「こども食堂」が、どんどん増えているという、コロナ禍の中では、もっとも弱い部分(女性・高齢者・子ども)に、大きなダメージが及んでいる。
経済格差の拡大する中で、中流から、下流へ(転落)の流れが、急速になる中、社会から、はじき出されて、途方に暮れている人々の怨嗟の声が聞こえてくる。
貧富格差は、子供たちの友人関係を容易に破壊する。子ども社会から、締め出され・・・・なんとか進学できても、(締め出し)は、続くばかりで・・・・救いが見つからない・・・
貧困の中で、自らの学費をアルバイトで稼ぐ。もっと厳しい場合は、そのバイト代は、家計に(生活費に)繰り入れられる・・・友人関係を築くこと、そんな(贅沢な?)時間さえ、奪われてしまう・・・
この日本で、同じスタートラインにも、立つことができない不合理に、言い知れぬ怒りを覚える。
セーフティーネットは、形だけあれど、実効性が問われ続けている・・・
増え続ける低所得者層・・・しかし、彼らを 組織するハズのリベラルたちの姿が、見えてこない・・・どこに行ったのか???
時間が、どんどん過ぎ去っていくが、リベラルたちの退潮が、今後の日本の生末を暗いものにしている。
自民党や維新の会などの(体制派)が、未来の日本を担う資質があるとは、思えないが、リベラルたちにも、その資質のかけらも見いだせないところに、日本の悲劇があるようだ。
皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
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「みじめな人間だと思われる」 7 人に 1 人が直面する子どもの貧困…経験した“元・子どもたち”が語った苦悩 2021-7-19 FNN プライムオンライン
7 月特集は「現代の貧困」。
皆さんは子どもの貧困について考えたことはあるだろうか。
貧困の定義は明確には決まっていないが、大きくは 「絶対的貧困」(必要最低限の生活水準を満たせない状態) と 「相対的貧困」(国の水準と比較して困窮した状態) に分かれるとされている。
そして、日本の子どもたちも貧困とは無縁ではない。厚生労働省の「国民生活基礎調査」では、 等価可処分所得(世帯の手取り収入を世帯人員の平方根で割った数値)が中央値の半分に満たない状況を相対的貧困 としていて、 2018 年のデータでは 17 歳以下の 13.5 %が該当した。
これを言い換えると 子どもの「 7 人に 1 人」が貧困状態にある ことになるが、その生活実態は見えにくくもある。貧困を経験した子どもはどんな苦悩を抱えているのだろう。今回は「公益財団法人 あすのば」の協力を得て、 2 人の若者にお話を伺った。
貧困と厳しい生活環境で非行の道に
東北地方在住の 10 代男性、ラムさん(仮名)は幼児期に両親が離婚。自らは小児がんを患い、 5 歳ごろまで病院での入院生活を余儀なくされた。病状は快方に向かい、小学生からは父・妹と 3 人でアパート暮らしを始めたが、そこで貧困の現実を知った。
看病に追われた父は仕事を辞めていて、アルバイトで家計をやりくりする状況。その後は正社員となるが月の手取り収入は 13 万円ほどで、ラムさんの友人関係にも影響が出たという。
「ご飯は出ていましたが、おもちゃなどは買えませんでした。小学生の頃はそれで友達との縁も離れていきましたね。服とか習い事はほぼできませんでしたし、中学生は好きな部活もできませんでした。親が夜間や試合の送迎をできなかったので…」
さらに苦しんだのが、父の厳しい生活指導。家事や生活態度で納得をさせられないと、 手が出たり物が飛ぶこともあった 。ラムさんはその状況で、学校生活・家事・アルバイトを続けていたが、 反動で高校生の頃には非行に走ってしまった という。
「欲しいものが買えなかったりで、考え方がひねくれていってしまうんです。親の財布からお金を取って遊びに行ったり、たばこやお酒も流されてやってしまった。つらさを忘れたい、苦しさを紛らわせたい…どんどんそういう方向にいってしまった」
児童相談所の保護が更生のきっかけに
そんな状況は、高校 2 年生の時に児童相談所に保護されたことで変わった。仲介をしてもらい、 親子で本音をぶつけたところ、父は長らく体調が思わしくなく、自分が死んでもラムさんが一人で生きていけるように厳しい指導をしていたこと が分かったという。
ラムさんの非行はその後に収まり、高校も無事に卒業。現在は抱えている注意欠如・多動性障害( ADHD )と向き合いながら、就職先を探すとともに、貧困問題に悩む子どもたちのために、募金活動や自治体への政策提言などにも取り組んでいる。
経済的な困窮はいまも解決したわけではないが、ラムさんは過去の経験から、 貧困は子どもと親のどちらの心の余裕を失わせ、親子の絆を薄くしてしまう と指摘する。
「経済的余裕がない = ご飯を食べさせられないとなると、 親も追い詰められて子どもの変化や話したいことを見たり聞いたりする余裕がなくなる 。一時の感情に身を任せてしまうことが多くなるんです。 それを見て育った子どもはいろいろと遠慮したり、『自分は嫌われている』というマイナス思考にもなる。親との距離や関係も崩れてしまうと思います」
これからの社会に臨むのは、そうなってしまいそうな家庭への気付きと助けられる環境だ。
「子どもと親のメンタルケアや悩み相談ができる場所、機会はもっとあっていいと思います。それと一般の人が支援団体のような活動を行うのは難しいですが、もう少し周囲に目を向けてあげてほしいですね。募金や余った服をあげるなど、本当に小さなことでいんです。地域や個人ができることを、ちょっとの勇気を出してやってあげてほしいですね」
