全10件 (10件中 1-10件目)
1
『トイチの男』のスピンオフ。待望の、画廊の‘夫婦’の、出逢いの物語。画学生は、美に対する怜悧な目を育み、それは、己自身の限界を突きつけた。ぐらつく己を抱え立ち竦んだ時、ふと横に覚束なく佇んだ青年と出逢う。人として当たり前のものを身に備えず、まるで幼児のような青年は、しかし、画学生が希求してやまぬ、天才的な才能を持っていた…青年は、美術に関して圧倒的な天才だった。しかし、その育ちは悲惨であり、異常であった。ただ、彼自身、その事に対して、他者の感慨とは別次元に居る…確かに、悲惨で異常な境遇であったと、極一般的常識的な判断ではそうなる。でも、また確かに、そこには愛情があって、愛される事も愛する事も彼は知る事ができた。限られた空間でのみ許された生息だったかもしれないが、でも、そこに自由は確かにあったのだと思う。彼にも、そして、その母親にも、彼らにとって自由と言えるものが。つまりそれは、彼にとって幸福な育ち方だったのだろうと思うのだ。だから、彼には、一般人には見えぬ色が存在し、一般人には触れられぬ形が在り、彼だからこその美を持ち得たのだと…あたりまえの人として育たず、まさに妖精のような彼と出逢った画学生は、美を新しく生み出す才能はもてなかったが、美を愛し育み開花させ、人の世に存在させる力をもっていた。彼の才能に圧倒され、己に失望しながらも、彼の傍らに在り続ける事を決意した画学生の想いが、哀しくもあり愛しくもある。唯一無二の存在をお互いに得て、さりげなく穏やかなラストが、しみじみと沁みた。彼ら二人が育んで咲かせた花は、彼らにしか知り得ない美なのだと思う… 『虹の球根』 2013年11月 ルチル文庫 玄上 八絹 * 三池 ろむこ
March 7, 2014
ものの価値、価値の意味、預ける人の事情、預けられたものの思い…質屋には、様々なものが満ちていた。そして、若主人が拾ったのは、未来への遺産…に、なるかもしれない男だった。玄上さんの、爆発しません、流血もしません…な、新刊。自分の根幹、生きる意味、未来へ共にゆくものを、しっかり掴む物語。主人公は、幼い時に実父から酷な扱いをされるが、養父となる質屋に引き取られる。それは、主人公の心に傷と枷を作っているが、実は卑下する事も囚われる事も不要な、未来へ向かって生き続ける術を、きっちり身に備えさせた養父に感服する。実父の、形振り構わぬ博打っぷりには呆れるしかないが、さて、養父は、主人公に何を確信したのだろう…主人公が拾った青年は、自分が継ぐべきものに対し、迷っていた。それは、連綿と積み重ねられた時間と術と、それに対する個の意味と、真剣に考えたからこその、迷いだったろう。主人公の、預ける人に寄せる心遣い、預けられたものに寄せる思いを知って、物と人、技術と個人の関係、時間に個が埋もれるのではなく、未来へ送るという使命、そして何より、人と人の情を知ったのだった。主人公の、先物買いの目は、養父譲りという事か…さて次の物語は、画廊の‘夫婦’の物語…だろうか。おおいに期待してしまう♪ただ、玄上さんは、ご体調を崩され入院もされたご様子。くれぐれもご無理なさらず、ご健康をお祈りするばかり… 『トイチの男』 2012年8月 ルチル文庫 玄上 八絹 * 三池 ろむこ
October 11, 2012
公安のわんこ、続編。裏に潜むものが蠢き、それは二人を揺さぶり、窮地に堕とす。過去が、燻っていた…今や相思相愛の二人だからこそ、ブレが生じて拗れる事になる。そこを敵に付け込まれたのか、それとも、身内に利用されたのか…過去の事件に関わる謎が、鎌首をもたげ、牙をちらつかせる。二人の危機は、お互いが間違いなく抱く、真っ直ぐな想いによって、スーパーショットで打ち砕かれる。過ちは、もう二度とない。玄上さんが創り出した‘犬’のシリーズ。真実に向かって、物語の過去がキナ臭みを増し、登場人物たちの裏を勘繰らせ、だからこそ、二人の関係を一層無垢な真実にする為、破壊の危機を乗り越えさせた。磐石となって、次はいよいよ真実が顕わとなるか…!?何とも待ち遠しい事だけれど、今暫くは、玄上さんのブログで、ちょっとしたエピソードと、わんこたちの流行を反芻していよう… 『ゴールデンハニー』 2012年2月 ルチル文庫 玄上 八絹 * 御景 椿
