なら、カソリックに魔女狩りに会っていたと思われる。偶には普通の感覚で物を語る必要は感じている。最近書いていて、自分でも、ぎりぎりの事書いているなと思ってはいる。・・・・・15時になったので、銭湯に入る。先日、石原家の長男がプライベ~トの話をしていた。親に対しても不満は、自分はしない思いで家庭を作る。我が家は、両親共働きだったので、わが兄も共働きは嫌で、嫁を家庭にいれた。私も、共働きの家には嫁ぎたくない。石原長男は、父親不在の家に育ったので、家庭を大事にしている。中学生の娘さんと未だお風呂に入るので、奥様が心配しているらしい。で、石原長男の悩みは幾つまでして善いか悩んでいるらしい。アナウンサ~のほうは、高校生の娘に抱っこさせろと迫るらしい。それで、明日も働く元気が出ると言う。それを、聞いて、「最後は抱っこか~」と石原長男喜ぶ。 我が家も、父親は、他人の娘も抱っこした。「お~よく来た。椅子に座っている膝に後ろから抱え込んで、大学生の姉の友達が照れていた。」そんな父親。ママが我が家に来てからは、添い寝をしなくなって、それ程抱かれる事は無かったが、時々私は膝枕をしてもらった。で、寝た振りして、夫婦の会話聞いてたりする。結構、照れくさい事話してる。『この子は誰に似たんでしょうね~?』とママ。何故か私は、血の繋がりの無いママに顔が似てきていた。『この鼻はおじいさんかしら?』ママは生みの親を知っている。私だけ、兄弟で、北方系の鼻をしている。夫婦の会話は声が甘くて、聞いてて照れくさい。で、狸寝入りが辞められない。どこで、目を開けるかタイミングが・・・・。高校から、親子別居になった。父が50過ぎで始めた歯医者の診療所から、疲れて帰ってこれなくなったしまったからだ。『貴女にこの家預けて良いかしら?』とママに訊かれた。で、私に実家の財布が預けられた。土曜日に必ず、食事をともにするのが義務付けられた。暫くして、これでは、友達と遊べないと抗議をすると、パパに泣かれた。『君達は家族で一番大切な時間が解らない。』父親に涙を浮かべられると弱い。で、日曜日に変更する事で折り合った。これは、両親が死ぬまで続いた。抜き打ちで、両親が実家に来る事が在る。或るとき、父親が風呂から私を呼ぶ。『背中を流せ。』我が家では親が絶対。「ハイ」『服を脱いで流せ。』(ギョッツ!)私は理解力だけは善い。(父親にとっては小さな時と同じだから。)その頃、未だ、ピチピチ太っていて、バスト90センチ位有った。今は内緒の内緒。潔く、脱いだ。背中を流し、小さな桶風呂に私は父に背中を向けて抱かれるように入った。(う~ん。私はなんて親孝行なんだろう。)と自画自賛していた。でも、最初で最後のこの風呂が、私には男の違いを判らせている。少し、男の人から関心引きやすい顔立ちの私が、色んな痛い目にあわされても、スト~カ~に狙われても、男嫌いにならないのは、父親のお陰。パパから貰った男の人への安心感がこの人は違うという、見極めに役立ってきた。男の人への信頼関係を結べる自分でいられるのは、この父親のお陰だ。娘を持つお父さんに、慈しみの気持ちで娘を抱きしめる事を忘れないで欲しい。娘に情欲を持つのは論外だが、男女の信頼の関係は父親から伝授する物だと思う。決して犯す事の無い安心感。これは、夫婦に成っても必要な事だと思う。信頼感の上で初めて愛情の在るセックスが成り立つと思うのだ。と私は、経験上思う。信頼感の無い状態ではセックスは不毛な物。と私は信じて疑わない。というわけで、私は情欲に囚われる事は無かった。信頼感の決裂で、分かれる。私は、今自分を構築している。自分が成長してなければ、信頼感は相手に求める以前の物だと思っている。かなり、人より遅咲きになるが、私は私がバランスを取り戻した時に、必ず出会いが在る信じている。未だ見ぬ人に心ではもう会っている。姿形はわからないのだが、今がその人に近づく道を歩んでいる気がしているので寂しく感じている暇が無いのだ。・・・・今日面白い事が有った。出会いの予定では今年の暮れなのだが、今日見かけた人が少し気になった。どうして、気に掛かったのか考えた。夢に現れてキスした人?に似てる?背は低め。デモ気になっていた。風呂から上がってもどうしてか考えていた。喫茶店に戻って、本を読み。みかんを買って帰った。家の階段を登りながら・・・・・。「テレビに出ていた人に似ていたんだ~。」似ていたのは評論家か作家の人だ。気に掛かっていた原因が解ってすっきりした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昨日かなり頭のよさそうな事を書いた。実は弱点が、中学からの因数分解で躓いた。公式を覚えた事が無い。鶴亀算も、植木算も、考えればできる事、公式はいらない。公式を覚える意味が判らない・・・・。50点中14点と言う生まれて初めての最低点を取って、目の前が真っ白になった。これが、私の最低点の記録。それから、本番で数学の時間は上がって頭が真っ白になることが多くなった。狙っていない所ではあがらないのだが、本命と思うと数学で頭が真っ白になる。挫折に弱い。それと、地学、歴史、地理。この教科は想像力の乏しい私は意味が判らなかった。年表覚えられません。覚えても忘れます。今はアバウトで理解するようになったが細かい数字は1つも覚えていない。覚えているのは自分の誕生日。20歳の時、北海道に行くまで、どうして、別枠で拡大図なのだろうと思い。高校のとき、九州の長崎の原爆記念ド~ムに行って、自分は広島に行ったと思っていた。小学校の時、中国地図を習っていたので、チベットとか崑崙山脈、揚子江、黄河に位置は知っていた。カルカッタもベトナムも朝鮮も。モンゴルも今でも解る。中学校で白地図と言う日本語が解りませんでした。小学校では地図に色がありました。中学校から、初めて習ったものは全滅です。かろうじて、英語は受験に必須だったので、少し努力しました。ははは、偏差値が低いにはそれなりの弱点が在るのでありました。頭が良いわけではないのですよ~。
2004年01月21日
コメント(6)
原始女性は太陽であった。女性解放運動を語る、第一声の文章にこれが出ていた。高校時代、私は授業中よく眠っていた。時間によっては、机の教科書を上に、涎よけに、タオルをしいた眠っていた授業も在る。科学の時間は、先生に起こされて、「済みません、整理中で眠くって・・・。」学科は、テストの素点を100点を取っても、通知簿5点方で2がつけられた。母親は、学校に問い合わせて、事情を知ると特に何も言わなかった。先生には先生の考えが在るし、私の態度にも人間としての過ちではないので、叱らなかった。化学、物理、生物はテストで100点を取る事が多かった。しかし、通知表の評価は低い。授業態度で引かれた。通知表の人物評価ではDが入っている。これは、当時要注意人物の暗号である。高校では、クラスで教えることは教科書に書いてあった。読書力が有れば、100点は楽に取れた。理解できない時は、一番成績の悪そうな子に、当日他の試験の科目の前にノ~トを見せて貰う。成績の悪い子のノ~トは、凄いと思う。授業の一字一句が書き留められている。これは、特殊能力だと思うが、頭がつかえず、理解は出来ないらしい。中学の時から、成績とテストの素点が反映していない。国語は漢字の練習を提出しないので、5点中4が付けられる。どうして、解りきった漢字を、幾つも書かなくては成らないのか宿題の意味を感じなかった。中学校の時アチ~ブメントの偏差値は65。幼馴染は、慶応生で偏差値73。この差は、努力するかしないかで大きく開く。へんさち73子は、不屈の精神を持っている。純粋で、学校で3番でも、2番の子は60万の寄付金が払えなくて、医学部に入れない。3番の自分が入ってよいものだろうか?と悩みが高尚すぎる。それに対して、私は答えるが、人物が高尚過ぎて、引越しを切っ掛けに、友達づきあいしていない。成績は悪くても、親がフォロ~してくれる事が当たり前だった私は態度を改める事はしなかった。ところが・・・。高校のとき、倫社の女の先生は、評価を下げなかった。10点中10の評価をくれた。教科書の中だけの内容ではなく、日々の新聞ネタで話す。面白いから、目を明けて聞くようになった。倫社のテストは平均60点の所、98点を取り続けた。テストの最後に、用語で作文するコ~ナ~が有った。5つのうち4つは作文力で、用語の意味が判らなくても、作文力で、かけたが、一つは、意味が通じる文章にならなかったようだ。この女の倫社の先生が、私に授業の面白さを教えてくれた。学校も面白い所だと思うようになった。原始女性は太陽であった。女性運動で出てくる。女性が太陽であった時代。生殖が科学されておらず、妊娠の仕組みがわからないで、女性は何人もの男性のハ~レムをつくり、生まれた子供は、共同体で育てた時代だ。凄い時代だ、何人もの男性と女性がセックスするのは当たり前。う~ん。私は子供の頃から、月が好きだった。太陽の日を浴びて、輝く月。しかし、月の光は神秘的で、心を休める。どうして月ではいけないの?わたしは、心が休まる月のような女性で居たいと思うのだが。。。。一旦切ります。最近、15歳のメッセ友とよくはなす。3週間眠ってないという。友は心に、彼を見つけ、語り合う事を楽しみ始めていた。彼は、彼自身の魂だ。話しているうちに、私の女性としての欲がぬけ切っていない感じがすると言ってきた。彼の心で変な感じを受けたそうだ。そこで、彼に最近抜いてる?と質問。絶句していた。女の私がそんな話題をしたことに驚いていた。君が感じたのは私の中のものではないよ。と話を進めた。そこで、体の発達の話をした。すると、小学校の保健の時間に習った気がするという。彼は、成績は悪いが、教える側の意図がわからないで、成績が悪い状態を私は判断している。