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前回に続いて、2002年8月に訪れた中国・東チベットのアルバムです。寿霊寺の拝観を終えたあと、標高3000m以上の山道を通って、甘孜(力ンゼ)、徳格(デルゲ)方面に向かいました。標高3000mというと日本では南アルプスの尾根筋の景色が想像されますが、このあたりでは木が生えていたり畑があったりで、とてもそのような高地にいるとは思えませんでした。それほど珍しい風景はありませんが、こういう景色を何時間も眺めるのも楽しみではあります。【マップ再掲】【車窓からの眺め】
2024.07.31
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前回に続いて、2002年8月に訪れた中国・東チベットのアルバムです。昨日に続いて、寿霊寺周辺で見かけた野生の花の写真です。2002年の旅行を皮切りに、チベットには、西チベットや青蔵公路・チョモランマBCなど各所を訪れましたが、花が豊富という点では東チベットが一番でした。そのかわり雨は多いですが...。
2024.07.30
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前回に続いて、2002年8月に訪れた中国・東チベットのアルバムです。炉雀の寿霊寺(ダンゴ・ゴンパ)の境内ではさまざまな園芸植物が育てられていました。僧達の趣味になっているのかもしれません。興味深いのは、育てている品種が日本でもありがちな園芸植物ばかりだったということです。境内にはこの土地に自然に生えている野生の花も見られました。旅行者の私にはそちらの花のほうが魅力的に見えました。【ダリアなどの園芸植物の花】【野生の花】(エーデルワイスの仲間?)
2024.07.29
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前回に続いて、2002年8月に訪れた中国・東チベットのアルバムです。炉雀(ダンゴ)にある寿霊寺(ダンゴ・ゴンパ、ゲルク派。標高3230m)は山の斜面一帯の広大な敷地に立てられていました。このお寺で印象に残っているのは、恐怖の地獄絵と、境内の各所に咲いていた高山植物の花でした。【4WDで到着】【恐怖の地獄絵】【窓枠と格子】【窓からの眺めは雄大だが、室内の壁はホラーの館】【敷地内からの見晴らし】
2024.07.28
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前回に続いて2002年8月に訪れた中国・東チベットのアルバムです。炉霍(ダンゴ)のホテルに1泊し、翌朝はまず寿霊寺(ダンゴ・ゴンパ、ゲルク派)を拝観しました。炉雀はこのあたりでは比較的大きな町で、目抜き通りには洋風の街灯が並んでいました。【麺類中心の食堂】(メニュー表の単位が興味深い。当時のレートは1元=14.8円)【寿霊寺に向かう】
2024.07.27
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前回に続いて2002年8月に訪れた中国・東チベットのアルバムです。今回は、途中で利用したトイレ、炉霍のホテル(康北賓館)の客室の写真です。チベットのトイレは評判が悪いことで知られていますが、この写真にあるのはマシなほうでした。といっても公共トイレはドアの無いニイハオ・トイレばかりでした。夕食は四川料理ふう。【雲雀寺と付近の山並み】【政府関係施設のトイレ】【夕食】【康北賓館。シャワーと、穴だけのトイレ(水洗)。ベッド】
2024.07.26
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前回に続いて2002年8月に訪れた中国・東チベットのアルバムです。康定から炉霍 (ダンゴ、標高3230m)に向かう日の午後、道孚の雲雀寺(ニンツォ・ゴンパ、ゲルク派)を拝観しました。ここには砂曼荼羅や金箔のお釈迦様がありました。こぢんまりとしたお寺で、本場のバター茶を振る舞ってもらいました。お茶というよりはコーンポタージュのような味でした。【雲雀寺】(砂曼荼羅)(金箔のお釈迦様)【初めてバター茶をいただく】【撮影会。2002年当時はこのあたりではデジカメ写真は珍しかったようだ】
2024.07.25
