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先日3人の娘ファミリーらと、車で南紀白浜へ温泉旅行に行ってきました。去年は飛行機で沖縄・石垣島クラブメッドでしたが、今回は車で2時間の温泉旅行です。宿泊したのは7年前にも泊まった「古賀の井リゾート&スパ」です。2,3年前に大規模改造して名称も変わり、7年前は結構空いていたのですが、今回は結構混んでいました。スタッフに聞くと、年間を通じて稼働率が80%に上がったそうです。やはり、改造効果と関空から2時間という地の利を生かしたインバウンド需要が功を奏したのでしょう・・・弊社もそうですが、不動産活用はリフォームと集客方法の両輪で攻めないと収益効果を期待できません。今回もそうですが、白浜温泉の遊び方は「温泉」と「アドベンチャーワールド」と「海水浴」と「とれとれ市場」の4つが定番です。館内の室内プールやシークレットビーチ江津良浜での遊びは、毎回ハワイに持っていく水上フローターが大活躍です。小さな子供3,4人乗っても、十分浮きますから。毎年ハワイで会うカナダ人の友達にこのフローター(海外社製)の事を教えてもらい、ネットで買ったのが大正解でした。防水スマホとブルートゥース・スピーカー持ってワイキキビーチのちょっと沖までこのフローターに乗っていき、山下達郎やサザンや高中正義や杏里といった日本の曲を聴くのが何とも気持ちがイイのです・・・(笑)。しかし今回、混雑する有名な白良浜を避けたのが賢明でした。地元民中心の江津良浜は、結構キレイで魚や貝などが取れます。まあしかし、どうしても孫中心の旅行になるというより、孫と一緒に遊ぶのが目的です・・・(笑)。4歳2人と1歳2人・・・4人の孫娘がジージと遊んでくれるのは「今しか」ないのです(涙)。「目に入れても痛くはない」とはこの事で、娘たちは結構厳しく育てましたが、孫には激甘です・・・(笑)。しかし10年後には確実に「ジージ・・・臭い?」と言われそうです(笑)。考えてみれば、そりゃそうでしょう・・・娘たちも中年になれば、孫は若い娘さんに・・・(涙)。孫が適齢期になれば、ジージはヨボヨボに。悲しいですねェ・・・しかし、時代は巡り巡り・・・それが人生です。娘にとって良き父であり、孫にとって思い出に残る祖父であった・・・それだけで充分です(涙)。という事で、来年の計画もボチボチ考えています。やはり、人間は目標があると頑張れます。「孫と遊ぶ」というのは旅行だけではありませんが・・・これも、私が今年掲げた大事な目標の一つだったのです。しかし、高速道路が白浜まで繋がって貝塚から2時間で行けるように非常に便利になりました。昔は42号線を走って5,6時間掛かりましたから。この南紀白浜温泉は戦後から昭和40年代まで、泉州の繊維業界(織物、タオル、毛布)の大阪船場にある総合商社や繊維商社や紡績メーカーや合繊メーカーとの接待で非常に賑わっていたそうです。戦後日本経済を牽引してきた泉州の繊維業界の役割は非常に大きかったと歴史で学びましたが、正に昭和40年代に最盛期を迎えていた白浜温泉がそれを物語っています。なんせ泉州の繊維業界が最盛期だった昭和40年代には、弊社が加盟していた大阪南部織物組合が680社、泉州織物組合が1000社、泉佐野タオル組合が680社、泉大津毛布組合が560社もあったそうですから・・・日本で一番織物業者が集積していた地元貝塚市には、名越の町内に11軒も織物工場があり、お隣の森には20軒もありました。白浜温泉行きに飽き足らず、地元貝塚市水間(水間公園近く)には大きな池に金閣寺のイミテーションや太鼓橋があった高級料亭「一龍」がありました。今はその料亭の廃墟が有名な心霊スポットになっているそうですが・・・膨大な数があった泉州の繊維業者も、今は弊社も含め総じて90%以上が廃業(或いは倒産)しているのが現状ですが・・・(涙)。時の流れは残酷です・・・時代の流れに抹殺されないように頑張ろう・・・と。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.07.31
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昨日の大阪は猛暑の35℃でしたが、弊社トランクルーム貝塚(本館1階)は26℃と館内はヒンヤリしています。泉州エリアのトランクルームの90%は野晒しの「屋外型」コンテナですが、弊社は数少ない「屋内型(ビルトイン)」トランクルームなので夏は涼しいのです。単に「屋内型」というだけでなく、重量鉄骨造に100ミリ厚のALC壁を採用し建物の立ち上がりに120㎝(地上60㎝、地下60㎝)の外断熱施工をしているから更に涼しいのです。特にトラックも館内に入れる入口開口部にはもう1つ壁(中壁)がありますが、これも100ミリ厚のALC壁です。2重のALC壁によって館内の夏場の冷気や冬場の暖気がある程度保たれ、年間の室温差が少なくなるのです。真冬で外が雪が降る0℃の時でも、室温が放射冷却に影響されることなく8℃くらいに保たれ暖かく感じられます。倉庫として建てたならここまでハイスペックな建築建材を使わなかったのですが、年間温度差少ないのが必須(織物品質に影響するため)の織物工場にはここまで建物に拘る必要があったのです。という事で、トランクルームの決定的な「差」は今の真夏の時期にあったのです。飲食店の「差」は味ですし、百貨店やGMSの「差」は品揃えですし、メーカーの「差」は品質です。それぞれの業界やビジネスで、どこの企業も「差別化」を追求し企業の存亡を掛けているのです・・・最近はこれにグローバル化の影響で、海外との競争に晒されている業界も増えました。いずれにしろ、高温に弱い「木製家具」「家電」「タイヤ」「衣料(特に着物や毛皮)」の保管には、ぜひ屋内型の弊社トランクルーム貝塚をご利用ください。そして是非今の最も暑い時期に、他社のコンテナやトランクルームの見学をお勧めします。弊社と比較して判断されるのが(料金も含め)、最も賢明なトランクルーム利用術です。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.07.30