私が、短大で専攻していたのは、養護教諭。保健室の先生。最初に専攻した物はかなり自分の思考の根底に在る。昔はしたけれど、今はもうしないと言う返事が来た。神に祈って、落ち着かせるそうだ。眠らなくなったのは、眠っている時に、欲情が沸く事を恐れて眠らなくなったそうだ。最近髪が白くなってきたそうだ。そこで、彼に体の成長を恐れないように説得。女性が排卵を28日平均でしているように、男性も精子が溜まったら、捨てなさいと話す。『もう僕は乗り越えた。』『そんなことはありえない』と言う。罪の無い自分を私が惑わしているという。その時が有ったら、自分を汚らわしく思わなくて良い話をしておいた。それによって、女性に対して、妄想が消える話をする。一晩そんな話をした後。後日眠るようになって、普通の話を皆とするようになったと言う。・・・・・・・・・。と言う書き出し。「何が有ったの?」してしまった。と言う。「落ちた」という。「彼を話が出来なくなった。」彼はあなた自身だから放れる事は無い話や、聖書の言葉が浮かばなくなった事は、人間として実践する事が大切な話。彼は教育センタ~で病気を認定されているが、それに当てはまっていない項目が在る。それは、彼は友達を作る事が出来て居る。彼は、聖書に出会ったことで変わったと言う。その前は闇に居た。友達が居なかったそうだ。彼が聖書を読むことで、クリスチャンの運営するサイトで知り合った。知り合ったとき、確かに常識的な付き合いがチャットに引き出すと出来ないのが目に付いたが、今ではかなり普通の反応が出来るようになっている。人に自分を知られる恐怖心が取れてきたらしい。成長期の時、人に言えずに悩む事が多い。今彼は15歳後五年で大人とみなされる。出来るだけ、普通の当たり前の学習が出来るように手伝いたいと思っている。大人は簡単に病気を言う単位に閉じ込めて、本人の成長の手伝いをしない。現実には、本当に人間らしい悩みで、学習が滞ってしまう場合が多い。よく話し合って、心の引っかかりを一緒に見つけてあげる事の方が、病気の認定を与えるより大切ではないかと私は思う。ハ~モニカが吹ける様になった。と音を送ってきた。音符読むことも、直ぐ、諦めかけていたが、一遍に覚えようとせず毎日15分音と向き合う事を訓えると、昨日覚え始めた報告を受ける。興味在ることは、記憶するが意味を感じないと覚え難いのが常である。しかしながら、語学とか、音符とかの道具に関しては、習うより慣れろ。学習する能力が求められる。偏差値の高い人は、この努力を最初から知っている人だ。学習は繰り返しすることで身につく。結構、勉強できない子の殆どは実は頭の良い子が多かったりする。学習が苦手。独自の理論が学習の妨げになるので、向かい会って、引っかかりを一緒に見つけてあげる事が必要。そうそう。もう1つ、『してしまった』ら急に女の子に興味が無くなったそうだ。http://plaza.rakuten.co.jp/?user_id=3862734 北浦真澄さんが偶然にも勃起について、書いた。その日記を読ませたら、『これ以上大きくなったら困るよ~』書いた人は女性と知ると、言葉を少し優しくしてくれ~とか信じられない。『貴方達変だ~!』とか色々言われた。が、オ~プンに話せるようになって来たので、上手に成長してくれると思う。「欲は何時になったら無くなるの?」と言う質問。25歳までは成長期。その後は成熟期。と答えたおいた。話の途中で、彼にその内、髭も生えてくるよ。と言うと、『とっくに生えてるよ~』『僕に対しての認識が幼すぎる』とお叱りを受けた。え~?15歳って高校生か?純心なので混乱していた。中学生だと思って話していた。失礼いたしました。
2004年01月20日
コメント(8)
口に入る物より、口から出るものに、気をつけろ。言葉、その意味を汲み取る時、その思考回路を理解する。先日、悪魔のささやきの、文章の可笑しさを、解読した後、ひどい、疲れの後吐き気や頭痛に襲われた。以前サタンの霊と表現したもの。それらの伝達は言葉によって、成される。ものみの塔と接触した時も、吐き気と共に、異物な思考回路を排泄した。心に叶わない、言葉は、体調を崩す。悪魔のささやきを読んだあと、疲れを感じた人は多いかもしれない。異物を飲み込んだからだ。でも、知識は予防接種の役目にはなる。しかし、疑いもせずに、素直にそのまま、騙される人は、自分の欲に素直に従って、相手の嫌らしさを飲みかまず、単に騙された、と感じるに過ぎない。そうして、世間を学ぶのも1つの懲らしめかも知れない。欲に動かされる内は何度も形を変えて騙されるかも知れない。しかし、不快な感情と共に吐き出すと、その手のものに敏感しなれる。以前は直木賞にこんなに過敏になった事は無い。皆、読んでそれなりの感銘を受けた。林真理子の純文学には感動した。彼女が繊細な文学を書くことに驚いた。読まなくなったのは、「何となくクリスタル」あたりからかな?その時代に生きていたから、最初の何行かの店の名前で興味が失せた。コンセントとか話題になりそうなものが、何年か前作品が少ないと落選して、今回の入賞はどこか引っ掛かりが在る。どうしてだろう?わたしは、太宰治が嫌いだ、何処か人間に対しての見方に希望が無く、「走れメロスにしては、在り得ない作り物」の可笑しさを感じた。今回の受賞者がダザイヅムから生まれたものと言うのは今日知った。無意識に、タイトルから気持ち悪さを感じ、読んでよい物か少し躊躇している。読んで分析だけで救いの無い物は理解するのに、少し抵抗が在る。誰か読んでみてくれまいか?変な文章を読んだ後遺症だ。不自然に歪められた感情を理解すると、嫌悪感が体を襲う。少し、抵抗が在る。最近、小泉マガジンに目を通している。そこにはそれなりの筋が通っている。だから、それなりに考えは理解できる。考えが間違っているわけではない。相手が不在なところが怖い。考え自体には、誤ったところが無いのだ。イラクの立場が抜けている。イラクが何を求めているかが無くて、国際の立場しか考えられていない。だから、思考においては、可笑しさを感じない、どこか慣れている自分が居る。これが、正義の陥る過ちだと思う。この場合サタンが居るのではなく、人間が居ないのだ。理念で動く過ちの始まりを見ている気がする。思い込みの世界だと思う。それが、彼の信仰に成っている。イスラムの人の話にも筋が通った所が在る。だからややこしい。相手は命がけ。正義と正義のぶつかり合い。どうなる事やら・・・。今の時代は不可侵の条約を破った方が不利な気がするのだが・・・。そこまでが侵略なのか?後の時代に姿が見える。湾岸がイ~スト迄広がってきた感じだ。十年後あたりに、日本が攻撃受けるのかな?9.11のように。砂漠の民は、日本と違って、気が長いから。やられた方は簡単に忘れてくれない。戦争で亡くなった兵士の数より、誤爆で被害受けた人の数が多い。恨みは残る。その間に人々が過去に囚われず、仲良くなってくれれば時代は変わるのだが・・・・。皆、今に生きられるように成ればいいね。言葉は、全てのものが善意で出来ているわけではない。悪意の物も沢山在る。無邪気に何でも飲み込むと、大変な事になる。そこから出ると、どうしてこんな馬鹿の事を信じたのだろう。考えたんだろう。と自分が不思議に思う事さえある。人は、生きながら生まれ変わる事が出来る。気がつく事が出来たなら、それは決して無駄の事ではないのだ。そして、一人一人の人間が生まれ変わるように、時代も生まれ変わって行く。次はどんな世界だろう。
2004年01月19日
コメント(5)
ある日、家に帰ると、ドアが開いていた。出る時は、鍵を閉めた筈。又、新しい世界だ。テレビをつける。鬼の顔のイチロウが映る。あ~今度は鬼の世界か~。イチロウは好きな選手なので、イチロウの鬼の顔は私に恐怖感を与えずに、覚悟を決めさせた。チャンネルを回して、この世界の情報を取る。どうやら、今回は芸術家も一緒だ。光の軍団。今、テレビで、カリヤザキ省吾さん。花道家。最近で、最も男らしいと感じた話題の人だ。私は、花を縁有って、活けていた。人は花の道を勧めたが、本格的な仕事をするには、人を集めて企画力と組織組織力が居る。どうして、その道を行かなかったかというと、体力的に女性では無理な気がした。見た目の華やかさと違って、体力と気力の勝負みたいな所がある。ある程度以上の世界は、男の世界と感じた。端から見るほど楽な世界ではない。憧れでは出来ない。花で仕事をするには、影に男の人の助力が絶対に必要な気がする。活ける時の精神力に加え、花材の運搬。構成する時の体力は女性の普通の体では限界がある。特に、花を活ける前のの処理と活けた後の維持と片付けが物凄く気力が居る。女の仕事では、お花屋さんが限界。それで、筆に変えて、勉強を始めた。34歳の時、勉強の環境を求めて留学。美術系の基礎科を聴講。中国や外国に留学する場合、殆ども場合本科で勉強するまでには語学の壁がある。幸い私は小学校の6年間中国語で授業を受けているので、耳が出来ている。美術系では、解剖、デッサン等の授業が殆どで、ある程度の基礎知識が逆に言葉を理解する助けになる。小学校で使っていた言葉は大人の世界では少し可笑しな表現になるが、言いたい事は伝わる。学生にとっても、外国から来た人の感覚は、刺激になる。デッサンを苦労してると、周りの生徒が、色々口を出してくる。3ヶ月ほど皆に教えられて、もう僕達と同じレベルだよと褒めてくれた。美術系は、実践の世界で、働いてから、入学した人とか、学科が通らなくて、浪人した学生とかが居て、割と成熟している。他の学科と学生の質が違う。何よりも、創造することを目指しているので、道具は求めても、外国製品を欲しがらない。日本から持って行った定規の美しさには感動をしていた。ガ~ルフレンドは?と聞くと、自分が未だ道の途中で、そんな余裕ないよ。