May 25, 2012
人間によって造られた‘犬’のシリーズ。主となる人と、その初対面の瞬間が永遠の別れとなった‘犬’の、命懸けの復讐の果ての、新たな主との巡り逢い。‘犬’の、主に対するあまりにも健気な一途さは、復讐の為に自虐的な暴走を重ねさせるが、まだ言葉すら知らない‘犬’に、その方法を気付かせたのは、人間だった。‘犬’の、暴走を止め、愛情を教えたのは、新たな主となった男で、でも、愛される事を知り、愛する事を知った‘犬’は、悲痛な苦しみも思い知った。そして、二人してそれを乗り切り、幸せになる事も…文庫版では、晴れて新たな主と存在意義を‘犬’が得たところで結末となるが、その実、そう簡単ではない、玄上さんならではの顛末が同人誌で語られる。その顛末があるからこそ、‘犬’という存在と人間の罪深さが更に強く認識でき、つまりこの作品も、文庫版と同人誌の双方をもって完成する。玄上さんの拘りだろうし、贔屓にとって玄上作品の醍醐味でもある箇所は、残念ながら商業ベースでは憚りのある事で、同人誌の存在は大人の対処と言える。これまで登場した‘犬’たちは皆、「我が主が最高!」と言う存在を得られて、でも、今作の‘犬’が、誰よりもストレートに幸福になれるだろうと思えた。それは、狂おしく人を愛する事を知っているし、失う慟哭も知っているし、そして何より、愛情を素直に相手へ注ぐ愛し方をする男であるから… 『ゴールデンビッチ』 2011年2月 ルチル文庫 玄上 八絹 * 御景 椿 『マイフェアレディ』 2011年3月 27000Hz
July 9, 2011
J庭獲物。『しもべと犬』『茨姫は犬の夢を見るか』の、わんこと主と、その仲間たちの後日譚。『千流の願い』の、きつねと恋人と、元神主の後日譚。わんこたちは一途に健気に主を慕い…いささか慕い過ぎて、やんでれたりもして、主たちもまた、わんこが可愛くて可愛くて…いささか可愛がり過ぎて、やんでれたりもして、みんなシアワセ…きつねはお仕事に一生懸命で、だから時々、自分の無力さに落ち込んだりもするけど、でも、恋人はおおらかに優しくて、おおきな気持ちをいつも注いでくれて、とってもシアワセ…元神主は、日々を過ごしながら、過ぎた季節を辿り、巡った季節を数え、今は空に棲むきつねへの想いを深め、育てたきつねの幸福を願う…わんこと主の、斜め上の擦れ違いとか、究極過ぎる思い遣りとか、どんなに超越してても、Love Love~♪な、日々だし。きつねの苦しみは、全て消えたわけじゃないけど、恋人と一緒で、ほんわか~♪っと、新婚さんだし。読んでて、どんなコトだって、ニコニコ笑えてしまう♪その分、元神主の追憶には、しみじみと泣ける。きつねの、裏の表紙は朱の和傘で、その鮮やかな色が、また沁みた…わんこにもきつねにも、また逢えるようで嬉しい。ところで、Atisさんが同人誌作品のドラマCD化という試みを始めたけど、それを知った時、思い浮かんだのが、きつねの『君棲む空に花びらの舞う』だった。あの美しくて切なくて悲しくて愛しい物語を、丁寧な音作りで聴く事が出来たら、そりゃぁ、もう、間違いなく大泣きだなぁ…もののついでだけど、脳内変換は、きつねに野島兄で、神主に中村悠一だから… 『わんこせいかつ。』 2010年10月 27000Hz 『きつねの嫁入り』 2010年10月 27000Hz
November 19, 2010
