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おサルの赤ちゃんを母猿から離して、栄養的にも、環境的にも整備した中で育てたら…スクスクと元気に育つと思いますか?こんな聞き方をしたらお解かりですよね。そう・・ちゃんと育っても、問題行動を起こす猿になってしまうそうです。一方、母猿に抱かれて育った猿は問題行動を起こすようなことはないそうです。人間も同じことが言えると思います。人と人とが触れ合うこと。直接のスキンシップもあれば、心と心の触れ合いもある。親子、夫婦、恋人、友達…様々なカタチの中で触れ合いがある。私たちは、この触れ合いを求め続けているんじゃないかな。この触れ合いを実感したくて・・・人と人との関係を作っていくのかもしれない。淋しいとき、不安なとき、悲しいとき、辛いとき誰かに抱きしめて欲しくなる。それは実際に抱きしめるかどうかは別としても、心が抱きしめて欲しくなる。自分のからだが今ここに存在していることを実感したいのかもしれない。そして、ここから抜け出ないようにつなぎとめて欲しいのかもしれない。そんなとき…そばにいるあなたが抱きしめてあげて欲しいと思います。悲しい眼をしているのなら淋しい声が聞こえたら、不安で震える背中を感じたら、躊躇しないで、抱きしめて欲しいと思います。手偏に包むと書いて抱く。手で、腕で包んで欲しい。心で包んで欲しい。あなたの大切な人…抱きしめてますか?
November 30, 2005
11月27日、名古屋にお邪魔してきました。“「説得力」を身につける”をテーマにお話させていただきました。この方が企画してくださり、何から何までお世話になっちゃいました。本当に素敵な機会を頂き、心から感謝してます!午後2時~4時までの予定でしたが、欲張りの私はあれもこれもと…。準備したパワーポイント資料ではどう考えても収まりましぇ~ん。と言うわけで、延長になりますんで~と、スタートからお断りして始めさせていただきました。説得…それは言葉のテクニックではなく、自分自身が相手とどう接するのか、そのために自分を知っていくこと、そして、自分を活かすこと、自分を伝えること。10人いれば、10通りの説得力があると思っています。こうすれば間違いない!みたいなことではなく。どこまで行っても、自分自身が問われると言うこと。それをココロの部分から、からだの面から、言葉の視点からお伝えさせていただきました。3時間、休憩なしで、一気に駆け抜けちゃいましたが、お付き合いいただいた皆さん、本当にありがとうございました。お越しいただき、お出逢いできたことに感謝いたします。「魔法のコトバ」も、しっかり受け取って頂き、嬉しいです♪その後の懇親会まで催していただき、和気藹々とした雰囲気で楽しませていただきました。お一人お一人の笑顔、キラキラと輝く眼、むんむんと立ち上る活気もぉ~、皆さん最高♪素敵過ぎますッ!ハートが熱い♪英さん、もりもりさん、ノーキーさん、ビーチボーイさん尚加ちゃん、さっちんさん、かなちゃん、OTFさん、そして、懇親会に駆けつけてくださったじゅんじゅんさんご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。次は温泉合宿で♪
November 29, 2005
