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社会福祉法人さくら福祉会 理事会と評議員会、懇親会も併せて近頃たびたびすずかけの里で会議があります。懸案事項を解決するためですが、昨夜は懇親会も併せて開催。すずかけの里で自信を持って提供しているいくつかの食品、製造品を食べていただき感想を語ってもらう機会にもなった。理事会、評議員会終了後には施設スタッフによる朝礼を再現。恵比寿リーダーによる朝の挨拶から朝礼をデモンストレーション。理事会メンバーも思わずドキリの閉まった職員の姿です。餃子各種の料理。小ねぎの餃子が上手い。野菜ムースもガラスの小鉢に盛り付けられ、かなりいい感じ。おいしいです。寿司、魚は外からの料理ですが、すずかけの里で作った料理の数々、なかなかのものです。懇親会の席では締まってした生ビール樽が大活躍でした。久しぶりにここ点心ファクトリーでいただいたのでした。理事会、評議員会、職員の方々です。壁には、私が取り集めた全国の重要伝統的建造物群保存地区の町の写真を飾っています。
2012年05月30日
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小久保先生を送る会1960年後半頃から今まで、ここ日本キリスト教団田尻教会に牧師としておられた小久保先生が、6月故郷の埼玉県に戻られることになりました。昨日は旧田尻町の海外研修で先生にお世話になった、第1回から6回までの有志による先生を送る会が行われました。半世紀ほど田尻の精神的な支柱として、この田舎に根をおろしていました。キリスト教の牧師さんではありますが、若者たちの指導者、実践者でもあったと思います。会には30名以上の方々がお見送りにやってきました。小久保ご夫妻、峯浦元田尻町長ご夫妻、堀江前田尻町長、旧役場職員と研修に参加したメンバーです。私たちが研修旅行に行ったのは今から30年前。第5回目でした。1ドル260円時代。アメリカ本土と大西洋を渡ってヨーロッパに飛ぶといった、かなり大胆なものでした。当時この海外研修は日本の中でも画期的な事業で、企画立案当初は、相談窓口の県では夢物語と受け止めたようでしたが、田尻のスタッフは熱意、準備で海外研修を行ったのでした。以来20年間町では海外研修をおこなったのでした。小久保先生はこのうち6回を団長、副団長としてアメリカ、ヨーロッパに若者を研修に引率兼通訳役として活躍していただいた。(先生はさらに若いときにアメリカ留学の経験ありました)小久保先生のご挨拶です。昭和7年生まれですから今年御年?歳。お元気です。私も青年時代、1年ほど小久保先生のもとに通っていろいろ教えていただいた時代がありました。(残念ながら長続きできませんでしたが)峯浦元町長もお別れの挨拶でした。峯浦氏と小久保先生は深いご縁の方々です。2人のことはここではとても語りつくせないことなのでした。小久保先生ありがとうございました。生まれ故郷、埼玉でもまだまだこれからもお健やかにご家族でお暮しください。感謝しきれないほどの感謝でした。
2012年05月28日
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すずかけの里 工賃倍増・グループホーム開設にむけて障害者施設「すずかけの里」では昨日民放TV宗さんのお番です、取材がありました。生番組ではなくて、来週火曜日の午後4時頃の放映だそうです。すずかけの里には時々、新聞テレビ等の取材がやってきて,ニュース・話題提供記事となって社会に紹介されています。利用者人数も増えて、利用者は定員の40名ほどほぼいっぱい。製造、販売の商品も当初の餃子からはじまって、今では数多くの食品を提供しています。先には新聞に掲載されました野菜ムースを開発生産となったのですが。とはいえ様々なやればいいな、という課題はやらなければならない課題の後回しになって、それがいつまで現状のままの状態が続いていました。もっと販売額を上げること。生産原価を下げること。グループホームのことやサテライトのこと。利用者の生活支援をもっときめ細かくすること等々、このほかにもあるわけでした。そこで、すずかけのさとでは昨日第1回目の、3つの課題にしぼって(とはいえ広範囲)施設職員と私たち理事が3つのチームを作って課題解決の活動開始となったのでした。私の担当は企画、情報です。委員長です。これからITを使った情報発信をしていきます。ホームページはありますが、ページを開いてもらう仕掛けづくりです。まずはフェイスブックを利用することに決めました、いまいちわかりません。若手の職員が先導役になります。紙ベースでも年6回情報誌を作成することにしました。今回まずは7月創刊を目指してスタートとなりました。A3の紙、裏表への印刷となります。ご近所の編集にご協力できるかたをさがしております。昨日は夕食付、餃子の新商品試食会でもあったのです。餃子は3種類。増々進化しています。涌谷の食品会社さんの協力をいただいてさらにおいしい餃子をつくれそうです。3種類の贅沢な餃子試食会ですが、最初は従来のすずかけ餃子。これは肉がたっぷりでジューシー。次が野菜餃子。野菜を多くして肉を減らしています。好みはあるのでしょうが、従来のすずかけ餃子より、一度に数多くあべられるのですが。3つめが新発売品。涌谷の小ねぎを使った餃子。私としては中々の一品という評価。おいしくするコツあるようですが。店は11時から2時の間食事。その前後は買い物やドリンクタイムとなります。
2012年05月25日
