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浅草公会堂で、尾上右近丈の自主公演『第八回 研の會』を拝見。演目は、「摂州合邦辻」と「連獅子」。この猛暑にも勝る、熱い熱い意志に満ちた舞台だった。「摂州合邦辻」は、腰元奉公をしていた大名家で、正室亡き後に主君の目に留まり継室となった女の物語。主君には脇腹の長子と正室腹の次子がおり、次子が後継ぎとなった為、次子は長子から命を狙われる。それを知った女は、継子ふたりを助ける為に、己の命を懸ける。あらすじを読むと、お家騒動の物語。物語を作った側の意図は、継母の継子に対する邪恋だったのか?現代の感覚からすると何とも理解し難い物語なのだが、演者の解釈と演技で観る側が如何様にも受け取れる。元は武士だが出家した合邦道心の庵を、夜の闇に忍んで女が訪ねてくる。女は合邦の娘で、不義をしでかした娘を父親はまず拒もうとするが、母親はまず娘の無事を確かめその本心を知りたいと思う。女は、次子に対する恋心をあからさまに語り始める…と、なる瞬間、演じる右近の全身から玉手御前という「女」が、ぶわっと立ち昇るように感じた。そこには懸命な意思があって、やはり恋は有ったのかもしれない。でも、女の最期に浮かべた笑みを見た時、それは己の成し遂げるべき事をやり遂げた成就を感じて、この女はまだ二十歳前後の若さだった事を改めて思った。若い女の懸命な、純粋な意思が、独り暴走させた原動力だったかもしれない。それは愚かにも思えるし、聖なるものにも思える。右近の、渾身の玉手御前を観てそんな事を感じた。合邦道心の猿弥の、老いた化粧の様子に三代目の雰囲気があって、嬉しくなった。奴入平の青虎の、きびきびとした姿にも、それは確かにあって、師匠の存在というのは永遠なのだなぁと思った。浅香姫の鶴松が現れた時、自然と綺麗と見蕩れ、純真で美しい姫だった。この人の真摯な様子は時に控えめ過ぎると思った事もあったのだけれど、着実に一歩一歩大切に進んでいるのだなぁと感じた。「連獅子」は、これまで様々な「親子」を観てきた。ただ、不思議と実の親子で観た事は少なく、個人的にはそこに拘りはなかったのだが、事前のインタビューを拝読して、演じる側にはやはり少なからぬ思いがある事を教えて頂いた。今回、右近が仔獅子に尾上眞秀を熱望した心が、舞台のそこかしこに感じられた。凛として高みに己を据える親獅子の、仔獅子に向ける表情の多彩だった事。若々しい親獅子の喜びを感じて、こちらの胸も高まり感動に満ちた。眞秀くんも、はつらつと挑んだ。この人の「目」の良さに、5年前の「実盛物語」で魅了されたのだったが、ますます活き活きと輝き、すらりと伸びた姿も美しい。仔獅子となって出て、そして花道を下がる場面は、危険な事もあり慎重に下がるやり方もあったが、眞秀くんはなかなかなスピードで果敢に下がった。若々しい親子の、未来へ向ける咆哮のような毛振りに、観る側は懸命な拍手で寿ぐ。自主公演は、演者にとっても観客にとっても、未来を見据える格別な舞台。誰よりも熱く意志に満ち満ちて在ろうとし続ける尾上右近の、何て凛々しい事か。終演の挨拶で、晴れ晴れと発せられた「歌舞伎、愛してるぜ!」は、ここに集った観客にとって何よりの芝居土産だった。
2024年09月08日
夜の部「裏表太閤記」を拝見。43年前に昼夜通しで上演されたものを、半分の時間で出来るよう作り直された。三代目の初演版の形がどれくらい残っているのか判らないが、お客を楽しませようという意志と熱が確かにあった。高麗屋三代が揃い、花形が個性を発揮して、三代目の新盆をしてくれたのだなぁと思った。物語は太閤記の、豊臣秀吉の出世物語という「表」に対して、明智光秀や備中高松城水攻めなど「裏」を際立たせている。まず松永弾正の爆死、「馬盥」の織田信長の横暴と明智光秀の忍従、本能寺、織田信忠の最期と続き、備中高松城の軍師家族の忠義を描く。本能寺の、彦三郎の信長が憎々しく、松也の光秀の苦しみが伝わる。謀反の場から一転して愛宕山は酒宴も盛り、織田信忠の巳之助の品の良い事。取り巻くお腰元衆に、芝のぶ、笑野、猿紫と並んだのが嬉しく、また久しぶりに右若の姿を観る事が出来たのも嬉しい。お通の右近が登場すると華やかさが増し、美しく凛とした姿に目を見張る。落城寸前の高松城での、命を懸けて和睦を結ぶ軍師とその家族の悲劇は、通し狂言の中幕にこういう場面をたっぷり演じて見せた三代目のやり方を懐かしく思い出す。染五郎が、ずいぶんとお祖父様に似てきたなぁと、夏が来る度見続けてきたその成長ぶりにしみじみしてしまう。中国大返しが海路となり、荒れ狂う海を鎮める為のお通の入水は、新たに作られた場面だそうで、ここはやはり三代目への思いが込められている。今回、何故「裏表太閤記」の上演が決まったのだろうか。三代目が手掛けた数々の復活狂言や新作を、この後も埋もれさせる事なく、様々な形で活かす為の試みであって欲しい。二幕の切、目出度く光秀を討ち取る場面が、大滝での本水の立ち回り。この猛暑に、幸四郎、松也、染五郎が水飛沫を跳ね上げる。どうやら幸四郎が一番楽しそうで、松也が転び掛けたのが心配やら。で、三幕がいきなり西遊記の世界で、孫悟空がひと暴れ。秀吉の「猿」から転じた御趣向の場面、幸四郎の踊りが洒脱。天帝に猿弥、その大妃に門之助、と、「ヤマトタケル」を観てきた者にはちょっと嬉しい。天帝の眷属たちにお弟子さんたちが配役されていて、それもまた嬉しい。今回、たとえば森蘭丸の京純をはじめ、様々な役や場面でのお弟子さん方の存在が印象深い。三代目の部屋子の末っ子、青虎が様々な場面に登場し、まさかの宙乗りまでし、演出捕でもある事が、本当に感慨深い。笑也、笑三郎、猿弥、青虎は、三代目の意志をこの後に繋げ渡していく役目を担う。孫悟空は秀吉の見た夢…で、天下人となった太閤が天下泰平を記念して三番叟を舞う。右近と染五郎が花道から現れキレの良い舞いを見せ、更に松也と巳之助が端正に舞う。そして幸四郎が加わり、五人揃って圧巻の舞い振りを魅せる、その心地良さ。こんなに晴れ晴れと気持ち良い幕切れは、そうそうない。ふわふわと幸福な心持ちで、三番叟を反芻する。五人の舞い振りに、目は巳之助を追う…殊更に何かするのではなく、でも確かに際立っていて、目は追わずにおれない。そして上手側では右近が、ぴしっと、ぱしっと、きらっと決めていて、やっぱり好きだ。五人の中に加わって、若々しい染五郎の、清々しさ…いつか、團子ちゃんと二人三番叟とか…夢だなぁ……
2024年07月24日
3月20日、『ヤマトタケル』新橋演舞場公演は千穐楽となった。2月4日の初日から、それはそれは幸福だった2ヶ月が終わってしまった。先週とはもう違う顔を魅せる團子に、また驚かされる。目覚ましい変化に目を見張り続け、その都度心揺さぶられたこの日々は、一観客にとっても特別な、「今」しか得られない経験だった。今回初参加の成駒屋のご兄弟にとっても、このロングランが良い御経験となるよう願ってやまない。タケヒコという役は、この物語で最も魅力的と言って良い。何といっても、中村歌六丈のタケヒコは素晴らしく、毎回見蕩れたものだった。配役発表があった時、福之助のタケヒコが観られる事に期待しかなかったが、実際、あの印象的な出の場面から、素敵なタケヒコだった。姿の良さ、声の良さ、そしてあの涙…何と心暖かなタケヒコだったろう。このところ、魅力的な「悪い顔」を見せてくれていた歌之助だったから、熊襲弟タケルは打ってつけだと、やはり期待しかなかった。今回、錦之助丈が驚愕の若々しさで魅せつけた弟タケルだったが、歌之助の弟タケルのヤンチャな暴れん坊ぶりもまた嬉しいものだった。そして、ヘタルベの愛らしい事。あの最後の、全力で駆ける姿に、どれほどの観客が心掴まれた事か。あのシーンの舞台写真、もちろん大喜びで購入した。今回、初参加が多く若返った座組だったから、これまで経験を積み重ねた面々の、存在感の大きさもまた際立った。倭姫は、初演の澤村宗十郎丈の、あのふんわりと温かくスケールの大きな姿が目に焼き付いている。その役を若くして受け継いだ笑三郎が、とうとう実年齢的にも加味するものがあり、この倭姫在ってこそという、物語の為にも大切な存在になっている。今回、二幕が予言と呪いの色味を濃くしており、改めて感じるものが多かった。熊襲兄タケルのおおらかさと、足元をすくわれる末路。伊吹山の山神の尊厳と、古の遺物である現実。猿弥は彼らを存分に印象付け、この物語の意味を深める。殊に山神の、姥神に呼び掛ける様に心根の慈愛を感じ、その最期が哀しくてならなかった。猿弥の身体能力の高さが発揮される、タケルとの立ち回りは圧巻だった。全身でぶつかっていく團子にとっても、嬉しいものではなかったろうか。蝦夷のヤイレポを演じた猿四郎は、殺陣師としてなくてはならぬ存在。三代目はやりたかったものの、結局タケヒコ一人に任せた焼津の大旗を、今回初めてタケルも振るった。当初、もっと大きな旗を殺陣師は望んだ…とか?鉄と米の意味をタケルに叩き付ける、青虎の凛とした声。颯爽とした佇まいといい、登場場面は少ないものの、存在を焼き付ける。猿弥と並び演出補も担い、上演に至るまでの重責、そして幕が開いた後に続いた代役の調整など、心休まる時がなかったのではないか。これまで、三代目の部屋子の末っ子的な面を、表では見せてきたように思うけれど、演出家としても手腕を発揮しつつあり、存在感がますます増している。お父様であるご先代から引き継いだ皇后と姥神の門之助は、1,000回を超えた上演の皆勤賞の一人。幕開きの皇后の堂々たる美しさに目を奪われ、伊吹山の姥神の愛嬌も魅力的だった。外部からご参加の嘉島典俊さんは、三役を担われた。その巧みさ故に初参加とは思えない馴染み方で、また助けて頂いた。今回新たな演出となった、三幕の幕外での大臣と朝臣のやり取りは、これまでの高圧的な大臣の一人芝居より良かったと思う。出演者お一人お一人に印象深い場面があり、書き連ねたい思いがまだまだある。ご自身はみやず姫を演じた笑野は、ワカタケルとしてご子息が初お目見えとなった。ダブルキャストでみやず姫を演じた三四助は、打てば響く愛らしい姫だった。熊襲の兵士たち女たちの宴の楽しさ、伊吹山の鬼たちの憎めなさ、まだまだ尽きない。そして、今回は役につかず裏に徹した猿紫も、忘れてはならない。この舞台を支えたお一人お一人に、感謝しかない。最後に、大きく翼を広げ飛び立つタケルをその真下から見上げた時、その羽の衣擦れの音が聞こえた。とうとう天高く羽ばたいて行ってしまうのだな…と、心が震えたが、でも、その行方は終わりではなく、始まりなのだ。どうか無事に、晴れ晴れと翔び続けるよう祈ってやまない。万雷の拍手に再び幕が上がり、カーテンコールに慣れない團子の様子に素顔が垣間見れ、一瞬にして劇場中が和んだ。鳴り止まぬ観客の要望で、更に幕が上がり、そこには米吉がただ一人在った。純白の神々しいまでの美しさで、促すように指差したその先、花道から團子が現れた。まっすぐに七三まで来て一礼して、舞台中央に来て米吉に一礼。まだ二十歳の、主役を担い舞台中央で奮闘した若者の、率直な姿だった。そして、米吉から歩み寄るようにして、ヤマトタケルと兄橘姫が寄り添った。離れ離れだったふたりが、ようやく再会出来た祝福の中、幕は下りた。
2024年03月21日
