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今日ネットのニュースでiPodをやめるということが報道されていた。まあ、これは誰にでもわかる結末だ。日頃、アップルにはサプライズを期待していたのだが、予想通りの結末になってしまった。私のiPodは第二世代のもので、いまでも使っている。厚いのが難点だが、その他は、検索ができないところや、ジャケ写のサムネイルの表示がないことぐらいしか不満はない。Podの機能はiPhoneに全て盛り込まれているので、iPhoneが出た時点でこうなることは時間の問題だったのかもしれない。ただ、その時期が予想より速かっただけなのかもしれない。iPodが発売されたのは、2001年10月なので、13年が立っている。携帯プレーヤーだけだったら、当時それほど大したことではことはなかったと思う。それが、iTunesを通じて音楽を管理し、ネットから音楽をダウンロードできるという革新的なコンセプトが世の中に衝撃を与えた。もちろん、iPodのシンプルで使いやすいユーザーインターフェースも、革新的であったことは確かだ。今の時点で、止めるのは懸命な決定かもしれないが、次のものは考えているのだろうか。ソニーはウォークマンをハイレゾ化して、マニアの人気を集めている。アップルにはそのような技術はないと思うし、そのような道に進むとも思えない。それにしても、ジョブズの死後、じわじわと衰退してきているように思う。アップルは大丈夫なのだろうか?
2014年01月31日
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昨年前半にリリースされたが、値段が下がるのを待って入手したアルバム。2011年の「Common Ground」からほぼ2年ぶりの新作。前作はリーダーよりジュリアン・レイジのギターが目立っていたが、今回はさらにアントニオ・サンチェスのドラムスまでもが目立っている。イントロがドラムスから始まる曲が多く、トニー・ウイリアムズのリーダー・アルバムを思い出してしまった。今回は前作以上にパワフルでアグレッシブな演奏が多い。また、粘っこく腰が強い。前回も感じたのだが、曲によってはギターの音が安っぽく聞こえ、だいぶ損をしている。曲はメンバーのオリジナルが多い。ギターのレイジが3曲、ドラムスのサンチェスとバートンが2曲づつ、それにコーリーが1曲、あとはルグランとフレッド・ハーシュが1曲づつである。作品にはメンバーの個性の違いはそう聴きとれないので、同一人物の作曲だと言っても違和感がない。何よりも、どの曲も粒よりで駄作は一つもない。アグレッシブな曲が多い中で、「Remembering Tango」という曲が異色だ。ピアソラの「リベルタンゴ」に似たメロディーで、ベース・フィギュアが何ともけだるいムードを醸し出している。バートンのバラード「Jane Fonda Called Again」もメロディーが優しく爽やかだが、サンチェスのあおりによって熱い演奏が繰り広げられる。この雰囲気は悪くない。また、1曲だけミッシェル・ルグランの音楽が入っているが、これはどういうことだったんだろうか。ブックレットを読んでいないのでわからないが、ちょっと違和感がある。レイジの「Helena」はスパニッシュ・テイストあふれる佳曲で、聴いていると体が自然に動いてくる。バートン、レイジともいいが、特にレイジのソロが泣かせる。最後のサンチェスの「Monk Fish」はその名の通り、モンク・ライクなぎくしゃくしたバップ風のメロディーとハーモニーが結構笑える。スピーディーな進行は爽快感さえ味わえる。ところで、ジャケットはどこかの駅のホームに佇んでいるバートンの写真が使われている。何気なく見ていたのだが、だいぶ経ってから、いつもおなじみのちょび髭がないことに気が付いた。髭がないと一気に若返って、まるで別人だ。何か心境の変化があったのだろうか。The New Gary Burton Quartet:Guided Tour1.Caminos(Antonio Sanchez)2.TheLookOut(Julian Lage)3.Jane Fonda Called Again(Gary Burton)4.Jackalope(Fred Hersch)5.Once Upon A Summertime(Michel Legrand)6.Sunday's Uncle(Julian Lage)7.Remembering Tano(Gary Burton)8.Helena(Julian Lage)9.Legacy(Scott Colley)10.MonkFish(Antonio Sanchez)Gary Burton(vib)Julian Lage(g)Scott Colley(b)Antonio Sanchez(ds)Recorded at MSR Studios NewYork、NY
2014年01月30日
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今迄あえて聴いてこなかった辻井伸行。しばらく前から、ドビュッシーのピアノ曲集が気になっていた。レンタルビデオ屋さんで、このアルバムを見かけ、借りてきて、iPodで何回も聞いてきた。従来の演奏に聞けるような、曖昧模糊としたところはない。そうかといって、シャープなトーンで演奏されているわけでもない。一番耳に着くのは、暖かなサウンド。輪郭はシャープではないが、そのサウンドが何とも心地よい。また、どの曲でも実に適切で、気になるところも皆無。フレージングも自然で、作為的なところは全くない。しいて言えば、「パスピエ」のレガートが気になるくらいだ。こう書いて行くと、あまりにも真っ当な音楽なので、かえってつまらないと思われる嫌いがある。ところが、つまらない曲はなく、それぞれの曲の良さが、しみじみと伝わってくる。「月の光」など聞きての方がかえって構えてしまうが、有名曲だからと言って、奇をてらったアプローチをしているわけではない。どの曲も気を配った丁寧な演奏で、とても気持ち良く聞くことができる。中でもメロディックな「アラベスク第1番」や「夢」は私の感性にぴったりフィットしていて、とてもいい感じだ。もともとドビュッシーのピアノ曲は富田勲がデフォルトなので、そのテンポやフレージングにかなり似ているということも好感度が高い理由だ。テンポの早い曲は少ないが、「雨の庭」のリズム感の良さと、ダイナミックレンジの広い演奏が素晴らしく、時折出てくるどっしりとした低音もいい。ところで、AVEXのクラシックの演奏家の売り方が気に入らない。どういうアルバムでも、オムニバスみたいな曲が並んでいたり、以下にも売らんかなという姿勢の見えるプロモーションとか、ちょっと従来のクラシックの売り方とは異なっている。クラシックファンは演奏家中心で選ぶ場合もあるが、まず曲が先に来る。なので、オムニバスみたいなアルバムは、どちらかというと敬遠される。いろいろな演奏家で集めて、結果として曲が揃うというような集め方をする。今後、そういう選曲をしてもらえれば、もしかしたら買うことになるかもしれない。今回のアルバムは、そういう意味で物欲をそそる。月の光~辻井伸行 plays ドビュッシー(AVEX VCL-25794)1.2つのアラベスク 第1番 第2番3.ベルガマスク組曲 前奏曲 メヌエット 月の光 パスピエ7.版画 Pagodes グラナダの夕べ 雨の庭10.喜びの島11.夢辻井伸行(ピアノ)[録音] 2013年7月9日~11日 ベルリン、テルデックス・スタジオ
2014年01月28日
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最近美容院に行っているので、床屋みたいに顔の毛やまゆ毛うをそってもらえない。仕方がないので、まゆげはまゆげ用の剃刀で剃っている。ところがこれがなかなかうまくいかない。また、少し前から左のまゆげの一本の発育が異常に速くて、そのたびに切っていた。そういうもろもろの事を改善しようとして、まゆげ専用の電動かみそりを購入した。床屋や美容院で小さい剃刀が耳の中の産毛や襟足をそるのに使っていることを知っていたからだ。電池が必要で、しばらくほおっておいたが、一昨日電池を購入し、日曜日に使ってみた。これがなかなかいい感じだった。その後まゆ毛の長さも短く支度で、家にあったまゆ毛用のはさみを使おうとしたが、まるで切れない。ところが、電動かみそりの取説を読んでいたら、眉毛を短くすることができることを発見。アダプタをつけることで、出来るのだが、これがなかなか具合がいい。刃の当て方など、なかなか難しいが、眉毛の短い方から太い方に向かって剃っていけばいい。左右の眉毛の長さが違うなど、課題は多いが、なかなか面白い道具だと思う。まあ、女性の方は昔から知っていたと思うが、これまで美容に全く関心がなかった者としては、なかなか興味深い世界だ。ところで、アマゾンのレビューを見ると男性が多い。女性にとっては当たり前なことが、男性には新鮮に見えるのだと思う。次は耳の穴の毛を剃る耳毛カッターを買おうかと思っていたのだが、まゆげそりで代用できるようだ。それで、耳毛が伸びているか妻に確認してもらったが、大丈夫みたいだったので、とりあえずこれは買う必要がないみたいだ。また、鼻毛を剃る道具も売っているが、鼻毛が短い自分としでは、とりあえずは必要ないと思う。家でこの話をしていたら、必要な毛もあるんじゃない、と子供に突っ込みを入れられた。不要な毛などないと答えておいたが、自分で言っておいて、確認しなければと思ってしまった。それにしても、いろいろなことを考えるもんだとつくづく思う。もっとも、こういう製品が売れているということは、ニーズがあるということなのだが。。。。
2014年01月27日
