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昨夜の夢…自分が死ぬ夢を見た。テレビドラマの終わりのようにドラマチックでもなく映画のワンシーンのようにはかなく美しくもなくただ、色つきの映像が静かに黒一色になっていくような感じ。それは眼を閉じているとか、開いているとかではなくただ、終わり・・そんな感じだった。あっ気ないと感じた。ケド、淋しさとか、悲しさとかはなくてただ、終わり…と言うあっ気なさだけがあった。朝起きてもそのあっ気なさは残っていた。どんな風に残っていたかと言うと、思い残すことや、執着することもなくただ静かに終わるんだろうなと言う気がしてた。からだの感覚はその思いとは別に硬くなっていた。からだがこの世に執着するんだ・・そんな気がした。それはそうかもしれないな。だって、心とか、魂とか、精神とかは形があってないようなもの。今のワタシと言うからだの中にあるものと思っているけれどもっと自由なものかもしれない。だから、からだがなくなっても執着しないけれど、からだは“死”によって終わるから。そんなことをふと思っていた。ジツハ、年末で大忙しなのにね。何となく身辺を片付け始めた。そんな夢を見たから・・の意味じゃなく、不要なものは処分したくなったから。だけど、この夢は・・・これからの仕事のあり方も考えてみる機会になった気がする。自分の身体が、今ココに存在していることの証として、自分が出来ることを有形無形は別としてカタチにしたい・・。自分が存在している証として・・なんて言うと手前勝手な言い分かもしれないけど。そして、心は自由でいられることを知ったことは何だかよくわからないけれど嬉しい気もした。2005年の終わりを目前にして見た夢は自分が死ぬ夢だった。これはこれから先、何度も思い出すのかもしれない気がしている。
December 29, 2005
今年もあと数日で終わろうとしている。そんな感慨にふけっているまもなくバタバタと時間だけが通り過ぎていく。この時期は何かと出入りが多い。お金も、人も…。今日は大好物の牡蠣が山盛り届いた。海辺に住む方からのお歳暮として。磯の香りがぷ~んと香って、新鮮な牡蠣が計80個よっほほ~い♪だけど、我が家だけでは食べきれないので、あちらこちらにお裾分け。生牡蠣も大好きだけど、今夜はシンプルに蒸し焼きにしてレモンをぎゅ~と絞っていただきましょ。それにしても私は懲りないヤツだわ。なんせ、牡蠣には3回もあたっている。なのにいまだに大好物なのだ。人様に言うとたいがいは呆れられる。一度ならずも、三度もあたっても食べ続けてるなんて・・・・と。自分自身でも少々呆れるが、好きなものは好き。多くの場合、一度あたるとその苦しみを身体が覚えて、今度は牡蠣を見ただけで、「うへぇ~、またあたるかも…」とか「あの苦しみは二度とごめんだわ…」と思って食べない。ケド、私は「前はあたったけど、今度は別物」と思って食べる。まったく不安にもならない。だから、とても美味しくいただける。とは言うものの、その時の体調や牡蠣の鮮度によってはまたあたる。けど、また別物として脳の中で処理されるのかな?とにかく、平気でまた食べられる。よくまぁ、懲りないね…と我ながら感心する。それは色々な場面でも言える事のような気がしている。嫌なことがあっても懲りない。それとこれとは、別物と考えるから。人も物も、森羅万象すべてのものが常に変化しているのだから。同じじゃないから…と心の奥底か、身体の根幹の部分でか、どこだかわからないけれど、そんな風に思っているのかもしれない。それとも単に食い意地が張っているだけなのかな?(爆)みなさんはどうですか?
