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いつも、振りが長くて、結論に行き着かない泡雪。今日は、昨日(26日)の結論から始める。サインを眺めた。大文字ゼット 小文字ディーエヌイーケー?ゼットの頭がCDの淵に沿って、エルに見えるが点が打ってある。ZDNEK そこまで、同じ筆圧。問題は、筆を止めた後の マーカル。エム エー スィーオーエス。エムの文字に特徴があった。大文字M左の上から始まっていた。Iからvに移る部分が繋がって一筆でエムが描かれている。エーは小文字。形がQに似ている。且つ独立している。そして、COエスと繋がるが・・・エスの文字繋がっているが、筆記体ではないエス。エスではナカッタ。筆記体エルが波打って、最後が横に引き伸ばされている。そして、頭から、そのラインを目で追うと・・・・。マーカスの文字が正確にドボルザークのシンフォニ~NO.9.“From the New Worid”作品95「新世界より」の第4楽章:アレグロ・コン・フォーコ第4楽章の最初のタクトが名前に刻まれていた。頭に昨日の演奏のその部分が蘇った。神業だ~!サインペンで、タクトと刻んでくれた。11月25日。会場へ向かう電車で、14年振りの、デジャブ~(日本語です)の始まりを感じていた。夢で見た事が再現され始める時の感覚。友達が座った私に本を差し出した。私は、神保町の古本屋で、倍の値付けの宮城音弥の本を4冊購入した後。勿論友達は、古本屋を案内してくれたのだから知っている。自分のバックには、筒井康隆 最後の伝令と芥川龍之介の羅生門・鼻の文庫本が入っている。待ち合わせのとき、本を読んで待っていたので、本が有るのは百も承知。 差し出された本と開いたページ。キリストのパンの話。このところ、ご無沙汰しているテーマの本だ。「あ!この本頂戴。」『15分の間に読みなさい。』この電車の情景とこの台詞。夢との違いは、昼と夕闇の違いだけ。(光の加減、今は夜)う~。気持ち悪い。脳がグワンとして、体にシンがよじれる。夢で見た事と現実が重なる瞬間。予知夢を見る話は、喫茶店で話していた。友達とは、初対面の時から、初めて会った気がしてなかった。がこれか~。夢の住民か~?で、『それは、予知夢と重なるとどうなるの?』と友が聞く。「それは、自分の選んでいる道が順だって言う道標。」現実は常に出会いを体験する事。何が起きるかは、その全て時に成らないと判らない。そして、音楽会の演目が上原 彩子のピアノとチェコ・フィルのバック応援と聞いていただけ。メインがチェコ・フィルハーモニー管弦楽団。2003/04年シーズンにゼデニェク・マーカルは主席指揮者に就任。私は、有名な指揮者の名前はカラヤンくらいしか知らない。批評家の宇野こうぼう?の指揮には心地よく眠らせてもらった記憶が・・・・。マーカルこの人の名を知る人は、相当クラシックの好きな人だろう。チェコの楽団どこか宮廷を感じさせる。が、ドボルザークの時代に、オーストラリアに、チェコ語を禁止される。マーカルの時代には、ソヴィエトに占領される。等、変遷の歴史があるようだ。そして、亡命した彼は、アメリカ国籍のようだ。故郷で、今新たに、円が閉じるように、帰ってきた。私も私自身に戻ってきた。ドボルザーク没後、100年。記念講演。フロム・ザ・ニュー・ワールド世界は、アリスの時代から、新しいページを開いているのかも・・・・。そして、私の新しい世界の扉も開きはじめた?***これは、私の思い込みではない。さらに発見。 Macosに見えるサインは、本来Macalなのだ。≪よろしくお願いします。≫の返礼に、彼は名前書きではなく、本業のコンダクトを刻んでくれた。お願いされてくれた。
2004年11月27日
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昨日、11月25日。朝六時に起きた。現在、11月26日午後6時近い。久々に、36時間以上起きていることに成る。起床時間が、長くなると、動作が緩慢に成るが、思考以外の感覚が鋭くなる事がある。昨日25日は不思議に満ちた日だった。今は、もう寝間ら無くてはいけないので、詳細は省くが、一番不思議な謎が心に引っかかっていた。生まれて初めて、人のサインを求めた。或る音楽会の終演後、指揮者のサイン会が有った。この音楽会は、友人から送られた物で、演目が判らないが、クラシックの大好きな夫婦からの贈り物。本来、本人達が行きたかったものが事情で行けなくなって、私に行ってくれないか?とプレゼントしてくれた。クラシックは、小学生の頃、声楽を習っていたので、抵抗が無いが、私は何事も広く浅く。機会が無いと、どんな物も行かない。贈られたチケットで動く。自分で選べないのが1つ。お金を自分で払った事には、学費も含めてどうでも良くなってしまう。ところが人から戴く物は、下さった気持ちを無に出来なくて、必ず行く使命感が湧く。今回は、夫婦が自腹で買ったチケットで、前日に受け取って見るとS席、1万5000円もチケット、相当期待が出来る。クラシックマニアが選んだ、そこまでして、聞きたい演目。会場に行って、開演後、指揮者のサイン会が有ると言う。当日の演目の、DVD、CDを購入した。聞いてよかった場合、記念に、DVDを買う事があっても、最初から、買う事は普段無い。不思議に思ったのは、指揮者のサイン会。そこまでしないと売れないのか?とにかく、最初から買って置いた。私は、サインとか余り興味が無かった。収集癖が無い。記憶を呼び覚ます為の道具は買うが、サインに特に興味が無かった。が今回は、気に成った。聞いてみて、貰うかどうか決めようと思った。ビックリした。素晴らしかった。付き合ってもらった、人はコンサートを生で聞く価値を感じてない人で、途中寝ても許可する条件で、付き合ってもらった。中々無い機会だから、とにかく体験してみろと、半ば怪しいセールスマンのように誘った。友人は眠るどころか・・・・。目を皿のように見開いて最後までいた。最後には大きな拍手を送っていた。感動が体に走った。素晴らしかった。私の少ないクラシックの体験のなかでも、群を抜いて、素晴らしかった。開演前に、携帯の電源を切ろうとして、自分の自宅の鍵と携帯を繋げた物を、昼間居た東京の喫茶店に忘れた事に気がついた。(生まれて初めての出来事。)川崎の新しいホールで開演が7時、終わって、東京に戻ると店が開いているか、微妙な時間だった。私は、コンサートに集中する為に腹を決めた。東京の姉の家に泊めてもらい、翌日家の鍵と携帯を、探そうと。姉の家は、その喫茶店の裏にある。素晴らしいコンサート。当然、サインを貰う気になった。生まれて初めてのことだ。そのDVDセットを会場で買った記念が欲しくなった。生まれて初めてサインをもらう事に。もう帰りの時間は心配してない。どうせ、家の鍵が無ければ薬は飲めない。徹夜決定。(薬がないと、疲れても、眠りに落ちない。)終演後、直にサイン会の列に並んだ。早い20番くらい?の順番の位置に居た。気がつくと、後ろが長蛇の列だ。私は、指揮者が気の毒に成った。アレだけの仕事をした後に、この重労働を強いられるとは。サインで、疲れて、翌日タクトが振れなくなるのでは?と思う程気の毒に成った。待ち時間は長かった。それはそうだ、アレだけの仕事をした後は、少しやすまないと無理。もう帰りたくなるほど待った。丁度その頃。指揮者が現れた。私の心の中では、お疲れのところ申し分けない気持ちとそれでも、描いてもらいたい感動と入り混じっていた。サイン会は、スラスラ進んで、私の順番は直に来た。わたしは、「よろしくお願いします。」と日本語でねぎらった。全てに気持ちをあわせると、その言葉に成った。軽く言葉を添えただけなのに、驚いたことに・・・・。わたしは、外人にも、気持ちを伝える時は、マザータングの日本語を使う。なれた言葉が一番伝わりやすいと信じている。指揮者が顔を上げて、大きな目を私に向けた。目と目が合った。私は驚いて、キョトンとしていたと思う。私の目には、写真の顔の印象と違う大きく向けられた瞳の残像が焼きついた。とっても美しくてキョトンとしてしまった。