戸籍上は叔父にあたる守柯の家に同居する事になった秋彦の、年下の暴走勝ち。1音だけ調律しないピアノは、守柯の動けなくした指。守柯にとって至上のものを供物に捧げたのに、踏みにじられた恋。永遠に失った音の代わりに、賑やかな不協和音がやって来て。秋彦の、極力甘くしないスイーツ攻撃が始まった。玄上さんらしからぬ、硝煙も流血もない、年の差の恋。でも、やっぱり玄上さんらしく、同人誌の過去編では、流血と監禁あり。ところが、もう一つの同人誌では、夢を掴んだ二人の幸福な未来。玄上さんの最もスイーツでハッピーな物語は、行き着く迄には苦くて痛くて迷い道ぐるぐる。今、最もペンが奔っている書き手の一人である玄上八絹さん。最初、その文章の在り様に戸惑うとはいえ、そこに嵌ってしまうと喜びに変る。イベント毎の新刊も分厚くて複数なのが、たまらなく嬉しい。冬の新刊も、既に3冊予告されている。ところで、Bar‘Valentine’のマスターの物語、読みたいなぁ。 『銀とシュガースノー』 2009年9月 ルチル文庫 玄上 八絹 * 高城 たくみ 『Kyrie』 2009年10月 27000Hz 『主よ、人の望みの喜びよ』 2009年10月 27000Hz
December 14, 2009
玄上八絹さんの同人誌、『君棲む空に花びらの舞う』を読みました。ルチル文庫『千流のねがい』の前日譚になる、美しい物語です。祖父の容態が悪化し、神社を継ぐ為に実家に戻った征士郎は、神道系の中学を卒業したばかり。祖父の介護をしつつ神主として懸命に勤める毎日でしたが、ある日、誰も居ないはずの場所で背中にどんぐりをぶつけられた事から始まって、玄関で脱いだ靴にどんぐりや松葉が詰め込まれていたり、上がり框の敷き布がぐっしょり濡れていたのを知らずに踏んでみたり、そんな嫌がらせが繰り返されるようになりました。祖父に訴えても笑われるばかりで、でも、その後も幼稚な悪意が込められた仕打ちは止まず、堪りかねて自分の存在が迷惑かと祖父に詰め寄った背中に、またどんぐりがぶつけられました。振り返ると、壁に思い掛けない隙間が出来ていて、そこからどんぐりが飛んできます。出て来るよう祖父に促され、壁を開いて姿を現したのは、金の耳と金のしっぽのある‘狐の子’でした…『千流のねがい』は、神の遣いである狐の‘人形’である凛と人間の颯太が恋に落ち、そして運命から開放される物語でした。今作は、凛が棲む神社の先輩狐である鞘と、神社の神主の征士郎が、出逢い、反発と混乱と擦れ違いを経て、人間と狐の哀しい過去を乗り越え結ばれる様子が丁寧に綴られています。『千流のねがい』で既に鞘の死は語られており、むしろ主人公となった分、悲嘆も深くはなるのですが、二人の恋に絶えず花々が降りかかりその濃密な想いが匂い立ち、決して悲恋ではない事を知らしめます。月の零した雫の如き美々しい鞘と、静かな内に強さを蓄えた清々しい征士郎の、永遠に美しい恋の物語なのです。まだ16歳の征士郎にしても、まだ幼体の鞘にしても、ただただ未熟なばかりです。初々しい心は鋭利な部分を持ち、お互いも自らも傷付き合います。涙と淋しさと、そして沸き立つ恋心が切なく、そして焦れったくてなりませんでした。鞘の内にある哀しい記憶を知り、自分の想いを押し殺そうとして征士郎は凍える夜に佇み、そんな征士郎を案じ、過去の記憶が心臓を締め上げるのを承知で鞘は外へ出ようとします。静かな雪の夜に、それまで内に篭めていた恋がとうとう外へ溢れ出ていく様子が鮮やかで、激しく熱い想いの体温を感じ、それが鞘の生命を永らえさせるのだと解りました。実際、征士郎の想いは絶え間なく緻密に注がれ、短いだろうと予想され、鞘自身が諦めかけてもいたその生命に奇跡をもたらせました。季節を綴り、花を追い、祈りを重ね、年月を共に過ごした美しい記憶は、避け難い運命が訪れても、奇跡に終りはありません。