全13件 (13件中 1-13件目)
1
昨年のハワイロングステイで、驚きのひとつに「飲酒運転OK」というのがあります。もう何回もハワイに来ていますが、これまで知りませんでした。先ずはライブハウス「ブルーノート・ハワイ」にタワーオブパワーを聴きに行ったとき、同じテーブルになったワイキキから車で1時間のところに住んでいる現地のロコがガブガブビールを飲むではありませんか・・・(驚)。「日本では絶対飲酒運転NGだけど、ハワイではOKなの?」と聞くと、否定も肯定もせずニヤッと笑っていました。捕まらなかったらラッキー・・・てな具合で呑んでいるのだと思っていました。続いて、ハワイで知り合った現地在住の日本人らとの飲み会でも、車で来ているはずなのにアルコールを結構飲んでいました。・・・?決定打は、遠縁のハワイ在住20年以上の人との飲み会で、彼は「ビール2本くらいなら大丈夫」とハッキリ言っていました。ナルホド。特に日本人はこれまでの日系の先人達の長い実績から絶大な信用があるようで、警察も特に大目に見てくれるようです。ハワイでは21歳以上は血中アルコール濃度0.8%から捕まるそうで、日本では0.3%から酒気帯び運転で捕まるので、アメリカの方がユルイようです。またハワイでは単車に乗るときはヘルメット着用の義務はなくサングラスが必須という、日本と全く違うルールです。高校時代の一時期原付バイクでノーヘルで通学していましたが(当時は校則でバイク通学OKだった)、その後原付バイクもヘルメット着用が義務化された日本からすると、ハワイのバイクルールには違和感があります。という事は、ビールを飲んでノーヘルでバイクを運転してもOKという事か・・・?飲酒運転にしろノーヘル運転にしろ結局自己責任ですから、他人にとやかく言われる筋合いはありませんが、私なら日本のルールを守りますねェ・・・まァハワイ滞在中は、そういったドライバーが多いという事ですので、歩行には気を付けないと。それと最近ワイキキにも「ある理由」でホームレスが目に見えて増え、それに伴って覚醒剤をヤッテいるのか異常な行動の人間をワイキキやビーチで何人も見て、治安が悪くなっているのを実感します。前回同様ワイキキ西側の人の比較的少ないビーチで、売人から大麻を買わないかと言われました。これって、世界に冠たる観光地としてもう完全に異常です・・・と思うのは日本人だけで、こんなリスクがあるのはグローバルスタンダードなのか?またハワイのビーチでの飲酒は禁止で、これもビーチでの飲酒OKの日本と違いますねェ・・・という事で、国が違えば(貨幣も言葉も民族も歴史も)法律やルールも違う・・・考えれば当たり前のことですが、これを現地に行って「自分の目」で確かめるほど納得することはありません。出来れば自分でプランを考えた自由旅行で(チケットも宿も自分で手配)、長期間滞在するのが理想です。私もここ10年結構世界のアチコチに旅していますが、これからも見分をモットモット広げるために(人生を更にエンジョイするためにも)、身体の丈夫なうちにドンドン海外旅行に出かけたいと思います。日本国中を旅するのは、「その後」にします・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.02.27
コメント(0)
昨日は大阪梅田のライブハウス「ビルボードライブ大阪」に、70年代に世界中で一世を風靡した伝説のディスコバンド「アース、ウインド&ファイヤー」の元ギタリストのアル・マッケイ率いるアースの完コピバンド(tributeband)「アル・マッケイ・オールスターズ」を聴きに行きました。今回で3回目です。アースの数々の大ヒット曲を忠実に再現するワザには、感動以外何物でもありません・・・(涙)。60超えて、まだまだ感動できるモノがあるって、本当に幸せです。予約は50番と遅くなってしまい、全く良い席を期待していませんでしたが、ナンとラッキーにも1番前のど真ん中の横のテーブルに席を確保することが出来ました・・・(涙)。開演直前に外の入口フロントで待っていると、どこかで見たようなオッサンが歩いてきました。思わず「ウソや!」・・・まさかの高校同級生のM君ではありませんか!まさか・・・というのは、これで3回目の奇跡の出会いだったのです。1回目は3年前にハワイオアフ島のカハラモールで会いました。カハラモールなんて、ワイキキから離れていて一般観光客はあまり行きません。私は公共バスで行って、店内をウロウロしていると、どこかで見たような東洋人のオッサンがスーッと前を歩いているではありませんか。モールには東洋人はあまりいませんでしたので、余計に気になりました。「ア!M君や・・・」と声を掛けたのです。2回目は2年前の宮古島のホテルのロビーで会いました。レンタカーを借りて島内を回って飽きて、循環バス待ちでロビーでくつろいでいたところに,前をスーッとどこかで見たようなオッサンが歩いているではありませんか・・・あのM君だったのには、本当に腰を抜かしそうになりました・・・(笑)。1回目は確かに奇跡はあるかも知れませんが、さすがに2回目はないやろ・・・と。その2回目の奇跡が起きたのです。あまりの驚きに鳥肌が立ちました。それから2年・・・今回の3回目の出会いです。2人とも大阪に住んでいるのに、日本の本州で会っていなかったのです。「一体、どうなってんや・・・?」と本当にワロテしまいました・・・(笑)。そんなライブ本番前に興奮して、ライブ本番に同じ席に座った他のお客さんとの初めてのトークでもいつものように盛り上がりました・・・前日にTOTOのコンサートに行ってきて私と同じように3年前のフェスのディープパープルのコンサートにも行った同年配くらいの大将と、東京から駆けつけたアースの東京ライブにも昨日のセカンドステージも行ったというオッカケの女性と大いに盛り上がりました・・・(笑)。オモロイですねェ・・・いつもの事ですが初対面でこんなけ盛り上がる中年なんて(笑)。同じ目的の人というのは、初めてでも盛り上がります。趣味とはそういうモノだと思います。だから、「趣味を持て」というのはそういう事でしょう・・・60歳で定年退職して、趣味も無く仕事だけの繋がりだと残りの2,30年の老後は余りにも寂しいものになりますからねェ・・・そんなライブ前の興奮状態から,いざライブスタート・・・Fantasy、Boogie Wonderland、September、 After the Love Has Gone、In the Stone、Getaway、Jupiter、Reason、Let Your Feelings Show・・・一言で言うと、もう「サイコー」でした。