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泡雪が日記をつけ始めて、早一年になる。きっかけは、個人で書いていた文章が、インタ~ネットに繋いでから、ハッキングされ、PCがトラッキングされた。それで、公に文章を書くことで、ハッキングされる価値の無いもの、トラッキングされたら、わかる状態に文章を置く事にした。公にする事は、放縦にかけない部分もある。その代わり、一線を越えない文章の訓練にもなる。ライコスのサイトを使っていたのが、閉鎖され、楽天に吸収され、こちらに来た。移転した時に、HPの形が、作られていた。つまり、最初の時は、背景、構成を自分で行った物ではない。楽天の方々が、移転の時に作ってくれた物を使用していた。一月に、背景等を少しいじれるようになった。しかし、未だ、タイピング以外は不得手。なかなか、修正等を加えていない。最近、お気に入り一覧を加える事が出来た。リンクしてくれて居る人のぺ~ジはログインの状態で更新が直ぐに判るので、優先的に見る事に成る。リンクした人のぺ~ジはトップを見ないと目に付かないので、偶に見ることになる。基本的に自分と違った視点の人をリンクしている。******さてさて。無宗教という宗教。皆さんは、宗教というと、どんなイメ~ジを持っているでしょうか?神仏、が代表的なイメ~ジだと思います。もともと、宗教とは家の教え。示すところです。「宗教というひとつの考えに囚われない。」と言う訓え、考えも又、1つの立派な宗教であること。考えを持って、ひとに話せば、それは既に宗教なのです。自然科学を真理とする宗教。最近の人が嵌っているのは、この宗教だと思います。「科学的に証明されない物は実存しない。」しかし、科学の最先端の人々は、知っています。「この世は、未知の物であふれている事。」「未だ科学で証明されない、事実が沢山ある。」では、自然科学の呪縛に嵌ってしまうのは、フォロワ~。つまり、私のように、自分で研究証明しない、一般の人。既に、科学された事を学ぶ人です。わたしは、最近再び色んな勉強を始めました。主に心理学に興味を持って居ます。心理学は一口に言うと、「心」を1つの独立した物と捉えない。では、どう捉えるか?「感じる事」「それにたいして、反応する事。」感じるのは神経であって、「心」と言う者ではない捉え方です。近年、脳のメカニズムがかなり解明されてきました。私が日記を書き始めたのは、不思議な体験を自分なりに、どう理解したよいやら、探す旅でした。そうして、今、宗教に嵌っている人。勿論、声高に宗教が嫌いだと声する人。(この人もまた、宗教とイウモノに拘りを持つ事に嵌っている。)に出会いました。去年、10月から、クリスチャン宣言をしてから、初めて、聖書勉強しはじめました。(独学・独自研究)目を通した事はありましたが、部分的な理解しかされていませんでした。今手元に子供向けの新約聖書しかないのですが、恐らく私の感じた聖書の難しさは、他の人にも同じ難しさを感じさせる物と思います。次回から、少し聖書に「読みにくい理由について」発見したことを書いて見たいと思います。無宗教の家に生まれたのですが、一才の時に神様に出会って、顔の大やけどを直してもらった事があるので、神様が居る事は知っていた。宗教をしなくても、神とは出会います。では、何故、宗教が必要か?次回から、この事について、書きたいと思います。宗教と一口に言っても、さまざまの考えがあることをわかっていただけたかしら?宗教を好きとか嫌いとか、言う時点で、貴方の宗教が始まっています。思うに、そんな言葉に引っかかって論じる事を辞めればいいと思うのです。宗教は人それぞれにある考えを指す物だからです。それを、分類すると、どれかに当てはまると言う類の物です。私は、「無宗教」と言う宗教の家に生まれました。そして、23歳の時に、偶々ホ~ムステイした人の教会で、聖霊に出会いました。その時点でキリスト・イエスが何をした人かは知りませんでした。イエスがキリストと言う教えを知らなくても聖霊に出会ってしまう人が居ます。そう、私のように。≪聖霊について、聖霊とは何か?≫この事についても私の知る範囲書いて行きたいと思います。またね!
2004年06月24日
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な・なんと!泡雪47歳にして、66時間不眠不休をしまいた。中学校の頃、不眠に挑戦したときは確か、38時間で力が尽きたような記憶が。中学校の時は、部活の体操部もこなす、は~どなものだったが・・・。38時間で就寝。今回こんな事になったのは、普段片付けと掃除をきちんとしなかった。普段居るところは、我が家の客用の部屋。2年ほど前、アパ~トを借りて、倉庫に預けていた物は、アパ~トに運んであるが、普段必要な使わない物が、この客用の部屋にあふれていた。姪が住んで居た時期もあり、不要な荷物であふれている。そこに、籐のガラス板のダイニングテ~ブルを衝動買いしてから、いよいよ動けなくなっていた。12畳の部屋の、一畳の場所でPCを叩き、てれびをみて居た。寝る時は、ロフトのベッドに移動。アパ~トの部屋は、DVDを見るときにしか行かない。そんな或る日。長兄からの伝言。台湾の親戚が一ヶ月滞在する。部屋を、片付けるように。中国から、姉の知り合いが来る時は、片付けは適当なのだが、今回は台湾の親戚。生活レベルが高い。隅々の埃取り、ブラインドを洗うなど、細かい仕事もしなくては成らない。洗面所の鏡も磨き上げ。洗いあがった洗濯物、全てにアイロンをかけること、二日。箱詰めにして、アパ~トに移動。部屋のメンテナンス、二日。13日の昼に起きて、次に寝たのは、16日の朝6時。66時間、食事とタバコ以外は動いた事になる。泡雪は、薬を飲まないと眠らない。眠らない事がこんな形で役に立つとは・・・・。しかし、体がボロボロ・・・。16日、6時にねむるも、10時起床。 切れた電気など、整備と埃とり。17日 テラスの掃除。 来客用の布団干し。 夜、10頃台湾からの親戚到着。長兄と7年ぶりに口をきいた。部屋が整っている事で、兄も気をよくした。 *頑張った甲斐が有って、ホテルのようだと喜んでくれた。18日、冷蔵庫、の掃除と、2年ほど使ってない様子の、業務用冷凍庫を開けると、そこには、氷付けの四角い不思議な物体が出来ていた。雨水が入り込んだのか、空気中の水分でそうなったのか、中は氷の塊。お湯で解凍しながら、中のものを取り出すと、昔、営業していた頃の名残の酒瓶が・・・・。そんなこんなで、泡雪お疲れです。16日久々に眠った時には、かかと・膝・お尻・胸と痛い所が移動。うなされていたので、姉がマッサ~ジをしてくれた。19日に日記を開いた見ると、心配してくれている人が居る事に気がつき、連絡だけ取る。昨日、21時半。久々に読書に時間をとれた。本を読めないと思考が纏まらない。今読んでいるのは、「心理分析入門」宮城音弥著今日、とりあえず、泡雪無事の報告をいたす事に。皆様、老体無理に使うと回復に時間が掛かります。くれぐれも、寝不足なさりませんように。昨日から今日。久々の12時間睡眠。泡雪の平均睡眠は一日12時間。やっと、自分らしく過ごせるようになった。未だ体が痛いのは、両手の人差し指。何故か筋肉痛が取れない。PCが打ちにくいです。
2004年06月21日