初演以来、通算上演回数が1,000回を超えた。三代目に始まり、代々の役者が引き継ぎ繋げたこの芝居を、今、七人目である團子が演じている。999回目と、1004回目を、拝見。初日以来に観た團子は、その出から顔が違っていて、目を見張った。5日後に観た際は、また更に変化していて、二十歳の可能性の無限な事を思った。観る毎に、演じる毎に、顔も形も綺麗になっていくし、その芝居もどんどん変わる。見逃したくない思いに駆られてしまった。もちろん、課題は多々様々にある。それを一番解っているのは本人であり、周囲は承知して見守り手を差し伸べる。一門の結束はまた、團子だけの為ではない。長くこの御一門を観てきた一観客にとっても思う事は多く、更に観続けねばと決意する。主役の芝居が変化すれば、それを受ける側の芝居もまた変わる。橘の姉妹を演ずる中村米吉の芝居が、更に細やかに、情の変化を魅せる。初演のやり方に戻り、姉妹を早替りで演る米吉の、演じ分けが見事。「今」を担う弟姫と、「未来」を担う兄姫の、それぞれの在りように感動する。個人的に、これまで観てきた走水での弟姫に、ちょっぴり引っかかるものを感じていた。良し悪しではなく、好き嫌いでもなく、でも、何か極僅かに感じてしまうものがあった。米吉の、命懸けの恋をする弟姫を観て、ようやく理解出来たように思う。いつの頃からだったか、米吉の弟姫を観たいと、夢見てきた。それは同時に、ありえない夢でもあった…それまでの状況では。ところが叶ってしまって、自分の奥底で願っていた橘の姉妹を、そんな想像など及ばない以上の兄姫と弟姫を観る事が出来て、正に夢のようだ。今回初演のやり方を様々に感じ、物語の根の素朴さが浮かび上がったような気がする。たとえば、大碓命と小碓命、帝と倭姫、橘の姉妹、熊襲の兄弟、蝦夷の兄弟。たとえば、ヤマトタケルと、兄姫と、弟姫と、みやず姫と。それぞれの関係や、情や想いの在り方などを思いつつ観た。また、中村福之助、歌之助ご兄弟だからこそ、おそらく加えられただろう1場面から、ヤマトタケルと、タケヒコと、ヘタルベの関係について、改めて感じるものがあった。ヤマトタケルとは、何と寂しいものかと思う。初演の、三代目の宙乗りには、志半ばで逝かねばならぬほろ苦いものがあった。再演を重ねるごとに、そこに様々な意志が馳せられていった。先日観た隼人の宙乗りは、切なく慈しみに満ちていた。999回目に観た團子の宙乗りは、微笑みがあり、どこか明るかった。その若さには、絶望は無いのかもしれない。熊襲の兄弟、蝦夷の兄弟への言葉に、ここから先へ馳せる思いを感じた。1,004回目に観た時には、更に変化があり、積み重ねつつあるものを感じた。まだまだ可能性の翼を広げて翔んでいく姿を、追って行きたくて堪らない。
2024年03月15日
2月25日昼の部、中村隼人のヤマトタケル最終日を拝見。この日で隼人のヤマトタケルを観るのは、三度目。回を重ねるごとに、大きく、細やかに、強く、情の篭った芝居を魅せてくれ、殊に千穐楽は更に美しく、哀しく、切なさを纏っていた。一幕ごとに積み重ねたヤマトタケルの生き様が、ラストの台詞を感慨深くする。想いや慈しみや万感込めて言い放たれた台詞の、何と優しい事か。そして大きく翼を広げて舞い上がり、あまねく眼差しを投げかけ、旅立った。隼人と中村錦之助丈が繰り広げるヤマトタケルと熊襲弟タケルの闘いを、横内謙介氏は「親子の獅子の情熱的な格闘」と書かれた。錦之助丈の弟タケルの、回を重ねるごと若々しく、何と溌溂としている事か。あの初演時そのままのようで、懐かしくも新鮮にも感じた。錦之助丈は、この後3月千穐楽までご出演下さる。有難い。本来ならば、隼人の今回のヤマトタケル役は無かったのではないか。3月南座の花形歌舞伎が、隼人にとって重要な舞台であるのだから。幻となったステージアラウンドのキャスティングがあったから、完全に無かった話でもないのかもしれないけれど、また澤瀉は助けてもらったのだ。このひと月、ヤマトタケルの姿を團子に見せてくれた事、本当に有り難い。2月26日、返り初日。ここから團子の更なるロングランが始まる。でも、團子は独りではない。思うまま翼を広げて欲しいと願う。
2024年02月26日
1986年2月4日、スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』は初演された。38年後の同じ日に、新たな幕が上がる事になった。夜の部の、市川團子の初日を拝見。38年前の、あの胸の高まりを、よく覚えている。それと同じ気持ちを抱えて、劇場まで来た。時の帳を掲げ古代へと遡る幕開きから、もう様々な思いが溢れそうになる。ゆっくりと回りながらせり上がる聖宮が正面に据えられた時、これまで何回も観続けてきた物語が、新たに始まった。小碓命、後のヤマトタケルの出は、正面を昇ってくる。英雄であり征服者であり、悲劇の主人公となる少年が居た。20歳の、まだまだ若く未熟で、数多の可能性を内包している團子ならではの、まっすぐな物語が繰り広げられた。團子の初日をしっかり受け止めるべく、こちらもまっすぐに観た。幸福な3時間半だった。38年間に重ねられた上演の度、脚本も演出も練り上げられ続けた。今回は初演のテイストがそこここに感じられ、懐かしくもあり新たな思いもあり、もう聞けまいと思っていた台詞の復活もあった。主役ばかりでなく今回が初参加の面々の、若々しい新鮮な在りようだからこその、物語を改めて味わう楽しさがあった。そして、彼らを支える年長者たちの、確かさと美しさに、感動があった。2月、3月の上演の後、5月、6月、そして10月まで続く公演が、どうか無事に完遂されるよう祈っている。その果てに何を掴むのだろう…週末、中村隼人の『ヤマトタケル』を観る。
2024年02月07日
師走の歌舞伎座は三部構成、その第一部を拝見。最初は「旅噂岡崎猫」。三代目の復活狂言「獨道中五十三驛」から、化け猫の件を抜き出しての上演。巳之助は、かつて巡業で経験しており、こういう形で澤瀉屋の演目を取り上げてくれて、本当にありがたい。繰り返し演じ続けられる事で、演技や裏方の技術が継承され、芝居は存在出来るのだから。そもそもはお家騒動やら復讐やらが関わるのだけど、ここはケレンを楽しむに限る。巳之助の、その登場から、まー妖しい通り越して、おっかないコト!あれで引き返さないアナタたちが悪いのよ…と、被害者たちに、つい暴言(笑)。何よりの見せ場は、化け猫に操られる第一犠牲者の、独特なアクロバット。三代目の際、故猿十郎丈、猿四郎丈と、澤瀉屋の殺陣師が務めており、思い出深い。今回は若いやえ亮が、重力を感じさせない動きを見せてくれる。十二単を纏った化け猫は、本当なら宙乗りして消えていくのだけど、今回は岩場に登って瘴気を放つような見栄で切り。たとえば、舞台上を上手から下手へと飛んで見せられたら…とも思ったのだけど、今月は演目が多く道具の仕込みに限界があるのだろう。それにしても、夏は因業爺で、冬は化け猫婆、巳之助の振り幅たるや…次が、「超歌舞伎 今昔饗宴千本桜」。ニコニコ超会議から生まれた「超歌舞伎」が、とうとう歌舞伎座に登場した。これまで実際に拝見していなかったのだけど、その噂は様々に見聞きしてきた。今度こそ自分の目で見ねばならない!朝、いつもより早く出たのは、限定のペンライトをGETする為。超歌舞伎は参加してこそ、より楽しむ為のグッズは手に入れねば♪物語は、「義経千本桜」の一部をベースにして、神代からその千年後へと巡る。守護たる千年桜を枯らし国を闇に閉ざした青龍から、桜を蘇らせ光を取り戻さんと美玖姫と佐藤四郎兵衛忠信が立ち向かう。美玖姫を演じるのが、かの初音ミク。表情も動きも綺麗で魅力的、正直これほどとは…と、目を見張った。忠信の獅童や青龍の國矢が、上手く間合いを計ってミクさんの演技をサポートする。獅童は、ここぞとばかりに観客を煽り、劇場中を思う存分沸き立たさせる。國矢の存在の大きさ、芝居の味わいを増す種之助、御馳走の中村屋兄弟。華やかな女性舞踊家「花びら屋」の方々、目の当たりにするパーカッションの興奮、劇場中大きく動き回るアンサンブルはタップまで駆使する。そして、そこここで光るペンライト。幕が上がる前、ミクさんファンだろう観客も見受けられたものの、意外なほどいつも通りな年齢層高目な客席に、少し不安なものが過ったのだけど、ところが始まった途端ご用意のペンライトを取り出す方々の多かった事!応援するキャラのカラー、贔屓役者のカラーを手元で操り、拍手と共に高く掲げ、いつもは専門家に任せる大向こうを、煽られるまま声を上げた。実は、生まれて初めてのペンライト。幕間にスイッチを入れてみたところ点灯せず、ちょいと焦った。会場係の方が丁寧に教えて下さって、一安心。何とかカラーチェンジも覚えて、頑張って振ってみた。澤瀉屋からひとり参加した青虎に、キャストカラーの淡いブルーを振れて、本望♪とにかく楽しかった! それで良い、それが良かった。様々な年齢層の、女性客も、いつもより多めの男性客も、殆どが立ち上がり、降り注ぐ桜吹雪まみれになって、大いに楽しんだ。超歌舞伎は、これが一区切りと聞いた。それは終わりではなく、また次の段階へのスタートという事だろう。また是非、参加したい! ミクさんとも再会したい!気持ち良く今年の芝居納めが出来た。
2023年12月23日
師走の新橋演舞場で、新作歌舞伎「流白浪燦星」を拝見。満員の劇場中が晴れやかになる、気持ちのいい舞台だった。「ルパン三世」歌舞伎化の報を聞いて、やっぱり吃驚したし、世間的な反応も半々で、続報を待つ…というのが本音だった。友人の希望があって切符の依頼は早々に済ませたが、でもこれまでの経験から、自分の腰がちょっと引けてる時の方が覆されるんだよな…と思っていた。実際、メインキャラクターの5人の写真が発表された時の、世間も自分も歓声を上げ、一気に期待が高まった事といったら!更に、バラエティー番組内での「歌舞伎座支局」のお陰もあって、開幕から連日の大盛り上がり!幸せな新作歌舞伎の誕生となった。「ルパン三世」について説明は無用であって、誰もが知っている彼らが、すんなりと歌舞伎の世界に入り込み、活き活きと動き回っていた。物語的にも余計なこねくり回しはなく、歌舞伎のネタや技をふんだんに駆使し、楽しく目にも鮮やかに、スッキリとした愉快な気分で劇場を後に出来る。故山田康夫さんが創り上げたあの名調子を巧みに歌舞伎に聞かせ、颯爽としながらズッコケも魅力的な片岡愛之助のルパン。澤瀉の名花がまさかの起用だったけれど、同時に絶対大丈夫と皆知っていた市川笑三郎の次元大介。とうかぶ以来、更に美しさに磨きをかけたか尾上松也の石川五エ門(ある意味ヒロイン)。アニメからそのまま抜け出たような、愚直も野暮も愛嬌な市川中車の銭形警部。扮装写真が発表されるや、瞬時に世間のハートを射抜いた市川笑也の峰不二子。鮮やかにキャラクターが顕現されていた。片岡千壽の、あの隠し玉な破壊力、お見事!そして、坂東彌十郎、市川猿弥、尾上右近、中村鷹之資ら、手堅い面々が発揮する演技と存在感が、たっぷりと歌舞伎を魅せた。たとえば、右近と笑也の傾城姿、片や重厚な古典、片や鮮やかな今風と、一目見ただけで表現の違いの面白さを解らせた。幕切れに、小判型の紙吹雪が舞い、最後の最後まで「ルパン三世」の世界を堪能した。難しい事は置いておいて、とにかく明るく楽しく、爽快な気分にさせてくれる、正に、世知辛い師走に在って欲しい芝居だった。ルパン一味なら、どんな時代にも自在に入り込めるのだから、更なる活躍を観たくてならない。是非、「待ってました!」と歓声が上がる、年末恒例の芝居に育てて欲しいと願っている。
2023年12月19日
昼の部の「極付印度伝 マハーバーラタ戦記」を拝見。6年前の初演の際、とても評判になった舞台。再演して、拝見する事が出来たが、実際とても面白かった。世界最長の叙事詩といわれる「マハーバーラタ」に対して知識はないが、インドの神様は仏教にも取り入れられ、学生時代に仏像の勉強をする機会があったから、とっかかりはそのあたりから。実際、登場したキンキラリンな神様の、たとえば梵天に顔が三面あったり、多聞天が宝塔を持っていたり、楽しくなってしまった。神様の名前が、インド式だったり仏教式だったり混在するのは、インド式に馴染みが無かったり、長かったりで、判り易さ優先なのだろうか?物語は、争いの絶えない人間界を終わらせて新たに始めるかと言い出した神様に、太陽神が「慈悲深い子を生み、争いを止める」と言い、帝釈天が「無敵な子を生み、力によって争いを止める」と言い、それぞれの子を誕生させてみた、と。神様、気まぐれに介入するから、何だかなぁ…という展開にもなって、結局は、全て神様の掌の上。こちらがマハーバーラタを知らないせいもあるのだけれど、主人公が「慈悲の子」というには、ちょっとピンとこない部分があったり。また、対する「無敵な子」も、なかなかその無敵ぶりを発揮しきれなかったり。この二人の対立とか、善と悪とか、単純明快なお話にはならない。だから、この二人の前に現れる一人の存在がとても魅力的で、目を奪われる。王国の相続に争いをもたらす、亡き王の兄(盲目で王位に就けなかった)の長子、原作では男なのを、歌舞伎では女にして成功している。この、王女に中村芝のぶ丈が抜擢され、その存在感の圧巻な事。芝のぶ丈は、国立劇場俳優養成所のご出身。その美しさや確かさに、ただ並んでいるだけでも目を惹かれる存在だった。近年抜擢が続き、今回は幹部俳優に並んで、堂々と中央に立っておられる。この王女の、敵役としての大きさ、妖しさ、そして内面の孤独まで、毒も美も吐き出して、誰よりも強烈な印象を叩き付ける。その王女に付き従う弟役に、我らが猿弥ちゃん、色味の濃ゆい存在感を発揮している。猿弥ちゃんも一般家庭のご出身、そういう姉弟が歌舞伎座の真ん中に在る事が、嬉しくてならない。音羽屋の芝居を拝見するのは、何十年ぶりだったかもしれない。長大な叙事詩を歌舞伎化した菊之助丈の、あくまでも端正な作劇を堪能させて頂いた。先月の休演が心配されたが、菊五郎丈のお元気なお姿とお声が嬉しかった。そして初めて拝見した丑之助さんの、凛と響いた第一声から魅了された。米吉、隼人、鷹之資、吉太朗ら、若手の活躍にニコニコして、猿弥ちゃんばかりでなく、猿紫、喜猿ら、澤瀉屋の面々に内心で声援を送り、國矢、蔦之助、千壽をはじめ、実力のあるお弟子さん方の存在に拍手した。両花道が贅沢な空間を作り、屏風の形を効果的に使った舞台美術に魅せられ、インドの生地を着物に仕立てた常と違う煌びやかさに目を見張り、そして舞台上手で奏でられた独特な音色の打楽器に、インドの物語世界へと誘われ堪能させて頂いた。