朝晩とっても寒くなってきました。ここ数日、セミナーの資料作りやスクールのテキスト作りに追われちゃってます(^ ^;)なんせ、ギリギリになって、お尻に火がつかないと動かないんだから!(あッ、私のことか…)今もメールのチェックをしてたら…ロンドンのお友達からThanksgiving 感謝祭のメッセージカードを頂きましたん。息詰まってたのよね…きっと。ほのぼのしたカードにふぅ~と息を抜いてもらった気分です♪遠い国から、愛に包まれたゲンキをいただいちゃった。有り難いことですね。人と人とのつながり。それに支えられて毎日元気に過ごせている気がします。家族も、お友達も、お仕事で出逢う方も、ブログで出逢う方も。ご縁がつながって…そこからいただく元気パワーがある。そこからいただく勇気がある。そこからいただく愛がある。有り難いご縁に支えていただいてます。さぁ~て、PCに届いたメッセージに心温められてもう、ひと踏ん張りしましょうか。そして、私からも届けたいメッセージがあります。頑張ってるあなたに届けたい・・・。こんな素敵なメルマガが…いかがですか?ゲンキが愛に包まれて届きます。この方の愛がたっぷり詰まってますよ!このメルマガ おススメです♪
November 26, 2005
「ありがとうございますッ」って言葉は万能ではないと感じた。とある勉強会で、お互いに自分の考えを発表したり、それに対して感想を述べたり、話し合う場だった。Kさんが自分の発表をしたときのこと。彼女はにこやかな微笑を湛え、流暢に話した。その後、発表に対してMさんが手を上げて「ちょっとお尋ねしていいですか?」と切り出した。すると、Kさんは「ありがとうございますッ!」と大きな声で返事した。Mさんは、その大きな声に面食らって驚いてしまって「何も言っていないのにありがとうございますは変じゃないですか?」と、質問しようとしたことを忘れて切り出した。Kさんは「ありがとうございますッ!そうですね。勉強になります。気づきをありがとうございます」と満面の笑顔で返した。Mさんは、ちょっと呆れた顔して、黙って座った。そんな流れを見ていて、《ありがとう》は心をこめて適切な場面で使わないと返って相手の不信を買ってしまうと感じた。Kさんに決して悪気はない。いやいや、謙虚な気持ちでいたのかもしれない。いや、きっとそんなんだろう。けれど、《ありがとうございますッ》を乱発してしまうことで相手がどんな風に受け取るかは意識がいっていなかったのかもしれない。そう言えば…「挨拶は大きな声で」「ありがとうと大きな声で」「いつもゲンキに笑顔で」なんて言う研修が、あったりするよね。(もちろん、他の事も教えてるだろうけど)参加したことはないけれど、以前にセミナーやったときに隣の部屋の研修がソレだったことがある。30代~40代くらいの会社帰りの人たち(?)が20人くらい集まってて、とにかく大きな声で挨拶したりありがとうございますッ!と言っていたのを思い出した。私は、普通の会話なのに「ありがとうございますッ」と言われても・・と思ってしまうんだけど。(抵抗を起こす)人格を疑うわけじゃないけど、言葉は疑いたくなる。そんなに連発されたら、ありがたくないから。言葉と態度とその場の流れとの一致感が感じられない言葉は受け取れない。《勢い》も、《笑顔》も、《ありがとうございます》も、それぞれはとても大切なものだけど、そこに《心》がいるよね。「ありがとう」を言わないのもどうかと思うけど、言い過ぎるのもどうかと思った。ありがとうの語源は、「有り難し」で、「有ることが難い」つまり、めったにないことだという意味で、これは神や仏の力だと信じ「有り難いことだ」と感謝したことから。だから、乱発する言葉ではないと思う。大事に丁寧に心をこめて使う言葉だと思う。
November 25, 2005
昨夜の電車の中でのこと。淀屋橋発出町柳行き急行電車は夜の10時を過ぎていたが、結構混んでいた。私の前に30代後半くらいのサラリーマン風の男性が腰掛けていた。彼は売店で買ったばかりの新聞を読み始めた。そこへ70代くらいの男性が乗り込んできて、ちょっと席を詰めて‥のゼスチャーで座り込もうとした。しかし、そのシートは5人掛けでもうすでに5人の人が座っていた。新聞を読みかけていた彼が不機嫌そうにキッと睨んだような表情で席を立った。70男性は「あれれ?」とあっけにとられた表情ながら空いた席に座った。その席の左右の乗客は、「ナニ?コノヒト」とばかりに怪訝な顔でその70男性を横目で見ていた。