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やっと、ぎっくり腰から復活です♪いやー、今回の痛みは中々ハードでした。ご心配頂いた皆様、ありがとうございました。ハッピープロジェクト当日もヘロヘロでママ社長さんにはご心配をおかけしてしまいました。久保さんにはホント助けていただきました。皆さんの温かいお心に感謝いたします。私自身が、身体の声を聴きましょう・・・と常々言い続けているのに・・・そんな気持ちにもなったりしました。そこで、この腰の痛みも何らかのメッセージとするならばそれは何だろう?とじっくり身体の声を聴いてみることにしたのです。腰は、ワークショップが終わった翌日に痛み始めました。ケド、会議中だったので何とかこなせました。翌日と翌々日はダウン23日、ハッピープロジェクトは参加できました。24日、とあるオフ会とアートセラピーはこなせました。25日、思いっきりダウン。(陣痛を思い出したくらいの痛み)26日、親戚の伯母のお見舞いには行けました。帰宅後、ダウン。こんな風に書いていくと、必要なときには何とか動けているのです。これって・・・?と思って耳を澄ませてみたのです。25日、呼吸するのも響くかのような痛みの中じっくりと腰に手を当てて、その感覚に浸ってみました。ふと、思いついたこと。それは、ワークショップが《想い》で突っ走ってきた結果自分の中にじっくりと落とし込む時間が大切な気がしてきたのです。ローズの言葉参加してくださった皆さんのお顔そのときの感覚ひとつ、ひとつが蘇り、あるがままの自分・・・色々な自分がいていいんだと感じることが出来ました。そして、翌日の27日には昨日の痛みからは解放されていました。まだ少々の痛みは残っているものの・・・。しかし、何故かまだこの痛みは必要な気がしていました。そして、今日・・・同期の友、美香さんのブログで出逢った言葉一瞬、一日、今ある現在を楽しみ、慈しむ。そう、この慈しむ・・・これが胸に沁みこみました。自分の身体を慈しむ、自分の感覚を楽しみ、慈しむ。その言葉を何度か繰り返しているうちに痛みがうそのように無くなって行ったのです。信じられませんか?でも、本当なんです。《慈しむ心》・・・これが最後の痛みへのキーワードでした。美香さんありがとう・・・。そして、ご心配頂いた皆さんありがとう・・・。みなさんの温かいお心に感謝します。
September 29, 2005
ストーンのパワーって信じますか?私は…、信じます。てか、イイって言うものは何でも取り入れちゃえってタイプなんですけどね。(あぁー、単純…)去年、下の娘に「これしてると元気もらえるかも?」ってあげたのがカーネリアンとルチルクォーツのブレスでした。それが約1年ほど前。満月の夜、新月の夜などは月光浴をしつつ、大切に愛用してたようです。ところが、夏の日のある日学校で突然切れてバラバラに…。探したけれど、結局全部は見つからなかったのです。学校のグラウンドなので、友達と必死で探したのに。私は娘に言いました。「もう、御用が済んだからあなたとはさよならなんでしょうありがとうとお礼を言っておいたら…」と。娘はニコッと笑って頷いてました。とは言え、彼女は受験生なので何か別のものをプレゼントしようと思っていました。そして、ブログでのお友達。じゅんじゅんさんにお願いすることにしたのです。じゅんじゅんさんが京都に来られたときにお食事をご一緒させていただいて、そのときに娘用と夫用と私用をお願いしたのです。これは私用の分です。イイと言うものは何でも取り入れるタイプではありますがそれに依存してしまうのは違うと思っています。あくまでも、《自分》が主体であること。それが大前提ですが…。夫も娘もとても気に入ってくれて、お届けいただいたその日から愛用中です。私自身は「こうでなければならない」と言うのが苦手な性質ですので肌身離さず、ずぅーと…と言う付け方はしていません。ふと…思い出したときに愛用させていただいてます。石は意志に通じると思っていますので、石が語りかけてくる気がしたときに、必要なときに、思い出してるような気がしてます。そして、ストーンのパワーはとってもパワフルな気がしています。うちのセラピールームにも色々と置いてます。これをご覧いただいたみなさんもいかがですか?じゅんじゅんさんの手はゴッドハンド…あなたにぴったりのストーンをインスピレーションで選んでくださいますから!彼女曰く「その人をイメージしていると石が語りかけてくる」んだそうです。