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ネバダ大学ラスベガス校(UNLV)ウインド・オーケストラの2011年のアルバム普段めったに聞かれない曲が選曲されている。最初、ラテン特集かと思ったのだが、私の思い違いだった。どうもタイトルに影響されたみたいだ。タイトルの意味は、劇場などの出入口の上に突き出たひさしについている(呪術や魔力のある)お守りという意味のようだ。そこから連想されるのは劇場で上演される映画やオペラなどの音楽ということらしい。ジャケットに描かれている劇場の看板のようなものがそれだ。殆ど知らない音楽が多かったが、重厚な音楽が特に印象に残った。映画「風のライオン」(1973)のジェリー・ゴールドスミスの音楽がとてもダイミックでよかった。特にホルンの使い方がうまく、吹奏楽とは思えないような分厚いサウンドだった。クレジットを見ると、編曲はマイケル・デイビスでさすがだと思った。曲は、Main Theme、The True Symbol and Raisuli Attacks、I Rememberの3曲からなる。メインテーマの3小節のモチーフがたびたび出てきて、それが結構しつこいが、音楽としてははよくまとまっていて、なかなか聞きごたえがあった。サリバンのオペレッタ「ミカド」から組曲は音楽のレベルがあまり高くなく、日本風にしたいところが中華風になってしまっている。それに旋律が子供っぽくて、あまり聞きたくない音楽だ。それにしても、この曲は時々吹奏楽で聴かれるが、軽快なのはいいが、ノベルティー風の音楽で、どこがいいのかさっぱりわからない。駄作とは言い過ぎかもしれないが、理解に苦しむ。ブロートンの「シルバラード序曲」は1986年に公開された同名の映画の音楽。西部の街シルバラードに結集した4人のガンマンが、街を牛耳る悪徳ボスを倒すまでを描く西部劇。ジョン・ウイリアムズのように重厚な曲で、西部劇風のテイストもありなかなか楽しめる。最後のキングの「バーナム・アンド・ベイリー」はおなじみのサーカスの音楽。元々楽しい音楽なのだが、今回の演奏は色々な楽器が特別出演?していて、そのサービス精神にはあきれるほどだ。スライドホイッスル、サンバホイッスル、おもちゃのラッパ、そのほか楽器名は分からないが、とにかくたくさん出ていて、最後も見事な落ちを作っていた。ネルソンの「日の出のファンファーレ」はネルソンの住んでいるアスペンの日の出を描いたもの、短いながらもダイナミックな曲想、ネルソンらしいキラキラして、透明なサウンドが素晴らしい。バーンスタインの映画「波止場」(1954)の組曲は映画では使われなかった曲も使った作曲者による組曲。シリアスな音楽で、都会的で大変ダイナミックな音楽が繰り広げられる。デューカーのアレンジは吹奏楽のハンデが全く感じられない優れたもの。アンソニー・ラボウンティの「ただ主の十字架に」はスチュアート・タウネンドの聖歌による曲で、民謡風なメロディーが微温的に感じられるが、最後に大きなクライマックスが訪れる。MARQUEE MOJO:UNLV WIN ORCHESTRA(Klavir K 11185)1.Ron Nelson:Fanfare for the Hour of Sunrise2.Leonard Bernstein(arr. G. Duker):On the Waterfront: Symphonic Suite 3.Anthony LaBounty(arr.A.Labounty)How Deep the Father's Love for Us4.Jerry Goldsmith(arr. M. Davis)The Wind and the Lion 5.Arthyr Sullivan(arr. D.A. Irish):The Mikado Suite : l. Overture - If you want to know : ll. Willow tit-willow : lll. Here's a how-de-do! : iV. Three little maids from school9.Mozart(arr.T.Stewart)Die Zauberflote Overture10.Bruce Broughton(arr.J.D.Morsch):Silverado Overture 11.Karl King:Barnum and Bailey's FavoriteRecorded 2007(Silverad) and 2010 in The Artemus Ham Concert Hall,UNLV Campus,Las Vegas NV
2014年01月26日
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アル・ディ・メオラのビートルズ・トリビュート・アルバムを聴く。以前ピアソラのコンピレーションを聴いて、それ以来注目しているアル・ディ・メオラだったが、このアルバムがリリースされているとは迂闊にも知らなかった。ブックレットを読んでいると、彼のビートルズに対する熱狂的とでもいえる愛着が感じられる。そもそも、音楽的に最も影響を与えられたのがビートルズだったという。2012年5月にヨーロッパ・ツアーを行い、その時にビートルズゆかりのアビー・ロード・スタジオに行ったことが、このアルバムを作るきっかけになった。このアルバムはアル・ディ・メオラのアコースティック・ギターにヘルナン・ロメロの手拍子とchaca rhythmが付き合っている。「エリナー・リグビー」のみ弦が加わっている。最初聴いたときは、ディ・メオラの凄まじいテクニックばかりが印象に残って、あまりいいとは思わなかった。その後何度聞いても印象は同じだった。ところが、最近トレーニング中に(またしても!)聴いていたら、突然その良さが分かったような気がした。フラメンコ+フォーク、時々ジャズ、少しロックという感じじゃないかと思う。フォークっぽい雰囲気に気が付き、その昼下がりにまどろんでいるような温もりに、何とも言えない癒しを感じた。彼のアルバムは常に緊張感が感じられ、なかなかリラックスされてくれないのだが、まさかビートルズのナンバーでそれが体験できるとは思わなかった。曲によるばらつきは殆どなく、どの曲もとても水準が高い。原曲のメロディーは、きらびやかな装いに隠れて、生のままで出てくることはあまりないが、曲を知っている方にとって、それがスリリングな感興を呼び覚ます。その中で気に入ったのは、「アンド・アイ・ラヴ・ハー」、「ミッシェル」、「エリナー・リグビー」、「ペニー・レイン」などで、個人的に好きな曲が良かった。Alll Your Life(A Tribute To The Beatles)(in-akustik 9128)1. In My Life (3:52)2. And I Love Her (4:31)3. Because (4:08)4. Michelle (5:13)5. I Will (2:53)6. Eleanor Rigby (2:51)7. Penny Lane (5:42)8. Blackbird (4:39)9. I Am the Walrus (4:05)10. A Day in the Life (3:02)11. Being for the Benefit of Mr. Kite (3:10)12. With a Little Help from My Friends (4:16)13. If I Fell (3:00)14. She's Leaving Home (3:22)Al Di Meola(g)Harman Romero(Hand Claps,chaca rhythm)Recorded at Abbey Road Studios,London May 2012,November 2012 and February 2013
2014年01月24日
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少し前の釣り船と海上自衛隊の「おおすみ」の衝突事故の報道が気にいらない。何が気に入らないというとメディアの報道の仕方が気に入らないのだ。まだ原因がわからない時点で自衛隊が悪いみたいな報道一色だ。特にひどいのは、釣り船の船長の知りあいの「船長はベテランで、ミスを犯すはずがない」という発言を取り上げていること。まだ何もわからない状態で、このような発言を取り上げる時点で、何かの意図があるのではと疑ってしまう。大きな船より小回りの利く小型船に大きな船をぶつけるのは難しいし、小型船はが避けるのは容易なはずだ。とにかく自衛隊絡みになると、一方的な報道や針小棒大な報道が目に付く。事実を事実として公平に報道するということがない。それどころかある意図を持って報道しているとしか思えない報道も目に付く。かつて客観報道ということが言われていた。これは、「ニュースの報道にジャーナリストの主観、意見を入れないこと」と定義されている(原寿雄)この定義からいくと、現在のメディアは主観丸出しの報道でねつ造すれすれの報道もあり、客観報道という言葉は恥ずかしくて口に出せないと思う。しかし、どうしてこんなにメディアが劣化したのだろうか。もちろん当事者に問題があるのは当然だが、そういう報道を是認してきた我々にも問題があることは確かだ。取り上げ方も恣意的だ。我々は報道されないとそれを知るすべはなく、いいか悪いかも判断できない。そうなると真の姿がどうであるかは自分で探さなければならない。幸い、現在はネットで色々なことを調べることが出来る。しかし、それは自分で積極的に行える人間だけにしか許されない。大多数の人たちは、メディアの流した情報を信じるしかない。そのメディアを信じるに足ると思っている人たちはどれほどいるだろうか。秘密保護法でギャーすか騒いでいたが、自分たちの垂れ流している嘘について自己批判したということは聞いたことがない。電波の場合だったら、嘘を流したら免許停止くらいの厳しさがあってもいい。そうすれば、現在の状況を当事者が認識し、改善する方向に進むと思うのだが。。。
2014年01月23日