父の病気で状況が一変…家族が離散
貧困の落とし穴はどこにあるか分からない。近畿地方在住の 20 代男性、佐藤さん(仮名)は小学 1 年生まで、両親や 3 人のきょうだいと幸せに暮らしていた。経済状況も普通だったが、 その夏に父がくも膜下出血で倒れたことで人生が一変した。
一家は新居探しのために祖母の家に一時引っ越していたが、父が倒れたのはその矢先のこと。母は佐藤さんの妹を出産したばかりで、ショックでうつ状態に陥った。 母と祖父母で子ども 4 人の面倒を見るのは不可能だったため、 親戚に佐藤さんと兄、妹は祖母の家、生まれたばかりの妹は児童福祉施設に入所するなど、離散せざるを得なくなったという。
その約 2 年後には同居できるようになったが、 家計は母一人が支える状態 。
母は毎日のように働いたが 非正規雇用のため、月の手取り収入は 13 万円程度。 その生活は過酷を極めたという。
「とにかく お金がなくて。電気が止まってろうそくで生活した時期も ありましたし、冷蔵庫に調味料しかないので、食事は白ご飯にウスターソースとマヨネーズを混ぜて食べていました。後で吐いてしまったり…。子どもができても、あのような思いはさせたくないですね」
そんな貧困の影響を深刻に感じたのが、学生時代。
流行したカードゲームなどの話にはついていけない。遠方への遊びに誘われても親にお金がいると言い出せなかったため、当日はそのたびに「寝坊した」と嘘をついてごまかしたという。
さらに、影響は学業面にも。佐藤さんは宇宙飛行士になる夢があったが、その試験を受けるには大卒資格が必要となる。しかし 経済的な余裕がないことから、高校時代には授業料免除となる成績を残さなければいけないという重圧 を感じていたという。
「 (経済的な理由で浪人して学費を貯めた)兄 を見ていたので、合格して大学進学できたとしても、上位の成績が出て授業料免除にならなければ…みたいな。焦燥感というか、条件付きで考えてしまうことがありました」
佐藤さんは大学の入学試験に合格したが、その年は結局、学費を払うことができない見通しとなって入学を断念。その翌年もお金が足りず、再度浪人するなど苦労して進学した。
コロナ禍も重なり大学を除籍処分に
しかし、ここでも貧困に悩まされる。大学進学後も家計の余裕のなさは変わらず。 家にお金をいれなければならない状況だったため、月に 120 ~ 140 時間ものアルバイトに追われた。 1 年次には学生トップクラスだった成績も下がっていったという。
周囲との環境の差に限界を感じて、 3 年次には 1 人暮らしを始めたが、ここから予定は大きく狂ってしまう。 個人的な貯金を家族に使われたことで留学の予定が頓挫し、それによる精神的な負担や学費面から休学したが、その後に除籍処分を受けてしまったという。
「休学の延長願を届ける必要がありましたが、コロナで入構禁止に。携帯電話も壊れていたため大学とやり取りすることも叶わず、除籍処分となりました。インターンを 4 年生の 4 月から始める予定でしたが、コロナで中止にもなりました。収入源に考えていたので、急に失業状態に陥った気持ちで、家賃をどうしようかと毎日考えていました。それもあって休学について考える余裕もなく、後回しにしていたところ、除籍通知が届きました」
子どもは貧困であることを「話せない」
せめてもの救いは、再入学で除籍の年次からやり直せること。現在は契約社員として働きつつ、再入学して大学を卒業することを目標としている。
そんな佐藤さんは、 子どもの貧困が見えにくいのは、周囲への言い出しにくさが影響している と指摘する。
「子どもの貧困は公に『自分の家はこうなんだ』と話すことができません。僕もずっと隠してきました。話せないというか、話したくないというか。何かを話して『この人みじめな人間なんだ』みたいなレッテルを貼られるのが嫌なんです。認知が進まない、見えにくいのはそんなところもあるのではないでしょうか」
そして人々には、 誰もが貧困に陥る可能性があること も伝えたいという。
「子どもの貧困は精神的・肉体的に厳しいものがあります。いまは自助の認識が強いですが、身近な見守りや地域的つながり、行政の声などで、公助につなげる環境づくりをしてほしいです。僕の場合は 普通の家庭が一つの病気で変わりました。自分も病気で倒れ、家族に同じような生活をさせてしまうかもしれない 。そんな気持ちで一度考えていただければと思います」
存在の認知から始めてほしい
(あすのば)の担当者は、 子どもが貧困を打ち明けるのは「自分の状態を認識する」認知と「それを言語化する」表現が必要で、 10 代 20 代の若者には難しいことだという。周囲には、そうした子どもたちがいることと、貧困の原因が単純化できないことも理解してほしいという。
「貧困は、ぽんと出てきたわけではなく、連綿と続く歴史や背景の中で生まれている事象です。単純化して語れませんし、すぐには解決もしません。子どもたちへの直接的な支援は必ず必要ですが、構造的なアプローチも大事だと思います」
支援側として感じることは 「関わる人」の少なさ。貧困を抱える家庭はたとえ経済状態を何とかできたとしても、生活面で頼れる存在がいないという。
「生活困窮者の相談支援窓口ですら委託で、社会福祉法人や NPO 法人でも来年度には担当者がいなくなる可能性もあります。地域に根差した人がいないので信頼関係を結ぶのも難しいですし、(家庭側も)いきなり来られて制度を使いなよ、などと言われるのもつらいものです。地域の助け合いも消えているので、行政だけ、民間だけではなく、総力戦で当たる必要があると思います」
プライムオンライン編集部
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