まるで周囲の人を敵に回したかのような70男性はバツが悪そうな顔で、辺りを見回したがやがて目を閉じて眠りに付いた。(寝たフリかも…)この一連の流れを見ていて、面白いことに気づいた。この間数分だったが、誰も言葉を発していないのだ。そう…一言も。(無言の行でもあるまいに)ゼスチャーで「ちょっと詰めてくれる?」態度で「これ以上座れないから、俺が立つから座れよッ」表情で「エッ?そんなつもりじゃなくて、座れそうかと…」視線で「ナニ?この人?非常識ね~」雰囲気で「ありゃりゃ、まずかったかな…寝とこ…」こんな流れだったかも。。(私の推測)ここに言葉があれば、当然御礼があり、笑顔が生まれお互い気持ちよく、席を譲ったり、譲られたりしただろうと思う。いい気分で一日を終えられただろうと。見知らぬもの同士が隣り合わせる電車やバス。言葉で伝えなきゃ、勝手に解釈するしかない。一方は「ちょっと詰めてもらえませんか?」のつもりでももう一方は「どけ!」と言われたような気がしたかもしれない。言葉で伝えることは、ホント大切だ。口があるんだから。同じ言語を話すんだから。コレ、相手が悪ければ喧嘩になるよ。おぉ~、怖い怖い。。ちゃんと、言葉で伝えよう。「ありがとう」は特に!
November 22, 2005
今、あなたが何か問題を抱えているとして、その問題解決や、行動変容など、こうなりたい!と思う状態、望ましい状態へ変化するにはリソースが鍵。リソースとは何ぞや?リソースとは、あなたが持っている能力・知識、学んだこと、身につけたこと、今の環境などなどあなたが使える資源のことを言います。かの有名なミルトン・エリクソンは「相手(クライアント)の何が問題か・・・ではなく、この人はいま、何ができるか?を考える」とおっしゃってます。この何ができるか…!のところで、リソースがカギになります。そこから、確かな変容につながっていくのです。つまり、何ができるだろう…と思ったときに問題解決に意識が向き始めます。そして、今までの経験や能力などフル動員すれば何とかなりそうなパワーが湧き上がってくるのです。あなたの中に、その資源がたくさん蓄えられていることに気づいてください。それが、あなたの可能性を広げてくれるから。俯いてても、何も落ちていないから。今の世の中、落ちてるもの拾ったら危険なんだから。自分の課題から逃げないで。あなたに起こったことは、あなたが解決できるのだから。それに必要なリソースはきっと必ず持っているから。リソースなんかないッて方そんなことは絶対ないですからね。必ずあるのです。自分でリソースだと思っていなくても、オセロのゲームのように黒い部分ばかり見てたらわからないだけ。白い部分が出始めたら、パタパタパタと白が見えてくる。あなたのリソースはなんですか?お時間のある方、ちょっと考えてみませんか?愛と夢を込めて・・・♪
November 21, 2005
「ある出来事からの想ひ」で書いた内容がいつになく厳しく映ったみたい。私的には、いつもの自分であり、私の基本的考えであると思っている。私は、“自分と人は違うものだ”と考えているし、すべての人が違う考えや感じ方をしているものだと思っている。そして、みんな違うから魅力的!みんな違うから惹かれあう!だから、何もしないで勝手に相手がわかってくれるものだとは思っていない。それは、たとえ親子や兄妹、夫婦であっても。自分の感覚、思考、価値観などを伝えずして、相手が理解してくれるなんて「ありえな~い」と思っている。大切な関係だからこそ、愛の伝わるコミュニケーション。心が通じ合える関係を大切にしたい。そのためには「安心」を共有できることが大切だと思っている。言葉で何も伝えずして、周囲の人が理解をしてくれて、仲良くできて、楽しい笑顔に囲まれて…なんてのはお世話をしてもらわなければ生きられない赤ん坊の時代のこと。