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世の中には、物を気分次第でいろいろなところに置いて、あとでなくなったと騒ぐ奴がいる。自分の物だけだといいのだが、それが他人の物までとなると、それをやられた人は大迷惑だ。そんな人間が近くに居たら大変だと思うが、不幸にも私の近くにいる人間がそうだ。目が悪い癖に、メガネがなくなったと騒ぐ。メガネを外してそこら辺に置くのが原因だ。用が足りるのなら、かけなくてもいいのにと思ってしまう。服もいろいろなところに脱ぎ散らかしている。とにかく本能の赴くままにやっているようだ。信じられないことだが、決まったところに置くということが出来ないのだ。一昨日は鍵がないと言っていた。なくなってから1週間くらいたってるという。今頃報告するのは、どうにもならなくて、スペアを作ってくれということらしいが、それは無視していた。きのう帰宅したら、鍵がかかっているので、鍵が見つかったんだと思った。体育館に筋トレをしに行って、しばらくトレーニングしていたらどこかで見たことのあるおばさんが、こちらを見ている。なんでも鍵がなくて家に入れないそうなのだ。鍵が見つかったと思ったのは、私の早合点で、いつも出入りしている側に内鍵をかけて、反対側から出てきたと言っている。そんな猿知恵、プロの泥棒だったらすぐに見破られてしまうと思わず言ってしまった。家の鍵と一緒に車の鍵をなくしたので、そっちのほうが重要だから、もっとまじめに探せと言ったら、反省したのか探し始めたようだ。しばらくしたら、見つかったという。なんでも、資料を入れているバッグの中に入っていたとか。何も考えずに入れておいて、入れた場所を忘れるという典型的な失敗だ。まったく、あきれてしまう。こちらは怒鳴ってエネルギーを消耗したのに、相手がケロッとしているのが癪に障る。まあ、これだから何も変わらないのだと思うが、もう少し何とかしてくれと思ってしまう。全く学習しないので、病気じゃないかと言ったら、自分でもどこか欠陥があるのではないかと真面目くさって言う。ちょっと調べたらDHD(注意欠陥多動性障害)という病気があり、かたずけが出来ない病気だそうだ。片付けられない 脳の障害(ADHD/ADD)掃除が出来ないというのもその部類だ。女性は隠れADHD(注意欠陥多動性障害)の人が多く、特に、『片付けられない』ことに悩んでいる人の割合は高いらしい。掃除も中々やらないし、物もあまり捨てないことから考えると、どうもこの病気に該当しそうだ。ただし、それほどひどい症状ではない。これを読むと、しないのではなく、できないということだ。道理で、いくら言っても直らないわけだ。原因は、脳のある部分の機能障害で、脳の中の、「やりかけた仕事を確実に続ける」「先を読んで手順を考える」「用事に優先順位をつける」という部分が正常に機能していないためで、不便を強いられる。あれもこれもしなければならない状況下に置かれると、頭の中がすぐ混乱してパニックになってしまうのだそうだ。病気となれば、攻めても仕方ないので、そうならないようにするしかない。どうやら、予防するしかないようだ。あとは病院で診てもらうことだが、治療は服薬くらいしかないようだ。私もあまり文句を言ってストレスを与えないようにしなければならない。この病気と特定されたわけではないが、とりあえず長い間の非礼を謝っておいた。^^);注意欠陥・多動性障害 wiki
2014年01月22日
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昨日の夜、HMVのサイトを見ていたら、アバドがボローニャの自宅で80歳でなくなられたことが告げられていた。胃がんで闘病中だったそうだが、突然の訃報だった。近年はルツェルン祝祭管の他にも、モーツァルト管で活躍していただけに、とても残念だ。アルバムは結構所有しているが、それほどのファンというわけではない。しかし、晩年の充実ぶりは目をみはるものがあった。惜しかったのは、予定されながら音楽上の問題?で演奏されなかった、ルツェルンでのマーラーの千人の交響曲。それを知った時は、アバドらしいストイックさを感じたものの、今となっては惜しまれる。ベルリン・フィルでは録音しているので、取り上げられなかった理由がなんだったのか知りたいところだそれから、ワーグナーも舞台や演奏会形式のライブでの収録はあるものの、セッション録音がなかったのも残念だ。ヴェルディも「オテロ」は録音されていない。プッチーニなどのヴェリスモ・オペラを取り上げていないのは有名な話だが、アリア集で付き合っているアルバムはあるので、嫌いではなかったと思う。昨年ルツェルンでの来日が予定されていたが、そのころには病状が悪化していたのだろうか。2000年に胃がんで倒れ、治ったと思っていたのだが、再発したということだったのだろうか。近年の映像では、痩せてはいたが気力はみなぎっていたと思う。昨年も「グレの歌」のコンサートや、アルゲリッチとの共演があり、その時点では元気だったことは確かで、その後急激に病状が悪化したのかもしれない。彼は、若手の育成にも熱心で、ヨーロッパ室内管、マーラー・ユーゲント管弦楽団とマーラー室内管、そしてモーツァルト管弦楽団などを創設し、メジャーな存在にしたのは他の指揮者のできないことだった。 今まで、彼の演奏を聴いて一番感銘を受けたのはなんだったのか考えていた。圧倒的な感銘というのは、あまりなかったかもしれない。それは彼の清潔というか潔癖な音楽作りに起因していることもあったと思う。そんな中ではやはり現代音楽が、他の指揮者ではなかなか味わえないものがあったと思う。ウイーン・モデルンのライブや現代音楽ではないがベルクの管弦楽のための3つの小品も印象深い。彼の音楽は個性的ではないが、曲の素顔が現れていたように思う。もちろん、アバドというフィルターがかかっているのだが、ほとんどゆがみはなかったと思う。それからマーラーではウイーン・フィルとの第3番が好きだった。それまでは、この曲の持つグロテスクな表情からなかなか馴染めなかったのだが、アバドの演奏を聴いて、この曲の良さを初めて知ったことを思い出す。また、他の指揮者が取り上げない有名作曲家の作品を発掘するのも得意技だったし、ムソルグスキーの偏愛ぶりも異彩を放っていた。Wikiをのぞいたら、ヴァイオリニストのムローバと4年ほど同棲していて、子どももできたらしい。あの真面目そうな男も、イタリア人だったかと思って、なにかほっとした。今後、彼の演奏を聴きなおして、冥福を祈りたいと思う。合掌
2014年01月20日
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今日は、見ようみようと思いながら、きっかけが掴めなかった「ゼログラビティ」。アカデミー賞にノミネートされたということで背中を押されて、盛岡アートフォーラムに行った。北上でも上映しているが、吹き替えしかないので、盛岡に行くしかなかった。上映が2時過ぎからなので、その前に見られる映画を探したら、うまい具合に「かぐや姫」の時間があっていたので、今日は豪華2本立てと行こうと思った。少し早めに出て、牛田智大のチケットを購入し、アートフォーラムへ。12時10分ほど前に着いたが、長い行列が並んでいる。まさか「かぐや姫」じゃないなと思って,壁に貼ってあったスケジュールを見たら、その時間は「かぐや姫」しかない。予定時刻に近づいたが、予告編を考えるとまだ余裕だ。ところが列の前の方で、スタッフが残っている席が何とかと言っている。少し列が進んでから、今度は補助席を出すがいいですかと聞いている。お客さんが、いいですと言ったようで、スタッフがおもむろに満席になったことを告げた。私の3人ぐらい手前だった。しょうがないと思ったが、さて「ゼログラビティ」までどうするか少し考えた。スケジュールを見ると、うまい具合にフォーラムで30分後に「永遠のゼロ」の上映があることを知り、スタッフに来週も「ゼログラビティ」が上映されていることを確認して、フォーラムに向かった。後で考えたら字幕が上映されるか確認しなかったのは失策だった。フォーラムに向かいチケットを購入。時間があったので食事を済ませて映画を見た。実は、公開2日目の朝一の時間に見に来たのだが、この時も数人前に満席になったのだった。運がないのか、準備が悪いのか、異常に人気があるのかわからないが、まさか2回続けてこんなことになるとは思わなかった。特に今回かぐや姫が満席になるなんて思っても見なかった。やれやれ。。。。以上前置きがとんでもなく長くなったが、肝心の映画の話を少々。内容については方々で語られていると思うので、キャストについてだけにする。主人公、宮部久蔵役の岡田准一が素晴らしかった。以前からも素晴らしい演技をしていた映画は何本もあるが、Vシックスのメンバーという色眼鏡で見ていたことは確かだ。それに、上背がちょっと不足していて見栄えが悪いことも理由の一つだった。この前、偶然テレビで岡田准一とヴァイオリニストの五嶋龍の対談を見た。岡田が大河のセットで、五嶋に鎧の付け方や鎧をつけた時の制約、それに伴う刀の使い方などをレクチャーしていた。また、武士の座り方についても話していた。それは、骨盤に上半身が乗ると、黙っていても姿勢がよくなるということだった。番組では岡田准一が海外の武術をしていて、3つの武術のインストラクターの資格を持っていることを伝えていた。それに、五嶋が丹田を上に移動させると音が軽くなり、下に移動させると重心の低い音になるという話は、とても興味深かった。日本の武術を体得している演奏家にしかできない話だと思う。そういう情報を知ったためか、この映画での岡田の振る舞いがきりっと一本筋が通っていて美しいと思えたのは、勘違いだろうか。 印象的だったのは、腕の立つ宮部に模擬演習を挑み、我を忘れて撃ってしまった景浦(新井浩文)がふてぶてしさとともに印象的だった。ところで、最初この俳優の顔が日ハムの中田の顔を少し広げたようだと思ったのは、私だけだっただろうか。。。。現代の景浦役の田中泯の凄みのある演技が異彩を放っていた。また、宮部久蔵の部下井崎(現代)役の橋爪功の演技も良かった。私の興味は、最後の特攻シーンがどのように描かれるかだったが、宮部が銃弾をかいくぐりながら、真っ逆さまに突っ込んで行くところで終わっていた。出来れば、突っ込んだ姿も見たかった。ネットで話題のVFX使い回しは、言われなければ見逃したかもしれない。ただ、明らかにそれとわかるような使い方はしないでほしい。少なくとも素人が分かるようではプロフェッショナルとは言えない。原作を読んだのはだいぶ前で、筋がうろ覚えなので、原作との違いはきり言えない。ただ、じっくりと描いて欲しい部分がラフに描かれていたような気がする。音楽は佐藤直樹。監督の山崎貴とは「always三丁目の夕日」以来全ての作品の音楽を担当している。あまり目立たないが、ここぞというところで印象的な音楽が流れていた。公式サイト
2014年01月19日