December 27, 2005
いつ頃から降りだしたんだろうか…。朝起きたら、障子越しに雪明りでぼんやりと明るく感じて外を見たら、真っ白い世界が広がっていた。久しぶりの雪景色。頬に冷たい風が心地いい。一気に眼が覚めた。♪雪やこんこ あられやこんこ 降っては 降っては ずんずん つもる山も野原も 綿帽子かぶり 枯れ木のこらず 花が咲く ♪思わず口ずさむ、懐かしいこの歌。雪やこんこんと間違って覚えてた時期もあったな…と思い出した。そう言えば…真っ赤なお鼻の トナカイさんは いつもみんなの 笑いもの でもその年の クリスマスの日 サンタのおじさんは いいました 暗い夜道は ぴかぴかの おまえの鼻が 役に立つのさ いつも泣いてた トナカイさんは 今宵こそはと 喜びました~って歌があるでしょ。あれもね「暗い夜道は・・」てところを「暗いよ、道は…」と語りかけてると思ってたし…。言葉って、書いてみるとわかるけど、聞いてるだけじゃ誤解することってけっこうあるのかも。当然、そこには言い方が大きく関わって来るんだと思う。さっきの歌のようにどこで切るか?もあるし、語調や語気も大いに関係あるだろう。相手はそんなつもりじゃなくても、キツク聞こえたり。。誤解して聞くと、誤解したまま返しちゃうし。こうなると、こじれる・こじれる。我が家の朝の会話も送だった。昨夜、風邪気味で鼻をぐじゅぐじゅしながらも夜更かししてしまった私。朝からぼぉ~としてたら、「遅くまでおきてるから…」と夫が言った。私には夜更かしを諌められたかのように聞こえた。夫はからだを心配して言ったそう。この差はなんなのか…。朝の慌しさの中故のちょっとした語気語調の強さと私の心の中に多少の疚しさがあったから。。些細なことなのよね。お互いに「ん?」と思ったままにしないから難なくクリアしたが、誤解を生みかねない会話だった。たかが一言、されど一言。これから年末にかけて慌しくなるからこそ言葉には気をつけようと思う。語尾まではっきり話すことだろね。
December 22, 2005
一足早いクリスマスプレゼントが届きました~♪嬉しいな♪嬉しいな♪数年前に2年間学びをともにした仲間であり、その後も折に触れては逢い、語り合うソウルメイトとも言える彼女からのプレゼントが…。彼女は趣味で陶芸を始めて数年。その間に彼女のお家にお邪魔したときに素敵な器で色々とご馳走になってます。その度に、「いいねぇ~」と私が言うと彼女は「いつか焼いてプレゼントするからね」って。そして、今日こんな大皿が!すッごい、大作です!!わぁ~い、わぁ~い、嬉しい!彼女の心がこもったお皿です。器を集めるのは元々好きなのですが、それにも増して…、私のためにと、焼いてくれた彼女の想いが嬉しい。彼女は私にとっては、かけがえのない友達。顔を合わせる回数がそんなに多いわけではないけれど美味しいもの大好きでお食事に行ったり一緒に温泉旅行に行ったり。丸一日でも二日でも長々と語り合えるのよね…彼女とだったら。優しく、温かく、そして冷静に、まっすぐに向き合ってくれる人。彼女に出逢えたことだけで嬉しい存在なのにこんなに嬉しいプレゼントまでいただいちゃった。ありがとう…ありがとね。来年もまた美味しいもの食べに行こうね~。一足早いクリスマスプレゼントのご報告。ハッピーです!