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泉州エリアのトランクルームの90%は、地主直営ではなく中に業者が入って運営管理している無人管理(管理人が誰も駐在していない)の「屋外型」コンテナで、みなさん判で押したように「365日24時間出し入れ自由」と謳っています。しかし、弊社トランクルーム貝塚はその真逆で、地主直営の有人管理(管理人が居る)の泉州では数少ない「屋内型(ビルトイン)」トランクルームで、「時間差をつけた予約制」です。弊社の織物時代(エアージェット織機)の織機メーカーと全く一緒で、当時泉州エリアのシェア90%が津田駒工業でしたが、弊社はシェア10%のマイナーな豊田自動織機(トヨタ)でした。いつの時代もどんな業種でも、シェアが大きいのがイイとは限りません。これまでの人生で、他社(他人)の逆を敢えて行くという「逆張り」発想が吉と出たケースが多かったように思います。そのお陰で、世間の風潮やみんなが同じ方向を向いているときは「チョット待てよ・・・」と考えたくなるのです・・・(笑)。まあしかし、確かに「365日24時間出し入れ自由」というのは、いつでも好きな時間に利用できるのは便利だと思います。しかし、ここには1つの盲点があります。誰でもいつでも利用できるというのは、「お客さん同士が被る」可能性があるという事を指します。同じ時間帯に、客同士がぶつかるのです。見知らぬ者(客)同士が、同じ時間に同じ場所にやって来るというのは、あまり気持ちのイイものではないという顧客心理ですし、それがお客さんのストレスになりますまだ道路沿いの屋外型のコンテナだと車や単車や歩行者の目がありますので、「二人っきり」というシチュエーションではありませんが、「屋内型の無人」のトランクルームだとマスターキーで一旦トランクルーム館内に入れば契約者以外誰も入って来れません。しかし「365日24時間出し入れ自由」なので、他の部屋の借主が同じ時間帯に入ってくる可能性があります。夜に女性客が一人で利用しているところに男性客が館内に入ってきて2人だけになったら、確かに気持ち悪いでしょうし、ストレスもピークに達します。それを嫌がって、管理人が居て時間差で管理(予約制)の弊社トランクルーム貝塚に借り換えする女性客が結構おられます。女性客だけでなく、最近は若い男性でも見知らぬ人と接するのを嫌がる傾向にあります。弊社ではお客さん同士が同じ時間帯に被る事はありません。何故なら、事前に予約を受け付けて「時間差」をつけているからです。例えば「明日の10時」という予約が入れば、次のお客さんの予約希望が同じ明日の10時ならば、「すみません、9時か11時にしてもらえませんか?」という具合に、こちらで予約をコントロールしています。弊社ではこんな邪魔くさい事をしているのです・・・(笑)。何のことはない、私が5つの仕事の合間にLINEで直接お客さんとやり取りをしているだけの事です。時間の空いた(スキマ時間)片手間なので、何の負担もありません。これは音楽スタジオのブッキングでも同じです。というか、最初に音楽スタジオでLINE予約していたのを、「これはイイ!」とトランクルームにも応用したのです。今ではシニア客中心の不動産客以外は、だいたいLINE予約です。幸いスマホが爆発的に普及したのと同時にLINEも今や常識というIT進化の恩恵を享受しているのです・・・(涙)。スマホのLINEで予約というのも、他社にしたら人件費が掛かりすぎて出来るはずもありません。お陰で私のスマホのLINEの友だち登録者数も、5つの仕事とプライベートを含めると1300人近くなりました・・・(笑)。一番多い名字の田中さんだけで、40人も登録されています・・・(笑)。もちろん分類する為に、名字の後ろにカテゴリーのアルファベットや略字と数字と担当楽器の3つの属性をつけてますが。LINEやメールといった非同時性コミュニケーションの利点は、従来の同時性コミュニケーションの電話と比べて大幅な時間の節約と証拠が残ることです。固定電話に転送機能をつければ電話番なんていう仕事がなくなりますし、海外旅行先でもモバイルWiFiを持参すれば電話やLINEやメールで仕事ができる素晴らしい時代になったのです・・・(涙)。サラリーマンと違って「24時間仕事がしたい」オーナー経営者にとって、正に追い風だったのです。という事で、13年間トランクルーム経営をやってきて1番思う事は、お客さんの立場に立てば「他人に何を出し入れしているかを見られたくない」という顧客心理を如何に大事にするかです。この繊細でシビアな問題を考慮していかなければ、トランクルーム経営は成り立ちません。それを更地にポンと置いたり、古いビルのワンフロアをただ区切っただけで、「24時間いつでもどうぞ・・・」と言うだけでは、これから始まる本格的なトランクルーム競争時代に勝ち残れないでしょう。ここ10年、離婚や別居関連の家財道具の保管が多いです。殆ど100%妻側の荷物保管ですが、実家に持って帰るのは絶対NGで、荷物はトランクルームに直行、自分と子供は夜にひっそり実家に戻るという行動パターンがそれを物語っています。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.07.25
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大卒後建築建材金物メーカーで営業マンを4年間やっていましたが、その約30数年前の経験が今となっては非常に役立っています。と言うのは、配属されたのは「金物部」という主に金物業界のルート営業でしたが、その他に「建材部」「ベビー部門」「ヘルシー部門」と計4つの部門の商材も販売し、「金物」「ホームセンター」「建材(サッシ)」「工具商社」「家電」「家具」「店装」「バラエティショップ」「量販店」「百貨店」「園芸」「ベビー」「通販」「画材」の14の業界と関わってきた経験が、今の「トランクルーム」「不動産」「音楽スタジオ」「卓球場」「自習室」に繋がっているような気がします。他部門の商材を販売する場合は当然既存のルートで売れませんから、自分なりにイロイロ工夫をしました。例えばベビーカーを工具商社経由でディスカウンターや通販に販売したり、ビルディング向けの業務用の4mのピクチャーレールを1mと2mにカットしてパッケージに入れ画材店に販売したり、イタリアから輸入しても販売不振で山のようにあった長期在庫だったフラワーポットを園芸業界の重鎮に依頼して拡販したり百貨店の中元に花とのセット販売し在庫を一掃したり、ホームセンターに定番として販売していたカラーアングルをカラーを変えて家電やバラエティショップに販売したり・・・当時は販売方法をチョット工夫し「切り口を変える」だけで面白いように売れ、大いに自信を持ちました。この「切り口を変える」という販売手法は、そののち織物工場をトランクルームや音楽スタジオや卓球場や自習室に改造コンバージョンした事に繋がっていったのです。しかし「夜討ち朝駆け」で朝早くから夜遅くまで仕事をしたお陰で、久しぶりに休みの日曜に娘と会うと「誰かな?」と泣かれる始末・・・(笑)。4年間でこれだけ一生懸命仕事をして会社に8000万円~1億円ほど「新規売り上げ」として貢献しても、当時手取り給料が15万円では誰でもヤル気を失います。