踊りすぎて,汗びっしょり・・・(笑)。大御所アル・マッケイも71歳ですから、まだあと5年はイケるでしょう・・・アースのギタリストと言えば、セプテンバーの作曲でも有名なアルマッケイですが、私的にはアルの前後に加入していた故・ローランド・バティスタも忘れられません。彼はアース加入前後にラテンフュージョンバンドの「BOBO」にもギタリストとして参加しており、私をラテンフュージョンの世界に引き摺り込んでくれたのです。そういった意味で、アースのサウンドは私のココロを鷲づかみしたのです。そして今回ライブで使用していたアルの2つのギターアンプのうち1つが、弊社スタジオの常設アンプと同じローランド「JC120」(日本製)でした。2,3年前に梅田クラブクアトロでのアシッドジャズバンド「インコグニート」のライブに行った時も、ギターのジャン・ポール・'ブルーイ'・モーニックのライブでのアンプは同じくJC120でした。世界的に有名なギタリストが如何に好んでJC120を愛用しているか・・・日本製ギターアンプの優秀さを証明しています。という事で、昨夜はこれまで以上に中身の濃いライブでした。しかし、音楽が人を幸せにするというのは本当ですねェ・・・身をもって経験しました(笑)。あ、そうそう・・・私もその仕事の末端に関わっていましたし、70周年記念ボールペンを配るのも忘れませんでした(笑)。 にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.02.23
コメント(0)
現在自宅と事務所の4つの本棚に本が沢山あります。正確に数えたことはありませんが、ざっと3000冊くらいはあると思います。振り返ってみると、中学生の頃から50年間コツコツと貯めてきたのです。半世紀も・・・大体3000冊のうち2500冊くらいは小学校から結婚前の20代に読んだものです。大学受験浪人の頃は勉強もせずに天王寺にあった旭屋書店やユーゴ書店によく行って、立ち読みもしましたが小遣いの範囲で文庫本もよく買いました。大学の頃は片道約2時間の通学時間に、だいたい文庫本を1日1冊のペースで読んでいました。電車に乗っても吊革を持たず空手に必要なバランス感覚を養い、読書に疲れたら駅の看板を目をこらして見て動体視力を養い、冬はコートのポケットにハンドクリップを忍ばせ握力を鍛えながら本を読みました。勉強がデキず三流大学に通っていましたので、大手企業に就職する事は最初から諦めていましたし、「落ち込んだ自分の人生を(大学受験失敗)、これからどうやって切り拓いて(逆転して)行くか・・・?」と藻掻きながら空手と読書に邁進していたのでしょう。大企業のエリートコースや公務員になって一生安泰・・・とは真逆の人生をどうやって歩んで行ったら良いのかを模索していたのです。ある意味、勉強がデキなかった分(一流大学に行けなかったので)、人生を「逆転」させる為には如何すればイイのかを自分なりに試行錯誤していたのでしょう・・・正に、青春の悩みです。今の海千山千?の私みたいなジイサンでも、こんなに真摯に悩んでいたカワイイ時期があったのかと・・・(笑)。まァしかし、読書で「きっと何か答えがあるはず・・・」という気持ちが強かったのでしょう。なので、エッセーやノンフィクションが中心でした。振り返ると、相当な時間と金を読書に費やしています。就職1年目で結婚してからは仕事に殆ど注力していましたので余裕の時間が全くありませんでしたが、それでも学生時代の習慣からか「読書しないとダメになってしまう」と危機感から合間を縫って必死に読んで来ましたし、60オーバーになった今でもこの習慣を続けています。やはり、若い頃からの習慣というのは大きいですねェ・・・何の努力や度胸も要りませんし、スーッと出来ますから(笑)。ウインドサーフィン、空手、ドラム、読書、だんじり太鼓、色んなジャンルの音楽を聴く事、初対面の人との会話(英会話も)・・・年取ってから度胸(勇気)が要る行為は、心身に悪いです。マスコミなどで、「60歳から初チャレンジ・・・」とかいうフレーズをよく目にしますが,実際ナカナカできるモノではありません。数年前にマーブルビーチでウインドサーフィンしていると、毎日ビーチで日光浴している定年過ぎた人がいて、当初ウインドサーフィンに興味を示し「私にも出来ますか?」と熱心に聞いてきましたので丁寧にやり方を言葉で説明しましたが、結局何もチャレンジせずにビーチでボーッとしていただけでした。という事で、「読書が趣味」と言うより、読書で人生や仕事の解決の「一手段」という捉え方をしています。読書無しでは私の人生は成り立たなかったと思います。今はインターネットでソコソコの知識が得られますが、作者が吟味して書いた印刷物の本も捨てがたく、これからも読書に人生の解答を求める旅を続けたいと思います。というか、これまで仕事や人生に解答を求めるためのノンフィクションや実用書が中心でしたが、これからは小中学生の頃のように純粋に読みたかった小説(フィクション)をジャンジャン読みたいと・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.02.21
コメント(0)
このトランクルームという商売を13年も続けてきましたが、一般的なトランクルームの利用法として裏シーズン用品の保管(冬だと扇風機やキャンピング用品、夏だとスノータイヤやストーブの保管)が最も多いですが、それ以外の想定外の色んなトランクルーム利用方法がありました。親の介護問題で施設に入った親の荷物(古いアルバム、仏壇、趣味のレコード等)の保管や、離婚した娘の荷物(タンス、ベビーカー、おもちゃ等)保管や、趣味の保管(プラモデル、フィギュア、鉄道模型、楽器、レコード、ビデオなど)・・・しかし、今回「大衆演劇」の劇団からトランクルームを利用したいというオファーがありました・・・(驚)。一瞬「エ・・・?」という感じです。座長さんに来て頂いて色々お話を聞くと、今回泉佐野に2年前に出来た「麗央泉州座」という大衆演劇場で先日まで公演をしていたらしく、次回の5月公演まで劇場近くの弊社トランクルームに時代劇のカツラや衣装などの保管をしたいとの事です。劇団員は固定の1カ所で演劇をするのではなく、全国各地を飛び回っている所謂「旅役者」です。