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短大時代、浪人中の仲間の家庭教師をしていた。歯科大生の教養科目の、レポ~ト。2年から3年への進級の手伝いをしていた。殆どが、レポ~トの提出だった。その代筆をしていた。その中で、天皇制について、と言う物があった。天皇が神の「象徴」である事。本来は、「象徴」とは、どういう立場かを、書くべきで有ったと思う。わたしは、その部分を、神を思い出す為に居る存在と簡単に解釈した。そして、結びに総理大臣から、表彰状を貰うより、天皇からの方が感じが良い。印象的に心に残る。と書いた。では、大部分を何で埋めたかと言うと・・・・。その頃の、婦人公論で描かれえ居た、天皇が一般の人から切り離されたきっかけの話。(だった気がする。)それと、天皇の給料について、書いたと思う。27年前の話だ。天皇が、リアルタイムに人々に話が報道されなくなったのは、戦後、「神の象徴」と成った天皇は、現人神では無くなった。「現人神」は、神様が、現世に人間の姿を持った存在。天皇=神だった。それ故、天皇の為に命を捨てた。それは、神に命を捧げる事だった。シハ~ドと言って、テロリストが、体に爆弾をつける行為を野蛮と今の人は思うけれど、日本は、「人間魚雷」「神風特攻」と9・11に行われた事を、国民的にしていた。つい、60年前のことである。これは、軍部が「天皇を担ぎ上げ、人々の戦争への「正義性」を疑わせない為に利用された。天皇は天下に起きている事を知らない。軍部の導きで発言していた。最後の、原爆だけは、「誰の目にもわかる誤魔化しようの無い事実。」だから、「戦争の終結を宣言」した。途中、戦火の状況、天皇が、全て報告を受けていた、判断していたとは思えない。それ故、天皇は戦争の責任者とはされていない。それよりも、人で有る天皇に対しての忠誠心、信仰の大きさを大いに評価した。人間を神と崇める事は間違いだが、神だと思う物に対しての信仰心の深さを大切に思った。そして、天皇は神では無く「象徴」。その人を見る事で神を思い起こす存在として、新しく≪地位≫が作られ、今の立場が与えられた。宮内庁に管理された、天皇家。天皇の立場は国家公務員だったと思った。(間違えていたら、ごめんなさい。)当時の給与は、一億6000万円。これは、皇室での公務以外の給与である。私の論点は、それが高いか安いかと言う内容だった。宮内庁の予算は又別。この数字の出所は、当時の家政科大学へ行っていた、友人の教科書から知った。個人の財産であっても、買い求めた品も、高価な物は自由に売買出来ないと言う条件付きのお金。その他の皇族には、皇族維持費として、2千300万位支払われていた。そして、皇室を去るとき、民間人と女子が結婚すると、皇室を出る事に成る。その時には、やはり、2千500万位の、持参金がつけられていた。(皇室維持費と、皇室を去るときの持参金は記憶が定かではない。この部分は数字の間違えを大目に見て欲しい。大体それくらいだったと理解して欲しい。)天皇の給与は教科書に拠ると、一億6000万だった事は確かだ。美智子様が皇室に入られたとき、民間から嫁がれたことで、大分意地悪されたと言われる。宮廷行事で、長い手袋着用のところ、「短い手袋と知らされたり」、大分恥をかかされた。精神的なダメ~ジでかなり、病気をされた。皇后様がご病気で倒れるまで。お顔を見ると気の毒だった。民間からいらした、美智子様の実家の方が、金銭的には豊かな財閥からのお越しだったからとも言われる。今の雅子様より、陰湿な苦労に今の皇太后様は晒されてきた。皇太子の「全力でお守りいたします。」と言う言葉は、過去にお母様の苦労を見てきたから出た言葉だ。食事会の前にシキタリを予行練習されたのは、過去の苦い実際の経験が有ったからだ。「フォ~クやナイフの扱いのお手前から違うらしい。」今の雅子様の苦労はそれとは少し違うと思う。そうした事では、天皇の家族の方が守ったと思う。どこで、苦労されているかと想像すると・・・・。昭和天皇が、メディアに生で出演を出来なくなった始まりの時期がある。天皇が、国民に対して、『赤子』(セキシ)と称されたからだ。この言葉は、「神」の時代に国民を「赤子」(赤ん坊の事)と表現した名残。そうした、言葉が、民主主義となった国民から非難を浴びるのを恐れて、生の出演が無くなった。皇太子があのタイミングで、唐突に「問題を投げかける発言」をなさったのは、生の声を国民に知らせる機会がそれ程無いと言う状態を表している。全て、検閲を通して、編集された物しか、放送されないのが実情なのだ。どこが、それをするのか?勿論「宮内庁」です。天皇家は、自由の無い幽閉状態に置かれているのに等しい。「外国に行けなくて、病気になる?理解できません。」と言う、HP の意見を聞いて、皆は皇室を余り知らないのだと思った。勿論私も、日本生まれ、全てを知るわけではない。しかし、中国の最後の皇帝、溥儀もまた「紫禁城」から外に出られなかった事は知られている。上なる人が≪一番自由が無い状態。≫これは皇室、皇帝など、「偶像の役割の人」の置かれる事の多い状態。その点、イギリスの女王、皇室の場合、自分の表現はかなり出来る。外国の皇室は家業を持っている。年収も毎年違うと思う。今回の招かれた、結婚式は、出会いの場所も民間の施設。日本の皇室ではありえない話だ。勝手に出歩けない。行動範囲は、皇居と御用邸内。皇室の中でも皇太子以下はわりと自由なようだ。昔、私たちの時代で有名だったのは、「華子さん」どうして有名だったかと言うと・・・。買い物中にスカ~トのすそから、下着が見えていたらしい。それで、シミチョロ(昔女子が着用したワンピ~ス型の下着をシミ~ズと言った。)の状態を「華子さんしているよ」と相手に注意をするときに使われた。「シミ~ズがチョロっと見えているよ」とあからさまに言わなくて済むからだ。これは、噂で、私の時代には、華子さんが誰なのかも知らない。お母さん達から訓えてもらった。イギリスに於いては、チャ~ルズ王子とダイアナさんの出版した本を見れば判る。出版する自由が有った。日本だったら、その前に阻止されるだろう。その事が、引き金で、離婚まで発展したようだが、自己表現の自由がある。思うに、雅子様は、私たちのようにインタ~ネットで、匿名HNで自由の発言も出来無いお立場。動物園の檻に監視された動物と不自由さにおいてはどれほどの違いがあるだろう?かなり近い状態に置かれていると思う。公式訪問も、雅子さまが国際を知っているだけに、自由の発言を恐れて、宮内庁が出したがらなかったと思われる。英語も、国際も知らない人形で、物見ウサンなら、自由に外に人形として、出させてもらえたと思う。しかし、雅子様は、世界を見る目を持ち、言葉も堪能。外での発言する時の、言葉の重さや影響力に、宮内庁が恐れて出したがらなかったのだと思う。願っても、宮内庁が企画を動いてくれなければ、外国に出る事が出来ない。国内も、そう自由には動けないと思う。ダイアナさんが地雷撤去運動を起こした事に比べたら、日本の行動制限は比べ物にならないだろう。過去のキャリアに対しての中傷とはそうした、「雅子様の自由の意思による行動」に対しての宮内庁の不信感を指したのだと思われる。天皇は給与を持っている。本来、私たちレベルでは自由に使ってよいお金。例えば、そのお金を寄付されたとする。それだけでも、事が動いてしまう事を恐れたのだと思う。あくまでも推測の域を出ない。しかし、「滅多に無い、≪言葉を編集されない機会≫に国民に実情を訴えた。」この事が大きい。それ程、不自由な立場に置かれている。と私は想像する。今給与がいくらかわからないが。自由を引き換えにするのに見合う値段は無い事は確かだ。
2004年06月12日
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若い人たちから見て、おばさんはパワフル!何が楽しくて、笑っているの?そう感じる事が多いと思う。1つ、よく笑うと、体が楽に成る事を知っている。そして、そのおばさんたちも、若い少女期が有った。そして、≪何故生きるのか?≫そうした考えに、囚われる事が多くあった。早くて、小学校の高学年から。今、皆さんが聞いた事の無い歌。ぺギ~葉山の歌に、「学生時代」と言う歌がある。この歌の中で、「美しい死に憧れた」と言う歌詞が有る。「本棚に目をやれば、あの頃読んだ小説。」「懐かしいあの頃」「学生時代」その歌はヒットしたし、誰でもがそうした時期を通り抜けている。むしろ、正常な成長において、普通のことなのだ。渡辺純一の著書「阿寒に死す」いかに美しく死ぬかに拘った「少女の死」の話だ。生きるヒントを書いている、五木寛之。彼もまた、そうした誘惑を通り過ぎてきているから、生きるヒント等を書くことが出来る。理解がなければ、それに対して、どうアドバイスするべきか発想も無いだろう。だから、「死にたい願望」は思い起こすと、誰にも存在してしまう意識。その条件は、まず、暇があること。失業。定年退職。家に財産が有って、生きる努力をしなくても活かされている人。そうした人が、その意識に捕らえられやすい。何かすることが無くなったとき。存在感の喪失。与えられた課題をエスケ~プしたとき。そうした暇な時間にそうした感情が蘇る。学生は、生きる手段を親任せで生きている実感が少ない。