指揮者は、下を向き、サインをし始めた。イニシャルと、ミドルネームを描き終えた時。指揮者の手が止まってしまった。そして、大きく息を吸い。静かに肩を落とした。描きやすいように、品の向きを整えたり、サポートしていた二人の女性に早く書いてと言う焦りが見えて、私にもその様子に「どうしたの、大丈夫ですか?」と心が少し焦った。ふと、気を取り直した様子で、サインが終えた。わたしは、「仕事の腰を折ってしまったのか?」音楽家の耳に、≪よろしくお願いします≫と言う言葉がどのように響いたのか?とにかく、邪魔にならないように、「有難う」と軽く言いながらそそくさ退散した。次の人のサインは又スラスラと、流れ始めた。その目の印象と、彼にはどう聞こえたのだろう。「サインの途中で筆を止めるほど、疲れさせたのか?」目の奥に、不思議な色の瞳が焼きついていた。*****3時間前から、家の近くの喫茶店で本を読んでいた。体が疲れすぎて、腰が据わってしまった。目と思考は働くのだが、本を読んで、気持ちの整理をして体を動かす気力が戻るのを待っていた。家までは2分だ。体は十分参っている。起きてから、35時間目に、ふとサインの彼の間の事を思い出した。彼が筆を止めたサインを眺めてその時彼が何を思ったのか考えてみた。そして、驚きの事実に気がつく。~続きはまたあした。
2004年11月26日
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昨日、久しぶりに地元の飲み屋に顔を出した。地元ではお酒を飲まない。だって、女の子だもん!地元では、恥ずかしくて飲めない。レモネードを飲む。しかし、酔っ払い、とはよく喋る。「やー久しぶりに喋った。」『普段はどうなの?』「ふだんは、会話している。喋らない。」「言いたい事は日記に書く。」『会話か~。判るわ。』『僕はテレビと喋る。』「んん。突っ込みいれたりね。」酔ってる時は、目的無く、喋るじゃない?日常は、相手を考えながら、喋るから疲れる。マスター『Hさんも元気に成ったよ、こんど町内会長押し付けられたみたい。』「Hさん具合悪かったの?」『知らなかった?胃癌だよ。』「あ~そういえば何年か前聞いたような・・・。」「うちら、癌慣れしてるからね。」私の周りには、癌経験者が多い。私も、その一人。そのころ、遺伝病について少し調べた。因子と要素が満たされなければ発病しない。殆どの病気はウイルス説を持っている。ウィルスは自分で、繁殖、生命力を持たないので、宿主のDNAに寄生して、運搬される。遺伝病の事を簡単に考えると、そんなものだ。我が家は、兄弟私を居れて、2人発病したが、早期発見で十年以上経っている。両親を癌で亡くした直後、私達は私達は発病した。継母の家系に癌は居なかったが発病した。生活習慣病のうちに私は、数えている。出来るだけ、余計な気遣いをしない。これが、唯一の癌を避ける方法だ。最低限の心使いは無くしたくない。この店のママさんとも、手術後初めて会う。すっかり、病気後の鬱状態から抜けている。『泡雪全然変わらないね。』「三日一日のペースで生きてますから、変わらないかも・・・ママも変わらないね。」病気の時は、皆触れない。元気になったら、普通に付き合う。これが、サバイバーの掟。最近、私の周りでは、アルツの話題が多い。アメリカから、メッセ友が来ている。25日に音楽会に付き合ってもらう事にした。彼のお母さんもアルツで、自分もそうなるのでは?と恐れている。「遺伝は要素が重ならないと発病しないよ。」気楽に過ごす。問題をゴチャゴチャにしない。是はどんな病気にも共通。免疫力を下げない為だ。ウイルスのもうひとつの特徴として、宿主を殺してしまうと自分の生き残る道が無くうなるので、猛威が沈静化すること。エイズの激しい感染力の時に、そんな話を友達としていたのを記憶する。専門家ではないが、病気は御気楽に付き合うほうがよい。死んだ時初めてお悔やみを言う。アルツもこの何年か、人が長生きするようになって目立ってきた。が猛威は少なく成る筈。(ウィルス説は一部の説。)ES細胞に期待されているが。人間の生命をどう扱うか、倫理の問題で、壁がある。大きく取り上げられるのは、胎児の生命をいつから人間と認めるかだが・・・。私的には・・・。使用された、細胞が永遠に生きたとき。安らぐ事はあるのか?細胞には意志はないのか?今日は久しぶりに人非人になった。お散歩を頼まれていたが、自分のケアに時間をかけることに。朝の電話に。「ごめん。もう少し眠らせて・・・」『じゃ。都合よくなったら電話して・・・』3時ごろ電話したが、出ないので放った。当てにならない人間だ。一人静かに眠る。起きて夕飯を食べる。他人の言葉に棘を感じたり、イラつくのは、殆どの場合、自分が弱っている。原因をさぐるより、自分の周りの余計な物を一旦払う。相手に、他意はなくても、弱った時は、卑屈な発想で受けてしまう事がある。これは、シグナルと受けた方がよい。そうした時は、ゆっくり休んで自分のケアをする。何を言われても、「へへ。あほな事言ってる。」くらいに流せる時が丈夫な状態。しばし、静養モードだ。しかし、明日は散歩を引き受けよう。(出来たらそうしよう気分優先で無理は禁物)3キロ、4キロ。平気で歩くからな~田舎の母さんは・・・・。
2004年11月23日
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昨日の夜。夜空のハーフムーンを見つけた。今昼の3時7分。東の空にハーフムーンが浮かんでいる。月々に、月見る姿が変わっている。一晩で、こんなに変わったと思うときと・・・・。今日見る月もハーフムーン。昨日より少し太ったようだ。クレッセントの月、満月の月。何年も月を見ない年もあった。ハーフムーンを心に留めたのは初めてだ。夕暮れに、落ちる太陽見て、太陽は空に張り付いているのではなくて、存在していると感じたのは、17年ほど前。それでも、空を見上げる余裕の無い日々が続いていた。太陽は、同じ太陽ではない。(説明は省く)と感じる事が、何年か前に有った。或る日、そんな事思っているって、誰にも言って居ないのに病院の独房で、あるハンサムな若い看護士がおもむろに言った。『泡雪さん。月って凄いと思わない?』「どうして?」『太古の時代から、そこに居る。』思わず、変な事を言ってしまった。「太陽が変わっても?」『月と太陽は一対で変わらない。太古の時代からそこに居る。』毎朝昇る太陽を眺める習慣は、3年前から。太陽を目に一杯入れる。この一年私は太陽の光を目に入れなくなった。(流石に白内障を心配した。)でも時々、月を追うようになった。太陽が変わっても、月は太古からそこに居る。とっても、慰めになった。この看護士、とってもハンサムでおしゃれ。私の出かけるときに、独房に入ってきて、『泡雪さん。鼻毛切ってあげるね。こういう事って、口でいうより、僕が切った方がいいと思ったんだ。』≪美男子な人は、心が細やか。≫先日、公園で、友人の鼻毛を切ってあげた。「一寸、ごめん動かないでね。」わたしは、財布に鼻毛鋏を入れている。女の友人は嬉しそうに恥らった。こういう事って、いわれると恥ずかしい。特に、どうしょうもできないとき。*****昨日、私の中で何かが変わった。誰かを好きに思うと、悲しくも無いのに涙がこぼれる。歌のジ・エンド・オブ・ザ・ワールドの歌詞の≪フアイ・ドゥ・ズィズ・アイズ・オブ・マイ・クライ≫る状況が始めて理解できた。苦しいわけでも、興奮しているわけでもない。穏やかな涙。喧嘩や嬉しい時・以外でも、涙って出るんだ。例え、貴方が靴フェチでも良い。好きに成るのは、「靴」「花」「言葉」でもなんでもいい。特に人間を好きに成るって素晴らしい感情だ。好きという感情は優しく温かく膨らむ。何か好きになれるものを探そう。ドーパミンの分泌が多くなったようだ。******現在、21時55分。夕方から雨が降っているのに・・・・。西の空に器の形、(下が丸い半月)で綺麗に浮かんでいる。雨が降っているのに・・・・。月夜の雨に嫁ぐのは、狐ではないはず・・・・。もう1つ気がついた事。午後15時に見たときは、東10時の角度。現在22時 南2時の角度。お月様って、歩くの遅い?