December 21, 2005
昨夜はカウンセリング講座の今年最終日内容は「信頼関係を築く秘訣」としてペーシング。私たちはそれぞれ自分のやり方で人とコミュニケーションをとっています。しかし、いつもうまくいくとは限らないのが現実です。ちょっとしたことからの行き違いや誤解もあります。それに気づいて修正できればいいのですが、誤解が誤解を生み、関係性が成り立たないことも起こります。お互いに信頼し合えるコミュニケーション。そのためにペーシングというテクニックがあります。しかし、テクニックだけに走るとうまくいかないのです。心をこめた言葉心こめた対応心をこめて接する「心をこめて…」とよく言われますがどうすることか…?何となくわかるけど…。そんな言葉が聞こえます。私は、相手に意識を向けることからがスタートだと思っています。相手に意識を向けることは、相手を見ること(からだごと)、聞くこと、そして、循環することだと。その土台があってこそ、様々な技法が役立つと思います。テクニックだけに走ってしまい、こんな言葉をかければ、魔法のように信頼関係が築ける!!みたいなことはないのです。相手の無意識が抵抗します。そして、そこから相手に意識が行かなくなってしまうことは簡単に起こりますから。(うまくいっていないと感じて焦る)そんな自分の中で起こる感情に囚われてしまうと相手を見ることさえしなくなってますから。相手とつながること。そして、意識を向けていくことからはじめたいと思っています。「いま、ここ」で共有しているこの場を大切にしたいと思います。その大切にする方法がテクニックとして存在すると思うのです。万能の言葉も、万能のテクニックもなく、自分自身が意識を持って、相手に接することからだと。昨夜のワークでは、そんなことをお伝えし、受講された皆さん方もペーシングテクニックのパワーに触れていただいた時間でした。確かにパワフルです。開始当初と講義が終わり間近とは空気が一変してましたからね。和やかな雰囲気で、今年の締めくくりが終えられたことにとても感謝の思いでいっぱいでした。
December 20, 2005
12月19日 今日は夫の誕生日。家族揃ってお祝いを!と言いたいところなんですが…残念ながら、私は夜のお仕事がある。下の娘は受験生で塾へ行く。息子はゼミの忘年会へ行く。上の娘は卒論の追い込みでねじりハチマキ状態。母は検査の日で帰宅後はゆっくりしたいだろうし。。たろちゃん、ごめん。。(注:たろちゃん=夫)誰もいないし、今日は何もしてあげられないよそう言うと「みんな元気で無事に迎えられただけで十分」と言った。おぉ~、エエ人や。(←おノロケ?)この一言でみんなが救われた。心置きなく、自分の予定通りに過ごすことができる。パパお誕生日おめでとう!そして、ありがとう♪次々にパパとハグ。眼を細めるパパ。義母はもう10年前に他界している。私達が結婚するときに、その母から贈られた言葉がある。「あの子のことはもうすべてあなたに任せたからね」そして、本当にその日を境に一切の口出しはなかった。優しく、温かく、強い、母だった。お義母さん、ごめんね。今日はお祝いして上げられないけど、明日はご馳走作るね。そんな言葉を天に向けて呟いた。明日はたろちゃんの好きなもの作ろうっと。エビフライとー、ハンバーグとー、(子どもみたい?)そう、彼はお子ちゃま食が大好きなんです(爆)
December 19, 2005
昨日は東京行きの日。朝から新幹線に乗り、寝不足もあったため名古屋から品川まで爆睡zzz初めてネット予約した席は何故かABCDEのB席。真ん中やん!!誰もわざわざ選ばない席。。けど、誰も乗ってこなかったから楽チンに寝られた。東京は京都よりも暖かかった。人口が多いせいか?ビルが立ち並ぶせいか?とにかく吹きぬける風が冷たくない。底冷えがしない。けど、ぶつかっても知らん顔で無表情は冷たく感じた。あちらがぶつかってきたのに…「ごめん」くらいは言えないか?と思った。だけどね・・・以前東京駅で、最終列車に乗るのにコーヒー買ってお弁当持って急いでたときにドーンとぶつかってきたサラリーマン風のお兄さんに「どこ見て歩いてるのんッ!」と思わず怒鳴ったことがある。だって、彼のほうからぶつかってきたのに黙ってるから。私の手にはコーヒーがこぼれて熱いし。