September 28, 2005
夢がひとつ叶いました。そう…夢をカタチにしてくれたのが好きをいっぱいみつける天才。夢エガキストICHICO☆さん彼女の挑戦した【ドリームブック】Parsley~アナタのそばで~が出版決定です!ICHICOさんの魅力満載で《愛》が込められてます。私も以前にご案内させていただきましたが、夢がカタチになるこの感動を一緒に味わえることに感謝します。ICHICOさん、ありがとぉ~~~一人ひとりのチカラは小さいかもしれないけれど、想いは大きく、高い。その想いに共感して集結する人の輪。そこから発するパワー、エネルギーはとてつもなく大きい。そのエネルギーの渦ができるまでがしんどいよね。後戻りできない…逃げられない。だからこそ、前に進む。踏ん張って、踏ん張って…。落ち込むことも、凹むこともあるんだよね。だけど、この胸の想いは諦めたくない。最後まで、絶対に。そこで、一皮も二皮も剥けていくだろうね。色々な成功の秘訣や方法が書かれた本がたくさんあります。成功した人、達成した人が書いた本には夢を持ち続けましょう。願えば叶う。言葉にしましょう。書きましょう。どれも有効だと思います。それを支えるのは《絶対に諦めないこと・行動すること》一生懸命に必死に本気で頑張っている人絶対に諦めない人行動する人そして、そこに《愛》がある人そこに渦が出来ていくんだと思います。ここにも新しい渦が…素晴らしい出逢いをいただいたことに感謝!
September 26, 2005
ぎっくり腰を患っております。もぉ~、ちょっとした拍子にグキッと痛みが走るこの辛さ。とは言え、昨日はママ社長さんが企画されたハッピープロジェクトの日テーマ 「輝かそう個人力」 ~まずは自分を知ることから!はじめの第一歩~朝、9時30分に夫の運転する車で自宅を出発。電車での移動は辛いだろうと配慮してくれたことに感謝。11時過ぎにクレオ大阪西に到着。車を降りるのに一苦労…の状態で、こんなんでできるのか?!久保さんと、ママ社長さんと打ち合わせをして、昼食をとって、気持ちの集中のためにセンタリング。ふぅ~…段々とからだの中の気がひとつに集約されていく。何とかなりそう。。。1時半スタート。久保さんの軽妙なトークと体験に基づくお話。彼の真摯な姿勢から捉えた言葉の一つ一つがとても心地よく流れ込んでくる。言葉は人柄が出るなぁ。やっぱり。久保さんの時間が終わり、軽く交流の場を持った後私の担当の時間。そのときには、腰の痛みは感じなかった。ハッピーを伝える、ハッピープロジェクト。参加していただいた方々の真剣なまなざしに支えられ、素敵な笑顔に囲まれて、何とか終えることが出来た。お出逢いできたご縁に感謝。お越しいただいたワイヤーさん、ありがとうございます。久しぶりにお目にかかれて嬉しかった♪eleuteriaさん、遠いところありがとうございます。お帰りになる皆さんの笑顔に出逢えて幸せです。おひょ・・私がハッピーいただいてるぞ。ハッピープロジェクトは、私がハッピーになれることだった^ ^v今回のご縁をいただいたママ社長さんにあらためて感謝!腰痛がセミナー終了後に復活してしまったので早々に退散してしまいましたが、みなさんに感謝します。松井さんのStaffの方々にも心から感謝です。ありがとうございました~~。
September 24, 2005