学生時代の「死への願望」「どうして人は生きるのか」と生きる意味を考えると、対極に「死」が存在する。死を、≪この世からの消滅と考える≫安直な死である。そうして、家が食うや食わずの状態ではそうした、意識に囚われる事は無い。子供の頃から、食べる事に参加させられて、≪生きることが当たり前≫に成っているからだ。親を早く亡くした人。こうした人に自殺願望の人に出会ったことが無い。自分で生きているので、生きている醍醐味を知っている。自分の力で生きている人は、生きる面白さを自ずと知るようになる。33歳位になると、一生の自分の持つ時間が漠然とわかるようになる。その時間を何に使うか考えやすくなる。嫌でも、人は死ぬ体。大人になるとき、自力でいき始めると、人生の面白さが判ってきて、≪何となく幸せ≫。生きていることの幸せを感じ始めるとこの死の願望と決別できる。死にたい気持ち。それは、特別な事ではなかった。だからこそ、お互いその事をイメ~ジさせる暗い話を避ける習慣が有った。現在、お互いに血を流す事を共通の話題にする人たち。考えないようにする事もある種大切な事だと知って欲しい。楽しい事で、気を紛らわす。出来るだけそうした思考を遠ざける事。これはある程度、努力は居るけれど。大人になることは、決して、穢れる事ではない。子どもの狡さを自覚して、狡さを修正すること。それと、素直な心を知っていく事。大人ほど、素直な心を持っている。年をとれば、大人になれるのではない。年を取った子どもは沢山居る。私も、かなり、成長が遅い。死への願望は、今の若い人だけの事デハナイ事を知って欲しい。大人の人は、皆その時代を通り過ぎた≪生き証人≫でもある。誰にでも、短気を起こさなければ、通り抜けられる、成長の過程。くれぐれも、その時期に他人任せの、宗教団体に取り込まれない事に注意して欲しい。神との付き合いもまた独ひとり。自分でしか、自分を救えない。誰もが通る道。「死への願望」無事通り抜ける事を祈る。
2004年06月11日
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さて、昨日の答えですが・・・。同調が、起きたのは、(6月6日から、五日間の纏めです。)リスカの考えを聞いたとき、1つの認識をした時点。快楽の一種を理解した事。この時、快感のイメ~ジが作られている事。相手の意識と同次元に成ったのは。どうでも、どうせも良い言い訳に、軽い憤りを感じたこと。聖書に書いてあることに、≪人を、裁くな。≫同じ秤で測り帰されるから。と言う言葉が有る。これは、善人であれと言う教えではなく。もっと、実践的な事である。人は、相手に憤りを感じるとき。同じ、心境を体験しているから、憤りを感じる。理解できない感情にたいして、怒りも感じない物である。親しい間柄。兄弟喧嘩など、プライドがぶつかり合う怒り。これは、個人的な怒りで有る。そして、信頼感の中で、同調を行っている。喧嘩しないと仲良くなれない。意識の同調作用が起きないからだ。意見の対立は善だと私は理解している。(子供の頃の我が家の兄弟喧嘩の最終対決は、くすぐりあいだった。これは、かなりの苦痛。)意識をくすぐられる、部位から移す事を覚えた。そのほか。自分自身がイライラしている。体の苦痛を感じる。空腹時、睡眠不足、生理前や疲労時なども身体的な苛立ちを感じる。それと、車に轢かれそうになったり、癌の宣告を受けた時等、見に危険を感じたとき、無性に腹が立つ、怒りを感じた経験が無いだろうか?こうした怒りは、生理的な反応。体の生命力が湧き上がるときに、怒りに似た感情が起きる。これは、誰に対してと言うより、自身の生きる意欲がそう感じさせる。この時、誰かに八つ当たりしたり、危害を加えた相手に、怒りをぶつけて、実際の行動にエネルギ~変換してしまうと、せっかくの、≪生きる意欲≫に転換される力を失ってしまう。人が、復讐等を達成すると、喪失感に見舞われるのは、エネルギ~を失ったからである。呪いの力。バ~の牧師さんが、祈りで、≪人の不幸を願う祈りはどうなるか?≫という、話に触れた。辞めた方が良い。確かに有効だけれど。人を呪わば穴二つ。つまり、2倍の力を生み出す。相手、そして、自分にも同じ力が加わる。どの時点で、自分に帰ってくるかというと。呪いが完成して、相手に≪それ見た物か。≫≪ざま~ミロ≫≪いい気味だ。(相手の不幸を喜ぶ)≫そうした気持ちを持った時点で、意識の同時性が生まれる。次元の一致が起きる。逆に、祈りの力、人の幸せも又、2倍になる。相手の成功を喜ぶ時、同時に自分にも、同調が起きる。幸せな気分も倍増する。心から、相手の事を喜べる事は、自分をも幸せにする。その時、心に妬みが有ると、協調が起きず、幸せのおすそ分けを受ける事は無い。≪人を妬むなとかの訓え≫は、実に物理的な心の動き。エネルギ~のポテンシャルの話なのだ。勿論、自分が意識的に、得をしたくて、頭で同調しても、心が心が動かなければ、感化されない。感動。感情の動きに自分の責任が起きる。知性は、この感情の暴走をコントロ~ルする役目を持つ。理性を働かせるには、理解力が必要。情けは、人のため成らず。≪自分の為≫≪人を赦す事。≫不条理な待遇。人的災難。人は、どうしても相手を恨み勝ち。私は、怒りや憎しみを感じない人は信じない。それは、どこか鈍い人という感じがする。問題は、怒りや憎しみを自分の中で、どう処理するかである。結局は、相手への理解で自分の怒りを昇華させることでしか解決が出来ない。報復は、憎しみのエネルギ~の増幅作業。尽きる事は無い。加害者の刑罰で、自分が癒されるか?酷い刑罰を受けた相手に、いい気味だとか、気が済むと感じた時点で、同じ不幸を背負い込むことを覚悟した方が良い。不幸の輪廻に取り込まれる。それは、相手に対しての仕打ちを自分の内に描いている時点で、同じ苦しみを享受する準備がなされるからだ。相手の、改心。もしくは、更生を願い。相手の、心の回復を願う人。≪犯罪するとき、心が満たされて居る人は居ない。≫願った人は、その更生する力を自らの物に取り入れる状態なので、心の傷の回復が早い。私の場合。もうこの人の、嘘を聞きたくないと拒絶した時に。同次元の嘘(この場合、それが事実かどうかの問題ではなく、嫌悪を起こした)を理解する心が働いた。事が小さなどうでも良い嘘(誰にもありがちな他人のせいにする意識)だったので、わたしに起きた、同調が軽かった。正義感で、人を裁くと、同じ罪に囚われる。≪してはいけない。≫と言う意識がいつも、その発想を頭に繋げる事に成る。そうして事は、考えない、意識しない状態が一番安定する。この話は、キリストも話すしている事だが、人は、人を殺してはいけない、と自分を律していると、かえって、そうした方向に事態を持っていってしまう。元々そうして発想を心に留めない事が一番バランスが取れる。頭によぎったら、拭い取る気持ちで居る事が大切。その為には、≪自分だけは違う≫そうした驕った気持ちが自分の中のそうした想念を見過ごす。自分の中のそうした思いを、無視していると、意識下(無意識に働き)最も危険な状況に自分を置く。暗示は自分が自覚している時は、掛かりにくい。自分が抱いた気持ちを自分がごまかしていると、(自分が、認識しないで、見過ごすと、その思いは、意識下に記憶される。)意識下の存在は、言語能力を持たない側の脳の蓄積をする、考え方がある。このところ、小学生の事件。窪塚洋介の飛び降り。妙な事件が続く。窪塚さんは色んな役作りをしてきた。いろんな想念の学習をしている。何か無意識なキ~ワ~ドが作用してしまったと思う。正常な状態で、9階からは飛び降りすることはない。それに、死を願う鬱病とも思えない。今回、自分自身が、有り得ない想念。「リスカの誘惑」にであった事で、そうした意識に振り回される気持ちを理解した。(私の場合、認識したので、振り回されていない。意識下に入り込ませていない。)快感をイメ~ジしたのは、相手からではない。自分自身のイメ~ジ。彼女から、伝播したのは、リスカの願望。この二つが合わさった時。自分の中で合体したいした、エネルギ~を自分の中で作り出してしまった。≪悪霊が、他人から憑依したなんて思うことは間違いの元。≫その、エネルギ~は自分が生み出している。そうした、不都合な意識はどこにも存在する。テレビの情報。本の中の言葉。ネット媒体。広告媒体。発信はどこにでも有る。それらの情報を自分の中に取り入れるとき、自分自身の心の持ちようでどうにでも処理される。自分の心のチャンネルが合わなければ、そうした意識に振り回される事は無い。この事を、ここで書いたのは、決して、私が接した相手から、そうした想念、意識が入り込んだ物ではない事を伝えたかった。もし、自分が憑依されたと思ったら、それは自分の心の中のチャンネルに問題が有った事。その≪チャンネルの修正で憑依らしき物≫は解消される。憑依と言う、オカルト用語をわたしは、余り使いたくない。意識の伝播。愛、も、悪霊も自分の中で生み出される物だ。そして、それらのエネルギ~は私たちの周りのどこにも偏在している。自分の持つ心持(チャンネルの合わせ方)で、周りのエネルギ~と同調を起こす時、力が、倍増する。自分の心の責任は自分の振り返ってくる。