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今回も、このところ集中的にレビューしている吹奏楽のアルバム。 今回は、北テキサス大学(UNT)のシンフォニックバンドの2011年にリリースされた「After Sunset」。曲は組曲を含め、どれも10分を越す曲ばかり。表題曲の「アフター・サンセット」がシリアスな曲だった以外は楽しい曲ばかりだった。金管主体の曲が多く、ぼけっと聞いているとブラス・アンサンブルのアルバムと錯覚してしまう。最初はバーンスタインの「ミサ」のメドレー。カナディアン・ブラスとイーストマン・ウインド・アンサンブルの委嘱でマイケル・スウィーニー(1952-)が編曲した。「アレルヤ」、「サンクトス」、「アニュスデイ」、「シンプル・ソング」、「オルフェトリウム」、「全能なる父」のメドレーで、独唱や合唱の部分は金55重奏が使われている。この曲はロックやフォークが入り混じったシアターピースなのだが、金管5重奏を使ったためか、ムーディーな仕上がり。金管の柔らかなサウンドが効いているようだ。原曲を最後に聴いたのがいつだったか忘れていたが、こんなに楽しい曲だとは思わなかった。ブルース・ユアコの「アフター・サンセット」はこの作品バンドの委嘱作品で、作曲者の母親の追悼のためにつくられた。小編成のアンサンブルで、曲は金管だけの部分、木管だけの部分、全員、最後に金管だけと4つに分かれている。そこに時折入るチャイムやシロフォンの響きがとても印象的だ。中間部のフルート・アサンサンブルも美しい。悲歌なので暗くて当たり前だが、不協和音を交えた、じとっとした救いようのない暗さで、聴いていると落ち込んでしまいそうだ。3曲目はケント・ケナン の「トランペットとウィンド・アンサンブルのためのソナタ」(1956/1996)。元々はピアノとトランペットのために書かれた作品だが、1986年と1996年に第1楽章の終結部を変えて、ウインドアンサンブル用に改定した。この曲は色々な楽器の協奏曲の一環として書かれた。ウインド・アンサンブル用に書き直したのは、トランペットとピアノではバランスをとるのが難しかったからだと作曲者にっている。ソロとバックのブレンド具合が絶妙で、アメリカの田園風景を思わせる作風と相まって、とても心地よい空間になった。まさに作曲者のねらい通りの仕上がりになったと思われる。ソロのジョン・ホルトの柔らかなサウンドが曲にマッチしている。ギリングハム(1947-)の交響曲第2番 「ジェネシス」は5楽章構成。長い楽章でも6分で、演奏時間19分ほどの曲。相変わらずの暗い作風だが、変に明るい所があり、普段は苦虫をつぶしたような顔をしている人物が無理やり笑っているような気食の悪さを感じる。この曲はその名の通り旧約聖書の創世記を題材にした作品。各楽章は「始まり」、「エデンと禁断の果実」、「ノアと箱舟」、「天の水門」、「契約の印」と名付けられていて、ブックレットを見るとストーリーにそって忠実に作られているらしい。私は聖書に関して全く不案内なので、どういうことを言っているのか分からなくて調べてみた。「始まり」は神が万物を想像する場面を描いている。「天の水門」とは地球を自ら守っている水門のこと。ノアの洪水は単なる大雨が降ったことかと思っていたのだが、まるで違っていた。最後の「契約の印」とは水が引いた後、神がすべての生き物を絶滅させる大洪水を決して起こさない事を契約し、その証として空に虹をかけたことにちなんでいる。最初は暗いが途中から明るくなり、あっけなく終わってしまう。壮大なところもあるが、全体的には軽量級の作品で、展開も中途半端のため、これが交響曲かと言われても、ちょっとと思ってしまう。讃美歌が使われているのも軽量と感じさせる原因で、それは3楽章に顕著に表れている。第4楽章ではグレゴリア聖歌の「怒りの日」が断片的に出てくるが、何の描写を意味するのかブックレットには書かれていなかった。もともと個人的には全く魅力を感じない旋律で、幾多の作曲家がこの旋律を使っている理由がさっぱりわからない。そのなかでは第2楽章のリンゴをかじる場面がサスペンス風の緊迫した音楽で、トランペットの刻みと暴力的な表現が三善晃や長生淳を思い出させる。この曲は創世記の内容を熟知していれば、さらに楽しめたかもしれない。演奏は全く問題はないのだが、作品に問題があり、楽しさも中くらいといったところ。AFTER SUNSET:UNT SYMPHONIC BAND(Klavier K 11186)1.Bernstein(arr. M. Sweeney):Mass2.Bruce Yurko:After Sunset3.Kent Kennan:Sonata for trumpet and wind ensemble l.With Strength And Victor ll.Rather Slowly And With Freedom lll.Moderately Fast,With Energy6.David R.Gillingham:Symphony No. 2, "Genesis" l. In the Beginning … ll. Eden and the Forbidden Fruit lll. Noah and the Ark lVV. The Floodgates of HeavenUniversity of North Texas Symphonic BandDennis Fisher,conductorRecorded 2009-2010
2014年01月19日
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ラトガーズ・ウインド・アンサンブルの2006-07の録音を集めたアルバム「Sparkle」を聴く。 気に入ったのはブライアント作曲の表題曲「Suite Dreams」(2006)以前からブライアントのコラージュ作品を気に入っていて、これもなかなかの傑作だと思う。絵画なんかでもそうだが、他人の作品を使って面白い作品を作るのがうまい方がいる。これも一種の才能だと思うが、現在の吹奏楽界では彼が断トツに抜きんでていると思う。以前もグレインジャーの「リンカーンシャーの花束」の第1曲を使った「Impercynations」をレビューしたことがあり、これも大変気に入っていて、個人的には好きな作曲家だ。ブライアントはこの作品の前に「Chester Leeps In」、前述の「Impercynations」、「MetaMarch」という同種の作品を作曲している。この作品はそれまでのパロディーみたいなものとは違って、もやもやとした幻想的な雰囲気が顕著だ。今回の「Suite Dreams」では、なんと、ホルストの第1組曲のシャコンヌとマーチが使われている。これが実に面白い。この作品は2008年のNBAの作品賞を受賞している。因みにブライアントはこの賞を2007年(Radiant Joy)、2010年(Ecstatic Waters)と3回も受賞していて、ドナルド・グランサムとともに最多受賞歴を誇って?いる。これを聴いていると、単なるアイディアだけではこういう曲は不可能で、大変高い技術を持っていないとできない作品だと感じる。注意深く聴いていると、ブライアントの意図しているところが次第に分かってきて、その過程も楽しめる。特に中間部のスネア・ドラムが入るあたりから、じわじわと盛り上がるところは鳥肌ものだ。表題曲の「Sparkle」はアメリカの作曲家シェーファー・マホニー(1968-)の作品で、1999年に初演されている。ニューヨークのクライスラービルの朝焼けにインスパイアされた4分ほどの短い曲。朝焼けを連想させるような曲ではないが、木管の細かい音符が続く割には静けさを感じさせる不思議な曲。どっしりとしたオスティナートにのって、次第に楽器の数が増えてクライマックスを迎える。小粒だが、聴後感は爽やか。ケネス H ランプルの「echo of god's laughter」(神の笑いのこだま)は宇宙を描いた作品。冒頭木管とホルンが4小節の別々のフレーズを繰り返す部分が長々と続く。どちらが主旋律なのかよく分からないが、宇宙の様を描いているようには感じられる。この旋律が形を変え楽器を変えて最後まで繰り返される。一旦爆発した後、再び次第に楽器が減って消えていく。変化に乏しく、面白くないことは確かだが、今後何回も聴いていくにしたがって、麻薬のように体に染み込んでいくのかもしれない。ジョセフ・ウイルコックス・ジェンキンス (1928-)はフィラデルフィア生まれのアメリカの作曲家で、2曲取り上げられている。聴いたことがなかったが、懐かしいサウンドが新鮮に響いていた。「Pieces of Eight」(8つのピース)(1951)はイーストマン音楽学校在学中の最初の吹奏楽作品。メロディーが軽快で、エンディングも堂々としていてこれぞ行進曲の王道みたいな曲で思わず体が動いてしまいそうだ。副題が「ベートーヴェンの交響曲第8番の主題による」となっていて、第4楽章の主題を巧みに使っていることが分かり、前にも聴いたことがありそうだと思った理由が分かった。これが学生の作品とは思えない、スカッとする作品。もう一つは「バンドのためのアリオーソ」(1963)「アリオーソ」とは「語る口調に近いレチタティーボともっぱら歌唱的なアリアの中間的性格をおびるもの」という意味。 (出典)田園風景を思い起こさせるような牧歌的な雰囲気で、旋律を奏でるコルネットが美しい。イタリア系アメリカ人ルイジ・ザニネリ(1932-)の「暗い森」はダンテの「神曲」の地獄篇に基づいた作品。『暗い森」は地獄篇で最初にダンテが迷い込んだ森のことを指している。曲名の通り暗く、静かな作品で、あまり面白くない。メインのヒンデミットの「交響曲変ロ長調」はたくさんの録音があり、目立つのはなかなか大変な曲だ。今回の演奏はよくまとまっている。重厚なサウンドは、この曲にふさわしい。バーツの指揮はテンポが適切、フレージングも自然で、違和感を感じることがなく、優れた指揮だと常々感じていた。この曲でも同じことが言えるが、第2楽章の中間部、第3楽章のテンポは少し早目だ。録音は細身であまりよくなく、各楽器の透明度がもう少しほしい。Rutgers Wind Ensemble:Sparkle(Mark Masters 7880-MCD)1.Shafer Mahoney:Sparkle2.Paul Hindemith:Symphony in B flat major l. Moderately fast, with vigor ll. Andantino grazioso lll. Fugue, rather broad5.Steven Bryant:Suite Dreams6.Kenneth H.Lample:The Echo of God's Laughter7.Luigi Zaninelli:Dark Forest8.Joseph Willcox,Jenkins:Arioso, Op. 459.Joseph Willcox,Jenkins:Pieces of EightRutgers Wind EnsembleWilliam Berz,conductorRecorded 2006-2007 in the Nicholas Music Center of Rutgers,The State University of New Jersey