それでもどこまで理解しているかは別で、生まれたての赤ちゃんでさえ、泣く・むずがる・笑うなどのボディランゲージで自分を訴えるのだから。では、いっぱい喋れば伝わるのか?言葉はドンドン流れていくから、何を喋ってもいいのか?流れているようで、ジツハ…残る。どこに残るか…、それは心に残る。心に沁みこむ。では何が残るか?聞き手の心に残った言葉だけが伝わっている。聞き手の頭に入った分だけが理解されている。残る言葉は、話し手が決めるのではなく、聞き手が決める。言いたいことを言えば、伝わるのではない。言いたいことを如何に伝えるかがコミュニケーションの第一歩。相互理解は、コミュニケーションによって成り立っていく。そしてコミュニケーションはキャッチボールのように双方向のもの。そのキャッチボールなくして、勝手に理解することを誤解と呼ぶ。この誤解から、立ち往生してしまうと、相手のせいとか、社会のせいとか、自分のせいじゃない逃げ道を作らざる得なくしてしまう。または自分自身を追い詰める・・・葛藤する。誤解は妄想にまで発展してしまうことも起こる。こうに違いない…と言うように。。「違いない」は違うかも知れナイを含んでいるのに絶対にそうだ!の部分で受け止めてしまうから。それは一人芝居をしているかのようなもの。自分が切りつけて、自分が傷ついている。誰のせいでもない・・・自分がそう思ってしまったと言うこと。それを誰かのせいにしてしまうのは、自分自身の価値を自分で落としてめてしまうこと。そこに「安心感」はない。自分を大切にすること。自分のココロ、自分のからだを大切に…。そこからだと思う。愛を込めて…。
November 20, 2005
景気回復基調なんて言われてても、まだまだ。メンタルダウンする方も増え続けているし、現実はけっこう厳しいよね。本屋に行けば、「成功する○○」とか「こうすればあなたも○○」とか山のように並んでいて、ソコに人がたくさん集まっている。かく言う私も「成功するコミュニケーション」とか「○○の秘訣」とかのセミナーをする側なんでそれをとやかく言うつもりはない。(てか、言えないもん…)しかし、本を読んでも、セミナーを受けても、《他力本願》の人は変わらない。どこからか、白馬の王子様がやってくるかのような幻想では一生待ってても現れないし。誰かが変えてくれるかのように思ってたら何も変わらない。自分が本気で今の状態から新しい状況に変えたいと思うことが第一歩なのだ。ず~と、待ってても何もない。それを社会や、組織や、他人のせいにするってのは違う。口を開けば「○○がわかってくれない」「いつも我慢ばっかり…」わかってくれないという前に、あなたはわかっているの?って思っちゃう。少なくとも、わかろうとしているの?と。自分の楽しいことはする。けど、やっぱり不満は言う。自分が言い出したことへの責任を持たない。(人はソレで動き出すんだって・・・)自分の都合で動いているのに、その自覚がないのよね。一旦決めたこと、簡単に覆せるのも、だって仕方ないから…と、自分のせいじゃないと思ってるからできるんだよね。自分で被害者のような立場でいるから、《可哀想なワタシ》になる。何も可哀想じゃないし、楽しい事だっていっぱいあるのに。仕事柄、色々な方に出逢うし、色々なお話を聞く。けどね、それをそのまま「大変ですよね・・・」と受け入れるのがワタシの仕事だとは思っていないの。だってね、受け入れても、いつもいつも変わらず同じコトを言い続けてる人には違うんだよね。自分と言う人間が生きている。自分の人生は自分しか決められない。自信とは自己信頼。自信もつことは自分と他人を区別することから始まる。そして、肚すえて、がっぷり自分と向き合うこと。で、どう生きたいかッ!ですよね。
November 17, 2005