2004年06月10日
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暗示はかけられた時点を自覚すると殆ど解除される。暗示の種類も色々。外部からの要因。1.催眠による物。これは、共通の安心感もしくは信頼感(ラポ~ル)の上に成り立つ。2.何度も、何度も、同じ情報を繰り返し、流されていく内に、それが、当然の事として、受け入れられ、行動するようになる。例 スロ~ガン。(ツイテイルと唱える信仰) イラクに派兵した事実の受け入れ。 ドラマにコ~ラが出て来ると喉が渇いた事を思い出し 飲みたくなる等。 日々のニュウス。 殺人、交通事故等を、有って当たり前と受け止める。 今回、イラクの派兵によって、戦争が有る事の刷り込み効果。戦争が他人事でなくなると同時に、参戦する可能性が刷り込まれつつある。国歌の強制。罰則を伴う。(自由意志に対しての束縛)国歌の尊重は本来自発的な行為であるべき事。強制と自発・義務と責任の区別が判らなくなる。尊ぶ心は強制では育たない。強制は洗脳行為。****筒井康隆か星新一か記憶に確かではないが・・・。ある島に、警察官が派遣された。初めての巡査。島の人たちは、その人の役目を知らなかった。そこで、巡査は人の物を取ったりした人を捕まえる役目と説明したところ。人の物を奪うなんて・・・・。そんな、巧い方法は思いつかなかった。と村の人は、盗みと言う事を初めて知ったと言う話。ニュウスは、良い事も、悪い事も同時に伝播する。凶悪犯が増えるのは、手口の発想を、人々に伝えている事で加速する一面もある。******リストカットの存在は一年半ほど前、テレビで初めて知った。教室の教壇の前で手を切るパフォ~マンスをする、少年の存在を知った。その男の子の使っている、携帯が私と同色の同じ物だった。その事は、私の高校時代の出来事を思い起こさせた。Teaカップのチャットかヤフ~のニュ~スの書き込みに、当時の高校での、担任との出来事を書いたことがある。その時使っていたPCは、ハッキングとトラッキングに会っていて、その誘導で書き込みをしていた。ある時、もう1つのトラッキングが入り込み。情報ネットにアクセスできなくなった。すると、テレビから、いくつかの情報が入り、私はそれに従った。例えば、「クロより、赤が好き」と言う唐突なメッセ~ジ。赤い色を画面で追う。バカ~ズ?アメフトか何かの試合の成り行きを追っていた。夜中の試合に不思議な中継がされていた。試合の後、ウトウトして、再びテレビを見ていると、松井が移籍するニュウズが流されていた。アナウンサ~ではない声で、警察系ぽい口調≪そろそろ締めるか。≫と言う声の後、松井の顔が何重にも崩れて、妖怪の鬼の顔のように変わった。そして、再び声が。≪手なんか切るからだよ≫突き放す言い方。松井は、不思議なコメントをしていた。『4年に一度は会えますから。』外人のどこかの監督らしい人が・・・。『こちらの世界に留めて置きたかった。』と酷く涙を流していた。不気味な光景だった。異様な放送。映像は、どうにでも作れるけれども・・・・。意味が判らない。しかし、どうやら、私も手を切った経験がある。二つの世界に分かれる?松井と同じ括り?松井は手なんて切っていない筈。すると、あの声の意味は不気味。習慣性のリストカットは私とは無関係と思って居たが・・・。ある意味で、わたしは教室で手を切った初代でもある。それにしても、松井の顔は怖かった。正直ビビッタ。何よりも、私はイチロウフアン。松井が好きではなかった。イチロウが余り見られなくなる事が残念だった。その後、テレビでは、ゴジラばかり。イチロウいつ会えるのよ~!≪現在あれから、一年少し経った。松井が帰ってきて、別の松井が投入されたようだ。イチロウと松井は今同じ世界?うれしいな!≫先日、松井がクロと白のネクタイしてた。ふふふ。無事生還。≪私的な心の世界≫番組中に暗示が入っていて、不思議な番組を見たようだ。意図的な何かを感じた。一度も二度も一緒だから。手を切った罪は有る。少しリストカットの人たちの観察をしよう。*******これが、私がリストカットの人たちに関心を寄せたきっかけだ。去年の或る日。自殺に過去失敗した人が尋ねてきた。首を切って死に切れず、マンションの5階から飛び降りても、死ねなかった人物。(親しい人ではない。)断酒会に連れて行ってもらった事があるだけの付き合い。私は、アル中ではない。社会見学で一度顔を出して、メンバ~のコインを貰った。「切った時に全身の細胞が抵抗して、地獄のような恐怖感が走らなかった?」と聞くと。『いや。そんな感覚は無かった。』と答えた。私が切った時、有る意味で健康状態。想像と体感は偉く違った。鬱でもなくて、むしろ、冷静に担任と戦っていた。問題を公にして学校を脅す為にした行為。担任に追い込まれた退学はこの事件で、回避された。死にたいと思う鬱状態においては、ショックの生理反応は起きないようだ。*******ホームページで、リスカの人たちの物を読むが私にはやはり、理解し出来ない心境だった。了解にしか至らない。只、健康を取り戻すように祈るだけとなっていた。*****先日、朦朧とした状態で、家を尋ねてきた女の子は、先月あたり、リストカットに触れていた。この子の面白いところは、そんな気に成った時には献血に行くと言う事が、面白かった。一年前、ライコスの頃の知り合いだ。死にたい気持ちに対して、コメントを書いたとき、普通は、親の死に目とか親戚に死が初めて現実の死を見るよね。と書いたところ、「震災で身近に沢山の死を見た。」と返事が来た。自分を超えた体験をしている人に対して、私は何も言えないと思い、発言を控え、ライコスの閉鎖と共に縁が切れたと思って居た。それが、私の日記にアクセスしている人が同じ人物と知るまで時間が掛かった。人格が入れ替わっていたからだ。私が、彼女に異常に肩入れしたのは、この人格の入れ替わりと意識の退行を見て、非常に危険な感じがしていた。以前の彼女は割と知的で好感の持てる人だったからだ。色々有って、お母さんが迎えに来て、その夜お母さんと3人で少し話した。夜中に、電話をかけたり、ネットカフェに行きたがったり、未だ、行動がはっきりしない状態だった。後に、それらの一連の行動異常は、生理前の不安定が極度に出た物だと判った。生理の影響で脳梁が狭くなる人が居るらしい。右脳と左脳の別の人格の話は、別に機会に。3人で、話をしている時に、自分のプライドが傷ついて、死にたくなる話になった。そんな時、自傷することで生きている実感を得るという。彼女が実際にリスカをするとは知らなかった。お母さんが『気持ち悪い。判らないわ。』と言うのに私が答えて、「切った時、全身が抵抗して、震えがくるのよ。」と言うと。彼女は、『そこまではやらない』と言った。その時私が、思ったのは、なんだ、1つの快楽か。心配する人の気持ちの苦痛は考えられない、自己満足の為か。私の中で、リストカットは切り捨てた。********帰宅後、2度ほど、電話が有った。自己破産に対する心配についての相談。事故の処理以外実際に、彼女はそれ程使っていない事、保険でカバ~されれば、実際の借金はそれ程の額ではない事。『一億?20万?』と金額を聞かれたが、悪用するといけないので金額情報は入れない。と断る。興味があるなら、自分で調べてと言った。自己破産は一度は、5年ほどで復帰できるけれど、それより怖いのは、簡単にはされないが、禁治産者の手続きだと話しておいた。お母さんと巧く出来たら、誰とでも巧く行くから。何かの話の折に、彼女は自分は正義感の強い方だから大丈夫と言った。わたしは、その正義感が物事を歪めている気がする。その後、彼女に注意した事は、事故を起こした時、15歳の子どもを連れ出していた事。「未成年者を遊びに巻き込まないようにね。責任の範囲が違うから。」『それは、その子が年齢を詐称していたんだよ。』と問題のすり替えを始めた。≪私は、その時少し憤りを感じた。≫「もう、この問題は話すの辞めよう。これ以上貴方に嘘をつかせたくないから。」「元気になったら又おいで。今度は人に心配かけない状態でね。」そうして、電話を切った直後に、左腕にリストカットの誘惑が取り付いた。*******通常、暗示の場合、いつ暗示に掛かったか、解明できると解除される。この場合、段階的に刷り込まれた状態と、感覚の伝播は相手と意識のチャンネルが同次元に成った時に起きる。これは、愛についても同じ事、チャンネルが合わないと意識の伝播はしない。さて、この場合、いつ、チャンネルが合ったか気がついた方いますか?一旦切ります。*******昨日読んだ本邪馬台国はどこですか 鯨統一郎 創元推理文庫催眠についての説明は、この本の引用。精神分析的なことは、今回省いた。******
