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リーマンショックとは、便利な言葉だ。と、最近気づいた。景気が悪いのも、会社の経営がうまくいかないのも、政治がうまくいかないのも、就職がきびしいのも、世の中の不景気もみーんなリーマンショツクのせいと、いいわけできるらしい。あれ以降すかっり景気がわるくなったらしい。でも、息子の就職活動をきっかけに、いままでサボっていた就職活動関係の本を何冊か読んでみて、シューカツがらみの雑誌の記事もよみ、ネットのシューカツ記事もいろいろ読んでみて、なるほどなぁっと、思った。いまどきの学生は、個性がなくてとか、いわれるけど、いまどきの企業の新卒採用活動もおなじ。まるで金太郎飴みたいだ。就職専門のサイトに登録してそこから、学生に一斉にメールを送る。サイトを通して、ネットを通して、学生からのエントリー。ネットのおかげで膨大な量がくるから、すごい量のシューカツ生を処理するのもたいへんらしい。そのあげく、人手が足りなくて、面接なんてやったこともない素人の社内の割とひまな社員まで総動員して、学生を一次面接するらしい。面接の基準は、一緒に働く気のする人材かどうか。ようするに、素人の社員のなかよしごっこのお友達さがし。現役社員と似たタイプの人間ばかりが選ばれるらしい。これじゃいくら、会社のトップあたりが、個性的で奇抜でアタラシイタイプの社員がほしいと思ったって無理だよ。そういう人材は一見かわってるから、一次面接でしろうとの面接官にほぼ落とされる。大量のエントー。次から次の説明会。片っ端から受けまくって面接としゅーかつにうんざりの学生。こんなので、本当にいい人材なんてとれるわけもなく。最近の大手企業の中身がぼろぼろで、危なくなってるのも無理もないんじゃないのかなと、ふと思った。世界に冠たる大企業だったソニーも、松下も、東芝も、日産も、トヨタも、なんだか中身はボロボそう。10年後にもあるのかな。数打ちゃ当たるの大量エントリー。受験対策のようなシューカツ対策。優等生を演じたつもりのお面をかぶったシューカツ生相手の面接。コミュニケーション能力がとわれているっていうけれど、面接がうまいのと、コミュニケーション能力があるかどうかは別。なんじゃないかと、最近ふと思う。人づきあいがうまくて、友達が多くて、コミュニケーション能力が高くたって、知らない場所で、第一志望の企業でドキドキしながら、不意打ちの質問されたり、予定外のことをきかれたら、しどろもどろになって、うまく答えられないのも当たり前だと思う。それって普通のことでしょ。初対面でもベラベラしゃべれるといううタイプの人間にだけ有利なだけ。ちなみに、二、三年前から、求人は、定員制から厳選採用に変わったらしいのです。ようするにある一定以上のレベルの学生がとれなければ、人数がたりなくても、無理して採用しないらしい。内定をだした学生が辞退してきても、その分を埋めるということもないようです。なぜかというと、数年前から、「なんでこんなの採用したの」と、現場からクレームの来ることがふえたから。だそうです。だから、無理して採用しなくなった。そういえば、うちの子供の数代前は小学校で学級崩壊。中学でも、地域の不良のトップの子がいたり。高校では、卒業までがまんできずに、中退の子が増えました。息子の時は「ゆとり教育」の一番ひどい時でした。でも実際には、息子の数年前からゆとり教育実施によるカリキュラム削減ははじまっていたのです。でもそれを知っている人たちはごくわずかだったのではないかと思います。兄弟がいて能力が同じでも、上の子より下の子の方がいい点数をとってきます。親は下の子の方ができると思ってしまいます。でも、実際には、カリキュラムが減っているせいで下の子の方が点数がよくなるだけでした。そんなゆるいカリキュラムで育った子どもたちが高校で能力の壁にぶつかって、中退が増えてしまったのではないかと思います。その世代の子供たちが育って、いま企業に入り始めているのです。でも、企業側でこのことにきづいていることは、ないのではないかと、思います。それでも、最近の新卒生はなんか変だと、思い始めているようです。その結果が数年前からの厳選採用への切り替えです。入社しても、バタバタやめていく新卒生たち。けれどそのあと、娘の時代にはさすがに、社会的に非難されて、「ゆとり教育」は、中止され、カリキュラムは徐々にふえはじめて、改善されてきました。都立高校の入試制度も改善され、質も向上しました。(それでも、私の育ったころとは、くらべるぺくもありませんが。)ただ、もうこれからは、「残業ばかりする会社中心の生活や人生が、一番、」とされるような価値観は、変わっていくはずで、それ自体はもう揺り戻しようはないのではないかと、思います。それは、学生の質が落ちたのではなく、社会全体の、時代の価値観がもうどうしようもなく、変わっていこうとしているからではないかと、思います。新しい価値観、新しい視野、新しい、考え方を、企業もまた、受け入れていくベキではないのかと、思います。社員一人一人の人生や価値も大切にしてほしいと、思います。シューカツといっても、特別なことではありません。特別な場でもありません。人と人が話をして、相手のことを理解する。自分という人間をわかってもらう。それだけのことなのだと思います。難しいけどね。相性のあう学校探しをしてきたように、相性のあう会社を探す。それだけのことのはずですが、でもやっぱりむずかしい。ちなみに、息子もやっと、内定をもらうことができました。長い長いシューカツ生活も終わりです。よくがんばったね。おめでとう。
2011年06月18日