2014年01月17日
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安倍安倍首相が 靖国神社の参拝を決意したきっかけになったと言われる渡部昇一氏による著作「自立国家への道」を読む。渡部昇一氏の「昇一塾」ニュースレターというメールマガジンを加筆修正したものだ。これは毎月4回発行されるもので、時事問題、人生論などが書かれているそうだ。今回は、平成24年10月からの1年間の中から選ばれている。気楽な筆致で書かれていてとても読みやすい。これは氏の持ち味なのだが、普段と違うところが目についた。それは、力説したい部分での強い調子の文体だ。普段は終始穏やかな筆致なのにどうしたんだろうと思った。おそらく晩年になった(今年84歳になる)ので、これだけは言いたいという、止むに止まれぬ気持ちから、強いかきかたになったと思う。賛同は全面的に賛同できるものだ。特に原発問題に関しては、原発再開派だ。炉心冷却が停止したのは、地震によるものではなく、津波によるものであること。なので、津波対策さえできれば再開は可能だという論理だ。また、放射能による避難に関する規制値が異常に低いとも指摘している。根拠は、今回のメルトダウンでの死者がいないこと。広島や長崎での死者は短時間で大量の放射能を浴びたことが原因で、チェルノブイリでの死者も消火に当たった消防士だけだ。こういう知見があるのに、避難するための基準が1ミリシーベルトであることが問題だと言っている。また、靖国問題については、保守派の方々が主張していることとほぼ同じだが、一つ興味深い指摘があった。中国人、韓国人は、自分たちの主張が嘘だということを日本人が分かっていても、反論しないで、謝罪と反省を繰り返しているのは、日本人が臆病だからだという認識なのだ。だから彼らはどこまでも付け込めると思ってエスカレートさせているのだという。なるほど、誰でも日本を臆病とみたら、それにつけ込むのは外交では当たりまえだ。それから、オリンピックについて猪瀬元知事が発案者である石原慎太郎氏への礼を失しているという指摘は目にしたことがなかった。まったくその通りで、今から考えるとそこら辺にも猪瀬氏の傲慢さが現れているように思ってしまう。また、かつて死亡事故を起こした戸塚ヨットスクールの教育を高く評価しているところも注目される。事故を起こしたのは、精神病と正常の区別がしっかりつけられていなかったからだとしている。そこまで、突っ込んであの事件について語られたことがあったか分からないが、少なくとも私は知らない。私も戸塚ヨットスクールの教育方法にはかつて注目していたことがあり、この考え方には賛同できる。この時の例えが面白い。鯉が絶食しても死なないが、餌をやりすぎると死んでしまうことを人間に当てはめている。人間は40万年間は上の中で過ごしてきたが、豊かになったのはごく最近で、上には耐性があるが、豊かさには抵抗がない。鯉そのものだというのだ。まさに目から鱗だ。これの部分を見て糖尿病の話を思い出した。昔は食べ物が少なかったので、すい臓からでるインスリンは足りていたが、食べ物が豊かになったので膵臓の能力以上の能力を求められ膵臓が疲れてしまったのが糖尿病。だから、なるべく膵臓を酷使しないようにしなければならない。これは前にどこかの医者に教えてもらったのだが、まったく同じことが当てはまる。ということで、面白い所をピックアップして紹介した。中にはこんなこと書いていいのかと思うこともあるが、吹っ切れているのだろうか、清々しささえ感じられ、最後まで楽しんで読むことが出来た。渡部昇一著 「自立国家への道」 致知出版 平成25年12月30日 第1刷発行
2014年01月16日
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先月アメリカにいる子供からリクエストがあり、荷物を日本郵便のEMSで送った。ところが何日経っても届いたという知らせが来ない。確認したとことやはり着いていなかった。子供からネットで追跡方法を教えてもらったので、見たところ着いていることなっている。大家さんのところに届いていないか確認したようだがついていない。しょうがないので、またしばらく待っていたが、届かない。子供は配達先を間違えたのだろうと言っていた。送ったものより運賃の方が高いくらいなので、また送る準備をして並行して郵便局に調査を依頼した。今のところ連絡はない。荷物の中にはDVDも含まれていて、また別なDVDのリクエストもあった。配達のための準備の手間とかかった経費、それに配達での事故を考えると、どうやら別な方法を取る必要がある。ところで、最近、居間でiPad を見ることが多く、NAS(ネットワークにつないだハードディスク)で映画を見ようといろいろやっているがまだうまくいていない。NASはバファローの物で、Webアクセスができる。このことに2日ほど前に分かり、この機能を使って子供にNASにアクセスしてもらうのが手間があまりかからなくていいかもしれないことに気がついた。今のところうまくいっていないが、なんと出来るようにしたい。これがかたずいても、ネットにつないだBDレコーダーへのPCからのアクセスも実現していない。懸案のPCオーディオも手が付いていないし、やることはまだまだある。それにしても、最近トラブルが多すぎる。全く腹立たしいが、そういう運命に生まれたと思って、甘んじるしかないのだろうか。
2014年01月15日
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パッパーノの指揮するロッシーニの「小荘厳ミサ」を聴く。もともとは、ミンコフスキーのオランダ人の値段を見るためだった。その時に、Presto Clasiccsでパッパーノのセールが行われていることに気がついて購入したのがこのアルバム。この曲は元々は12人の歌手(4人のソリストと合唱パート)、2台ピアノとハルモニウム伴奏なのだが、今回の演奏は後に編曲された管弦楽版によるもの。管弦楽版だったことで理解しやすかったのかもしれないが、とても楽しめた。宗教曲らしい荘厳な側面が主体であることは確かだが、後半のサンクトスはロッシーニらしく?オペラの声の饗宴みたいになっていた。それに、ヴェルディのレクイエムに似たフレーズやサウンドが聴かれたのもイタリアの系譜を思い起こさせるものだった。もっとも、ヴェルディがロッシーニの影響を受けていたかもしれないが、関連する記述はネット、少なくとも日本語のサイトでは見つけることができなかった。ロッシーニは、従来教会の儀式などでしか聴くことが出来なかった宗教音楽を、一般のコンサートのレパートリーとして演奏するように尽力した人物だが、この曲は宗教曲らしからぬ人懐こさが感じられる。特に気に入ったのは、 クレドのエト・レズレクシット (そして聖書にある如く),続くエト・ヴィタム・ヴェントゥリ・セクリ (来世の生命とを待ち望む/合唱)。実に力感がありワクワクしてくる。ヴァルディの逞しさに全く遜色なく、作曲年代を考えれば、ロッシーニの革新性が分かるというものだ。あまりにも素晴らしく、ミサ曲でこんな不謹慎なことでいいのかとさえ思ってしまう 。疑問なのは次のサンクトスでの長ったらしいハルモニウムソロ。せっかく盛り上がったのに、これで一気に抹香臭くなってしまった。それまでがあまりにも輝かしく、落差に戸惑ってしまう。その後の展開は殆どオペラ同然なのだが、美しい旋律と声の饗宴が素晴らしかった。アニュスデイ は一転神妙な音楽になり辻褄?を合わせている。ロッシーニの自筆負譜の終曲の末尾にはこの作品が宗教曲なのか、単にひどい音楽なのか神に問いかけている部分がある。幾分ユーモアを交えた言い方だが、 ロッシーニの自信のなさの現れだろうか。大作曲家にしてはずいぶん謙虚なところが意外だった。初めて聴く曲なので演奏がどの程度の水準なのかわからないが、個人的には独唱合、オケとも満足できる出来だった。今後、最初の版での演奏も聴いてみたい。なお、現時点では国内盤は廃盤のようなので、リンクはpresto musicに貼っている。ブックレットがなくても良ければ、ロスレスのダウンロード版が¥1310とかなり安い。Rossini:Petite Messe Solennele(Warner Music 5099941674222)Marina Rebeka(s)Sara Mingardo(ms)Franceso Meli(tn)Alex Esposito(bs)Coro Dell Accademia Nazionale Di Santa CeciliaOrchestra Dell Accademia Nazionale Di Santa CeciliaDaniele Rossi(organ)Sir Antonio PapanoRecorded in concert:10,12 & 13,November 2012,SalaSanta Cecilia,Auditorium Parco Della Musical,Rome
2014年01月13日