2004年06月09日
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最初に、お礼を言います。昨日、20時過ぎ、不思議なダイヤ型の白い発光が左腕の近くに有り、妙な誘惑する、意識は消滅した気がしました。快感をイメ~ジされる事は、無くなりました。≪ちょっと、自信ないけれど≫イメ~ジと頭で考える事は少し違います。頭で認識、するだけでなくて、その時点に無い感覚の記憶を伴った物は、苦手。二人以上の誰かが、無意識に「ふと、私を思い出してくれた事。」それが聖霊に祈りとして通じたと思います。祈りは日常の中で、「ふと、心から思うこと」が作用します。教会で、カシズイテ、祈る祈りより、≪人前での祈りは余り効かない。≫心から出た、思いの共時性が不思議な聖霊の力を動かします。そうした意味で、フランス映画の「道」の中で、娼婦と老人の会話が心に残っています。「人は、上を向くにも、下を向くにも、全ての事に責任が有る。」行動に移すより前に、神なるものは≪宗教に囚われない、絶対的なバランスの神≫心と繋がっています。それは、宗教嫌いな人にも、生ける物万物に及ぶ力です。心が発信受信する物であれば、人に向かって嘘をついた所で、神の前では何の意味も無く。試されるのは、「嘘をつく動機」です。心は強くても、体は弱い。そう理解されている≪神≫は、自分を守る為についた、嘘を責める者でも有りません。究極のバランスの神は、善悪を1つの秤で計りません。物事の両面を知っているからです。表に表れる善行よりもむしろ、隠れた、裏の意味に光を当てます。私を心に留めてくれた方々に感謝します。≪日記を読んでない方も含めて。≫*************土曜日のバ~に戻る。離れた席に座っていた、男の人が、傍に来た。『何の本読んでるの?』机の上の本を手に取る。≪宇宙を見つめる人たち D・ゴ~ルドスミス 新潮文庫≫「これお勧め、取り寄せて読みなよ。安いし内容濃いよ。」760円。分厚い。『古本だと半額だしね。』半額の値札をつけたまま、カバ~もつけづに持ち歩く私。「≪空想と知りえた科学の事実を分けて考えて欲しい≫というのが著者の意図なんだけれど、現実の方が、空想を遥かに超えてて、面白いよ。」と言っても、私の空の知識は、オリオン座と金星しか、見分ける事出来ないけれど・・・。暗黒物質のことについて書いてあるの。視覚的に認知できない物体。私たちの、知っている、原子と分子の構造を持った、物質外の存在とか。光子や、波長のことについてもわかりやすい。「天文学って、世界で2番目に古い職業なんだって。≪僧侶≫等。」「一番古い職業何だか知ってる?」隣、の女性が応える『売春。』「さすが皆さん、よくご存知。」***********男の客が、杯を隣に移して、本格的に話し始める。最近、27年振りに宮城音弥の本を読んでいる話をすると・・・。彼は、心理学専攻・教育学部を修得していることを知る。6年勉強したけれど、教育の現場には行かなかったらしい。彼の、先祖の墓は、***宗。隠れクリスチャンの系統らしい。私の思ったとおり、寺には詳しくない私が思っていたのは、≪実際のクリスチャンは表に姿≫を現さない。イエスなる存在を知らせるクリスチャンと、実際働くクリスチャンは違う。イエスなる人の偉業。人格のある≪聖霊≫を神の国から、下した人がイエス。それ以外の不思議や奇跡は、その偉業を知らせるための道具に過ぎない。キリストの名をイエスだと、人に押し付ける問題ではない。知る人が知ればよい事なのだ。まして、教団に勧誘などと言う行為は、クリスチャンとしては、可笑しな行為。必要な人が、自然と求めて力を合わせる事を目指している。それ故、≪愛≫と名づけられた、意識を有るエネルギ~の存在が一番重要になる。そして、その「エネルギ~を知る事ではなく働かせる事。」≪人が認識する、善が悪の場合が有る。善悪や、正義感で物事を考える事が一番危険な事なのだ。≫大切なのは、調和。究極のバランス。それ以上のものは無い。多くの奇跡は、科学できる。多くの不思議は、アインシュタインの予言で、解決される。 『アインシュタインって、神を知っている人だよね。』と彼が言う。 「私もそう思う。」それ「アインシュタインが示唆したこと」を、どう使うかで、人間が試される。又、今日も脱線気味。暗示について、少し触れておく。≪詳しくは明日こそ書く。≫暗示は、本人、もしくは第三者。催眠術など。いずれにしても、意識の有る状態では掛からない。無意識に拠って、なされた事が暗示と成って、働く。私たちは、日々ニュ~ス、ドラマ、その他の諸々の情報によって、暗示に晒されている。コマ~シャルは暗示の実践されている、ケ~ス。一時期サブリミナル効果狙った物まで登場。意識されないで、刷り込まれた者が一番効果が有る。この使用は確か、禁じられて居るはずだ。では、意識下で、暗示がどう働くか。そのことについて、明日こそ書きますね。昨日読んだ、本。大槻博士の ふしぎ・おもしろ科学 知的生き方文庫 三笠書房宮城音弥の「精神分析入門」 岩波新書 C66
2004年06月08日
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(前日に続く)「今回ね、リストカットの誘惑に駆られたんだけれど・・・。」「その意識がいつ入ったかが、問題だったのよ。」ちょと、短期家出した子を、保護したんだけれどね。病院の保健婦から、電話が有って、家族と保険証の事で連絡を取った。家族にも連絡が入っていた。口がきけないと、申し立てしているらしい。検査の許可と二日ほど入院させる事になったらしい。大丈夫ですよ。口はきけますから。病院まで一分程ですから、後で行きます。その子が、救急車で運ばれた、連絡を受けて、≪盗難に会ったショックで口がきけなくなった。≫と筆談した。らしい。検査が終わり、車椅子に乗って移動する状態で行き合わせた。話しかけると、年配の看護婦が『問診するまで待ってください。』と引き離した。暫く待ったが、パジャマを渡して、下にタバコを吸いに降りる。病棟に戻り、病室を聞きベッドを覗くと、爆睡している。「睡眠不足か~。」パジャマが枕元に置かれたまま。若い看護婦と少し話す。口がきけないという申し立てに対して。「それは、有り得ませんよ。」「恐らく、何を言って良いか判らなくて、黙秘してると思う。」簡単な経緯を看護婦に話す。盗難から日にちが経っている事。その前に交通事故を起こしている事。それと、本人が普段使って居る、薬を調べて報告した。目が醒めたら、連絡下さい。家に一旦帰った。病院から、再び連絡が有った。電話を自分でかけられないから、来てと看護婦が言う。病院に着いた時、携帯をもって、電話をしに下に行ったという。暫く待って、戻らない。「口きけたでしょ?」看護婦、『ええ。』時間は大分経っている。一階を見ても見当たらない。「何もって、出ましたか?」『携帯と財布。』「不味いな。不安定だから気をつけてって言ったじゃ有りませんか。」看護婦も、探しに行く。病室を点検する。パジャマには着替えているみたいだ。「着替えてますね。それ程、オカシクナッテは居ませんから遠くへ行っていないと思います。