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長男がシュウカツ真っ最中です。今回の地震のおかげ(?)で、いまだにシュウカツは延長で続いています。今の時代は、とーだいせいや、そのほかの上位難関大学の学生ですら、ばんばんと、おとされまくる。なかなか内定がとれない。そういう時代です。こういう状況をみていると、親としては、なんかもう、子供育てたくないです。がんばって育ててきた挙句、社会から拒否されるなんて。というか、今の時代のシュウカツ。なぜ大変なのかというと、椅子取りゲームを椅子ひとつづつ、一回づつやってるからなんだと、思います。イストリゲームって、本来5この椅子を6人で、音楽ならして、まわりをぐるぐるまわりつつ、あいづで、全員一気に座る。余るのは、ひとり。他の5人は、確実に座れます。昔のシュウカツって、そうでした。たしか、11月1日解禁で、その日にシュウカツ生全員が、一斉に第一志望の会社の面接試験になっていて、その日には、内定かそうじゃないか決まってました。それでほぼ終わり。でもね。今のシュウカツって、会社によって、面接の日がばらばらなんです。しかも、何カ月もかけてやってる。つまり、5この椅子を一つずつ順番にゲームしてくのです。1この椅子に6人で、ゲーム。あいづのあとは、座れるのは、ひとり。5人が残ります。その次の椅子は、5人でゲーム。で、あいづのあとは、ひとり座れて、4人が残る。ところが、実際には、椅子に座ったはずの人が次のゲームにも参加してくるんですよ。いつまでたっても、6人で、椅子取りゲームしてるかんじ。内定もらっても、まだシュウカツしている学生もいるからです。そして、座る人のいない椅子が残ったまま、イストリゲームがつづいてる。椅子は5こあるのに、みんないつまでも、立ったまま。座る椅子がないまま。そんな感じです。椅子によっては、座る人がいないということで、もう一度ゲームしてくれることもあるけれど、誰も座らないまま、空席の椅子ものこったままゲーム終了の椅子もあります。これじゃあ、内定のない学生が多いのも当たり前。求人が少ないとか、就職氷河期とか、そんなのとは、違う。みていると、そんな感じが、今のシュウカツです。親としては、なんかもう、子供育てるのが、すごくいやになってくる。気が気じゃないです。こんな時代なのに、子育て中は、塾だ、受験だと、大騒ぎ。でも、その挙句にこんな大変なシュウカツがあって、うっかりすると、仕事にもつけづに大人になっても、養い続けなければならないとしたら、子育てってなんなのか。でも、会社側も、座らせた学生が椅子に座らずに、立ちあがってしまう。どの学生がちゃんと座っててくれるのかわからない。そーんなかんじです。面接でなにをいえばいいのか。どんなエントリーシートをかいて、どんな志望動機をいえばいいのか。内定が取れない理由はなんなのか。横で見ている私にも、ちっともわかりません。受験のような、わかりやすい対策はありません。なんせ面接官の胸先三寸。面接官の好みや気持しだいで、決まってる。だとしたら、絶対これという、正解はありません。受験のような対策ではたぶん、のりきれない。そのことにすら、気づくのはむずかしい。なんでこの子たちの世代はいつも、こんなにタイミングの悪い時にあたってしまうのか。はやくなんとかなってほしいです。。
2011年05月26日
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中学受験は親の受験といわれますが、シューカツもまた、親の力が試されているなあっと、つくづく思います。今までのしつけや、どんな育て方をしたかとか、人間性まで、問われている気がします。まあ、真っ最中のいまさら、あわてて騒いでもしかたないし、まにあわないんだけど、それでも、いまさら、しつけしている母です。情けないですね。いまさらあわててもしかたないんだけど。シューカツしてる本人にすれば、面接で一体何が問われているのか、見られているのか、まったくわからないというところなのですが。こちらがアドバイスで言うことがなかなか本人に理解してもらえない歯がゆさもいっぱいあって、とっても、つらいところです。まあいまさらもう、黙ってみているしかないのですが、それでも、目の前でいろいろ言えば、こっちもいろいろ言っちゃうし、心配だし、いつまでたっても、どこまでいっても、親業って、つづくんだなあっと、つくづく。先日なにげなく借りたレンタルDVD『エグザム』 エグザム(DVD) ◆20%OFF!価格:3,192円(税込、送料別)就職試験の話なんですが、やっぱり、子供がシューカツしてるので、なんか気になって借りてきてしまった。ところが、シューカツに行き詰ってた息子がこれをみて、すごーく感動して、少しだけ、シューカツの意味というか、面接で何が見られていて、何が要求されているのか、わかったらしい。わたしも、普段言ってるんだけど、親が言っても、もう聞く耳もたない年ですからね。面接試験で、試験用紙を一枚だけ渡される。問題は一つだけ。答えも一つだけ。でも、書いてあるはずの質問は、用紙のどこを見ても書いてない。問題はどこだ?答えはなんだ。でも、用紙を破損しても、部屋からでても、警備員にはなしかけても、失格。被験者同士の壮絶ないがみ合いのはてに、真実が明かされる。求められるものは、人間としてのやさしさと、細かいことにも気がつく注意力、情に流されない強さ。いたわりの心。先輩の人たちを思い出して内定が、決まった人、決まらない人、それぞれなんでなのか、ちょっとだけわかったと、息子がいってました。が。いままでの受験のように点数だけで、きまるものじゃない就職って、むずかしいですね。会社によっても、求めるものって微妙にちがうだろうし。親としては、イライラハラハラするばかりです。ただねえ、一番思うのは、先日もネットカンニングの事件とか、あったけど、いい学校にはいるから、いい会社にいけるわけじゃなくて、その学校に入るだけの力があるからこそ、その先の会社にも、就職していけるわけで、学校が入れてくれるわけじゃないんですよね。力がなかったら、やっぱり、たとえカンニングに成功しても、その先に続きません。でもって、実力で入っても、その先の進学や、就職がうまくいかない人たちだって、いーっぱいいるわけで。私がわが子にに言うのは、せめて、「自分なりの100パーセント、自分なりのできるところまでの、マックスを目指して頑張ってほしい。」と。それはもちろん、人それぞれ違う。それにしても、いまどきの就職は、きびしい。私自身の若いころは、まだまだ就職がゆるかったころで良かった。
2011年03月09日
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今年はとうとう、うちの長男も成人です。区役所から成人式の案内もきたけれど、出席はしない予定。なんだかね。いっても、区長の話をきいて、どっかのグループの歌を聴くくらい。私の時はそんなだったので、行くこともないじゃないかなと、思ってしまい、あまり息子に勧めておりません。親がこんななので、本人も行く気なし。しかも、最近の成人式は、へんな中身お子様の新成人による乱闘まがいの状況までニュースになったりしてたし、いく意味が感じられません。 それと、うちは、私立の中高一貫だったのだ、いっても、同級生もいないし。もちろん同じ区内に同じ学校の友達もいるんだけど、みんな地方の大学にいってたりして、こないじゃないかとか、思うらしいです。 そしたら、ちょうど成人式の日に高校の同窓会の案内がきました。なんでこんな日にやるんだろうと、おもったら、やっぱり、私立中にいってると、地もとの成人式に行っても、同級生がいなくてさみしい思いをすることへの配慮なんですね。区の成人式より、母校の同窓会のほうが成人式っぽい。そういうことで、去年なかった同窓会が、今年はおこなわれるわけですね。それも、同期会ですから。 なるほどなあっと、思いました。でもねえ。ホテルでやるから会費が高いんですよね。出してあげるから、行けばっていったんだけど、結局申し込まなかったみたいです。もっと、強く言っても良かったかな。案外みんな来たんじゃないのかな。 でももう、遅い。 それでも、夫の母と、私の母が成人式のお祝いをくれまして、昨日は、お赤飯を持って、スーツを着て、夫と一緒に夫の実家にご挨拶に行かせました。息子の進学のことでいろいろと助けてもくれたのですし、ずーっと心配してもくれたのですから、ちゃんとお礼しにいかなくちゃだめだよと、言い聞かせもしました。 まあせめて、コレくらいのことはしないと、成人になったという自覚は、意識されないですねえ。これでもまだまだだし。就職して働いて、世間の本当の厳しさをしらないと、だめかもしれないけれど。 とにかくとうとう、うちの息子も成人です。親もとして、やれやれです。成人の仕度してるのも、結局親だしねえ。
2010年01月10日
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息子の机の下に落ちてました。こういう奴なんだよねえ。わかるでしょうか。
2009年10月07日
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うちの息子もとうとう成人となりました。二十歳の誕生日~♪もすぎましたが、なんか素直に喜べない。なんでかっていうと、国民年金の加入申請書が届いたから。二十歳になったので、国民年金にはいらなければいけなくなったのが、最近の成人です。私の頃はまだ、大学生なら、働いていなければ、こんなものはきませんでした。卒業して、就職して、初めて、厚生年金に加入となったものです。それだって、本人への了解も説明もなく、強制なんだけどさぁ。 で、いままで、ばくぜんとはしっていたけど、いざわが子にやってくると、なんか釈然としません。彼はまだはたらいていないし、バイトで稼げる金額なんて高が知れております。国民年金の月額1万4千円なんてはらえるわけもありません。なんで収入ないのに、請求がくるの? それというのも、いぜん年金問題で、日本国中がおおさわぎしたせいです。 学生時代の1万四千円は痛いけど、老後にもらえる6、70万円なんて、焼け石に水。しかもそれをわざわざ自分でいかなきゃならないなんて、ホントになんか釈然としない。もちろん学生は、卒業して、就職してからの後払いにすることはできますが、やはり、ちっょとお高くなります。 うーん。どうしよう。よその人はどうしているのだろう。親がだしてあげるのでしょうか。それとも、就職後の後払いにしているのでしょうか。 なやみます。なんかしらんぷりしたいけど、そういうわけにもいかないし、本人に封筒わたしたけど、本人はほっぽらかしてるし。こんなことなら、子どもはみんな、3月生まれにしとけばよかった。 まあ、ほっとくわけにもいかないのでしょうね。 それにしても、これ。細かい説明所とかぜんぜんはいってないんですよね。ずーっとはらってると、将来的にいくらくらいくれるのか、途中から就職して、厚生年金になる可能性も高いけど、その時どうなるのか。ぜんぜん説明なし。民間の生命保険に加入するのに、こんなに説明のないことなんてありえない。桝添えさん今回いろいろがんばったはずなのに、そのあたりちっともかわらない。どうしてくれるのだよ。 それに、こういうシステムってやっぱり、おかしいです。改正すべきだと、思います。
2009年07月30日
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この春休み。息子もやっとバイトしました。やはり、塾バイトでした。割に合わないという話はよく聞くのですが、だからといって、単純作業の仕事や、売り子は、彼にはとても無理な気もしますし、せっかくものにした知識をもったいないとも思いました。以前にも、バイトの登録はしたのですが、それは結局、なしのつぶて。それでバイト募集のサイトをあれこれ見た結果、以前本人が行っていた塾に行くことになりました。昔は、いつか大学にはいったら、講師になってまた働けるといいのにと、思ってはいましたが、まさか本当にそこに行くとは。しかも、当時おえてくれた先生がまだ在職中。先生は、成長した息子をみてどう思ったのでしようか。 それにしても、申し込んでから、面接までに、一週間、その返事がくるまでに、数日。そのあと、本部に行って研修、さらにそのあと、三回ほど、研修。本番までに、春休みのほとんどを使い、春休み最後の二週間でやっと、バイトにありついた感じです。仕方ないといえば仕方ないけど。ほんとに二ヶ月も休みがあるのに、もったいない。 でも、たかがバイトにこんなに研修があるとは思いませんでした。人によってはもっとやるらしいのですが、うちは、もともと通っていたので、わりと、勝手が分かっていたのも、少なくてすんだ理由かもしれません。 いまどき、塾のバイトも、ふつうの店員さんのバイトも時給はたいしてかわらないし、塾は下準備も必要だし。時間で考えれば、わりにあわないかもしれません。でも、簡単にできる責任のないバイトをやっても、いい経験や、学びはえられないし、逆にこんなものでも、お金がもらえるのだと、思ってしまうのもどうかとも思いました。 どうせ働くなら、やはり、責任感が必要な仕事の方がいいと、思いました。 さて、わずか、二週間でしたが、彼なりに学んだものはあった気がします。というのも、本人頭がいいので、周りの人間が自分ほど頭が回らないということが、口で言っても、理解できないのですね。だから、高校でも、自分より成績の悪い人たちは、ただサボっていて、ちゃんとやらないからだと、思っていたのではないかと、思います。でも、どんなにがんばっても、その人間の能力には限界があるし、世の中には、いろんな能力値の人間がいるんだと、バイトで、勉強を教えてみて少し分かったみたいです。 仕事は個人指導なのですが、一対一で教えるのですが、塾に来るのはほとんど、勉強のきらいな子、苦手な子、成績の悪い子が多いので、そういものなんだなっと、実感したのではないでしょうか。それでも、その子なりの限界まで、引っ張ってあげることはできると、思います。彼はまだ講師としては未熟です。でも、それでも、普通の親では教えられない勉強や、学校の先生では、対応しきれない部分があると、おもうのです。そういう部分を教えてもらえるだけでも、生徒はありがたいと思う。 なんせ、我が家の下の娘も、お兄ちゃんに教えてもらって、助かってます。うちには、ただで教えてもらえる先生がいて、助かります。自給にしたら、5000円はするものね。もちろん、彼がうけとる額はもっと少ないですが。 それで、彼が塾で教えていて、かわいそうだというのが、今年中学生になる子だったりする。これから学校に入れば普通に授業で習うことをわざわざお金をだして、塾に来てやってるなんて、無駄だと、言います。いまこれ勉強しちゃったら、学校の授業中なにするの?退屈でしょうにと。 うちも受験が終った後、塾では、5月くらいまで通わせて、少し中学の授業を先取りさせますというような、お誘いはありました。もちろん、そんなもの、私は申し込みませんでしたが。 そういう、自分の本音と、実際の仕事の矛盾も、息子は経験したわけです。実際、社会にでても、そういう、自分の本音と仕事の矛盾に向き合うことはあるわけですから。 それから、契約してるのに、当の生徒本人がいつも塾をサボってこない場合があるのだそうです。で、そういう場合、バイト代は、出ないそうです。でも、親の側は、授業をサボっても、お金払うのに。こういうのって、つまり、塾のまるもうけです。釈然としませんが、たちばよわいですからねぇ。サボるくらいなら、さっさと止めさせてあげればいいのに。 こういう塾の仕事のいろんな矛盾はしかたないとはいえ、釈然としないです。でもしかたない。それが嫌なら、自分で自力で家庭教師をやるか、塾をはじめるしかないですからね。でも、何をどう生徒に教えていくかとか、テテキストを用意して、親とも交渉してなんて、息子にはできそうにないし、まして、本人そこまで気合入れてやる気もない。 やはりしかたない。 さて、新学期が始まって、ほっとしました。とりあえず、春のバイトは終ったけれど、彼は、はたして、夏もバイトにいくのかどうか。本人いやそうです。勉強を教えること自体はきらいじゃないんだけれど、搾取されるのはいやなんだって、あいかわらず、寝ぼけたこといっていて、この先が思いやられます。今の大学生は、いそがしくて、三年になれば、就活だし、四年になれば、卒論だし、免許も取らないといけないし。忙しいですね。このあとは。
2009年04月11日
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ふっと、考えたら、もう20年も子育てしてるんだなぁと、思った。 息子も今年の夏で二十歳の誕生日がきます。二十歳になります。成人です。でも、ぜんぜん成人には遠いですが。 赤ちゃんで生まれてきて、しんどいこと大変なこといろいろあったけど、一つ一つ、子育ての階段をクリアして、気がつくと、もう、大人。中身はまだまだお子様なので、親としての仕事はまだまだつづきますが。 世の中は、成人の年齢を18歳にするかしないかで、すったもんだしてますが、実際に子育てしてる立場でみると、まあ、とてもじゃないですが、20歳でも、お子様です。 成長が早くてとっくに大人になってる子もいるとは思うけど、そういう子はもう、中学生あたりから、すでに中身はおとなになってるんだよねえ。つまりは、自己管理が出来、周りに気を配れて、自分のことだけでは、手いっぱいになんかならない。とおいなーーーーー。 ありえない。 高校までは、とりあえず、勉強して、あとは、ばかなことさえしなければ、まあいいかなんだけど、 その先は、もう、社会にだす直前なので、いままで手を抜いてきたぶん、しっかりしつけて、社会の常識やルールなんかをいろいろ教え込んでしこまないとなぁっと、思ってます。そういう子育ての逡巡のたびに、昔私も両親にいろいろ怒られたり、注意されたり、結婚するまで、すったもんだあったなぁとも思います。結婚すると、さすがに、自分で自己管理完全にしないとならないわけですから、そのあたりが、成長の境目だったなぁと、おもいます。 実際のところ、日本人の成人年齢は、25歳くらいじゃないかなぁと、思う。そのくらいになると、さすがにおちついてきますし、判断力も自己管理能力も、そこそこには、ついてくるんじゃないかと、思います。で、だいたいこのくらいで、ちょうど、結婚する人多いよねえ。 というわけで、大学入ったからって、子育ては、「はい、ハッピーエンドです」なんて、簡単には、終りません。 このごろ、自分が昔両親に怒られたり、注意されたり、教えられたりした、あれやコレやを思い出します。うるさかったけど、ありがたかったとつくづく思うので、がんばって自分の子供たちにも、おこったり、注意したり、しつけたり、社会のルールやら、常識やら、暗黙の了解についてのこととか教えたりとか、ほんとにいろいろと、しようと思うの。 はーーー。でも、どのあたりで、どのくらいやるか。やっぱりまだまだ、迷うことが多くて。子育ては、実際一生ものなんだよねえ。
2009年02月24日
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昨日今日と、センター試験でした。テレビをつけるとかならずそのニュースがやっていて、懐かしく思い出されます。去年はもうほんとにどきどきはらはらでした。去年のブログの記事を読んでみると、ほんとに緊張して、つかれきっていたのでした。私も息子も、家族みんなが。で、今朝、昨日のセンターの問題が新聞に入っていまして、息子が、日本史だけやってみていました。これが、案外点がとれなくて、たった一年でこんなに取れなくなっちゃうんだなあと、驚いていました。浪人すると、その一年間それまでの勉強も忘れないよう、あと、一年持ち上げた学力を維持してそこにさらにもう一年積み上げていかなければならないのだから大変です。去年受かってよかったと、彼は内心ほっとしているのかもしれません。息子のトモダチにも何人か、浪人生がいて、さて今年はどうなるだろうか、直接の連絡はないものの、ちょっと気になるところでしょう。ところで、息子の学校には本当に一生懸命まじめに勉強していて、どの子も優秀なのに、難関大学に受かった子も、受からなかった子もいて、ちょっと不思議です。その境界線になる違いはなんだろうねと、先日息子に聞いてみたのです。そしたらね。「だふんそれは、お正月に年賀状を出すかどうかだと思う。」という返事でした。息子の友達で、今年も年賀状をくれたのは、そして、在学中にもきちんと年賀状をくれた友達はみんな、T大学に受かっているそうです。さすがにT大に受かる子達は、年賀状のような文書を作ることにも、友達にまめに気を配ることにも、メンドウという感じはなくて、苦痛なく、ささっと出来てしまうのでしょう。12月の末の受験勉強もまさに渦中の時にも、ケイタイでのメールのやり取りもしないでいる時にも、年賀状だけはきちんと、書いて、出してくる。そういう姿勢が、合否の境目なんだよと、彼は言いました。そして、卒業の後も、年賀状をくれたのは、ほとんどその子たちだけだそうです。まあ実際のところは、どうかなと思うけど、なんとなーく納得してしまいました。センター試験が終って、受験生はいまごろ、ほっとしているでしょうか。それとも…。今頃採点しおわってそして、あしたは、学校でいろいろあるんだろうなぁ。がんばれ。
2009年01月18日
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息子が成績表をもらってきましたが、予想通りとーっても悪かったです。だって、夏学期の終わりにぜーんぜんまじめに試験もレポートも取り組んでないのですから。 で、母としては当然、あんまり成績が悪いと、就職の時困らないのかなということ。でも、今は学歴を無視した採用になってきたのですよね。だとしたら、学校の成績は試験をうける会社に提出したり、第一志望の会社の時に大学から推薦ほもらうとか、そういうのは、今はないのでしようか。 まわりに、そのての実情をきける人がいないので、わかりません。で、母としては、息子にどういう説教をすればいいのか迷っています。 いまはもう、大学の成績は就職に関係ないのでしょうか。それとも、やつぱり、関係大なのか。でも、だとしたら、就職を考えて、成績を気にするのって、高校受験の内申書と同じなのでは。内申を気にして、大学の勉強をするのは、なにか違うような。 私は、所詮短大だったし、まじめでしたから、普通に勉強したましたが。でも、予定外にいい成績がとれなくて、きびしいんだなーと、思ったのを思い出しました。 で、息子にすると、そういう成績を重視した授業の取り方はしなかっただけだと。大学って先生によって、甘い点をつける先生と辛い点をつける先生がいますからね。私のときにも、「ホトケのアオキ」という、自分の授業をとった学生全員に優をつけるという先生がいましたからね。 で、楽に単位をとれる授業は、チョンボというようで。なんとなくわかるう。 で、彼にいわせると、そんなのつまんないし、なさけないし、悲しいじゃないと、いうんですよお。自分はそういうのは、まったく無視して、おもしろいかどうか、自分が学びたいかどうかだけで、選んでいると。 うーん。その気持ちはわかる。 しかし。 もうちっとまじめにやってたら、ここまで悪くはないはずだ。第一、あんまり成績悪いと、三年生になれないらしいし。 と、母の悩みはまだまだ続く。 眠くて眠くて、しょうがない息子を朝おこすのもたいへんなんだよお。
2008年10月06日
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長男がビジネスコンテストに行ったので、この一週間、家にいなかった。五月蝿い奴がいないと、こんなにさわやかなのかと、スッキリ。女の子一人だけの家庭ってこんなに 楽 なんですね。女の子は言えばとりあえず片付けるし、お腹がすけば自分でご飯作って食べたりもするし。気楽だ。男の子は、生活力が無いから、ほっぽっとくと死にかねないもの。だいたい、なにしろ男の子って存在自体が威張ってるものね。 でも、ここにきて私の周りには、いつも一匹の虫、たぶん、蚊かなにか、が、たかっていてぶんぶん五月蝿い。 いつもは、虫が五月蝿いといって、ぶつぶついう息子が神経質でうるさいやつだなあと、思っていたんだけど、そうか、息子がいれば、息子のところに虫が集中していたんだわ。若い男の子って、エネルギッシュで、おいしいものね。で、その息子がいないので、そのぶん、私のところにくるらしい。神経質でうるさいやつだなあと、思っていたけど゛、そうか、あいつが、虫役を引き受けてくれていたんだ。 息子のいない静かで部屋のちらからない、快適な生活もよかったけど、そろそろ飽きてきたし。もう、今日帰ってくるはず。そろそろいい加減、息子が恋しくなってきたかもしれない。早く帰ってこないかなあ。虫役やーい。 なにせ、虫役の彼のために我が家では、息子のところだけ、一人用の蚊帳がつってあるのだ。 でも、帰ってきたら、やっぱり、うるさくて邪魔でうっとおしいんだろうなあ。
2008年08月31日
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やっと長男が夏休みにはいったー! というところです。長男の大学は、二学期制らしく、夏学期と冬学期という別け方をしてるみたいです。だから、今回は、7月の末まで目いっぱい学校があって、七月の最後の二週間くらいが期末試験のようでした。そして、最後のレポート提出が八月一日だったので、それを終えてやっと、夏休みです。そして、しかも、八月と九月、まるまる二ヶ月も夏休みなのです。でも、こんな中途ハンパな時期に夏休みに入るのでは、もういいバイトは、なさそう。それに、彼なりに夏休みにやりたいことがいろいろあるらしい。そういいながら、ここ数日ゲームばかりしてるけど。 世の中大学生になったら、バイトが常識。我が家の経済だって、厳しいのだから、バイトでもして欲しい。でも、私の中に微妙に迷いがあるのです。 だから、ここから先いろんなことの言い訳のオンパレードになります。 なにしろ、受験期間は毎日10時間ずーっと勉強していて、去年の夏休みだって、冬休みだって、ずーっと、勉強。高二から、塾に通い始めて、塾自体はそれほど行ったわけじゃないけど、最後のほぼ一年は、勉強だけの毎日でした。勉強することとともに、彼の頭の中でやらなくちゃという思いが、夜も昼もずーっとぐるぐるとまわっていたのだろうなと、思います。最初の頃は、そもそもモチベーションを上げること自体に苦しそうでした。そして、時おり、その「やらなくちゃ」という気持ちと混濁して、体力的、精神的な疲れが、蓄積して、はたで見ていて、これは、ちょっとやばいなと、思って、まる一日勉強しないでぼーっとしててもいいんだよと、休ませたこともありました。 今年の夏休みのはじまりに、「宿題のない初めての夏休みだ♪」と、言う、うれしそうな言葉。中高の六年間、そして、その前の受験のための一年間は、ずっと、頭のどこかに勉強のことが、重く、蓄積していたのかもしれません。もちろん、はたでみているぶんには、それほど大変な量の宿題だったようには、見えないのです。だって、夏休みの毎日夜寝る前の数分間で、宿題を毎日少しづつ、ぴったり夏休みの最後の日に終るように消化していたのだし、塾に通わせていたわけでもないし、朝から晩までやっていたわけでもないし。 それでも、彼にとっては、重かったのかなーと、。 そして、最後の試験発表の後は、入学式まで、わずかに、二週間くらい。 そのあとは、自宅から遠い通学で毎日四時間近くをとられ、土日には、部活や大会出場などいろいろあって、意外と忙しい日々の連続でした。 さいわい、中高とちがって、土日はまるまる休みだったのだけれど、「土曜になるとほっとする」と、彼がもらしたことがありました。やはり、彼なりにしんどいのでしょうね。きっと、来年になると、もっと慣れてくるし、授業も減ってきて、楽になるとは、思うのですが。 そして、なんやら、学生ビジネスコンテストの予選に通ったので、八月の最後の一週間、泊りがけで、参加するのだそうです。一週間とまりがけ。彼に出来るのかしら。都内だから、のぞきにいけるのかな。 九月には、部の合宿があるし、念願だったホームページも作りたい。一年半くらいがまんしていた、息子なりのいろいろなやりたいことがあるらしい。 親としては、せめて、免許くらい取りに行かせたほうがいいのかなと、思うのですが、二ヶ月では、取れないかもしれないし、そのあとは、学校が遠いから、通うのは大変かも。それでも、本人にその気があれば、何とかなるけど、親がもうこれ以上指図したくないなあ。私もかつて親に五月蝿く言われて免許取ったけど、結局嫌で、しょうにあわなくて、今現在ぜんぜん運転してません。運転下手なくせに、車大好きな夫に、「自分の愛車をぶつけられるといやだから、乗らないで」と言われてるのも、手伝って。息子に免許とらせても、やっぱり、同じように、俺の車には乗るなというだろうな。だからって、息子用に車を用意するほどの経済的な余裕もないし。いや、書類上の資格さえとれれば、乗らなくたっていいんだけど。 そう、息子も疲れているけれど、私自身も息子のことを心配して、あれこれ指図することに、疲れてきているのだなあと、ちょっと、気づいちゃいました。なんだか、ぼーっとしていて、危なげで、なにしろ、長男のジンロクですからね。横で見ていると、不安で不安で。私立校の厳しさもあって、ずーっと、気の落ち着かない日々でした。でも、あとからよくよく考えてみれば、最終的には、なんとか、こなしているのですよね。今回のビジネスコンテストもしらないうちに予選通過してるのだし。息子は息子なりにちゃんと成長してるのだ。 だから、もう、息子のことは、心配したり、指図したり、口出ししたりは、やめにしたい。それでも、心配で、コンテストの書類チェックしてしまいましたが。なにしろ息子は、出場の当日まで、封筒を開けることすらしそうにないのだもの。「期日までに出さないといけない書類があるんだから、チャンとチェックしなさいよ」と、ああ、また、口出ししてしまった。 「バイトしなさいよー。」と、口で言いつつ、内心逡巡の日々。 今年の夏くらい、親子でのんびりしたいかな。 それでも、のんびりしきれないのは、いまどきの大学生って、意外と忙しいから。三年には、就職活動があるし、四年には、卒論がある。しかも、いまどきは、結構大学院にもいく人が多そう。のんびりと時間のあるのなんて、一二年のうちだけ。だとすると、バイトする暇のあるのも、一二年のうちだけ。その貴重な一年の夏をのんびりしちっゃていいのかな。 それでも、まだ、戸惑うのは、男の子は本当に就職したら、歯医者にいく暇も取れないほどのハードワークになるかもしれないから。だとしたら、高校をでて、就職になるまでの、この時間くらいのんびりしとかないと、就職のあと、擦り切れちゃったりしないのかなと、考えてみたりしている。からだ。 でもでも、就職活動で面接もあるし、面接の練習がてら、バイトの面接とかしといたほうがいいかも。とかね。 そして、バイトするとしたら、塾とか、家庭教師? かつて、学生バイト教師に懐疑心タップリでいたり、学生のバイトの先生なんて当てにならないとか、塾先生って、いい加減じゃ困ると、思っていたのに、その塾の仕事に、いい加減な気持ちの息子を行かせていいものなのかなとか。で、たまたま仕事になれて、その待遇のよさに、逆に就職して安い給料ではたらくのことに、ばかばかしくなったりしないとのかなとか。 学生時代のバイトのせいで、ちゃんと働かなくなったりしないのかなとか。いや、これは、考えすぎかも。でも、かれは、人に勉強教えてる時すごく楽しそうなんだけどな。はじめたら、案外楽しいかもしれないのに。でも、それがはまって、プロになられるのは、いや。 いざやりだせば、息子なりに、真剣にやりだすかもしれません。ほんとにほんとに心配のしすぎ。バイトもせずに、すでに、今日。そして、明日から、将棋の大会にいくっていうし、そのあとは、わたしたちが旅行にいっちゃうし、そのあとはもう、お盆だし。八月は半分終ってる。 うわあーーーーーーー。 あんた心配しすぎだよーと、言われるか、てぬるいよ、やさしすぎと、いわれるか。どっちかですねえ。きっと。 というわけで、いろいろ毎日考えている言い訳を書いてみた。のでした。 いい大学をでて、結局就職しない人も多い今のご時勢。とりあえず大学入ったから、なんて、安心してられない今のご時勢。でも、まあ、そんなことを山のように考えてみても、きりがないし。その時は、その時だなあ。ああ、親ってばかみたい。
2008年08月06日
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長男の誕生日だったので、サーティワンで、アイスケーキを買ってきました。あっつーい夏のど真ん中が誕生日の息子。普通のケーキは食べる気が起きません。彼が子供のころ、ふっと、サーティワンのアイスケーキが買ってみたくなって、長男の誕生日がちょうど夏なのをいいことに、アイスケーキを買ったのですが、それ以来なぜか、習慣化してしまい、しかも、真冬が誕生ぞの娘のまでが自分の誕生日にもアイスケーキがいいと言い出しちっゃて。しかも、娘と夫の誕生日は一日違い。二人一緒のお祝いにもなります。そして、ほぼおとなになった今でも、催促されちゃうのです。家族全員から。だから、今年はちょっと大人っぽくコーヒー味。でもでも、やっぱり、アイスケーキは、夏に食べるほうがおいしいのよ。今年は特に暑いので、家族四人であっというまに、完食してしまいましたぁ。ごちそうさまです♪
2008年07月26日
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長男の大学でちょっとした学祭があって、もういい加減恥ずかしいのだけど、長男のでるイベントがあるということで、見に行ってしまった。学祭では、周りはもう、在学生ばかりで、高校までのような親の見学なんてことはそうはない。少しだけ、親御さんらしいご夫婦を見かけたけど。それは承知でまあ、見に行ったのだけれど。でも、その学祭での彼の様子を見ていて、彼が家で最近いろいろと愚痴る、その彼の状況が、うきぼりになってよく見えてきた感じがした。家にいて、わが子だけ見ていると、分からないものが、大学内で、他の大学生、同級生たちを見たり、その中にいる彼を見ることで、彼の特性がよく分かった。見に行ってよかった。と思う。 大学生なんだから、いいかげんもう手をかけなくていいと、思いつつ、やっぱりまだまだ、子供なのかもしれない。どこまでが、子供で、どこからが、おとなになっているのか。その加減の見極めがむずかしいなあと、思う。 昔は、大学生って大人な存在だったけど、自分自身が年をとってきた、その目で見ると、大学生もマダマダ子供なんだなと、思う。所詮まだ、20歳前後の集団なんだし。いろいろな学祭のイベントの企画でも、矢張り所詮は素人、テレビなんかに見慣れた目には、お粗末だけれど、それはそれ。そんなことをいろいろ経験しながら、成長して、社会に出て行くのだろう。 長男には、自分の人生のたくさんの失敗、自分の欠点なんかをそっくりわが子に見つけて、自分とは同じ失敗をしないようにと、いろいろ注意するのだけれど、やっぱり、彼は彼なりの失敗と経験をこなしていかないと、駄目らしい。やはり、人間というのは、同じテッを踏んでしまうものらしい。 だんなや私のちょっとしたくせとか、それをそのまま遺伝していることに驚く。能力とか、性格が遺伝することは分かっていても、個人的なくせまで遺伝することに驚いている。たとえば、夫のジャンパーを上まできっちり締めるところとか、男なのに、内股で立つところとか、中学生の頃母ともめて玄関のドアをバーンと思い切りしめて登校した私の過去の行動を息子にまた、再現されるとは、思いもしなかったので。 なんてことをいろいろ考えつつ、見に行った、学祭なのでした。
2008年07月09日
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こんなサイトを見つけた。折田先生を讃える会京都大学に受験期に毎年出現する張りぼての折田先生の銅像。今年は、「てんどんまん」だったそうですが、もともとは、「本物の銅像の折田先生」にされていたずら書きが毎年どんどんエスカレートしていき、たえかねた大学側が、しまいこんでかたづけてしまったら、その場所に毎年、ハリボテでつくった「折田先生の銅像」が置かれるようになったとか。昨日ずーっとこれを見て楽しませてもらった。銅像にいたずら書きってのは、よくある話だけど、私自身が自分の学校で見たことなんてなかった。そもそもこんな目立つところに銅像なんてあったかな。そもそも銅像を作るほどの人のたてた学校なんて行ったかな。考えてみたら、ぜんぜん記憶にない。まあ、それはいいとして、こんないたずらが伝統として、現在に至るまで、えんえんと、学生の間に受け継がれて、残ってるなんて、すごい。きのう、帰ってきた、子供たちにも、みせたら、すごく受けました。そろそろいってる大学に飽きてきた長男とか、これからどこを志望校にして勉強するか悩んでいる娘とかに、大うけ!京都大学にいきたーいと、二人で盛り上がっていました。特に変人であることにもんもんとしてる長男には、自分の個性を肯定してくれそうということで、受けました。ところで、縦看板に書かれているこの文言折田彦市先生は 第三高等学校の校長として 京大の創設に尽力し、 京大に自由の学風を 築くために多大な功績を残した人です。 どうかこの像を汚さないで下さい。自由の学風ってほんとはなに?大学の校風ってどこもそもそも「自由」なものだと思ってた。自由じゃない学風の大学ってどんな学風なんだろう。自由じゃない大学ってそれはもう大学ではないのでは。とか、思っちゃったんだけど。一般に「自由な校風」とかいう、高校だと、ようするにまあ、校風が厳しくない。と。校則というと、靴下の長さとか、髪型はみつあみとか、バイト禁止とか、まあいろいろあるので、そんなものがないところとか、思ってたけど、もしかすると、大学の場合の「自由な学風」ってそもそもそういう高校レベルの認識とは、別物なのか?かつて、政府とか、国レベルで、国民に対して、言論統制とか、思想統制とか、出版統制とか、そんなのがあった時代に大学の中だけは、どんな思想の研究も、どんな考え方も、言葉も、みんなが心のままに、思うままに、発言できたことなのか。今でこそどこの大学でも当たり前の自由な学風って、別に、茶髪も赤毛もロンゲもパンクもオーケーで、授業とか、講義とかも聞こうが休もうがかまないよーって言うのとは、違うのでは。そのあたり、今の学生は一般社会がそもそも自由でありすぎて、そして、高校までが、規則五月蝿すぎて、それから開放された途端に、なんでもありなんだーっと、誤解してるのかも。うーん。「自由な学風」とは…。研究してみるべきですね。調べなおしだ。それにしても、京都大学、楽しそうだ。経済的な制限がなけれは、受けさせたかったかもね。京都大学の学生さんは、あれを見て、どう思ってるんでしょうか。
2008年07月02日
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入学式以来、息子のことはぜんぜん書いてないですけど、楽しく楽しく毎日通ってます。私もまさか、息子がこんなに嬉々として大学にいくとは、実は思っていなかったので、ちょっと驚いています。じゃあ、どんな風に行くと、思っていたのかというと、ぜんぜんなんにも、考えていなかった。受験のところから先は、なーんも想像していなかった。あたりまえっちゃあ、当たり前だけどね。 行きなれてみると、思っていたほど、学校は、遠くないし、中高までと違って、朝が早いのも、週に二回。それすら、中高の頃より30分も遅い。 そして、高校くらいからやらなくなった将棋を、受験終了とともに、またやり始めて、クラブも結局将棋部。大学にはいったら、お遊びスポーツ系サークルでもはいって、彼女でも作ればいいのに、と、私は思っていたのだが、彼の頭の中にはたして、色恋はあるのだろうか。中高六年間、女っけなしで、この先も、同じみたい。男子校といえども、彼女のいる子は、チャーンといたのにね。 で、彼によると、「大学ってこんなに勉強しないものなの?」どうやら、中高までと同じようにがりがりがりがり勉強、という生活だと、思っていたらしい。大学がどんなところか、まるで知らなかったみたい。 で、毎日毎日、将棋づけの日々。 でも、ここに来てだんだん授業も難しくなってきたらしいです。数学とか。そして、授業がおもしろい。 そんでもって、周りがみーんな頭いいのだそうだ。ゆるい環境だった中高とは、違う。周り中自分より頭よさそうなやつがいっぱいるということが、彼には、驚きで、そして、楽しい。 単位落とすのだけはやめてくれ、と思う。それ以外はもう、なにしようが、好きにしてくれなので、親も楽だ。もう、口出しも管理もいらないしね。もともと、そんなに五月蝿いことはいってないですが。 いままでいろいろと管理されていたのが、うそのようにフリーなので、いいのか?と、不安らしい。あのね。大学は自己管理を学ぶところ。っていうか、もう大人なんだから、管理されてもしかたないでしょう。自分が勉強したくてくるのが大学なんだから、自分の意志で、勉強して、自分で自分を管理すべし。いままでは、学校がうるさいから、こっちも五月蝿かったけど、自己管理のために、ゆるいのだから、なんでもありなわけじゃないのよ。自己管理を身につけるために、シバリがないだけで、怒られるから、という行動基準から脱出してほしいのです。 でも、いまどきって、勉強きらいでも大学、がふつうになってるからねえ。それってどうよ。今日も10時過ぎにやっと、家を出た。もはや二限には、まにあわない。こうやってどんどん堕落していくんだよー。授業料払ってるんだから、ちゃんと授業聞けよ。
2008年06月19日
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大学の入学式も終ってほっとしている今日この頃です。それにしてもねえ。我が家はダンナも娘も一緒に家族総出でいったのですが、そんなのはうちだけと思っていたら、結構みなさんきてるんですよ。家族で。あるいは、夫婦で。お父さんたち、わざわざ会社休んでまできたんですかね。うちははっきりそうです。しかも、制服をきてる高校生の、たぶん、新入生の弟や妹にあたる人たちもちらほら。今の大学の入学式って一種の娯楽イベントなのでしょうか。 んー。まあ、下の子にも大学の入学式を見せておくというのは、子供の意識を挙げさせる上でもいい効果はあるでしょうねえ。うちの娘も早速お兄ちゃんと同じ学校に行きたいとかいいだしてますからねえ。(いや、むりだから。) まあ、東大の入学式ぐらいになると、祖父とか祖母とか、一族郎党総出で来るらしくて、武道館をかりても、席が足りなくなるって、大学側がにがい顔をしているという新聞の記事を何年か前に読んだこともありますが。 東大。近くてよかったのになーなんて思ってみたりして。 息子の大学は遠いからなー。 でもねー。やっぱりこういうことは人生にそう何回もあることじゃないし、学長がどんなお話をするのかなーって興味あるじゃないですか。そのあとの、大学OBの人の講演会とかもあるしね。 そのあと、息子は在校生との新歓ランチにいっちゃったし。私たちは私たちでランチを食べて帰りました。 息子はこれから、大学生だし。そろそろ、親離れ子離れの時期だけど、どうなるのかなというのが最近の私の悩み事。いきなりすぱっと一切関知しなくなるのも、つきはなすのも、よくないし。いっそ、下宿して、自分で自活してほしいけど、金銭的に無理でしょうね。うちの経済じゃそんな費用だせないし、本人もバイトだけでまかなうのは無理かも。 てことは、やっぱり、自宅から通って、うちのご飯食べて、だよね。まだまだはいったばかりだと、バイトはむりだし。 で、つれづれ自分のときのことを考えてみると、本当に親から離れて、経済的にも自立したのってやっぱり、結婚して家をでたときだなーと。うちの兄にしても、同居とはいえ、結婚を気に親とは生計を別にしはじめたような。独身で働いていた頃は、やっぱり、自宅にいて、いろんな意味でパラサイトしてたもんね。 それ以外にも日常のいろんなことであんまり口出しをしないようにしていきたいですけど、ついついいろいろいろ口出ししたくなっちゃうんですねえ。まずは、そこから。 それにしても、大学にいくと、取る講義とか、時間割りとかも、自分で決めないといけなくなるし。これからそういう細かいことがいろいろあります。 書類かいたり、入金したりを自分でやる学生さんたちもいるし。やっぱりいろいろ自分でやらせるようにしないと。私いままで手だしまくりでしたから。 さてこれからどうなるのかなあ。とにかく、長い長い春休みが終りました。毎日毎日家にいて威張りちらしていた息子もとりあえず昼間はいなくなって、ちょっとうれしい今日このごろです。
2008年04月06日
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