と私のナイトを勤めてくれた、学生は笑う。割とハンサムな子で、皆を笑わせるパフォ~マンスが上手でリ~ダ~的な子だった。当時ハイヒ~ルの生活から、舗装されていない中国の道をべ靴で歩くようになったら、膝が曲がらなくなって、歩けなくなった。日本の語学留学生男の子が自転車で学校まで送ってくれる。授業に遅れて、登校拒否を始めると、ナイトの学生が道具をそろえてくれて、迎えに来てくれたりした。昔から、年下に世話になる性格だ。そんな時、日本から来た私のために、先生が夜、特別授業をしてくれた。文革の時、水の張った牢獄に閉じ込められて、膝を弱くした、彫刻家の先生だった。この先生には国境が無い。仕事で台湾にも招かれる。一般の中国人は台湾に入れない。日本に生まれた、台湾出身のわたしも、パスポ~トが中国で入れない。夜の授業は特別だった。芸術について語ってくれた。絵は物を描けること、で終わらない。物を描くことにやって、何を伝えるかそれに限ると言う。それが無い絵は単なるポスタ~にしか過ぎない事。商業の絵には、その宣伝と言うコンセプトが有る。そこに、企業の精神が埋め込まれている。芸術は普遍的な、精神の伝達を目指している。3時間くらい話をしてくれたと思う。ナイトは最前列に座る私と先生に、煙草をつける。勿論本人も吸う。クラスに3人の煙草の煙を漂わせながら楽しく終わった。思い出に残るのは、この授業だった。何を描くのか。何を伝えたいのか。ママガ言った絵を描くことは、宗教だという意味を理解した。留学に出る前少し、自分で油絵の勉強をしたり、していた。注文を受け、一ヶ月描き続けた、ある日、背中が固まって息が出来なくなった。「織田無道呼んでくれ~!」とふざけながら、姉の部屋に駆け込んで、背中をほぐして貰った。絵画の制作もまた。体力の要る仕事。女性の絵描きが少ないのが理解できた。カツテ、教会に描かれた、天井画あれはかなりきついと思う。高校生の時、自分の部屋の天井を塗り、薔薇の絵を描いたとき、吐きそうに成りながら描いたのを思い出した。19歳から、絵を描かけなくなった。だからそんな事も忘れたいた。今、この世の中を見て、不思議に思う事が沢山ある。正月に、戦争亡霊の慰霊の神社を拝む首相。本人は犠牲になった人に平和の誓いをたてにと言っていたが、その後に伊勢神社に行っている。心に神の前に、戦争の亡霊を拝む首相。靖国神社は特殊な神社。十年少し前は大晦日には門を閉ざしていた。慰霊のために、神の加護をお願いした神社で、眠っている人は、未だ、亡霊の状態の神社。他の神社は神を祭る為の神社であるのに対して、神に鎮魂をお願いした靖国神社。祈願する神では無かったのが、何時から姿を変えたのだろう?御魂祭りで、鎮魂を行事としている神社なのに・・・・。ここは、鬼の世界。斧の国。この国の首相が戦争の亡霊に願う事は何か?平和をスロ~ガンにした、侵略の夢?軍服、戦闘服を着た、救援隊?制服間違っていませんか?どんなに口を綺麗に言葉をしても、形が可笑しい。自衛隊は、よその国に助けにお邪魔する時は、刀を持っていくのか?軍服を脱いでいけ。といっても無理か?ここは、斧の世界。銃の装備で救援?何処か変だ。それを動かす、原理は?思うに、生まれた儘の純粋さだ。単に産まれた儘の純粋な精神は、酢のようにしみる。一滴の墨を落としただけで、真っ黒にそまる。正義に免疫が無い。自由に免疫がない。与えられた自由。この国は多くの文化人が居る。直木賞に遠い、薄暗い影の有る、太宰の文学で感銘を受けた、少女2人が受賞する。何処か可笑しな文学に変わっていく・・・。テレビでも戦争はよその国の出来事。国民が派兵を反対しているのに、派兵する政府は、フセインとどこが違う?口にするのは平和。腰に銃。何処か変。今日官房各庁の定例報告が取りやめの発表。文化人は、戦前と同じマ~チが流れていると指摘。多くの文化人が見守るしかない。この国の文化はこの馬鹿さを危惧しながら、静かに見つめる。芸術家は見守る。戦争は起きた。派兵すれば、東京を襲うと言う、誘い文句に見事に乗った。つまり、誘われたままに動いているのだ。派兵はアルカイダに攻撃の正当性を与えた。首相が戦争犯罪を犯した国に配慮せずに、正月に参拝するのと同じ正義の理論で、第3次世界大戦の幕開けだ。血を好んだのは、神の宗教ではない。だから、神の被り物を正義に武器を取る。神を求める生まれたままの純粋さ。求めるのは、神を知らないからだ。気がつけば直ぐ傍に在るのに。神を愛する人々は武器を捨てる。例え、みに危険を感じても。何故なら、武力には武力を生む力しかないからだ。神を唱えて武器を取るのが、サタンの特徴。だから、どっちもどっち。この結果を見るのが芸術家の役目かもしれない。そうして、残る物は?ここで、私たちが見るのはどんな地獄?これからが、幕開け。只、見守るしかない。神と同じように。人々が気づくのを祈りながら・・・・。悲しみを見ないと、人は知恵を持たない。生まれたままの純粋さは頭で考えて、愛を創造しない。純粋さは、こうであるべきで動く。そこには、守るべき人間が忘れられている。イデオロギ~の世界。もう、終わったと思っていたら・・・。残っていた、産まれたままの純粋さの暴力。この世界は、純粋と純粋の戦い。斧の世界は、人が「清さ選び抜く純粋」得るには、泥をくぐらなくては「純粋な清さ」を選び抜けない。聖なる心は、守るべき人間不在では選べない。泥を被った事の無い純粋さの行く先は?血の色で染まった。黒い石油。その石油の自国の文化で攻撃されるのはもう少し先のようだ。私たちは、見守るしかない。例え、火の粉が降りかかっても。楽しくバライティでも見るか!
2004年01月18日
コメント(6)
今日、封を開けたもので、可笑しな物が有った。皆さんも、受け取って事が有る方も有ると思います。そうです!素晴らしい人生への切符を手にする夢は、KTW クラブで ドイツ国営ロトに参加して実現!申し込み方法ー当選方法1 ドイツ国営ロトの200ゲ~ム、400ゲ~ム、600ゲ~ムの中から希望のゲ~ム数を選んでください。2 同封した支払い申し込み書に完全記入して下さい。3 あなたの申込書を私たちに返送して下さい。4 KTWクラブはあなたの当選を自動的にお知らせします。ま た、貴方が賞金を必ずお受け取りになれるようにアレン ジします。5 その他に、あなたに特別の義務などはありません。 いつでも、キャンセルが出来ます。6 あなたが何も賞金を受け取らなかった場合には、その月 の参加費用を100%返却いたします。 KTWクラブ(キ~ツ~ウェルスクラブ)ご質問がございましたら、月曜から金曜、日本時間の午前7時から午後3時、(10月~3月)、午前8時から午後4時 (4月から9月)の間にお電話下さい。国際電話番号+49 180 5002 674↑ [国名が明記されていない。]PO Box259●5900AG Veno ●The Nethelands[謳い文句]*要注意さあ、50万円で、100万円で、あるいは、500万円が当たったら、あなたはそれをどうなさりますか? またはそれ以上の賞金が当たったら!使いたいだけ使う? それもあなたがお好きなことに。*この文をキチンと読むと、どうやら、50万円、100万円が支払わされる事が、書かれている。参加方法は次の通り、当選方法も次の通りです!① 6/49ドイツ国営ロトの公式の抽選に、厳選された番号で参加する事が出来ます。*[代行されるので、本人は何を買ったか知る事は無い。]②1週間に2回、49の番号から6つのロトボ~ルが抽選されます。3つの番号が当たれば貴方はもう当選者。6つの番号が当たれば、貴方には一等賞が当たります。*[代行されるので、一等なら、本人に来るわけが無い。]③参加申込書に、毎月200ゲ~ム、400ゲ~ム、あるいは、600ゲ~ムのどの数で参加なさりたいかご記入下さい。という事は毎月、1600回、3200回、4800回の当選チャンス。*[おいおい、一月最低1600回分払わされるって事だ。単純に300円で考えても、38万近く払わされる事になる。④600ゲ~ムに参加されると、あなたは最大限(4800回)の当選チャンスを手にします。*[最大114万円程の請求書が届きます。]⑤ジャックポット(キャリ~オ~バ~)で20億円までになることが有ります。*[当たるのは、それほど低い確率です。]⑥ロトは可能性のゲ~ムですから、当然、その月によっては当選する金額の額が異なります。*[このクラブは当選しない月は全額返す保証をしている。]・・・これが、大きな罠。後の申込書を楽しみに・・・⑦参加を中止されたい時には、電話、手紙、またはファック スでお知らせ下さい。*[電話番号に、国名が記されていない。私書箱しかなく、手紙の抗議は無理、内容証明が取れない。ノ~ザ~ランドってどこの国?この、封書はフランスから来ている。オランダと書かれた、住所に届く事になっている。印刷された封書にはKTW Club 顧客サービス部と日本語。I.B.R.S./C.C.R.I.Numero30025900VC Venloオランダ The Netherlanndesが返信用封筒に印字された、住所。これを、使うと、もう、連絡の仕様が無くなる筈。以上を踏まえた上で、私に届いた、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・KTW クラブ公式当選証書パ~ソナル 授与者:賞金配布部 目的 :公式当選通知@@@@様には次のものに当選されました。300万円のアウディA2新車 または、賞金 一旦切ります。1枚目これは、表に書かれた、当選されて通知。2枚目受け取って24時間以内に返信をするとアウディ+100万のボ~ナスを促す。3枚目切り取って貼る部分。4枚目当選通知の裏面真ん中の黄色い所が上の物を貼る部分。左半分がアンケ~ト。