征士郎の静かな慟哭に送られた鞘の魂は、永遠の自由を得て空を我が棲みかとして、晴れ晴れと征士郎を抱きしめている事でしょう。ほんの束の間、二人で育てた凛が文字通り鞘の忘れ形見で、その後の征士郎を孤独にさせないのも、読者にとっても何よりの慰めです。颯太と語り合う征士郎は、可愛い娘を嫁がせてほっとした父親のようで、空に向け凛の幸福を告げる姿に、しみじみと泣けました。鞘の奇跡と凛の幸福によって、狐の哀しい運命は昇華されました。あとは、発端の狐の悲劇が、読者としても避けられない物語となりました。あとがきで、玄上さんは書かれるご意志を明らかにされていますが、これが悲劇と解っている以上やはり覚悟をしてしまいます。恋によって胸を引き裂かれ、断末魔の苦しみを細胞に刻み込んだ凄まじい悲劇は、記憶した苦痛と恐怖に苛まれながら、それでも人を恋うる事をやめなかったその後の狐たちに、‘真実’が秘められているのではないかと思うのですが… 『君棲む空に花びらの舞う』 2009年5月 27000Hz 玄上 八絹
May 29, 2009
玄上八絹さんの、『茨姫は犬の夢を見るか』を読みました。対外的には存在しない警視庁捜査一課特殊犯捜査五係の、世間的には発覚しない事件を処理する刑事と、常識的には在り得ない生命体の命懸けの関係を描いた、『しもべと犬』の続編です。奥村智重(おくむら ともえ)と相棒の石凪信乃(いしなぎ しの)の前に、五係非常勤刑事として派遣された玖上禪(くがみ ぜん)が現れます。その時、自衛官によるイージス艦と生物研究所立て篭もり事件が起っており、短時間で秘密裏の解決に迫られた政府によって、常は傭兵として海外で戦う禪が招聘されたのでした。そして、禪は五係の分析官である篠宮犬姫(しのみや いぬき)の主であり、智重を主とする自分と同じく犬姫も《犬》である事を、信乃は知ります…凶悪事件が増えた為に、人命尊重の建て前から人間の盾となるべく造られた《犬》である信乃は、今は主である智重に愛され、五係の刑事としてその能力を十分に発揮しています。ただ、智重を愛するあまり、自分がどれくらい必要とされ、どれくらい役に立っているのか、常に不安です。そんな時にテロ事件が発覚し、禪と犬姫のその特異な能力で支え合う関係を目の当たりにして、信乃は智重の為に捨て身の戦いをする事になります。それは、刑事としての使命を果たし、《犬》として智重の傍らに在り続けられる能力を示す、つまり、人工生命体である自分の存在意義の証明でした。そして同時に、愛する智重を懸命に守ろうとする恋人としての想いの深さは、愛し愛される事を知った信乃が、最早何ら人間と変らない存在である事を表しています。前作の最後で相愛を確かめた智重と信乃に変って、特異な愛情を見せ付けるのが、禪と犬姫です。禪は、その全てが並外れており、一見、飼い犬を惨いほど傲慢に扱う飼い主としか思えません。また、他者には冷淡な犬姫が、禪に対してばかりは能力の限界以上を文字通り命懸けで酷使するので、禪の言動一切が殊更サディスティックに感じられてしまいます。読み手側は、禪に対する犬姫の盲目的な想いを繰り返し繰り返し見せ付けられ、どうしてもその胸苦しく切ない想いに引き摺られてしまいます。しかも、最後の最後、事件が解決してようやく恋人同士が抱き合い…となった時に、こってりとくりひろげられる禪と犬姫の絡みは、SMそのものです。でも、そこには確かに強固な愛が存在するのです。共に居る事のできる平穏で至福に満ちたな、でも極限られた一時の、犬姫を甘やかす禪の愛情は滴るばかりで、そして、自分の為にその能力を酷使して昏々と眠りに落ちた犬姫に向ける、禪の眼差しは慈愛に満ち溢れています。禪には命懸けの使命があり、犬姫は過酷な状況から禪を生還させる為に命懸けになります。禪を失ってしまったら犬姫に生きる意味はなく、だから犬姫の命綱が自分である事を禪は承知しています。