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klavierのサイトを眺めていて、未入手だったアルバムを数枚購入した。そのなかの一枚。ジャック・スタンプ指揮インディアナ州立大のウインドアンサンブルの演奏。聞いたことがない曲が多いが、いい曲が多くとても楽しめた。2004年から2008年までのリリースされていない演奏に、新たに収録した「ターンブリッジフェア」を組み合わせたアルバムの様だ。ピストンの「ターンブリッジ・フェア」(1950)は有名ではあるが、今まで聞いたことはなかった。これは、ヴァーモントの祭りのにぎわいを描いたもので、ピストン唯一の吹奏楽作品。作曲年代は古いが、モダンな作風で、ウイットに富んだ旋律もあり、今聞いても古さは全く感じない。二つの主題を持っていて、一つはぎくしゃくとしたリズミックなもので、もう一つは民謡風のゆったりとしたメロディー。これが祭のにぎわいを描いているかと言えば、全面的に賛同できるわけではないが、分かりやすく楽しい。サウンド的にはユニゾンが多く、メニンの「カンツォーナ」の響きに似ている。もっと演奏されてもいい曲だ。。。。 この部分を書いていて調べ物をしていたら、コーポロン=シンシナティ・ウインド・シンフォニーの演奏(1999)で聴いていたことが判明!?聞き直したら、少しテンポが早いが、出来はこのアルバムに引けを取らないが、音はこのアルバムの方が新しい(2010)だけに鮮度が高い。ブライアントの「Radiant Joy」(2006)は2007年のNBA作曲賞受賞作品。ピアノ、マリンバなどの鍵盤楽器が活躍する。旋律がユニゾンで得奏されることが多く、サウンドはザッパに酷似している。終わりも特に盛り上がることもなくサッパリと終わってしまう。悪くはないが、NBAの作曲賞を受賞するほどの出来とは思えない。日本人の感性とは違う所が気に入ったのだろうか?マイケル・トーキー(1961-)の「ブリス」(2003)はリズミックで、ポップで哀愁が感じられる旋律がいい。マイケル・トーキーは、管弦楽やオペラなど多方面で活躍していていて、ジャズやミニマル音楽に影響された音楽を書いている。(wiki)この曲は、サブタイトルが「変化しないリズムによる変奏曲」となっている。4/4で書かれているが5/4にきこえるという、ユニークなリズムが絶え間なく続く。9分40秒ほどからキーが変わり、じわじわと盛り上がっていくところは、なかなか感動的だ。アフリカ系アメリカ人Dwayne Milburn(1963-)の「Variations on St. Patrick's Breastplate」(2004)はスタンプとIUPウインドの委嘱作品。テーマはアイルランドの作曲家サー・チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォードの「St. Patrick's Lorica or Breastplate」(聖パトリックの胸当て)。主題と5つの変奏からなる14分ほどの曲。主題は讃美歌みたいなもので、それなりだが、変奏はアイディアが豊富で、とても面白い。コミカルな面が強く、こういう変奏の方法もあるとは思わなかった。全曲を聴いてから思うのは、主題がファゴット・ソロで演奏され、その後、少し投げやり気味にテュッティで繰り返されるところが、変奏の展開を暗示するようで、なかなか興味深い。全体に温もりがあり、第5変奏の雄渾な曲想からの大団円も素晴らしい。個人的には傑作として認定したいほどで、今後日本でも広まっていくような予感がする。シンディー・マクティーの「Finish Line」は原曲がオーケストラで2006年に初演され、一か月もたたないうちに吹奏楽版が発表された。この作品はイタリア未来派の画家ジャコモ・バッラの絵画からインスパイアされたスピード感あふれる曲。作曲者は絵から高速で走っている自動車の風景を思い起こしたと言っている。個人的には、少し不安げな都会の闇の雰囲気が現れているように思った。モダンなことは確かだが、日本では受けるとは思われない。サミュアル・ヘイゾ(1966)の「Sky is Waiting」(2006)は彼の友人であり、わが国でも武蔵野音大ウインドアンサンブルの指揮者として著名なレイ・クレマーに捧げられている。因みに、クレマーはパイロットで、ヘイゾとは航空マニアの仲間だそうだ。曲は、ギリシャ神話のイカロスのお話とライト兄弟の成功物語へと続いている。コラールが使われていて、最初のコラールは堂々としているが暗くあまり面白くない。第2のコラールは悲劇的な色彩を帯びていて悪くないが、曲全体としては、いまいち。おなじみの「オクトーバー」は安定したテンポで叙情的な表現にも抜かりがない。この曲はいろいろな録音があるが、日本ではあまり演奏されない。コンクールがらみだとド派手な曲が取り上げられる傾向が強く、コンサートでもこういう地味な曲は敬遠される。こういう技術的には難しくないが説得力のある演奏を行うのは意外に難しく、勉強になるはずだが、とても残念だ。そのほか定番のスパークの『エンジェルズ・ゲートの夜明け」、ハスケスの「マスク」が充実した演奏で収められている。何時もながらの、重低音の効いたKlavierサウンドが心地よい。RADIANT JOY:IUP WIND ENSEMBLE(Klavier K 11184)1.Kenneth Hesketh:Masque2.Dwayne Milburn:Variations on St. Patrick's Breastplate3.Cindy McTee:Finish Line4.Eric Whitacre:October5.Stephen Bryant:Radiant Joy6.Michael Torke:Bliss7.Philip Sparke:Sunrise at Angel's Gate8.Samuel R. Hazo:Sky is Waiting9.Walter Piston:Tunbridge FairThe Indiana University of Pennsylvania Department of Music Wind EnsembleJack Stamp,conductorRecorded March 2004-2010 in Fisher Auditorium(1,2,4,6,7,9) and Dicicco Reharsal Hall(3,5,8) ,IUP Campus,Indiana PA
2014年01月12日
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Import CDのサイトでラトガーズ・ウインド・アンサンブルのアルバムが安かったので旧譜を3枚購入したうちの一枚。 タイトル通り、アメリカの作曲家の作品とトラディショナルを集めた物で、2000年に収録されている。古い曲が多いが、それらの良さが感じられた。ニクソンの「パシフィク・セレブレーション組曲」(1979)は3つの楽章からなる組曲。「サンフランシスコ生誕200周年記念」という副題も付いていて、各楽章は「パレード」,「祈り」,「ページェント」という名前がつけられている。最後の「ページェント」は「祝祭日などに行われる仮装行列や、華麗・大規模なショーなどのこと」らしい。日本で一般に知られている意味とは違い、日本での意味で考えたらイメージと違うと書いてしまうところだった。ニクソン流のエキゾチックなサウンドが心地よい。日本ではさっぱりだが、アメリカでは継続的に取り上げられている。好きな作曲家なので、日本でも、もっととりあげてほしい。コープランドの「エンブレムズ」(1964)は、なんというか、聞きてを突き放すような素っ気なさが感じられ、個人的にはあまり馴染めずにいた曲。冒頭の不協和音と奇怪なフレーズが拒否反応を起こさせている原因だ。改めて聴いたところ、「アメイジング・グレイス」を使っていることに気がついた。今まで何を聞いてきたのやら。。。。この演奏を聴いて少しはアレルギーが減ったように思う。ロプレスティの「Elegy for a Young American」 、日本では殆んど演奏されないが、滋味あふれる名曲。今回の演奏も悪くない。ウィテカーの「Equus」は吹奏楽に女声合唱が加わったバージョン。吹奏楽で聴いた覚えがあるのだが、どのアルバムに入っていたかネットで調べたがわからずじまいだった。もしかしたら私の勘違い、そんなことはない筈だが。。。どんどん迫ってくる異様な迫力に聞き手は、たじたじとなってしまう。合唱がなければこれほどの迫力は感じられなかったと思う。このアルバムで一番楽しめた曲。続く、ジョナサン・ニューマンの「Monn by Night」は演奏時間が3分30秒と短いが、抒情的な作風で心が静まるのが感じられる。オーエンリードの「Missouri Shinding」(ミズーリの騒動 賑やかなパーティー)は伝承曲「Give the Fiddler a Dram」に基づいた、田舎のホーダウン(スクエアダンス)の印象だ。いかにもアメリカの田舎の雰囲気が横溢していて、楽しい曲だ。オーエンリードがこんな曲を書いているとは知らなかった。このトラックの次に原曲がヴァイオリンで演奏されているのは、気が利いている。最後はギリングハムの「Internal Combustion」(内燃機関)この曲は同じレーベルでスタンプ指揮IUP Wind Ensembleで2000年に録音されていた。どうりで聴いたことがあるような気がした筈だ。スタンプの演奏とは比較していないが、本来真面目な曲のはずが、そこはかとなくユーモアが漂っていて、面白い演奏だった。技術が少し拙いところも、そういう印象を受ける要因の一つで、音楽に何が有効になるかわからないという立派な?例だ。ラトガーズ・ウインド・アンサンブルの演奏は技術的には問題がないが、欲を言えばサウンドにも少し厚みがあればと思った。Rutgers Wind Ensemble:AMERICAN IMAGE(Mark Custom 4238-MCD)1. Emblems, Aaron Copland2. Pacific Celebration Suite, Roger Nixon3. Fanfare for the Inauguration of JFK, Leonard Bernstein4. Elegy for a Young American, Ronald LoPresti5. Equus, Eric Whitacre6. Moon by Night, Jonathan Newman7. Missouri Shindig, H. Owen Reed8. Give the Fiddler a Dram, Traditional9. Internal Combustion, David GillinghamlRutgers Wind EnsembleWilliam Bertz,Conductor
2014年01月11日