そして、署名と日付を入れる部分。このアンケ~トを送ると、当たったアウディか400万を受け取る権利が出来る。右部分は、クレジットカ~ドの詳細を書き込む部分と申し込み書 代行クラブに、最低一ヶ月参加する、申込書。この部分を返信すると、当選通知は当然相手に返される事になり、契約が生まれる。@このロトに参加しないで、アンケ~トだけを送る場合は自分の封筒で月の送り先に送るように指示がある。受け取り代行手続きに必要な日付と署名が送られるわけだ。5枚目写真。これが、切り抜いた四角い部分の裏。印刷され、切り離した、手元に残る当選者に送られた手紙のの印刷された署名の部分が切り取られる仕組みになっている。 これを見て、覚えの無い当選に真に受ける人は相当おめでたいとは思うが。このアンケ~トのサインを送って最終的に考えられる詐欺は、その後、キャッシュカ~ドの紛失に出会うと思う。限度額一杯の借金をされ、サインで限度額一杯の買い物をさせられるものと思われる。@署名 サイン等の個人情報は簡単に乗せられて、送ると大変な事になるので気をつけましょう。1回の抽選が200ゲ~ムで1ヶ月の参加が16000円*1回の抽選が400ゲ~ムで1ヶ月の参加が28000円*1回の抽選が600ゲ~ムで1ヶ月の参加が36000円*この書き方で円の後ろの[米印]がどういう意味なのか、いくら請求が来るのか?不明だ謎のまま。どう考えても、16000円で済みそうも無い気がする。120人のグル~プ買いだそうだが。実際には買われる事は無いと思う。クレジットカ~ドでの支払い限定なので、クレジットから、一度契約したら、引き続けられる事は確かだ。解約方法が連絡先が明確でない。相手が明確でないだけに、法的には不利だ。なんせ、餌は400万円当選されました。なのだから、それと同額の被害は覚悟するべきだと思う。 当選しない場合全額返すと言う保証。一等、もしくは、2000円の金券を含むとされている。可能性で、最低50万から100万払って、2000円の金券を受け取る事になる。これを読んで、一ヶ月くらい試してみようなんて、馬鹿な考えを起こす人が居ない事を祈る。送ったら最後、大変なめに会うからね!最後に口直しになるか・・・。昨日は午後から日帰り露天風呂に行きました。年に5度は行きます。 夜の露天風呂しっかり、11時まで居て風邪引きました。鼻水だらだら。もう直りました。
2004年01月16日
コメント(9)
聖霊、に出遭ったのは、23年前、どうして、23年間も神について語る事をやめていたか・・・・。ハワイの教会で聖霊に包まれて、聖書を手渡されて、日本しに帰国。周りに居て人たちは、私が必ず、クリスチャンに成ると喜んでいた。「ハウ・キャン・ユ~・ビ~・ソウ・シュア?」どうしてそんな事、あなた達は言い切れるの?まあ日本でこれを、読んで、と聖書だけを、手渡された。日本に帰ってきたとき、教会で起きた、自分に起きた奇跡を友達に話していた。すると、『君はクリスチャンなの?』と聞かれて、違うと応えるのが面倒になった。聖書を読んで、キリストが、聖霊によって、洗礼を施す物と知り、自分を包んだ物が聖霊だと知る。アッセンブリ~教会は、一人一人がキリストのように、奇跡を興す事を信じる教会で、初期の頃、他の教会に、奇跡を人間が興すのは、悪魔の所業とキリスト教系でも異端の教会だったそうだ。水の洗礼を受ける時、悪魔の攻撃を受けたのと、洗礼後、日本に帰ってきて、家族に、聖霊の話やら、軽い奇跡を興すことで、兄弟達に恐れられる事になった。最近買った、聖霊について、書かれた居る本で、聖霊を受け入れると、精神病院に入れられるとかの噂は嘘だと書かれていた。現実問題として、精神病院に入院を考えるのは、最初は殆ど家族だ。聖霊について語るとき、当時私には仲間が居なかった。教会はハワイだし・・・。家族、両親が居ない時、私は自分を伝える手段を誤った。結果、兄弟が協議の上、私を精神病院送りに。両親は海外旅行から、帰ってきたとき、大変悲しんだ。しかし、兄弟が決めたことだから、仕方ないと思い。私の両親もまた、次兄の嫁を家族が少しオカシイと感じるから、精神病院に嫁を観察に入れたらしい。これは、後に次兄に聞いた話で私は知らなかった。病院で看護婦さんから、薬に逆らわないように、と密かにアドバイスを受けた。3ヶ月の観察で、異常が認められなかった。恐らく薬の反応で観察をしたと思われる。当時、私の知り合いの、役者さんの友達の奥さんが精神科の治療を受けていて、私を、入院させる事を私の兄弟に薦めたようだ。昔、普通の家庭で、精神病院の門は非常に昔は縁の薄い物で、その発想はナカナカ無い。その時、私が悟った事は、神を持って、人を恐れさせた罪だと感じた。人は自分の常識を超えた状態には、恐れるのだ。特に、周りを巻き込む、空気を出している時周りの人も、可笑しな世界に迷い込む。それ故、恐怖で、隔離を決める。その後、何度か入院を繰り返す事になるが、いつも、原因は別の事で自分が社会から逃げ込む場所になった。病名は付けられた事が無かった。そうした経緯があって、私は神を語らなくなり、長い間、沈黙を保ち、ひたすら人生を眺める者と成った。1999から2000年のある日、1つの地球が終わった。今この地球にいる人は全員移住組みである。瞬時に移されているので、気がついている人と、いない人がいる。その後いくつかの地上を分けている。そして、宇宙は一つではない。時間の重なりで、同じ地球にいながら、別の世界で生きている人、かすかの時のずれで、重なり合うように生きている。一旦切ります。この4年間私は、沢山の地上に降ろされた。私の心は硬く、沢山の奇跡を受け入れる事を拒み続けた。常識を測る、頭が、出会う奇跡を、常識で、測ろうとする。このことが、私を恐怖に落とした。そして何度か、精神病院を門を自ら、叩いた。結論として、どんな不思議に会っても動じない自分になることが出来た。最近一定の時の中に居る。そして少しずつ神の国の事を仲間を得て描くようになった。そう。不思議を受け止めるには、科学する心と放れなくてはならないときがある。百匹目の子羊である自分は、仲間の元に戻り、神を語ることを始めた。まあ、不信心な私でも、神は放って置かない。恐らく、この世の誰も神が放っておく事は無いと私は信じるようになった。今苦しみにいる人は幸いです。私を見ることになるからです。ここで言う私は神の事を指す。聖書の中の一文です。
2004年01月15日
コメント(0)
私の、メッセ友が、PCの攻撃を受けた時の最後の通信。何ヶ月も話してなかったのだが、画面で、友の看板がやたら、一杯立ち上がる。で、連絡。作者パル(自動応答装置の作者)携帯にも、偽者から、メ~る届く作者パルに鍛えられているから。偽、メ~ルはわかるよ!パル。心配しないで頑張ってね!犯人に、装っても無駄よ。 ----- 元のメッセージ -----差出人 : パル(仮名)。日時 : 2003年12月9日 1:35宛先 : @@@@@@hotmail.com件名 : RE: hisasiburiひさしぶり とりあえず。犯人さん これを見ているあなたへ。監視に関してはあまりすべきではない。私はそう思います。~あなたはおもしろいですね。まだ完全な精神ではないです。~。・・・・・・・・翌日連絡してみる。パルからの返信。送信日時 : 2003年12月10日 19:19件名 : Re: 返信です。who are you?↑まだ、乗っ取られている状態。×××シンより今あなたのPCかなり、危険な状態にあります。やむなく、メッセのメンバ~から削除しました。今唯一可能な通信手段はドコモだけです。(実はパルの友達の携帯だった。)[もう一つの人格が加わり、余計混乱]あなたを、切り離すつもりでは、ありません。PCがあなたの手に戻ったら、再び繋ぎましょう。 携帯には、パルのPCにアドレスがあるので、色んな偽メ~ルが入る。何ヶ月も語り合っていない。若干精神的不安定な時期があった。少しだけ、「彼は大丈夫か?」と疑いの気持ちが浮かんだのも事実。皆さんも、これから、こういう事態に会うかもしれません。私がPCを乗ったられた時は、知り合いから、警察に訴えられました。残念ですが仕方ありませんでした。未だ、こうしたトラッキングが一般的ではない頃で、誰にも信じてもらえませんでした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2・3日前。メ~ルを送る。シンよりPC取り戻した?マタイ?×××シンよりパル返信。どうも! もちろん元気に動いてます。今日もまた あなたもまた私もそして多くの人 これからも愛を忘れないでいましょう。そう これからも 心を透かして。。。シンよりこちらのPCの影響を考えて、一端、メッセのメンバ~から外しています。そちらから、もう一度アクセスして下さい。もう一度、許可しますので、お願い致します。パル返信。あぁ¥・・・・そちらから一度・・・私のアドレスを出していただかないと・・・こちらからアクセスできません。メッセンジャーの・・ツール→オション→プライバシーその中に私の名前もしくはアドレスがあることでしょう。そこでそれを追加してくださいそうすればまたはなすことができます。・・・うーん困った・・。この程度の説明しか出来なくて申しわけない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・こうして、再び友と語り合う事が出来た。話し始めると、きりが無いほど彼とは話す。唯一のある意味で対等な付き合いをしている、メッセ仲間。年齢は15歳、経験値以外は、対等な関係。彼は、私がPC音痴なのをよく知っている。で、具体的な指示を出す。マタイ?という問いかけに、彼は応えている。人格照合で、本人確認をする。