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仕事で時折無茶な仕事を振られることがあります。例えばがんばって一日3個しか出来ない作業をスケジュールの都合で5個ペースでやれ、人は増やせない、スケジュールは延ばせない、みたいな。 そういう場合、まず私は抗議の意思を示します。「この人月ではできません」と。その上で上司が「でもやれ」となった場合、こういう交渉をします。「わかりました。ではすべてこちらに任せてもらいます」と。 で、最初に企画の人のところでそのデータの必要性をABCランクで優先順位を付けてもらう。Aはゲームに絶対必要、Bはないと変になるレベル、Cはなくても何とかなる、という風に。そしてCランクを捨てます。その後、残った数をスケジュールと照らし合わせ、一日のノルマを決め、一日の就業時間で割って一個当たり何時間、というペース配分をする。 さらに、ここからが重要なのですが「その時間内で出来るクオリティでしか作らない」ということを徹底する。つまり、質の向上を目指すのではなく、まずデータを揃えることを最優先にします。 もし上司に「もうちょっとクオリティ上げて」と言われたら「わかりました。ではそれはデータが揃ってからやりますので、その期間を別に用意してください」という交渉をします。 ゲーム作りは細部にこだわっても完成しなければ商品としての意味がない。その上でスケジュールが短いのであればそのクオリティ責任は無茶な命令を出した側にあると思うので。 自分も部下を持つようになってますから、マスター前の数週間ならともかく恒久的に深夜残業、休日出勤を強要するような上司にはなりたくないので。無茶を言われた時は当然、こちらも無茶を要求します。 ゲーム作りの仕事は好きですが、ゲーム作りで体調を壊すとか日常生活に支障をきたすなんて真っ平御免です。
2013.02.28
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よい子のみんな!気をつけろ!「自分も若い頃、苦労したから今の地位がある」と苦労自慢する人間がその成功体験からブラック企業の経営者になり、社員を過労死にまで追い込むケースをよく知っている! 自分が苦労した経験があるなら、それをいかに後進に回避するかを模索するのが本当の意味で経験を生かすことなハズなんだけどなあ・・・
2013.02.26
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以前、大きなゲーム会社に勤務していた時の話。 その会社ではゲーム販売後、売り上げや評価が落ち着いた段階で主要開発者による反省会を行うのですが、その時のゲームはスケジュールの延長に延長を重ね、結果当初予定を1年半もオーバーする、しかも売り上げも、ゲームとしての評価もよくないという、一言で言えば「失敗作」であることは間違いないものでした。 で、どうしてこうなったか?反省会で様々な問題点が指摘されましたが、総括すると「事前検証作業をしっかり行わないうちにデータの作りこみを行った結果、ゲーム性や仕様の変更などによって膨大なデータが無駄になった、迷走した」ということに。 で、問題はここから。次のゲームを作るに当たって、同じディレクター、同じチーフデザイナーが擁立されたのですが、その時とまったく同じ方法で作り始めてしまう。 慌てて私が「これ、前回の反省がまったく生かされてないじゃないですか!」と抗議したところ「いや、こういうやり方が結局ゲーム作りにこだわりが~」の言葉。でも、「実際そのやり方で成功したのであればともかく、反省会で出た問題点を何の教訓にもしていないじゃないですか?」と聞けば、むっとした表情で「きみ、このラインのディレクターは私だ。私には私のやり方がある」と・・・ で、結果は・・・はい!そのとおり。前とまったく同じ苦労。よく検証しないまま細部までデータを作りこませ、結局使われず無駄になったデータが山のように・・・って状況。あの反省がまったく生きていない、同じ過ちを繰り返しただけ。 その後、私はその会社を辞めて今の会社に入ったのですが、その時見た反省を「他山の石」と肝に銘じて「最初は雑でいいから最低限の形を作ろう、細部のこだわりはモノが完成してからやろう」という、当たり前の行動を取る様になりましたが。 誰でも失敗や過ちはあります。けど、わかっていて同じ過ちを意味も無く繰り返すのは愚の骨頂で。むしろ、前回失敗したディレクターがどうしてまた同じやり方をやろうと思ったのか?そっちが不思議で仕方ない経験でした。
2013.02.25