と言うか、家族4人で月15万の収入では生活できませんし、10年先輩の給料を考えると会社に対して絶望しかありませんでした・・・(涙)。そんな時、既に斜陽産業だった家業で泉州の地場産業だった織物業が希望の星?に見えたのです。取引商社から「跡継ぎはどうするのか?」と問われている頃で、親父も最終の返事に悩んでいたようです。「渡りに船」とは正にこの事で、人生はタイミングだと思います。更にサラリーマンを辞めたあと家業の「繊維業界」に入った訳ですが、これも感覚的には「単に15番目の業界」という程度の認識でしたので、気負いもせずスッと入れたのでしょう・・・(笑)。今思えば中身の非常に濃い4年のサラリーマン時代でしたが、この14の業界に加え、当時全盛期を迎えていたウインドサーフィンのパーツ分野(ブーム、ジョイント)に新規進出というのを社長命令で私が責任者として受けていたのです。この新しい仕事に専任だったらよかったのですが、中小企業でしたので専任は許されず従来の仕事に加えて新しい仕事で、時間的にも精神的にも重圧がのしかかりましたが1番の趣味でしたので、特許庁に出向いたり色んなコネクションを持つ総合商社や樹脂メーカーやアルミニウムメーカーやカーボンメーカーとの打ち合わせも何の苦もありませんでした。有望マーケットに、これだけ世界中から膨大で色んな特許関連の申請があるのかと驚愕したものです・・・現実のビジネスでは、あらゆる面で余程したたかでないと生き残れないと・・・この一件が心に刻みこまれました。結局特許の壁に挟まれ新規事業への進出は断念しましたが、一連の動きでサラリーマンながら若くして「企画」「仕入れ」「販売」の3つの大きなビジネスの流れを掴んだ経験が、私の将来の財産となりました。学生時代から付き合っていた家内と社会人1年目で結婚し、翌年長女が誕生しその翌年次女が誕生しましたので、20代で3人を扶養しているいうプレッシャーも営業マンとしての「勢い」に転換していったのでしょう・・・一流大学卒なら大企業に就職できたかもしれませんが、新卒で中小企業のようにイロイロ仕事を任せられません。三流大学卒で中小企業に就職したからこそ、新卒からイロイロと責任を持たされ新しい仕事を任されたのです・・・それが逆に転業や起業で「吉」と出たのです(笑)。もちろん当時は、中小企業に就職しても一生サラリーマンでやっていくつもりでしたので一生懸命出世する為に働いたのですが、働けば働くほど自分の努力が給料に反映されないもどかしさや、40代の先輩社員や上司らが業績不振で責任を取らされ不本意にもドンドン左遷や解雇されるのを見て会社の将来に不安を抱いていた時に、一旦家業を継がないと宣言したにも拘らず親父から「戻ってくるか?」という救いのオファーがあり二つ返事で家業に戻ったのでした・・・(涙)。この時に変なプライドで断ってサラリーマンを続けていたら、それから10年後の会社の倒産で家族を路頭に迷わせていたでしょう・・・(汗)。テキトーに働いていたら、会社の将来に対する不安もなかったでしょうが(何の根拠もなく会社は安泰と妄信する)、一生懸命働いていたからこそ将来像が見えてきたのです。人の運命というのは、正に紙一重です。まァ、1つの業界で20年30年「これ一筋」というのは素晴らしいと思う一方、万一その仕事が周りの環境の変化や時代の流れで無くなったり激減したら途方に暮れると思います。正に家業だった織物業がそれで、終戦後日本経済を繊維業界が牽引してきましたが、それから70年経って98%減(大阪南部織物組合680社→15社)というのがそれを物語っています。考えれば当たり前のことで、長年同じ仕事をやっていると、心身ともその業界にしか通用しなくなりますし、それがスペシャリストというものだと思いますが・・・残念ながら私は、子供の頃から「飽き性」でしたし、それなり集中するものの頭脳的にも身体能力的にも恵まれなかった為に、途中で諦めていた事が多い事、多い事・・・(笑)。私の特徴は、一旦諦めてもそれを「中途半端」にダラダラと中断する時もありますが趣味で40~50年以上も続けている事です・・・(笑)。ウインドサーフィン、空手、ドラム、英語、だんじり大太鼓の5つで、60オーバーになった今でも「中途半端に続けている」のがある意味自慢かも・・・(笑)。特に空手は自分では一生懸命やったつもりでも結果的に中途半端に終わったからこそ、致命的な身体の故障を負わなかったのです。ウインドサーフィン仲間の平均年齢は50~55歳くらいで、結構みなさん年中されて私より上手な人が殆どですが、私の目標はウインド仲間が殆ど止めた80歳までウインドサーフィンをそれなりに楽しむ事です。最後の最後まで身体を鍛えウインドをボチボチ楽しむ事で、決して私はそんな楽しいウインドを諦めないでしょう・・・その静かにメラメラ燃える「気力」・・・ココロを大事にしたいと思います。それは他の仕事も空手もドラムも英語もだんじり太鼓も同じで、命尽きる時がそれがゼロになっている時です。まァ完全に辞めてしまったのはゴルフとトランペットですが、再開しようと思えばデキるかも知れませんが・・・私の場合、家業に戻ってきた時点で「この織物業に一生を捧げる・・・」という覚悟でしたが、まさか57年続いてきた家業を私の代で廃業せざるを得なかった事態に陥るとは夢にも思いませんでした。イロンナ業界に関わってきた経験で、新規ビジネスや起業する際の利点が他業界への進出に「抵抗が無い」「壁を感じない」のです。平たく言えば「俺にも出来るんちゃうか?」という軽いノリです・・・(笑)。言ってみれば、感覚が鈍くなっているアホです・・・(笑)。真面目で賢い人ほど、考え過ぎてこんなバカな真似は決してしません。行動に移すことが出来るのは、ある意味バカでないとダメなんです。もちろん、バカはバカなりに一生懸命に考えての行動ですが・・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.07.23