二人が生き抜く為には、ほんの些細なミスも許されない厳しい状況であり、だから徹底して主の命令は絶対である事を教え込む調教は、確かに必要な事なのです。それが、殊更SMチックなのは、あきらかに禪のせいとはいえ…前作で、主から拒否される《犬》の痛みを、これでもか!というくらい突きつけてくれた玄上さんですが、今作では更にあれ以上の苦しみを突きつけてくれます。現実の犬という生き物の、主に寄せる懸命で一途な感情を多少なりとも経験している身には、その己を乞うように縋り付いてくる眼差しも、いざとなれば自らを顧みず尽くそうとする様子も、胸苦しさを伴う愛しいものとして実感できるものです。だから、日頃猫を嗜好する読み手はどう感じるのか、興味深いところです。まず個としての存在が優先する猫的な在り方とは、《犬》たちばかりでなく飼い主たちも対局なので。玄上さんは、書き出すと筆が止まらないタイプの書き手なのかもしれません。登場人物たちの名前が独特であったり、特異な言い回しがあったり、場面転換して誰の視点になったか一瞬迷う事もあったり、決して読み易いばかりの平易な文章ではありません。でも、一旦その魅力に気付いてしまうと、自分と書き手の相性が悪くないのだという喜びがあって、次回作を待ち侘びる事になります。幸いな事に、サイトや同人誌で、彼らのささやかな日常や(むっつり智重の風変わりな言葉攻めに、不安と快楽に苛まれながら、でもやっぱり幸せな信乃…とか)、番外編(かつての智重が、信乃を受け入れまいとしていた苦しみや、どうしても信乃を嫌ってしまう犬姫の淋しさや…)や、スピンオフ(五課の刑事の過去譚)など、たっぷりと読ませて下さり、ファンには追っ掛ける事が嬉しくてなりません。サイトにUPされた短編で、公安課にも《犬》が存在する事を知りました。だから、五課のシリーズには、まだまだ物語が隠されています。次作が愉しみで、待ち遠しい事です… 『茨姫は犬の夢を見るか』 2009年2月 ルチル文庫 玄上 八絹 * 竹美家 らら
April 3, 2009
玄上八絹さんの、『しもべと犬』を読みました。愛してるのに愛せない、愛されたいのに愛されない、心のすれ違いと想いのもどかしさが切なかったです。裏事情のある事件を担当する特殊犯捜査係の刑事と、人命尊重という建て前から作られたその相棒の、命懸けの物語です。公には存在していない、秘密裏の組織に配属された刑事たちには、それぞれの事情と傷があり、癖の強い人材が揃っています。主人公の刑事は、過去の深い悔恨と慟哭を抱え、その為、他者を受け入れまいとしています。刑事の相棒は、その存在自体が秘密裏のもので、ただひたすら己の存在理由に対し懸命に勤めています。刑事にとって、相棒が自分に対し忠実に献身的である事は、苦しみでした。相棒は人ではなく、けれど何より愛おしい存在になってしまっていたので…前作『千流のねがい』と、同じ世界の物語です。つまり、ある意図を持って擬似的な存在を創る組織とそれを利用する社会があり、でも、未だ人間は、全てを理性的には割り切れない感情を抱えているのです。物語の初めは、刑事の相棒である、その特殊な存在の視点で語られる為、自分の存在理由からくる哀しみが胸苦しく伝わってきます。だから、彼に人と何ら変らない感情がある事は、残酷に思えて仕方ありませんでした。人間の生命という絶対のものに対し、何ら価値のないものとして作られた彼は、でも外見も内面も人間と変りません。しかも彼の制作者は、契約者(警察)の意向により彼が管理者(刑事)の元へ支給される際、「愛してもらえ」と見送っているのです…その用途を十分承知しているのに。管理者の愛情が最上の糧となり、管理者への愛情が忠実な意志となる彼は、愛されなければそれが不具合の原因になり、優秀な道具にはなれない…だからこそ「愛してもらえ」とは、なんて非情な言葉だろうと思いました。