しばらくぶりに書き込んでます。ここ数日ですっかり紅葉や銀杏も秋色に染まり、~♪秋の夕日に 照る山 紅葉 濃いも薄いも 数ある中に 松をいろどる 楓や 蔦は 山のふもとの 裾模様♪~と思わず口ずさんでしまう。月曜日の夜の講義って、みなさんお疲れなのよね。(週末の疲れ) で、昨夜の講義もスタートから、と言うかお見えになったときからお疲れモード。で、扱うテーマは「アンカリング」だったのでここは皆さんに温泉に行っていただくことに決~めた。「アンカリング」と言うのはNLPのスキルで特定の体験と五感からの刺激を組み合わせて、ある刺激によって自分の感情や感覚状態を引き起こすこと。日常的なことで言えば、街角で聞こえてきた懐かしい音楽からその当時のことがありありと思い起こされる・・みたいなこと。で、昨夜はみなさんに「温泉」に行ったときのことをペアになって、相手の方に視覚・聴覚・体感覚的に言葉で語りかけていただき、それをアンカリングしました。例えば…目を閉じて(あっ、目を閉じたら読めないか・・・)ここはとある温泉場の露天風呂です。お湯に肩まで浸かって、夜空を見上げると、星降るという言葉がぴったりな程の無数の星が輝き、ひんやりとした風が心地よく感じます。ふと、どこからか誰かの話し声が・・・聞くとはなしに聞いていると、この地方の方言のようです。それもどこか優しい温もりがあり、心が緩んでいくような気がします。そして、それをどこかで聞きながら、お湯のやわらかさに身をゆだねていると段々とからだの芯まで温まり、力が抜けていくような感覚がしてきて・・この心地よさにまどろんでしまうかのような。。。と言うように言葉をかけていくことで、相手の方が講義のお部屋なのにまるで温泉に入っているかのような緩んだ表情になっていくのです。そして、アンカリング。講義が終わる頃には、すっかりとリラックス♪当然講義に参加されている方々は、学ぶためにお越しですが、自分自身のいまの状態を自分が知ること。そして、自分で自分の状態をニュートラルな位置に調整できること。それを知っていただくことが大切だと思ってます。だって、必死で学んでも“いっぱい・いっぱい”だったら自分の中に入らないでしょ。自分のために学ぶこと。自分が生きやすくなること。そしてイキイキと輝くこと。それを大切にしたいと思ってます。体感して、身につけていただくためのセミナー■■東京で開催します!■■ 120分であなたの人生が変わる! 「愛されるコミュニケーション術」 ・コミュニケーションギャップはなぜ生まれるか ・そのメカニズムを知るということ ・自分が変わると周りも変わる ・幸せな毎日を過ごすために ■12月3日(土)18時~20時 銀座 ■12月4日(日)個人セッション(90分/3組)お申込およびセミナー詳細はこちら
November 15, 2005
自分の可能性…なんだろう?私の可能性は無限にあって、ソレをどんどんじゃんじゃん活かせてます!と言える人がどのくらいいるんだろう…。かく言う私も、自分のことはわからないのです。ただ、言えることはですね。自分が可能性を広げようとか、追求しようとか意志を持たないと勝手には広がっていったり、向こうからやって来たりはしないものですよね。そのためには…自分を疑わないこと。自分自身と仲良くすること。自分をひたすら信じて向かうこと。そうは言われても…と思っちゃいます?だから、自分と仲良くすることからはじめてみませんか?ケドね、それは…自分の世界だけに入ってしまうことではないんです。私たちは、毎日誰かと会話します。誰かと関わっています。それ誰かって、家族だったり、上司だったり、部下だったり友達だったり、恋人だったり…ですよね。その関わる人に自分の想いをちゃんと伝えたり、受け取ったりして関係が成り立っていきます。その関係に必要なものが自分を信じることであり、人との信頼関係であり、もっと言えば…安心感なんだと思います。例えば…私はキムタクが好き♪と思っているけど、私の人生を預けられるか!と言われたら即決でNOです。だって、信頼関係も安心感もないもん。