2023年11月18日
10月25日から28日まで、立川ステージガーデンが初めて歌舞伎を上演した。地元の企業「立飛グループ」創立百周年記念事業とあって、祝祭の雰囲気漂う、印象的な4日間となった。「義経千本桜」から佐藤忠信に因んだ幕を通す「忠信篇」の上演は、三代目追悼の意味合いも籠められ、一門を中心に懸命の舞台となった。三代目が舞台に立たなくなって長くなり、三代目贔屓には馴染み深い「忠信篇」通しも、既にご存じない観客がすっかり多くなっていた。演目の筋立てを通し、物語を理解出来る上演の仕方に拘りがあった三代目のやり方を、改めて知らしめる良い機会になった。開幕に先立ち、中車の挨拶に続き、中村壱太郎と團子による演目解説があったのも親切。若い二人の、明確でユーモアを交えた解説は、観客と役者との距離を縮めた。今回、「鳥居前」は中村鷹乃資、「吉野山」は團子、「川連法眼館」は青虎と、三名で忠信役をリレーした。「鳥居前」の鷹乃資は、菱皮の鬘、火炎隈、馬簾付きの四天、仁王襷という古風な姿が素晴らしく映えて、花道の出の勢いから惚れ惚れと見上げた。凛として力が漲り、ひとつひとつの形の美しさ、素晴らしい初役だった。三代目の「鳥居前」の忠信の、熱く熱く、力と意志を発散する姿は、まるで火の玉のようだと言われた事を、懐かしく思い出す。今回は澤瀉屋型での忠信だが、回を重ね、鷹乃資ならではの天王寺屋での忠信を是非観たいと思った。今回の祝い幕には、静御前と忠信の、飛行機での道行きが描かれていた。それは、立飛グループがかつて飛行機製造に携わっていた事に由来があるが、團子の忠信の初フライトも祝されているように感じてしまった。「吉野山」は言うまでもなく大曲で、その上、澤瀉屋型だから為所が多い。まだ早いのであり、荷の重いこの踊りを、團子はひたすら懸命に務めた。それが先ず、嬉しいし、感動しかない。これが最初の一歩、これから何十年も掛けて團子ならではの「吉野山」を成し遂げていく。いつまでそれを観続けていけるか、長生きせねばならない。今回、静御前の出は花道ではなく、背景がパタンと倒れて、舞台上奥から登場。しなやかに物語を纏う壱太郎の、場面ひとつひとつを味わう。事前のインスタライブで、普段あまりやらない振りが今回はあると仰っていたが、比べ馬の箇所など久しぶりに拝見した。猿弥の逸見藤太は、パッと劇場中が明るくなり、晴れ晴れとした気持ちになる。嬉しい役者になったなぁと、有難くてじんわりしてしまった。この役にも、追悼の思いが籠ってしまうから…開場して劇場に入り、まず見上げたのは、宙乗りの為のワイヤーだった。今回は、縦に長いステージガーデンの、舞台下手側から客席三階の上手側まで、斜めに張られており、大変な長距離飛行になる事が判った。「川連法眼館」つまり「四ノ切」の忠信は、澤瀉屋にとって大切な役。三代目の狐忠信の宙乗りは、歌舞伎におけるひとつの歴史の始まり。憧れのこの役を自主公演で勉強した青虎の実績があったからこそ、今回の「忠信篇」が上演出来たのではないだろうか。もし無かったら…もしかしたら、この公演自体どうなっていただろう…高い天井から桜が降りしきる中、晴れ晴れと飛翔していく青虎の姿に感動を覚えた。桜吹雪にその姿が消え失せるまで、しみじみと見送った。今回は、「蔵王堂花櫓の場」の最後を加えた幕切れ。無事全て演じ切り幕が下りた事、澤瀉屋一門の懸命な姿に、深い感慨があった。源義経を演じた笑三郎の、気品高く誰よりも確かな姿。笑也の、「鳥居前」の静御前の美しさと、「四ノ切」の飛鳥の心尽くし。それから、「吉野山」の後見を務めた猿紫、どれほどの緊張だったろう。などなど、一門全員、ひとりひとりに対して、寄せる思いが沸き立った。今回もまた、壱太郎に助けられた。鷹乃資の新たな一歩を拝見させて頂いた。ご参加頂いた方々の御助力あってこそ、現在の澤瀉屋一門だけでは上演出来なかった。4日間4公演に用意された、のぼり旗や祝い幕に絵看板、花道はじめ舞台装置、読み応えのある筋書、施設内の誘導などの係、等。会場内での弁当が許されたり、歌舞伎ファンへの寄せ方、等。今回の主催側と製作側の様々な配慮に、これ一回では終わらせたくない意志を感じた。その思いに、今回の澤瀉屋一門は応えられたのではないだろうか。来年11月に、第二回「立飛歌舞伎」の開催が決まった。次はどちらの御一門が出演されるのか、発表が楽しみでならない。どうか末永く、出来れば若手が活き活きと活躍する場となって欲しいと願う。
2023年10月30日
連日の猛暑に勝るとも劣らない、熱い熱い舞台を観た。第三部の「新・水滸伝」、そもそも15年前に三代目猿之助門下の若手の為に創られた。今回の上演は早くに決まっていたそうだけれど、今こそ演らねばならない芝居だった。今はないル・テアトル銀座で、初演の最終日を観ている。当時、病に倒れ療養中だった三代目が、カーテンコールに現れた。その瞬間、今まで観ていた芝居が、自分の中からどこかへ跳んだらしい。残っているのは、誰もが熱く懸命だった事、猿弥ちゃんが良い役だった事、そして、おそらくもう三代目の舞台を観る事は叶わないのだろう…という記憶。物語は、国が乱れ不正が蔓延り民が苦しめられている現状に憤った悪党たちが、梁山泊に集い天に替わり道を行う志を持つ。脚本は、一門の若手たちに当て書きされ、原作とは異なる設定になっているそうだ。初演後、名古屋と大阪で再演され、その折に改訂改良を重ね、ようやく東京凱旋となった。11日と、23日の2回、拝見。観ていると、跳んだ記憶が蘇ってきて、あぁそうだった!の連続だった。罪を着せられ絶望と自虐に陥っていた男の再生を、中村隼人がまっすぐ演じた。すっかり中央に在る姿が似合う、颯爽として時に骨太にも感じさせる存在感を身に備えた。かつての教え子に突き付けられる「志」を、改めて己の生き様にする姿に感動を覚えた。その教え子が團子ちゃんで、今まさに相応しい、純粋で気高い心を体現する役柄だった。この数ヶ月の本来しなくて良かった変化を、しっかりと経験としているのかもしれない。独りに背負わせなくていい、この群像劇で良かったと、つい思った。この一門を長く贔屓にしている身には、この一門だからこその強い絆が嬉しい。大姉御を演ずる笑三郎の、大きく確かな存在感に感動する。この人の巧みさを、もうその最初から実感し続けてきた幸福を改めて思う。梁山泊を束ねる存在の中車が、晴れ晴れとして、良い顔になった。二ヶ月、懸命に舞台の真ん中に立ち続けた成果が確かにあり、嬉しい。武骨でむさ苦しい山賊上がりと、敵方の女剣士の恋物語、そうそう確かにあった!これぞ猿弥ちゃんの魅力炸裂で、美しく頑なな笑也の心に寄り添っていく、その一途な想いにこちらの気持ちも温かくなる。このお二人の存在が、今、更に大きく大切なものになっている。それは、一門全ての方々に言える事で、お一人お一人に感謝したい。この方々在ってこそ、澤瀉の芝居が成り立っている。これまで、この一門を応援し続けてきた事は、これからも変わらない。だから、これからも応援させて欲しいと願ってやまない。この後(10月の4日間があるものの)、澤瀉の芝居が観られるのか、一門がどうなっていくのか、贔屓も様々な思いを抱きつつ見守っていくばかりだ。今月もまた、中村壱太郎丈に大変にお世話になった。おきゃんで、心根の可愛い女殺し屋、何て素敵だった事か。中村福之助、歌之助ご兄弟、今月も嬉しい活躍をありがとう。そして、最後に登場して下さる松本幸四郎丈、本当に嬉しかった。今回書き下ろされた台詞全て当て書きだそうだけれど、励まして頂いた。時の巡り合わせで、「新・水滸伝」が復活した。今、観る事が出来て、改めて澤瀉屋一門の進んでいく方向を見続けていこうと、こちらの気持ちも定まった。
2023年08月26日
この夏の凄まじい猛暑より、もっともっと熱い舞台を拝見してきた。尾上右近の自主公演「第七回 研の會」、演目は「夏祭浪花鑑」と「京鹿子娘道成寺」。8月2、3日の2日間4公演の内、3日の昼の部。第一回以来の「研の會」だったのだけれど、演目を知って、これは観ねば!と。この二つを連続して演ろうなど、若さや体力ばかりでなく、大きな意志あってこそだろう。一観客に過ぎない者にとっても、観ねばならない舞台というのは、ある。「夏祭浪花鑑」の、出のもっさりとした様子から、すっきりとした男前な姿を現す、その見せ方にわくわくする。右近の団七の格好いい事、この若さがかえって後の展開にリアル感を伴ったり。女房は米吉、この人もこういう役が似合ってくるようになった。倅は、尾上菊之丞さんのご子息で、お父様にそっくり。何ともキレイな親子で微笑ましく、同時に、この後の女房の苦しみを想像したり…磯之丞の種之助の、おっとりと品の良い事。傾城琴浦の莟玉の、可憐で邪気のない様子。このふたりは、事の重大さを全く理解出来ないんだろうなぁと面白く思う。釣船三婦の中村雁治郎丈が、もう舞台に存在するだけで物語の色味を濃くする。醸し出る大きさ、何気ない愛嬌、見ていて嬉しくなってしまう。三婦の女房の尾上菊三呂さんがまた良くて、年を取っても意気盛んな夫婦だった。で、一寸徳兵衛が巳之助。一本気のすっきりとした男前、気持ちのいい風を感じる。そんな姿を見せた後、いよいよ義平次として登場…そのギャップの何と大きい事!徳兵衛と義平次を巳之助が演ると知った事も、今回観ねばならない理由だった。肋骨な浮き出た貧相な体つき、目ばかりギラギラとして、とにかく汚らしい。銭の事となるとあからさまに変化する守銭奴が、そこに居た。一体、誰に教わったのか、まだ若い巳之助の、一切躊躇のない汚れた芝居に圧倒される。だから、団七の怒りに、見ていて止む無しと思える。右近のまっすぐな怒りに、こちらも手を握る。殺しの場の、ひとつひとつの形が何と美しい事か。祭の神輿の若い衆に、米吉と莟玉も加わっていて、嬉しい御趣向だった。「京鹿子娘道成寺」という大曲は、観る側にも気合が入る。踊りについて語れるものを持ち合わせていないから、余計肩に力が入るのかもしれない。例えば「道行初音旅」が物語の一部として捉える事が出来るのとは、ちょっと違う。とにかくその美しさを楽しむ事を心がける。出の空気がピンと張りつめているようで、烏帽子姿に厳かさがある。引き抜いて変わる衣装に目を奪われ、娘の変化を印象付ける。はっとしたのは山づくしで、鞨鼓が良い音で、何とも鮮やかだった。後見に莟玉とは、これもまた新たな挑戦だった。自主公演という勉強の場だからこその起用なのだろう。そんなところにも、この会の意志が窺える。「夏祭浪花鑑」も「京鹿子娘道成寺」も、今回はその初め。これから繰り返し演り続けるという意志表明に立ち会った思いがする。グッズが早く売り切れると聞いたので、早めに出掛けて良かった。その回ごとに数を振り分けたそうだけれど、次々と完売コールが聞こえ、プログラムも売り切れていた。最終には全てのものが(カレーも全部)完売したそうだ。大盛況の熱い熱い自主公演、こちらも観ているだけで全部振り絞った感があって、一層清々しいものが残った。その反動で、翌日からちょっと寝込んだけど…
2023年08月08日