もちろん、彼の制作者には、そんな意図はありません。ただ純粋に、我が子に等しい彼の幸福を祈り、新しい門出へのはなむけなのですが…この制作者は、『千流のねがい』にも登場する、優秀なのに大雑把で変り者の医師で、既にそのキャラクターを知っている為その言葉の意味を解ってはいたものの、あまりにも厳しい彼の状況に、憎みたくなってしまいました。刑事は、過去の悔恨で自らを厳しく雁字搦めにしてしまわなければ、耐えられなかったのです。刑事の同僚でもある…些か個性的過ぎる…解剖医が、刑事の過去を語る時に「子犬みたいな可愛い子」と表現しているのは、極普通の傷付き易い心を持っている刑事の本質です。刑事には、失う事の恐怖が怨念のようになって纏わりついていて、それが相棒に影響する事を恐れるあまり愚かな接し方しかできなかったのも、極普通の人間に過ぎなかったからこその哀しさです。愛おしくて何よりも大切で、絶対失いたくない存在だから、決して相手を心から欲してはならないと自分を諌めていました。自分を憎んで欲しくて傲慢なやり方をしながら、でも傷付いた心がやっと得た温かい存在に慰められてもいて、だから手放せなくなってしまったのです。相手を想う故に自分から遠ざけたくて、でも、もう既に離れ難くて…そんな刑事の心の矛盾を、彼は感じていたに違いありません…だから、彼の心も混乱するばかりでした。結局、二人が本当の想いに向き合うようになれるにも、命懸けでした。‘死’に直面して、ようやくお互いの‘生’を思った時、共に在る事の意味に気付いたのです。刑事は自分を戒めていた怨念の綱を払い、心のまま相手に対する愛情を表します。刑事に自分の想いを拒絶され、それでも尚傍らに居る為に諦観を装っていた彼の心は、その変化に追いつけなくて、相手の愛情に幸福な戸惑いを感じています。制作者に、改めて「幸せか?」と問われ、透明な美しい笑みを浮かべる事が出来た彼は、ようやく自分が生まれてきた本当の意味を知ったのでした。玄上さんの紡ぐ物語は、今回もまた、切ない痛みを伴って幸福に至ります。たとえば、六青みつみさんの物語は、運命がもたらす苦しみと痛みの末に得る幸福だと思うのですが、玄上さんの痛みは、人間が人間にもたらす苦しみによるものだと感じます。だから、人間の愚かさを表す為に、人間ではない存在が登場するのではないでしょうか。あとがきによると、彼らのその後の物語もあるようなので、ぜひ知りたいと思います。共に生きる事を選んだ二人は、どんな変化を遂げているでしょう。曲者揃いの特殊犯捜査係の面々にも、そして優秀なのに大雑把で変り者の医師にも、是非逢いたいものです…『しもべと犬』 2008年8月 ルチル文庫 玄上 八絹 * 竹美家 らら
September 22, 2008
玄上八絹さんの、『千流のねがい』を読みました。そういえば、願掛けする方の思いは知っていても、願掛けされる方の思いまで考えた事がありませんでした…ある夜、小学5年生のサッカー少年は、朱い灯りに誘われるようにして稲荷社を訪れます。賽銭を10円玉を投げたつもりが100円玉で、「あっ!」と思った時、紅い格子の中から真っ白い手が差し出されました。少年が月明かりに見たものは、白い上衣に朱袴を着た、金の髪と蜂蜜色の瞳の‘神様’でした。それから毎日毎日少年は、稲荷社に‘神様’との再会を願い続けました。そして数ヵ月後、毎夜繰り返される少年の呼びかけに業を煮やして、「うるさいんだよ!」と格子に向かって脇息を投げつけた者が居ました。それが、京都の旧い稲荷社の奥に座す‘狐’と、人間の少年との、恋の始まりでした…少年が最初に逢った‘神様’と、その後恋に落ちる‘狐’は別であり、‘同じもの’です。