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ちょっと聞いて笑いつつ、「こういう人は愛されるんだろうな」と思った事。 地元の中小企業の面接。田舎とはいえ不景気で多くの学生が面接を受けるのですが、その中で入社動機を聞かれて「自宅から歩いて5分の場所にあるからです!」と、大真面目に応えた新人くん。そのあまりに堂々とした答えに面接官も思わず噴出してしまって、「そうかそうか。だったらキミは家の近くだったら、ウチじゃなくてもどこでも良かったの?」と聞きなおすと「はい!どこでもいいから就職して、両親をはやく安心させようと思って!」 これで見事合格!なんだか胸のすくような実話です。 でも、冷静に考えたら学生が面接で「あなたの志望動機は?」なんて回答、昔からの憧れじゃない職種の場合、何十社も受けている人にとってはウソしか言わないものですよね? そういう意味ではみんなウソをついている。面接する側も何十人、何百人の学生の「ウソの志願動機」をわかっていて聞いている。たいして意味の無い質問と回答。 それに比べれば上の「家が近くてはやく両親を安心させたい」というのは真っ当な、正直な入社動機ですな。
2013.02.24
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前々回のコミケで同人誌の前日搬入業者が変わった(コミケ準備会側の問題ではなく、配達業者内での変更)ところ、その新しい業者が勝手に仕分け&配置したため荷物の場所が指定場所に届かず大混乱に陥った、ということがありました。 こういうケースってよくあって、例えばそれまで長く一社を相手にしていた仕事先を「一社だけだと価格競争が起きないから」と、他の同様企業と入札競争をおこない、安かった新しい業者と仕事をする、が、その業者が指定したレベルに達しない、商品にならない技術しか持っておらず、結局コストカットした予算よりさらに多くの金と時間をムダにした、という。 技術とかノウハウというのは「経験回数」がモノをいうので。似たような業種だから、という理由で頼んでも、以前の業者と同じ結果が出せるとは限らない。むしろ、細かいノウハウが継承されているからこそ「その価格で出来た」ものもたくさんある。 ゲーム業界でも儲かっているにもかかわらず更なる儲けのため社内のリストラを行い、開発を外部の会社に依存するようになった途端クオリティがガタ落ちしてブランドをいくつも潰した大企業もありますが、値切るというのはどの世界でも「相手の能力を見くびる」ことだというのを考えておきたいものです。
2013.02.24
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サラリーマンの平均年収というのが2012年だと409万円(額面)という話をネットでの記事で聞きまして。 で、これに対してコメントで「こんなにもらってねえよ!」「どこの平均だよ!」というものが。 確かにその一面が強いんだろうなと。ただ、思うのは「今の時代、平均の水準というのは実はすごくレベルが高い事だよ」という・・・ 例えば、この平均値が額面だとすると手取りはだいたい350万。ボーナスを2か月分夏冬として16分割すると月収手取りで22万円ぐらい。こうやって考えると意外と多くない、と感じませんか? しかも最近は企業によってはボーナスが不景気でない、ということも。 手取りで22万円というのは大卒サラリーマンの初任給が手取りで月額16~7万円のあたりから考えると5万円程度しか変わっていない。しかも、それが平均という金額だからこれ以上もらっている人はとてもレベルが高い事になります。 だから、常に自分も意識して考えなきゃいけないと思ってるのは「平均を維持するだけでも大変、その上を目指すとしたらかなりの労力、リスク、そして能力を発揮しないとダメだ」ということで。 平均とはレベルの高い事。それを忘れちゃいけないということでしょうな。
2013.02.23
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「Dの食卓」「E0」などでゲーム業界の風雲児と呼ばれた飯野賢治 氏の訃報を聞き、一つの時代が終わった印象を受けました。 同じ同業者として、こういった名の知れたクリエイターが先に逝ってしまう事、なんだか物悲しいものはあります。 しかし、こういう訃報の直後に書くのは不遜と知りつつ、あえて私の彼のゲームクリエイターとしての印象は「ゲーム内容以上に言動や話題作りが先行していた人」だと、今、冷静になって思います。 それまでゲームの製作者はあくまで「コナミ」「ナムコ」といったメーカー名でしか知られなかった時代、自分の名前を前面に押し出し、カリスマクリエイターと呼ばれる人が出てくるようになった先駆けの人で。現に初代「Dの食卓」はCGをフルに使ったインタラクティブムービーというものをアピールした非常に先見性の高い作品でありました。 