PCを乗ったとられると、本人の言葉を過去の記録から、取り出して、勝手な文章に作り変える。山・川なんて、決まった、合言葉では照合できない。その時、その時、その人が、思いついた言葉が、本人の人格と一致してるかで、本人確認する。だから、この時、本人確認に使った言葉は、2度は使わない。同じ質問しても、気分で答えが変わる筈。これからの時代は、ヒントでピント来ない相手とは付き合い辛いかもしれない。一旦切ります。最近はかなり眠い。薬を使っていないので、眠りがが浅い。それと、今お正月スペシャルで、久々に絵を描くことに。実は、考えていると、文章が書けない。文を書く時は、半分受信状態で書いている。頭に何も考えない状態で、思いついたことを描く。ところが今、情報を集めている。頭に浮かぶ事は、ある程度情報を整理して、学習を終えたときに、綺麗に開き、頭が受信状態になる。今日の記録として、今日の状態を書いておく。ぱきゅうんさんのリクエスト。マタイの受難曲。やっと、手元に届く。何枚か、オザワのCDを買う羽目に・・・。クラシックは小学校以来だ。マタイも何か受難したのかしら?お題を頂いた時、この程度の知識しかない。マタイが書いた、キリストの受難が、ルカや他の人が描いた、キリストの最後と類似しているのは、マタイ記述が雛形に成って居ると言われているのが判明。わたしは、以前、いくつか調べたい事を念頭に、聖書を読んでいたため、どこら辺に何があるか、解る程度にしか目を通していない。お題を頂いてから、初めて、聖書を自分の理解の為に読み始める。前回は八年ほど前。コリント人を調べて、旧約も読むことに・・・。昔読んだ時と違って、今回は何のことを言っているのか、明快に解るようになっている。ぱきゅんさんのリクエストで、バッハのマタイの受難曲244全曲サイトウ・キネンオ~ケストラ演奏の物を探す。レコ~ド屋もナカナカ探せなかった。そういうものはあったけど今は無いとか、調べがつかないと無い事になる。結局3回目の購入で目的の物をゲット。3枚組みで¥7、646。未だ聴いていない。喫茶店で、訳を読む。なんと、マタイのキリスト受難の場面を歌曲で、バッハが組み立てた物だった。内容は、聖書そのもの。そして、彼のリクエストは、72曲と言うのは間違いだった。全曲で68曲で構成されている。ぱきゅんさんのリクエストは62曲。我何時の日か死なんとす。ぱきゅんのくれたタイトル。我々が死ぬ時、キリストに願う事のようだ。いつか私が世を去るとき、私から離れないで下さい。私が死に瀕したとき、どうか姿をあらわしてください。この上ない不安が私の心を囲むときもろもろの不安から私を引き出してください。ご自身の不安と苦痛の力によって。これは、人の子として、天から下った神の子キリストが、人が死に際して、不安に抱いた事をそのまま天に祈っている。死んだ事が無いから、キリストも不安は有るのだ。弱い体の人間だから。61曲目キリスト最後の言葉。エリ、エリ、ラマ、アザブタニ!これは、「私の神よ、私の神よ、どうして私をお見捨てになったのですか」と言う意味である。最後大声で叫んで息を引き取った。つまり、キリストも人が死ぬときの苦しみ絶望を知らなければ、人を救う事は出来なかったのだ。『何で、助けてくれないんだよ~!』と神に文句言ったわけだ。神が感情を知る必要が有ったのは、こうしたわけである。自分が苦しみを知らない人間が人を助けられないのだ。今、色んな状況で神から、感情が送られる。天にはかなりの感情がもう蓄えられている。その人の立場を知るには同じ感情を持たないと理解できない事もある。しかし、感情に浸ってはいけない。愛で癒す。聖霊は愛そのもの。愛は強い。聖霊はキリストの体。愛は神自身である。そして、その聖霊を受け入れた体と3身一体になること。これが、普遍的な真理である。キリストは一度死ぬ前には、聖霊はこの世に下りていない。復活後、肉体のままキリストが天に昇り、姿を聖霊に変えて地上に降りているからだ。私たちが感じている聖霊は、キリストの体そのものなのだ。死んだ肉体では、生きた聖霊の体を持つ事は出来ない。聖霊に出会った後、この事を理解するまでに、私は23年かかった。一旦切ります。この続けは又の日に・・・・。今日は眠ります。
2004年01月13日
コメント(4)
私は、神を求めた事が無い。一歳のとき、女神の形で夢に出てきて、顔の右半分大やけどを跡形も無く治してくれた。やはり、一歳のとき、コンセントで顔を切った女の子を知っている。その子は顔に大きな傷を残していた。友達の妹だ。その友達とは、親から付き合いを禁じられた。偶然親同士知り合いだった。内科医の家。歯科大受験の時後ろの席の子だった。一時期付き合いが有ったが、個人的な理由で別れた後だったので、別に親に抵抗は示さなかった。理由も訊かなかった。でも、思ったのは、「この子はどうして、神と契約しなかったのかな?」不思議な力を持つ人は、子供の頃顔や体に傷を負うことが多いと女友達に聞いた事がある。その女友達のボ~イフレンドもまたそうした人らしい。十年ぶりに会ったら、その話の人と結婚していた。神とで合ったからと言って、人間が素晴らしくなる訳ではない。自分をどう育てるかは自分次第。神と出遭った者として、話しておく。そして、神というものを知っているだけに、信仰に薄い。余り意識しない。「居て当たり前、だからどうした?」ッテ感じだ。一旦切る。継母であるママとなくなる前の2年間色んな事を話した。ある時、ママは『30年間貴方と付き合って、思ったことだけれど、貴方は、神様みたいな子だ。』心の中で私は、「何を言うんだこの人は?」照れくさくもあり「それ程馬鹿じゃないよ。」と応えた。ママは怯まず、言葉を続けた。『貴方ほど欲の無い子は見た事が無い。』私は、考えさせられた。それは、大人と話す時に、よくであった会話だ。『君は自分で何か欲しい物は有るか?』大人に意見する時に良く訊かれる質問。答えに詰まってしまうのだ。必要な物は与えられているし、物は有っても無くても善いと考えている。自分の好みが特に無かった。その場を楽しんでいたし、どこにいても学ぶ事は有る。どれが善いという好みを持つ事はあまり無かった。姉の目には、私は欲張りに映っているらしい。『貴方は、自分が本当に欲しいと思ったものは、全て手に入れている。』見る人の角度で色んな風に見えるようだ。必要な物は、確かに努力しなくても、周りから与えられる。自分は、受け取り上手かも知れ得ない。それは、活花の技術もその一つ。付き合いで、したことが、全て自分の役に立つ。小林拳も親の勧めで、太極拳だと思い偶然身につく。体の身体能力も、強くは無いが、回復力が半端ではない。精神病すら恐れていない。多発性胃潰瘍も癌もクリアした。行きっ放しに成らないからだ。限界を超えても、体は回復する。その度に色んな事を悟る。恐らく、守護霊が強いという事は、神に崖から平気で突き落とされる事だと思う。色んな経験から、知恵を持つもの。 知恵を奪われた状態。わたしは、強い状態。 弱い状態。わたしは、美しく生まれた状態。 顔がくずれた状態。男の子のように見える状態。女として見える状態。色々な体験を持っている。子供の頃は、男の子に間違えられるのが悩みだった。30代まで、線が細く、おかまによく間違えられた。良い家庭の子女として、扱われる状態。家の貧しい者として見られる世界。持つものから、持たず者になること。特に能力が無い者の惨めさを味わった事は大きい。両者の立場を理解する者となった。いろんな場面に出会っている。そして、子供の頃からの変わらない信念が有る。@一日怠けたら、一日長生きする。@本当に人類にとって大切な事は自分ではなくても、誰かがする。@死んだ後の事は死んだとき知ればよい。だから、今仲間を得て神を話始めながら生き始めても、天国に行くか、地獄に行くか等の心配は何もしていない。全て、神に委ねている。自分は、感じたままを伝える事。その事に忠実で有りたい。人間だから知りえた事を、神に伝えたい。そんな気持ちでいる。一旦切る。昨日久しぶりにメッセをした。15歳の少年。この子と話すのは、3ヶ月ぶりだ。暫く、その子のPCがトラッキングに会って、切っていた。携帯メ~ルにも、侵入されるので、暫く禁止をかけていたのだが、再度のアクセスを待っていた。昨日メ~ルを送ると、私が禁止をかけていたんで、アクセスできなかった事が判明。私から見ると彼はかなり頭が善い。しかし、彼は、ある病気だと認定されていて、本人は頭が悪いと思っている。昨日初めて、勉強の話になり、180/180番である事を知る。彼は、自動応答装置を作った子だ。 PCも自分で組み立てた子だ。 それが、暴れだして、他人にPC乗っ取られていた。かれは、話さない間に大分大人になっていた。その頃を振り返って、自分を知られる事で、嫌われるのを恐れていたらしい。キリスト教系のネットで知り合った。私はクリスチャンの閉鎖性を嫌っている。そこで、かれの質問が斬新だったので、友達になった。昨日は、彼に音符の覚え方を伝授した。勉強できない子は、要領が悪いだけで、頭の良し悪しでは無い場合が多い。私は、小学校の5年で初見できるほど、音符を鍛えられたが、今は読めない。必要ないと、忘れる。しかし、要領は覚えている。最近ハ~モニカを吹くようになったらしい。で、楽譜がいくら頑張っても覚えられないらしい。でも吹ける。そこで、吹ける曲の楽譜を用意する事を薦めた。音と5線紙の位置の感覚を覚える事。音と符号を一致させる。普通とは逆の方法だ。人によって思考回路の開き方が違う。必ずしも、同じ方法で、能力が伸びるわけでは無い。私が気になるのは、最近の精神医療だ。何でも病気にしてしまう。そして、分析だけをして、解決を持たない。その子が貼られた、病気のレッテルを検索で出してもらう。彼は、直ぐタイトルがわかるので、検索は彼に任せている。彼は、会った頃、親に病院に連れて行かれたときの恐怖を語った。私には、それが、理解できる。そして、最近まで、その件には触れなかった。人は誰かを病気の型に分類すると、その型に人をはめ込み傾向を感じる。そうした人を、過去何人か見た。本人も又、それを演じ始めてしまうのだ。一人は、義理の親戚の人で、本人の顔が普通の人に戻る瞬間を見た。人前では、知恵遅れの顔を死ぬまで通した。もう一人は職場で、仕事を奪われ、家族のために3年間デスクを守った人だ。このつつきは、又の機会に・・・・。追記。この世で天国を知る事が無ければ、死んで知ることは出来ない。この世は天国への最短コ~スである。この世界が地獄の一部だから。最後まで、死ぬな生きていれば、必ず見える。例え生まれ変わる事があっても、行き着ける。