そうしたら、2.3歩後ずさりして、「す、す、すいません」とどう見ても私が脅したかのような反応。ち、違うやん!と思ったが、後で東京の友達に聞くと余程怖かったんだろうね!と笑われた。東京の人には、関西弁は面白いけど、そんな場面では怖いらしい。だから、今回は何も言わなかったの。そして、そんなことを思い出しながら新幹線に乗り込んだ。隣の席は30代くらいの女性だった。先に席に着いていた彼女の横に座るのに「ちょっと失礼しますね」と声かけたけど知らん顔。こちらを見向きもしないの。またもや名古屋まで爆睡してたら、隣の席でもぞもぞと動く気配。「あ・・降りるのかな?」と思ったので、「降りられますか?」と聞いた。「はい」と顔も見ずに返事が返ってきた。テーブルを戻して、荷物を持って立ち上がり彼女が通れるように準備した。下を向きながら「すいません」と通ろうとする彼女に「いいえ、どうぞ、お気をつけて…」と声をかけた。その時、初めて私の顔を見て笑顔を返してくれた。「ありがとうございます」と。素敵な暖かい笑顔だった。心がポッと温かくなった気がした。そして、もう一度東京駅でぶつかった彼とのコミュニケーションを思い出した。そうか…やはり私が彼を脅したんだわ。。いや~、ごめんなさい。見知らぬ彼に詫びる気持ちが湧いた。コミュニケーション、相手の反応が自分の出したメッセージ。まさにその通りです。それを伝えるお仕事の私ですが、ソレを再確認した21時24分品川発最終列車の車中の出来事でした。
December 18, 2005
バリバリと仕事をこなし、多忙を極めているが、いつも元気で走り回っている友人がいる。理系ながら、カントを語り、老子を読み、ジョークが好きで、バカなことも平気で出来る人。そんな彼が珍しく凹んでいると言ってきた。同時進行の仕事が何れもまだ光が見えてこない…それ自体に凹んでいるというよりも、その状況下で、つい他人のせいにしてしまう自分のココロがイヤなのだと。誰のせいでもなく、自分の力不足が突きつけられているはずなのに他人のせいにしてしまう自分の弱い心がイヤになると。それに対して、息が詰まると行き詰る。からだが教えてくれる心の状態、今起こっていること。それを知って欲しいと返信する。深呼吸すること。首が回らなくなっているだろうから、そのためのストレッチ体操が有効なこと。そして…毎日毎日、昨日と変わらない今日を送ってしまっているんじゃないですか?自分のための時間は使えていますか?美味しいと感じてご飯食べてますか?好きな歌歌ってますか?音楽に合わせて身を任せた瞬間はありますか?普段は他人のせいにしない人が、つい他人のせいにしたくなるくらいにの想いになってるのはいっぱい・いっぱいだというシグナルだということ。これらを書いて送信した。彼からの返信が来た。生き抜くことは、息抜くことだな・・と。ナイス!!今夜あたりは美味しいもの食べて、踊っているかもしれないな♪
December 17, 2005
昨夜の個人セッションから。。人はそれぞれ自分の価値観を持っていきいてます。それがナニなのか、一言で表すとどんな言葉で表現できるのか?それを知ることってとても大切なことだと再確認しました。それがわかると、判断も決断も早い。何故なら、自分の価値に合うものかどうかが基準なるから。理屈も言い訳もないしね。昨夜の彼は、前回のセッションでソレを知った。今回のセッションでそれを全うするために障害となるものがあることを知った。そして、その障害はずっと以前の未完了の感情がからだの一部に硬く閉ざして閉じ込めて残っていたことも知った。完了していない感情に向き合った。そこからのメッセージを聴いた。それは・・彼が自分の価値観を全うするために必要なメッセージだった。前回は眼に力を感じた。今回は肩の力が抜けたのを感じた。自然体・・そんな言葉が似合う彼の笑顔に出逢えた。自分と向き合うことを避けてきた彼。しかし、それは未完了の感情に向き合うことを避けてきたと言える。その未完了の感情に深く傷ついたから。彼の無意識は彼の心を守るために向き合うことを避けてきた。自分の生きる価値を知った彼は「傷ついても諦めない」自分を知ったから。帰り際に握手した彼の手は力強く痛いほどだった。自分の価値観・・・とても偉大なパワーを持っているものです。あなたはどんな価値観で生きますか?
