雑感
2018-11-19
(はんぺん)
1968 1970 年当時、自分が関わった学生運動を よく振り返ることがある。全共闘の無法と機動隊の導入が多くの人の脳裏に記憶として残っているのではないか・・・
機動隊の導入で、当時は、学内では、多くの議論があった・・・というよりも、全共闘の無法に対しては、「許せない」という大学人が圧倒的に多かったが、にもかかわらず、「機動隊(=権力)の導入は、(大学の自治)を脅かすもので、反対」という意見が、多くのノンポリから民青(=共産党)やトロキスト連中まで、ほとんど共通していたと思う 。
僕たちも同じで、機動隊の導入時には、大学周辺道路上で、抗議のジグザグデモをよくやった。(民青―共産党は、実質的に機動隊導入は容認した。建前だけは「反対」だった)
今から思うに・・・これは、どうだったのだろう・・・????
(学問の自由)というのは、学内での暴力は許されない環境の下でのみ、主張しうるものではないだろうか? (相手の言論を暴力で封殺する)という時点で、その大前提は崩れている・・・今から思うに、当時の無法がまかり通ていた大学で、(学問の自由)などは、存在しなかったのだ 。
全共闘が、無法に占拠した学内は、どこでも、ボロボロに荒らされたことは有名だ。もとより、秩序を嫌うアナーキーな彼らは、(象牙の塔)は、大学解体(粉砕)の対象にしか過ぎなかったのだから、各科研究室に押し入って、研究資料をゴミ扱いしたり、荒らしまくるなどは、意に介さなかった。
もはや、(学問)自体の存在が問われていたのだ・・・そういう状況下で、権力(機動隊)の手を借りて、事態を収拾する以外に、どんな解決方法があったのだろうか? 実力部隊(暴力)を持たない自分たちで、問題を解決できないのであれば、機動隊(実力)の手を借りるほかなかったと思う。
東大、京大、市大にしても、時計台の攻防戦ばかりが、華々しく報道されたが、大学当局による機動隊の導入方針は、今から思うに、間違ってはいなかった!!
もっといえば、(学問の自由を守れ)という(きれいごと)で済まそうとしていた(自分も含めた)リベラルたちの「偽善」を僕は、強調したいと思う。「学問の自由」幻想だ。
この(偽善)の類(たぐい)は、今日(こんにち)に至るまで続く様相だ。「社会主義」幻想も同じだ。現実を見ない(見たくない?)人々による「歴史の偽造」が、進められてきた。
長い間、日本人拉致問題が数々、指摘されてきたにもかかわらず、一部のマスコミ以外は、報じようとはしなかった。リベラルたちは「社会主義の北朝鮮が拉致するはずがない」(土井たか子)と強弁し、土井たか子氏は、有本恵子さんの消息を伝える石岡亨さん(本人)からの手紙のことを、朝鮮総連に報告してしまうという失態を演じた。
2002 年の小泉訪朝が無ければ・・・そのまま、リベラルたちの「過ち」は、繰り返され続けたのか!!・・・と想像するだけで恐ろしくなるのは、僕だけだろうか?
「社会主義」幻想は、戦後リベラルの陥った最大の落とし穴っだったと思う。
朝鮮戦争は、南(大韓民国)の北進(北への侵略)だと、長い間、僕たちは聞かされてきた。「社会主義が侵略戦争をするはずは無い」という(信仰)がベースにあったのだ。僕の学生時代、「社会主義」は、輝ける目標であって、知識人レベルでも「社会主義信仰」は、大前提で議論されていたと思う。
自分を(社会主義者だ)と強弁した美濃部革新東京都知事は、リベラルたちの「希望の星」だったし、蜷川(京都)黒田(大阪)と合わせた革新ベルト地帯が、明るい未来を約束しているやに思えた。
日本共産党は、「 1970 年代の遅くない時期に民主連合政府をつくる」とブチあげていたものだ・・・
しかし、この当時から、社会主義体制内の諸矛盾が、「鉄のカーテン」をすり抜けて伝えられ始めた・・・この「情報」に、真摯に耳を傾けるべきだったと思う。
1975 年は、英雄的なベトナム人民が勝利した年だ。 1967 年ころから、数えきれないぐらいのベトナム反戦デモや集会に参加してきた僕は、職場勤務中( 1975 年 4 月 30 日)に、解放戦線の勝利ニュース(サイゴン陥落)を聞いて、思わず涙が滲んできたのを覚えている。ところが、その感激も長くは続かなかった。
続々と続く「ボートピープル」の出現だ。特権階級(富裕層)の脱出だろうぐらいに軽く考えていたが・・・その流れが止まらない・・・命を懸けた脱出が延々と続き、多くの人々が命を落としていく。なんで、なんで、なんで・・・・・? まったく理解不能の僕だった。
後になって、(南ベトナム解放民族戦線が「表」の顔、ベトナム共産党が「ウラ」の顔だったことがわかる。彼らの独裁政治のもと、多くの民衆が抑圧されていく中で、ボートピープルたちの必死の脱出行であったことを知り・・・ボー然としたのを覚えている。
「社会主義は、(善)で、悪いことをするはずがない」という宗教的信仰は、向坂逸郎(社会主義協会)や志賀義雄(日本のこえ)たちの専売特許ではない(彼らが醜悪であることは間違いないが)。戦後のリベラルは、社会主義信仰のもとに、「シベリア抑留」や、「満蒙開拓団への暴虐」には見て見ぬふりをしてきたし、「北方領土はソ連のモノだ」(日本のこえ)、「ソ連の核実験は正しい」(上田耕一郎・共産党幹部)と誤謬を重ねてきたのだ・・・
「学問の自由」も含めて「リベラル」幻想とくくると、はっきりしてくる。
「民主主義」「人権」などのキーワードが、多用されたが、現実を正面から見据える作業は、充分ではなかった・・・というか、ネグレクトされた。
様々な方面から知りえる「きざし」を「初めに結論ありき」で、スルーされていく・・・新社会党と同じで、都合の悪い事柄は、「見て見ぬ振り」をする。そのため、最初に叫んでいた「人権」「民主主義」との整合性が取れなくなっていく。自己矛盾だ。それに、彼らは答えられない・・・ここまでくると、それは、もう(政党)としては成り立たない・・・と思う。僕は、この党(新社会党)の友人に、様々な質問をしたが・・・誠実な返答は・・・ついぞ無かったのだ。
「リベラル」幻想といえば、朝日新聞による30年以上もの「ねつ造記事の放置」などは、その典型だろう。韓国の反日政府や反日市民グループ(その中心は北朝鮮のスパイだ)の手により、この慰安婦強制連行は、世界標準に拡散されてしまった。日韓間にくさびを打ち込みたい北朝鮮の戦略は、これまでのところ成功している。
「反日韓国」とよく言われるが、相当の韓国人は、反日ではなく、逆に好意や親近感を持っているという統計もある。しかし、金大中・ノムヒョンの 10
年にわたる太陽政策の下で、多数の北朝鮮のスパイ集団が韓国内に浸透した。官邸や労働界、教育界、マスコミ、民主団体などで、反体制工作、反日工作、反米工作が展開されたのだ。それが、成功しつつあり、韓国の弱体化、赤化(北朝鮮による併呑)は、時間の問題とみる専門家も多い。
朝日新聞は、日本では、リベラル紙で通っているが、北朝鮮や中国の独裁者に利用されまくってきたのが、現実ではないだろうか? 「反自衛隊」「反安保」「反沖縄基地」を叫んで、これらの独裁国家を 涙が出るほど喜ばせているのが、まぎれも無い現実だ。
長年、朝日新聞を購読し続けているが・・・やり切れない思いだ・・・
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