2004年11月21日
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親しげに、書きだしたが。勿論、個人的な知り合いではない。(本文中の、本のタイトル間違えている。後日、日記本文でで本の感想とタイトルの訂正を入れる。)慎太郎さんはテニスが趣味で、昔、働いていた職場の会員だった。当時、国会議員だったと思う。私はテニスが苦手で、テニス仲間は居たけれど、プレイをした事が無かった。現在もう存在しないクラブなので、ここで書いても支障が無いと思う。何度か触れているので、私は石原慎太郎さんのフアンに成ったのは、母親の食事の後の討論会に登場することがきっかけで、文学的なフアンでは無かった。人物そのものを、アイドル的に好きで、小学生の頃から、視界の中に有った。短大時代。横須賀線のグリーン車で遭遇した時は嬉しかった。それから、10年後、職場で近くで接する事は想像しなかった。人生は面白い。その職場は、家から電車で7分。父親が死んで、アルバイトでもしようと、尋ねたら、社員採用しか、していなくて。偶然、社員になった。当時、外人雇用は一般的ではなく。大企業に、外国籍で、社員になることは、未だ少なかった。バブルの影響で、サービス業の人員が必要で外人でも採用されたのだ。2人採用で、フロアと事務とどちらを選ぶか二人で決めることになり、わたしは、事務よりフロアを選んだ。会社には色んな、訳判らない役付けがある。仕事内容はウエトレスと、在庫の棚卸など、シフト組み等、少し事務的な仕事はあるが、採用は営業。通勤簿には「書記補2級」と書かれていた。社員章の入った名刺を頂いた。この社員の立場で慎太郎氏と接していた。国会議員の立場上、一般の人たちと気安く話せない。テニスのお相手は、いつも決まっていた。国会議員だから、お高く留まっているわけではない。立場上、プライベートな会話から公の立場を利用したいと接近したがる輩も居ないではないからだ。君子危うきに近づかず。私の場合、親が歯医者になったのは、晩年の仕事で、父親が若い頃は、華僑の銀行を創設していた。そんな訳で、社会とプライベートの違いを子供の頃から、躾けられている。簡単に言うと、立場上親が偉いからと言って、子どもや奥さんが偉いわけではない。学校に行けば社会。学校では、兄弟でも「兄さん、姉さん。」等のよび方をしてはいけない。学校では、兄弟でも、「誰々さん」と呼ぶことになる。職場での私の立場は、平たく言えばウエイトレス。一定の条件を満たしたお客さんなので、その空間では、石原慎太郎さんが、国会議員でも、他の会員さんが、歯医者だろうが、医者だとうが大企業の社長だろうが、平等に扱う義務がある。只、平等と言っても、一人一人の個性・性格に対しては、個別の対応を持っている。そして、クラブハウスのフロア担当の職員は、その場は任されている。そこがアルバイトとは少し違う立場。石原慎太郎さんと、世間話をするようになったのは、こんなきっかけがあった。階段下の壁面に当時の時価で、一組、2000万の絵画が掛けて有った。ウマの絵で、4枚組みで、四季の絵だ。入れ替えたの時、残りの3枚は見た事が有る。季節は秋。クラブの山で、しいたけを栽培していた。収穫を絵の下に偶々配置されたていたワゴンの上に置かれた。八百屋のように、山分けして。壁面にフロアの主任が「お買い得一山500円」と貼った。そのテニスクラブは、遊園地の跡地。遊園地で焼きそばを売っていた、中卒の鉄道職員がフロアの主任だった。(ここで、学歴を書くのはやはり、立場上の理解度だ)それを見て、石原慎太郎氏は、『これじゃ、絵がかわいそうだ。』ふと独り言でぼやいた。わたしは、それを聞いて絵に気がついた。壁の貼り紙はずし、ワゴンに移して貼った。石原慎太郎さんは、私の対処を満足した。実は、石原慎太郎さんがフロアを去ってから、主任と1悶着有った。主任が意地になって、貼り紙を元に戻そうとした。「主任?それでは、まるで石原慎太郎さんが言ったから、張り替えたみたいでしょ?これは、慎太郎さんのアドバイスが正しいから治したのですよ。」男子職員は中・高卒、上司は中卒と言う、一般では余り無い状況。女子は、全員不動産部門採用の短大・大卒の多い難しい職場だった。ここで、わたしは、学歴の違いによる、メリットでミリットを知った。会社での立場の学歴社会ではない。どういう、学歴の特性が仕事場にどう反映されるかだ。それは、別に日にまわして。主任はしぶしぶ折れた。それがきっかけで、石原慎太郎氏は挨拶と、軽い世間話をするようになった。言葉を理解する、一介のウエトレスだから話しやすい。言葉は相手が飲み込めないと、話して空しい。共通の世間は、クラブの話。職員の私は、子供の頃からの慎太郎さんフアンであったことはおくびにも出さない。何故なら、ここでは特別ではないから、御気楽なのだ。当時、「ノーと言えない日本人」?タイトル間違えてたらごめんなさい。を書いたとき。勿論読んだ。この一冊しか読んでない。太陽の季節は、最初の何行かで挫折した。そんな話に触れない。いつものように、クラブの話になった。殆どがクレーム話なのだが・・・・。私は、その日、私達は、夏に衣替えをしていた。「石原さん。確かに難点は沢山あります。今日。私達夏の制服に衣替えしました。この制服は、私が選びました。どう思われますか?」「偶にはいいところにも着目してください。」「欠点ばかり、上げていると、いじけますよ。」エリ、カフスを取っ払った白衣に、胸から白と紺の大きなストライプのエプロンを締めていた。靴も革靴からデッキシューズにした。石原先生。素直に謝る。『それはしつれいした。気がつかなくて。そんなんだよな~。もっと若い者に、仕事任せればいいんだよな~。』人格のある人は、批判を嫌わない。気がつかなかった部分をむしろ、取り入れる。と笑いながら、手を振って分かれた。ある朝。一人で、レストルームに現れた。『昨日、スリーナインクラブで、多摩ラケにこういうお嬢さんが居るって言っておいたからね。』「有難うございます」実はわたしは、そのクラブを知らない。が、恐らく、系列のゴルフクラブなのかな?と思った。企業には色んな採用事情がある。私の勤めた事業所では、不動産部の所属だが、支配人だけ、3年に一度の入れ替えがある。鉄道職員、ホテル職員は自分の古巣に帰りたがっている。事業所採用は転勤が無い。そろそろ、仕事を辞めようと思って居た。勤めて2年半。中卒で、採用された人に30歳からだと、中途採用では給料が追いつかない。毎年、月額一万の昇給。当時、会社からは年間273万。3年間自分の総収支は420万だった。どこかで、切らないと・・・。人間はイデオロギーでは中々動かないが、経済で動く。その職場は居心地よかった。外人のコーチは『この居心地よさの中に嵌ると人間駄目になる。』といつも言う。どこかで、脱さないと・・・・。ここは、高級クラブ。ガラス張りの外は、端正な庭、テニスコートが広がっている。お客さんは、身奇麗で、仕事を忘れている。浮世離れした場所。『五島昇氏逝去』ビデオが社員に配られた。歌手かな?と思ったら、勤めている企業のドンだった。パシフィック構想。無くなった企業主の理念が描かれたビデオだった。企業主が変わると経営も変わる。構想は死んだ。クラブは赤字覚悟の経営だった。ある意味、別天地。クラブも変貌し始めた。最初にクラブから逃げたねずみは私。湾岸戦争が始まり。最後の一泡を掴んで。中国に留学する事にした。退職した。そして、今そのクラブは存在しない。追記。最近、芥川賞のお陰で、慎太郎氏の本に関する、コメントが目に付くようになった。まだ、書いているのか~。と今更のように知る。一昨日図書館で、「日本人」ナルモノをみかけ借りた。冒頭の文章で涙が浮かんだ。私達は、2・3百年の時代の流れを生きている。その時代に生まれて、幸せだという話。わたしも、同じ感覚で生きている。親の時代に、外人雇用は考えられなかった。親の描いた、現実の未来は何処にも無かった。慎太郎さんは、継母より、3つ下。私に両親はもう居ない。自分の親を見る感覚に換わってきた。