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最近「DUO select」という英単語と英熟語のテキストとCDのセットを購入しました。これまで海外旅行で「適当に英語を喋って、何とか通じてきたかな?」という程度のレベルでしたが、これじゃダメだと。一念発起、本格的に英語の勉強を2,3日前から始めました。私の弱点であるヒアリング用の4枚のCDがありますが、1枚は復習用で3枚をトータルで聴くと3時間も掛かってしまいます。最初は要領が分かるまで3枚のCDを聴くことを日課としますが、だんだん120分にまとめたいと思います。この「DUO select」はTOEIC550~620点くらいのレベルだそうで、もう忘れている英単語(英熟語)も多いですが幸い英語の基礎だけはあったので1から始める必要はなく、このseletをマスター次第、次のステップとして「DUO3.0」に進みたいと思いますが、60オーバーの爺さんが仕事の合間に毎日120分だけ勉強して、はたしてselectのマスターで何年掛かるか・・・?早くて2,3年か?いや、5,6年か・・・マスターできないかも(笑)。アレコレ考えても仕方がないので、取り合えずヤッテみます。シニアの「リ・スタート(再開)」でポイントになるのが基礎です。基礎がなければシニアになってから基礎を築くのがそれこそ大変で、残念ながら挫折の確率が高くなります。英語で言う基礎とは「中学英語」の事で、これをマスターしていなければ前に進めません。幸い英語は中学時代から割と真面目に学んできて、関西外大時代はあまり英語を勉強しませんでしたが、何とか卒業した程度だったのです・・・(笑)。空手もシニアから始めるのが大変で、幸い私は大学時代に世界中に普及している極真空手などフルコンタクト空手やテコンドーのルーツにもなって2020東京オリンピック種目でもある日本の4大流派(松濤館流、剛柔流、糸東流、和道流)の一つである糸東流の基礎(突き、蹴り、受け)を徹底的に叩き込まれていたお陰で、50歳を超えてからもリ・スタート出来たのだろうと思います。空手の基礎がなければ型を演じても、ただの盆踊りのようになって迫力と気迫が全く伝わってきません。しかし、一体なんで英語の勉強なんかを始めようと思ったのか・・・?まず第一に、海外旅行に行っても自分の拙い英語力では十分なコミュニケーションを取れないもどかしさがあったからです。添乗員がついてくるツアーなら英語力は不要ですが、最近はもっぱらチケットとホテルを自分で手配して日本語の通じない国に行く自由旅行ですので、英語力が不可欠だったのです。S的に敢えて自分を英語を使わざるを得ない環境に追い込む事によって、必死に考えて英語で喋る自分を引き出そうという魂胆です・・・(笑)。お膳立てしてもらったイイ環境にいたら、誰も努力しようとは思いません。大事なのは机上の英語の勉強より、旅行先での世界の外国人(住人&観光客)との英語のコミュニケーションという「実践」で、それによって自分の人生に「何か」プラスや刺激を受けたり得たりするのが本当の目的だったのです。まだまだ全然ダメですし、将来的に不動産の仕事で英語力があれば仕事も広がりますので、公私とも英語が出来れば絶対今後の人生にプラスになると考えたのです。もちろん異国で国も人種も母国語も違う知らない人に声を掛けるのは当初相当な「勇気」が要りますが、これを乗り越えれば誰にでも平気で声を掛けることが出来ます。「英会話は度胸」とよく言われますが、単にペラペラ喋るのが目的ではなく、喋る過程に置いて実は勇気を出すために気力を鍛える意味合いもあったのです・・・(笑)。今でも日本での仕事で知らない不動産屋や老人施設や楽器店やライブハウスやカフェ・・・に何の躊躇いもなく各種フライヤーを平気で配れるのは、そういう事だったのです・・・(笑)。別にトランプ大統領と英語で日米交渉をする訳ではありませんし、フルコミッション給与制やノルマがあるというプレッシャーは全くありませんし、日本語はペラペラなのでメチャメチャ気楽です・・・(笑)。子供の頃からよく父親から「目と口があるやろ・・・」と言われ、村や親戚の行事に父親の代理でアチコチ行かされたものです(病弱だったので)。言外に、はるかに年上のオッサンばかりのアウエーの環境の中で、必死に考えて対応して来いと言いたかったのでしょう・・・この経験が私のモノの考え方のベースにあるのは確かです。そもそも「英語ができる宅建士(英語で不動産契約を締結する)」なんて、ありそうで殆ど聞いたことがありません。実際、1万社ある大阪の不動産屋でそんな人材(宅建士)が何人いるのでしょうか・・・?多分いるとしても、10人いるかどうか・・・というレベルだと思います。それを目指そうとしているのです。おそらく宅建士だけで何十万人、宅建士+FPのダブル資格ホルダーでも何千人、宅建士+FP+不動産コンサルのトリプル資格ホルダー(実は私も)でも何百人いると思われる大阪の不動産業界で、英語ができる宅建士なんて殆どいない「超穴場」だったのです・・・やはり、みんなと同じ方向ではなく、違う方向に目を向ける方がライバルが少なく勝算の確率が高くなります。単に英語をペラペラ喋るのが目的ではなく、不動産取引の独占業務国家資格である「宅地建物取引士」を所持し、英語で不動産契約を締結するには英語の「不動産専門用語」に精通していなければなりません。従って、これからの英語の勉強は「DUO+不動産専門英語」がこれからの課題になってくるのです。ただ1人前に英語で不動産契約を難なく締結できるようになるには、これから頑張っても最低でも5年以上は要するでしょう・・・(汗)。毎年ハワイでの1か月のロングステイで、いつもビーチやライブバーで一緒に遊んでいるカナダ人夫婦(ご主人は税理士で奥さんが宅建士)とのコミュニケーションも深くなりそうです・・・彼女はカナダで一般住宅の売買仲介をしていますが、彼女らカナダ人コミュニティのハワイでの遊び仲間でアメリカシアトルの不動産屋さんも時々合流しますが、日米カナダの3か国の不動産事情で話がより一層盛り上がりそうです・・・(笑)。という事で、これまでイロイロと英語の学習方法を考えて、長年聴いている好きな洋楽で英語を覚えようともしましたが、単に聞き流すだけではダメでしたので、今回の「DUO select」に辿り着いたのです。主な学習時間帯はまだ手探りの状況ですが、朝4時か5時には起きていますので、8時出勤までの3,4時間の時間帯をこれまでクラシックやボサノバを新聞を読みながらPCをしながら、またはストレッチをしながら聴いていたのを英語の「ながら学習」に充てています。その他、トランクルームやスタジオの掃除時にも聞いています。CDをitunesに取り込みiphoneに同期すれば、早朝の家ではブルートゥーススピーカーで、掃除時はイヤホンで、事務所ではミニコンポで聴けるという、いつでもどこでも聴ける素晴らしい時代になったのが英語の勉強意欲を掻き立てたのです。今回の英語の勉強は資格勉強と根本的に異なり目的ではなく、コミュニケーションや稼ぐための単なるツールですが、今のインターネット時代は情報を正確に得るには英語が必須なので、そういう意味で自分の人生をトータルで考えると英語が出来るほど世界がグンと広がるでしょう。DUO、洋楽、ネット・・・1日少しでも意識して英語に触れることによって、英単語(英熟語)1つでも覚えれば(思い出せば)「昨日より一歩前進」です。iphoneミュージックに1400曲入っていますが、それを「カシレボ」アプリで英詩を見れますし、clipboxアプリでYOU TUBEの歌詞付きの洋楽をダウンロード出来、2つとも無料アプリでタダで英語を楽しみながら勉強できる素晴らしい時代がやってきたのです・・・資格勉強は合格してからやっと入口(土俵)に立つという「2段階方式」ですが、今回の英語力は資格に関係なく全くの実力の世界で、不動産経験(契約件数)との両輪で積めば積むほど順次稼げるのがミソだったのです。まァ、中学から大学まで学び洋楽にも出てくる英語と大学時代に経験した空手とドラムとウインドサーフィンを「リ・スタート」する事で、脳と身体のアンチエイジングに多少とも役立っているのかと思います・・・それと今回の英語力アップ計画には、不動産の英語の仕事や海外旅行に役に立つというのもありますが、公表は避けますが実は他に「ある目的(計画)」があったのです・・・それが無ければ、もうこの年で英語を勉強しようなんて思うはずもありません・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.07.17