そういった商売道具が沢山ありますので、それをいちいち持って回るには大きな劇団だと10トントラックが2台分要るとか大きなコストが掛るそうです。規模的にそれ程大きくない今回の「劇団かづみ」さんは、全国アチコチに道具を置いているようで、大阪公演の荷物保管は弊社トランクルーム貝塚という事になります。という事は、大阪の大衆演劇場に来る他の沢山の劇団さんにも需要があるという事です。座長さんから直接話を聞くまで、世の中にそんな潜在需要があるなんて夢にも思いませんでした。ネットからもある程度情報収集できますが、やはり「リアルな話」は人との会話からしか収集できません。という事で、今回も世の中に「こういうマーケットがあったのだ!」とピンと来ました。調べてみると、大阪府下には沢山の大衆演劇場があり、数としては全国一だそうです。泉州エリアは関空のお膝元と言うことで、これからインバウンド需要が見込めます。と言うか、まだ外国人が日本の大衆演劇に気づいていないと思います。歌舞伎や浄瑠璃といった世界的に有名な日本文化の次に外国人が注目するのは,正にこの大衆演劇かも知れません。ある意味、ブレイク寸前かも・・・(笑)。これから早速大阪の各大衆演劇場に、トランクルームの売り込みに行ってきます・・・しかし、普通なら絶対知り合えない大衆演劇の役者さんの世界を、トランクルームというビジネスでちょっと見れる(知る)なんて貴重な経験です。多種多様で広範囲なトランクルームというビジネスで、長かった織物業で固まっていた私の頭がだいぶ柔らかくなったかも・・・(笑)。そして、演劇の練習の中で和太鼓も使うと言うことなので、22畳と広いAスタジオを見てもらい、今後の練習場所としてきっちりセールスする事も忘れませんでした・・・(笑)。また日本全国に同じような大衆演劇の劇団が約1000団体あるということらしいので、口コミで弊社トランクルームの事もお願いしました・・・(笑)。「劇団かづみ」 二代目 市川一美美咲良太郎にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.02.18
コメント(0)
大手スーパーのGMSの業績が悪いようです。GMSとまでいかないもっと小規模の3,40年前に出来た古い店舗が、泉州エリアのアチコチにあります。そんな店舗に行くと、駐車場のアスファルトが割れていたり、全体の印象が「汚い」という言葉に集約されます。掃除や整理整頓が出来ていなかったら(管理も)、仕事に悪影響を与えるのだと思います。子供の頃から織物工場に入り、まずよく掃除をさせられました。綿織物を織っていましたので、風綿(わたぼこり)がすごいです。それも、油が滲んだ風綿なので独特の臭いがします。これを毎日2時間かけて、60台あったシャットル織機周辺を中心に掃除するのが日課でした。特に、織機後ろの掃除をする時は、ホウキの金属部で縦糸を切らないように細心の注意を払います。しゃがんで縦糸を凝視しながらの掃除は、身体に堪えます。特に織機の後ろの糸を掻き分けて注油する最重要パーツのタペット(カム)の掃除には、念には念を入れました。ここを疎かにすると、出火の原因になるのです。しかし工場に丸1日入っていると、この臭いが身体に染みつきます。父親も油臭かったですが、若い自分も油臭かったので、大学には女子も多かったですし女の子とデートする時はどれだけ消臭に気を使ったコトか・・・(笑)。こんな事を夏休みなるともなると、室温40度湿度90%の工場で毎日やらされるのです。「2日に1回でイイのと違うの?」と親父に喉まで言いたかったのですが、ついに言えませんでした・・・掃除を半分にすると、体力的にスゴク楽になりますから。しかし親も睡眠薬を飲んでまで深夜に働いていましたので、一言も文句は言えなかったのです。昔から織物工場は火事がつきものでした。主に綿織物でしたので燃えやすく、織機の摩耗部分やベルト式シャットル織機のシャフト軸のオイルタンクからグリスや油が切れると火が発生し、油が染みついた風綿に燃え移るのです。その為、常に風綿を除去する必要がありますので、毎日掃除をしなければなりませんでした。今考えると、そんな家業の実体験から「ビジネスの基本は掃除(整理整頓)だ」と学んだような気がします。織物時代からトランクルームに転業し、音楽スタジオや卓球場にビジネスを広げていっても、このポリシーを貫いています。主にトランクルーム2棟(171室)と岸和田市東ケ丘の駐車場(22台)の管理を従業員を誰も雇わずたった一人で運営管理していますので、最近肉体的にも物理的にも限界を感じてきました。そこで、それまでトランクルームの掃除を3台の掃除機(+2台のスタジオ専用スリムクリーナー)に加え、ロボット掃除機(ルンバ)の導入し随分楽になりました。やはり一人で5つのビジネス(トランクルーム、スタジオ、卓球場、自習室、不動産仲介)をしていると、同時に2つの仕事をする必要に迫られます。人間というのは本来怠け者だからこそ、必要に迫られないと良いアイデアは生まれてきませんから・・・(笑)。今は風呂を沸かすのにボタン一つですが、子供の頃は風呂釜の下から火を燃やして沸かすのが子供の仕事でした。昔は農家は買ってきた柴や牧を燃やしていましたが、織屋はこの工場で大量に発生する燃えやすい油が染みついた風綿で風呂を焚いていたのです。織屋は風呂の燃料費がタダどころでなく、昭和20年代はこの原価ゼロの風綿を他所の家にも売っていたそうです。自分ちの風呂の原料にもなるし、他所にも売れるので一生懸命掃除していたのか・・・(笑)。布の原料の糸は大昔は段ボールではなくムシロやドンゴロス(麻袋)に入って入荷して、物不足の昭和20年代はこの糸の入ったパッケージであるタダ(無料)のムシロやドンゴロスで山1坪買えたと言うのですから、織屋というのは捨てるものが無くて原価ゼロで売れるものが沢山あったのですから笑いが止まらなかったのでしょう・・・良い意味で言い方を変えれば、今では普通のリサイクルというのを繊維業界では約70年前の昭和20年代から実践していた事になります。「原価ゼロで商売」「捨てるモノがない(リサイクルの精神)」という織物時代の精神が生きて、築70年と32年の「元織物工場」2棟をトランクルームやスタジオや卓球場や自習室にコンバージョンしているのか・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.02.17