2004年11月15日
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私には、興味のないことだが・・・・。地位・名誉について、一流・2流・1.5流についての、考察を書く。地位得るものだが、名誉は与えられるもの。地位は高いか低いか、どんな場所を設定するか?地位は、高い地位を望む時に、使われるが。確かに、石原慎太郎さんは高い地位をめざした。だから、都知事に成れた。では、石原慎太郎さんは、最初から、都知事を目指しただろうか?最初は、総理を目指した。本人の言うところではないが、周りの人で、21世紀は、石原慎太郎の時代と総理を望む声があった。一流の人は、総理を目指して、都知事に成るのは、ランクを落としたと思われるだろうか?一流の人は、そんなせこい事は考えない。適材適所。鶏頭となれど、牛後となるなかれと言う言葉がある。都知事のポジションは、首相よりも、経済に影響する力がある。石原、都知事は、ご自身がどちらが、役どころを得ているか、早くに、自身を見切った。今後、そのパーソナリティは、どのように変容するか判らない。現在、都知事、日本の首都のヘッドだ。一流の人は、自分の個性を見極める、能力が有る。だから、自分のふさわしい、ポジションを得る。それに対して、名誉。そのポジションで、働きが期待に沿えた時。初めて、名誉が与えられる。大阪の知事のY氏は、知名度で地位を得た。その結果、不名誉を得た。ポジションを得るときに、トップだから格好いい。等の見栄で選んだ人は、大抵不名誉を残す。血友病の薬害で、訴えられた人も、地位が無ければ、不名誉な晩年は迎えなかっただろう。さて、既に触れているが、一流に成るには、まず自分の持ち味を見極める事。地位は、自分の能力を見極めた人間に与えられて初めて、一流の仕事をする。残念ながら、地位を与える人間の力が2流でも、一流の働きは生まれない。時代はそれぞれの集まった人が2流なら、2流の選択がされる。2流の人一見高い位置に見えて、みこしを担ぐ人が2流なら、トップも2流と見て間違えない。お金で集める人は、支える人もお金に弱い。知名度、人気で地位を得ると、支える人も人気・知名度に弱く。質を見れない土地柄。さあ。日本の首相。支える国民は?なんとも難しい前代未聞の新しい風?としかいい用が無い。今の首相は欠点も長所も同じ個性が反映している。行動力と、独断。ゆるぎない信念。馬耳東風。感情的ではない。情が無い。歴史に問わないと結果のわからない。善悪・正誤では量れない。今・不思議な時代だ。時代を反映していると思う。2流の人。何が主流か亜流か判らないで、成り行きで風に流される人。人の物まね。独創性の無い人。コピー商品が2流ののは、形をまねても、秘められたコンセプトを真似できないからだ。真似できる程度のセンスは、2流。と評価してよいと思う。問題は、1.5流。これは、セールスマンシップの問題。自分の、持ち味が判って居ない。一流のセンスは一般受けしない。一流の技能は賞賛される。イチロウは文句無く賞賛される。野球の技術だけではなく。人間としての完成度が高い。ある意味ヒーローだ。ヒーローと地位名誉とは、少し違うポジションにある。技術・能力人格が必ずしも一致するとは限らない。家の母親が面白い事を言っていた。大抵の商売はあの人いい人だから、あの人から、買おうと言う気に成るけれど、事・医者に関しては、腕で選ぶ。身体に関わる事は同じ。髪を切ることでも、いい人より、いい仕事をする人を選ぶ。難しいのは、日ごろの付き合いで選びがちな、家の建築改築。知らない人に注文出すのは、相手に悪い気がする。結果不満を抱える出来が多い。いい人=一流の建築家ではない。仕事は私情が挟まらない方が、よい仕事が出来る場合が多い。ここは微妙だ。医学的な見立てと、人格が必ずしも一致しない事がある。こと、よく判らない、神経科の初心者は人あたりで、医者を選び勝ち。後で一生台無しにしたと泣いていた人が居た。それは、その医師を選んだ人の運だ患者の自己責任。私はかろうじて看護婦達の忠告で、その医師から逃げる事が出来(酷い外見の女医だが、声の綺麗さについていった)当時私に観察・思考力が無かった。最小限の被害しか受けなかった。(一年牢獄のような精神病院に居た)極まれに、精神病的気質の医師もいる。医師も人間、病気になる。資格と経済力だけで信頼するには、精神科は難しい。何人か、病気にしたてられた健常人もいる。資格と地位は混同されやすい。急激な症状を示さない・病気もある。病気か正常か異常か判断するのは、患者側。神輿担ぎ。患者が居なくては医師は役に立たない。職業で、食い扶持の為に患者にされる場合もある。見立てが悪くて、患者にされる事もある。最近。入院患者で、是は違うな?どちらかっというと、ルール違反の犯罪起こすタイプ。凶悪犯タイプではない。と思う人を見た。私の今の病院の私の最初の主治医のドクターも同じ結論出したみたいだ。現在主治医ではないがこのドクターが居なければ、私も病院を変えている。彼は誤診をみつけ現在薬抜きをしている。即仕事に就けるタイプで家族との不適合だ。社会環境構築を手伝っている。それぞれ、今掛かっている病院では、持ち味が違うが、ある意味一流の先生が揃っている。いい病院だ。良い院長の下で、医師が活躍できる。お互い患者の事で意見できる機会がある。医師同士の変なプライドのぶつかりがない。患者を合う医師に回す。一人で診て居ない。話を元に戻す。1.5流の人は、どういう人かというと。自分が、真珠だとする。自覚が無くて、魚屋に自分を展示している人。自分の持ち味を売る場所が自覚できて居ない人。例えば、専門知識は庶民的な話ではない。なのに、大衆に受けない。と悩む。専門知識を得る経緯の話は大衆的な共通があるかもしれない。大衆的なの話題は。どんなものか?毎日通える、定食やみたいな。ラーメン屋みたいな気楽なはなしだ。飽きない味。わたしも昨日思ったみたいな、普通の日常が一番共感を得る。日常であって非日常ではない。例えば、泡雪の書いていることは日常の事ではない。自分の日常の中に非日常を見ている。そんな、日記は主観で、大衆が興味有ることではないことは百も知っている。極マニアックな人が覗く。それでも、有り難いことに、楽天に来て2万5千回以上の訪問を得た。予想外に非日常の話に関心持ってくれたのに驚いた。自分がアクセス狙いの大衆なのか、マニアック(専門店)なのか?大衆性の一流とマニアックの一流は両立しない。アクセスの少ない、優れた文章に出会うことがある。耽々とテーマで書いている人の日記にであう。アクセスも私より、少ない。でも、専門性では優れている。そんな人は一流だなと思う。自覚している方がそれなりの一流に成る。一流っぽい人が、無理して大衆を狙いを装うのはなんだか悲しい。本人がそう思っても、態度が大御所なんだもの。第一、お客様サービスが無い。わたしは、どうかって?何か、刺激するものがあれば、パクッて下さいと願う。文章としては3流を目指してます。玉石、混合の特殊な立場の川原版。ここで、思っている事書くとふだん人に押し付けない自分で居られるからです。一流の、患者・病人を目指しています。ここは自由な日記の場。プロの世界ではありません。来て下さる方を、お客様なんて思っていません。見守ってくれる奇特な方々と認識してます。競争事嫌いです。読む方の苦労を少なくするため、出来るだけ読みやすい文章が書けるよう精進します。道は遠い。全然関係ないことでも、コメント入れてくれると嬉しいな!誰もが頭になる必要はない。頭に生まれついた人は、頭が一番働きやすい。補佐官は2番手?いいえ、補佐官として、一流が求められる。役どころが違う。
2004年11月14日