が・・・正直、その後の作品も含めて「面白いゲームだったか?」と聞かれると、彼の作品はゲーム性が高いわけでも、操作していて楽しいわけでも、心を揺さぶられる感動があるわけでもない、案外こじんまりまとまった、可もなく不可もない、いや、ゲームより飯野賢治というキャラクターの強さばかり目立って、他の有名クリエイターのような「ゲームの潮流を変えた」「一大ブームを巻き起こした」という作品は無かった印象です。 と、同時にD2以降、彼の名前が業界からどんどん薄れていくにしたがって「ああ、やはりゲーム業界人はゲームで語らなければダメだ」と、強く思った次第。ラジオ番組や雑誌のコラムなど他メディアに数多く露出したところで、本業が評価されない限りカリスマクリエイターではいられないという、当たり前のことを示した、PS、SSのゲームバブル時代を象徴する方でした。 亡くなられた事に対するお悔やみと、そして、彼が歩んだ道への感情が入り混じって、なんだか不謹慎な文面になってしまいましたが。あえて書かせていただきました。
2013.02.21
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仕事に限らずですが、私は会話の中で相手を大声で威圧するような人間の言葉があると、急に冷めてしまう、相手に対して信用を落として見るタイプです。 これは、相手に自分の要求を求める際、一方的に自分の意見だけ押し通そうという背景が見え見えで。 例えば期間的な無理難題を吹っかけられ、それを「できません」とこちらが情報を提示し、無理な理由を論理的に語ったとしても、大声で「言い訳をするな!」と言われたとします。この場合、おかしいのは無理難題を吹っかけた側なんです。が、そういう大声を部内に響かせる事によって、まるで相手が悪いような印象を周りにも植えつける。 大声の効果というのは、たとえばアメリカのテロ制圧の特殊部隊でも訓練されていて、突入し、犯人にたいして「銃を捨てろ!そこにひざまづけ!はやく!」と叫ぶシーンがありますが、あれは心理学的に人間というのは内容はどうであれ、大声をあげ、単純な命令を叫ぶ人に従う性質があるというものを利用しているらしいです。軍隊式の訓練がまさにこれなんですが。相手に疑問を挟ませない、一方的に従わせる。そのために大声というのは効果がある。 しかし・・・その内容が必ずしも理にかなったものであるとは限らない、むしろ、そういう部分をわかっているから、派手に大声を出して威喝、恫喝しているんじゃないかと。 つまるところヤクザと一緒ですわ。 だから私は大声で威圧する人間を私は信用しないようにしてます。無理難題が本当に無理であったとき、その人が責任を取ってくれるとは限りません。むしろ出来なかったコッチの責任に刷りかえられますから。
2013.02.21
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私の通勤で使っている神田駅構内で、昨日の帰りに、なんだかホームに焦げ臭い匂いが。 とはいっても「煙い」までいかないレベルの匂いだったので「なんだろう?」と首を傾げてそのまま帰宅したのですが、こういうことだったんですね・・・老舗「かんだやぶそば」出火 築90年の歴史的建造物 古い建物は最近はなくなってきただけに、この手の木造建築の火災というのは煙の届く範囲がかなり広いんだろうな。ちなみにこの「かんだやぶそば」はソバ好きなら名前は知っている老舗の名店ですが・・・まさかこういう形で知る事になるとは。 すぐ近くであったにもかかわらず、後から知る事実ってのはなんとも寂しいお話です。
2013.02.20
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開発会社でゲームを作ってますと、仕事先が一社相手だけじゃないから複数の社内にあるラインを見ることになります。 そうすると発表の随分前(一年近く前)からこれから出るソフトの情報が知れたりしますが、当然、守秘義務なので社外で話すこともありません。 で、それを知っているといかにネットでゲーム情報を集めて業界論議をしているマニアと呼ばれる人であっても知識がないかをつくづく思い知らされます。というか、なんでそんな間違った情報で開発者を裏切り者扱いしたり、ハードの独占を語ったりしてるの? たとえば自分の関わったソフト、プラットフォームをそれまでのものからマルチ化した途端、その手の「事情通」なる輩が「あとから○○から金で強引に引き抜いた」と、もっともらしく。 おいおい、このゲーム、企画当初からその構想(一作目が売れたらマルチ化)で、そのつもりでデータを作っていたし、現に雑誌のインタビュー記事でもプロデューサーがそう語っているじゃん・・・みたいな。 さらに調子が狂うのは、それを「脱○○」「△△に見切りを付けた」とハード論争の火種みたいに書かれる事。 なんだか勝手に独占、勝手に裏切り扱いされるのは作り手にとって心外だし、正直な話、ソフトを作る側にとって「そのソフトが売れるハードを選ぶ」のは、お客さんが欲しいソフトを選ぶのと同じ事だと思ってます。 それに、通常ファーストや直接の子会社作品以外はどの会社も、どのハードメーカーとも仲良くやっていきたい訳で。うちみたいな開発会社などは特にどんなハードでもソフトを出せる事の方がゲーム(仕事)の広がりがありますから。 内情を知れば知るほど「金さえきちんと出せばどんなハードでも作ります」ということがわかりますから。だから余慶に、自分の関わったソフトを勝手に内情を妄想し、その手のあおり方をされると嫌な気分になるんですよ。 そもそも、そういう連中は本当にゲーム買ったのかと?
2013.02.19
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私の実家の長野で昔からあるお菓子があるのですが。 これはもち米を蒸して練って砂糖で甘味をつけ、ピンクや黄色の色をつけたお餅みたいなお菓子。昔から各家庭で作って持ち寄る類のお菓子でした。 で、正直あんまり旨くない。あれば食べる、というより、あっても誰も手をつけない程度の・・・せいぜい「飾り物、縁起物」程度のお菓子で。 それで思ったのですが、こういうたいして旨くない食べ物が「伝統文化」というだけで残れるとは思えないという・・・例えば昔、砂糖が貴重だった時代、お菓子がなかった時代であれば地域の伝統食品として残るのでしょう。 しかし、これだけ菓子が豊富になった現代に「こういう食文化を大事にしたい」と、学者や地元の郷土愛好家が訴えても、作るのも面倒、たいして旨くない、日持ちもせず、誰も求められていないものが残るとも思えないのですよね。 正直、自分が子供だった頃にはすでにこれらより美味しいお菓子が身の回りにあったので、子供心に「何でこんなものを作るんだろう・・・」と謎な食べ物でしたが。今、なくなったところで恐らく誰も気にしない、そんな伝統食な気がします。
2013.02.17
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自分の考え方の中に「結果OKというのは、OKだった人が語るもの」というのがありまして。 例えば私も大好きなマンガに手塚治虫先生の伝説をマンガの神様でなく、泥臭い人間として描いた「ブラックジャック創作秘話~手塚治虫の仕事場から」があります。このマンガがすごい、で昨年一位になったので読まれた方も多いと思いますが。 この作品は手塚治虫のマンガに賭ける狂気じみた情熱と、それに振り回され、一緒に駆け抜けた周りの人間を描いた作品で、クリエイターの端くれとしてものすごく共感できる。 しかし・・・このマンガでインタビューされる人って、あの当時の苦労が基本「いい方向」に廻った人なんですよね。元手塚プロ社長とか、未だに名前の知れた漫画家とか、大きな会社の編集者で偉くなっている人とか・・・ でも、お話の中には手塚先生の我侭によって会社を辞めた人、アニメのデスクから遁走した人、膨大な苦労をかけられ潰れた人はたくさんいる。 「笑って取材に応じられるのは成功したから」 ちょっと別件になりますが、昔、ラジオで伊集院光 氏が「あの人は今」的な番組取材をしようとしてスタッフにその人の足跡をさがしてもらったところ「とても放送できないような社会的に悲惨な境遇」におかれていることを知ってすーん・・・としてしまった、という話がありましたが。 テレビやマンガ取材など華やかな表舞台に胸を張って出てこられる人は基本「成功している、あるいはそれなりの地位を得ている」人であって、すべてがそうじゃない、ということを常に考えていたいと。 でないと「理不尽な苦労も努力もすべてがいい思い出になる」という間違った考えに行き着きそうで。
2013.02.17
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DLCの話が続きますが。 DLCで課金される事を不満と思う人、あるいは「最初から入れておくべきものをわざと儲けのために抜いて販売している商法」と思う人はこう考えてみてはどうでしょうか? 例えばケーブルTVの有料放送チャンネル、ありますよね?あれも契約しているチャンネルしか見られない。それに対して「同じ機械を使っているのに基本料以外の料金を払わないと全てのチャンネルが観られないのはおかしい、電波なんてタダだろう!」とはなりにくい。 同じテレビでも、地上派の無料放送だけでいい人もいる、アニメだけ見たいから、時代劇だけ見たいから、洋画を見たいから、という理由でそれぞれ専門チャンネルに課金している人も居る。そういう人は無課金者より自分の好きなジャンルを見られる。「金を払っていない人間に見せないなんてがめつい!」と、そこに文句を言う人はいない。 いろいろな考え方はあるでしょうが、私は「金を払えば誰でも手に入る」というのはとても公平なシステムだと思ってます。その対価を払う魅力がない、というのであれば無視すればいい。アニメに興味がない人間を無理やり金を搾り取って強引に加入させているわけじゃない。 時折引用しますが、マンガ「もやしもん」の教授の言葉「豊かであるというのは選択肢があること」