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前回に続いて2002年8月に訪れた中国・東チベットのアルバムです。塔公寺の拝観を終えたあとは、八美(標高3300m)にあるチベット人経営の食堂で昼食をとりました。食事の前後に家の中を見せてもらいましたが、都会に住む日本人の家よりはよっぽど豪華に見えました。【中庭。ヒナゲシやコスモスいっぱい】【客間】【昼食メニュー。キノコ料理もあり】【標高3000m以上の山道を進む】
2024.07.24
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前回に続いて2002年8月に訪れた中国・東チベットのアルバムです。塔公寺(ハルゴン・ゴンパ、サキャ派、標高3700m)の内部を拝観した後、ゴンパの周りを歩きました。このお寺は、チョルテンが並び、背後の山にはタルチョがはためき、スピリチュアルな雰囲気にあふれていました。また、このあたりからは海子山(5820m)を仰ぎ見ることができました。あいにく雲がかかっていて山頂部分を眺めることはできませんでした。ネットで検索したところこちらに綺麗な写真がありました。なおリンク先では、塔公寺は所在地の地名をとって『ラガンゴンパ』と呼ばれていました。【海子山。山頂は見えず。】
2024.07.23
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前回に続いて、2002年8月に訪れた中国・東チベットのアルバムです。このツアーとして最初に訪れた『塔公寺(ハルゴン・ゴンパ)』(サキャ派、標高3700m)の内部にはいろいろな仏像や壁画がありました。中でもカルチャーショックを受けたのは、ヤブユム(歓喜仏、男女合体尊)でした。ウィキペディアによれば、ヤブユム(チベット語: Yab-yum、逐語的には「父上-母上」)は、インド、ブータン、ネパール、チベットの仏教美術においてよく見られる、男性尊格が配偶者と性的に結合した状を描いたシンボルである。男女両尊、父母仏、男女合体尊]。歓喜仏とも呼ばれているが、名称や像容の似る歓喜天(聖天)としばしば混同される。男性尊格が蓮華座にて座し、伴侶がその腿に腰かける座位の構図が一般的である。この交合の表現をもって空性の智慧(女性原理、自利)と慈悲の方便(男性原理、利他)との一致を体現した仏陀の境地=大楽を表している。とのことです。
2024.07.22
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昨日に続いて、2002年に訪れた中国・東チベットのアルバムです。折多山峠(4298m)付近の花を観賞した後は、このツアーで初めてとなる、ヤクの放牧風景に出会いました。さらに、これまたこのツアーでは初めてとなるゴンパを拝観しました。名前は『塔公寺(ハルゴン・ゴンパ)』。サキャ派、標高3700mにあります。【ヤクの放牧】(乳搾り)【塔公寺(ハルゴン・ゴンパ)。サキャ派】(タルチョ、はためく)
2024.07.21
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昨日に続いて、康定(カンディン)から炉霍(ダンゴ)に向かう途中、折多山峠(4298m)を越えた時に見かけた花のアルバムです。(昨日も掲載した『天藍竜胆』の花(Gentiana caelestis)
2024.07.20
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昨日に続いて、2002年に訪れた中国・東チベットのアルバムです。康定(カンディン、標高2480m)から次の宿泊地の炉霍(ダンゴ、標高3230m)に向かう途中、この旅行として初めて4000m以上の折多山峠(4298m)を越えました。中でも目を引いたのは『天藍竜胆(竜胆はリンドウのこと)』(Gentiana caelestis)の青い花でした。【マップ再掲】【山道を進む】【峠の花園】
2024.07.19
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昨日に続いて2002年8月に訪れた中国・東チベットのアルバムです。成都を出発し、工事中のために何時間も待たされたりしながら夜遅くに康定に到着しました。ここが東チベットの最初の宿泊地となりました。標高は2480m。【マップ再掲】【宿泊所の客室からの眺め】【朝食は、おかゆ、饅頭、ゆで玉子など】【宿泊所周辺の風景】(タチアオイ)
2024.07.18
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前回に続いて、2002年8月に訪れた中国・東チベットのアルバムです。成都からはしばらく走ると山岳地帯に入りました。二郎山トンネル(全長4176m)を抜け、暗くなってから康定(カンディン、標高2480m)に到着しました。このツアーではほぼ最南になります。【マップ再掲】【途中の村】(カラスアゲハの仲間)【山岳地帯を進む】(工事の開通待ちで下車したところにあったお店。中央奥にあるのはマージャン台)【二郎山トンネル】
2024.07.17
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7月15日の岡山は朝の最低気温が23.8℃、日中の最高気温は27.9℃の梅雨空でした。15時前に強い雷雲が通過し、短時間ながら9.5mmの降水量を記録しました。この時期に開花しているのが「レインリリー」と呼ばれるハブランサスの仲間です。文学部中庭花壇では60輪以上が一斉に開花、またベランダでも2輪が開花しました。これらの球根は以前、種苗会社の「おまかせ球根セット」に含まれていたもので、文学部中庭花壇の花はベランダでは多すぎて育てられなくなった球根を寄付したものでした。『ハブランサス・ジャンボ』という品種だと思っているのですが、同じセットに含まれていた『ハブランサス・ピンクチェリー』にも似た特徴があり、なんだか分からなくなってきました。いずれにせよ、購入時は20球だったので3倍に繁殖しています。【購入時の説明書】【文学部中庭花壇のハブランサス。60輪以上が一斉に開花】【自宅ベランダのハブランサス】
2024.07.16
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前回に続いて、2002年8月に訪れた中国・東チベットのアルバムです。二郎山トンネルを抜けたあと、現地時刻で21時頃までは遠くの山々が見えていました。この地域はモンスーンの影響で雨がよく降っていましたが、この日は日没後に晴れてきました。地図や方角からみて、ミニヤコンカに連なる山々ではないかと推定されます(形は似ていますが主峰ではなさそう)。(参考:2005年1月、ラサから成都に戻る途中、機上から見えていたミニヤコンカ)
2024.07.15
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7月13日の岡山の最高気温は29.3℃で真夏日には至りませんでしたが、梅雨空で蒸し暑く、エアコンを必要としました。写真は午前中に訪れた岡大構内のアルバムです。文学部中庭花壇ではパイナップル百合(ユーコミス)5株が花茎を伸ばしていました。雑草にまみれているもののまだまだ健在です。これらはいずれも2001年の株の生き残りで、学部学生より年長となっています。【パイナップル百合】【ハナトラノオ(白花)】【キンミズヒキ。近くのソメイヨシノの根元にも自生していたが、いまは中庭花壇のみ】【ハブランサスの蕾いっぱい】【文学部西出入口付近のエキナセア・パープレア(ムラサキバレンギク)とルドベキア。ミントも繁殖しており、3者の勢力が拮抗している模様。但し梅雨明けには刈り取られる見込み】
2024.07.14
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7月12日の岡山は、午前中は曇りで22℃~26℃前後、午後には晴れ間が出たため最高気温は30.2℃。それでもエアコンなしで過ごすことができました。写真は半田山植物園で開花しているヒオウギ、キツネノカミソリ、ヘメロカリスと、ウォーキングコース沿いで見かけたヘクソカズラとママコノシリヌグイの花です。ヒオウギは背が低いことから栽培種の『ダルマヒオウギ』ではないかと思われます。ママコノシリヌグイは、トゲがあり迷惑な雑草ですが、小学校5年の頃、帰省先の浅川(高尾)で採集し、夏休みの宿題の標本として提出した記憶があります。私にとってはこれが植物標本の1号でした。(もっとも図鑑に書いてあるから標本にしただけであって、何のために標本を作るのかは理解していませんでした。)【ヒオウギ(おそらくダルマヒオウギ)】【キツネノカミソリ】【ヘメロカリス、いっぱい】【ヘクソカズラ】【ママコノシリヌグイ】
2024.07.13
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7月11日の岡山は完全な梅雨空で、最高気温は28.2℃で真夏日には至らず。前夜から朝7時頃までは雨が降り、24時間積算降水量は61.5ミリとなりましたが、その後は曇り空となり、半田山植物園まで傘無しでウォーキングに出かけることができました。【タキユリ】(ミラーモードで撮影)【蓮の葉にとまるチョウトンボ2匹】【ブラシノキ】(逆光補正)【苔の大平原】【ヒマワリ・フロリスタン】