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半額レンタル借りるつもりが・・・。新作2本借りてしまった。店内で、デモストレーションしていた、新作に目が行った。借りようとしたら、何故か中にトロイが入っていた。これも新作。取り出したものチェックする癖が有って、直気がついた。実はトロイは見たくなかった。何故なら、先日縁を切った、セクハラおじさんが偉く気に入っていたからだ。セクハラおじさんは、交通事故に会って、退院後奥さんと映画に行った時に、転んだそうだ。その時に汚い物を見たような目で見られたそうだ。それで、離婚したらしい。トロイをみて、戦って、見っとも無く逃げた男に、「戦いに行っただけ立派だ。生きて年を取ってくれればいい。」と、行った女性に感銘受けた。と言っていた。『ああ言う女性が上げマンなんだ。』と偉く褒めていた。「いや~。他人には親切な言葉を無条件で掛けられるけれど、いつも完全な形を見ている身内は、怪我した状態を見慣れてないから、引くって事も有るのよ。私も患者は受け止められたけれど、半身不随の父親が死に際私に倒れ掛かった時、思わず軽く跳ね除けたの、自分でショックだったもの。」なんて話をした記憶があって、軟弱男の更生ストーリーかな?と思って居た。見たくないと思って居ただけに、しかたない。これもご縁と2枚借りた。半額で、借りようとした物は何故か、会計時にクーポン提示の携帯電池切れ。借りるの延期。14日まで半額期間。初めて一日レンタルした。(いつもは万一の為に、3日借りる)これから、二本見る。見ようとした映画のタイトル思い出さない。『なんとか、2.』ディスプレーで、お父さんが4つの子どもに、死を話しているシーンで惹かれてしまった。お母さんに、お父さんが銃を向けた話。「打ったらおかあさんがどうなるか知らなかったの?」と子どもが聞く。『撃ったらお母さんがどうなるかは判っていた。』と父親が答える。『知らなかったのは、撃ったら自分がどうなるかだ。』「どうだった?」『とっても悲しかった。』「で、お母さんはどうしたの?」『その事はお母さんに聞いておくれ。』おお~生きていたか。「おかあさん、今でも痛い?」『痛くないわ』と笑って後ろから歩みでる。『でもそれで、今まで貴方とは一緒に居られなかったの。』おおー!何が有ったの?続きみたいと思い、迷わず借りようとしたら、トロイが間違えて入っていた。(ニモは立ち見で我慢した。映像がいいので古くなったら買う予定。)私はこうした偶然を大切にする。うで、これから、2本見てきます。さようなら。*****キルビル2.きっと、あのシーンを見てなければ、借りなかった。が、見てよかった。和洋折衷の拳法技をコメディタッチで使う。殺し屋ファミリーから子どもの為に足抜けする女の「男女の愛と子ども養育に関する夫婦問題。殺し屋の人間性の問題。中々激しい男女だわ。とでも言って置きましょう。戦いシーンで、残酷さに声を上げてしまったのはこれまでに2度目。声を上げただけでなく今回は目をそむけたシーンがあった。泡ちゃんが目を背けたのは、さてどんなシーンでしょう?エンディングで「恨み節」が流れていた。花よ、蝶よと育てられ、梶メイ子でしたか?「女囚さそり」かな?かなり日本贔屓のコミック好きな監督みたい。謎の中国人、北京語話せないみたい。広東語?「はい」は好感度高い日本語?日本嫌いの謎の中国人が受け入れていた。ハード、御気楽、コメディ・哲学的な映画です。ヒーローにおける2面性に関する考察はかなり納得。日本映画では有りません。****いや~お口直しに、トロイ借りてよかったです。見る人によって、着目するところが違うのね~。駄目男は最後まで駄目男。御気楽に人妻盗み出して。責任能力ない人間は何処までも、状況が読めない。ヒーローはヒーローの扱い方判るけれど。愛も、戦いもわからない駄目男は、他人の恋路にも無粋。私は、出産途中のゴキブリはスリッパで叩けないけれど。アキレスが殺されたのは、どういう状況だったのか?アキレスはどうして、部下を戦いから返して、木馬に乗ったか。ストーリー言えないから辛いが。要点をまとめてみる。英雄は英雄を知る。育ちだけではなくて、同じ血筋でも浅墓な身内もいる。若いものは、功名心でで策略に利用される。他人が殺されるのと、身内が殺されるのと怒りが違う。英雄は生まれた場所で敵味方になる。男女の恋愛に敵味方の区別が無い。神に愛された人は自然と、神守る女性を愛し守る。神を守る女性は、暴漢から自分の身を守る気丈な性分。その上従順。偶像崇拝の老人は、占い師に頼る癖が有る。お互いのバランスで男女は成り立つ。映画を見るとき必ずしも、人間必ずしも主人公のストーリーを見ているわけでないのですね。男性としてはアキレスと戦う第一王子好みだな~。自分はアキレスの恋人。王子の妻。ドッチカナ?子育て考えない。巫女タイプかな?第2王子好きな人は、余ほど不幸癖の有る女だ。傷の舐めあい好きにはいいね。戦争は無くならない。その時どんな心でそれを受け止めるか?人間性が量られる時だ。この世を去るとき、何をしたかは持っていけないらしい。だから、地上に名が残るのかも。持っていけるのは、何を「感じたかだけ」らしい。アキレスは最後に「安らぎと愛」を持って帰っている。
2004年11月11日
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玄関が向かい会って、姉の部屋がある。姉が家に居る時は、電気がガラス越しに見えるので、尋ねる事があるが、姉が私に用のときは電話が掛かってくる。私の睡眠時間が不規則で、日によって、20時間以上眠っているからだ。ドアのチャイムは音が大きい。電話の用件は、殆ど、『食事一緒にしよう。』と言う用件。お互い外食に飽きて、姉がご飯を炊いて、味噌汁。どんぶりに、海苔と鮭、玉子焼きを添えてくれた。「お~!卵付き豪勢じゃない。」外食より家弁が一番豪勢姉が『わたしは、サッキ食べたから、卵は削除した。』と言った。「ね~?そこで削除はおかしくない?削除はあるものを消す。それを言うなら、キャンセルじゃない?」『ん?私なんて言った?』「削除」姉『え?私そんな言葉使ってないよ。』 「じゃ?なんて言った?」『・・・キャンセル。』≪あらら、こいつ自分のいい間違え、削除してしまった。≫と少し、不気味な感じがした。この事が少し気に掛かった。姉貴最近呆けてない?人から間違えを指摘されると切れるタイプだが。が、記憶を削除するか?わたしは基本的に人は間違える物と思っている。だから間違えを私は笑う。しかし、今回笑えない微妙な物が有った。姉は仕事のペースが有るのでこちらからは、余り食事を誘わない。私の部屋に姉は余り入れない。部屋が散らかっている時、その事で喧嘩になるのが嫌だから。最近、私の感覚プロジェクト理解してくれている。「しなくてはならない。」強迫観念を一切掃っている。隣の歯医者の予約も、一度すっぽかして御花を持ってお詫びに行ったら直、状態を理解してくれた。予約でなく、『今これますか?』になった。わたしの、この2年の回復プロジェクトは、自己の≪好み≫の回復。感覚を取り戻す。嫌だとか、気持ち悪いとか、おなかが空いたとか、眠いとか、汚い。臭い。気分が良い、気分が悪い。イラつく。感動するなど。本来の自分の感覚を取り戻していった。究極の「気分や」に徹した。自分の我慢の限界、もしくは自発的に気分良くする以外何もしない。ボーイフレンド。お付き合い。一切の事を遮断した。ご飯を食べなくては、お風呂に入れなければ。歯を磨かなければ。寝なくてはなど≪やるべき≫事忘れる事にした。歯医者にも世話になることに。歯医者の家に生まれて、歯医者に行くのは非常に恥ずかしい。私生活を見られるからだ。口の中は、親兄弟と隣の歯医者しか見せない。2年前の今頃は何をしてたかって?スロットに嵌っていました。予算を決めて、続く限り遊んだ。ボーイフレンドに振り回されてイラついていた。予算は50万用意した。パチンコは、3日完璧に負ければ、50万消える。(9じ~11時まで)一般の嵌り代は、一日8万負ける。普段は、浮いたり、沈んだり。最高に浮いた時点で+24万。一日勝っても8万。リスクは、かなり大きい。遊ぶには、勝ち続けるしかない。アレは腕では無い。台選び。と台を選ぶタイミング。パチンコは海物語。スロットは、竜宮物語に嵌った。