7月27日、『新作歌舞伎 刀剣乱舞 月刀剣縁桐』が無事千穐楽を迎えた。始まってしまえばあっという間で、終わってしまう事が寂しくてならなかった。本当に、良い舞台を創ってくれた。感謝しかない。この舞台の魅力は、既にSNS等で多々語られているし、これからまだまだ気付いていく事と思う。その為にも、円盤化を是非お願いしたい。音楽の魅力についても早くから言われていたが、おおいにその魅力と威力を発揮していた琴(通常のものに加え、十七弦、二十五弦が使用されていた)、そして薩摩琵琶の演奏を目の当たりに出来た事は幸福だった。大薩摩を琵琶でという発想は作曲家によるものだそうだけれど、本当にあれは良いものだった。使用された音楽は、主要二曲の配信が決まった。幕が下りた事は寂しいけれど、晴れ晴れとした様子を見るとお目出度い事であり、さぞかし安堵した事だろうと思う。松也が、自主公演の時から共に励んできた澤村國矢と市川蔦之助と抱き合っている姿には涙が出た。右近は、舞台に立つと大きく見える。殊に今回ますます大きく見えて、この人の伸び盛りを見られる幸せを思う。このハードだった公演の1週間後に、自主公演で「夏祭浪花鑑」と「京鹿子娘道成寺」を上演するとは、何と!何と‼カーテンコールは、客席下りはあるし、源氏兄弟は3階まで馳せた。観客も役者も演奏家も皆、楽しそうで、嬉しそうで、幸せな交歓があちらこちらで見られた。この結果を、どうか次に繋げて欲しい。実力ある若手を伸び伸びと活かし、若い観客に歌舞伎の楽しさを知らせる機会は、何度あっても良い。「刀剣乱舞」というキャラクターの宝庫、物語を様々に発想出来る自由さ、如何様にも展開出来るのではないか。期待してやまない。
2023年07月31日
今回の席は、こんな角度。些か端とはいえ、前回は舞台中央があまり見えなかったので、前方が遮られずありがたい。開演前に、劇場内をおおいに温めて下さる「押彦さん」。ポーズまでして下さって、何て嬉しい事♪「押彦さん」と「武彦さん」は、素敵に「こんのすけ」の役割を担っておられた。今回、歌舞伎が初めてという観客の多さを想定して、様々な配慮がされていた。事前に配信された「新作歌舞伎 刀剣乱舞 のミカタ」に始まり、劇場入口の飾り付け、そして2階の展示と、歌舞伎への誘いが見て取れた。曽我兄弟の衣装に添えられた舞台写真から、劇中の源氏兄弟のあるポーズに気付かれた観客の呟きを読んだ。また歌舞伎に登場する刀剣の展示も、こう並べられる事は珍しく、興味深く拝見した。15日に配信された「歌舞伎家話」で語られていたが、実際、先に拝見した時より、更に細やかに演じられ、迫力も増し、セリフが加わった場面もあり、物語や登場人物の描かれ方に深みが増していた。三日月と小烏丸との会話、長い長い歳月を重ねてきた古刀同士の、人の情とは違う、でも相手を慮るものが伝わってくる。小烏丸の、三日月より年古な、深い存在感。河合雪之丞さん…どうしても、春猿ちゃんと言ってしまうのだけれど、何とも美しく神秘的で、毅然とした格の高い、素晴らしい小烏丸だった。何方の、どんな推挙があっての配役だったのだろう…新派に移られて以来、久しく拝見する機会を得られていなかったのだけれど、本当に嬉しくて有難くて、そのお姿に見蕩れてしまった。最後の、義輝と三日月の場面も、更に深まった。見かわす顔、極僅かな言葉、雄弁に交わす刃、溢れ来るものが大きく濃ゆい。思わず息を詰めて見入るばかりだった。その最期に晴れ晴れと義輝は跳び、三日月はただ独り美しく在り、観ていて堪らない思いに浸るしかなかった。幕が下りて、カーテンコールとなると、打って変わってこの晴れやかさ。舞台を大きく動き回って、観客を煽り、歓声に応え、我々の気持ちを解放してくれる。劇中と違う表情が見えるのも楽しく、同田貫の絵顔はファンを掴んだ。鷹之資の芝居と踊りの魅力はすっかり知れ渡り、とても嬉しい。松永久直の場面は、現代の若者にはグロと感じられるのは当然といえる。でもそんな呟きには、久直の意志に感動した事も書かれていた。歌舞伎には、差別や蔑視や理不尽など描かれる事が少なくないが、今回そのひとつを逃げずに演じて見せて、きっちりと意味は伝わったのだ。そして今日もまた、源氏兄弟は可愛くて♪♪♪晴れやかな気持ちで、劇場を後にした。次は、千穐楽。
2023年07月20日
暑い暑い最中、昼の部「菊宴月白浪」を拝見した。副題に忠臣蔵後日譚とあるように、義士たち一周忌の墓前から物語は始まる。忠臣蔵の場面をもじったシーンや、実はナントカ揃いの登場人物たちの因縁話など、御趣向満載の上、三代目の観客に楽しんでもらおう精神たっぷりの見せ場の連続。何故この演目の上演が32年ぶりと間遠だったのか、不思議でならない。討入りの後詰だった為に結果として討入りに不参加のていとなり、不義士と蔑まれた男の本心。生まれに翻弄される男たち、そして、女たちの意志。物語も人間たちも絡み合い縺れ合い、進行していく。中車が、懸命に力一杯、復活狂言の真ん中に立っていた。一時精彩を欠いた顔をしていた事もあったが、良い表情を見せていた。形の美しさというものは、そう簡単に身に備わるものではないだろうし、三代目に鍛えられた面々の決まり方と比べるものではないと思っている。笑也の薄幸の美、壱太郎の心意気、笑三郎の貫禄、種之助の品の良さ、福之助の頼もしさ、そして猿弥ちゃんカッコイイ。誰より活き活きとして、そもそもこの演目を言い出したという歌之助、そうかこういう役を演りたかったのか!と、嬉しくなった。年齢的にまだ経験出来る役ではないだろうし、むしろ福之助に合いそうなのだが、何よりその意思が勝った舞台だった。一幕の切は、雪がドバー!二幕の切は、花火がドーン!三幕は、大凧がピュー!大詰めは、大屋根の上で瓦がガラガラガッチャーン!三代目の芝居は暑苦しいなぁ~と、大喜びして浸ってしまった。懐かしくて、夢中になって、幸福だった、あの七月奮闘公演を思い出しながら。
2023年07月19日
新橋演舞場で、新作歌舞伎を拝見してきた。「刀剣乱舞」と歌舞伎は相性が良いだろうと思っていたので、楽しみにしていた。大きく掲げられたメインビジュアルや、入り口やロビーの飾りに期待が高まり、幕が上がる前から始まる誘いに、新しい歌舞伎へと入り込んでいった。物語の舞台を、足利義輝の永禄の変にした事は、刀ステで既に馴染んでいる時代であり、初めて歌舞伎をご覧になる審神者の方々にとって良かったのではないかと思う。また、刀剣乱舞をご存じない歌舞伎愛好の方々を置き去りにする事はなく、双方への配慮を感じられた。決して難解にせず、本物を貫き、志の高い舞台だった。厳かな鍛刀の場面から始まり、登場の名乗り、鮮やかな所作、華やかな舞、美しい殺陣、赤姫の口説き、武士の決意、目の前で奏でられる和楽器、附打の効果、等々、歌舞伎ならではの様々な表現が繰り広げられた。やはり白眉は、義太夫の一場。中村梅玉丈のご出演あってこその、静かでありながらずっしりと胸に迫る場となった。中村歌女之丞丈の深い慟哭、中村鷹之資丈の真っ直ぐな意志、歌舞伎が描く人間の心を、義太夫に乗せてたっぷりと見せた。今回、竹本や長唄の奏者の方々がお若く、発音がはっきりと聞こえる。もしかしたら、意図されての起用だろうか。撮影OKのカーテンコール、案の定ヘタクソ選手権エントリー写真しか撮れなかったけれど、歌舞伎の世界がぐっとフレンドリーに近寄ってきてくれる楽しいひと時だった。尾上松也の三日月の、何と美しかった事か…胸の内の情が深い、だから最後の場面が何とも哀しい三日月だった。尾上右近の、二役だから小狐丸がもっと見たかった!とは本音だけれど、足利義輝の素晴らしかった事。あの最期、義輝は幸せだった…物語良し、役者良し、美術良し、音楽良し…の新作歌舞伎。隅々まで観るには目が足らず、聴こえるもの感じるもの多し。語りたい事も多々、知りたい感想も数多。まずは1回目、来週の2回目が楽しみ。
2023年07月13日
昼の部を拝見。「傾城反魂香」の、「土佐将監閑居」に「浮世又平住家」をつけた澤瀉屋型での上演。53年振りだそうで、このやり方は初めて観た。中車初役の「吃又」。絵師として腕はあるものの、言葉に不自由がある又平の、師匠に認められず弟弟子に先を越された苦しみと悲しみが、直球で伝わってくる。自分の意思を言葉として表現出来ず、相手に理解されない忸怩たるものが、中車の今現在出来る事の全力をもって観るものにぶつけられる。思わずこちらも力が入り、集中して凝視してしまった。観終わってへとへとになってしまったけれど、疲労困憊するほど見入ってしまう事もそうそうないから、これもまた良し。今月も、壱太郎に助けてもらった。情の濃い、深い想いの伝わる、良い女房だった。形が美しく、全身で亭主に心を寄せる様が見て取れる。ありがたい人だなぁと、しみじみ感じてしまった。「浮世又平住家」は、打って変わって明るく楽しい場。又平の描いた大津絵から、様々なキャラクターが抜け出して、追っ手を翻弄する。笑也、猿弥、青虎の澤瀉勢に、新悟が加わり、華やか。「児雷也」は時代ものならではの「だんまり」や、引っ込みの六法を楽しむ。「扇獅子」は妍を競う芸者衆が四季を舞い、最後は獅子に扮して毛振りをみせる。3階席に学生の団体が入っており、休憩時間は賑やかだったけれど、幕が開けば騒ぐ事はなかった。歌舞伎らしい形を様々に見せる演目が並んだ課外学習を、少しでも楽しんで記憶に残してくれていたら良いなぁと思う。「扇獅子」で福助丈を久方ぶりに拝見した。表情が豊かで、大層美しく、とても嬉しかった。若かりし頃の、三代目との舞台を夢中になって観た事を、改めて懐かしく思う。4月に続き、児太郎の艶やかな風情に目を見張る。この人の芝居を、もっと観ねばと思った。
2023年06月16日
実際の季節が反映されるというデジタルな緞帳は、様々な人々が賑やかに行き交い、楽しくて隅々まで眺めてしまう。16日に観てから8日、大変な日々が過ぎ、でも舞台は続いてくれる。夜の部は、元々「花形公演」が企画されていたから、続くだろうと思った。でも昼の部は…もしかしたら…と、発表を待って、即、切符を取った。舞台を続けてくれる全ての関係者の方々に、感謝しかなかった。24日、昼の部。幕が開き、つい先週観たあの華やかな舞台が広がった。せり上がり、すらりとした公達姿に、こんなに背が高くなったのかと目を見張った。素顔はそうと思わないのに、化粧をした目元が三代目を彷彿とさせるのを不思議に思ったのはいつの事だったか…こうして中央に在って芝居する姿を目の当たりにして、ふっとした表情に、さりげないセリフの余韻に、その芝居の端々に三代目を感じられてならなかった。もちろん、まだまだ若く、拙いところもある、それは当然の事。でも、キッパリキッパリと決めどころはしっかりしているし、大きく大きく演じて、見ていて気持ちがいい。若手屈指の芝居巧者である壱太郎が、相手役なのも良かった。競演する若手の面々、一門の頼もしさ、周囲が皆、懸命に若い主役を支えてくれている。この芝居を、心ゆくまで楽しませてくれた。宙乗りですっぽんから上がってきたとたん、感情的にぶわっとくるものがあって、それもまた三代目の芝居を観た時に感じたものと似ていた。映像でしか三代目の演技を知らない若者の瑞々しい芝居に、あんなに三代目を思い起こされ、感情を揺さぶられるとは、正直思わなかった。三代目の芝居を観てきて、三代目が舞台に立たなくなって以来、ぽっかり空いていたところに刺さったような気がして、少し動揺する気持ちを抱えながら帰宅の途についた。28日、昼の部。本来の「花形公演」の日、元々切符を取っていて楽しみにしていた。平将門に因んだ物語で、ちょうど先月上演した芝居の後日譚のようなところに、蜘蛛の妖を六役早替りで魅せる所作事がつく。思ってもみなかった代演だったが、今やすっかり身に馴染んだように感じられ、隼人の芝居をたっぷり堪能した。体格を活かした立ち回りは華やかでダイナミック、発端の蘇生して宙に消えるまで古風な化粧が映えて禍々しさが増した。兼ねる役者のタイプとは違うように思うので、所作事の女方は大変だろうけれど、どこかすっとした魅力もあった。花形公演が企画されて、隼人はしっかりと応えた。この芝居でも若手が活き活きと小気味よく、福之助、歌之助兄弟には嬉しくなるし、昼夜で娘役としての男寅の魅力を知ったし、米吉には姫と若衆の狭間のような不思議な魅力を味わった。團子の女方は、まだまだカチコチだった去年の夏とは大きく異なり、しなやかで綺麗。この一年、様々に学び吸収して成長したのだなぁと感慨深くなってしまった。そしてやはり、笑也、笑三郎、猿弥、青虎、そして門之助、客演の嘉島典俊らの確かな芝居は全く揺るぎなく、有難く思った。この先の楽しみをしっかり貰った公演になった。93歳になられた寿猿さんは、「明けない夜はない」とツイートされた。だから、一観客としても、前を向いていく。
2023年05月29日