2013.02.16
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ちょっと前に自分の関わったゲームの課金DLCがありました。(この場合はキャラクター)で、こちらが予想したとおりネットで「ボってる」という叩きが・・・ そもそもこのキャラクター、開発段階では予算と期間的に当初は出ない予定だったんだけど?(本編発売日にそちらは完成していないし)その証拠にこのキャラクターが使えなくてもゲームとしては成立していますし。 なんだろ?普通のラーメン頼んだ客が隣の客のチャーシュー麺にチャーシューが5枚あることを「金でチャーシューを売りつけるなんてがめつい!」とは言わないだろうに・・・価格の設定は店側にある、それに追加料金を払う価値があって、買うか買わないかの選択肢があるのは自分の側である、ということをなんで普通と思わないのかなあ? そもそもDLCでしか出せないのであれば買わない、買いたくない客のため作らなければよかったとでも?そんな負の方向、誰も得をしない考え方ってどうなの? 前にダウンタウンの松本人志さんがピクミンが大好きで、宮本茂さんとの対談で「続編も期待してますが、あのままのシステムでいいんです。ステージだけ増やしてほしいんです」と熱望していましたが、本来、DLCってのはこういう人に向けて作っているので、上のチャーシュー麺に文句を言う人には向けて作られていないんですけど・・・
2013.02.15
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だいぶ前にも本人のHPで報告がありましたが上田文人氏がSCEジャパンスタジオを退社していたことを発表、現在はフリーとして『人喰いの大鷲トリコ』を制作 これは・・・ICO,ワンダが好きで新作を6年心待ちにしていた自分としては微妙な顔をしてしまう。と、いうのはこの手の途中で退社というのは、病気などの自己都合ではない限り、製作に問題があり、ということですので。 で、このゲーム、きっと「完成できない」のだろうなと。何しろ足掛け6年でまだ発売日未定、画面もPVが2回ほど出ただけで未だにゲーム本編内容すら見せていない。通常では考えられない状況ですから。その状態で肝になる上田さんのフリー宣言は、事実上の放逐、に近いと。 ですが、私は思うのがよく「面白いものを作るクリエイターであれば、性格や行動が一般社会常識から逸脱しても許される」という風潮が嫌いなんです。 それは昨今、社員の自殺に対してひどい発言を行っていた和民社長と変わらない。アレだって突き詰めると「経営で黒字を出している(業績を上げている)のだから許される」というのと同じ事にならないか?という・・・(誤解がないように言いますが、上田さんの人間性がひどい、ということではありません) 私が自分のゲーム作りで重視するのが「締め切り」であることにも起因するのですが、大量に売れて採算が十分とれるソフトならともかく、この手のソフトに6年かけてしまう、そして、未だ完成せず退社、というのは、まず社会常識で考えられない状況で。 何より、世の中には締め切りをきっちり守って、ちゃんと面白いゲームを作っているクリエイターはたくさんいます。上田作品ファンとしても、この6年は何とも納得できない、そして何より「本当に出るのか?」という疑問ばかりが沸いてきます。
2013.02.14
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思わず膝を打ったツイッター「○○人を殺せ」というような言葉が街を闊歩することには、「○○人」でなくたって、身の危険を感じるよ。「○○人」には、いずれ他の対象が代入可能になるというのも言わずもがなで。だよね。つい最近も新大久保で「在日韓国人を殺せ!」の声を上げてデモをやっている連中をたまたま見かけましたが、ああいう連中は自分達が同じ日本人からも危ない連中だと思われている事に気がついていない、それで「憂国の士」を気取っているんだからタチが悪い。 私の日本舞踊の先生のように日本文化に興味のある外国人留学生を積極的に受け入れ、自国の伝統文化を海外に広めようとしている人と、どちらが本当の「国益」になるか。 あの手の連中は恥を晒しているだけだ。同じ日本人として他国の人に「アホで野蛮な連中が騒いですみません」と恥ずかしく思うよ。