December 16, 2005
私は自分が迷ったとき、問題が起こったとき、シンプルな法則に立ち戻ることにしています。シンプルな法則ってナニ?と思われますか?ふふふ・・とってもシンプルな法則です。例えば…慌ててて、うっかりとドアにオデコをぶつけたときに痛くて冷やしながらふと気づいたこと。《頭を打つ》→《頭を冷やせ》おぉ~、ココで気づけてよかったと思う出来事が起こりつつあるときでした。やらなきゃいけないことがあるのに、思い浮かばない…頭痛がして捗らない。イライラしてくるし、時間はなくなるし。。自分自身が邪魔しているかのようにさえ感じるとき。《頭が痛い》→《頭が使えない》ふと思った・・つまりは頭で考えるなってことか・・少しからだを動かしてみたら、名案が浮かんできました。夫と他愛もないことでドンパチ!もおぉぉぉぉ~と怒り心頭。ふと思った。《子どもは女が生み育てる》→《彼は男》そうか・・私の想いを理解できるように育てなきゃわかんないんだ。その態度で接すると和解。頭で必要だと思っていても、行く気になれない、足が一歩でないときは、前に進まないメッセージ。などなど、書ききれないくらいにからだが教えてくれる自然の法則が教えてくれるメッセージがあると思ってます。それをシンプルな法則と呼んでいます。誤解があるといけないので、あえて書きますが、私はそう思っているということです。そこんとこ、どうぞよろしく♪
December 15, 2005
先週の土曜日12月3日クリスマスイルミネーションがキラキラと輝く銀座。「愛されるコミュニケーション術」セミナーを開催しました。今回開催に至るまでは、起業塾同期のpumpkinさんの存在は欠かせない。塾で、pumpkinさんと出逢えたことが、今回につながったとも言えるのです。当日の会場の件でお骨折りいただいた同期の仲間miumiuさんや静岡からご一家でお越しいただいたトモコアンドさん(品川駅構内を最終列車目指して駆け抜けた同士)とも出逢えたのも塾。そして、応援メッセージやエールを送ってくださった同期のお仲間に支えていただいて当日を迎えることが出来ました。そして、その日お手伝いいただいた方々にも期が違うにも関わらず出逢えました。これも塾がご縁。本当にありがとうございました。心から感謝いたします。経沢さんに改めて感謝の想いが湧いてきました。出逢いのきっかけをいただいたのは塾だから。ツキを呼び込むためには行動すること。ホント、そうだと実感しています。今年の春頃だったら、予想もしていなかったことでした。それが、実現できたのですからね。行動すること。出逢うこと。そしてその出逢いをキャッチして、大切にすること。ご参加いただいた皆さんともお出逢いできたご縁がありがたい。広がる仲間の輪が何とも嬉しいのです。セミナー中、みなさんの熱いパワーがムンムンでしたもの。笑顔が笑顔を呼び、連鎖していく中で、お一人お一人の、煌く瞳がとても印象的でした。並木通りのイルミネーション以上に!本当にありがとうございました。遠くはオレゴンから参加いただいたエマさん、お目にかかれて嬉しかった♪寒い中、お運びいただいた皆さんに心から感謝いたします。これからもどうぞ宜しく~~~♪
December 11, 2005
今日送られてきたメルマガからの言葉もし、私たちが本当に生きていくなら、本当に分かるだろう。(英語)If we live truly,we shall see truly.(ラルフ・ウォルド・エマーソン)本当に生きる…って、どんなことなんだろう。本気で生きること自分自身が納得して生きること誤魔化さないこと逃げないこと色々と浮かんできた。ちょうど、昨夜の我が家の家族の会話のテーマとリンクしていた。大学3回生になる息子がいます。彼は大学のサークル活動でボランティアをしたり、某料亭の洗い場のアルバイトをしたりこの夏にはインターンシップで某ホテルのボーイを体験したりいつも忙しそうに動いてる。