(エッ、相手が嫌がるって…だからぁ例え話だって!)例えば…無人島で一人で生きていくとしたら、今の夢と同じ夢を見るでしょうか。当然違ってくると思います。つまり、自分の夢や可能性は人との関わりに大きく影響されると言えるのです。そして、ソコには安心・信頼を築くコミュニケーションがとても重要になってくるのです。わが町、八幡市円福寺で修行された稲盛さんの言葉です。「可能性とはつまり《未来の能力》のこと。現在の能力で、できる、できないを判断してしまっては、新しいことや困難なことはいつまでたってもやり遂げられません」稲盛和夫「生き方」より未来の能力は勝手に育つわけではありません。自分を磨くための育むレッスンが必要ですよね。120分で人生が変わる!「愛されるコミュニケーション術」 ■日時 12月3日(土)18:00~20:00 ■場所 銀座ビジネスセンター5F 東京都中央区銀座6丁目6番1号 銀座風月堂ビル5F ・地下鉄「銀座」(日比谷・銀座・丸の内線)B5出口徒歩2分 ・JR 「有楽町」徒歩5分先着8名様です。お早めに♪お申し込み方法等の詳細は後日upします。
November 8, 2005
昨夜、遅くまでパソコンに向かっていた。喉が渇いたので、「お水が飲みたい…」と思った。そこで、すぐにキッチンに行って飲んだ。グビグビグビッ!ふぅ~、満足♪朝起きて、無性にコーヒーが飲みたいと思った。何よりもまずコーヒーを入れた。我が家にはコーヒーメーカーがないので、お湯を沸かすことからスタート。シュンシュンシュンと湯気が上がるコポコポコポとコーヒーが泡立つ。芳しい香りが広がる。そして、ズズズと一杯。ホッ…美味しい♪低血圧で目覚めが悪いので、朝風呂に入ろう。明るい陽射しが差し込む浴室に湯気が立ち込める残り湯だから、気にせずザーザーザーとふんだんにお湯を使う。おぉ~、朝から贅沢♪ふと、目に止まったのがシャンプーや石鹸を置いている浴室内の収納棚(?)の側面の汚れが気にかかった。よしッ、バスマジックリンを噴射ゴシゴシゴシとスポンジで洗う。ピカピカ♪ふふ…、キレイ♪気持ちいい。思ったこと、目に付いたことをそのままスグに実行してみたんです。この《スグ実行》してみるのはいい。仕事や自分以外の人からの頼まれ事なんかはそうしようとするでしょ。。ケド、自分のこと―それも些細なコトはつい後回しなんてこと多くないですか?いつも、いつもそればっかはできないけれど、できることくらいは実行してみると…何だかとっても満足なのです。明らかに《ワタシ》が喜んでます♪自分で自分を喜ばせるコトしないと…自分で自分を大切にしないと…こんなに我慢しているワタシ誰が大切にしてくれるの!とばかりに他人に期待しちゃったり、無意識に要求したり。自分で自分が喜ぶこと、満足することしてみませんか。些細なことでいいんですから♪
November 7, 2005
今日は、とある会で京都の熱い夜を過ごしてきました。みんなそれぞれの場で活躍してる方々。そんなメンバーが集う会でした。イケメンのフラメンコダンサー、高学歴のヒップホップダンスの達人シャンソン歌手の美女、ゴッドハンドのエステシャンヘアーメイクアーティスト、アロマセラピストカラーセラピスト、ヨガの先生、漫画家の先生、美人アナウンサーなどなど…熱気・活気ある皆さんがお集まり。そこでお久しぶりのお仲間と再会。初めて出逢ってから、かれこれ5年くらいかなぁ…。再々逢う人もいるけれど、揃って顔を合わすのは久しぶり。三人寄れば文殊の知恵と言いますが、女4人寄れば…と言うことで、何か出来そう…ワクワク♪それぞれの分野を活かして、コラボレーションしましょ。そんなお話が一気に進み始めました。イメージは、持ってたんですよね~。それも、やりたかったコト。夢と言うには、わりと現実的で素敵なプロジェクト☆彡それにはそれぞれの専門家が必要なんです。その仲間が揃った!!こりゃ、やるっきゃないでしょ!で早速、来週あたりにミーティング。うぅぅぅ!!楽しくなりそう♪この年になるとね、自分だけが潤ったらいいとは思えない。そして、自分ひとりで出来ることなんてたかがしれてることもわかる。それぞれが自分の分野を活かして、イキイキと輝けること。そして、社会にも還元できること。そんなプロジェクトを始動させちゃいます。今は詳しくは言えませんが、いずれ・・・。楽しい出逢いは、楽しいコト呼び込みますよ~♪
