JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.07.28
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カテゴリ: 寒川町歴史散歩
【寒川町の寺社旧蹟を巡る】 目次

「生往寺」を後にして、県道44号線・伊勢原藤沢線に出て「田端南」交差点を渡る。
上部の高架は圏央道。



県道44号線・伊勢原藤沢線に沿って西に進むと左側には墓地が。



更に進むと左手奥には教会があった。



「日本ホーリネス教団 萩園キリスト教会」。
茅ヶ崎駅から一番近いプロテスタントのキリスト教会。



Googleマップでは「萩園キリスト教会」の100m弱の場所に「大山灯籠」があると示されていたが
何も見当たらなかった。
ネットで調べてみると下記の如きページがあった。
「かつて寒川に複数あった大山灯籠が、昨年の夏に岡田4丁目(中町)だけになった。
7月25日から8月17日まで、地域住民が輪番で夕暮れに灯籠に火を入れているのだと。
江戸時代の大山詣りには20万人が参拝、参詣者の夜道の安全のために地元住民が立てるように
なったとも言われる。数年前までここ田端神之倉や田端宿、田端東、岡田の東守神社前(上下町)
にも立っていたが、高齢化などの影響で減少。一昨年は岡田の中町と上下町の2基だけが灯され、
このうち上下町は昨年夏を最後に終了し、東守神社に納められた。」と。
この「田端神之倉の大山灯籠」はどの神社に納められていつのであろうか。
「田端神之倉の大山灯籠」をネットより。


 【https://ameblo.jp/samukawa-kankou/image-12354364144-14135272929.html】より

再び県道44号線・伊勢原藤沢線まで戻り、道路を渡り次の目的地の「医王院」に向かって進む。
途中右側には圏央道の高架とその下に、先程訪ねた「萩園キリスト教会」が見えた。



道路脇のアジサイを楽しみながら進む。





ここ「田端宿」交差点を右折して進む。



「田端宿」交差点の角にあった「田端薬師 医王院」案内板。



そして右側に「医王院」への参道が現れた。



正面に「医王院」の「山門」と「本堂」。



「田端山 醫王院」碑。



「本尊藥師如来」碑。



「寺務所」。



「手水舎」。



「本堂」。
田端山医王院は、田端にある高野山真言宗、もと古義真言宗の寺院。山号を田端山といい、
岡田の安楽寺末。本尊は薬師如来。「医王院縁起」によれば、承和元年(834)、摂津(せっつ)の
僧龍海による開山とするが、『新編相模国風土記稿』は、永禄3年(1560)に再興した伝誉を
中興とする。江戸時代は鎮守貴船大神と稲荷社を支配したが、神仏分離にともない医王院は
寺院として存続し、貴船大神は斎藤龍太夫に管理させる旨の願書が明治2年(1869)に
作成されている。



扁額「醫王院」。



「内陣」。



本尊は「薬師如来」。



墓地を見る。



医王院本堂東側墓碑。田端山医王院境内最古の墓石と思われる。



開山した伝誉に関連した石仏。



「三猿庚申塔」 元禄3年(1690) 正面と左右に各一匹の三猿が。



「醫王院」を後にして、「神奈川県立寒川高等学校」に向かって農道をひたすら歩く。



農道脇のアジサイ。



近づいて。



「グリーンガーデン寒川」案内板。



「神奈川県立寒川高等学校」の南側にある「グリーンガーデン寒川」は、さがみ農協寒川町
青壮年部の皆さんが、遊休農地解消対策事業の一環として世話をしている農地。
秋のコスモス畑は、地域の秋の風物詩として定着していると。



次の目的地は「高安善塚(こうあんぜんづか)」であったが、なかなか見つからなかった。



そして何とか発見。
下寺尾にあった七堂伽藍に纏わる尼伝説が残っていると。



内陣には位牌が安置されていた。
「高安善塚之諸霊位」と。



「高安善塚 ~伝説 美女塚物語~
榎戸(えのきど)
ここより三十m南側の旧大山街道沿沿いに一軒の茶屋かあり、洒あるいは雑貨を売る旅人の
休み所でした。そこに昔から大きなき榎があるところから「榎戸」と呼ばれ、現在も昔の面影を
残す何代目かの榎がある。

尼さんが榎堂と呼ばれるお堂を建て、下寺尾の海円院(七堂術藍)の堂守りとして、毎日通って
いましたが、ある日、七堂伽藍の輝きで魚がとれず困っていた漁師を助けたい一心で見守って
きた人達のことも考えす焼き払ってしまい、その罪で火あぶりの刑を受け悶死したという
伝説がある。その尼さんを供養したものが、昔この東方にあった美女塚であり、あまりの
荒廃ぶりに有志の方によって現在この地に移され、「高安善塚」と呼ばれ供養されている。
供養碑は、妙光寺境内に安置されている。」



民家の庭にあったのは「スモークツリー(煙の木)」であろうか。



次に訪ねたのが「大曲神社(十二神社)」。
裏口には「道祖神」碑と「庚申塔」碑が。
神奈川県高座郡寒川町大曲1丁目16−9。



その横にも「石祠」等があった。



そして「大曲神社」入口に到着。
神奈川県高座郡寒川町大曲1丁目16−10。



社号標石は「大曲神社」。



狛犬(右)。



狛犬(左)。



「社殿」。
祭神
 国常立神 ( くにのとこたちのかみ )
 豊雲野神 ( とよくもぬのかみ )
 宇比地迩神 ( ういじにのかみ )
 須比地邇神 ( すいじにのかみ )
 角杙神 ( つぬくいのかみ )
 活杙神 ( いくくいのかみ )
 意富斗能地神 ( おおとのじのかみ )
 意富斗乃弁神 ( おおとのべのかみ )
 淤母陀琉神 ( おもだるのかみ )
 阿夜訶志古泥神 ( あやかしこねのかみ )
 伊邪那美神 ( いざなみのかみ )
 伊邪那岐神 ( いざなぎのかみ )
 天照大神 ( あまてらすおおみかみ )
 天忍穂耳命 ( あめのおしほみみのみこと )
 瓊瓊杵命 ( ににぎのみこと )
 彦火火出見命 ( ひこほほでみのみこと )
 鵜草葺不合命 ( うがやふきあえずのみこと )



扁額「大曲神社」。
新編相模国風土記稿に「十二天社 社頭に安永八(1779)年の鐘あり、岡田村宝幢院持」とある。
明治維新の際、十二天社を十二神社と改称。明治末年の神社合祀の際、単独で神社を存続させる
財源確保のため、こちらの神輿を180円で茅ヶ崎の八雲神社へ売却したといわれている。
平成22年、下大曲神社と合祀され、大曲神社となった と。



過去の「十二神社」碑。
この社号標石は下大曲神社と合祀前は鳥居脇の大曲神社号社標石の位置にあったのだと。



狛犬の台座の側面には
「氏神の 守りはかたし 七十余年 けうぞ謝すなり えりをたゞして」と。



狛犬の台座の側面には
「唐獅子や みたまと共に とこしえに まもりつゞけよ このみやしろを」と。



「大曲神社」を後にして進むと、見事に手入れされた広い庭を持つ民家が。



栗の実の赤ちゃんの姿を。



別の民家の立派な門。




                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2023.03.25 11:36:26
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