JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

岡大の「ウユニ塩湖… New! 隠居人はせじぃさん

地元神輿の渡御、茅… New! オジン0523さん

【街路樹のなのみの… Gママさん

バイクのシートが裂… noahnoahnoahさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん

Calendar

2022.06.10
XML
カテゴリ: 茅ヶ崎市歴史散歩
【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次

「本在寺」を後にして、再び「田村通り大山道」を西に進むと正面に「高田熊野神社」の
姿が現れた。



「(高田)熊野神社」。
 神奈川県茅ヶ崎市高田1丁目10−44。



正面から石鳥居と拝殿を見る。



社号標石「熊野神社」。



狛犬(右)。



狛犬(左)。



扁額「㷱㙒(熊野)社」。



「拝殿」そして正面の彫刻、大きな注連縄を。

 ✦熊野大神
 ✦櫛御気野命
 ✦天神七座地神五座
 ✦大山咋命(日枝神社祭神)
祭事
 ✦歳旦祭(年賀祭):1月1日
 ✦浜降祭:7月14日
 ✦例祭:9月第2日曜日



「​ 高田総鎮守 熊野神社  👈リンク          ​​
高田の鎖守熊野神社は、万治元年(西暦一六五八年)に高田村の領主大岡氏が紀伊国熊野本宮より
遷祀された神社で、熊野大神が奉祀されております。
慶長八年(西暦一六〇三年)に大岡兵蔵(忠吉公)が、高田村のうらで百六十余石を徳川将軍より
賜り、爾後、明治維新に到るまでその子孫の釆地であったのです。
熊野神社を創建されたのは大岡隼人(忠高公)で、越前守忠相公の父君にあたる方です。現在の
社殿は、もちろん当時の建物ではなく、昭和二年に高田総氏子によって新築されたものです。

日枝神社(山王社)
当社は、享保五年(西暦一七二〇年)に大岡氏が、近江国東坂本の山王大権現を分祀された
神社です。その社殿は、山王山と稱する丘陵上に建てられていて、そこには青々と松が茂り、
高田耕地を眼下に見下ろす景勝の地でありましたが、後に、熊野神社境内に移されたものです。
現在の社殿は、昭和四十七年に新築された建物です。」



「本殿」を見る。
御祭神 : 熊野大神(くまのおおかみ)、櫛御気野命(くしみけぬのみこと)、
      天神七座地神五座(てんしんななざちしんござ)。
              大山咋命(日枝神社祭神)
              『古事記』では、別天津神の次に現れた十二柱七代の神を神世七代としているそうです。
              最初の二代は一柱で一代、その後は二柱で一代と数えて七代としています。
              また、地神とは天神七代と人皇の間に位置する神々の時代のことだそうです。
             <天神七座>
                国之常立神(くにのとこたちのかみ)
                豊雲野神(とよぐもぬのかみ)
                宇比邇神(うひぢにのかみ)・須比智邇神(すひぢにのかみ)
                角杙神(つぬぐいのかみ)・活杙神(いくぐいのかみ)
                意富斗能地神(おおとのじのかみ)・ 大斗乃弁神(おおとのべのかみ)
                淤母陀琉神(おもだるのかみ) ・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
                伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)
            <地神五座>
               天照大神(あまてらすおおみかみ)
               天忍穂耳尊(あめのおしほみみ)
               瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
               火折尊(ほおりのみこと)
               鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
例祭は9月第2日曜日。7月海の日には浜降祭がある。市内香川の諏訪神社を兼務しているという。
【ご利益】:地域振興・地域安全、家内安全、一族・子孫繁栄。



「頭貫」の上の彫刻。



「神輿殿」。



「高田熊野神社」の「神輿」。


   【http://blog.livedoor.jp/ryoujinkai/archives/50730169.html】より

木鼻(右)。



木鼻(左)。



境内社が2社。



正面から。



扁額「正一位 森家稲荷大神 白笹稲荷大神」。



「由緒
元和三年森武右エ門が一族狼徒を連高田に土着をし屋敷内に京都伏見稲荷大神系の秦野大泉に
鎮座する白笹稲荷神社の分霊を勧進建立をしたのが始です。その後同屋敷内に紀州熊野本宮も
分霊し熊野神社を建立をしてその機会に同屋敷を分割して熊野神社境内社として現在に
至っている。
当然今の社殿は当時の物とはちがいます。森家を始め高田人々の篤い信仰を受けて大切に
保存をされています。」



掲示板。



「日枝神社(山王社)」の社殿。



扁額「山王社」。



社殿の裏に「庚申塔」が。



「地神塔」も。



社殿の裏に石碑が別の場所にも。
柵があって中に入れないので、文字が読み取れなかった。
右の二基には、「奉寄進石灯籠」と。



そして「高田熊野神社」の北側にあった「赤羽川」を訪ねた。



ここから流れは南下し「千ノ川橋」近くで「千ノ川」に合流するのだ。



そして県道404号線・小出県道に出る。



北側には「新湘南バイパス」が見えた。
そしてこの日の予定を全て制覇し、帰途につく。



予定通り神奈中「高田」バス停へと向かったのであった。



茅ヶ崎駅行きのバスが到着。



そしてこの日の最後に、茅ケ崎駅北口から続くペデストリアンデッキに飾られた、
茅ケ崎にゆかりのある著名人の手形モニュメントをカメラで追ったのであった。

最初に「加山雄三 海その愛」。
本名・池端 直亮(いけはた なおあき)。ニックネームは若大将。作曲家としてのペンネームは
弾厚作。父は俳優の上原謙、母は女優の小桜葉子。母方の高祖父は明治の元勲・岩倉具視である。
横浜市に生後8か月まで、次の田園調布には1歳9か月までいた。幼少期に大腸カタルを患い
病弱だったため、上原謙は息子のために、自然環境の良い茅ヶ崎へ引っ越した。
茅ヶ崎の実家には31歳で結婚するまで過ごした。



宇宙飛行士「野口聡一 きぼうの未来圏へ」。
茅ヶ崎市立浜須賀中学校、神奈川県立茅ヶ崎北陵高等学校出身。



「12代目市川團十郎 温故知新」。
9代目市川團十郎が茅ヶ崎市に別荘を持っていたことが縁で、ここに手形が置かれたとの事。



宇宙飛行士「土井隆雄 宇宙をめざせ」。
実家が神奈川県茅ヶ崎市にあり、学生時代の一時期を過ごしたことがあると。



中日ドラゴンズ投手「山本昌広 名球会」。
茅ヶ崎私立松林小・中学校を経て、日大藤沢高校から1983年にプロ入りし最多勝、
最優秀防御率、沢村賞などの成績を収めた。
2006年には史上最年長の41歳1カ月で無安打無得点試合を達成。50歳を超えて現役を続け、
史上最年長登板記録、最年長勝利をマーク。通算219勝を挙げた。



そして茅ヶ崎駅舎へ。



藤沢駅近くで腹ごしらえ。



そして旅友が藤沢市内の「​ 白旗神社で藤の花 ​」👈リンク を楽しんでいるとのLINE連絡があり、
急遽向かったのであった。


                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2022.06.11 23:09:23
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: