JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.11.08
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カテゴリ: 海外旅行
大型観光バスに乗り込み、このツアーの最初の観光場所のソフィア市内にある
『アレキサンドル・ネフスキー寺院』を目指す。
車窓からは空港内で客を待つブルガリア ・ソフィアのタクシー会社『OK Supertrans』の
タクシーの列が。



ソフィア空港出口付近から、遠くソフィアの街並みが見えた。



"Asen Yordanov(アセン ヨルダノフ)"通りを車窓から。



古い高層アパート。
第二次世界大戦の後、ブルガリアに共産主義政府が樹立される1944年以降は、建築の様式は
大幅に入れ替わったとのことであったが、これも共産主義時代のスターリン様式の公共の
アパート建築物の一つなのであろう。



こちらは近代的な商業ビルディング。



こちらは、建設継続を途中で止めた?ビル。



ブルガリア国民議会 (National Assembly of the Republic of Bulgaria)が右手に。
国民議会は、ブルガリア共和国の一院制の立法府。1879年に、当時の憲法によって設立されたと。



その先には『ブルガリア科学アカデミー図書館
(Library of Bulgarian Academy of Sciences)』が。



そしてバスが右折すると『アレキサンドル・ネフスキー寺院
(Cathedral Saint Aleksandar Nevski)』が車窓に姿を現した。



バスを降り『アレキサンドル・ネフスキー寺院』周辺の観光のスタート。



『東方正教会(Holy Synod of the Bulgarian Orthodox Church)』。



『聖ソフィア聖堂』前のライオン像。



別の角度から。
『アレキサンドル・ネフスキー寺院』を見つめているがごとし。



『聖ソフィア聖堂』
首都ソフィアの名称はこの教会に由来。ソフィアの街にできたから聖ソフィア教会
ではなく、聖ソフィア教会があるところにできた街、それがソフィア。
赤煉瓦が印象的な教会

聖ソフィア教会は、ソフィアの中心部、聖アレクサンドル・ネフスキー
大聖堂のすぐ隣にあった。ブルガリアで最も古い教会の一つで、その歴史はソフィア市の
歴史と深く結びついているのだと。現在ソフィア市のシンボルの一つとなっていると。


かつてセルディカ(当時の地名)墓地だったため、地下には複数のレンガ造りの墳墓が
残った。発掘調査でより古い教会にあったモザイクの一部も発見されたと。
現在の教会建物には5000人を収容できるのだと。




第1次世界大戦の無名戦士(兵士)の墓をズームで。1年中消えることのない小さな火が
灯されていた。
よくある無名戦士の墓には衛兵がつきものだがここは特に誰もいなくて
ひっそりとしていたのであった。



11世紀~14世紀の間に司教の拠点だった教会の知名度が高くなり、やがて都市名となったと。
16世紀の教会はモスクに改造され、壁画は削られてしまった。
伝説によると、同じ16世紀に教会の前でイスラムへの改宗を硬く拒否した金細工職人
ゲオルギーは火あぶりの刑に処された。1818年、1858年の大地震でミナレット(塔)は
倒れ、2回目のときムッラ(聖職者)の2人息子が下敷きになり死んだ。
神からの忠告と受け取ったトルコ人はモスクを放置。
しばらく廃墟となった建物は1878年の独立後しばらく倉庫として使われていた。
数回にわたり修復が行われ、20世紀に入って考古学調査も始まった。
現在の姿は中世初期のものに限りなく近いものになっている。
この近くで民族解放活動家のヴァシル・レフスキー(1837~1873年)が絞首刑に処された。
教会の裏には、文豪イヴァン・ヴァゾフ(1850~1921年)の墓がある。
教会の横に、祖国のために命を捧げたすべての兵士を祭る無名兵士モニュメントもあると。



このツアーのブルガリアの現地添乗員のコーニさん。
英語での説明を阪急トラベルの添乗員のOさんが日本語で通訳。



『聖ソフィア聖堂』配置案内も描かれた説明板
初期ビザンティン様式の聖堂である聖ソフィア聖堂は6世紀に、古代ローマの劇場の
上に立てられた。第二次ブルガリア帝国の時代、聖堂は町の中心の大聖堂として使われていたが、
オスマン帝国に征服されるとモスクにされたと。



EUそしてブリがリアの重要遺産のマーク、説明であろうか?



中央にブルガリアの国章が描かれていた。
紋章には、ライオンが描かれた盾をサポーターとして支えている二匹のライオンが描かれている。
盾の上にあるのは、ブルガリアの皇帝イヴァン・アセン2世の冠である。
盾の下には国の標語『団結は強さを生み出す』がブルガリア語で書かれている。
ライオンの足元にあるコンパートメントは、緑の葉と黄色い実をつけた、二本の交差した
オークの枝である。三匹のライオンはそれぞれ、歴史的にも重要な地域である、トラキア、
モエシア、マケドニアを象徴している。
ライオンは、ソビエト連邦の国章の影響が強かった共産主義時代にも、ブルガリアの国章の中に
取り入れられていた。この国章は1997年から採用されていると、ウィキペディアから。



『聖ソフィア聖堂』の掲示板。



『聖ソフィア聖堂』の前室のレンガ積みの柱そしてドーム。



柱には様々なフレスコ画の『イコン』が。
イコンとは、イエス・キリスト、聖人、天使、聖書における重要出来事やたとえ話、教会史上の
出来事を画いた画像である。"εικών"をイコンと読むのは中世から現代までのギリシャ語による。
古典ギリシャ語再建音ではエイコーン。正教会では聖像とも呼ぶ。(ウィキペディアより)







教会内部の側廊の柱にも『イコン』が。



中央ドーム。



『袖廊』。



中央の『チャペル(祭室、礼拝室)』。



様々なイコン絵画も。



前室から身廊への入口の『イコン』その先に『チャペル(祭室、礼拝室)』。



再び『聖ソフィア聖堂』を外から。



『聖ソフィア聖堂』前から『アレキサンドル・ネフスキー寺院』、『ライオン像』を見る。



『聖ソフィア聖堂』前から "Paris" 通りを見る。



                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2019.11.08 21:44:59
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