ローズ・ナジィア “クラウニング・ワークショップ”-自分探求への旅-■ 2005年9月17日(土)PM1:00~9月19日(月・祝)PM4:00(2泊3日)■ 八幡市四季彩館涙あり、笑いあり、感動の嵐の中、ありのままの自分に出逢い、受け入れ、それぞれの方が自分とつながり、全員がひとつにつながり、筋書きのないドラマは数々の感動と熱い想いを胸に刻んでおかげさまをもちまして、無事終了しました。ローズは愛に満ち、厳しくもあり、温かくもあり、ありのままの自分に出逢うための道を付き添ってくれる母のような方でした。ワーク中。躍動するエネルギー、ほとばしる生命力。どんどんとイキイキと輝きだす…。見守る笑顔、広がる安心感。笑顔がつながく心と心。全員集合です。ひとりひとりのこの笑顔。お互い出逢ったのは1日前。なのにこんなにひとりにつながり、認めあい、まるでファミリーのように…。参加いただいた皆さんに感謝します。ご声援、ご案内いただいた皆さんに感謝します。支えていただいた皆さんに感謝します。そして、このワークショップに関わっていただいた皆さんに感謝します。人はひとりでは生きられない…だから、お互いを認め合い、信じあい、愛し合うことですべての人が輝きだし、今をイキイキと生きることが出来ることを知りました。あるがままの自分に出逢うことは、自分とつながること。自分とつながることで、相手とつながれる。ありのままの自分でいていい。ありのままのあなたが愛しい。心が震える…魂が揺すぶられる…。こんなにも人が温かい。こんなにも優しい。出逢えたことに心から感謝して…。東京でのローズ・ナジィアのクラウニングワークショップまだ、間に合います!日時:9月23日・24日・25日各日ともAM10:00-PM5:00場所:江東区古石場文化センター 東京都江東区古石場2-13-2こちらまで
September 21, 2005
今日、14時。台北から関空着の飛行機でクラウニングワークのトレーナーのローズ・ナジィアが来日。台北で10日間のワークショップをこなしてきた疲れも見せず慈愛に満ち満ちた素敵な笑顔でした。到着ロビーに現れたローズの姿を見たとき…思わず涙が頬を伝いました。やっと、やっと、逢えた…。青い瞳の奥に、すべてのものに愛を捧げるかのような慈愛に満ちた柔らかさ・優しさを感じました。今回のワークショップ開催にあたり、ブログ仲間の方々には本当にお世話になりました。人様の温かいお心に触れたことは、深い喜びです。感謝いたします。そして、改めて感じたことは、すべては必然であること。必要な出逢いは準備されている…と言うこと。台北で10日間のワークをこなし、日本でワークをこなし次はサンフランシスコだそうです。こんなにも各地で人気のトレーナーが、京都に来てくださったこと。そして、一緒に作り上げたいとの想いを伝え、お互いの想いを確認しあえたこと。ソレに対し、彼女が「コラボレーション」できて、とても嬉しいといってくれたこと。これは、もぉー感激を通り越して、感動!!思えば、しんどい時期もありました。何度もパソコンが壊れ、集客に出遅れ、こんなにも素晴らしいトレーナーの来日を多くの皆さんにご案内できない自分の無力さを痛感した日々でした。今回のワークショップ開催までの日々は、私自身にとって、すでにワークだったように思います。色々な方からのバックアップもいただきました。ご自身のブログでもご紹介いただきました。ママ社長さん、スーパーTAKEさん、ハートフルコーチAKOさん多くの方のお力を借りて、無事開催にまで来られたことに感謝します。ご参加いただく方も、遅れてだけど参加したい…とか、1日だけでも参加したいとの熱意でご参加いただける方も。。そんな熱い想いに支えられて17日ワークショップがスタートします。私は、ローズに出逢えたことは神様がくださった素晴らしい機会だと感じます。それをご一緒できる皆さん方にも素晴らしい時間としていただきたいと思っています。そんな訳で、ワークショップ終了までブログはお休みします。お越しいただいた皆様のところへはまた、お伺いします。どうぞよろしくお願いいたします。