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経営者・・・特に私みたいな零細企業経営者は、ひとりで色々とモノゴトを考えることが多いです。会社経営の現状分析、公私の将来プラン(1年後?5年後?10年後?20年後?・・・)、資金繰り、取引先と仕入れ先の再考、事業承継、自分の健康法、、勉強(宅建業法、相続、経理)、営業戦略、趣味(空手、ウインドサーフィン、ドラム、旅行)の将来像、娘3ファミリー・・・等々考えることが山ほどあって、いくら時間があっても足りませんので、睡眠中も仕事のことを考えるだけでなく「計算」もしているのが零細企業経営者の実態ではないでしょうか・・・(笑)。学校の勉強は1+1の答え(2)を出来るだけ早く正確に答える競争ですが、一般社会ではその答えが無いのです・・・その答えを自分なり出すためにアレコレ考え、知恵を絞り出すのです。しかし基本的に土日なしで24時間、仕事、仕事・・・と言っても、これが不思議とサラリーマンのように仕事がストレスにならないんですねェ・・・何故なら仕事をすればするほど、良くも悪くも100%自分に跳ね返ってきますし、従業員はいませんのでノビノビと自由にヤッテますから。仕事の中身が織物業からトランクルーム(不動産仲介、音楽スタジオ、卓球場、自習室)に変わった事によって、仕入れと売り先に気を使う事が殆どなくなりストレスが激減しました。というか、織物業廃業と同時に借金を全額返済しましたので、金で苦しむことから解放されたのが何より大きいかも・・・(笑)。やはり世の中のあらゆる問題の90%以上は、結局「金」で解決しますから・・・不動産を担保に銀行から借金をして(ローンを組んで)高級車を乗り回し大きな家に住んでも、銀行に借金があるうちは車も家も自分のモノではなりません。事業の失敗や病気で借金が返せないという思わぬアクシデントがあれば、銀行から抵当権を行使され競売に掛けられると車や家を手放さなければなりません。まァしかし、服装は客先への訪問以外は夏だとTシャツ+短パン+セッタのスーパークールビズで、事務所ではずっと好きな音楽を聴いていますし、眠くなれば誰にも遠慮せずうたた寝をしています・・・(笑)。この「差」が何と言っても大きいですねェ・・20年間の織物時代は工場にはクーラーが無く、24時間稼働の現場では夏は30℃を超えていましたので、朝5時に工場に入るといきなり32℃+65%湿度で100デシベルの工場騒音に加え風綿が舞い上がっていましたから、今の仕事環境と比べれば正に天国と地獄でした・・・しかしそれも、高校大学時代に手伝っていた古い織物工場(現トランクルーム別館)では夏場は40℃+90%湿度でしたから、新工場(現トランクルーム本館)の32℃+65%湿度は天国だったのです・・・(笑)。この8℃の差はとてつもなく大きく天と地ほどの差があり、40℃90%の現場に1歩足を踏み入れた途端、全身から汗が噴き出ました。よく熱中症にならんかったと思います。あまりの過酷さに、未だに時々その状況(織物業の現場で働いている姿)が夢に出てきます・・・(笑)。しかし、転業でここまで人生が変わるのか・・・と。過酷な労働環境から脱することが出来、転業してホント感謝しかないです・・・(涙)。なので、転業以降どんな苦労も厭わないというのは、そういう過去の肉体的な労働環境が理由だったのです。一般的にはやはり人間は、勉強(頭脳)で苦労した事よりスポーツや仕事での肉体的に苦労した経験の方が、いつまでも覚えているものです。若い頃にいわゆるバランスよく文武両道を全うし、頭脳も肉体も酷使した人間が教育の理想というのは疑う余地もありません。まァしかし、織物時代は人間的に嫌いであっても仕事上付き合わざるを得えず、下請けの立場として「絶対ケンカできない(キレる事ができない)」というのが忍耐力を付けたのでしょう・・・(笑)。49歳で転業しましたが、あのまま織物業を続けていたら51歳の時にあったリーマンショックで心身ともペシャンコに潰れていたでしょう・・・(汗)。まァしかし単純な話、自分ひとりでヤレば業績を上げれば上げるほど年収がアップしますし、増々一番大事な「ヤル気」が出てきます。逆に思ったほど業績が伸びなかったり悪化したら、他人に責任転嫁できませんので、自分の能力が足りなかったのですから素直に反省でき、納得して「方向転換(軌道修正)」出来ます。いくら努力してもダメなら、最悪私のように廃業(家業の織物業)するのも一つの選択肢です。零細企業経営者や自営業者は「自分の能力=会社の業績」なので、本当の自分の能力を知ることが大きなメリットだったのです。一番恐ろしいのは(最悪のパターンは)、能力のない経営者(自分の能力が分からず)がヤル気を出すことです。そんな倒産例をこれまでいくつか見てきましたが、逆に一番上手くいっている例が、自分の能力を過信せず健康(体力)面などを考えて敢えてヤル気を抑えて(設備投資を積極的にせず)、スーっと廃業したところが財産を減らさずに済んでいます。要は自分の現時点での能力(実力)を客観的に知ることが(見極める)一番大事なのです。一般的なサラリーマンでいくら優秀な営業成績を上げても、給料が2倍どころか50%増になることはあり得ませんが、それも会社の看板あっての成績ですから、「本当の自分の実力(能力)=社外で通用するか否か?」を知るには会社を辞めて独立するか、転職で他社から評価してもらうしかないのです。いくら社内評価が高くても社外で通用しなかったら、妻子を養えませんし実力がない明らかな証拠です。しかし、その「本当の自分の実力」を養うのも相当時間は掛かると思います。学校の勉強と同じで他人が遊んでいるときに勉強するしかないように、社会人になって異性や友達とワーワー遊んでいる(楽しんでいる)間に仕事をするしかないのです。