2013.02.13
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今期始まったあるアニメを楽しんでいるのですが、それに対して「原作の○○の部分がカットされてしまっている、あれでは面白さが伝わらない、アニメで原作に興味を持つファンがいない」という意見を散見しました。 ・・・あれ?自分、原作知りませんが十分楽しんでますけど? これってよくあることで、例えば長いマンガ原作シリーズだと原典を知っている人ほど放送の尺の都合でカットされた部分がどこかわかるから不足している、説明が足りないと思いがちです。が、案外そうじゃないんですよね。何しろ初見だと「こういう話なのか」と、省略された部分は元々知らない訳ですから。 むしろ全てを律儀に原作どおりにやってテンポが悪くなっているアニメも多々有りますし、人間の脳内補間って「メインの美味しいところだけ摘むだけでも十分原作のよさがわかります」から。むしろ、そこから原作に興味を持てば、さらに深い描写を改めて楽しめる、2重の面白さがあります。 原作ファンが心配しなくてもアニメしか見てないファンも楽しんでるよ、というお話。
2013.02.12
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私の高校生時代、それまで制服があった学校なのですが、2年次から制服の撤廃と私服OKな学校になりまして。それまで男子はガクラン、女子はセーラー服だったのがみんな普通の服を着て登校するようになりました。 で、面白かったのは、校内に当時いたいわゆる「不良」と呼ばれた人たち、あの人たちはずっとボンタンに長ランという、ずっと前のままのスタイルだったという。 元々この手のヤンキーファッションって「俺たちは校則に縛られない」ことをアピールして着る物だと思っていただけに、その枷がなくなったにもかかわらず、相変わらず制服の延長を着ているのがなんだかおかしくて。 そのヤンキー文化も今は化石化した時代になっていますが、あの頃にそういうカッコウしていた人、と、校則が変わってとっとと私服に乗り換えた人、案外制服(規則)に縛られていたのはどちらか、というお話で。
2013.02.12
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自分にとってアクションゲームで操作が出来ない時間というのは、はっきりいって苦痛なんです。 特に長いビジュアルシーンとか、説明の会話とか。中でもボスとの戦いで相手の体力メーターが0になった瞬間ムービーに切り替わってプレイヤーキャラが華麗なジャンプから連続攻撃を仕掛け、轟音&転倒と共にフィニッシュ・・・ってこら!プレイヤーの手柄を勝手に掻っ攫うんじゃない!と・・・ なんだろう?豪華なCGムービーがありがたがられていた時代ってもう前世代で終わっている気がするんです。むしろそことゲーム本編の画面の落差が際立つというか。 かといってQTEはもっとイヤで・・・なんだか一方的に操作を命令されているのが不満というか。 アクションゲームはボタンのレスポンスとその入力に対する反応の面白さだと思っている自分にとって、操作が出来ない時間はもどかしい、退屈な時間です。
2013.02.10
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プラチナゲームズのベヨネッタ2がWiiU独占タイトルであることに対して開発者の神谷英樹さんに突撃したユーザーのツイッターコメントで「金で魂を(任天堂に)売ったんですね」というコメントに、同じゲームを作る仕事をしている人間としてカチンときました・・・ 俺らは魂売っているんじゃねえよ。ゲーム売ってるんだ! なんだかこの手の連中はどのハード問わず「自分の偏愛するハード以外の発展や成長を認めない」という、どうしょもない思考の持ち主で。 だいたい、ベヨ2に関しては一度開発断念されたものを任天堂がパブリッシャーになることによって世に出ることになった、本来のファンにとってはまさに好機でしかないはず。そして何より、本当のファンであるなら他に選択肢がない以上、ハードごと買ってもかまわない、というのが実際のところです。 もっとも、本当にあのゲームを遊んだ上での期待なのか?単にハード戦争ゴッコの駒としてあればいい連中なのか知りませんけど。 最初に出たハード以外でそのタイトルを出す事は裏切りでも、ファンを蔑ろにする事でもなんでもない。ましてや、自分の狭い了見を勝手に「魂を売った」なる価値観でくくって罵倒するような人間がゲームを愛しているとは思わない。 そういう連中は数万円出せば誰でも買えるハードに魂を見出しているんだ。えらく安い魂だなあ?おい?