コメント(0)
大阪南部エリアの岸和田高校、和泉高校、佐野高校3つの公立高校だけで、軽音学部の部員数が3学年併せて300人を超えているようです・・・(驚)。1校で3学年併せて平均約100人も部員数がいます。運動部でも100人いる部活なんて殆どないと思います。私立の野球部の強豪校なら100人いるかも知れませんが・・・これって1番か、2番人気のクラブみたいで、驚くべき数字です。毎年3つの高校生だけで、100人ものミュージシャンが卒業していくのです。過去5年や10年の事は知りませんが、もし同じ数字だと仮定して過去5年で500人、10年で1000人ものミュージシャンを送り出して来たことになります・・・(驚)。弊社スタジオ0724の会員数約1100人の約50%が現役の高校生で、上記3校に加え、貝塚南、貝塚、りんくう翔南、岬、佐野工科、久米田、岸和田産業、泉大津、高石、日根野、伯太、信太、市立堺、住吉、羽衣、四天王寺、上宮、近大泉州、清風南海といった各高校の軽音楽部所属の高校生らが練習に来てくれてます。特筆すべきは他校との「混合バンド」の存在です。運動系部活と違って、軽音楽部の活動には「感性」が伴いますので、高校軽音部という枠を超えて他校のミュージシャンと繋がりたい(バンド組みたい)モノです。音楽の素晴らしさは正にココです。高校時代だけ音楽をするのではく、バンド活動だけに拘らず一生何らかの形で音楽を続けたいと思う高校生ミュージシャンが殆どです。弊社スタジオのメリットとして、混合バンドは特定の高校の音楽室では練習できませんので、民間スタジオで練習せざるを得ないところです。そして上記3校のように1高校3学年で100人も部員数がいれば(20~25バンド)、週1,2回くらいしか学校の音楽室でバンド練習できないそうです。だから、そこにスタジオ需要があるのでしょう。高校生バンドは若さに任せて爆音(約120dB)で練習します。高校の立地条件によっては近隣に配慮して爆音を出せない(音の規制)ところがあるようで、弊社スタジオは織物時代の経験を生かして完全な防音と防振対策をしていますので爆音で練習しても何の問題もありませんし、Aスタジオは22畳と大阪最大級の広さの前面ミラー張りで本番ライブに近い条件なので、ライブに必須のパフォーマンスの練習にも適しているところが若者にウケているのでしょう・・・まァしかし、上記3校だけでこの数字ですから、大阪南部エリアの他の高校(15校)の軽音楽部の数字も入れれば、少なくとも3倍の数字になるかも知れません・・・という事は、過去5年で1500人、10年で3000人という事でしょうか・・・?恐ろしい数字です。過去10年で(28歳まで)、3000人ものバンド経験者(現役&元ミュージシャン)が大阪南部エリアにいるという事です。驚く事に、この数字は軽音楽部(ポピュラーミュージック)だけでの数字で、高校には他に音楽系のクラブが吹奏楽部、管弦楽部、ギター部、フォークソング部、コーラス部などがあります。ジャンルが違えど軽音部と「親戚」みたいなものですから、将来軽音楽部に「転向」する可能性は十分ありますし、事実学園祭の即興バンドで軽音部と吹奏楽部とダンス部の「コラボ」が増えています。これだけ地元にミュージシャンがいるのに、大阪南部でリハスタ経営が成り立たなかったのは、大阪市内に大学や会社が集中していますので、大学進学や就職しても音楽を続けるにはメンバーが集まりやすくリハスタが沢山あって通勤や通学に便利な大阪市内でバンド活動していたのでしょう。しかし大阪南部のミュージシャンの100%が大阪市内に行くとは限らず、例えその10%でも地元のリハスタで練習してくれれば弊社も経営が成り立つのです。逆に、その「地産地消」を狙っているのです・・・(笑)。しかし何故、今こんなにも高校生ミュージシャンが多いのかという根本的な疑問が浮かびます。私が考える大きな理由は3つあります。1.親世代が第2次バンドブームを経験している。1980年代後半から1990年代前半にあった第2次バンドブームの頃に20歳前後だった人達が40代半ばから50代前半あたりで、晩婚化もあり子供がちょうど高校生くらい。子供は親の影響を受けるものですし、実際弊社スタジオにも親子で来られるケースも多いです。この親の世代がちょうど1学年200万人という第2次ベビーブーマーと重なり、大きな経済効果(現象)を生んでいるのだと思います(親の数も多いが、子の数も多い)。2.インターネット社会で音楽を聴いたり楽器を演奏するコストが格段に安くなった。私のようなアラカン世代は音楽を聴くのにコストが掛かりすぎました。それが今、ネット進化によって音楽を聴く分にはタダみたいなものですし、楽器演奏でもYOU TUBEでそこそこ習えます。3.ダンスブームの影響。今、大阪南部エリアの高校ダンス部の実力は登美丘高校を例に出すまでもなく全国トップレベルです。弊社スタジオのキャッチフレーズ「Music&Dance Studio0724」を例に出すまでもなく、ダンスと音楽は一対です。同じ高校でもダンス部が活躍すれば、それに負けじと軽音楽部も盛んなようです。以上3つの理由によって、今高校生の間ではバンドブームが起きているのでしょうか・・・?そして、5年後にはベンチャーズやGS(グループサウンズ)やビートルズの洗礼を受けた団塊の世代のオジイチャンの影響でお孫さんがバンドを始め、10年後には我々アラカン世代の洋楽ロックの影響を受けたオジイチャンの影響でお孫さんがバンドを始める・・・と永遠にバンドブームが続くかもしれません(笑)。もちろん、今の老人ホームやデイサービスの音楽療法も童謡路線から、エレキサウンズ → ロック → ディスコ&ブラックミュージック路線へと変わっていくでしょう・・・(笑)。 にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.02.13
コメント(0)