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すずかけの里フォトギャラリー(重要伝統的建造物群保存地区、日本各地の景観町づくり)田尻にありますさくら福祉会、すずかけの里「点心ファクトリーすずかけ」レストラン内に、私が勝手に飾っています写真を昨日一気に数を増やし、フォトギャラリーの店舗のように模様替えしました。木の香りたっぷり。大きな窓の明るい店舗内、設計段階から大きな木の壁をつくり、そこをフォトギャラリーにする計画はひそかに練っていたのでした。写真もある程度枚数もそろい、日本に点在する重要伝統的建造物群保存地区や古いのですが美しい町、田舎を20枚ほど飾っています。店は朝11時から夕方5時までオープンしています。日中はランチも提供し、ほかの時間はコーヒーやムース等も食べられます。ちなみに今日の夕方はテレビ番組、宗さんのところで取材にやってきます。もしかして写真も映るでしょうか。 フォトギャラリーに飾った重要伝統的建造物群保存地区。岐阜県白川郷、飛騨高山、妻籠・馬篭、京都美山、福島大内宿、島根県石見銀山大森地区。他に郡上八幡、津和野、飛騨古川、愛媛県宇和島の遊子地区、四万十川があります。おもにおじさん3人旅で日本各地の町づくりを見学している中からピックアップしております。おじさん3人旅は今年も6月に信州を予定しております。
2012年05月24日
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旧田尻町立沼部小・中学校若獅子会(同級会)準備会と平泉私たちが卒業した旧田尻町沼部中学校は統合して田尻中学校という名前に変わった。今からうん十年前のことです。沼部中学校卒という名前は私たちで終わったのでした。校舎はまだ完成されていなくても、1つ下の人たちは統合後の田尻中学校卒業第1期生となりました。私たちの同級会は「若獅子会」という名前を付けました。今年の夏、若獅子会では初めて宿泊しての同級会を開催することにしました。先週土曜日の夕方、その準備に旧クラスごとの役員、地元にいる同級生が集まって日程、宿泊場所等々話し合ったのでした。最初の1時間くらいは会の話合いでしたが、ビール、日本酒、焼酎とバラエテイィにアルコールもたっぷりいただき、話は孫のこと、健康病気のこと、最後には葬儀で弔辞や花輪を出す話に盛り上がった?のですが。4時間も飲むと流石に飲み疲れ状態となるのですが、まだまだ盛り上がる同級生もいるのでした。いやはや元気です。場所は田尻駅前、居酒屋「大富久」。奥の座敷で盛り上がっております。女性陣もいる間は割とおとなしいメンバーでした。肉料理中心のオーダーでしたので、途中から野菜を出すように無理な注文をする同級生なのでした。若者中心の料理には少々箸がすすまないおじさん、おばさん?たちなのでした。これからは予約するとき、シニア料理にしてもらうといいかも。同級会の日程が決定しました。平成24年7月21日。土曜日。場所は松島。時間6時半開催です。詳細は改めてはがきでメンバーに流します。(ここに書いてもたぶん伝わりませんが、まあ実験ということで。これからブログも有効利用?かな。)
2012年05月21日
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名古屋・岐阜・愛知県各地から視察団の来県女川・塩野七生氏東日本大震災から1年2か月が過ぎ、遅れている復興事業にも追い打ちをかけるような、さらに人手が不足となる工事量の大幅な増加が懸念されている。懸念という言葉は不穏当かましれないが、復興することに比べてマンパワーはまだまだ足りない。増々不足という予想でもあります。マンパワーは復興の足を引っ張りかもしれない。そんな中、昨日は朝から名古屋周辺各地から、宮城の災害復興にマンパワーを支援しようとしいう建設関連の企業が11社ほどやってきました。今すぐではないのですが、この秋からの本格的な工事の増加への準備として、視察を兼ねて震災復興の現状把握のため、宮城三陸を中心に車で回ったところでした。高台にある病院の広場から港を見下ろしたところ。女川です。女川の一番の繁華街だったところでしょうか。女川は鉄筋コンクリートの低層ビルが複数ひっくり返る津波被害が今も残る。大型ブレーカーによるビルの解体、基礎の解体作業の大きなおとが、壊れた街に響いていました。病院前の玄関。柱に津波の到達ラインが張ってあります。復興用かな、仮設の店舗で視察休憩。店の中でコーヒーを注文していただきました。ここを作った工務店の会社の方が今回の視察メンバー、宮城側におりまして、これを作った経過など教えてもらいました。店の中では当初、大勢の方が打ち合わせ?の雰囲気。 塩野七生さんのことでもすぐ大勢の方はいなくなって、店には4人のみ残った。当方は14人のメンバーなのでコーヒーを注文すると、後の方が注文するのが難しい状態。人数分のコーヒーがでてくるまで時間待ちが長い。待っている間、何気なくテーブル前に残っている4人を見ると、な、なんと私が大尊敬している塩野七生氏らしい女性がいるのではないか。ここは女川。震災被災地の真っただ中。とはいえ彼女が塩野氏だという確信は持てない。聞けばいいのだが、どうもそれが気恥ずかしい。というのも、彼女の本を愛読する者は、そもそもミーハーではいけないわけです。尊敬する塩野氏に声をかけるのは?結局残念ながら声をかけられなかった。「ローマ人の物語」全巻、ほかのいくつかの長編ものを読んで、かなり頭は塩野氏に洗脳されている私としては、ミーハーでもいいいから写真、話を、握手を、サインをお願いしたかったのですが、こんなところで気の小ささと、引っ込みがちの気質がでてくる弱気なところ。家に帰ってこのことを家内に話すと、やはりどうして話しかけなかっのか理解しかねるようということなのでした。あーもったいないことをした。はたして彼女は塩野さんだったのか?75%たぶんそうだったと思うのでした。
2012年05月19日
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