携帯に電話してもらえますか?」病院内は携帯を使えない。外線で本人を呼びだした。看護婦。「もしもし・・・・・。」「病室に戻るように言ってください。」看護婦『駄目だ。無言で切られた。』『全館放送しましょうか?』「ちょっと、待ってください。下に行って私が携帯で、呼び寄せて見ます。」彼女は未だ、わたしには、口がきけない演技が伝わっている事を知らない。『もしもし。』「あ~私。タバコ吸うところで待っている。場所わかるよね。」なかなか来ない。「場所わかる?タクシ~乗り場のところだよ。」勿論やりとりで、会話をしている。なかなか来ない。「今どこに居るの?」電話はプツリと切られた。これは、都合が悪いと、彼女は電話を切る癖がある。病棟で待つ事に。携帯に電話が入る。「病棟内、携帯禁止だから、病棟に戻って。」とだけ言って切った。看護婦に、連絡が有った事を報告。『病棟わかるかしら?』フラッとエラベ~タ~から降りてきた。病室に入って。頭に手を置いて、諭す。「口きいて、大丈夫だよ。」問題は、一人で抱え込まないで。嘘をつくと、誰も貴方を助けられなくなるよ。持ち歩いていた、全てお貴重品を本人の確認と認識の上預かる。電話のカ~ドと携帯を残す。ドクタ~が割って入ってきた。消化器系の医者の依頼で、口がきけないということで着ました。精神科の医者だ。話をしているのを見ているので、早く用を済ましたいのが見える。「ちょっと、待ってください。」貴重品の点検直ぐ終わりますから。型道理の、問診と症状と、今処方されている薬が合っていないこと。旅行中と言う言う事ですが、早く家に帰って、主治医と薬の検討を相談する事。のアドバイス。入院中の薬は、この病院で処方する旨を述べた。「お母さんが明日迎えに来る事に成ってます。」『そうですか。』続いて、私と話をした看護婦の入院に際しての問診。結局、最初の看護婦は何も話を聞きだした居ないのか。『今何か心配事は?』『お母さんが怖い。』「大丈夫。心配しないで、事故のことも全てお母さんには伝えてある。」都合の悪い事を嘘でごまかすと、本当の自分が判らなくなるよ。問題は抱え込まないで、皆で解決しよう。一人で、生きてはいけないし結局迷惑かけるなら、最小限に留められるようにね。その後、彼女には迷子札をつけられた。*********店では、細かい事は話さない。彼女を諭す時に左手を彼女の頭に乗せた。諭しをしたけれど、癒しをしたわけではない。≪聖霊の癒し≫と言う物がある。マスタ~『よく、宗教の高僧とかが、除霊とか病気癒しとかするじゃない?よくあることだけれど、へんな皮膚病で死んだり、自分が命を落とす事が多いんだよね。』私に、シンという名前をくれた、中国の超能力者も去年急性の癌で死んでいる。この超能力者は、日本のテレビに、≪気で、象を倒す≫ようなパフォ~マンスをしていた。私は見なかったが、見世物として、力を使い。病人の癒しをして、お金を取り自分で病気の全てを背負い込んで死んだ。聖霊に拠る癒しも、一人ですることは危険とされている。得たいの知らない、霊が入り込む恐れが有るからだ。聖霊だと自分が思い込んでも、低級霊である場合もある。聖霊と接触の有る、人は違いは判るけれど、「不思議な力を起こす殆ど、普通の人(宗教の高僧といえども)が接する霊は、多かれ、少なかれ、低級霊が多い。」≪聖霊≫には人格がある。もし、貴方が思うとおりに癒しが起きたとしたら、気お付け他ほうがいい。必ず、代償を求められる事になる。聖霊は、本人を導く時に働く事は有っても、病気の癒し自体を目的としていない。その病気は別のシグナルであったりもする。聖書にも、その人を守るために、働かせない為、病気を起こして、足止めさせたり、する場面がでてくる。聖霊との付き合いを知っている人は、病気の癒し自体には重きを置いていない。あくまでも1つの働きで、癒しは自分の体を介して、働く者ではない事を知っている。触れなくても、祈りで聖霊を届かすことが出来る。そして、聖霊の意志との≪合意≫が有った場合に癒しが起きる。********つまり、その子と実際に接している時ではなく、帰った後。電話で話したときに、電話を切った後に≪リスト・カット≫の誘惑に出会ったのよ。「その意識はね。具体的に、どこを≪切る部位≫どのくらい切れば、どのような快感が得られるか、私にイメ~ジさせたの。」勿論、想像と実際にするのとは、得られる結果≪感覚≫は違う。「でも、一度でも、興味本位に軽く切ったら、その思いに捕りつかれるのかな~?」というのが私の疑問なの。実際切れば、≪その快感は得られないはず。≫でも、快感が得られると言う思い込みは外れない。繰る返す事になる。話が長くなった。暗示、催眠の効果については又明日。
2004年06月07日
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昨日、牧師の経営する、例の店に行った。先週、お客を伴っていったから、こう頻繁に行くのは珍しい。そして、この牧師は、私の唯一の駆け込み寺でもある。彼とは、年が1つ違う。そうした意味でも近い。彼は、正当にキリスト教を勉強した後今の商売を始めている。その経緯は、良くはわからないが、教会と屋根で、偏った人と生きることを、避けたのだと思う。そして、私もまたクリスチャンの友達は一人も居ない。この牧師に、洗礼の後の、自分の悩みを打ち明けた事がある。その時、この牧師は、水の洗礼を施した、私の教団を非難した。私が洗礼を受けた時。自分の意思でお願いして、ハワイで受けている。そして、宗教に対して、何も知識の無い状態だった。しかし、宗教的に無知な私が、洗礼を受けるに至ったのは、聖霊が私に下った、経緯が有った。何故、キリストをそして、イエスなる人も知らない私に降りたのかは、長年の謎だった。私が体験した事が、聖霊による、洗礼だろうと知ったのは、聖霊が降りた時、居合わせた教会員がわたしに聖書を渡した。「貴方はクリスチャンになる。」彼らは、私だけにそう言切って居る事が不思議だった。そして、聖書を読んで、自分に体感した事が、聖霊体験だった事を知り、3ヵ月後水の儀式を受ける意志を示した。そして、再びハワイの教会を訪れ、クリスマスの二日前。12月、23日に水のバブテスマ(儀式)を受けた。話をする時に、クリスチャンなの?と聞かれて、「違う。」と応える事の方が面倒になったからだ。その後、私は大いに悩みの生活に入る。実際、聖霊に出会ったとはいえ、全てを悟る人になる訳でもなく、アメリカ本土から来ていた老婦人を見ると、なんと我侭で、人格に優れた人間とも思えなかった。そして、水のバブテスマを受ける前後から、所謂、ポルタ~ガイストに悩まされる事になった。そして、日本で偶然出会った、このバ~を経営する牧師は、年齢も近いこと。それと、彼が私の洗礼を受けた教団を非難した事(誰にでも洗礼を施すと)で、彼とは一切の宗教談義はしない。しかし、霊的と思われ事の確認には実に頼りになる。自分ひとりの判断で、物事を認識する事を私はしない。一週間ほど前、オカルト用語の「憑依?」と思われる現象に見舞われた。わたしは、日記を書かない間、こうした事を分析していた。そして、その報告と、確認の為に昨日、再び牧師を訪ねた。一旦切ります。夜に更新します。ただいま~。まずらしく、予告どおりに更新します。さてさて。私が、クリスチャンに成ったいきさつは、少し通常とは違う。そして、最初からの疑問。1.もし、キリスト教を知らずして、一生を過ごしたら、神の基に行き着けないのか?2.教会以外で聖霊体験をしたら、それが、キリストによるものと知る事が出来るだろうか?私が、聖書を読んだ後にまず、感じたことは、サタンとはどんな者?実際の具体的な言葉によって、定義する事。その他もろもろの宗教用語、オカルト用語を科学的な説明で普通の人にも理解できる事柄で、説明できる必要が有る事。聖書を最初に読んだ感想。どの部分を読んでも、「愛」を中心に置いた前提で書かれている。愛を前提に、理解していかないと、言葉の部分を切り取って繋ぎ合わせると、とんでもない内容に転化してしまうこと。A それ故、判らない部分は判らないままで、妙な解釈や推理を働かせない注意が必要。B書かれている不思議な事象に心を囚われず、その事によって何を伝えたいか、心に目を持って、文章を理解する事。 例、ノアの箱舟の洪水は本当に有ったかどうか? キリストの、処女受胎。 