先日読んだコラムの「可処分”精神”」というキーワードにピンときました。これからの次世代ビジネスは、顧客の「本質的」精神を満たす方向へ行くだろうという教示です。これまでの可処分”所得”や可処分”時間”ではなく、”精神”だと言う事です。従来の「可処分”所得”」とは、給与やボーナスなどの個人所得から、税金や社会保険料などを差し引いた残りの手取り収入、つまり自分の意思で使える部分を指し、個人の購買力を測る際、ひとつの目安になります。確かに我々日本人は戦後高度成長期に乗って、物欲を満たすビジネスに邁進して来ました。家電製品、車、家、ファッションの4大物欲に対して、多くの企業が活動することによって日本経済が支えられてきたのです。戦後も今も自由主義国で世界第2位の人口を誇る日本は旺盛な内需だけでなく、外需(輸出)に支えられて成長してきたのです。日本も先進国の仲間入りをして、ついこの間までGDPがアメリカに次いで「世界2位」でした。しかし、今は日本も成熟化して「もう何も要りません・・・」というのに、戦後主流だった第2次産業が激減して第3次産業のサービス業が大半を占めて「それでは、これはどうでっか?」と、これでもかこれでもかというくらい加熱して成熟したマーケットに売り込んでいます。成熟した日本では、もう基本的には何もいらないのです・・・本当に欲しいモノ(コト)しか要らないのです。日本人全般が文化度が上がり、物欲が低下したと言えると思います。この「変化」が分からず、従来の実店舗だけでなく、もはやエンドユーザー相手の末端の小売業界ではネット販売という空中戦も加わり、大変な事になっています。もう完全に需給バランスが崩れています。と言うか、日本経済が次の新しいビジネスを発見出来ず、完全に行き詰まっているように感じます。平たく言えば、やはり人口が1億2500万人もいるので、国民全員が裕福に暮らすのにそれに見合う「適当な仕事がない」と言うことだと思います。30年前まで世界に冠たる家電国家だった日本の凋落を見ても分かりますし、これから自動車メーカーも将来世界の主流になるEV(電気自動車)の開発競争で大きな曲がり角に来ています。世界を代表する日本のトヨタもパナソニックの社長も、世界がひっくり返るような将来を本気で心配しています・・・30年後どころか10年後の世界のビジネス構図がどうなっているのか全く想像もつきません。弊社の13年前まで57年続けてきた泉州(大阪南部)の地場産業だった綿織物製造業も、このグローバル化の大きな潮流に弾き飛ばされてしまいました(最盛期の680社から98%減の15社しか残っていない)・・・(涙)。狭い国土で少子化にも関わらず新築をドンドン建てているハウスメーカーも賃貸マンションメーカーも、欧米では中古住宅流通が65~90%(日本は37%)という実態(差)を横目で見ながら将来を不安視しているのではないでしょうか・・・?しかし、光明が見えてきました。観光業です。日本は歴史的文化遺産が沢山あります。食文化もテレビのケンミンショーを見ても、我々日本人でもまだまだ知らない美味しそうな食物が沢山ありそうです。やはり、日本は欧米の狩猟民族と違って農耕民族ならではの文化があります。外国人と喋ってよく言うのが、ヨーロッパに行っても似たような文化や食事や言語を使っているのは「狩猟民族」だからで、食を求めて各地各国を転々とすれば意思疎通をしなければなりませんので、どうしても似たようなモノになってしまいます。ところが日本は島国で魚と農業を主体とした「農耕民族」なので、移動する必要がありませんので、全各地に固有の方言や文化が発達してきたのです。肉を求めて移動する民族と、魚と野菜を食べて定住する民族の違いが長い年月を経て、広大なヨーロッパ大陸の各国が同じような文化や言語を持ち、狭い日本で北と南で全然違う方言が発達し固有の文化を生んだのです。特に江戸時代の300年間は鎖国政策を取っていましたので、海外から全く遮断された期間でしたので、それに輪を掛けて日本オリジナルな文化が花咲いたのだろうと思います。外国人から見ると日本は小さな島国なのに、北と南では全く言葉が違いますし、文化も違う事に驚嘆するのです。今、世界が日本を羨むのはココです。日本民族の過去の先祖達が築いてくれた文化があったからこそ、世界中が日本に注目しているのだろうと思います。長年の食文化の違い(肉か魚か?)によって、ここまで「文化の差」が出たのです。その「差」を求めて、外国からわざわざ来るのです・・・「日本はどんなオモロイとこや?」と。「大阪、京都、奈良」という日本の大きな文化圏が集中するお膝元に来る手段として、関西空港というインフラが整った事がタイミング的に非常によかったのだろうと思います。という事で、これから日本も観光立国という「体験ビジネス」を目指すべきだと思いますし、弊社も「音楽スタジオ」と「卓球場」という体験ビジネスでまだまだ伸びる可能性を秘めていると思います。バンドやダンス、卓球の「プレイ」を通じて精神的に満足を得る・・・そういうお客さんの「可処分”精神”」を上げていく事を応援するサイド側のビジネスと言えると思います。また貝塚市という地方都市で不動産仲介業をしていると、たまにオモシロいオファーが飛び込んできます。先日も「どこか山のほう(郊外)で、サバゲー出来る場所を探しているんですけど・・・」てなオファーが飛び込んできました。「サバゲーってなんでっか?」と聞くと、「大人のサバイバルゲーム(戦争ごっこ)で遊ぶ場所を探しているんです・・・」と。ナルホド。これも立派な可処分”精神”を上げるビジネスなんですねェ・・・eスポーツが世間の脚光を浴びたりバーチャルなサバイバルゲームが若者の心を掴んでいる反動なのか、「リアルな体験もしたい・・・」という潜在需要があるのでしょう。サバゲーは都会部で全国展開している総合エンターテイメントのラウンドワンなんかは広さの面で出来ませんし、地価が安く賃料も安い広大な土地のある地方都市でしか出来ないビジネスです(用途地域制限もありますが)。地方と言っても、人口の集中する大阪市内(270万人)や堺市(85万人)といった大都市から車で1時間以内の地価が安い泉州南部エリアに、サバゲースポットとして脚光が浴びるのだと思います。音楽スタジオのミュージシャンもそうですが、ニッチマーケットの顧客(マニア)は片道1時間なんて何とも思っていません。大手企業が全国展開するほど、未だマーケットしては確立していないようで、サバゲーはニッチマーケットとしてビジネスセオリー的に的を得た商売と言えるでしょう。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.02.12
コメント(0)