絵が可愛くてストーリー展開が面白い。アクションが色々なのだ。竜宮物語で、大きな鯨が暴れだしたのは笑った。景品を換金して、又するといくら使ったか判らなくなるので換金しないで、景品はストックしておく。収支が簡単にわかる。最後は、50万円続けて掏った時点で、足を洗った。クリスマスも正月も無いという彼に。最初に最後のお正月だから、御節とお振る舞いをして(お年玉を上げた)。彼は甘えたかったのだ。その後、呼び出しが有った時。別れを告げた。『今回はもう停めないね。』と納得してくれた。月に2・3回しか会ってなかったが、会わない間は、メールで喧嘩していた。彼は支配欲が強く、私は対話型。合うわけが無い。『合わないのに、無理して付き合うからこういうことになるんだ。』お互い嫌いではなかった。半年間、メールの喧嘩が何日も続き、私が別れを言うたびに、私が謝る形で何故か続いた。彼に言われて初めて引き止められていた事が判った。イライラの原因はそれだった。自分の好みが判らなかった。*****最近夢見が悪かった。悪夢を見ているようだが、映像的な普通の夢で漠然と覚えているが記憶に余り残らない。リアル感が無かった。先月半ば。18年間悪夢を見る、友達に触れてからだ。2年間人と触れていなかったので頼んで腕に触れさせてもらった。その日から、体調壊してこの状態が続いていた。一昨日、その人と話して、「気」を掃ってしまう事にした。昨日久しぶりに夢のマトリックスに入った。リアル感の有る夢。体感が有る。『うわ~、ひゃ~。*****』誰かが、言葉にならない不快感の言葉を地面から掘り起こしている。「ちょっと、私の巻物開いてみて、被せても良く成らないかな~?」『×b、@@@@@@@@@@@うううう』本当は、ひらがなの並んだ、恐ろしげな音だったが、再現できない。わたしは、最近「浄化」には少し自信が有った。どうやら、今回は浄化できる種類ではなさそう。だめだ。ここは地獄変か~。暫く、散策する事に、私の地獄は大した事無い。元来、楽天的な私は気の解釈が漫画的。「ここは恨みつらみ」の世界らしい。意味ありげに路地に誘い込んで、私に打ち明け話をする女たちは、少しお馬鹿そうだ。何故か、ここは女しか目に付かない。ホールの中で、眺めていると十年共に暮らした「妹分」が自動扉から、入ってきた。エスコート役に、イベント台に案内された。上に表示がでる。1ステージ。UP2ステージ。STOPそうそう、このホールは3ラッキーが無いんだ。仕込みだから。「妹分」は私に手を振りながら、階段を上がっていった。ちなみに「妹分」はパチンコはまどろっこしくて嫌い。顔見知りが登場する夢は暗示の夢。ふとパチンコ屋通いの時間を忘れる為の不毛な世界の臭さが鼻をついた。このホールパチンコ屋に似ている。その次は、テニスコート。コートに前衛・後衛のチームが3.4組バレイボールのように並んでいた。わたしは、ラケットガット取り替えてないから。それにウッドだし。と断ったが付き合う事に。で、「エンドラインは?」左隅に「岡田」と四角く、チョークで書かれたスペースが開いていた。相手のコートから、サーブで足元を狙い打ちされる。ファウルなのにスネに直撃して相手の得点に。二度目、飛び跳ねて避けたが、靴に当たった。3度目、コートの外に待機。フォルトで、ワンバンして、私の足に当たった。やっと、アウトが取れた。退場許された。ここで目が醒めた。二つの岡田。私の運命を左右した。「三越≪岡田≫事件」を思い出した。婚約者の父親が関係者だった。ウッドラケットは私が婚約者と会って、プロポーズを断ったひとからのプレゼント。短大の学部長も「岡田」先生だった。『1つの石を投げると、小さな石は1つでも、大きな波紋を残す。』授業の最後の言葉。『人生何が良い事に繋がるか判らないから。』私が退学通知を受け取った報告をした時、個人的に言われた言葉。自主退学の願いを、保証人の法律の先生が保護者と本人の印が同じだからと受理しなかったからだ。留年扱いに成っていて、10月に授業料未納の為退学と連絡が来た。学席が残っていたのだ。10月ならまだ補講を受ければ卒業の可能性がある。授業料を払えば、卒業出きる可能性を残してくれた。同じ学年は2回出来ない。これは気持ちが有りがたかった。通知を受け取った報告ができたのは、当時、難病奇病だった。血液の溶連菌感染を大学の内科の先生達が銀座で奇病を扱うクリニックを開いていたからだ。「岡田先生の指示」でこの病気が発覚した。養護教諭の単位をとれる学校で、先生方の考えは、≪登校拒否の60%の生徒は潜在的な病気を抱えている。≫身体が健康に戻れば、心も健康に成る。体を直す目標で頑張れば、心も治る。と言うポリシーを持っていた。最近流行の神経内科と逆の発想。≪しかし、先ほどののテニスボールの感触リアルだったな~。≫*****私の、貰った彼の中の問題の≪気≫は、彼の通り過ぎた通るべき道だった。きっと彼の人生にも仕込まれた難所が有ったのだと思う。過去の自分に感謝し、今の自分を受け入れる。私が彼の気の記憶を浄化は出来ない。彼自身が昔の教訓で今が有る事に気がつき。誰でもなく自分を許す事だ。彼は、副業にもならない、占いを引き受けている。本業は翻訳者。誰の人生にでも、一二度出会う。仕込まれた、難所。その愚痴を受け止めて居る事も影響しているかもしれない。*****昼間。露天商の花屋に通りかかった。初めて、彼のアレンジを見た。切花を露天で売る人は、普段花を生けない。シンビジューム。黄緑とピンク。3本芯に立てている中央に大輪のピンクの百合。黄色い薔薇を添えている。バックにカサブランカを入れている。空間にヒペリカム。足元に、紫のデンファレ。グリーンはアレカ椰子。レザンファンをあしらう。何が不味いのか?何か決定的な問題を抱えている感じ。オーバルの形にしている。まず、フォーカルポイントを外している。が、それはどうでも良い。後ろの傾きが足りなくて、仏壇花に成っている。花選びで、格の違う紫のデンファレを選んだのも多めに見る。が、もっと、決定的な問題が。背中の高い位置にカサブランカの大きな蕾が真後ろを向いていた。あ~これだ。「これお祝い花?」『そう誕生日ようです。これで、13000円です。』どうだ?豪華で安いだろうと、ご自慢のようだ。「百合は開いた時を考えて、割って使ったほうがいいよ。」エッ!『僕は人にとやかく言われるのが嫌いなんです。』「そう。ごめんなさい。」ニヤっと笑って。『僕としては、80点だと思っているんです。』彼は形や何かを言われたと勘違いした。使っている花は、全体で10日以上持つ花。長い薔薇は水が下がる。花選びは、センスだから、他人が口出すことではない。形も好き好き。だが・・・・・。開いている百合は、色を失うのは3日。薔薇は、長く使っているので、2日で水が下がり首が垂れる可能性大。開いている百合枯れる。先の蕾が開く。全体で10日から、15日の寿命。シンビジュウムは少しずつ、しなびる。三日後から、真ん中ががら空き、枯れた花。今目立たない、蕾の大輪のカサブランカの花が、シンビジュウムの後ろや横で、背中や横を向いた形で主張し始める。彼は、ばら売り、束売り、仏壇の花束しか普段扱って居ない。花は枯れたり開いたりする状態を知らないのだ。貰った側の事を考えると、4日目くらいから、イライラしてくる。蕾は、枯れた花の跡に開くように枝を分けて中央に仕込む。80点は彼の謙遜だろう。是は巧い下手の問題ではない。技術の最低の基礎が出来て居ない。アレンジでは、素人以下。彼は、生け花とアレンジの違いと。花の寿命を知らない。彼は、売り切り専門の露天商。枯れたら捨てるだけ。部屋に飾る事も無いだろう。花束なら。80点。アレンジなら、10点だということに気がついて居ない。3日後から真ん中が、枯れた感じで存在する。悲しい状態だ。自分には基礎が無いと言う、謙虚な気持ちがあり聞く耳持てば、その時点で一気に腕が上がる。彼が知らないのは、花の寿命。見よう見まねで、「僕は人にとやかく言われるのが嫌い」とプライドだけ高く今開いている花しか考え無い人生は、どこか、是に似て居ないか?