少年と狐が出逢う為には、近世になって起きた‘神の遣い(狐)殺し’と、その罪の隠蔽の為の‘狐の再生’という、金と権力にものを言わせた些か生臭い事件があるのですが、とにかく少年がアッケラカンと一直線に突き進むので、過去の記憶のせいで苦しむ狐とのギャップがあまりにも大きく、最初この一風変った‘種族違いの恋’が成就するとは思えませんでした。狐の苦しく哀しい胸の内を思うと、むしろこのサッカー小僧と成就してはいけないような気分までして、妙な気分を味わいました。それは、稲荷社と狐を守る‘神主’という存在が、ひたすら献身的で、そして切ないせいでもあります。物語の最初に、神主と、少年が最初に逢った‘神様=先代狐’との関わり合いが描かれるので、神主の胸にある想いは如何ばかりだろう…日に日に今は無い存在と面差しが似通ってくる狐に対して何を想うのだろう…と、想像してしまいます。何しろ、日頃の食事の世話から、身仕舞いや体調への気配り、そして狐が何よりも喜ぶ美しく美味しい和菓子の手作りなど、神主は口数少なく、ただひたすら狐の為に尽くすのです。だから、つい神主に、勝手に思い入れてしまいました。狐は、実は‘人形’に過ぎない存在です。だから、大勢の他者から掛けられる願いが、苦しくて苦しくてなりません。自分には、その願いを叶えられる能力が、微塵も無い事を知っているからです。過去の記憶は狐を容赦なく苛み、時に‘生命’をも消耗させるような苦痛を味わわせます。それでも、己に苦しみを与える人間という存在が恋しくてならない狐の、何て哀しいこと…狐の苦しみは、繰り返し繰り返し描かれ、その執拗さに狐が重ねてきた時と想いを感じました。玄上さんの文章は少々独特なものがあって、すんなり流れていかない読み辛さもないわけではありません。ただ、それが玄上さんの味わいだと思うと、かえって独特な魅力にもなります。そしてこの物語の魅力を、更に独特なものにしているのは、竹美家ららさんのイラストです。デビュー作の『篝火の塔、沈黙の唇』も竹美家さんのイラストで、イベントでもお二人で参加されていますし、書き手と描き手のユニットによる‘物語世界’の創造という事だと思います。竹美家さんは、以前コミックスも出されていましたし、同人誌にも親しんでいた私としては、そもそもは‘イラスト買い’でした。現在の描法は、些か印刷にすると見辛いところもあるのですが、これもまた竹美家さんの味わいだと思うと…とにかく、独特な世界を持ってらっしゃるお二人を、これからも愉しみにしています。結局、サッカー小僧は狐の真実を一切知る事なく、己の恋心を意志に変えてまっしぐらに幸福目掛け突き進みます。自分の幼さも無力さも、遠距離も長い時間も、彼にとっては何ら障害にならず、力技の一本勝ちでとうとう自らの願いを叶えてしまった事に、いっそ清々しい気分になりました。狐も、たった一つだったけれど願いを叶える事ができて、無力だった自分と決別しました。そして、自分が抱えてきた大勢の人の様々な願いを、晴れ晴れと昇華させたのです。やっぱり、狐と少年のお伽噺は「めでたし、めでたし」で終るべきで、些か強引な展開もかえって楽しんでしまいました。J庭で配布されたペーパーには、神主と先代狐の、お互い意地っ張りで、でも幸せな様子を描いたショートショート「ご神体と神主です。」が掲載されていました。こういう時を経ていたからこそ、神主は自分の想いを混同させる事なく、今は‘娘’を嫁がせた父親の境遇という幸せを味わっています。ペーパーには、文庫の表紙にも使われたサッカー小僧と幼体の狐のイラストの栞が付いていました。サッカー小僧も可愛いのだけど、やっぱりこの、もっふもふのシッポを抱えて拗ねている狐が何とも愛らしくて、狐の幸せがいつまでも続いてくれる事を願ってしまいます… 『千流のねがい』 2008年3月 ルチル文庫 玄上 八絹 * 竹美家 らら
April 4, 2008
全10件 (10件中 1-10件目)
1