昨日は貝塚木島小学校6年3組と鳳高校1年10組のクラス会が、それぞれミナミの時間帯も場所も違うところでありましたので、2つの飲み会に参加してきました。所謂ダブルヘッダーです・・・(笑)。何年か前にディープパープルのコンサートが大阪のフェスティバルホールであり、その直後に割と近いビルボードライブ大阪でチャカ・カーンのライブに行ったのと同じダブルヘッダーです・・・(笑)。人間というのは身体はひとつしかありませんので、「1日に2回楽しめる」というのは非常にオイシイ1日でした・・・(笑)。昼12時から小学校クラス会、夕方6時から高校クラス会・・・メンバーは全く違いますが、どちらも私と同じ62歳です。小学校は5,6年前から年2、3回、高校は10年くらい前から毎年1回クラス会をしています。小学校クラス会のメンバーの約8割は木島保育所~木島小~貝塚三中と10年間一緒で、大体地元泉州で住んでいて、今でもだんじり祭にたまに会う幼馴染みです。一方高校クラス会は最も多感な青春時代を一緒に3年間過ごし、今は結構散らばって住んでいますが、1年に1回会うのもこれまた格別です。小学校は女子の参加が多く、高校は半々です。高校はクラスは違いましたがたまにこのクラス会にも顔を出してくれていたT君が先日亡くなったので、彼を偲んで黙祷から始まりました。小学校も高校も、これからの老後の話が増えました・・・やはり泣いても笑っても20年後には男性平均寿命の82歳なので、男性の半分がこの世にいなくなっているのです・・・(涙)。という事で、このクラス会に参加できるというのは、健康的にも経済的もまずまずという事ですので、クラス会に参加する事も老後の目標(楽しみ)のひとつとして励みにしたいと思います。そしてカバンに70周年記念ボールペンを満載し、バラ捲くのも忘れませんでした・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.02.10
コメント(0)
今月からリハスタ経営に2室目となる「Bスタジオ」が加わった事によって、私の仕事が少なくともBスタジオの掃除に1日15分取られる事になりました。一人でトランクルーム171室、音楽スタジオ2室、卓球場3室、自習室4室、不動産仲介業、岸和田市東ヶ丘町の青空駐車場22台を管理(集客、集金、契約、掃除、警備、企画、経理、クレーム処理、応対、IT)していると、ホント時間が足りません。仕事ばかりではなく、遊びや趣味(海外旅行、ウインドサーフィン、空手、ドラム)もしなければなりません・・・(笑)。あと可能性のある夢として、ドラマーとしてバンド加入、SUPとウインドサーフィンロングボードをミックスしたSUPウインド(BIC社製)、久米島でカイトボーディング体験、新規スタート(ギター、ボーカル、サックス)、クルーズ(南太平洋、地中海)・・・・・・妄想するとキリがありません(笑)。誰か人を雇えば済みますが、人件費が掛かりますので経営の根本が崩れてしまい、これまでの低価格が維持できませんし、これまでの経験上、一人でも雇えばそれに付随するイロンナ事が発生しますし、それに嫌気が指していたのです。織物時代の反省から「あくまでも一人ヤッテいく・・・」と決めていたのです。平たく言えば、自分のできる範囲でしか商売を広げないという事です。そう考えると、自分の仕事の中で「掃除」というのが結構時間が取られる項目なのです。トランクルーム2棟4フロア171室を、定期的に掃除機で掃除しその後モップで水拭きしていたのです。1回するのに3時間も掛かります。それも一気にしないと出来るものではありません。1日2回に分けたり2日に分けたりすると、集中力が途切れますし効率が悪いです。このトランクルーム4フロア171室の掃除をするときは、イアホンで音楽を聴きながらやってますので天国です。思い起こすと、10代20代の織物時代のシャットル織機時代の掃除は大変でした。60台あった織機の風綿を毎日1台1台掃除するのですが、夏は40℃の高温、冬は10℃の工場内(空調エアコンなし)で2時間掛けて風綿と油だらけになってやっていましたので、今は天国と思えるのです・・・マシン油と風綿の臭いが身体に染みつき爪が油で黒くなり、元々空手で拳が潰れていたのに加え縄ムシロで荷造りをしていたので手がゴツゴツになり、女の子とデートするのにシャワーで消したりクリームを塗ったりで大変でした・・・(笑)。その後織物時代の後半のエアージェット織機時代は、工場内の織機の上にモノレールを設置し2メートルもある地下ピットを掘り、パークス社製の掃除ロボットをその上を約20分で1週するくらいのスピードで走らせていました。織機から発生する風綿回収をロボットで下に吹き払い地下ピットで吸い込み、2階に設置した直径150㎝の2基のファン(集塵と加水)で全風量で循環させていたのです。この効果は素晴らしいモノがありました。定期的に深さ2メートル長さ20メートルもある地下ピットに潜ってホーキで残存風綿を取り除いたり、2階の集塵室で直径150センチの円柱形の回転ローラーのフィルターの取り換えも「これだけ風綿を吸ったら病気になるのでは?」と思いながら風綿にまみれて掃除していたあの頃が懐かしいです・・・(笑)。シャットル織機から回転数が5倍のエアージェット織機になると、風綿発生率が回転数の2乗になりますので、とても人力では追いつきません。しかし、その天国的な掃除も60オーバーになると、ちょっとキツくなってきました。そこで、前々から考えていた「掃除ロボット(ルンバ)」の導入を決めたのです。これで掃除がだいぶ楽になりました。ルンバだけだと不安なので、従来の掃除機3台(+2台のスタジオ専用スリムクリーナー)での掃除の間隔をそれなりに空けるようにしました(スタジオは毎日掃除)。日本生産性本部の調査によると「日本のサービス業の生産性は米国の半分」だそうです。「おもてなし」に人手が要るかも知れませんが、それだと世界競争に負けてしまいます。アメリカのマクドナルドのドライブスルーで注文すると、それはインターネットで人件費が安くて英語が喋れるインドに繋がっているという話を聞いたことがあります。アメリカのサービス業はここまでコストを下げる研究をしているのだと・・・ビルや倉庫の維持には大きく分けて「清掃」「警備」「管理」の3つが基本です。そのうち「清掃」の負担がルンバ導入で大幅に減った事が大きいですし、「警備」に関しても防犯WEBカメラを8台に増やしたのも大きいですねェ・・・あと「管理」に関しても、省力化にイロイロ手を打っています。いずれにしても、ITを活用し、AI時代に突入したことによって、一人で出来る範囲が飛躍的に伸び、零細企業経営者にとって追い風になっていることは確かです。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.02.09
