サヨナライツカ 人生は、一度切り! 2024-8-26 はんぺん
涙活用に 「サヨナライツカ」(辻仁成 世界文化社 ) を読んでみた。
サヨナライツカ(ウイキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A8%E3%83%8A%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%84%E3%82%AB
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サヨナライツカ
いつも人はサヨナラを用意して生きなければならない
孤独はもっとも裏切ることのない友人の一人だと思うほうがよい
愛に怯える前に、傘を買っておく必要がある
どんなに愛されても幸福を信じてはならない
どんなに愛しても決して愛しすぎてはならない
愛なんか季節のようなもの
ただ巡って人生を彩り あきさせないだけのもの
愛なんて口にした瞬間、消えてしまう氷のカケラ
サヨナライツカ
永遠の幸福なんてないように
永遠の不幸もない
いつかサヨナラがやってきて、いつかコンニチワがやってくる
人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと
愛したことを思い出すヒトとにわかれる
私はきっと愛したことを思い出す
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( 人間不信 )( 人間嫌い ) の僕の事だから、きっと同じで・・・臨終の間際には「きっと愛したことを思い出す」ことになる。
( 愛された ) という経験は、全く無い・・・僕は、片思いのベテランだった。
いつも、異性に対する関心は、おそらく、他人の倍以上・・・・そして、いつも声かけられず、片思いばかリ・・・の人生だった。
これまで、異性と手をつないで歩く・・・という経験は、思いつく限りは無いと思う。まあ性的には成熟しているにも拘わらず、自意識に捕らわれてばかりの片思いのスーパーマン・・・ぼくのような小心な男は、多かったと思う。
昔も今も・・・男には ( 女にも? ) 2種類のタイプがあると思う。
一つは、享楽型というか、世間擦れした、遊び人タイプ。
もう一つは、僕のような、世間に疎く、流行からは常に外れてきた、我、関せず・・・のタイプだ。
どちらが良いとか言うのではないが、どちらが損か得か・・・という判断は出来るだろう。
恋愛などは、僕的には、はるかに遠い存在でしか無かった。
これは、僕の生きた環境が大きかったと思う。
受験勉強や その最中の全集の乱読、いきなりの価値観の大転換・・・その中で、性的な爛熟はあったが、 ( 世間擦れ ) する余裕は無かった・・・それが、僕の人生。
( 愛された ) という経験は無かった・・・と言ったが、それは、人間にとっては、悲しい事であるかもしれない・・・が、 ( 片思い ) で ( 愛したこと ) は、山ほどある。
そして、その不足分、やりたいことを そこそこに やってこれたことで、多少の満足感もある。
100%の人生などは、ありえないから・・・このあたりで手を打っても良いかも。
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