September 14, 2005
彼は、自転車で、色々なところへ出かけたり歩くこと大好き!5.6.7.8月はあらゆるところへ自転車で行くそう。あるとき、東京の方と能のある物語の話をしているときに、その物語に出てくる通りの道筋が今も存在していることに随分と驚かれた。糺の森をとおり、深泥が池を通り、鞍馬川を上り、静原、市原を通り、貴船に行く・・物語の通りに続く道が今もある、そうか・・・そんなに価値のあるもの、それはすごいことなんだ・・とそれをきっかけに歩き始めた。自宅を出て、自転車で走って1時間、山道は押して歩いて1時間半・・・。そうして登りきったときのあの景色や新鮮な空気、全ての苦労がこの一瞬のためにあったのか・・と思うほどの爽快感。歩いていると、地層が変わったところに川があったりする。そこを通るときに目で見えてなくてもす-っと風を肌で感じる心地よさ。たっぷりとかいた汗さえも気持ちよく感じられる。蛇を見かけてもテレビでみる世界だったものを目の当たりにすると、「おぉーすごいな-」と感じる。こんな山の中で生きている蛇に対して、思わず「ガンバレよ」と思う。仕事のときは意識して汗を出さないようにする。だから季節を肌で感じ、自由に汗をかくという当たり前のことに解放感さえ覚える。帰りのくだりの爽快感もさることながら、景色はのぼりが良く見える、頑張るのもけっこう気持ちイイ!能の演目では京都がたくさん舞台になっているが、峠の話もよくでてくる。車では何気なく通り過ぎてしまうところが、自転車だと一つ一つが目に入り、小さな祠を見つけてお参りしてみたり、峠の名の由来を知ってはうなずいたりしてしまう。例えば、比叡山一つをとっても、日蓮・最澄・空海・信長も、秀吉も、紫式部も同じあの山を眺めた・・、それをいま自分も眺めている。移り行く歴史の中で、変わらぬものがここにある。せっかく京都に住んでいるんだから、せめて北山だけでも堪能しようと思い、今年に入ってからは7.80回は行っている。細かな木々の変化も感じられる。そんな当たり前の自然を感じることが楽しい。自然の中にあるありのままの姿に感動し、また遠い時代に思いを馳せて時空を超えて、その時代の人のあり様に感動する。彼の言葉から、“今”という時間を大切にしつつ、遠い時代の人々からつながる自分の存在にもどこかで感じながら、大自然に溶け込むことで、地に着いた自然体を育んでおられるように感じた。私たちは、日々起こることに目を奪われがちです。そして、それにとらわれてしまうことも多々起こります。今回のお話を伺って感じたこと、色々なことが起こるのも含めて自分なんだと。そして、どんなことも自分が立ち上がっていくための原動力に変えられること。自分を取り巻く環境の中で起こることすべてが、自然ことだと感じることができたなら、窮屈な生き方ではなくなるような気がします。すでにある窮屈さも、より膨らませるのも自分、糧にできるのも自分だと思います。自分の心が安らぐ場所、喜ぶ処を見つけることは、心豊な自分が育まれていくことであり、それらのすべては自分自身を優しく支えてくれる・・と感じました。今度は舞台の彼に会いに行こうと思ってます。
September 13, 2005
-感性-今は、音楽もCDやMD、映画やテレビで観る“生”ではないものが普及している。しかし、あくまでもコピーであり、ライブ(生)でこそ味わえる感覚があり、そこから自分なりの受け取り方をすることで、感性が磨かれていく。彼は語る「例えば、お芝居などで恋人が亡くなったり、子どもが亡くなったりする哀しいシーンがあったとする。芝居なら、その表情、視線、そのしぐさなど細かく表現するが、そこには、演者がいくら細かく表現しても作り物である以上表現したものが最大であり、また観る側の受け取り方を演者が限定してしまう表現になってしまうことも起こる。」と。しかし、能は、元々は人に見せる物ではなく、神や仏に向けてのものだった。