私の場合学生時代から家業の織物工場で朝5時から2,3時間仕事をしてから大学に行き(サラリーマン時代の前半2年間も)、ウイークデーは空手部の練習、土曜はミナミのディスコやライブハウスに行き、日曜はバンド活動やウインドサーフィンという忙しい青春を送っていましたが・・・(笑)。今振り返ると、「無目的に」友達とダラダラ遊んだ記憶が殆ど無い事に驚きます・・・(笑)。やはり当時から毎朝必ず2,3時間家業を手伝うのが「生活の基本」で、それを軸にモノゴトを考えると、1日往復4時間の通学時間、大学の勉強、ヤリタイ事(空手、ウインドサーフィン、ドラム、ディスコ、ライブハウス)・・・そしてその合間を縫って?女の子とデートをしなければなりません(笑)。そう考えると絶対的に時間が足りなかったのです。今でもそうですが、人生を歩んでいく中で「経験」「ひとりで考える」「人の話を聞く」「自分で研究する(学校の勉強、新聞、ネット、読書)」とバランスを保ちながら4つの総量が多ければ多いほど判断材料が豊富になり、正しい判断が出来ると思います。なので、素晴らしい人生を歩むには性別年齢は関係ないように思います。ただ生まれた国は選べませんので、国や人種によって文化や宗教や政治によって違いがありますので、その辺は自分の努力ではどうしようもない部分があるかも知れません。今考えるとヨカッタと思える事が、織物時代に何もかも(経営、経理、現場、営業)自分でヤッテきた事かと。これは父親から代々受け継いだ事で「大事なところは他人に任せない」という戒めだったのです。これは取りも直さず、零細企業経営は「器以上の事はするな」という事だったのです。経営だけでなく現場の経験もあったからこそ、トランクルームへの転業後1年半も同業界の織物工場の現場でプライドを捨てて働き転業後の「無収入期間」を支える事が出来、その後の音楽スタジオや卓球場といった異業界へもスンナリ進出できたのかと思います。という事で、そんな忙しい青春時代を送ってきた訳ですが、「織物業の跡を継ぐんだろうなァ・・・」というのが頭の片隅にありましたので、若い頃から常にそれを前提にモノゴトを考えてきたことが逆に良かったかなァと思うのです。大学にウインドサーフィン同好会を作って学連加盟することによって本腰を入れましたが、これも将来会社経営の「予行練習」と捉えていたかもしれません。帝王学なんて事は何も教えられていませんでしたが、父親は身体が弱かったため、子供の頃から何処へ行くのも連れて行かされ親戚や村の行事も私が行かされました。同業者の織物工場に行ったり取引先の部長さん宅へ中元を持参したりするのも連れて行かされ、親戚の選挙応援や祭りの打ち合わせとかも中年以上のオッちゃん達の輪の中に入るのも嫌で仕方がありませんでしたが・・・(笑)。それが逆にヨカッタかなと・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.07.12
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東京23区より大阪市内の「レンタル自習室」の方がどうも流行っているようです。人口比較をすると東京23区は920万人(東京全体は1350万人)で、大阪市は280万人(大阪府全体で890万人)で東京23区は大阪市の3倍以上の人口がありますが、自習室の数はそれほど変わりません。何故か・・・?それは東京23区は東京オリンピックの影響で好景気ですが、大阪の景気はそうでもない・・・という事だろうと思います。会社の業績が悪くなると社員に危機感(事業縮小、倒産、廃業、左遷、リストラ、M&Aされる)が生まれ、それが資格取得へのモチベーションに繋がるのでしょう。確かに資格を取得すれば転職に有利かもしれませんし、給与アップに繋がるかも知れません。その辺を資格業界も察知して戦略的に大々的にPRし、多くの社会人を資格取得に走らせるのでしょう・・・その勉強する場所の一つとして、レンタル自習室業界という新しいニッチマーケットが会社や大学が集中する都会だけに存在するのです。そして会社や大学への行き帰りに、レンタル自習室を利用して勉強するという生活パターンに組み込まれるのです。ここまで書くと、レンタル自習室は弊社のような大阪の地方都市である貝塚市に殆ど関係が無いように思いますし、事実私もそうだと思います・・・(笑)。しかし、需要はゼロではないのです。そのゼロではない需要に対して「わずかに供給する」というのが弊社の戦略です。言葉を代えれば、都会のレンタル自習室は「専業」で展開していますが、地方である弊社レンタル自習室は「兼業」で細々と営業するというスタンスです。地方でのレンタル自習室「専業」では経営が成り立たないのです。この弊社の「兼業」というのは、トランクルームが忙しくなれば自習室から椅子と机と出して一瞬でトランクルームに「変身」するという意味です(逆もあり)。どんなマーケットでも需給バランスで成り立っていますので、マーケット動向に応じて「変身」出来るというのが弊社の強みです。これは弊社「貝塚卓球センター」にも言えることです。レンタル自習室も卓球場も「トランクルーム貝塚」の建物内にありますから、こんな「芸当」が出来るのです・・・(笑)。こういった考え方の元になったのは、サントリーとUCCの合弁のカフェチェーン「プロント」にありました。織物時代に大阪船場の取引先商社が入っているビルの地下にプロントがありました。営業の打ち合わせでコーヒーを飲んでいると、17時になるといきなりカウンターバックの壁面がガラリと変わり、ウエイトレスのコスチュームも一変する姿に驚きました・・・「いったい何が起こったんや?」と。カフェからバーに「変身」したのです。要は朝からカフェで夕方からバーという具合に、時間差で「2毛作経営」していたのです。実際この衝撃的な現場を自分の目で見て、これが大いに参考になったのです・・・この「事件」が私の潜在意識の中にあり、ある時フッと思い出し「卓球場も自習室も時間差ではなく、ちょっとアレンジしてマーケット動向によって2毛作経営をやってみたらどうか・・・?」と考えたのです。南海本線もJR阪和線も国道26号線も貝塚市の南北に細長い地形とだいたい直角に交わり(鉄道も国道も横切っているだけ)、会社や大学といった生活動線も北方向(堺市や難波や梅田)を向いているような昼間人口の少ない地方都市である貝塚市(人口9万人で、昼夜間人口比率89%)で、単独でレンタル自習室や卓球場を経営(それしか出来ない)するのは、余りにもリスキーと言えるでしょう。逆に言えば、どこも新規参入しない「超」ニッチマーケットと言えますが・・・(笑)。