2004年01月12日
コメント(3)
私は、究極の気分やだと自分を評価している。気が向かないと、催促されてもしない。しかし、連絡事項で、即行動の必要な時は、直ぐに対処する。書類の処理は纏めてする。先方が要望しても、意味の無い物には、放って置く。究極の怠け者でもある。この性質は父親譲りと思っている。実は、心臓が弱い。気分が良い時は、心臓が活発になるが、普段は、自分で心音が余り感じられない。苦手な物は、マラソン。運動会の予行演習で、気分の良い日だったので、マラソンで、一等になったことが有る。気分良く走ると、風になる感覚を覚えている。たいていの場合。200Mでリタイア。もしくは、失速する。父親は、家に居る時は、いつもゴロゴロしていた。ロッキングチェアに居るか、ソファに横になっていた。私は、家族旅行を他の国に居たりして、参加してない物がある。兄弟からの情報だが、父が70歳位の時。タイの旅行中、ホテルのプ~ルで、父が、10M位の飛び込みをしたらしい。きっと気分が良かったのだろう。4歳まで父の心臓音を聞き、おっぱいしゃぶっていた為か私の性質は父にそっくりだと、継母は言う。ママが亡くなる前に、実家が床上浸水になり、初めて、ママと二人で寝た。『あんたは、寝方まで、パパそっくりね!』と言われた。この究極の気分やの性質は私の行動様式を支配している。一旦きる生みの親の記憶は薄い既に、乳癌で入院をしていたからだ。ばあやのたら乳ねと筋肉の父の胸が懐かしい。4歳の時来た、継母が私にとって、唯一の母親像だ。スパルタの母だった。教育の全権はママが持っていた。父は見守るだけで、口を挟むことは余り無かった。二人の時に、子供について、話し合い、ママが現実には、接する事になる。私が、初めて、抵抗を示したのは、小学校6年の時だった。ママの振り下ろす手を逆手でパシっと受け止め、壁に、ママの両手を万歳の形で、押さえつけた。そして、訴えた事は、「まず、何が過ちか納得させてから、打ってくれ。」「納得すれば、罰はいくらでも受ける。」両親が伝えたい事は今ならわかるが、子供には難しい事もある。見守っていた、父親の出番だ。風呂場の半畳ほどの脱衣所に私を連れて行き、大きくなった私を、赤ん坊のように抱っこした。そして、ある諺を訓えてくれた。『リトルボトル・イ~ジ~ホット』日本語に訳すと、『小さな瓶は熱しやすく、冷めやすい。』そして、『親が教えることは、それなりに意味がある。判らなくても、一旦は受け止める事。』一旦切ります。我が家では、親の権力が絶対的だった。信念を持って、子供の教育をしていた。一人一人の性質で、与える物も違っていた。父親が無職の時でも、一品必ずおかずが多くついた。4歳まで、人間の教育を受けていなかったわたしは、若い母親のお陰で人間に教育された。直ぐ上の姉は、スパルタを受けた事が無い。かわいらしく、女らしかったからだ。次兄と私は、激しく打てれた。私と次兄は良く一緒に遊んだ。銭湯もも一緒に行った。男の子より、女の子が苦手だった。家にも風呂が有ったが、広い鏡遊びが好きだった。次兄の友達と一緒に鏡の前に立ち、お腹を波のようにうねらせる遊びとか、私には出来なかった。五つ上の次兄が大好きで、悪巧みも一緒にする。そんな訳で、次兄の自慢は、靴べらが折れるほど打たれたこと。私の自慢は箒の竹が折れるほど、叩かれた事。どちらの方が痛いか、自慢しあった。折れるのは、相手に対して、振りぬいていない事を意味してる。感情で打っていたら、人間が骨折してる。中々芸が居る。体罰の上級偏だ。そして、打たれた私たちの心に傷は残っていない。他人とは喧嘩しない。他人とはそこまで剥きになるほど親しくない。思うにしなる靴べらの方が痛いと思われる。この体罰について、母から習った事は、人を打つときに必ず平手を使う事。手の甲を使うのは、憎しみ、もしくは、相手への拒絶を意味する事。そして、打つ手も痛いこと。いつも、例え嫌われても良い覚悟をしていたと言う。大切な何かを体当たりで、教えられた。そして、忘れなかったのは、飴の用意。何かを学んだ時、直ぐに口に美味しい物をくれた。人間は、本能のまま生きれば、動物に近い物かもしれない、そこに先人の知恵が加わって、人間に成っていく。一旦切ります。歯医者の音、と医者がの注射が嫌いだった。大声で泣いて抵抗する。力尽きて、治療を受ける。結構ママは根気がある。ママの変わっていた所は・・・。次姉はメソメソ何時間でも泣き続ける、結構なかれるとシンドイ。私の場合は、大声なので、一時間くらいで、力が尽きる。その泣き声が綺麗だと、小学校一年から、声楽を習わされた。ママは実に変わった感性の持ち主だった。小学校3年の時、医者に行って、どうせ、泣いても注射されるので、最初から我慢した。すると、帰りに餡蜜を食べさせてくれた。嬉しかった。ちょっとの我慢で、こんないいことがあることを教えてくれた。高校生くらいから、時々、父親の世界にも顔を出す事になるが、パ~ティで父親を見つけ、次姉とパパに手を振ると、父は120%の素敵な笑顔を返した。次の瞬間、わが娘と気がついたのか、しまった!と顔に出ていた。苦虫を潰したような顔に戻った。父親は私たちに、学校でも、社会に出たら、兄弟親子の甘えを出すなと教育されていた。そんな訳で、高学年になるまで、姉さんと呼んだことが無かった。苗字付の名前で呼び合っていた。公私を分けるより、公一辺倒の方が楽だったからである。末っ子のわたしは、タン付けで呼ばれることが長かった。エイタン。もしくは、エイコ坊だった。坊を付けるのは、悪口だと勘違いしていた。父に話を戻そう。昔の父親は威厳が有って、家族の中で役割がはっきりしていた。父親は、直接的なかかわりを子供を持たない。そして、男の子はライバルになる。父親の背中を見て育つ。兄弟の中でも父親を密な関係が有ったのは私だけだとおもう。長女は花のように愛されていた。それが、本人の自信になっていたと思う。それ故、子供に対しての扱い方がわからない場合が多かった。スパルタのママは孫には、綿飴のように甘かった。孫達を、ゲ~ムセンタ~に連れて行き、3万ほど遊ばせていたらしい。私たちが、その甘さが信じられないと言うと、『孫には責任無いからね。』と笑っている。親が禁止している事を、おばあちゃんは、息抜きで、させていた。父親はと言うと、孫が顔を見て泣いた。父は、それが悲しかったようだ。ママの自信は父の絶対的な信頼と愛情の上に成り立っている。ママとの対立で、パパに相談すると、『パパはママの味方に決まってるでしょ??!!』と言われると、もうどうでも良くなった。シエ~クスピアの悲劇は有名だ。聖書に次ぐ、古典だと思う。聖書が愛がテ~マなら。シェ~クスピアは人間の愚かさがテ~マだと思う。そして、私には、その愚かさが可笑しく感じる。有名なロミオとジュリエッタ。家同士の対立が悲しみを産むと一般では考えられているようだが、小学生の時この本を読んで、馬鹿か?と感じた。まず、剣を遊びに振り回す馬鹿さ。 殺した相手が、恋人の兄でなければ問題はないのか?高校生の頃映画が公開され、何年か後テレビで見た。感想だ。親に隠れて夜這い、恋と言うには幼すぎる発情した物同士の行為。避妊はしてるのだろうか?社会的責任を考えない幼さが、常軌を逸している。殺人後の反省がなく、単に二人で生き延びる事に、考えが終始している。教会の坊主。自分の謀に酔って、万一の事故に対しての打ち合わせ不足。事前に、ジュリエッタに打ち合わせをしていない。ホウレンソウ 報告・連絡・相談の欠如。どっちが先に死んだか忘れたが、打ち合わせ不足の感がぬぐえない。それと、簡単に命を捨てる、二人とも生命に対する尊厳が無い。二人とも自己中心的な子供そのもの。恋だとか、愛を言う前に、一人の人間として、育ってないもの同志の恋愛は成就しない。と言う教えかな?リア王耳掃除してもらうほどの間柄になるのに、国王として、后に選ぶ相手も見極められない、愚かさ。人を見る目の無い人間が、国を治められない。早死にするのも仕方ない。幽霊になってまで、心残りするな!題名は忘れたが、4人の娘。上の姉は父親に可愛い事を言い。結局親に孝行しなかった。末娘は、親に対して、孝行するのは義務だと答え、遠ざけられる。末娘よ。『義務』だと思うなら、もっと可愛らしく、親に伝わるように表現したまえ。どんなに、心に良い事を思っていても、相手に伝わらなければ、何にも意味を持たない。相手に判りやすく伝える事。これは、親子でも、他人でも大切な事。不幸には不幸の方程式が有るような気がする。私は、人間の愚かさを可愛らしいと思うと同時に、そこから学ぶ物は何か、視点を変えてみると、誰もが犯しがちな過ちが見えてくることに、喜劇を感じる。予期できない過ちが、人間の本当の笑いを呼ぶのだと思う。狙った笑いは、何処かいやらしい。人間が生きたうえで、真剣になればなるほど、誤りが起きる。何もしない人間は、過ちすら起こさない。この人間の、何処か抜けた所から、本当の笑いが生まれるのでは無いかと思う。子供の頃陥った苦しみは、今私を笑いに導いてくれている。そして、今苦しみに居る人を愛しい気持ちにさせる。どんな苦しみも過ぎてしまえば、笑いに変わる。何もないより、何か有る方が幸せなのだ。若人よ。大いに悩め!悩んで死んだ人は居ない。悩む事を辞めた人が死ぬ。生きて居れば、その向こうに明るい未来が必ずある。『夜明け前が一番暗い。』そして、死ぬまで出来事は続く。渦中に有ると出口は見えない。大人になることは、暗い向こうに必ず明るい未来が有ると信じられる自分に成れる事だと私は思う。