けれども、それは足らない何かを埋めるかの如くに予定を詰めているようにも見えた。大学を出てからどうするのか?どうしたいのか?ナニがしたいのか?たまたまの話の流れでそんな会話になった。我が家では、個人の想いを尊重することを大切にするがそのためには、自分がこうしたいから!と言えることが大前提である。ある意味で、家族へのプレゼンテーションが出来るかどうか…と言えるかもしれない。彼は「何がしたいのかわからない…」と言った。そして、「漠然としているけど、知らないことを知り沢山の世界を経験したい。沢山の面白いことに出逢いたい」とも言った。思えば、幼い頃から、眼の放せない子だった。好奇心の塊みたいな子で、いつもイキイキワクワクした目をしていた。その分、色々な問題も引き起こしたけれど…。それが最近は随分と落ち着いたものだと感じていたが、ジツハ…彼の個性が萎んでいたのかもしれない。忙しさに紛れて、自分と向き合う時間を持っていないこと本当になにがしたいのか・・それをキャッチできなくなっていること彼の日常は、自分の心に向き合う時間をとらずに過ごすには十分の多忙さなのだ。そして、そんなことにすら、気づく間もないほどじっとしていないのである。いや、空いた時間をあえて作っていなかったのかもしれない。彼がやっていることは、どれもその場面では大切で自分もそこそこ満足し、人からも感謝されたり、評価されることなので、一応の満たされ方はしている。しかし、そこそこなのだ。下の娘がそれを指摘した。上の娘が追従した。私も夫もそれに頷く。そこから、「自分を生きる」と言うコトについてそれぞれの想いや意見を出し合った。彼は「自分と向き合い、自分の想いを感じること」これをしてみると約束した。しばらくの時間が必要だろうと思う。しかし、期限を切った…「年内」彼にとって、ターニングポイントとなる時期が来ているのかもしれない。
December 8, 2005
11/30、大阪で開催された某セミナーのお手伝い。経営トップセミナーだけあって、年齢層は高い。300人強の人たちが参加されたセミナーで平均年齢で言うと…40代後半くらいかな?いや、もう少し上かもしれない。所謂、団塊の世代の人たちも大勢いらっしゃった。そこで感じたこと。バリバリやっている人は元気がイイってこと。特に、当日講演された弁護士の安西愈先生のパワーはものすごい。声は大きくて、表情豊かに、からだを使って、速いテンポでどんどん話されます。笑い声も大きい。御年67歳、労働関係でバリバリ活躍されていてパワフル、パワフル!圧倒されます。自己啓発セミナーなんかで、大きな声で挨拶とか教えられるそうですが先生の場合は、外側からの意識ではなく、きっと内側から湧き上がり、溢れるものがあり、それが大きな声になったり、からだを使った動きになるんでしょうね。参加者のほとんどが、世で言われるオヤジさん方です。今の若い世代の人たちみたいにスマートでもないしカッコ良くもないけれど、パワーがあるんですよね。仕事も段取りいいの。チャッチャカ、チャッチャカこなしていくの。手を動かしながら、口も動かしてジョークも出る出る。このパワフルさは、男性ホルモンのテストステロンと少なからず関係しているのかもしれないなぁ~。朝10時~夜までの9時間余りが瞬く間に過ぎた一日でした。テストステロンのお話はまた今度…明日、銀座でセミナーですのでバタバタしてます。120分であなたの人生が変わる! 「愛されるコミュニケーション術」お越しいただいた皆さん、コメントいただいた皆さんにお返事も出来ていないままでごめんなさい。日曜日の夜に戻りますので…そのときに。では、素敵な週末をお過ごしください。
December 2, 2005
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