それゆえに人の心の様を表現するものの、人に向けての外側の表現ではなく、内側の動きを最小限の動きを持って表現するため、観る側の感性に委ねられるところが大きい。心の内側を最小限の動きで表現する・・・けど、その最小限に込められた想いは最大限。そのうらはらなところが生で観ることで生きてくるのだろう。私は、いつのまにか作り物の感動に慣れすぎているかもしれない。 そんな気がしてきた。だから、知らず知らずに、自然を求めるのかもしれない。月に心揺さぶられ、朝日に感動し、山に語り、花に微笑むそんな自分を持っていたいから。自分の感性を磨くためには・・・そんな質問をしてみたら、豊かさを育むことと返ってきた。彼の豊かさを育むとは・・・また明日に。
September 11, 2005
昨日書いた-窮屈な思い-とは…偉大な父の看板があり、できなければ「息子なのに…」できても「息子だから…」と、どちらにしても父が付きまとった。その上、偉大さゆえの父への反発さえも息子である自分に向けられた。どこまでも父の影。能は団体競技のようなものであり、一人だけで成り立っているものではない。色々思いもしたけれど、個人な感情からの思いはあまり意識しなかった。意地を張っても何も生まれないし、結局は自分が嫌な想いをし続けるだけでは意味がない。それなら“まずは実力”と思い続けた。そうすると、いつしか段々と周囲の目、対応が変わってきた。頼りにされていると感じる。この変化を実感しているし、その期待に背くことが無いように着実に成果を残していこうと思っている。何十年も変わらずこのメンバーでやっていく以上、恨みつらみはもちたくない。そこが踏ん張りどころ。ぐーと我慢することが心の中で頑張る糧になっているのかもしれない。彼は自身を「執念深く、根に持つタイプ」とおっしゃる。しかし、彼の根に持つとは私の概念を超えていた。それは、「根に持つこととは、相手にぶつけたり反発したりするのではなく、自分の中に受け止めて自分の中で消してしまうことであり、自分の根になっていくこと」つまりネガティブな感情を引きずるのではなく、物事を受け止めて自分のバネにしていくというものだった。それでも消えない想いは「お酒飲みます」とにっこり微笑む彼はやけ酒のイメージとは程遠い爽やかな笑顔でした。根に持つ…自分の根になることであり、それをバネにすること。私には思いもよらない考えだった。根に持つ…それをネガティブに捉えない彼。真っ直ぐにあるがままを生きる彼の深さを見た気がした。
September 10, 2005
初めてお逢いしたのが8年前、秋の風のような静けさと柔らかな陽射しが差し込んでその光の帯を追えば、どこまでも続く真っ直ぐな光の道・・・そんなまっすぐな方でした。久しぶりにお逢いしたんですが、当時の印象のままでした。その方のお仕事は能楽師彼にとって-仕事とは-「気がついたら仕事でした。」お仕事って何なのでしょうか。とお尋ねしたときの答えでした。そして、その続きを下記のような言葉で語り始めたのでした。物心ついた頃には自然にこの道に入っていた。小学校1.2年生までは誰もみんなこんなことしてるのだと思っていた。父・能楽師、母・井上流京舞の環境の中で、親が引いたレール、親の期待に何の疑問もなく育ってきた。言われるままに手伝いに出かけて出勤料をいただいくという仕事としての仕組みを学んでいった。高い志を持ったわけでもなく、選んだわけでもなかった。日常の中にあるこの仕事はあまりにも当たり前だった。そして、二十歳を過ぎた頃には実力に関わらず家の子としてお声がかかり、、舞台が増え始めた。しかし、お金を貰うということは厳しくなることでもあった。この頃から実力という点を意識し始めた。そして、色々な場面で親の影が常について回り、窮屈な思いをすることが増えてきた頃でもあった。窮屈な思いをしたと話す彼からは苦労話を聞いているようには感じなかった。そんなこともあったけれど、それが頑張るための火種となって、まるで炭が静かに、赤々と燃え続けるが如く、今も彼の心の中を熱くしているように。私は、彼の窮屈な思いがどんなものだったのか…。それが彼にどんな意味があったのかを知りたいと思った。彼の横顔は涼やかさを湛えたまま、変わらない。それを支える思いは何であるのか?京都と言う土地にあり、生まれ育った環境がある。その中で、あるがままに、そのままに優雅に淡々と生きておられる姿は美しく、だからこそ、彼の舞う姿は人の心を打つのでしょうか…。この続きはまた明日。