2024.07.12
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7月10日の岡山は梅雨空が戻り、最高気温は30.6℃どまりとなりました。今年から炎天下での「暑熱馴化の修行」を取り止め、猛暑日のウォーキングを自粛しており、半田山植物園は久しぶりになりました。園内ではヤマユリ、アメリカフヨウ、ハマボウが開花。タキユリ、サクユリ、ムクゲが花盛りとなっていました。【ヤマユリ、1輪のみ開花】【タキユリ、花盛り】【サクユリ】【アメリカフヨウ】【ハマボウ】(参考:アラビア海の砂浜で見かけたオオハマボウ)【ムクゲ】
2024.07.11
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前回に続いて、2002年8月に訪れた中国・東チベットのアルバムです。午前中に成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地を見学した後、昼食をとってからいよいよ4WD(トヨタのランクル)に分乗して東チベットに向かいました。出発が午後になったのは、道路工事のため18時以降にならないと通れない場所があるためと聞きました。2002年の頃はちょうど幹線道路や高速道路が建設されている最中であり、工事による時間規制はその先も何度もありました。【パンダ繁殖研究基地の蓮池】(ランタナの花に止まる蝶)【街中のお店】【石象湖のサービスエリア】【トイレ休憩した雅安(たぶん)で見かけた貼り紙広告。求人と結婚紹介?】【いよいよ山岳地帯へ】
2024.07.10
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前回に続いて2002年8月に訪れたチベット東部のアルバムです。成都に宿泊し、翌日の午前中は『成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地』を見学しました。日本ではパンダの飼育というとかなりお金をかけて立派な施設であるように思われますが、こちらの施設は簡素にできていました。20元(当時のレートで3000円程度)でパンダを抱っこして写真を撮ることもできましたが、こちらに書いたような理由で私は申し込みませんでした。【入口のパンダ像。今でもあるようだ】【屋外の飼育風景】【屋内の施設】【パンダを抱っこして写真を撮っているところ。パンダが嫌がりだしてすぐに終了】
2024.07.09
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前回に続いて2002年8月に訪れた中国・東チベットのアルバムです。当時の成都は近代的な高層ビルと古い家屋が混在していましたが、旅行者としては古い街並みのほうが好みでした。(日傘をさした自転車。日本では全く見かけない)(自転車いっぱい)
2024.07.08
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7月6日の岡山は、最低気温が25.9℃の熱帯夜、最高気温は35.6℃の猛暑日で、午後のウォーキングが危険な暑さになりました。写真は午前中に訪れた岡大構内・文学部周辺のアルバムです。【文学部西出入口付近のルドベキア。奧のほうにエキナセア・パープレアも】【文学部南西角のハクチョウソウ(ガウラ)】【文学部中庭】(ハブランサス・ジャンボ)(八重のオニユリ)(タチアオイ)【文法経グラウンド隅のハルシャギク】
2024.07.07
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昨日に続いて、2002年8月に訪れた中国・東チベットのアルバムです。上海で1泊したあと、まずは陸路の起点となる成都に向かいました。当時の成都は古い家屋を壊して高層ビル等に建て替える真っ最中で、各所でガレキの山を見かけました。成都は2005年1月にも訪れたことがありましたが、わずか数年後のことながらすっかり近代都市に様変わりしていました。旅行者としては古い街並みのほうが風情があったよろしいのですが。(仏具店に立ち寄る。ラサなどで売られている仏具の大半は成都で作られているらしい【2002年当時の話】)
2024.07.06