2004年01月09日
コメント(4)
少し、私の日常をと言う事で。リクエストが有りました。絵がかけない頃、姉の友達がアレンジメント教室を開いた。記憶が無くて、絵を描く事が出来なかった。周りの人は私が絵描きに成りたかった事を覚えていて、画の勉強になるから、気分転換にいらっしゃいと誘ってくれた。その頃、父親が何時死ぬかわからない病床に有った。花の材料を欠席すると、迷惑かけることになりので、4年通った。授業料払わずに。一年目で、スナックに活け込みを頼まれた。父は半年で亡くなったが、アレンジ教室はそのまま通った。活け込みを頼まれたお陰で、一年50万円の花代を練習に使えた。中卸の値段で花やの店頭の10%から30%の値段で仕入れられる。花を扱う事で、微妙な色の差が判る様になった。色合わせはこの頃身についた。去年の年末に知り合いの花屋を覗いたら、『買ってくれる~?』と言われ、断れないわたし。松と南天を一枝づつ選んだら、3150円だった。消費税込み。黄色いチュウリップをおまけにくれた。紫のデンファレは嫌いなので要らないと断った。すると、ピンクのスプレ~カ~ネンションをくれようとした。これも嫌いなので要らないと断った。済まなそうに、『これだけでいい?』とチュウリップ3本貰った。「気持ちだけでいいよ~!」嫌な物を断れるのが知り合いのいい所。友達未満だけれど、近くに行くと偶に顔を出す。親の教え、『どうせ、お金を使うなら、知り合いに落とせ。』今年年が明けて、中卸と同じ値段で束売りの店に行く。少し活けて見た。黄色いスイトピ~。50本ヒペリカム5本緑のデンファレ10本シンビジュウムピンク1本バラ赤5本約1400円活けた。去年の南天と松の足元に。松は、根が出てきているので、切れない。ご覧あれ。 左に映っているのは、ゲ~ムセンタ~で、スロットで当たった。べジ~タと孫悟空。身長30センチはある。普段はカサブランカを使う。今日は売り切れでした。ゆりの中で、カサブランカの香りが好き。普段使いは、この花だけを挿すことが多い。すかしゆりでも、コネチカットは明るいので使う事も。嫌いなのは すかしゆり。(においが駄目) 鉄砲ゆり(形が陰気) カ~ネンション(エンジ、オレンジ、緑、 色にっては好き) 菊(葉っぱが陰気)綺麗な陽気な菊は好きな場合 がある。シオン系は好き。 紫のデンファレ(食卓には合う) 食虫花(形が嫌い、鉢も置きたくない) 何でも使いこなせるが、結構本音は好き嫌いがはっきりしている。これらの花は、アレンジを頼まれた場合。用途の雰囲気によっては使うが、個人的には一切使わない。花に纏わる、エピソ~ド。活花は、姉が短大時代、振られた男に未練で、お母様に古流を習うのを付き合った。姉は直ぐ飽きたが、私は一年お世話になった。絵を書く事と、立体構成はさほど変わりが無い。鎌倉の派出所のお巡りさんのお父さんは、晩酌の後泊まっていけと娘のように可愛がってくれた。大船駅まで送ってくれた。男しか子供のいない家では可愛がられる。嫁は可愛くないと言っていた。色々有るな~。と思った。十年前、中国に留学中、花の種類が少なかった。金魚草薔薇菊グラジオラスしか売ってなかった。男の子が女の子に菊の花を一輪贈る。菊の花に対する印象が少し変わる。無ければ、菊も花の内。メキシコ旅行の時、マドリッド広場で、少年から、薔薇を貰う。言葉がわからないのと、恥ずかしいのも有って、お礼を言って逃げた。結構高いのに・・・。風邪で会社を3日休んだら、鎌倉の方のレストランの男の子から、カサブランカの花が届く。重たすぎて、その後その子とは距離を置く事に。やたら、花は贈るものではないな~と始めて知った。職場に花を飾ったら、お客様に可愛がられた。児玉よしおさんの未亡人に方が、私のお花が好きで、いつも褒めてくれた。絵を描くなら、花の絵を描く事を薦めてくれる。最後に描いたのは、花の絵。もう、5年ぐらい作品を作っていない。その他、花は人を繋ぐ物。使い方を間違えると、大変なことに・・・・。今日は少し聖書を読んで、画のエスキ~ス(原案)作って寝る。お休み!
2004年01月07日
コメント(13)
名は体を現す。自分の名前の意味を考えた事は有りますか?そこには、名付け親の思いが色々有ります。わたしの本名は英語に訳すとどうなるか?長い事悩みました。今、英語に訳すと、フェニックス・スィンギングだと思います。中国語で読むと、別の漢字で音表記して見ます。 音明 YINGMING日本語の音はフランス語の 愛 と同じ音だと言われます。生まれた時代背景で付けられた名前ですが、色んな考えをお互いに話し合おう。と言う、当時の国際政策に因んで付けられたそうです。7777番自爆しなければ、踏んだ方には、あたしの画の作品を送りたいと思います。未だ書いていません。一旦切ります。 7779 ゲスト7778 2004-01-06 16:09:55 ブラジョンさん 7777 2004-01-06 16:04:22 つっちー★☆さん 7776 2004-01-06 15:54:44 aki@さそり座さん 7775 2004-01-06 15:05:38 アイリー++さん 新年のお年玉お絵かき。今回は前々後賞も入れて、送りたいと思います。上の4名様(その他ゲストの方希望の場合連絡下さい。)ご希望の方は、お望みのサイズ。画法。未だ、PCで描けないので、肉筆となります。描いて欲しい物。メ~ルBBSにお申し込み下さい。辞退も受け付けます。さてさて、名前に戻りますと、この本名。個人には大変な名前だと、鬼門敦煌 ?の方が、新しい名前を下さいました。金を森みたいに重ねて、シンと読みます。通称として、エイリアンカ~ドにも、登記してあります。この名前は、天体の星の私に足りない力を得るように付けてくれたようです。西洋の占星術では金星。ビ~ナス・ルシフェルサタンの名前、を貰いました。通称シンです。本名はまるっきり逆の意味と音です。エイメンに似てます。この新しい名前をくれた人は、予見者であり、気功使いでした。テレビにも出演して、象を倒したりパフォ~マンスした後、病人の治療に自分の力をお金に買えた末、一年後、病気を自分で背負い込み、癌で亡くなってしまいました。寿命を売ってしまいました。この名前を使うようになって、楽になりました。私にかけていたのは、欲と嫌悪です。少し我侭に成れました。先日ファミレスのPCの占いで、宇宙人の恋人を得ました。紹介します。名前 ラ~ダへリックス星雲ニウニ星年齢2歳血液型 不明座右の銘 宇宙人万事塞翁が馬分類 なみだ目系いやし男例え彼が、私の事を何も理解して無くても、その潤んだ瞳が全ての悲しみを癒してくれます。因みに、彼は何も考えていない事が殆どです。しかし、感じています。世界中の悲しみを。そして、目を潤ませ続けるのです。世界中の人々のために・・・。この恋人宜しくね!年下好きのわたしも、とうとう2歳児と付き合う事に成ってしまいました。今までの最高が14歳下です。44歳年下のこのラ~ダを抜く人はいないと思います。ラ~ダを宜しく!今日はこれまで!連番ゲット~7892 2004-01-06 22:53:18 kentaulceさん 7891 2004-01-06 22:53:12 ぱきゅんさん 7890 2004-01-06 22:53:00 kentaulceさん 7889 2004-01-06 22:52:50 ぱきゅんさん 7888 2004-01-06 22:52:35 kentaulceさん 7887 2004-01-06 22:52:33 ぱきゅんさん おめでとう!連絡下さい。前後賞挟み撃ちやったね!でも一枚だよ~!リクエストお待ちします。
2004年01月06日
コメント(14)
この指とまれは、ゲ~ムの始めに人を集める言葉でした。漢字の中に哲学が込められています。哲学とは、何かの経験から、得た知識を伝える作業です。宗教の「宗」はウ冠ウ冠は家を表します。家は人が集まる屋根のあるところ。宗と言う字は人が集まる所に「示す」教えです。ユダヤの人たちが優れているのは、財産と言う金銭を多く持つところでは有りません。金銭を譲ってもその使い方が判らないと、一夜にして失います。生きるための教育に使います。それと、聞いた話ですが、ユダヤの人たちは、家族に代々伝わる、教えの書を持つそうです。そして、人生の終わりに、後世に伝えたい、自分が一生を通して、知りえた《教訓を一行加えていく》そうです。素晴らしい財産ですね!哲学する。それは、出来事から、普遍的な何かを導き出す作業であります。そうして意味で、『今を生きる』を始めている人は、全ての人が哲学者であると言えましょう。それを、文学の形にしたり、絵を描いたり、日々の職業の中で人々との関わりで、伝えようとしたり、現れ方はさまざまです。芸術は人類の『暇』が生み出す物です。スク~ルの語源は『暇』だそうです。芸術には商業的に産み出された、産業的な物も有りますが、伝えるコンセプトで芸術の世界もさまざまです。作品展を開いた時、初めて、時間と作品の関係を知りました。研究費にいくら掛かった、と言うのは、素材+関わる人材の生活維持費だと言う事に、気がつきました。私はスポンサ~をつけて、書いたのは2点だけです。商業作品では、倒産した、シ~ガイヤのコスチュ~ムデザイン画が有ります。