まァしかし強いて言えば、近隣の3市1町だけの需要だと全くビジネスになりませんので、「完全個室」と「WiFi」という2つの差別化で、片道30分以内で大阪府第2位の人口(83万人)を誇る堺市からの「普通のレンタル自習室」に満足できない顧客も取り込むというエリア拡大戦略もとっているのです。エリアだけでなく、ネットカフェやレンタルオフィスやコワーキングスペースといった違ったカテゴリーからのボーダーレス戦略も取っているのです。という事で、同じ都会型ビジネスとして弊社はリハーサル音楽スタジオ「スタジオ0724」を同じトランクルーム貝塚の建物内で経営していますが、これはレンタル自習室や卓球場のように需給に応じてコロコロ「変身」させる訳にはいきません。何故なら音楽スタジオは純粋なビジネスではなく、半分ボランティアみたいなものですから、もう会員数が1200人にも膨れ上がった地元ミュージシャン達に「練習場」というインフラを安定的に供給するのが私のミッションだったからです・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.07.07
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先月から主に不動産業者へのトランクルームのフライヤー(チラシ)の配布をし始めました。カタログスタンドに60部のフライヤーを入れ、そのセットを来店者が見えるところの店舗に置いてもらうのです。このフライヤーは私の全くの自作です。自分でデザインやキーワードを考え、それをA4紙に印刷し、3つ折り機でフライヤーにするのです。自分で作って自分自身の手で配る・・・単に節約という意味だけでなく、1から10まで小さくても全く新しい事を自分でヤル事によって、「チャレンジ精神」の下地を作るのです。単に本を読んだり、人から話を聞くだけでは「チャレンジ精神」なんか絶対生まれません。自分で「小さい事」から行動を始める事によって、次へのステップとなるのです。まだ50社ほどしか配布していませんが、これから泉州エリア(堺市以外)の不動産業者約700社(宅建協会と全日加盟合わせて)のうち、駅前の賃貸専門の店舗、新築とリフォームに力を入れている建売り兼業の不動産業者をメインに約半数の300~400社くらいを回る予定です。初めて訪問するところが多いですが、今のところ大体弊社トランクルームのフライヤーを置いて頂き、出足はまずまずと言ったところです。やはり弊社が同業の不動産業者という事もあり、何より「アパート&マンション賃貸」「新築(建て替え)」「リフォーム」でトランクルーム需要があるのにも拘らず、どこのトランクルーム業者もこの不動産業界に売り込みを掛けていなかったのが受け入れて頂いた主因でしょう。所謂「1番乗り」です。潜在需要を察知して(推測して)、他社よりいち早く行動する・・・これが新しいマーケットを構築する手法というのは誰でも分かります。しかし、要は行動するか否か・・・?単に思うや考えるだけではダメです。しかし残念ながら、行動力に恵まれている積極的な日本人は、尻に火がついている?歩合制の営業マン以外はどうも少ないようです。その少数派が私です・・・(笑)。若い頃から頭脳やルックスに自信がない私にとって、行動力しかなかった訳です・・・(笑)。その50年間で何千回?というイロンナ新しい経験の積み重ねで、60オーバーになっても未だにギンギラギン?なのか・・・(笑)。正に、継続は力なりです。不動産業者や住宅展示場にはリフォームや新築のお客さんが沢山来られ、その期間中に家財道具の保管場所に困るのです。そういった需要客に対し、弊社トランクルームを紹介してもらうのです。引越業者には個人や法人含め色んなルートから引越しの情報が集まり、その中に家財道具の保管需要が見込めるのです。老人ホーム関連では、施設内の個室の広さが限られますので、実家を処分したときにどうしても廃棄できない仏壇やアルバムなど思い出のモノをトランクルームに保管するという需要があるのです。特に最近は相続税法の絡みで(相続人は平等)、兄弟姉妹が複数いれば特定の子供(相続人)の家に仏壇を置くのは不平等なので、「中立の立場」としてのトランクルーム保管が見直されています。という事で、当面は不動産業者を回りますが、実は住宅展示場や引越業界も既に一緒に回っていたのです。そして特別養護老人ホームと有料老人ホームも既に同じエリアでリストアップし、同時並行でこれから新規売込み(飛び込みセールス)をしていきます。ネットだけでなく実際に訪問もするというアナログ的営業は古いようで、実はまだまだネットがそれほど浸透していない不動産業界や引越業界や老人介護業界に有効な手法だと信じています。何よりトランクルーム業者が売り込みに来るなんて、誰が想像したでしょうか・・・(笑)。空手の試合でいう相手の意表を突くフェイント攻撃や、沖縄空手の急所狙いです。想定外の攻撃(営業)を仕掛ける事によって、勝ちを収める(フライヤー設置)のです。順調にコトが進めば(イケると判断すれば)エリアを広げ、人口83万人の大都市「堺市」にも売り込み攻勢を掛けたいと思います。何もトランクルームと不動産の営業に限らず、当然チャンスがあれば同じ集客エリアの「音楽スタジオ」「卓球場」「レンタル自習室」も世間話ついでにPRしますので「一石五鳥」です・・・(笑)。しかし実は、13年前の弊社トランクルームオープン当初に、貝塚市と岸和田市の不動産屋さんと引越業者さんを既に私が回っていたのです・・・(笑)。この時が本当の意味で、トランクルーム業者が不動産業界に売り込みを掛けた「日本初」だったのでしょう。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.07.06
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弊社「レンタル自習室0724」(貝塚市名越661 072-446-0798 トランクルーム貝塚「本館」1階)にWiFi(無線LAN)を導入してから、資格の受験勉強をされる方が目に見えて増えてきました。その資格も「独占業務の国家資格」で、仕事をしながら勉強されているのです。弊社自習室で勉強しながら、その合間に仕事でパソコンや電話もする・・・そんなパターンです。これはよくある公立図書館内にある自習室では困難です。図書館の座席で音や声のする行為は絶対NGですから。弊社のような「完全個室」だから出来るワザだったのです。妻子を養いながら、更なるスキルアップを目指して勉強をするという「理想のお父さん」像です。資格を取得すれば仕事の幅も広がり、それが収入増に繋がるのです。ただ資格と一口に言っても、世の中に沢山ありますので、収入に直結するのはやはり「独占業務の国家資格」に限ります。その資格がないと仕事ができない・・・という資格です。