臭いものに蓋をするな! 中国共産党の蛮行に、リベラル派は本気で抗議せよ! 見て見ぬ振りの二枚舌を国民は見逃さない! 2024-10-6 はんぺん
日本のリベラルは、欧米の資本主義国家やその指導者に対しては、非難することが多いが、社会主義国家による蛮行には、いつも、いつも、大きな声を挙げてこなかった・・・
彼らは、 (社会主義)(共産主義)の洗脳 から、解放されることが無く、今に至っているわけだが、そのことで、国民の多くの信頼を失ってしまった!!
(社会主義は、善!) という(刷り込み)は、彼らの人生を (無駄死に化) してきたのだ・・・
これを見て、気の毒だという思いは、正しくない・・・彼らは、間違った情報を発信し、多くの民衆を間違った方向に向かわせてきた・・・その (罪) を忘れてはならない!!
学生運動についてのブログの中で、 (青2才が、青2才を洗脳した) と書いたが、まったく同じことが、ここでもあては丸野だから・・・
そ う(青2才もどきのリベラルたちが、間違った情報で、国民を洗脳しつづけている) のだから・・・
しかし国民は、いつまでも(青2才)では無い・・・(社会主義・共産主義の現実)を見て、学習してきたから・・・いつまでも、彼らに騙され続けることは、無い・・・どうだろうか?
「部隊はデモ参加者や見物人に向かって 銃を乱射 、さらに、動けなくなった市民を 装甲車で轢き殺し ました。北京市内を制圧した後も、軍は独断で人びとを 銃殺 しました。」(本文)
「同年 6 月末に中国政府が発表した公式報告書によると、 3000 人以上の市民が負傷し、 36 人の学生を含む 200 人以上が死亡しました。 アムネスティ は、 さらに多くの人が殺害され、中国全土で数万人が逮捕されたと推測しています が、中国当局は真相解明を拒み続けているため、詳細はわかっていません。」(本文)
「中国政府は、今もなお、 事件に関する公開討論を禁じており 、今なお、 雑誌、新聞、教科書、インターネット・サイトから、事件に関する記述を消しつづけて います。」(本文)
共産党の習近平指導部は、国民の不満を抑え込みながら、独裁体制を国内外に、その触手を拡げてきた。中国周辺の諸国は、戦々恐々! と言ったところだ。
ベトナム・インドネシア・フィリピン・台湾、そして日本が、結束して、この独裁国家による蛮行を 未然に阻止しなければ、東南アジア・極東だけでなく、地球の未来に、ますます暗雲が立ちこめてくるだろう。
皆さんは、どう思われるか? はんぺん
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中国の人権 - 天安門事件から 35 年 真相解明を求める人びとに弾圧が続く アムネスティ
35 年前の 1989 年 6 月 3 日の夜、 天安門広場に集まった民主化を求めるデモ隊を排除するため、重装備の部隊と数百の装甲車が北京市内に入りました。
部隊はデモ参加者や見物人に向かって銃を乱射、さらに、動けなくなった市民を装甲車で轢き殺しました。北京市内を制圧した後も、軍は独断で人びとを銃殺しました。
同年 6 月末に中国政府が発表した公式報告書によると、 3000 人以上の市民が負傷し、 36 人の学生を含む 200 人以上が死亡しました。 アムネスティ は、 さらに多くの人が殺害され、中国全土で数万人が逮捕されたと推測しています が、中国当局は真相解明を拒み続けているため、詳細はわかっていません 。
事件の真相解明を求める声は今でも続いていますが、そのような声を上げる人びとを中国当局は弾圧の対象とし、今も厳しく取り締まり続けています。
1989 年 天安門で何が起こったのか?
1989 年 4 月 15 日、中国共産党の胡耀邦元総書記(こようほう)が心筋梗塞で亡くなり、翌 16 日、胡氏を追悼するために北京市内の学生たちが天安門広場に集まりました。 胡氏は、言論の自由を含む、中国の政治・経済の改革派として知られていた からです。
胡氏の追悼集会はまもなく、中国の民主化を求める動きとなって拡大していきました。公務員の汚職を非難し、政治・経済の改革を求める学生たちは一般市民にも広く支持され、 天安門広場には 10 万人を超す人びとが集結し、地方都市に広がっていきました。政府とデモに参加する市民との緊張は高まり、 5 月 20 日、戒厳令が発令 されました。
34 年前、 1989 年 6 月 3 日の夜、天安門広場に集まった民主化を求めるデモ隊を排除するため、重装備の部隊と数百の装甲車が北京市内に入りました。部隊はデモ参加者や見物人に向かって銃を乱射、さらに、動けなくなった市民を装甲車で轢き殺しました。北京市内を制圧した後も、軍は独断で人びとを銃殺しました。
同年 6 月末に中国政府が発表した公式報告書によると、 3000 人以上の市民が負傷し、 36 人の学生を含む 200 人以上が死亡しました。アムネスティは、さらに多くの人が殺害され、中国全土で数万人が逮捕されたと推測していますが、中国当局は真相解明を拒み続けているため、詳細はわかっていません。
拘束された市民の多くは警察や軍によって 拷問 を受けました。その中には、刑務所に送られた後も拷問され続け、 身体と精神に長期の後遺症 が残った人もいました。また、 デモに加わったとして死刑判決を受け数日のうちに処刑された人 もいます。多数の市民が不公正な裁判によって、 長期の懲役刑 を言い渡されました。
天安門の母たち~闘い続ける勇気ある人びと~
「天安門の母たち」 は、元人民大学教授の丁子霖さんが創設した、 1989 年の天安門事件で、我が子や愛する人を失った遺族のグループです。
丁子霖さんを中心に、メンバーは天安門事件の犠牲者遺族を一軒一軒訪ねるなどして、事件で殺害された 180 人以上と負傷した 70 人以上の名簿を作成 しました。そして当局に対し、合法的な人権擁護活動を認めるよう訴えつづけてきましたが、その結果、嫌がらせや差別、恣意的拘禁に遭ってきました。
中国政府は、今もなお、事件に関する公開討論を禁じており、今なお、雑誌、新聞、教科書、インターネット・サイトから、事件に関する記述を消しつづけています。
遺族にとって厳しい状況が続く中、 2012 年 5 月末、悲しい事件が起こりました。 メンバ-の一人、軋偉林さんが自宅下の車庫で首を吊って自殺 したのです。
死の直前、息子の死について書かれたメモを家族が見つけました。軋偉林さんは、政府が抗議の声を聞くことを拒絶したことに対し、死をもって抗議するとメモに記していました。
天安門事件の夜、当時 22 歳だった息子を銃殺されました。 20 年以上、軋偉林さんと妻の張振霞さんは、政府が 1989 年の犠牲者と遺族に対し償いを求める署名をし、抗議活動に参加していました。
アムネスティ はこれからも 「天安門の母たち」 や 他の人権擁護活動家たち を支持し、天安門事件に関して、 「非暴力の活動をして捕らわれた人たちの釈放」「徹底かつ独立した公正な調査」「加害者への法的処罰」「犠牲者やその家族への賠償」 を要求していきます。
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