2013.02.09
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つくづく思うのですが。 「他により安易で楽な解決策があるにもかかわらず、昔、自分達が苦労したからという理由で自分より下の世代に同じ苦労を押し付ける人間」が進化とか、成長を妨げているんだろうなと。 例えば、水道がなかった時代、寒い冬に手を悴ませて井戸水を汲む苦労。その時の体験があったとして、今、自宅に水道があり、蛇口を捻ればいくらでも出てくる、にもかかわらず、「自分達は小さい頃、苦労して水を汲んだ、それによって精神を鍛えられた」と勘違いして、わざわざ同じ事を子供にさせようとするいる年寄りがいるとします。 はっきりいってそんなのは精神を鍛えた事になりません。そもそも精神を鍛える、という曖昧で漠然とした我慢論など、評価基準がないだけに何の根拠もない。それどころかせっかくある水道の利点を潰すような、無意味な苦労。 お釈迦様も自らの体をわざわざ痛めつける苦行の無意味さを説いています。そういう苦労自慢を後進に押し付けるのは何も成長していない、何も学んでいないアホと一緒です。
2013.02.08
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告発した15選手の肉声なし 「痛み」伝わらず うわあ・・・久々に産経新聞のクズのような記事を見ました。特に>選手個々が「暴力」や「パワーハラスメント」で具体的にどんな実害を受け、忍従を強いられたのか、いまだに明かされていない。だから、15人の苦しむ顔が痛みを伴って伝わってこない。 って、これ、単に想像力がないから「顔が見えない」んだろう?つい先日の実名報道問題もそうですが、自分達の報道の賑やかし(と、あえて言い切る)のための実名でしかない。 本当に想像力があるなら、今回の体罰騒動の根深さ、体育会系運動部に未だに根強く残る暴力肯定論の愚かさに気がつくし、実名報道で誰が一番得をするか?そういう「顔」などいくらでも見えてくるのですが。
2013.02.07
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TVの食べ物番組で有名親子丼の店を紹介された時、レポーターが必ず褒めるのが「卵が半熟でトロッとして」 ・・・親子丼なんて卵が半熟かそうでないかぐらいしか褒めるところがないんだよね(W. 比内地鶏を使おうと、新鮮な卵を使おうと味に大差はなく一般には他に褒めるところがないみたいな。ちなみに半熟で作るのはマジ簡単です。 つくづく思うのは、世の中には毎週雑誌やTVで取り上げるほど極端に旨い店なんて多くない、というか、日本の外食レベルって平均値がとても高いから、褒める言葉を捜すレポーターさんも大変だよな。
2013.02.07
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例えば、あるモバイルPCがあり、片方はバッテリーが一回の充電で10時間、もう片方は半分の5時間であったとします。で、バッテリーの長時間持つ側の方が当然価格が高い。ある意味「性能が優れている」といえます。 しかし、この5時間しか持たないPCの予備バッテリーが安価で取り外し、携帯が楽であった場合、状況が変わってきます。例えば3本分バッテリーがあれば、正、副、予備でローテーション、一本は常に充電状態)すれば、10時間のものより安価で汎用が効いて、使いやすい、という考え方も出来る。 どうも技術屋というのは「高性能=需要がある」と考えがちで、それによるコスト高を無視したり、何でも多機能化する性質がありますが、実際はそうでもないんですよね。 普段ネットとメールをする程度の大半の一般人に高性能のCPUやグラフィックボードを搭載したPCはいらない、2世代前のものであってもそこそこの価格、そこそこの性能である方を求められるのですが。
2013.02.05