コメント(0)
昨年末に1ヶ月間ハワイオアフ島(ワイキキ)でロングステイしてきましたが、遊んでばかりしてませんでした・・・(笑)。人間って、そう遊んでばかりいられるモノではないと・・・1ヶ月間ハワイに住んでみて思いました。弊社の本業であるトランクルーム(アメリカでの呼称はセルフストレージ)が、ワイキキでどのようなビジネスポジションであるかをこの目で確かめました。ご存じのように、ハワイはアメリカです。意外に思われかも知れませんが、あの国土が広く自宅面積も広いアメリカが世界で1番セルフストレージが普及しているのです。アメリカでは10世帯に1世帯がセルフストレージを日常的に利用しており(日本は300世帯に1室)、普及率は10%にまで達しているようです。そしてアメリカの市場規模は、約230億米ドル(約1兆8,000億円)に達するほど急成長しているようです。いずれにしても、住人人口と観光客が集中してホテルやコンドミニアムが乱立するハワイオアフ島のワイキキにもトランクルームの需要があるようで、日本では見たことがない立派なトランクルームのビルを発見しました。さすが、世界のセルフストレージの本番アメリカという感じです。日本のトランクルームマーケットと同じで一戸建てが少なく収納スペースに限りがあるマンションが多い都会ならではのビジネスで、ワイキキ中心部では殆ど100%マンション(ビル)という事情のせいか、このセルフストレージも流行っているようでした。ワイキキから公共バスに乗って離れた所に行っても、いくつか大きなセルフストレージがあります。いずれも,日本でよくあるような既存のビルや倉庫をコンバージョンしたモノではなく、トランクルーム専用のビルディングを新築したところを見ると、相当ビジネス的に力が入っているのかが窺い知れます。そして全米一物価が高いハワイですから、賃料もそれなりに高いのは言うまでもありません。地価が高い日本の大都会でもそうですが、屋外型コンテナはワイキキでは全くありませんでしたし、割と住宅が少ないオアフ島全域でも全く見ませんでした。やはり常夏のハワイでは、鉄板1枚だけのコンテナでは室温が高くなり過ぎるのでしょう。「保管ビジネス」という意味で、ワイキキビーチ際の非常に便利なところにハワイで大流行のSUP(スタンドアップパドルボード)の保管庫がありました。非常に流行っているようで、殆ど満杯でした。サーフィンやウインドサーフィンよりも長くて重く、3メートルを超え重量も10数キロありますので持ち運びが大変です。世界中の金持ちSUP愛好者にとってこれほど便利なところは無いでしょうし、少々保管料は高くても問題はないのでしょう。SUP保管の多くに、日本では見たことがないようなイスラエル製の南京錠が掛かっていました。セキュリティという意味で、日本製やドイツ製よりも一歩進んでいる・・・という世界事情を実感しました。という事で、トランクルーム経営者でウインドサーファーの私もワイキキで勉強させてもらいました。30年前はワイキキビーチでもウインドサーフィンをやっていましたし、カイルアビーチはウインドサーフィンの聖地と言われるほど世界中からウインドサーファーが集まっていましたが、今はオアフ島全域でウインドサーファーは皆無です。もっと良いコンディションを求めてマウイ島に多くのウインドサーファーが移住したり、ウインドサーフィンブームが去ったとも言えますが、そこには現地の複雑な事情が絡んでいるようで、チョット残念でしたねェ・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.02.07
コメント(0)
弊社トランクルーム貝塚は、サカイ引越センターさんとアリさんマークの引越社さんの引越大手2社と業務提携をしています(サカイさんは東証1部上場)。引越業者は荷物の運搬、弊社は荷物保管・・・という完全分業体制によって、お客さんの荷物移動がスピーディーに行われます。引越業者に「荷物保管」のオファーがあれば全て弊社に連絡があり、弊社に荷物の搬入や搬出の「荷物の運搬」のオファーがあれば引越業者を紹介します。やはり「餅は餅屋」です。引越業者の各社各営業マンと、直接私の携帯と繋がっています。営業マンの商談の場から、よく電話が掛かってきて即見積もりをするケースも多いです。この歯車が上手くいっているんですね。もうこんな関係も10年くらい続いています。10年もやっていれば、各ドライバーも顔なじみです。営業マンより、ドライバーの方が親しいかも・・・(笑)。過去13年もトランクルームを営業していれば、もうトランクルーム業界では老舗です。13年間で、既に弊社で何千件も引越案件を取り扱ってきた実績は重いです。この実績の積み重ねこそが信用に繋がっているのだと思います。泉州エリアのトランクルームの約90%が更地にポンと置いた野晒しで管理人が誰もいない無人の「屋外型」コンテナですが、この辺が全く訳が違うのです・・・まァしかし、引越業者の営業マンやドライバーと親しくなるのも弊社が数少ない管理人のいる「有人管理」だからです。日本の殆どのトランクルームは管理人が誰もいない「無人管理」です。いくら弊社トランクルームには防犯WEBカメラが8台あるとは言え、管理人がいる「安心」「安全」に勝るものはありません。それと利用料金が他社の半額以下で、野晒しのコンテナではなく数少ない「屋内型」という点も見逃せません。要するに、「有人管理」「日本最安値」「屋内型」の3点で、一部上場の引越業者からトランクルームとして太鼓判を押されているのです。引越業者の方も、他社にない弊社のこの3点の特徴で「業務提携しましょう」という事になったのだろうと思います。これは、名誉以外何物でもありません・・・(涙)。という事で、トランクルームも織物時代に徹底的に叩き込まれた「品質と値段と納期」遵守の精神が生きているのかと・・・真面目に賃織りをやってきてヨカッタと思う今日この頃です。そしてこの引越業者とのネットワークに加え、弊社が加盟している大阪宅建協会泉州支部(不動産業界団体)とのネットワークも見逃せません。自社トランクルームWEBサイトによる集客と、リアルな引越業者と不動産業界のネットワークの3本立てに加え、自社の会員数約1100人の音楽スタジオや、自習室や卓球場の会員ネットワークとプラべートなネットワークで、今後も171室もあるトランクルームを常時満室にしていきたいと思います。(オススメの関連記事)引越見積もりに注意(「トランクルーム+引越代金」別々に)にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.02.05