〈 はじめに 〉 5月16日の昼の部の感想を、ブログの為にほぼ書き終えたところで、 ネットニュースを見ました。 一観客として、公式の発表以外は知る必要はないと思っています。 拝見した舞台は素晴らしく、この先の楽しみに満ちたものでした。 自分の記憶の為に、記録しておこうと思います。 昼の部「不死鳥よ波濤を越えて」を拝見。壇之浦で入水したものの「宋」の水軍に助けられた平知盛が、大陸へ渡り行き着いた「楼蘭」で、己の運命を全うする物語。「歌舞伎版タカラヅカ」と、「歌舞伎レビュー」と 、そして「スーパー歌舞伎 epゼロ」と言われるのが良く解った。そして、大阪で初演をして後、三代目が自らでは再演しなかったところも、もしかしたら…と想像させるものもあった。個人的に、宝塚歌劇団は遥か昔に「ベルサイユのばら」を観たきりなので、宝塚的な作劇については解らないのだけれど、全編に音楽が流れ、ダンスがあり、何より歌がある(劇団四季ご出身の下村青さん、流石の歌唱)、煌びやかで華麗な舞台だった。44年前に三代目が宝塚のような芝居を演りたくて、植田紳爾氏の作・演出で上演したこの作品の原型が、今回どれほど残っているのかどうか判らないけれど、台詞や場面のあちらこちらに「ヤマトタケル」を彷彿とさせるものがあった。三代目の「不死鳥よー」での経験が、1986年初演の「ヤマトタケル」に繋がるだろう事は、どうしても想像してしまう。今回、中村壱太郎、中村米吉、中村隼人、中村福之助、中村歌之助、市川男寅、この若手の面々が清々しく目覚ましい活躍ぶりで、嬉しくなってしまう。だからつい、舞台中央で存在感が増した隼人はタケヒコが出来るんじゃないか、隼人がヤマトタケルの時は福之助がタケヒコを出来るだろう、芝居巧者の壱太郎は兄橘姫と弟橘姫の二役早変わりの初演のやり方になるだろう、澤瀉の芝居で初舞台をした米吉の弟橘姫が我が夢なのだけど……と想像やら妄想やら。幻となってしまったステアラ版は無念だったけれど、若手がこれほど力をつけ魅力を増した現在、改めて企画されないものかと願ってしまう。最後の不死鳥の宙乗りの際、共に空を舞うちいさな鳥が一羽、肩に止まってくれた。今日の舞台の思い出に、連れ帰る。
2023年05月29日
ようやく今年初の歌舞伎座へ、昼の部を拝見。夢枕獏の原作の「陰陽師」は、10年前にも上演されているけれど、今回は新たな脚本・演出による、「新・陰陽師」。10年前の舞台は拝見していないのだけど、だいぶ趣は異なるそうで、それは、やっぱり四代目の仕事だから。副題に滝夜叉姫とあるように、平将門にまつわる物語。平将門と俵藤太の発端から、挙兵、討伐、怨霊、陰謀…と展開していく。一幕はじっくり古典に作り、二幕は少し砕け、三幕は所作事。観ていて、堪らなく懐かしくて嬉しくて、まるで三代目の復活狂言を、毎年七月恒例だった、あの熱い熱い「猿之助歌舞伎」を観るようだった。初日が開いて以降、主人公が一幕目には登場しないとか、若手が皆大活躍…でも最後に全部攫っていくとか、楽しい呟きをたくさん見たのだけど、実際、堪らなく面白かった。若手一人一人に見せ場があり、抜擢に一人一人が存分に応えて、活き活きと瑞々しい、気持ちの良い舞台に仕上がっていた。巳之助丈の巧みな事、その存在感が嬉しかった。出ずっぱりだった福之助丈は、ますます男振りが上がった。壱太郎丈と右近丈の、古風な持ち味が役に活きて、念の篭った二人引込みは見事だった。鷹之資丈の踊りは最早、観るべきものと芝居好きに浸透しているし、染五郎丈がこの座組に加わっている事は、将来への確かな布石だし、そして隼人丈の、独り立たせて絵になる美しさ、立派な主役ですとも。久方ぶりに児太郎丈を拝見したけれど、実に素晴らしかった。帝の寵姫としての姿、敵を欺く為にやつした侍女の姿、旅路で寄り添う女房姿、幕切れの武家の妻女の姿、それぞれに表情が異なり、その場その場の心情を細やかに伝えた。殊に所作事の、爛漫の桜の中、その相思相愛ぶりが伝わる、それはそれは美しい児太郎丈と福之助丈の道行は、観ているこちらも幸福だった。さてもさても四代目、良いお仕事でありました。幕切れの宙乗りは、あらま~♪と思いつつ、御趣向と見せかけて実は?と勘繰ってもみたり…とにかく楽しくて楽しくて、この先の確約をたくさん受け取った思いがする昼の部だった。
2023年04月21日
先の『綺伝』BDに封入されていた抽選申込券で、思い掛けない機会を頂き、初めての現地。TDCも初めてで全てに勝手が判らない為、開場より些か早く到着。席について、既に「物語」を纏うステージ上を、どきどきしながら眺めた。物語は「源氏物語」であり、「源氏供養」であり、そして何より「舞台・刀剣乱舞」で、物語も時間軸も、考えれば考えるほど、複雑に多重。現実に観ている時は、ひたすら目の前の「美」に圧倒され、物語を追い続ける事に必死。ただただ見惚れてしまい、愉しくて嬉しくて溺れてしまうのを、何とか気を引き締める。「物語」について、様々に考えさせられる。「物語」を創る者がいて、それを受け取る者、伝える者、解釈する者がいて、それぞれにそれぞれの思いがある。何処かが煮詰まったり、拗れたり、逸れたり、逆になったり…そもそもの「物語」の思いは、どう辿りどこへ行くのだろう…千秋楽の配信まで、ぐるぐると考え続けてみる。今回の一番のポイントは、やはり「オールフィメール」という事だろう。個人的に最も多く観てきたものが歌舞伎という「オールメール」なので、むしろ違和感はない。「オールメール」だからこそ表現出来るものがある事を経験していたから、なるほど「オールフィメール」だからこそ表現出来る「禺伝」である事が、よく解った。「物語」を受け手側に伝える手段として、実に有効だったと思う。などと理屈より先に、もう、圧巻の「美」だった。そうだ、目の前に在るのは、既にひとつ成し遂げておられる方々だった。立ち姿ひとつ、最適な見せ方を表せる方々だった。だって、まさか、あの立ち絵そのままの山鳥毛が、目の前に存在するなんて、どんな現実だよ⁉…後、脚5kmとの多くの呟きを知る…納得しかない…御前がぁ…にゃんくんがぁ…姫さんがぁ………もう、もう…尊い…あまりにも幸福に圧倒されて、気絶しそうになる。そして何より、歌仙の存在感、歌仙である意味、素晴らしい座頭だった。その傍らに、あの大倶利伽羅が在る事もまた、幸福な事だった。「綺伝」終幕後の衝撃の予告が、こういう結実を見た。女君を演ずる方々の素晴らしい事。冒頭の圧巻の群舞から、女君たちの物語の行方を、思い入れ深く見守った。刀ステならではの殺陣に、何役もの演じ分けに、アンサンブルの方々の威力が、随所に光った。シンプルながら、何と多弁な舞台美術だった事。布一枚の威力…まるで意思を持つような、変化や怖さを感じてしまった。そして今作もまた、脚本と演出の、何と見事な事か。千秋楽まで、無事遣り果せられるよう祈っている。それにつけても時の政府……アレを承諾する審神者が居るんだなぁ…まぁ、数多居るわけだから、考え方も様々だけど…所詮「物」と思うか、もしくは、「付喪神」と敬う気持ちがあるか…か。
2023年02月10日
初日の配信を拝見。篭手切江の呼び掛けに集った、江6振りと水心子と大典太による「八犬伝」上演。1部で彼らの日常風景、2部で劇中劇、3部でライブという構成で、彼らの「今」と「成長」、そして更なる先へ向かう姿を描いている。「花丸」的でもあり、こんなに明るく、こんなに笑った刀ミュは初めて。ひとりひとりの魅力はもちろん、組み合わせの妙だったり、新たな、意外な面白さを見出せたり、長時間をあっという間に感じ、終演後の何て清々しい事。「南総里見八犬伝」という題材を、巧く扱っている。粗筋の見せ方が人形振りなのは、初めての「八犬伝」がNHKの人形劇だった世代にはニヤリとするところ。あの人形劇での、「玉梓が怨霊~!」というセリフが髣髴とされる、劇中劇での演技は、演ずる役者自身の巧みさ多彩さが活きて、とても楽しい。「八犬伝」には、江の「現状」も重ねられていて、江のこれからを更に期待してしまう。初日らしい多少の粗さも、回を重ねる毎の変化を想像させ、むしろワクワクしてしまう。千秋楽の配信が楽しみでならない。最後まで存分に楽しみ、経験を積み重ね、活き活きと走り抜くよう祈っている。
2022年12月15日
第一部、「鬼揃紅葉狩」と「荒川十太夫」を拝見。「紅葉狩」は能を元に作られた、更科姫、実は戸隠の鬼女が平維茂に退治される舞踊劇。今月上演されるのは、更科姫=更科の前と、侍女6人が揃って鬼と化す為、「鬼揃」。玉三郎丈の「信濃路紅葉鬼揃」も同様の物語だけれど、こちらは衣装をはじめぐっと能に寄せて厳かで深淵。今回の「鬼揃紅葉狩」は、三代目猿之助が手を加えたもので、華やかで鮮やかで躍動的、如何にも澤瀉屋らしい。1994年12月の三代目の舞台を観ていて、この時の平維茂は故勘三郎丈(当時勘九郎)、神女八百媛に玉三郎丈、侍女に錦之助丈(当時信二郎)、門之助丈、右團次丈(当時右近)、笑也丈、笑三郎丈、春猿丈(現河合雪之丞)とういう、錚々たる面々。三代目の、更科の前が何とも良い風情で、鬼女となってからの激しさとの対比が鮮やか。勘三郎丈がまたノリノリで、「駄目と判っていても前のめりになってしまう」との談話を、懐かしく思い出す。今回は、四代目猿之助の更科の前、幸四郎丈の平維茂、維茂の従者に猿弥丈と青虎丈、雀右衛門丈の神女八百媛、八百媛に従う末社の神女に笑也丈と笑三郎丈。門之助丈の局、そして侍女に種之助丈、男寅丈、鷹之資丈、玉太郎丈、左近丈。颯爽と登場した幸四郎丈は、凛として高貴。従う猿弥丈と青虎丈が、さりげなく在りながらきりりとして好い。四代目猿之助は今回で三演目、ようやく観る事が出来た。花道の出、門之助丈の局に手を引かれて現れた姿の、何と可愛らしい事。紅葉の盛りを愛でる、深窓の姫君のお忍び姿という風情。更科の前の酒宴に招かれ、侍女たちに一献勧められ、姫の舞を眺めるうち、つい微睡んでしまい…そうなると敵の本性が現れるのは、お約束。嫋やかな姫君だったのが、まるで体格からして変わって見せる四代目の凄み。美しい装束とは似合わない咆哮を上げ、まるで強風が吹きすさぶように去っていく。神女たちが維茂らを助ける為に遣わされ、雀右衛門丈の清らかな美しい風情が、空気を一新。笑也丈と笑三郎丈は、澤瀉贔屓には御馳走。神女から神刀(一説に小烏丸)を賜って、いざ鬼退治。四代目と幸四郎丈だから、どんなに激しくスピードが増しても、破綻しない。前シテでの可愛いらしい侍女たちも鬼と化して、一丸となって攻め立てる荒々しさ。舞台の隅々までエネルギーが渦巻いて、こちらの目が追い付かない。音楽も、常磐津と竹本と長唄が三方から掛け合う贅沢で、華やかであり、また攻め立てられるようにもなり、こちらの気持ちも高揚するばかり。正に、見応え聞き応え満載の、楽しく素晴らしい舞台だった。続く「荒川十太夫」は元は講談で、主役を務める松緑丈の熱意によって新作歌舞伎となった。物語は、赤穂浪士討ち入り、つまり「忠臣蔵」の後日譚。堀部安兵衛の介錯を務めた、荒川十太夫という下級武士の苦悩が描かれる。身分の低い己が介錯する事で、堀部安兵衛を汚してはならぬと、ついた嘘。己の偽りに苦悩しながら、命日の毎、身を整え泉岳寺へ参る、その姿。露見して、主君の前に据えられ、再三の促しの末、とうとう真相を語る、覚悟と後悔。松緑丈の、毅然として、でも苦しみと悲しみを湛えた挙措のひとつひとつに、胸が迫る。十太夫の主君である松平隠岐守の亀蔵丈が、実に良い。本来ならばお目見え以下の下級武士の事に関わるはずの無い殿様が、真摯に話を聞く。清々しく、情があり、何とも良い殿様で、亀蔵上の口跡の良さが活きる。堀部安兵衛は四代目、穏やかに最期の場へ向かう武士の姿を見せ、まだ若い大石主税へ向ける、臣下の心が温かい。左近丈の主税は、健気にも凛として、その美しさが哀しかった。ラストシーン、変わらず命日の墓参を欠かさない十太夫に、泉岳寺の和尚が声を掛ける。何も言葉は発せず、ただ一礼して粛々と去っていくその姿に、この物語の全てが表れていた。舞台の使い方にも工夫があり、ダレる間を一瞬とも作らない演出も良く、墓前に供えられた線香が客席にまで香った。正に、物語良し、役者良し、全てが良い素晴らしい芝居だった。今後も重ねての上演を、願ってやまない。見応えたっぷりの十月大歌舞伎の第一部で、今年の芝居〆。前半は入院やら何やらで出掛ける事が出来ず、後半も持病持ちは自粛が安全だったり。それでも8月と10月に芝居を観る事が出来て嬉しかった。