2004年11月06日
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泡わは、今日。8時45分電話で起きた。私の電話を鳴らす人は限られている。霊能者でなくても、誰からかは、大体予測出切る人しか掛かってこない。まず、携帯を持つように成ったのは、姉が心配して追い掛け回すのを回避するためだ。5・6年前から使っている。今では珍しくないが、私が生まれたときから、家電が有った。高校の頃から、親子別居に成って、電話はかなり重要な役割をしていた。寂しい夜には、友人が電話を繋いでいてくれて朝起きても、繋がっている事もあった。「あ・おはよう有難う。」って電話を切ることもあった。親からは、毎日9時にお休みコールが入って。それから、家を抜け出すなんて、規制もあった。(親は知らない。)長電話の習慣が切れたのは、中国に留学した時。ホテルメイドの留学学生寮には、電話が有ったが、他の一般学生は、建物に一つしかない。私は、語学ではなく、本科に聴講できていた。大学のキャンバス内の友人との連絡は、郵便を使う。それも面倒で、以心伝心で、偶然出会うことを使うようになった。日本に帰ってきて、連絡習慣の切れた私は、姉に泣かれた。人間、連絡取れると、大体気がかりは、解消される。姉は、今海外中で、×。第二候補。昨日、友人から、連絡が有り、アルツのお義母様の散歩のエスコート、昼間の食事相手に成る事を請け負った。幸い、一回目の対面で、お義母さまは私を認識してくれた。昨日、4時間のデートで、3・4キロは歩いた。昨日はそんなわけで、一昨日から、昨日の夜まで起きていたので、朝方の電話はオネムだが、電話を取った。第3候補の人物からだった。月に一度、病院に薬を取りに行く。今月は、5週目の金曜日指定されている。ドクターに事情を話して、運転してくれる仲間と通院日をヅレないように同じにしてもらっている。電車だとバスも使うので、一時間以上掛かるので、億劫で通院できない。(単にわがまま。)一人だと薬が手元にあると億劫で病院をサボる。一緒に行ってくれる仲間が居ると(助手席に私を乗せてくれる人)スムースに通院できる。そういう人物が、偶然現れるのが私の強運。だいたい、精神科に通院している人で、車を運転できる状態の人は数少ない。おまけに、彼の通院ルートの途中に私の場所が位置しているのは神様の采配に近い。最初の入院の時に閉鎖病棟で一緒だった仲間。性質が穏やかで、私に対して異性としてではなく、純粋な好意で接してくれている。薬が切れると、怖いので多めに処方してもらっている。昨日の睡眠まで、起きてから時間が開きすぎているので、普通なら、今頃まで、眠っているところだが、(20時間から、24時間眠る。)今朝は、通院仲間からの電話で起こされる。『シン?もうついちゃったんだけれど』「ア~今日金曜か?」いつもより、30分ほど早い。何日か前から、金曜はいつだろう?と考えていた。日にちの感覚は有るが、曜日の感覚が無い。曜日指定は、通院だけで、殆どの用件は、日にちで考える。今月は、5週空けて、何日頃か、カレンダーの日付を確認しなかった。実際出かけるときは、薬と起きている時間を調整しないと、動けない時がある。昨日は、時間を確認しなかったが、9時前後?に薬で落ちた気がする。12時間眠ったので、かろうじて体は動く、が思考が回らない。車に乗りこんで、相手に先生と話すべき気がかりな事を一方的に話す。彼は、良い聞き役だ。今月、入院の相談をする事に成っていた。現在病院が建設中。11月落成される予定だった。が未だ、完成しなかった。私の入院目的は、一日の長さのリズムを取り戻したいという希望。現在、じかんの外で、寝起きしている。弊害として、食事の用意をしない。掃除をしない。洗濯がしない。この出来ない事情は、切羽詰らないと、行動を起こさない事に起因している。出来ないわけではない。するタイミングを逸している。偶にはするのだ。限界を感じたとき。コンスタントに出来ない。現在、究極の気分や状態だ。これでは、誰とも付き合えないというのが、切羽詰まった問題。人間失格感がある。この半年感じている事だが、薬の使用方法も特殊な形で使っているが、(抗精神薬を睡眠薬にしている。)私は、他人と対面している時は通常を装う。実は苦しい時は、別室で、涙を流しながら苦しい現状を話すことも在るのだが、人前では、苦しい事情は打ち明けない。本心を話すとき、少し興奮して涙が出る癖が有る。以前大家の胸になきついた時も、涙なくしては話しが出来ない。昨日、精神科の先生の日記で薬の情報を得た。来年、登場する薬はかなり、今の不都合を解決してくれる可能性が高い。問題は、今の先生は、薬に弱い。そして、保守的。それと、古いタイプの女医で、治療が決め付け型で社会のシンボル的なスタンスを持っている。日記を振り返らないと判らないが、この先生は最近の担当で、私の特徴を知らない。最初抵抗が有って、変えようかと考えたが・・・。私は、「ああしろ、こうしろ」と指示だしされるのが苦手なのだ。わたしは、治療に関して相談型が好き。周りからの働きで、少し態度を変えてくれたので、担当を替えて居ない。ある意味ではいい先生だ。この説明は、難しい。新薬の話を聞いて、私に入院に対して別な希望がでた。この薬が、どのような扱いを受けるか未だ知らない。来年のいつ頃出回るのか。病院がその薬を採用するのか?保険適応の薬か?まったく、白の状態。でも、この新薬の話が私を興奮させた。次の、段階の治療の希望が見えた。しかし今日は寝不足。思考が纏まらない。が、バラバラに自分の胸中をドクターに話すことに。彼女と話すときには、感情的にならない。実は、思考が纏まらない状態で話すと、只の人になって、入院の必要のない人間になってします。明確な病状と入院の必要性が巧く説明できないからだ。それと、主治医の一時交代の必要性。この部分が有る意味、現在のドクターを否定する部分を含んで居るので、話しづらかった。「すみません。要点が巧く纏まらなくて。」『そうよ、時間が掛かりすぎるわ』『主治医は貴方が決める権利があります。わたしは、私のスタンスを変える事は出来ません。』「はい。存じております。」最初。この先生に抵抗を感じた理由を話したからだ。『通院日の都合だけで、私にしているの?』「ある意味その部分が強いです。」(彼女は曜日で引継ぎの新しい先生。)が、以前最初のドクターから、カムバック要望があったにも関わらずに戻らなかった理由も述べている。主治医とは、恋愛関係に似ていて、どのドクターが悪いと言う決まりはない。相性なのだ。「先生とお付き合いして、先生の安定した1つの社会との接点を信頼してます。」「こうした相談は、逆にN先生(最初の主治医)とは出来ないのです。」巧く、今のドクターに伝達できない。しかし、脈絡の無い話から、先生は私の要望を汲み取ってくれた。入院中だけ、最初の先生に主治医に担当してもらうように要請してくれる事。(このドクターは、病気の自己認知で、回復を目指すタイプ。彼に最初脳のレクチャ~を受けた。)新薬には意欲的なドクター。年齢も私より、1つ上で薬は相談しやすい。それを承諾してくれた。入院のタイミングは未だ未定。今月、末から受け入れは可能。だが、私の頭に「新薬」を試したい期待がある。少し、情報確認の為、最初の先生に手紙でも送るかと漠然と考えている。今やっと、倦怠感が切れてきた。恐らく、昨日服薬した時間から、24時間たったのだと思う。(目は開いているけれど、体が眠っている感じ状態で起きていた。)今日はなんだか、寝付けない赤ちゃんのような苛立ちの中に居た。起きていながら集中できない辛さ。他人の日記の神話の説明もよく読まないと文脈が掴めない苛立ちの中に居た。やっと、体が起動してきたが、明日の為に、そろそろ薬を飲んで寝る。あしたは、朝、目覚めが良さそうだ。お休み!