November 4, 2005
「おばあ、誕生日おめでとう!これからも元気で長生きしてや」朝一番に息子からおばあちゃんの携帯におめでとうコール。(息子は大学の学園祭のお手伝いで友達宅に泊り込み中。)今日は母のお誕生日なのだ。母は孫息子からのおめでとうコールが嬉しくて・・・ニタニタと笑い顔で朝ごはんを食べてる。それにパパと私が「おめでとう」の言葉でつなぐ。今夜は「梅の花」でお食事にしよう。母の大好きなお豆腐料理。その場でパパが予約を入れる。夜にはみんな揃って梅の花へGO!超ご機嫌の母を囲んで、食べるわ、喋るわ、笑うわ。多分、一番賑やかなテーブルだった。こんな日っていいよね。私が幼い頃は、厳しくて怖い母だった。今は、素直で可愛いおばあちゃんになりたいと言う。そんな言葉が母から聞けるとは夢にも思わなかったんだけど…。携帯メールも上手になったし(買った当時は変換なしの呪文のようなメールだった)イタリアンも中華も喜んで食べる意欲があるし子ども達の流行の言葉も真似しようとするし向上心溢れる、可愛いおばあちゃんに進化中♪まだまだ長生きしてちょうだいよ。
November 3, 2005
仕事柄、本当に色々な方にお出逢いします。その中で思うこと。それは、いくつになっても、どんな地位や立場になっても“素直”な方はどんどん吸収されるってこと。そして、その“素直”な部分がその人の本質につながっているとき、強いパワーとなってその人自身を支える気がします。 起こっていることが少々マズイことであっても、思うようにことが進んでいなくても、嫌なこという人に出逢っても、それに対して言い訳せず、他人の所為にせず、社会や時代の所為にせずただ、自分のできることをまっすぐに取り組む。きっと、自分が本質の部分で生きていると、物事の本質みたいなものをしっかりと捉えることができるんじゃないでしょうか?自分にとって、都合のイイことしか言わない人や厳しいことを言わない人は一見、耳触りがよくて、歓迎したくなるものかもしれません。でも、そこに本音があるか、本質なのかを見極めることが大切。物事を素直に受け止められる方は、ある意味いつも本質・本音。だから、厳しい言葉の中にある本質に気づけるのでしょう。起こっていることの意味(意図)に気づけるのでしょう。人は誰しも、悪かれと思ってするわけではないのです。ただ、結果としてうまく行かなかったり、思い通りにならなかっただけのこと。そこにある意図はうまくやろうと思っていたこと。その想いに気づくことができたら、じゃ、違う方法があるとするならばどうするか?に意識は移行しますよね。選択肢が広がります。視野が広がります。そして、どんどん色んなことを吸収していくことになります。私にもあります。そのときは失敗だと思っていたことも、今から振り返ると、あの失敗があったからこそ、今の自分がある・・・と思える出来事が。そうすると、失敗も必要なことだったと思えるし、そのことによって色々なことを学んだし、意味があったと。これが必然の出来事(出逢い)といえるのでしょう。今、起こっていることをあるがままに受け取り、そしてそのことの意図を受け取れるか?色々な偶然の出来事(出逢い)を必然と思えるか?これらを素直に受け入れられる姿勢があるか否かが、成長していくカギのような気がします。
November 1, 2005
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