2022年10月19日
1年ぶりの歌舞伎座。第3部の「弥次喜多流離譚」を拝見。シリーズ5作目、実際に拝見するのは1作目以来だけど、1、2作のBDや、図夢歌舞伎の配信は拝見済み。前作で花火で打ち上げられ辿り着いた孤島から、江戸を目指す道中が、ドタバタと賑やかに展開する。孤島、つまり「俊寛」だなぁと判る幕開けから、古典やミュージカルや、様々な御趣向が散りばめられ、早替りあり、本水の立ち回りあり、とにかく楽しい。ドタバタに見せかけて、実は若手育成プログラムというのも、馴染みには知られたところで、今回も若手を様々に活かしている。だから、幸四郎丈と三代目は、物語を動かす役に徹しているのだけど、意外な事に、一番若手に任せそうなトコロを、二人でドシャバシャと奮闘している。第1作ではまだ小学生だった染五郎くんと團子ちゃんが、すっかり青年になった。今回は女形と早替りに挑戦していて、まだまだ硬いものの、ここから始まる先の愉しみを感じさせてくれる。若手によるダンスバトルが、見応えがある。「ウエスト・サイド」チックな発端の後は、古典舞踊が様々散りばめられ、何れ本編をじっくり拝見する時を想像して、ワクワクしてしまう。新悟丈がハッとするほど綺麗で、見惚れてしまう。鷹之資丈は、しなやかに伸びる手や軽やかな身のこなしに踊りが一回り大きく感じられて、目が追ってしまった。團子ちゃんが踊りになったとたん、すっかり伸びた体躯の重心をぐっと低くして、軽やかでキレのよさを見せて、澤瀉の子だなぁと嬉しくなってしまった。御年92歳の寿猿丈の、まさかのギネス申請中シーンには驚いたが、その前の、若手へ向ける言葉に、深い感動がある。この言葉があり、「歌舞伎座の危機を救う」という動機からして、このドタバタで滑稽な芝居に込められた、「歌舞伎愛」という意志は、少なくともこれまでの幸四郎丈と三代目を観て来た贔屓には、存分に伝わっている。現実に、歌舞伎を始め様々な演劇が中止に追い込まれ、危機が続いている。拝見した14日も、第3部の関係者に発病があり休演にはならなかったものの、翌15日より第1部が休演してしまっている。現実の危機を前にして不謹慎という声もあるのかもしれないが、だからこそ、我々には歌舞伎に対する意志があると示し、ただ御見物には楽しく気楽に笑って欲しいという思いを、私は受け取った。歌舞伎座の危機を救った弥次喜多と次代を担う青年たち4人による宙乗りを、晴れ晴れと見送って、気持ち良く劇場を後にした。お土産は、上演演目にちなんだ絵柄が楽しい、すっかり定番になった今月のスヌーピーのクリアファイルと、今回の弥次喜多を観たら買わずにおれない文明堂のカステラ。
2022年08月17日
伊達政宗の物語だろうと想像は出来ていたし、サブタイトルが発表になった時点で、晩年の物語かと思っていたら、実際にはその生涯を追う事に。初日の配信を拝見して、岡幸二郎さんの声の威力に浸らせて頂いた。その冒頭から、これでもかと歌わせ、聴き入らせ、圧巻だった。その上で、巧妙で、時にふっと肩透かしも食らわせ、軽やかにも、含みもある、唐橋充さんの存分に発揮される芝居っ気。この御二方のお陰で、物語が闇に墜ちない。観終わって、晴れ晴れとした気持ちになった。双騎の物語としても、こうきたか…と。様々に考える事は多いし、また思う事もまた多い。ディレイ配信を見返し、様々な方々の感想や考察を拝読しては、ついつい考える…この公演、何故か日が短く、今日はもう東京楽。日を置いて大阪で更に回を重ね、更に深まっていく事だろう。大千秋楽の配信を心待ちに、こちらもまた様々反芻する。どうか無事にやり遂げられるよう、祈って止まない。
2022年08月14日
26日に、全ての日程を無事やり果せ、大千秋楽の幕が下りた。5月に始まってから、各会場初日の配信をドキドキして待機した。まさかの東京3日目でのセトリ変更のウワサに、慌てて購入したり。もちろん全日程は無理だけれど、何回分の配信を買ったやら…本当に、素晴らしいお祭りだった。どの歌も聴き応え見応えたっぷりで、吃驚な起用があったし、嬉しい組合せがあった。楽しい場面がたくさんあったし、吹き出したり呆気にとられた場面があった。個人的な贔屓はもちろんあるけれど、最早、箱推しを実感。どのシーンも目が足りなくて、何度観ても新たな魅力に気付いてしまう。そして、つくづく、小狐丸と今剣の存在の、何と尊いことか。お祭りが終わって、ポッカリ穴が開いてしまったようで…でも、「パライソ」のBDが届いたし。そうこうするうち、「双騎出陣」が迫ってくる。愉しみは続く
2022年06月30日
5月8日に開幕した乱舞祭も、5月公演の最終日を迎えた。各開催地の配信を、ワクワク、ドキドキしながら拝見している。チーム全員揃わなくても、加わった男士ならではの魅力を発揮しているし、あの曲にこの男士という驚きがあったり、組合せの妙だったり、新鮮な面白さだったり、流石の存在感だったり、油断できないシーンがあったり、配信を観ていても画面のあちらこちらに魅力いっぱいで、目が足りない。そして毎回、「問わず語り」で泣いている…個人的に5月の白眉は、やっぱり「Real love」と「Black Out」で、巧みなアレンジと優れた演者でこうも変わるか!と。正直、「Black Out」は、元が思い出せなくて、配信を観た後、慌てて過去のライブを探してしまった…「Real love」は、名曲揃いの楽曲の中でもとりわけ好きな一曲で、それがああいうアレンジで、ああいう歌い方で表現されて、胸を打たれた。あれは手の届かない恋への歌であろうか、恋の終わりを察知してしまった歌であろうか、永遠なものなどない事を知っているひとの歌であろうか、それとも…5月公演の最終日は、村正の千秋楽で、やっぱり淋しくてならない。でも、6月からは大伝太さんが蔵から御出座しになるかと思うと、ソハヤが喜ぶなぁ…おのずと5月とは曲も変わってくるだろうし、楽しみでならない。さて、6月は配信を何回買う事になるんだろう…ドキドキ…
2022年05月26日
「科白劇」を経て、「綺伝」の大千秋楽。大きく深い余韻と感動と感慨…に、浸らせてくれない、あの怒涛の特報に、頭がバーン!となって、ただただボーっと眺めてしまったメロン狩り…改めて、ディレイ配信を観て、咀嚼し直し。「綺伝」は、あきらかに「科白劇」と違うものを、ずっしりと残してくれて、まだまだ把握するには到底及ばない。自分自身の知識不足が何とももどかしいが、様々上げて下さる考察を拝読して、勉強している途中。つくづく、「思い」というものを、重く重く感じさせてくれて、悲しくも切なくも、また怖くもなる。それにつけても、如水の存在が…朧たちを引き連れて、とうとう信長の存在まで…あの時系列の、「序伝」と「虚伝」の間の空白に、そして「天伝」の家康登場に、この物語世界に信長の存在が必然なのは判っていたけれど… 特報の「禺伝」には、いろいろな意味で驚かされたけれど、「綺伝」での如水や獅子王の言葉が更に意味を持って、謎は深まる一方。喰らい付いていくのが大変で、愉しい。「7周年感謝祭」記念に、攻略本を出して貰えないかなぁ…
2022年05月17日
本当に、大変な公演になった。それでも、とうとうこの日を迎えた。それが何より嬉しい。誰もが、初日の顔と、今日の顔は、もう目覚ましいほど違う。若い役者の芝居を観る喜びを、存分に味わわせて貰った。同時に、若い役者への、心配も、祈りも。いろいろな思いがあったに違いない。懸命に堪えるものがあっただろう。悔しい思いも、安堵の気持ちも。でも、心に残るのは、あの美しい微笑だ。最後まで、誰よりも綺麗で品の良い佇まいを貫いた。次の愉しみを、たくさんたくさん貰った公演だった。物語は、なかなか考えが及ばない部分を、抱えきれないほど多く投げられていて、こちらはまだまだアップアップしながら、何とか受け止めようと藻掻いている。それもまた、愉しくて堪らない。そうこうする間もなく、別の、次の舞台が始まろうとしている。何と幸福に忙しい。
2022年03月13日
初日のライブ配信を拝見。無事幕が開き、走り続け、走り果せ、無事幕が下りるよう祈ってやまない。井伊直弼の桜田門外の変を扱うらしいと聞き、「彼ら」に刀の無力さを突き付けるのかと、その惨さを思ったけれど…こちらの想像など蹴散らかされる、厳しい物語だった。まさかコメディーなのか?と、違和感ばかり感じてしまう時間を過ごし、ようやく待ち刃来たるものの、徐々に不穏さが増していき、そう来るかー!!!と、打ちのめされる。物語のチグハグさ、それぞれの足並みの揃わなさ、正史と異なる事態を見守るだけの違和感…思わせぶりな言葉はミスリードを誘うのか、突き付けられたものは深読みを嘲笑うのか…あまりにも投げつけられた物語が大きくて重くて、一度見たきりで受け止められようもない。取り敢えず、ディレイ配信を観て…更に考え込もう……刀ステ『維伝』で、陸奥守の成長の為に鶴と父を共に行かせたのに、今回あんなに新刃ばかりなのに、あんな所業とは………
2022年01月30日
「東京心覚」のBDが届いた。本編の前にメイキングを観て、あんなに初日からキャラを掴んでいたように見えたひとりひとりが、迷い、時に苦しみ、真摯に脚本とキャラに向かい合い、演出家をはじめ制作陣、共演者たちと一つのものを作り上げていく様に、心打たれた。「パライソ」を観る事が出来たおかげで、本来「パライソ」を経験した後の「心覚」である事を意識しながら観る事が出来て、改めて気付く事、改めて考える事、感動が更に深くなる事を実感する。ようやく、『ミュージカル刀剣乱舞』という物語の大きな流れがひとつになった。そして次に続く、新たな物語が迫っている。
2022年01月06日
初日の配信を観て以来、思い返したり、考えたり、ぐぐったり…島原だから、生易しい物語になるわけがないと判ってはいたけれど、やっぱり、相当に厳しいものだった。その上、福利厚生といわれる二部で、ああいう形でのレクイエムとは…凱旋公演の配信を待ちながら、既に初日を観ているのに、妙にドキドキしてしまった。そもそも、去年の公演を無念にも中断されてしまっての今年の初日があって、無事に地方公演をやり遂げての凱旋公演。若々しく清々しい上に、ぐっと表情や佇まいが深まっているのが判る。歴史の謎や惨さや皮肉、一筋の光、後の世の解釈、等々、巧みにミュージカルに仕立て上げ、どの作品も感動が深い。その上、これまでの作品を踏まえて一つの物語の流れ、男士、歴史上の人物、名前が残らなかった人、それぞれの思いを考えはじめると、本当に切りがなく、ぐるぐる考え込んでしまう…のが、また愉しい。島原の、安易な救いを許さない展開に、でも、ひとりだけ救われてのラストシーン。さて、どう解釈すべきか、また謎を貰う。三日月の行動を、まだ理解云々いえるまでのものが揃っていないように思う。だから個人的には、一気に捲し立てすっきりしたと嘯く鶴丸の方に、共感がある。この物語にとって、大倶利伽羅の存在が実に大きい。同時に、何故この本丸には光忠がいないのだろうと思ってしまう。光忠がいない本丸で、鶴丸も大倶利伽羅もあんなに頑張らせては駄目だと思ってしまう。今回は、本来ならば豊前江の初登場であり、その決意の物語でもあるのだろう。だから、昨年の中断が無く、パライソ、音曲祭、心覚の順で豊前江の物語を知りたかったと、どうしても思ってしまう。パライソを踏まえてこその心覚、改めて観ねばならない。千秋楽まで、また更に考える時間を与えられている…
2021年10月31日
「无伝」BD、待ってました!と、喜ぶ前に、吃驚して呆気にとられて、…で、でかっ……と、声に出てしまった。こういうケースが来るのは知っていたけど、具体的に想定出来てなかったというか。改めて、本編やメイキングを観て、つくづく凄まじいなぁと、あの劇場について思ってしまった。だから、あの劇場での上演記念という、特別なケースなのは解る…こう改めて観て、あのラストがどういう展開をしていくのか、高齢ファンとしては、なるべく決着はお早めにお願いしますと、つい。何度観ても、真田十勇士が良くて、堪らない。もう、何度でも泣く。
2021年10月24日