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以前見た「タイピスト」のサウンド・トラック。当時国内ではMP3でしか入手できなくて、諦めかけていたところ、Import_CDで販売されていることを知り、速攻でゲットした一枚。原題の「Populaire」はタイプライターの名前で、英語の「popular」と同じで「人気のある」という意味。映画音楽は映画でよかったから音楽だけで聴いてもいいとは限らない。映画で聴いたときに、すごくいいと思った曲がそれほどでもなかったり、映画を見ていて気づかなかった音楽が音で聴いて良いと気がつく時もある。今回は、微妙なところだ。この映画のために書かれた曲は、ロブとエマニュエルのドルランド兄弟?の手になる6曲のみで、あとは過去の音源が使われている。彼らはフランスの作曲家でエマニュエルは1977年生まれ。写真を見るとロブのほうが若い。すべて管弦楽で、大部分ははかない美しさに満ちていた。時にはシンフォニックなサウンドを響かせることもある。ただ、彼らの作品を続けて聴いていると曲の違いが分からなくなる。最初に気に入った、「Girl On The Calender」はClive Richardson(1909-1988)というイギリスのピアニスト、作曲の作品。所謂ムード音楽の分野で活躍した。軽快でおしゃれな音楽はいかにもフランスの音楽のように聞こえた。これがイギリスの作曲家の作品とはとても思えない。冒頭に流れる「Forgotten Dreams」も優しい音楽で気に入った。これがロイ・アンダーソンの作品とは知らなかった。それから、ジョン・ダグラスとロバート・ウォルトンの「Till You Next Meet」も良かった。タイプライターの世界大会での出し物のラテン音楽以外は、ノスタルジックな音楽ばかりだなと思ったら、古い作品ばかりだったが、映画にはフィットしていた。映画でもよかったエラの「I LOVE PARIS」はバーブの「the Cole Porter Songbook」での演奏で、いいのも当たり前といったところ。後半何曲か使われているラテン音楽が、単調になりがちな中で、いいアクセントになっている。ということで、使われている音楽や選曲が良く、なかなか楽しめるサウンドトラックになっている。Populaire (Bande originale du film)(SONY 88765415822)1.Forgotten Dreams (Saint Fraimbault) 2.Girl On Calendar 3.Willow Weep for Me4.Stroll in the Park5.Dactylo Rock6 Forgotten Dreams (Chez 7.Stranger On the shore8.Typewriters Boogie9.First Love, First Tears10.Le tango des illusions 11.Till We Next Meet12.I Love Paris 13.Le désir14.Big Noise from Winnetka15.Tourments de Louis 16.Pas moi!17.Les secrétaires cha cha cha (Las Secretarias) 18.Tenderly19.Popular Rock20.Pearl of Ceylon21.Off the Stage22.Let There Be Drums23.Forgotten Dreams (New York) 24.Rose's Glory 25.Populaire (Main Theme) 26.La machine à écrire 27.Rose souvenir28.Rose's Nerve 29.Les secrétaires cha cha cha (Las Secretarias)Rob & Emmanuel d'Orlando
2014年01月10日
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佐村河内守のコロムビアの3作目はピアノ曲を集めている。作曲者自身ピアノが自分のルーツで、2つのピアノ・ソナタは「HIROSHIMA」以上に自分の音楽脳を出し尽くしたと自負している。こう語っているほどの自信作であり、個人的にも全面的に賛同するものである。2曲のピアノ・ソナタと「ドレンテ」という小品が収められている。どの曲も限りなく美しい。最初は5分ほどの小品「ドレンテ」(2008)。子どものためにという副題がついている。「ドレンテ」とはイタリア語で「悲しみ」「悲哀」という意味。旋律の出だしが、プーランクの即興曲「エディット・ピアフを讃えて」とよく似ているが、悲しみをたたえた美しい旋律で、心をかきむしられるようだ。透明なサウンドで、清冽な美しさが際立っている。ピアノソナタはどちらも40分ほどの大曲だが、つまらないところはまったくない。ピアノ・ソナタ第1番は2004年5月に完成した厳しくも激しい作風。当時佐村河内は頭鳴証が悪化し、発作による苦痛の合間を縫って作曲したものだ。佐村河内の音楽は、荒涼とした風景を思わせるような冷たく厳しい音楽と、慰めに満ちた暖かい音楽、この2面性が特徴だが、この曲は前者の側面が色濃く出ている。第1楽章は重苦しい雰囲気で、スクリャービンのピアノ音楽に通じるものがある。第2主題は悲しみを湛えたロマンティックなもので、心がかきむしられるようだ。第2楽章は沈黙が支配して真っ暗な場所で、瞬間的に光がきらめくような感じがする。あたかも、音もなく深い淵に沈んでいくような不気味さが感じられる。ドビュッシー風の不気味さか。「トッカータ風に」と指定された、急速調の第3楽章の無機的な主題はかなり攻撃的だ。これに、同一音による執拗な連打が組み合わされ、聴き手に緊張をもたらす。第1番を剛とすると、第2番(2013)は柔と言えると思う。どちらも無調であるが、第2番の方が調性を感じる部分が多いこともそう感じる理由だと思う。この曲は「ピアノのためのレクイエム」を拡張したもの。冒頭から悲しみを讃えたフレーズに心がかきむしられるようだ。この部分は「ピアノのためのレクイエム」がそのまま使われている。それにバッハからの影響がかなり聞かれる。また、長い曲にもかかわらず、無意味なフレーズが全くなく、充実しきった傑作。第1楽章は最初から最後まで殆どフォルテシモで押し通しているという、破天荒な作品。演奏する方も大変だと思うが、とても感動的な作品だ。マエストーソという表情記号そのものを感じさせる堂々たる音楽。第2楽章は一転して音数の少ないダークな暗黒の世界が広がる無調の作品。そこから出てくる調性感のある宗教的な調べが崇高でとても感動的だ。アタッカで続く第3楽章は急速調で激しい曲想が展開する。主題はやはり悲しみを湛えたもので、この旋律も泣かせる。佐村河内のメロディーメーカーとしての能力の高さを示している。静まると第1楽章のバッハ風の旋律が再現される。静かに終わるかと思いきや、次第に速度をまし、再び激しい音楽が始まるが終わりも完結しないまま激しく終わってしまう。第3楽章に限っていえば、少し冗長な感じがあり、まとまりがいまいちのような気がする。演奏者のソン・ヨルムは韓国の若手でヴァン・クライバーン、チャイコフスキーコンクールで第2位となった逸材で、ピアノ・ソナタ第2番は彼女に献呈されている。 どの曲も水準が高く、曲の真価を伝えている。ただ、この演奏を聴いていると、ほかの演奏も聴きたくなる。多分、別なアプローチもあるのではという疑問を持ったためだろうと思う。今後、別な演奏家の演奏が出てくることを期待したい。それに耐えうるだけの作品だと思う。巷間、佐村河内の作品はいろいろな作曲家の影響が見受けられるという評が多い。確かにそうだろうが、現代の作曲家で過去の作曲家から影響を受けない方がいるとは思えない。佐村河内の場合、それが少し生々しくあらわれているところからの指摘だと思う。「HIROSHIMA」を聴いたときは巷の評価と同じように感じたが、何回も聞いているうちにそんなことは些細なことのように思えてきた。今回の作品集でも、どっかで聞いたフレーズだという指摘は出来ると思うが、個人的にはそんなことはどうでもいいように思えてきた。何よりも、格調が高く、聞けば聞くほど曲の良さが分かってくる。例えが適切でないかもしれないが、ショパンの2番と3番のピアノ・ソナタのを聴いているときのような気分になってしまう。音楽学者の野本由紀夫氏による譜例を含めた詳しい解説も大変参考になる。因みに、作曲者は分析については話さないという。それは、客観的な評価を求めている(野本氏)ためで、この解説は作曲者の指名により任されたものだという。最後に気になることを一言。アルバムタイトルの「鎮魂のソナタ」というのは、いかにも売らんかなの姿勢が見えて、かえってこのアルバムの価値を貶めているような気がする。勿論作曲者了承済みのタイトルだとは思うが、もう少し気の利いたコピーはなかったのだろうか?佐村河内守:鎮魂のソナタ(DENON COCQ-85038~9)DISC1:1.ドレンテ ~子供のために~2.ピアノソナタ第1番DISC2:1.ピアノソナタ第2番ソン・ヨルム(p)録音 2013年7月15日~18日 新川文化ホール(ミラージュホール) 9月13日秋川キララホール(ドレンテ)
2014年01月07日
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先月の手術以来2週間の禁酒と運動禁止を言い渡されていた。まさか、そんなことを言われるとは思っていなかったので、年末に手術を組んでしまった。年始年末は酒の席が多いのでどうなることかと思ったが、禁酒は問題なくクリア。自宅でも、元旦にお神酒を少々頂いただけで、あとは全く飲酒しなかった。もう少し、飲みたくなるかと思ったが、その気配すら感じられなかった。これを契機に禁酒できればと、いろいろなところで公言していたのだが、どうやらいけそうな気がする。飲み会で面白いのは、飲んでいる人がだんだん酔っぱらっていくのを見ることだ。普段だとこっちも酔っていくので、相手を観察する気にもならないのだが、素面だと特にそう思わなくても、観察しているようだ。この人はこういう酔い方をしているのだ、ということが分かって結構面白い。もっとも相手はこっちが冷静なのが逆に気に入らないかもしれない。今回は、理由をちゃんと言っているので無理に勧められなかったが、今後禁酒を続けるにはそれなりの理由を考えておかなければならないかもしれない。いづれ、今のところはいい感じできているので、何とか続けたいと思う。一方、運動の方は、少しフライングして土曜日から再開した。3週間ほど全く運動をしていないし、沢山食べたので2kgほど増えてしまった。運動再開後1kg強ほど減らしたので、もう一息頑張りたい。
2014年01月07日