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パキスタン南西地域のアルバムの連載がようやく終了しましたので、今回から2002年8月に訪れた、中国・東チベットのアルバムの連載を始めたいと思います。写真の大部分は、こちらに掲載済ですが、当時携行したデジカメは、640×480が標準の低画質になっていました。今回は、高精細化アプリにより960×720に拡大しています。【コースマップ。赤数字は日付。「4」は8月4日の意味】【上海のホテルに到着。客室の窓から外を眺める】(高速道路の下では昔ながらの暮らし。手前の赤ちゃん連れの夫婦が気になる)(参考:1981年の上海)【翌朝の風景】【上海の空港に向かう】【成都に向かう機上から大河が見えた。たぶん長江】
2024.07.05
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7月3日の岡山は最高気温が35.1℃まで上がり、今年最初の猛暑日となりました。19時になってもまだ32.0℃、20時になっても31.0℃で、さらに翌朝の最低気温は25.2℃の熱帯夜となり、ほぼ真夏の暑さです。写真は午前中の涼しいうちに訪れた半田山植物園のアルバムです。園内ではオオシロカラカサタケ、ムラサキチドメ、オニフスベに続いて3種のキノコが出現していました。【キノコ3種】(シバフタケと思われます。よく見ると菌輪が確認できる)(Googleの画像検索によれば『ハナオチバタケ』)(未確認)【キダチチョウセンアサガオ。蕾の時は淡黄色、開花すると淡紅色と変化。なおコダチチョウセンアサガオは、白または黄色で色は変わらない】【青紫色のブッドレア】(参考:6月25日掲載の白のブッドレア)【ムラサキシキブの花びらと思われます】【ネコノチチ】【タキユリ】
2024.07.04
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昨日に続いて2023年11月に訪れたパキスタン南西地域のアルバムです。今回で最終回。解体工場を見学した後、カラチ郊外から中心部の大渋滞をくぐり抜けて高級レストランで夕食をとり、そのまま深夜便でバンコク経由で帰国しました。【カラチのレストラン】(入口には銃を構えたガードマンがいた)(夜のアラビア海)(月と木星の接近)【カラチの空港】(1979年に乗り継ぎで利用した時には、往路は深夜に到着したのに昼まで荷物が出てこなかったり、帰路は早朝発なのにエンジン故障で夕方まで待たされたりと酷い目にあったが、今回は順調)(ゲート番号はアラビア語の数字と併記されていた。)【夜明け前のバンコク上空。カラチ・バンコク間は空席が多く、3人分の座席で寝ることができた】
2024.07.03
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7月1日の岡山は午前中はずっと雨でしたが、12時から15時頃は降り止みました。さっそく半田山植物園へウォーキング。園内では各種ヒマワリと百合の花が開花していました。なお、タキユリは正面石段脇でたくさん育てられていますが、昨年まで植えっぱなしになっていた芝生広場の花壇内の園芸種は今年は姿を消していました。サクユリは昨年並み、ヤマユリは雑草に埋もれていました。【各種ヒマワリ。なお、『サンリッチ』という名前はタキイで開発した品種名のようです】(ホワイトライト)(サンリッチ・マロン)(サンリッチ・バレンシア)【タキユリ】【サクユリ】(参考:昨年まで咲いていたオリエンタル系の百合各種。2017年撮影。今年は姿を消した。)【ベランダのグロリオサ(キツネ百合)。旧分類ではユリ科。現在はイヌサフラン科】
2024.07.02
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昨日に続いて2023年11月に訪れたパキスタン南西地域のアルバムです。バロチスタンからカラチに戻る途中、ガダニ廃船解体工場を見学しました。現在、船の解体はインド、バングラデシュ、そしてこのパキスタンのガダニで世界の80%近くを占めているとのことです。解体する船の40%以上はEUからの船ですが、EUの厳しい環境基準を満たせないため、いったん船籍をリベリアやパナマに変更してからここに持ち込んでいるとのことです。従業員は貧しい地方からの出身者が多く労働条件は劣悪のようです。といって環境条件を厳しくしたり賃金を上げたりすると受注が減り労働者たちが失業してしまう恐れもあります。なお、この工場では大型クルーズ船の解体の様子が見られる機会もあるとのことでしたが、訪れた時はすでに分解された後で、人類滅亡後の廃墟を連想させるような雰囲気はありませんでした。【工場に到着】【解体現場】(アラビア湾が見える)
2024.07.01
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