私も「宅地建物取引士」「不動産コンサルティングマスター」「ファイナンシャルプランナー(AFP、2級技能士)」「賃貸不動産経営管理士」「損害保険募集人資格」「倉庫管理主任者」「定借アドバイザー(上級)」「住宅ローンアドバイザー」と9つの資格を取得しましたが、現実に役立っているのは残念ながら不動産取引での独占業務資格の「宅地建物取引士(宅建)」のみです。9つ全ての資格は頭が固くなった50歳以降に取得しましたので相当苦労しましたが、結果的に宅建以外の8つの資格取得に費やした時間と労力と金が全て無駄に終わった訳です・・・(涙)。回り道をしてしまった!・・・という後悔を挽回するために、ある意味60超えても頑張って?いるのか(笑)。という事で、レンタル自習室というと東京23区や大阪市内といった都会しかないビジネスを無謀?にも貝塚市という地方都市で始めたわけですが、需要がゼロではないというのが分かりました。かと言って盛況でもないところが微妙ですが、今後大手が参入することもないし他社が参入することもないというニッチマーケットと言えるでしょう。泉州エリアでは、人口83万人の堺市でレンタル自習室は2軒あるだけで、高石市以南はゼロです。これって、音楽スタジオや卓球場とほぼ同じような状況です。3つのビジネスは泉州エリアではほぼライバルがいない・・・と言えるのか(笑)。弊社もトランクルームが忙しくなれば、自習室から机と椅子を出してトランクルームに「早変わり」というスタンスですが・・・(笑)。逆に受験期になって自習室のお客さんが増えてきてトランクルームの需要が減れば、自習室をドンドン増やしていきますよ・・・なんせ弊社「トランクルーム貝塚」は本館と別館合わせて171室もありますので、それを100%埋めるためには、トランクルーム以外のイロンナ事(音楽スタジオ、卓球場、自習室)にチャレンジしていかないとダメなんです・・・(涙)。しかし私も宅建の受験勉強を50歳超えてからチャレンジしましたが、12時間他社の織物工場の現場で働きながら、夜中2時に起床して3時間勉強を9か月続け、試験本番前1週間は仕事を休んで1日18時間気が狂う一歩手前まで勉強しました・・・(笑)。「人知を尽くして天命を待つ」と言うのはこの事で、こんな努力はもう二度としたくないと思うほど頑張ったので、試験に落ちれば自分に縁がなかったとスパッと不動産の道は諦めようと覚悟していました。幸い努力が天に通じたのか?一発で宅建に合格しその後不動産業者の免許も取り11年目の不動産屋として現在に至っていますが、この経験を通じて「人生どう転ぶか分からない(人生、紙一重)・・・」というのを実感しました。自分が「これが正しい・・・これで行こう」と考え(決断)、そして行動に移すというプロセスの大切さをこれまでの人生を通じて身に沁みて感じます。29歳の時に建材金物メーカー(営業職)のサラリーマンから家業(泉州の地場産業の綿織物製造業)に転職、20年後の49歳の時に織物業からトランクルームに転業、そして51歳で不動産屋を起業(兼業)、59歳でトランクルーム内で音楽スタジオを開業、60歳でトランクルーム内にレンタル自習室と卓球場を開業。オモシロい事に、29歳、49歳、59歳と「大台」に乗る前年に、年齢的な危機感を感じてか?「大きな決断」をしています・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.07.04
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弊社「レンタル自習室0724(トランクルーム貝塚「本館」1階)」にWiFi(無線LAN)を導入してから「ビジネスユース」のお客さんが増えてきましたが、よく見ると1か月とか1週間とか「長期」のお客さんが多いです。理由は弊社自習室は「完全個室」なので、参考書や仕事の資料、大画面PCを室内に置いとけるからです(キー付き)。単に1日利用なら持って帰れるカバンに入る程度の参考書くらいしか持ち込めませんが、本格的な仕事や勉強となるとそれだけでは足りません。参考書、問題集、辞書、パソコン、会社資料・・・そういった「ビジネスユース」に対応できるのが、弊社レンタル自習室だったのです。レンタル自習室というビジネスモデルは、殆どが会社と人口が集中する東京23区や大阪市内といった都会でのビジネスです。それも判で押したように他社の自習室の殆どが単に長机を仕切っただけで、「個室」と謳ってカーテンで仕切っただけなので(実質的には「半個室」)、弊社の「完全個室」とは程遠いものだったのです・・・なので、セキュリティの問題で他社自習室の「個室」では荷物が置けないのです。公共図書館の自習室も全く同じで、個人の荷物を置けるはずもありません。この「違い」が弊社の差別化戦略です。日本ではまだ弊社のような「完全個室」の自習室が殆ど存在しないため、なかなか一般的には認知してもらえる程には至っていないのが残念です・・・(涙)。しかし、このブログやSNSで地道に告知活動を続けて行けば、必ずお客さんが増えてくると信じて続けていきたいと思います。という事で、トランクルームもそうですが、マーケットの供給側が90%が同じ形態だと受給側であるお客さんのイメージが固定化され(屋外型のコンテナ)、残り10%の供給側のマイナー側(屋内型のビルトイン)は告知(宣伝)活動に苦労するものです・・・しかし、勝負に勝つには他社と同じではダメで、「違い」を出さなければ勝ち目はないというビジネス理論から言えばマイナー側に勝算があるのです。この苦労の期間を「採算的に」じっとガマンできるか?・・・それに懸かっているのです。レンタル自習室「専業」で、それでメシを食っていかなければいけないと大変ですが、弊社は単なるトランクルームの空室対策です。トランクルームが忙しくなれば弊社「貝塚卓球センター」と全く同じで、自習室内の机と椅子を放り出して(卓球場から卓球台を放り出して)、一瞬のうちにトランクルームに早変わりです(当然、その逆もあり)。マーケット動向に合わせて、供給スタイルを自由自在に変化させる・・・頭を柔軟にして、固定化はNGです。まぁ、この辺が「兼業(副業)の強み」だったのです。長年ヤッテきたからと何の根拠もなく「この商売(会社)しかない!」と信じれば信じるほど(これが実際、本人にとって努力せずに1番楽なんですが・・・)、周りが変わっているのにも拘らず、自分も変わらなければ生き残れないのに気づかず、人生がドツボに「ゆっくり(ジワジワ)」ハマっていきます・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.07.03
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