『加賀見山再岩藤』を、やっと四代目で観る事が出来る!と思っていたところに、陽性の報が入って随分と気を揉んだ。幸い無症状で、リモートで演出をしていたと聞いて、安堵したけれど。正直、四代目の「再岩藤」とは縁がないのだろうか…と思ったりもした。20日から舞台に立つと知って、嬉しい反面、心配な心地もして、何か気持ちが定まらないまま、歌舞伎座の前に来た。見上げた「花形歌舞伎」という幕が嬉しくて、ようやく落ち着いた。『加賀見山再岩藤』は、1985年に初めて三代目の舞台を観た、同時に、後の四代目である亀治郎という天才子役を観た、自分にとって記念で大切な演目。今回は2時間で収める必要から、岩藤の顛末を主にした「岩藤怪異篇」。つまり鳥居又助の悲劇をショートカットした、なかなか巧いやり方。ただ、やっぱり通しを知っていると、あの志賀市の件がないのは淋しい。何より、澤瀉の天才子役ルートな志賀市を、二代目市川右近ちゃんで見たかった。『鏡山旧錦絵』の後日譚である「再岩藤」は、ご趣向たっぷりな上、六役早変わりの、澤瀉ならではの見どころが一杯。急に代役を仰せつかった坂東巳之助丈の素晴らしい舞台の様子は、Twitterなどで様々読んでいたけれど、大きな経験になった事と思う。早速「八潮」という声が多く上がっていて、「政岡」だって夢じゃないかもしれない。念願の四代目の「再岩藤」、15公演分の不在が嘘のように、当たり前のようにスムーズに鮮やかに展開されて、しれっと澄ました四代目に、何だか楽しくなってしまった。「鏡山」で討ち果たされた悪女:岩藤が、怨霊となって復活する。恨み晴らさでおくものか…と、敵目がけて宙を飛んでいくのだけれど、この幽霊、晴れ晴れとした満開の桜の空を、蝶々をお供に悠々と行く。このあたりに岩藤という女の面白さがある。機嫌よくあたりを眺めやり、愛想まで振りまいて、幕が引かれる寸前に四代目は、この女の業をしっかり見せる。本来なら、舞台上だけでなく、花道の上をたっぷりと飛ぶのが澤瀉の岩藤。「鏡山」に続き、岩藤を討ち果たす事になる二代目尾上に、中村雀右衛門丈なのが嬉しい。この方は変わらぬ若々しさと、娘らしいふんわりとした情を醸し出され、今回の尾上も、しっかりとした芯を感じさせつつ、どこまでも優しい。敵役の一人ではあるお柳の方は、従来とは異なる設定が加わっているけれど、三代目の時にもお柳の方を演じた笑也丈なのが、やっぱり嬉しい。澤瀉の生き字引である寿猿丈をはじめ、門之助丈や笑三郎丈や猿三郎丈や、舞台の表から裏に澤瀉の芝居を知り尽くした面々が存在しているからこそ、突然に四代目が加わっても、当たり前に芝居が繰り広げられる事に感動する。物語は、悪人が滅ぼされてお家は安泰、目出度し目出度し。「目出度いのう」とご機嫌な殿様に、そもそも、あんたが一番悪い!と思うのが、この芝居を観終わった時のお約束な気がする。
2021年08月24日
BD4枚セットで、あの舞台が記録されている。膝丸千秋楽、大千秋楽と観て、日替わり様々にまたわくわくして、バックステージの映像にぐっとくる。感動と感激の見応え、てんこ盛り年が明けても埒が明かない失望と憤懣を抱えてた時期に、あの舞台の開幕はひとつの光だったし、毎回の配信にエネルギーを貰った今、あの時より更に状況は悪化している実感があって、疲労感も蓄積する一方だけれど…改めて収録された映像の一つ一つから、自分の感情に刺激を貰う。何というか、自分にとってエナジードリンク的な効果があるような気がする「美しい悲劇」、個人的に兼さんと伽羅ちゃんが好きだなぁ
2021年08月21日
1月の、あの素晴らしかった音曲祭の写真集。目ばかりでなく、耳からも堪能出来るよう、ライブCD付なのも嬉しい。更に、改めて録音された「壽歌」~「まほろばに」収録のCD発売が有難い。この音曲祭は、こうも埒の開かない状況に腹を据えかね、気持ちが疲弊して、鬱屈として年明けを迎えねばならなかった事の反動のように、美しく煌びやかに燦然と降臨してくれた。全日程が配信となって、さて何回買った事か、浸る事に夢中にさせてくれた。改めて、写真集の一頁、一頁を開くごと、あの歌が、あのダンスが、あの遣り取りが、蘇る。BDが更に待ち遠しい。千秋楽の4K版配信、もう何度となく観続けているのだけど。だから余計、膝丸千秋楽版が観たくて観たくて、本当にBDが待ち遠しい。それにつけても、せっかく4Kで収録したのだから、4K盤を販売して欲しい。全景での威力を実感してしまったから、是非お願いしたい。
2021年07月28日
待ってた待ってたBD、連休じっくり観まくった!配信で何回か観ているけど、こう改めて観て、やっぱりスケールが大きいなぁと。特典の男士別360度大回転映像に、大喜び!エンターテインメントの威力を魅せつけてくれた感、ひしひし。こうして「冬の陣」を観てしまうと、やっぱり「夏の陣」が観たくて堪らない。そして、冬から夏を一気に通して観てみたい。余談。清光が上着を脱いだ姿を見て、ガツン!と喰らった。迂闊な事に、清光の洋装の理由、そして、安定の極の姿の理由、漸く思い知らされた。あの二振は、生と死の果てまで寄り添い支えたかったのか…
2021年07月25日
「東京心覚」とは、何と意味深なタイトルだろう。初日、東京凱旋初日、大千穐楽、3回配信を観てきて、まだ考えている。初日の感想は、やっぱり「よくわっかんねー」だったけれど、ただ、東京に住んでいて歴史や史跡をそれなりに知っていた事や、小劇場の芝居を些か齧ってきた事は、大きな手掛かりとなった。そして何より、最後に出てくる「頑張っている子」という言葉が、これは現代に生きる我々への物語だと教えてくれた。平将門による関東の独立という意識、太田道灌による江戸城の築城、天海の都市設計、江戸の終わりと東京の始まり…というこの街の歴史が、順番は入り乱れ、多層構造で描写される為、初見は食い付いていくのに必死だった。桑名江が「クワ」ではなく「ツルハシ」を振り上げたのには、ギョッとした。それなくても、劇中にしばしば流れる「悲壮」が、よろしくない想像をさせるから、とうとう東京は滅びてしまったのか…と。誰も居なくなってしまった街のアスファルトを剝がして、大地に雨と空気を含ませて、花を咲かせて、植物を蔓延らせて、復活を促す。モグラは元気みたいだから、人間なんか居ない方が大地は健やかな気がしてしまう。雑然とした街並み、雑踏の煩わしさ、心通わぬ他者の鬱陶しさ、騒然として混沌として、猥雑で醜悪で、恐ろしく、空しく………ことに、この一年の状況たるや…どれだけ脅かされ、どれだけ苛まれ、どれだけ怒り、どれだけ諦め、どれだけ…どれだけ………何と、この東京という街の醜い事よ…と、この人災に、痛感させられた事か。この状況に、ほとほと疲弊したこの時に、「東京心覚」である。「心覚え」とは、「心の中に覚えていること」「忘れない為のしるし」であるという。たとえば、東京という街の美しさを、確かに知っている。東京という街に暮らす人々に、心の美しさがある事も、確かに知っている。こんな状況でも、己を律する気持ちは、確かにある。だから、頑張っているんでしょう…と、その姿をちゃんと見ているよ…と。人の作ったものは美しいと、思い続ければ失われないと、この街を作り、守り、存続させ、次へ向かわせた、数多の人々の思いを、これからも忘れずに繋ぎ続けていく、その先に、美しさはあるのだと。さて…ずっと手探りで、物語の事を考えていて、漸く、このあたり。何だか宿題を出されたような気もして、でも、応援されているのだから、その気持ちにも応えたいよね…と、更に考えていく……
2021年05月23日
4月11日開幕して、13日に早くも配信、4月28日から5月11日まで中断。5月12日公演再開、そして18日に2回目の配信。長丁場の公演は、通常時でも無事な完走をひたすら願うものだ。現在の状況な上に他者の思惑まで絡む中断は、無念でならない。けれど、そんな事をものともしない存在の強さに感じ入り、改めて無事やりおおせるよう祈ってやまない。4月の配信で、なるほどこういう物語かと目を見張り、ちょっと意外な思いも引き摺った。改めて5月の配信を観て、やっぱり悲劇だけではないと思った。それは、物語の芯に、晴れ晴れとしたものを感じてしまったからだ。実際には、ひとつの歴史の終焉であり、放棄せざるを得ない事態となった任務の失敗であるのに。滅亡であり、破壊であるのに、そこに在るのは、意志を貫いたものたちだったからだ。歴史には存在しないものたちのその思いに、胸が熱くなった。漫画や人形劇や小説や、子供の頃から胸躍らせてきた面々が、その頃から抱いたきたイメージを更に上回る、痛快なキャラクターで登場して、活き活きと存在している事が嬉しくてならなかった。だから、その最期は切なくてならなかったけれど、同時に、核となるべき「幸村」の無いかれらが、よくぞやり遂げたと思った。最後の「空に帰す」が、深く沁みる。成し遂げたものたちの行き着く「空」は、それは美しい青空で、「天伝」で思い描いたあの空に、皆いるのだろうなぁと思った。もしかしたら、男士たちも、いずれ行きたい空かもしれない…とはいえ、更に謎は深まって、男士たちの物語はまだまだ続くのだし、食らいついていかねば…余談だけれど、最後のシーンで、歌舞伎好きはつい「熊谷陣屋」を思い起こされた。「母」としては、そもそも生みの母と身分上の母という根本的な違いがあるし、「熊谷陣屋」のあの場面での母の心情をどう解釈するかもあるのだけれど。大儀の為の犠牲を抱く母の、悲しみばかりではないであろう思いを、あれこれ考えている…
2021年05月18日
思いがけずチケットが舞い込んできて、新国立劇場へ出かけた。昔々、ここが工事中だった当時、完成したらオペラに行くんだと夢見た事もあったけれど、とうとう縁がないまま…おそらく、実現しないで終わるんだろうなぁ。ずいぶん以前に小劇場でシェイクスピアを観て以来。中へ入ると、衣装や、『アイーダ』のセットの一部などが飾られていた。奥まで入っていったところに、中劇場があった。舞台に対して扇形の客席、舞台上手の中から楽器の音がしていた♪1976年、ハリウッドで成功を収めた男が、豪邸で開かれているパーティの喧騒の中、己の人生を振り返っていく物語。事前に、笹本玲奈とウエンツが出るよーとだけ聞いていて、あらすじも知らずに観ていたのだけれど、だんだん解ってきて、なるほどー!と。つまり、幕開けが「現在」で、物語はどんどん過去へ遡っていって、20年前の「出会い」を提示して終演となる。男は、ハリウッドで成功を掴むほどの才能も運も持ち合わせているのだけれど、些か流され男で、自分が空っぽなのに今更気付いてもなぁ…と、つい。夢だけでは食っていけないし、チャンスは掴むべきだし、友情や愛情が蔑ろになってしまう事も往々にしてあるだろう。男にとって大切な友人で、自分の音楽にとって最高の相棒だったはずの存在も、大きな成功の前には、二の次三の次になった挙句、縁は切れた。男にとって大切な友人で、その才能を認めていたはずの存在も、今や厭味ったらしく絡んでくる中年女に過ぎない。この男を理解できるか、許せるか、もしくは愚かしく思うか、いっそ嫌うか、観る側によって味わいが大きく異なるだろう。また、このミュージカルを、初見の時と、回を重ねて観た時とでは、気付きや思う事は大きく変わるのではないか。物語的にも、音楽的にも、大人なミュージカルだった。
2021年05月17日
このメインビジュアルを見た時、これは覚悟の旅なんだなぁと、この芝居は観ねばならないものになるなぁと、思った。二年に及ぶ旅が始まり、無事に上演が続くよう願ったが、状況はなかなか厳しく、大阪公演は無観客配信となった。正直、まさかこんなに早く配信されるとは思いもせず、この旅公演に対する深い意志を、改めて示されたようにも感じた。TV画面を前にして、些か緊張というか身構える様な感覚になっていたのだけれど、配信が始まり、当たり前のように開場のアナウンスが流れた時、これから上演される芝居の、我々は紛れもなく観客なんだと落ち着く事が出来た。舞台装置は、崩れ落ちた廃墟のようで、微かに見えたものが松羽目と判った瞬間、舞台空間は無限に広がった。そして始まった芝居は、静かに深く、この空間を満たしていった。唯一人で在りながら、一瞬にして多くの面々が浮かび、旅路の先の人々と行き交い、そして襲い掛かる敵と戦った。でもやっぱり独りであり、しかし道行でもあった。終わって、たった1時間15分ほどであった事が不思議でならなかった。それほどに受け取ったものが大きかった。そういう思いであったのかと、思い知らされ、胸を揺すぶられ、苦しかった。そして誰よりも苦しんだひとが、最後に我々に祝福をくれる。静かに深い笑みを浮かべて、めでたやと歌ってくれるひとの、まだ始まったばかりの旅の、その行き着く境地は、到底想像も及ばない。せめてもの思いを込め、この先の無事を祈るばかり。