サラの百歳の妊娠。エトセトラこうした謎に、心を惑わせず、事実の追求よりも、大切なのはこの一冊の本が、全体の中で、何を伝えようとしているかを知る。不思議は不思議のまま、心に記憶しておく。後に、必要となる事がある。必要以上に聖書に頼らない。(やたら、こじつけた考えを持ちたくなかった。)こうした、読み方を私はしていた。そして、実生活の中で、神との関わりを探した。**********昨日、店を訪ねたとき、一人を除いて、全員女性客だった。暫くすると、一人の男性と、女性が残った。この女性は偶々、クリスチャンだった。シンクロ二ティ~を、聖霊を知る人は大切にする。場にふさわしくない時は、話をしない。他の客に、不快感を与えるからだ。そして、私が、、問題を抱えている時は、金曜の夜土曜の夜でも、他の客が居ない場面に出くわす。まるで、私の為に時間が用意されたような・・・・。客が落ち着いた頃を見計らって・・・・。「マスタ~。憑依って有りと思う?」『有ると思うよ。』『不思議体験、超常現象を体験したいと思えば、荒行すると、たいていの人は、不思議な力を感じるよね。』『でもさ~。例え、見えたからって、瓶が遠くに移動したからって、なんなのさ。って、事に尽きるよね。』『一番怖いのは、そうしたときに、神の力を得たと本人が思い込んで、確かに不思議な、力は得ても、それが、狸や狐の(低級霊)だったりするんだよね。』『苦痛に拠って、弱った時に、入り込むのはそうした霊が多いんだよね。』一同、激しく同感(禿ドウ?)「いや今回ね~。確かに疲れていたのだけれど・・・・。」「なんと。リストカットしたい誘惑に囚われたんだよ。」「勿論、わたしは、実際に傷(手術や怪我)を全身に負っているから、誘惑には負けないけれど、この私が、そんな感覚を受ける事自体が、≪在り得ない≫という感覚だった。いつ、そんな意識が入り込んだか検証した居たんだ・・・。」****この問題は、神経質なことなので、何回かに分けて書くことにする。この続きは又明日。
2004年06月06日
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少し前、美味しい物食べたいな~と思って居た。まり~さんはよく、訪ねてくれる。私も伺いますが、いつも写真の料理がすきっ腹に毒。長野は、自分で車を運転しない私には、行きにくい場所。いつか、姉と旅行に行く事があれば、寄りたいと思って居た。販売をしている事は、知って居たが、商売上で知り合っていないので、きっかけが無かった。マリ~さんが、日記のアクセスの記念に商品をオ~クションにかけたのをきっかけに、美味しい物、詰め合わせと言う、迷惑な注文をお願いした。そこは少し、甘えさせてもらって・・・・。商品を、吟味すると、その時点で、有る程度、味への思い込みが出来て、驚きを味わえないからだ。先月の中20日頃に商品が届いた。実際、冷凍で、どれだけ美味しい物が届くのか疑問だったし、どの程度の状態で、届けられるのか、想像もつかなかった。届いたパスタは、生麺。家でパスタの乾燥した物は食べるが、生麺は初めて。姉が帰ってきてから、ゆっくり味わう事にして、そのまま冷凍庫へ・・・。この日曜日から、ピザから食べ始めた。感動です。ピザは、嫌いではないけれど、それ程でもなかった。美味しいの一言。ピザの生地が美味しいと感じたのは、初めてです。こちらの方にも、釜で焼いている店は、東京では知っていますが、これほど美味しいとは思いませんでした。使っている粉の配分が、美味しいのだと思います。具の乗っていない部分の耳が最高に美味しかったです。勿論、お試しのフォ~カッチャも文句なしに美味しかった。パスタは、もう心が震えました。パスタ事体は勿論。具の素材も吟味された物。「料理は愛情ですね。」一食づつ、別られた、ソ~ス。二人で、2種類を分けて食べて、残ったソ~スを温野菜や生野菜とアボガド等と合えて、サラダを楽しみました。飲み物は、コンガスとコ~ヒ~で。外食でも、姉と二人でファミレスでも、一回で3000円~4000円使います。その2回分で、二人で4回楽しめました。金額で高いか安いかは判らない物です。食べた時の満足度は、物凄い物でした。はっきり言って、「お値打ち」でした。私の料理の評価に、美味しいというものの中で、味がよいだけではなくて、素人には出せない味を評価します。素人の「お袋の味系」の商売をしている人に多い、料理で人をひきつけようとする「媚の入った味」が嫌いです。「どうだ、美味いだろう」と、「職人の腕を誇る味」も、神経質で、喉を通りにくいです。料理には、気持ちが入ってしまうから、不思議です。まり~さんのところの料理には、いやらしい媚のない、阻止付けがましくない優しい味。単純に美味しいと認められる、「美味しい物を食べさせたいプロの味」を感じました。家庭で気楽にプロの味を楽しめるのは、凄い事です。冷凍で、ここまで届けられる事に、驚きました。姉とは、食事の時しか顔をあわせません。お互い邪魔されるのが嫌いだからです。電話で、お互い相手の都合を聞き、一緒に食事をするか決めます。仕事の時以外でも顔を合わせない日も多いです。片付ける元気の無い時は、外食を共にする事が多く有ります。ファミレスを比較に出したのは、料金の設定を知らせるため。内容は、比べるのが失礼に当ります。美味しい物は、美味しいねと一緒に食べる相手が居て、本当に美味しく味わえます。姉も「親しい人への心のこもった贈り物」として、是非使いたいと言っていました。外食を余り出来ない、老人家庭にはお勧めの品です。いろいろ有って料理の感想が遅くなりました。ここの報告いたします。まり~ジョ~さんへ感謝感謝です。近いうち又、お願いいたします。
2004年06月03日
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23年前の話です。別れを決心した時に、記憶を消した。自分で暗示をかけた。思い出すことが辛かった。身内の者が、面会室から中へ入れない、危ない病院に一年入院した。現実身内にそうした人が居ないと、病院の現状や良し悪しなんてわからない。男女混合病棟で、イキナリ切れた男の患者に一度目にパンチをくらった。男の看護士からも通りすがりに、何かが気に障ったらしくピンタを食らった。部屋から、極力出ないことにした。かなり、やばい状況に身を置いたと思った。私は、親にリンゴを差し入れてもらい、一日一個のリンゴを食べ、眠り続けた。病院の食事を食べると太る事に気がついたからだ。週一に親が面会に来た。起きている時間は、差し入れの写真週刊誌を読むことで、文字を思い出していた。親とは、毎回、書かれた記事の事で会話をした。そのほかの時間は殆ど眠った。時期がくれば、退院にすると信じていた。ほぼ一年居たと思う。医者は偶然奇跡的に直ったと説明したらしい。当時、病気は治らないものとされていた。退院後その先生の、クリニックに通った時に、看護婦さんに救われた。表で待つようにメモを貰い。この先生可笑しいから、他の病院に紹介状を貰って移る事を薦められた。風邪で来た患者も心療内科として、病院に繋いでしまうらしい。看護婦から見て、わたしは、普通なのに、薬で朦朧とした状態に見えたらしい。何年か後、日産の嘱託医に、この先生に回された患者から電話が有った。この先生に自分の人生を、目茶目茶にされたと電話が掛かってきた。(3人ほどこの時期電話番号の交換をしていた。)ドクタ~との出会いは、実に人生を分ける。医者を選んだ自分の責任を自分人生が負うことになる。看護婦も誰彼にも、その医者の危険を知らせたわけでない。偶々私にはどうにか助けたいと思ったのだろう。時代は未だ、精神病に治療に明確な治療法を持っていなかった。その後先生に、看護婦から教えられた病院に紹介状を書いてもらった。それで、その先生とは別れられた。その病院では、私の飲んでいた薬を見て、笑っていた。『薬で、病気は想像は着くけれど、その薬捨てないほうがいいよ。歌舞伎町あたりで、5万円で売れるから。』そのドクタ~の危険を知らされてから、薬はもう飲んでいなかった。家の近くの病院に行く事を薦められた。家の近くの労災病院では、経緯を話すと、『直ってしまったのでしょう』といわれた。通院の必要はないと言われた。それと、私の入院に関した事で、ある事情に関しては、口外しないよう、注意を受けた。