イラストアップはデザイナ~が口で、もしくは、映画で伝えるイメ~ジを絵と言う形で、他人にわかりやすく表現する事です。昔の絵描きの殆どのスポンサ~は宗教でした。目に見えないものを、目に見える形でコンセプトを伝えます。教会の依頼で書いた物が、個人の作品で残りました。1600年以降宗教改革で、芸術も個人がスポンサ~になり、絵が日常にかわり、家族の紋章の記録として、持ち物を描く、静物画が発展します。肖像画も多く発注されました。芸術家自身も、宗教家に成りました。印象派が伝えて居たのは、感動が生み出す、神の輝きです。光の表現に拘りました。私もここで発信している事が、一つの宗教活動を言えます。そこで、伝えたい大切な事を書いておきます。《一人一人が教祖に成れ》です。信徒は自分自身で十分。組織と宗教は本来別の物。仏教は仏の教え《小乗と大乗に分かれている。》キリスト教は愛の精神の布教。イスラム教は、厳しい砂漠での生き方の知恵。密教は宇宙の神秘。それぞれ、分野が違います。中心に伝えたい事は同じです。神これは、輸入された文字で、かみと言うオンと同じ事を示しているかどうかは判りません。でも、かみとゴッドは同じ物をさしている気がします。感じも神は分解すると、示す事と申す。衣偏と示す偏は似ていますね。点が一つ増えます。一旦きります。一人一人が目覚めて、横に手を繋ぎ始める事を願っています。上下を嫌います。どちらも重たい物です。大きくても小さくても、自分の足で立ち、自分に一つ就いた頭を使って、考える。考える作業に対して、協力は惜しみません。しかし、答えを教えるのは無理です。一人一人抱えている問題の答えは、その人しか出せません。普遍的なことには伝えられます。一旦きります私の描く物は、伝わりやすかったのか、そのデザイナ~は私の書くイラストで、高島屋に勝ちました。しかしながら、イラストボ~ドに残す時、イラストレ~タ~の指定をスポンザ~が私の画を採用した所で、デザイナ~の妬みを買いました。何十年も努力して、仕事の関わりを得ている人には、無名の私が、仕事の一部として、記録に残る事快く思わなかったのです。その頃。私は、画の勉強をしていませんでした。仕事を引き受けてから、必要な情報を得ました。記憶の無い状態では、画がかけません。見たものはかけますが、見えないものを書くのは記憶力の助けが要ります。当時絵書けなくて、どうして、短大を中退したのかも、忘れていました。私の短大の卒業は論議を生みました。教授たちは私が卒業する事を、後押しすると言ってくれました。病気で、日数が足りなかったり、教育実習で過去苛めた先生の逆襲に出会ったり、卒業の条件には問題がありました。単位は、体内部分を、教授が補講して補う事を協力を申し出てくれました。アシスタントが病気を治してから、出直せと特別な計らいに反発しました。一旦きります。中退を決めたのは、私がその学校を選んだのは、親との関係で、2浪は父親の手前宜しくないと母の願いが有りました。受ける学校も母が選んで受験してました。最初は、歯科大一校でしたが、その頃は、私立受験に学校への補助金は当たり前の事でした。2年目は、薬科大、獣医大、衛生短期、歯科大と増やされました。2年目で、ショックを受けたのは、浪人中覚えたのは、色々な高校の特性を持った人と遊ぶ事を覚え、受験能力が衰えているのは、自分で判りました。麻布獣医と衛生短期大学(歯科大付属)歯科大は、私の能力が落ちていたので、無理でした。一年目は、私の能力圏内の補助金額が我が家の経済を上回っていました。何がいい事に繋がるか判りません。その頃、未だ職業自体を理解していませんでした。人が望んでも、入れない所の入学資格を楽に得る事も有ります。麻布獣医はその意味で、恵まれていました。当時の友達の親に相談すると、『家の息子をと言う意味ではないけれど、医者の家の隣に獣医を開業するのはどうかと・・・。』本人は無職の専業主婦の意見を採用しました。ママは受かった中で、麻布獣医が一番将来得る資格が有利だと私に説得しましたが、理科系の先生の資格も研究員に成って働く事もできます。その頃は、親より友達の意見がものを言ってしまう事があります。他人は自分との関わりで言いますが、親は、本人にとってどうかと、意見の質が違います。それと、歯科大に行くつもりだったので、途中で辞める事を考えて、獣医は4年、短大は2年。受験したほかの人の迷惑も考えて、衛生短大を選びました。そこで知ったのは、医療の現実。私に合わない事を知りました。母親は死ぬまで『生きているうちに、貴方には5000万身に着けてあげたかった。』と言います。この表現は、我が家独特のものです。お金には、気持ちを込めることが出来ると言う、母親の考えから、数字はいろんな意味を持ちます。だから、私に合わなかったって言っているでしょうが・・・。『でも、資格さえあれば・・・使わないに越した事はないけれど・・・・。』私も、自分が受験から逃げたかの思いがあり、最初に28歳の時、医療の現場で働きました。半年で病気になってしまいました。職業には、得て不得手があります。私の場合は、理解が多きすぎて、相手との壁が薄く、相手の病気を背負い込むようです。身代わり地蔵みたいな体をしています。医療の現場に立つ人は、神に運命を任せ、生死を静かに受け止められる、達観した精神が必要です。一旦きります。入学の筆記試験で受かった物は、もう一つ有ります。老人病院で、資格が無く働く安さ。労働内容がきつくて、作業療法士の学校の試験を受けました。病院のパ~ティで院長と話した時に、薦められました。試験まで2週間でしたが、資料と手続きをしてくれました。わたしは、高校に卒業の証書を取りに行きました。2週間の準備で28歳の時筆記にパスしました。しかし、学校に通うと、仕事しながら、行くと、その病院に8年の拘束を受ける事になります。学業のお金を再び親に求めましたが、そのお金を払っても、仕事をしながら、学校に通う事に対して、お礼と言う形で拘束されます。青梅の田舎にある病院に働く事は、私を家族から引き離していました。リハビリ室に居た理学療法士を目指した人は、筆記に落ちました。入試合格の結果は、部署の主任には、主任を越して、院長との間に、私が関係を持った事に、腹を立させました。受かるかも判らない事報告をしていませんでした。どこに行っても問題を起こす私です。努力しても落ちる人、難なくパスする私。面接の時に、心の準備が無い事を告げ、入学を辞退しました。労働条件は、私をその病院が出向の看護助手と言う立場を始めて受け入れる為に、わたしと、課長で考えた条件でした。正規に働いた事の無い私は課長と、能力給で考えずに、時間対価で必要とする金額を割り出した、結果できた条件でした。一日11時間拘束十時間労働。夜勤時21時間拘束。月休み、2日間。この条件に、一日2時間受験勉強を増やした時、私の体の限界を超えてしまいました。周りの条件を悪くした事で、病気が発生しました。ワ~カ~ホリックです。病院で使う時計は、秒針の無い、物は使えません。全て秒単位で動きます。そして、代替要員が居ません。点滴注射で眠って、仕事に出て居た事が災いして、体で、自力回復が出来ずらくなっていました。病院と言う一定の温度、宿舎から2分の所に居た私は、体の体温を自分で調整する能力をうしなっていました。回復に2年以上かかりました。その体験から、アルバイトと正社員の条件をその後の仕事で役に立てる事ができるようになりました。30歳の時、正社員として働きました。それまでで、一番楽な労働でした。初めて、便所掃除から開放されました。少しずつ、職業の話になりました。この指とまれ、と事を起こす事は、既に宗教です。仕事で、起業する事は、宗教団体の長になるようなものです。同じ釜の飯を食う仲間を増やす事です。神や仏以外にも宗教と言うものがある事をお伝えしたかったのです。宗教団体は、それが職業であれば、その活動に何を求めているのかが、その団体の精神を生みます。カルトはお金と権力しか求めていません。そこに、精神が欠如して居ます。妙な宗教団体に嵌るより、現実に働く事の方が多く神を知る事になります。生きる所に神は存在します。教の所はこれまで!
2004年01月03日
コメント(3)
あ~昨日は、若人が、新しいカメラの使い方教えてくれた。PCとセットで付いて来た、カメラはなんと、音楽も取り入れられる。5時間も聞けるのだ。プリンタも新しくした。3代目だが、1代目の2代目も殆ど使っていない。2代目は姉貴にあげた。カメラも、使わずにあげた。あげた方が優れもので、600万画素以上のもので、使う前に、メゲタ。でも、上げてよかった。昨日の朝日を録画してくれた。泣き声の後に、カラスが一秒間に横切るのは、感動的だった。画素数が大きければ善いってわけではないことが判明。今回のは200万画素だが、楽天の倉庫に入れるのに、それでも、苦労する。やっと、本文以外のことに目が向けられるようになった。暫くは、画面の構成を考えようと思う。 明けましておめでとう。皆さんはどんな朝日を見ましたか?これが私の朝です。今年未だ家から一歩も出ていません。ではでは。
2004年01月02日
コメント(12)
あはは~相変わらず操作が判りません。本年もよろしくお願い致します。長男家族は居ませんが、そのほかは、甥が一人欠席ですが、今年は皆で親の居ない実家でお食事です。撮影は次兄のお嫁さん。十代・・・1人二十代・・2人(内1人は今年30代になります。)三十代・・0人40代・・2人50代・・2人どれが、どれでしょう。暇な時考えてね!新年のクイズです。普通直ぐわかるって。家族写真が壁紙に成ってしまいました。誰か私に操作ご指導下さい。本年も宜しくお願い致します。
2004年01月01日
コメント(8)
全22件 (22件中 1-22件目)
1