September 9, 2005
昨日の日記でも出逢いについて書きました。ブログを始めてから、本当にいろいろな方との出逢いがありました。知らないままに通り過ぎる方だったかもしれないのに…実際にお目にかかる、お話しする、ご飯を食べる、段々とお話が深まっていく。もぉ~たまりませんね♪病み付きよん。。9月の4日もこんな素敵な方とご一緒しました。魅力的な男性に囲まれて、幸せの笑みが…こんな風に素敵な出逢いをいただく中で、感じたことがあります。それは、出逢いは外でばかりあるわけではないということ。昨日の私と今日の私は違っていて当然なわけです。つまり、家族との時間の中でも、そのときその時の出逢いがあるってこと。そう写真で言えば、シャッターチャンスのような瞬間が。それを見逃さずにいようと思う。今の、この《素敵な瞬間》に出逢えたんだから。例えば、今のパパはとっても優しくて温かい…。今の娘の言葉にはホロリと来た…。息子の微笑みに癒された…。どれも素敵な瞬間なのです。そんなことがたくさんあるんですものね。身近なところでの素敵な瞬間との出逢いを見逃しがちで、忘れがち。だからこそ、しっかりと見ていたい。受け取りたい。この背中に飛びつきたいッ!て思うこともあるんですから。蹴飛ばしたいって思うこともあるケド…
September 8, 2005
4日の夜、ぶーちゃんさんのセミナーに参加してきました。そこでのお話に《ツキのある生き方》とは…七田先生は、『ツキは出逢い』であると。人との出逢い、書物との出逢い、場との出逢い、毎日の中に様々な出逢いがある。その出逢いから学ぶこと、それを活かすこと。それがツキのある生き方。《出逢いは必然》と言われますが、起こるべくして起こる出逢いから学べること、受け取ることそこから自分のハッピーが広がっていんですよね。私は、生きている毎日の中で起こることはイイこと、普通のこと、ワルイこと、それぞれが3:4:3の割合くらいで起こっているんじゃないかなって思っています。自分の体質をハッピー体質に変えることで、その普通のことを、嬉しいこと素敵なことに見方を変えられると想っています。嫌だと思うことから、学べるようになると思っています。そして、人は生まれながらにしてすべての方が心の中に、からだいっぱいに、ハッピーになる体質をもっていらっしゃる。そのために生まれてきたのだから。幸せに生きるために生まれてきたのだから…あなたも、私も、みんなが…。そのきっかけが《出逢い》であり、自分の直感でその出逢いを感じるとっていく。理屈や損得など頭で考えると、直感が影を潜めてしまう。私もこのブログを通して、たくさんの出逢いがありました。そして、その出逢いによっていろいろなことを学びました。出逢う前の私と、今の私は確実に違っているはずです。君たちの時間は限られている。だから、他人の人生を生きるような無駄なことはするな。他人の考えにしばられたドグマ(教義)に惑わされてはいけない。 他人の意見ではなく、自分の中の声を耳を澄ませなさい。そして、最も大切なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。自分の本当になりたい姿を知っているのは、自分の心と直感なのだから(AppleCEO:スティーブ・ジョブス)ハッピープロジェクト♪みんなで幸せになろう!ママ社長さんが立ち上げられたハッピープロジェクトにハッピーナビゲーターとして参加させていただきます。ご参加ください。自分の直感を信じて…!