実際、恋愛事変が引き金には成っているが、その下地を作ったのには、人に言えない秘密が有った。今の私の知識で言うなら、ド~パミンの分泌を促す、薬物を私が違法に使った事だ。元々、ナチュラルハイの私が、友達をいる時に、どういうものか知らないで、吸引してしまった事。普通の人には、大したことではないのだが、私の場合、元々、分泌が多い性質で、吸引によってド~パミンの分泌が止まらなくなってしまったのだ。アルコ~ルが少しでも、引き金に成る人がいる。私の場合は、ド~パミンの分泌が人より多いので、麻薬の一度の吸引が脳内物質の分泌異常の引き金になった。恋愛関係が始まる前に、病院で3ヶ月の投薬観察を受けた。異常が見つからない事で退院。薬のその後の投与は無かった。その後、病院勤務の時、点滴の乱用で自律神経がやられた。薬物の乱用は、気をつけることをお勧めしたい。私の場合、生理食塩水の点滴の乱用でも、同じ現象が起きる。疲れたときに、薬品に頼ると自分の体が作らなくなる。出来るだけ、経口で食品から摂取しないと、バランスを崩す。ワ~カ~ホリックと言う病名が着いた。姉が、私に心配の余り干渉する事が病状を悪化させるのを見て、大学病院のドクタ~が個人病院の紹介をしてくれた。投薬無しの治療をうけた。***********今回の場合、お母さんも事情をやっと飲み込んでくれて、大学病院に受け入れを取り付けてきた。掛かりつけのクリニックでは、対応を拒否されたようだ。区役所の職員も、心療内科の先生の要請が無ければ、紹介出来ないと突き放された。私の知る限り、実際緊急の時、病室が無くて緊急用ベッドは病院の当番で確保されているらしい。********救急病院に行き。本人の口がきけない演技を解く。病院では、盗難のショックで、口がきかなくなったと筆談したらしい。病院に行くと、看護婦は私と話をする前に、本人に問診をする為接触を待たされた。パジャマを看護婦に渡し、一旦離れる。暫くして行くと、服のまま寝ている。看護婦に、目が醒めたら、連絡をくれるように言う。電話番号を知らせる。病院に来るまでの事情説明を看護婦にする。盗難からは時間が経っていて、口をきけないのは嘘だという事。それと、彼女が普段使用している薬の種類を、調べて知らせた。病院から、連絡があり、行って見ると、行方が判らない。看護婦もあわてて探す。パジャマに着替えていたので、遠くへは行っていない。携帯を持って出たというので、病棟から電話をしてもらう。交換を通しているのに、繋がれると無言で切った。その後知らない振りして電話した私とは、話している。タバコを吸うところで待つ。来るのが遅いので、もう一度連絡。「どこにいるの?」と聞くと。電話を切られた。病棟に戻って待つ事に、電話が入った。口がキケナイという、申し立てで、神経科の医者が尋ねてきた。既に私と話をしている状態を見て、軽く問診。薬が合っていない事。早い内に自宅に帰って、心療内科の先生に、薬の事を相談するように言われた。テレホンカ~ド、携帯を残して、本人の了解を得て、貴重品全てを預かる。迷子札をつけられる。**********荷物を点検させてもらう。キャシングをしている。事故の、処理状況を確認。領収書を整理する。口座の伝票に、十万以上有った。救急入院が親との連絡を楽にしてくれた。保険証を持っていないので、退院できない。おまけに、口が利けない事に成っていた。救急病院に収容され無ければ、恐らく、無自覚にどこかに消えていた事だろう。症状として、行動に一貫性が無い。自分が何をしているのか、時々判らなくなる。自分の立場を守るための虚言癖がある。************20日朝の一時に連絡を始め、、夜に自宅をでた。、22に交通事故。(加害)25日に私の所に来た。、26日に盗難の申告。27日に救急車で、病院。(検査の結果身体に異常なし)遅く帰った後、夜中にマトリックスを2巻見ている形跡がある。思うに寝不足と、キチンと食事をしていないので、立ちくらみで倒れたと思われる。短期間にこれだけ問題を起こす事は、普通の状態ではない。お母さんに会ったとき、「行方不明になったほうが良かったですか?」と聞いた。私は、今回自分が余計な事をしている。病気は認識した後、その後の治療に時間が掛かるし、経費も掛かる。何が本当は何が良い事なのかは判らない。行方知れずになったほうが、家族の負担は少ないだろう。問題は、諦めきれるかどうかだ。何が、良い事なのかは、本当のところは判らない。昨日夜中の3時ごろ本人から連絡が有った。入院が怖いと言う。入院が決まったわけではない。必要なら、受け入れの環境が整っただけだ。適切な治療を早期に受ければ、回復は早い。他人に嘘をつくことは大きな問題ではない。もっと、問題なのは、嘘をつき続けることで、自分をも騙し、自分を失ってしまう事がもっと怖い。現実の自分に戻れなくなる。入院を怖がる人は、自分を変えられると心配する。本来の自分を取り戻す事であって、変わることではない事。正常な成長を取り戻す為に、適切な病院の助けを借りる事は決して、怖い事ではない。3食食べて、キチンと眠る生活で、かなり、回復する。病院や薬は、それを助けるだけで、直るのは、本人の回復力。そして、私が彼女を保護した理由は最初に文章に出会った頃好感の持てる子だった記憶からだ。一日も早く、自分を取り戻して欲しいと願うばかりだ。********長い一週間が終わった。金曜の夜の親が到着。遅くなったので翌日帰ることに。金曜の夜に私は親子に別れを告げた。******土曜日、友達が尋ねてくれた。事が起こることは知らせていた。訪問は予めの約束で突然ではない。家を出るとき、姉と顔を合わせた。私の顔を見て、疲労に後を見て、心配した。『何か有ったでしょう。』『友達が来るって、言ってたけど、普通の子じゃないのね?』「あ~もう終わった。」「親が迎えに来てくれたから。」『関わっては駄目よ。』『わたしは、貧乏だから、貧乏が寄ってくる。』『自分が困っているから、お金を貸してしまう。』『貴方は病気が寄ってくる。判るから引き寄せちゃうのよね。』『私たちお互い半人前だから。』「今、友達が来ている。今度は本当に友達。」友達をアトリエに案内する。午前中に親子は帰ったはず。正直お疲れ。暫くわたしは、動けない。気を取り直して、風呂屋に行く用意をして喫茶店に行く。食事をご馳走になる。ステ~キを食べた。火をつけてくれて、気を使ってくれている。私は、顔がボロボロ。目の下に隈が出来ている。食事をして少し血の気が戻る。風呂屋に行く。男の友達で、喫煙所で待ち合わせる。風呂から上がると、姉から電話が入る。『大丈夫?今、貴方に何か有ったら、私が寂しくなるから・・・・。』「私は大丈夫よ。食事して今風呂屋だから。」『くつろいでいるならいいのだけれど・・・。』『何食べたの?』「ゆうき亭」 『豪勢じゃない。』「うん。友達にゴチそうになった。」「本当に大丈夫だから心配しないで、疲れただけだから。」*****友達が行きたがっていた、自由が丘の牧師の経営のショットバ~に行く。会った時、わたしの今の残金が次の入金まで、8000円だと友達には話していた。「鴨ネギだ~。」とその日は世話してもらう事に。風呂屋もお金もお世話になった。気楽に払ってもらえる友達は余り居ない。今日は、気を使う気力も無い。かえり、タクシ~を使おうか?と聞かれたが、タクシ~代で枕が買える(私は寝具に凝っている。)と断った。電車のある時間は、電車で帰る。電車で十分の距離だ。それに私は、お酒は弱いが一杯しか飲んでいない。疲れた私をいたわってくれる。明日、朝から友達は仕事にでる。『朝、細かいお金が無いから、一万円と千円札と取り替えてくれる?』「細かいの一万円無いよ。」私は、彼の心遣いに気がついた。千円一枚と一万円を取り替えようとしている。わたしは、千円札で残っていた6枚渡した。その気持ちが嬉しかったので、「わ~い。打ち出の小槌。」と喜んで受けた。後、五日、一日2000円有ると楽だわ。自宅の冷凍庫には「まり~ジョ~さん」のピザとスパゲティがある。明日は早いので、会うことは無い。さようならを言ってアトリエを後にする。疲れたとき、人に気を使ってもらうと、回復が早い。事が終わって今日で、三日目。すっかり私は回復、元気で幸せだ。
2004年06月01日
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