コメント(0)
昨今のWEBサイト(ホームページ)はモバイルフレンドリー化(スマートフォン対応)していないと、検索順位の低下などの無視できない影響がでてきます。つまり一般的にWEBサイトを制作するときは「SEO対策」を考えて、PC用とスマートフォン用の2つのサイトを作らなければならないのです。※SEOとは、”Search Engine Optimization” の略であり、検索エンジン最適化を意味する言葉で、検索結果でWebサイトがより多く露出されるために行う一連の取り組みのことを”SEO対策”と呼びます。という事は、ホームページを作るのにPC用とスマホ用と制作費(イニシャルコスト)が2倍掛かる計算です。もちろん、HPを作った後のメンテナンスやサーバー代などのランニングコストも2倍掛かってしまいます。大企業なら問題ありませんが、零細企業なら死活問題です。しかし、ココにはあまり知られていない落とし穴があったのです。大企業が参入しないニッチマーケットならそもそも競合が少ないので、PC用だけで検索上位にきます。つまり、モバイルフレンドリー対策しなくてイイのです(スマホ用HPは不要)。これでIT関連のコスト半額です。故に弊社のトランクルームも音楽スタジオのWEBサイトは、未だにモバイルフレンドリー化をしていません。※近年「レスポンシブデザイン」と言う1つで両方を成立させるホームページが出てたようですが、制作には現行のホームページを破棄しデザインを含め全てゼロから作り直す必要があり、技術的に複雑になるため費用が高額になるようです。まだスマートフォンが普及していない10年前に、弊社「貝塚不動産.com」で不動産専用ソフトを導入しようかと真剣に検討していた時期がありました。賃貸版と売買版の両方を導入すると何百万円?というので諦めましたが、正解でした・・・(汗)。導入していたら、その後のスマートフォン普及でモバイルフレンドリーに対応するために更にまた何百万円?も掛かる計算になります・・・(驚)。知り合いの同業者に聞くと、ソフト入力に専任のスタッフが必要だと聞いて更にビックリ。イニシャルコストだけで何百(千)万円も掛かり、更に毎月のランニングコストが何十万円も掛かる・・・(怖)。数人以上の規模で売買仲介もやっていないと、全く採算が取れないのは自明の理でした。普通に考えれば、大阪だけで不動産屋が1万社もある競争が激しい業界ですので、一人で経営している不動産屋がそんな高価なソフトを導入しても採算が合うはずもなかったのです。そりゃ逆に言うと、IT業界にしてみれば大阪だけで1万社もあってIT化が遅れている不動産業界なんておいしいマーケットです。弊社は「ある方法」で切り抜けました。イロイロ悩み検討しているうちに、あるサイトに辿り着き、コストが掛からない「ある方法」を発見したのです。という事で、不動産業界に限らずITの大きな波がやって来た事によって、零細企業に大きなチャンスが巡ってきたことは事実として大歓迎です。自社の独自ドメインによるWEBサイトだけでなく、無料ブログやSNS(フェイスブック、ツイッター、インスタグラム、ライン)といった無料で宣伝できるツールが世の中に溢れていますので、零細企業経営者にとってこれを使わない手はありません。ただ、その大きな波に乗って海千山千の関連業者も沢山できている訳で、それを見極める為に、こちらも「IT武装」しなければなりません。「知らぬが仏」という諺があるように、どんな業界でもそんな業者がいて「仏」さんを探しまくっていますから気をつけなければなりません。お金の掛るウマイ話には気をつけましょう。ソコです・・・大事なところは。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.02.04
コメント(2)
先日注文していた「創業70周年」記念のボールペン1000本が出来上がってきました。10年前の「創業60周年」記念のボールペンも確かネットで注文しましたが、今回もネット注文で安くて迅速に段取りが出来ました。インターネットがそれ程普及していなかった20年前の「創業50周年」の時は、確か文具店と何回も打ち合わせをしていた記憶がありますので、隔世の感があります。今日からスタジオ0724の「Bスタジオ」がオープンしましたが、今日正に1000本が出来上がってきたのです。そして記念すべきボールペンを手渡しした第1号は、弊社スタジオ0724から出た「プロ第1号」のプロドラマー「KoU」さんです。何やら、ラッキースメルがプンプンします・・・(笑)。たぶん彼はプロドラマーとして有名になるでしょう。そして彼が高校時代によく通ったスタジオのマスターとして私がテレビ取材を受ける・・・てな妄想が広がります(笑)。カナブーンがアマチュア時代に頻繁に出入りしていたライブハウスの堺のFUZZさんみたいに・・・嬉しいですねェ・・・スタジオからプロミュージシャンが出るとは。正に、リハスタ経営冥利に尽きます・・・(涙)。普通の商売で大儲けしても泣くことはありませんが、このリハスタ経営というのはお金も儲けて?感動でも泣く・・・という何とも不思議な商売です(笑)。まァ、プロになれなくても(ならなくても)、アマチュアでずっとバンド(音楽)していく・・・事の方がもっと嬉しいですが。という事で、祖父が70年前に織物業を始めてから70年経ち、ビジネスの内容は変わりましたが、これからは創業80周年に向かってボチボチ歩んでいきたいと思います。日本が戦争に負けてまだ3年しか経っていなかった71年前に(創業の1年前)、祖父が「織屋をやろうか!」と起業した意志を尊重したいと思います。祖父がそう思わなかったら、父や私はまた全然違った人生を歩んでいたのですから・・・なので、10年後には80周年記念ボールペンを注文したいと思います。しかし「Bスタジオ」は今日オープンしましたが、もう「Cスタジオ」の具体案が浮上してきています・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.02.01
コメント(0)
全13件 (13件中 1-13件目)
1