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昨日、高校の同窓会があった。こういう会はあまり行かないが、卒業以来会っていない方が殆どなので、どれほど変わったか興味があり、出かけた。殆どが顔をみているうちに思い出すパターン。その中でも、高校の時から自然に老けていた方はわかった。頭が薄くなった方や体型が変わった方はわかりにくい。それでも、話をして行くうちに、その方のことを次第に思い出した。女性はもともとよく知らない方が多かったので、当時どんな顔をしていたかも思い出せない方が多かった。ひどいのは、どこかで見たことがあるが思い出せないパターン。私は、最近ほとんど風邪をひかなくなったが、何年かに一回風邪をひいた時にいく病院の近くにある薬局に行く。そこの薬剤師はどこかで見たことのある人だな(女性)と思っていた。積極的に名前を聞くほどのこともなかったので、その疑問はわからないままだった。ところが、その方が同窓会に来ていたのにびっくり。その方は私の正体はわかっているのだから、一言あってもいと思うのだが、親しかったわけではないので、言わなかったのだと思う。こういう例は結構あって、どうも知っている人みたいだが確証がないことが多い。恩師も存命中の方はいらっしゃっていたが、考えてみると当時の先生方の年齢は30歳前で、私が同じ年齢だったらとても勤まらないと思う。いずれにしても、とても楽しかった。発起人はいろいろ大変だったと思う。特に私の住所が分からなくてネット検索してヒットしたとのこと。思わぬところで、このブログが役に立ったようだ。今年は中学の同窓会もあるらしいので、今から楽しみだ。
2014年01月05日
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国際派時事コラム「商社マンに技あり!」の12月29日号は、「靖國参拝に失望」は誤訳だというお題だった。日本語の「失望」とアメリカの「disapointment」は意味が異なるというのだ。-以下概要-例えば、あなたが大事な試験に落ちてしまったとしよう。これに対して親しい友人がI am disappointed.と言うのは、英語では自然だ。disapointmenとは「こうなればいいなと期待していた通りにいかず、やるせなく思うこと」。なので、ここでは、「きみが試験に受かればいいと思ってたのに、そうはならなくて残念だ」それに対して、日本語ではどういう意味になるかなるか。あなたが大事な試験に落ちてしまった。これに対して親しい友人が「ぼくは失望している」と言ったとしたら、鋭い緊張が走るだろう。「こいつ、何が言いたいんだ? 俺が努力不足だったと責める気か? まさか、これっきりで友だち付き合いは止めにするとでも?」「失望する」には「期待を裏切られて将来的希望すら失う」という含みがある。これから言って、disappointmentに比べて「失望」は大層な表現なのである。アメリカの「失望」のコメントは在日本米国大使館のプレスリリースとして、メディア向けに出されたものだ。筆者(泉幸男氏)の訳だとこうなる。Japan is a valued ally and friend. Nevertheless, the United States is disappointed that Japan's leadership has taken an action that will exacerbate tensions with Japan's neighbors.日本は大切な同盟国であり友好国である。しかしながら、日本の指導部が日本の近隣国との緊張を悪化させる行動をとったことは、米国として残念に思う。勿論、プレスリリースなので、駐日大使が外務省に抗議したわけではない。-概要終わり-こうしてみると、日本人の受ける「失望」と英語の「disapointment」の違いを正しく分かっていないで訳したことになる。しかし、この英語のニュアンスを報道各社が分からなくて報道したとは思えない。例によって、刺激的な表現にして政府を貶めようという意図が見え隠れする。因みに、その後の1月2日の新藤総務相の靖国参拝についてアメリカは「日本には対話を通じて外交的に問題を解決するよう促している」「われわれは問題がどの方向にいくかに焦点を移している」と述べた。ということで、総務相と首相の参拝は同じこととはとらえていないが、明らかにトーンダウンしているようにみられる。アメリカも大使館の勇み足の鎮静化を図っているのだろう。このまま続けると、アーリントン墓地との違いや過去の原爆や空襲という戦争犯罪のことで逆襲されることは明らかなので、それを恐れたのだろうと思われる。相変わらず、中国韓国が何やらせっせと活動しているようだが、首相はこれからも参拝を続けてほしい。個人的には毎日行ってもらいたいほどだ。こうなったら、中国、韓国が根を上げるまでとことんやってほしい。
2014年01月04日
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コパチンスカヤの新作はストラヴィンスキーとプロコフィエフの第2ヴァイオリン協奏曲という組み合わせ。 ストラヴィンスキーが彼女の気質にあった明るく楽しい演奏。とはいっても、表情が濃厚なためバックの軽さと絶妙なコントラストを描いている。もちろん、ストラヴィンスキーの新古典主義の許容範囲内であり、この作品のディヴェルティメント性が発揮されていて、聴いていてとても楽しい。バックとの連携も上手くいっている。最後になぜかカデンツァという楽章が追加されている。ブックレットを見るとストラヴィンスキーの作曲ではないが、ピーター・シューマンと共にと書かれている。それ以上の解説はないので、ロンドン・フィルのコンサート・マスターとコパチンスカヤが共作したカデンツァなのかもしれない。このカデンツァは協奏曲には入っていなくて、別なトラックにしている理由が全く分からない。最初は少し暗めな雰囲気で始まるが、1分過ぎから一転してコパチンスカヤらしい、アクロバティックなフレーズが出てきて面白くなる。最後の30秒ほどは玩具箱をひっくり返したような賑やかな音楽で、コンサートで演ったら大うけすること間違いなし。もう1曲はプロコフィエフの第2ヴァイオリン協奏曲。プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲というと、なんとなく病的なカンタービレを連想してしまう。彼女の個性的な演奏で、その病的な部分が中和されたようで、個人的には好ましい演奏だった。第2楽章のつつましやかで途切れそうな主題の演奏は、他の演奏では聴かれないユニークなものだ。高音の張りつめて(切れかかりそうな?)透明な音が美しい。なるほど、こういう方法もあったのだと思わせる。第3楽章はラプソディックな表情とざらざらとした感触が曲にふさわしい。不協和音をはっきりと弾いているのもいい。いい悪いは別にして、全体にきっぱりとした強い表現で、曖昧なところがなく、実に小気味よい。ユロフスキー指揮のロンドン・フィルは安定して必要十分な伴奏。サウンドが豊かで明晰だが、さらに突っ込んだ表現があってもよかったと思う。Patricia Kopatchinskaja:Prokofieff & Strawinsky1.Stravinsky:Violinkonzert in D l.Toccata ll.Aria l lll.Aria ll Vl.Capriccio V.Cadenz6.Prokofiev: Violinkonzert Nr. 2 in g Moll op. 63 l.Allegro moderato ll.Andante assai lll.Allegro ben marcatoPatricia Kopatchinskaja(vn)London Philharmonic Orchestra Vladimir Jurowski(cond)Recorded in May 2013 at Lyndhurst Hall,London
2014年01月02日
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キース・ジャレットの未発表作品「NO END」を聴く。 自宅で多重録音した2枚組のアルバム。AMAZONのレビューを見ると否定的な意見が多かったが、個人的には結構楽しませてもらった。色々な楽器を使っていて、一体なん種類あるのだろうか。ギターとパーカションが主で、ホーンはなし。ギターがメロディーラインを弾く曲が多い。キースがギターを弾くとは思ってなかったし、それもこれほどとは思わなかった。天才は何でもできるものなんだと思う。ピアノもクレジットされているが、どの曲かは分からなかった。多重録音の不自然さもまるでなく、普通のセッションのように聴こえる。ロックやアフリカの民族音楽のような曲が多い。ロックは1970年代後半の雰囲気がする。ウェイン・ショーターのブルーノート後期の作品のひんやりとした雰囲気だ。構成的に難しい曲はないが、退屈することはない。特に気に入ったのは、パーカションだけを使って、アフリカ辺りのメロディーが歌われる「lll」や「Vl」意味不明な言葉のリフが面白いアフリカ+ラテン的な「V」カリプソ風だが、アフリカが入っているようで、アフリカの風が感じられる。現地の人間が演奏しているようで、知識なしに聞いたら絶対アメリカ人、それもジャズのミュージシャンが演奏しているとは思わないはずだ。そのお経みたいなメロディー?とギターが妙にあっているのがいい。音楽に集中して聞くというよりは何かをしていてその傍らで流しておくのが良いような気がする。録音は古いだけにテープ・ヒスがキツイが、鑑賞に差し支えるほどではない。かえってテープ・ヒスが音楽にマッチしている。これがノイズの少ない、いい音で聞かされたら、だいぶ印象が違っていたと思う。これだから音楽はやめられない。しかし、1986年というとすでに「スタンダーズ」がスタートし、ECMのクラシック部門である「ECM New Series」の録音にも参加している。そんな時に、発表を前提としていないにしても、こういう録音を残していたとは、なんとも間口の広いミュージシャンであることを、感ぜずにはいられない。NO END/Keith Jarrett(ECM 2361/62)CD 1:Parts I-XCD 2:Parts XI-XXKeith JarrettElectric Guiters,Fender Base,Ds,Tablas,Perc.,Voice,Recorder,p)Recorded 1986 at Cavelight Studio,New Jersey
2014年01月01日
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