2021年05月15日
4月22日、去年8月以来の歌舞伎座。第一部を拝見。とうとう!というか、ようやく!というか…四代目初役の『小鍛冶』は、見逃せない!!!能の『小鍛冶』を元に歌舞伎の舞踊劇として創られ、1939年二代目猿之助によって初演された、澤瀉所縁の演目。前回の上演は1997年、三代目猿之助の稲荷明神、五代目勘九郎の三條小鍛冶宗近、十七代目羽左衛門の橘道成。三代目の、青白い火花がパチパチ弾けるような稲荷明神が、素晴らしかった。とても強く脳裏に焼き付いてしまって、実は、勘九郎を覚えていない。更に言うと、巫女役で出ていたはずの、当時の亀治郎を覚えていない。稲荷明神の出から、もう目が離せなくて、必死になって追っていた記憶がある。それ以来、再び『小鍛冶』を観る日を、ずっとずっと待っていた。四代目なら、前シテの童子が更に良いのではないか…と思い、上演を願い続けていた。四代目の童子は、実際、素晴らしかった。ただの童ではない、不思議であり、人と異なる存在である事が、ちゃんと判る。そして、稲荷明神の出、一瞬にして空気が変わった。刀を打ち、身軽く跳ね回り、時に金色の歯を見せつけるように笑い、名刀の誕生を寿ぎ、颯爽と帰っていく稲荷明神の、何と自由な事。あの、キラキラと輝く、金色の歯。そもそも、能『小鍛冶』の面の口元に、金色が施されているのを知った二代目が、掛かり付けの歯科医に作らせたのだそうだ。三代目も専用の金色の歯を作ったそうなので…今回、四代目も掛かり付けに?中車丈初役の、三條小鍛冶宗近。冒頭、ひとり舞う姿に、観る側も畏まる。ぴんと張りつめた緊張感が、勅命を受けた三條宗近の心情と相まって、特別な舞台である事をこちらも実感する。これまで頻繁には上演されにくかった事情も、今回新たに工夫された事であるし、この後、このお二人による『小鍛冶』が繰り返し上演されるよう願ってやまない。続いて、『勧進帳』。幸四郎丈の弁慶、松也丈の富樫。演目/配役が発表された時、白鴎丈の弁慶を観るべきだと迷いつつ、でも、やっぱり自分には、幸四郎丈と松也丈だなぁと。『勧進帳』はガチの勝負だ!と、思ってしまうのは、1988年1月の、吉右衛門丈の弁慶、幸四郎(現 白鴎丈)の富樫、玉三郎丈の義経という『勧進帳』が焼き付いてしまっているからだ。当時、吉右衛門丈44歳、幸四郎丈46歳、玉三郎丈38歳。まだまだ若さすら感じさせる血気盛んな、でも十分に芸が備わっている、演る方も観る方も熱い熱い『勧進帳』だった。(当時の劇評に、「観終わって、まるでラグビーの試合でも観たような疲労感が…」 と、高齢だったかもしれない評論家が書いていた事を覚えている。)初役の松也丈の富樫の出、大きいなぁと感じた。そして、良く似合っていて、嬉しいなぁと思った。1990年の、梅幸丈の政岡で『伽羅先代萩』の、5歳の初舞台を観たんだったなぁとしみじみ思い返し、そのひとの初役の富樫を観る事が出来たんだなぁと感慨深かった。幸四郎丈の弁慶の、真っ直ぐな事。演り重ねて演り重ねて、このひとの弁慶が育っていくような思いがして、清々しい感動があった。今回、自分にとって、この弁慶を観た事は大正解だった。観終わって、こんなに晴れやかな良い気持ちで歌舞伎座を後にする事が出来て、こんな時期だからこそ本当に有難いと思った。だから、千穐楽までやりおおせて欲しかった。晴れ晴れと、やり遂げて欲しかった。4月24日で突然打ち切られ中止させられてしまった事、悔しくてならない。
2021年04月28日
千秋楽まで配信は無いかと思っていたところ、早くも17日に観られる事になって、大喜び!!! ……したのだったが。早退して待機して、いよいよ!となった時、いきなりストップ。Twitterで探った様子から、Fire TV使用の御同輩が止まっていると判り、慌ててPCへ切り替え、冒頭が見られなかったもののその後は問題なく…ならず、向こう側の機材故障とかで、二部が微塵切りの如く切れ切れになった。こういう事態に、おはぎが詰まったとか、円環ぐるぐるとか、思う事は皆同じ……とはいえ、疲労感が残った。リベンジの19日の再配信では、一部は問題なく観られたものの、二部になって、どこぞの大規模故障とかで、ブツブツと切れてくれた。漸く21日のディレイで、完走…やれやれ。物語は「冬の陣」。もう何度となく小説であったりドラマであったり、様々に触れてきた「冬の陣」が、刀ステではこうなるのか…と、考える事、想像する事、多々多々。明日にでも『无伝』を観せてくれ!!! なのは、『天伝』を観たもの全ての思い。ドえらいもんを作ったもんだ…タメイキ到底、どんなに考えたって追い付かなくて、幸せな想像は欠片も出来なくて、3月の『无伝』開幕を待つしかない…5月くらいに配信してくれるだろうか…まずは、3月28日千秋楽、配信が滞りなく行われますように。
2021年02月23日
アマプラに「弥次喜多」が入って、これまでに公開されたシネマ歌舞伎が続々と入る事を期待したのだけど、一番可能性があるのは、三谷かぶきじゃないかと思っていたから、実現して本当に嬉しい!!!3時間あまりだったものを、巧く摘まんで2時間20分弱。テンポよく、笑って泣いて、歌舞伎の様々な技を取り込んで、改めて観ても本当に良い作品。シネマ歌舞伎になって、ひとつポイントは、彼らの果てしない道のりが、地図として視覚化された事。劇場という現場にいると、体感する時間が距離を想像させたが、シネマ歌舞伎では、地図がむしろ効果的で、判り易い。ちょっと不思議な出方をしていた松也が、ナレーションに徹して、たった一カ所に顔出ししているのが、シネマ歌舞伎のお愉しみポイントになった。歌舞伎というジャンルでも、なかなか劇場にも映画館にも行き辛い時に、配信という手法を活用してくれて、本当にありがたい。加えて、シネマ歌舞伎のパンフレットに始まり、興行の筋書きと舞台写真の通販も実現してくれて、感謝しかない。それで…欲をかくけれど……シネマ歌舞伎『ヤマトタケル』をアマプラで公開、是非!!!
2021年02月06日
9日に音曲祭が始まって、配信を拝見。一部はこれまでの劇中から、二部はこれまでの二部から、選りすぐりの名曲揃いなガラコンサート 思わず芝居を思い出して涙目になってみたり、思い掛けないデュエットに滾ってみたり、華麗だったり凛々しかったり、色香だだ洩れだったり可愛いが爆発だったり、愉しくて!愉しくて! 配信追加購入決定 そして、いよいよ、10日に冬の陣が幕を開けた。さんざん悩んで、座席が動いて視界がぶれる事に自分自身が負けそうで、残念ながら実際に観る事は諦めたけれど。配信される事を待っている どうか双方とも、無事に千穐楽まで戦い切れますように
2021年01月11日
お休みも終わってしまうから、改めて本編を観てバックステージを観て、胸が熱くなったり、胸が苦しくなったり。いつもより制約があるものの、舞台上で活き活きと存在する役者たち。いつもより制約を強いられた事を、巧みな知恵と工夫で効果に換える製作者たち。全ての意志と情熱が、演劇というものに注がれている。また一層、ロクデモナイ状況を突き付けられている昨今。新たな舞台の幕開けが迫っている。どうか無事に幕が上がるよう。どうか演劇の力を存分に発揮されるよう。強く強く願う。
2021年01月05日
個人的事情からも、なかなか劇場へ足を運び辛くなり…時節柄、配信も多くされるようになったから、居間のテレビで配信を観られるようにしようと、アレコレ用意。そうこうするうち、まさかPrimeで『図夢歌舞伎』が観られる事になるとは!このロクデモナイ状況がさせたとはいえ、これもまた新しい歌舞伎の誕生。早速、レンタル購入して、拝見。高麗屋と四代目の弥次喜多は、すっかり人気演目となって4年連続上演となった。その第5作となった『図夢歌舞伎』は、前川知大さんの『狭き門より入れ』を弥次喜多に書き換えたもの。『狭き門より入れ』は2009年上演の、四代目の初現代劇となった作品だけれど、残念ながら観ていない。四代目にとって記念碑的な作品が、昨今の状況を予言するようなものだったとは。弥次喜多に落とし込んではいても、高麗屋に中車、猿弥丈に笑三郎丈と、芝居巧者に演じさせて、ただ面白いのではなく、観る側に考えさせる。実に、四代目好み。2時間近い作品を4日で撮ったそうで、時間の無さに四代目がぶーたれていたけれど、かつてスーパー歌舞伎2nd.『空ヲ刻ム者』で、様々試みた四代目の事、今回の初監督品作品も、既にその先を見ているのかも…
2021年01月03日
いつも以上にボリュームたっぷりの「蔵出し」。『維伝』の素晴らしさばかりでなく、演劇というものの素晴らしさを痛感して、泣けた。初めてのビジュアルコメンタリーは、シーンの抜粋でなく、『維伝』丸ごと。舞台の映像も画面に映っているから、メインキャストの方々と一緒に上映会をしている楽しさがある。これまでもアニメであったり映画であったり、ビジュアルコメンタリーを見たり、オーディオコメンタリーを聞いたりする機会は多々あったけれど、今回ほど楽しくて充実していて見応え聞き応えのあるコメンタリーは、個人的に初めて。稽古中との演出の変化とか、上演中のハプニングであるとか、話題は尽きない。だから、初めて聞く事、驚いた事、大笑いした事、感動した事、等々、こちらの感情も楽しく忙しい。コメンタリーに登場したのはメインキャストだけではあるが、この芝居の最大の功労者と言って良いアンサンブルの方々の話を聞く事が出来、とても嬉しかった。あの凄まじい殺陣ばかりか、あの恐ろしい舞台装置の転換を、誰一人怪我する事無くやり遂げられたアンサンブルの方々に、改めて敬意を表したい。このカンパニーが如何に素晴らしいものであったか、端々から迸る様に感じられる。その仲の良さは言うまでもなく、互いへの惜しみない敬意の何て熱い事。東京公演の千穐楽の挨拶に、坂本龍馬役の岡田達也が「また逢おう」と行った時、隣に並ぶ吉田東洋役の唐橋充さんが、大きく破顔してハッとするような笑顔になられた。唐橋さんは『また逢おうと竜馬は言った』をご存じなのだと判った。実際、学生当時からキャラメルボックスの舞台をご覧だったそうで、コメンタリーで唐橋さんが岡田達也を「レジェンド」と呼ばれた…まだ駆け出しの若い時分から観ていたせいもあって、その変わらぬ若々しさにむしろ馴染みがあったのだけれど、唐橋さんの方が9歳下と知って、岡田達也がこれまで刻んできた役者としての年輪を、改めて思った。本番期間でも繰り返された殺陣の稽古、舞台の袖やバックヤードで幾度も組まれた円陣。元日の餅つき、福岡公演での屋台、駆け込んでくる身体を受け止め分かち合う興奮。今、一切出来なくなってしまった事の数々が、バックステージ映像に記録されている。また再び、こんなに幸福な姿を観られる日がどうか訪れるように…と、一演劇ファンとして願い祈るしかない。
2020年10月23日
二次予約していたパンフレットが届いた。本当だったら、8月11日に開催されていたはずの、ビッグイベント。フルカラーの、綺麗で格好良くて魅力溢れる、一振り一振りを見ながら、この面々が一堂に会していたら、どれほど壮観で豪華な眺めだったろうと、改めて残念に思う。これまで、いくつの舞台が、ライブが、イベントが、中止になったのだろう…現在、幕を上げた舞台も、一瞬の気のゆるみも許されないような緊張の中、日々歯を食いしばって上演されている。演者も制作陣も観客も、皆、眼前に繰り広げられる舞台を見つめながら、その先の、必ず明け来る日を信じている。どの舞台も、無事に初日が開き千穐楽を迎えますように…
2020年10月07日
発売が1月だから、7ヶ月、観る事に躊躇していた、「悲伝」明治座公演初日版。やらなきゃならない宿題を、判ってて放置してた悪足掻きに、いい加減観念して、じっくり観た。大千穐楽版を観ているのに、やっぱり喰らうものが大きくて深くて、苦しい。実際に劇場で目の当たりにしていたら…と、想像するのも恐ろしい。キャパオーバーで感情がシャットダウンして、茫然通り越して、ただボンヤリしたまま家に帰り着いて、座り込んだか…よくぞ、こういう芝居を、観客を信用して投げつけてくれたものだと、つくづく思う。これから、彼らは、どのような物語を紡いでいくのだろう…何とか、彼らの辿り行く先を、見届けたい。さて、何年掛かるのだろうか…と、高齢観客はちょっと心配。
2020年08月30日
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