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あるマンガの編集者さんのお話。 新人の持ち込むマンガでよくあるのが、結末が過酷、残酷で読後感が悪い物が多い、ということ。例えば主人公が一生懸命やったのに全滅とか、必死の努力や願いが簡単に潰されて終了とか・・・ で、そういう時にその新人の子に聞いてみるそうです。「キミが好きなマンガ作品は?」と。で、聞いてみるとほとんどがそういう類の話ではない。つまり、彼らがお話の「意外性」を出そうとしてこういう真っ黒な結末の作品を描いてくるけど、よほどの事がない限りつまらない「意外性」であって誰も読みたがらない、商品にならないということに気がついていないと忠告するそうで。 これってわかりますね。自分が好きで描いているのであるなら個性になりますが、単に読者の意表をついてやろう、という意図だけで描かれた上のような作品は読後感が悪く、辛いだけで。 その辺、チャンピオンで連載していた「空が灰色だから」は非常にギリギリのラインを保っていた、読者も毎週最後のページを開くまでいい話なのか最悪の結末なのかわからないドキドキがありました(あれが毎週暗い話であったら見たくないだろうし) モノ作りは個性が大事ですがつまらない「意外性」にだけは逃げないようにしたいです。
2013.02.04
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私の15年来の日本舞踊の師匠の教え方というのが典型的な「褒め育て」で。 たとえば、踊りの振り付け指導でも「もっと手を伸ばして!そうそう!うん、形がいい!そしていきおいよく!そうだ!そこで踏ん張って!もうちょっとがんばって!そうそう!」 と、まあ注意の仕方が「○○だからダメだ」ではなく「もっと○○するとかっこいいぞ!」という方針のようで。 これは「踊りというのは楽しさを表現するもの。だから変に萎縮して振り付けばかり覚えて小さく踊るより、間違えても伸び伸び大きく踊る人の方が見栄えがいい」 という教えからもわかるのですが。 日本舞踊の稽古って、あれ、本当にきついです。夏場など20分程度の稽古でも汗びっしょり。激しい動きではなく、ずっと姿勢をキープしたままゆっくり動くのは、体育会系部活であった空気椅子をしているようなもので。 なにより、舞台に立つというのはいつも緊張します。その緊張感を和らげるためにも、先生は「人間はほめられ、おだてられると実力以上のパワーを発揮する」ということを知っているようで。 女子柔道の指導者が体罰と暴言で問題になりましたが、結局、本人に届いていなければこの手の指導はパワハラでしかない、そんな簡単なことも気がつかない危ない人間が過去の自身の経験だけで部内を支配する。こういう体質が未だに続いているんですよね。
2013.02.03
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どうにも釈然としない経験。 昔、あるアクションゲームの続編製作の打ち合わせで、企画の人が「前回、ユーザーに不評だったQTE(クイックタイムイベント)をより面白いものにしたい」と・・・ おいおい、前作で不評だったのならそこは排除すべきじゃないか?製作の苦労の割にゲームの流れを滞らせてしまう、ある種余計なものだと思ってたし、と、私も含め反対意見が数多く出たのですが、「いや、前作にあったものが続編でなくなるとゲームのウリとして弱いから」と。 ・・・なんでわざわざ評判が悪かったものを入れるのか?そもそも、通常アクション部分は好評だったんだからそっちを特化すべきなのに。 やる、やらないの押し問答が続いた結果、「じゃあ、QTEをもっと短く、その代わりに種類を増やしましょう」って、こらこら!余計に増やしてどうする! 私はこういう類の仕事を「クソを丁寧に煮詰める作業」と呼んでいるのですが。誰も求めていないもの、明らかに無い方が良いものを苦労して作る。でも結果、そういうのって評価を落とすだけなんですけど。
2013.02.01
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