September 7, 2005
父が亡くなって、もう10年が過ぎた。振り返れば、あっと言う間だった気がする。しかし、当時小学生だった上の娘も来年は社会人。父が目に入れても痛くないほどに溺愛した下の娘も高校3年生になり、受験真っ只中。やんちゃ坊主で手におえなくて、先行きを心配した息子も某ホテルのインターンシップで修行中。子ども達の成長を見ると、10年はやはり長かった気もしてくる。もう・・そろそろ父も許してくれるかもしれない。そんな思いがしてきた。亡くなった父は本が好きな人だった。書斎には山ほどの本が積んだままになっている。父のいた頃のままにおいて置きたくて、そのままにしてしまっている。ふと思い出して、探検してみることにした。ブックマンの奧の棚をのぞくと・・・古い図書館の奥まった棚に行くと、ほこりっぽいような、湿気たような本の匂いがするが、その匂いがする。父は文学青年だったと言ってたが(自称)、岩波講座の「文学」シリーズがずらりと並んでる。他にも創作講座「文学の書き方味わい方」や「文学をどう書くか」等々・・・本当に文学を志していたのかも・・なんて思えてくるほどその類の本が並んでる。しかし、今の私には手が伸びる本ではないのでパス。もっと探してると比較的新しそうな本の3冊シリーズが目にとまった。山田無文著「魂のふるさと」・「調和の世界」・「実りある人生」山田無文老師の三分間法話1.2.3巻であった。さっそく、山田無文老師を調べてみた。山田無文老師は禅宗のお坊さんで臨済宗の総本山・妙心寺管長で現代の名僧と言われる方らしい。パラパラと流し読んでいてもわかりやすい言葉が並んでいる。 少し読んでみようと思う。そして、瀬戸内寂聴さんの“古都旅情”初版が昭和54年とある。あらまぁ~まだ私が結婚前で、きゃぴきゃぴしてた頃の本。(ホントに、きゃぴきゃぴしてたかどうかは不問で。。)こっちを先に読むことにしよっと。山のような本は、言わば父の遺産である。父の遺産に手を付け始めた私でした。
September 2, 2005
一昨日から母の妹、つまり私の叔母が来ている。当年とって、65歳。海辺の町に生まれ、今もその町で住んでいる。娘や息子は街で働いているので叔父と2人暮らし。この叔母(しぃ-ちゃん)はとても明るい。そして、とっても働き者。すっごく元気で前向き。この夏、車のドアに親指をはさんで爪をはがしちゃったしぃ-ちゃん。私に、やっと生えたガダガタ爪の親指を見せながら「私が爪はがしたのに、ウチのは(叔父のこと)洗い物してくれたん1日だけ!腹立つンやで~」と笑うで、私が「じゃ、どうしてたん?」と聞くと私がやるしかないわ!ケド、腹立つし言うてやったわ。「あんたッ!私の爪はがれとんのやで。洗い物くらいしようと言う気にならんのッ!」ソレに対して叔父は「なんやぁ~言えばするのにぃ…」「ハァ?言わんとせんの?」と言ってやった。もぉ~うちのは気がきかん、気がきかん!!呆れてモノも言えんと笑う。そう、しぃ-ちゃんは、腹立ってても最後は笑う。言いたいことは言う。やることはやる。行きたいところは行く。愚痴も言うけど、最後は笑う。とてもシンプルな生き方。軽自動車を運転し、友達を病院に送る、買い物に付き合う。仕事にも行く、親戚との付き合いもぬかりなし。しぃ-ちゃんは、スーパーおばちゃんなのだ。うちの子達は、このしぃ-ちゃんが大好き♪自分も楽しみ、人のためにもできることを最大限にするしぃ-ちゃん。それもさり気なくなんだから。我が家もしぃ-ちゃんが来ると、どんどん片付いていく。それもいつのまに?という早業で。で、やっといたよ!なんて絶対言わないの。すごいでしょ。私もシンプルに生きようと思った。しぃ-ちゃん見ててそう思った。
September 1, 2005
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