2004年11月05日
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今日はかなり長い。お暇なら、目を通してください。普段余り自分から、連絡しないのだが、先日チケットの空席を埋める努力をしたとき、普段連絡してない電話番号ストック者に連絡を取った。時は、新潟震災。まぁ、チケットを口実に、ご挨拶周りになった。その内、何軒か、新潟からの連絡待ちの人が居た。近くの住民の知り合いで、新潟に義理のお母さんが居る人が居た。後日、連絡すると。義母をご主人が救出に行き、現在自宅で保護しているとの事。問題は、普通の被災者と少し違うところがある。今年初めから、アルツハイマ~である事が発覚して、施設の保護待ち状態だったこと。そして、現在、少し「普通の意識と違う人との暮らしに苦労している。」わたしは、自分が過去の健忘を患いながら、病院勤務した事がある。精神病院に関わった事は、当時は秘密にしていた。保険証も二つ持った時期もある。保険料を二重に払う事は、違法ではないから。会社員をしている時、精神科に掛かる時は、会社の保険証以外の保険証を使っていた。病院勤務の時は、家政婦協会を通して、出向の立場で、看護助手をしていた。短大で、医療関係の勉強をしていたので、実習で、ナース帽を被って居た事も有ったので、他の業種に比べて医療機関は一番仕事としては、職場としては馴染みやすかった。もう20年前の事ですが。老人病院が、注目され始めた頃で。その病院を「週刊文春」で見つけた。何に興味を持ったかと言うと。家政婦の仕事。20年前、27歳。当時、無資格月給38万は破格だった。親が死ぬ前に、何とか仕事しなくては・・・。と言うのが動機。実際問い合わせると、わたしの、経歴で、家政婦は惜しいという話で、対応を考えるので待ってくれ言われ、2ヶ月待機した。家政婦は農村出身者が多かった。下の世話や身の回りを一部屋担当する。私の経歴で、何が惜しいかと言うと、万一患者さんに事故を起こした時の責任の所在を負う事に成るからだ。看護助手で、待遇を相談する事に成った。仕事の現場では、給料、立場ではなく、現場では出来そうな仕事は何でもさせられる。医療関係の最低限の教育をされていた私は使いまわされた。老人病院は、「準看」で、責任者に成れる職場。ここでは、熟練された高度看護資格を持つ看護婦が虐めに会っていた。30代の若いドクターも虐めに会っていた。一般病院とは、少し事情が違う。病気も入院の一要因だが、主に「老人の不自由な生活」を面倒見ること。何が一番大切か、患者に接する時の、権限の範囲を侵さない。教育があると無いとの違い。行為にたいして。ナースの資格者と資格の無い者の手を出してはいけない範囲を知っていた。ナースの資格者と医者の監督の下で出来ることとしてはいけない事。その範囲を理解していると、報告の順列が理解出来る。命令系統が理解出来る。他にも病院直属の助手には、消毒など責任の有る仕事を任される事を羨まれたが・・・。私としては、有資格者より、安い給料で同じ神経使う仕事をする事は、実に損だと思った。卒業しておけば、良かった。と、この時ばかりは、思った。卒業しなかった理由は、自分には不向きな職業で、資格を受けるとその道で生きていく選択をしやすくて、行き詰る事を恐れての事だ。(この時、そうした事情は忘れていた。)元々、歯科大志望だったので、看護・教育系に興味が有ったわけではない。自分は、自己逃避で受験を逃げたのか?という気持ちは、拭えなかった。医療関係で何が、不向きと感じたか?血とか人体、生死に弱い。最近、記憶意識がはっきりして来て、経験値から、簡単に結論付けると、わたしは、所謂、霊媒体質的なものを持っている。最初に気がついたのは、学校の解剖の時間。東南アジアから、輸入されている、人骨を手をする事が出来なかった。学校では、模型ではなく実物を使う。涙が出て止らなくなり、「何可愛い子振っているの?」と悪態をつく学友と、黙って、代わりに運んでくれる学友が居た。お陰で、医療従事に見切りを付ける卒業間直までは、学校に通えた。私の中では、幽霊とか判らないのだが、エネルギ~体として感じてしまう。病気など、ある程度、身代わりに受けてしまう。自分の体は、身代わり地蔵みたいだと思った事ある。その癖、オカルトはSF的に好きなのですが、非科学的な事は受け付けない頭をしている。心霊系に心酔出来ない。だから?どうした?って考えてしまうから。とりあえず、出来る事から、仕事しようと、目に付いたのが老人病院。この、老人病院で、当時未だ一般的ではなかった、アルツハイマーの人たちに多く接した。症状の軽い人。重い人。60歳前で、発症している人も居た。重症患者の病棟には余り、行く事が無かったがそれでも、用事があれば、目にする事もしばしばあった。糞尿と塗れる、重症患者は見るも無残。ある程度、身体の拘束も仕方ない状態の人たちも居る。無意識に体を動かすので危険なのだ。衣服や布団の綿等、喉に詰まらせる可能性も有るほどだから。最近、身体の拘束について、色んな人権保護の呼びかけがあるが・・・・。死んでも良いですか?と一筆書いてもらう必要が有ると思う。アルツハイマーは進行を遅らせる薬が開発されつつあるが、治療の可能性は低い。胚細胞はこれからの課題。当時ウィルス説も有った。朝の日光浴が症状を改善するとも言われている。が、それらは、生活リズムを取り戻す手段でしかない。*****:友人と喫茶店ばったり会った。買い物途中に、少し生き抜き。義母がアルツハイマ~だと聞いて。「じゃ、監視が大変だね。疲れ切る前に連絡して・・・。交代するから。」彼女自身も、健康体ではない。病気ではないが、かなり体重が足りない。前回、偶然会った時に、自宅の場所を教えておいて貰う。何かの時に行ける様に。その時、どこかで、義母さんと面識を持って置きましょうと今日、喫茶店で落ち会った。アルツハイマ~は、「ある意味普通。」他人との交流も出来る。記憶の認識状態の違い。人格の部分はそこなわれていない。記憶障害を起こすと、その人の人格が、露に成る。人間普段からの心がけが大切。簡単に言うと、智慧が湧かなくなって、ごまかしが効かなくなる。ある意味装えなくなる。わたしも、記憶障害には悩まされた方だ。密かにアルツではないかと、悩んだ事も有る。偶々、36歳の頃、眩暈から脳の断層写真を撮る事に成った。その時に、ドクタ~に相談すると、大笑いして、アルツの人の写真を見せてくれた。脳を囲む、皮質の襞の部分が無くなって、頭骸骨との間に隙間が出来る。私の脳は、びっしり、襞が埋まっていて、脳は健在だそうだ。年齢と共に、中央に水見たいのが溜まるらしいのだが・・・。私の脳は、年齢よりもそれが、非常に少ないらしい。保存状態は良好らしい。どうやら、色々な事が有ったが、深く考えない性格が幸いしているのか、死滅している細胞が少ないと見た。問題に遭遇すると、自分で余り悩まない。知っていそうな人を、周りにストックしておく。人間関係においても、他人の頭脳を借りたことが多い。理解を超えた反応は、その心理に詳しそうな人に電話して聞いた。私なりに解釈すると、人体は、機械と同じで、過度に使用すると消耗が激しい。わたしは、脳を余り疲労させて居ないようだ。アルツハイマ~についてのメカニズムは、よく判らないが、一般の本の認識は持っている。それとは、別に患者に接していて、感じた事がある。有る時点の記憶のところで、行ったりきたりしていて、他の思考を阻害した感じなのだ。当時、私は思った。この人たち、どこかで≪自分に対して≫、嘘をついている。そこの時点の引っかかりで、思考が出られなくなっていると感じた。薬物による脳の萎縮と、アルツは萎縮の仕方が少し違う感じがする。(素人目)見事に、襞が綺麗に無くなる。この何年か、呆けた、老人と接する機会が有った。相手の言わんとする所を理解すると、ボケが改善する気がする。どうせ呆けているから、と相手をしないと進行してしまう。何年か前に亡くなった、友人の祖母は亡くなる前に、嫁のお母さんに、「遠くに住む娘より、近くに居たあんたが一番可愛いよ有難う。」とお互い挨拶をして、別れることが出来た。お母さんは報われた気がしたらしい。その家に滞在していた時、呆けたおばあさんと仲良しだった。嫁の事を、息子の女だから、と言って。呆けても姑の硬い関係が有った。わたしは、おばあさんを、怒った。「同じ一緒に住む人間に対して、何てこと言うのだ?」って。「そんな事言うと言われたほうは、いじけるよ。」って。毎晩、おじいさんの背中を叩きながら、「星影のワルツ」を歌っていた。二人は仲が良かった。おじいさんは呆けて居ない。日中自分の畑も耕す。もう。「同じ別れる歌ばかり。」とわたしは、不機嫌に怒った。(わたしは、友達と別れる為に、居候していた。)「泡雪さん、他の歌を教えて下さい。」とおばあさんは指をついた。おばあさんは、女学校を出ていた。学生時代の先生を思い出すみたいなのだ。「もういい!」と部屋を出た。この家で、剥きになって、おばあさんに接するのはわたしだけだった。別件で、友人のお母さんが呆けてきたと話を聞いた。先日遊びに行った。二人きりで、話す機会が有った。最近、物忘れの激しい悩みをきいた。「う~ん。若くてもあるけれどね。」と一応聞いた。最近の私の関心ごとから、和服の話になった。書斎から、眠っていた、和裁の本をクレと言ったらくれた。後日、友達が遊びに来た時。『悪いのだけれど、お母さんが本を返してくれと言っている。』最近、和服をいじり始めたらしい。「それは良かった。」私の気に成っていた、羽織の縫い物を添えて返した。(私に代わって、縫ってくれと言う意味。)日常から、少し刺激が加わると、脳が、新しい関心、興味に動く。老いても成長を示す。~前日の日記に続きを記す。長くなりましたが、興味有る方はどうぞ。
2004年11月01日
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